清潔感と消毒臭にあふれる病院の個室。
備え付けのベッドは平均的なサイズなのだろうが、花京院が寝ていると少しばかり窮屈そうである。
アヴドゥルとも無事に合流し、彼の病室には全員が集まっていた。
「瞳を切られたワケではないらしいから、傷はすぐに治るらしいよ」
両目を包帯で覆われている花京院はまだ麻酔が効いているのか、大した痛みも感じてないらしく終始穏やかな様子だった。
医者の説明によると眼球は致命的な損傷を負ってはおらず、水分が抜けただけとのこと。失明はかろうじて免れたらしい。
「数日したら包帯が取れる。すぐにきみたちの後を追うよ」
よかった、とは言いたくないが不幸中の幸いには違いない。
「DIOのいるカイロまであと800㎞足らず……みんな、用心して旅を続けてくれ」
力強い彼の声は僅かな悔しさと、怪我如きでリタイアなどしないという気概がにじみ出ていた。
治療費の支払いでジョセフたちは先に受付へと向かい、澪は少し用があるからと病室に残った。
「ごめんね、典明くん」
視覚が塞がれている現状、彼の聴覚は鋭敏になっているらしく澪の声の方向へと正しく首を向ける。
しょんぼりとした呟きに花京院は訝しげに眉を寄せたようだった。
「なにがだい?」
「怪我のこともだけど、典明くん強襲した人……タコ殴りにしてうちに郵送しちゃったから」
「怪我はともかく、え、郵送? 澪の家に?」
攻撃されてからこっち意識を失い、手術などの治療諸々でンドゥールに関することを知らない花京院は戸惑う他なかった。
「うん、正確には宅配か輸送かもしれないけど」
そこは正直どうでもいい。
「よくわからないけど、それは大丈夫なのかい」
その問いは、主に澪の義父への危惧と近所にある空条家に関する意味だったのだけど、
「現代版藤枝梅安に魔改造されるかもしれないけど、それ以外は平気だと思う。義父さんだし」
いまいちどころか、いま二いま三くらい要領を得ない返答だった。
藤枝梅安といえば某時代小説に登場する鍼医兼暗殺者だったと思うが、それにされるとはこれいかに。
追求したところでろくでもない言葉しか返ってこないであろうことは容易に想像がついたので、花京院はそれ以上深く考えるのをやめた。
「怪我を負ったのはぼくの判断が甘かったということだし、敵については澪の裁量に任せるよ」
DIO側の敵は当然こちらを殺す気で狙っているのだから、致命傷に至らなかっただけで僥倖というものだ。敵に関してもこれから先一行に危険が及ばないならそれでいい。
それと、と花京院は続けた。
「どうにも、澪は少し気負いすぎだよ。きみは、きみ以外の行動に責任なんて取れやしないんだから」
それは一面の真実であるが、澪は誠実であるが故に様々な思いを抱えている。それが少し心配だ。
「でも、謝りたかったからさ。それで、あと、ありがとう」
庇ったことを言っているのだとすぐに分かった。
「……どういたしまして、と言うことにするよ」
気に病んでいるのなら、多少は楽になるだろう。
もとより花京院は澪を糾弾するつもりなんてないが、こうした形式が必要な時があることは理解できる。
ふいに、くすりと苦笑がもれる。
「で、ここは告解室でもなければぼくは神父でもないのだけど、澪はなにを懺悔したいのかな」
ぴく、と空気が動くのが分かった。
「……分かってたの」
「まぁ、長い付き合いだからね」
悩み事があるときは、話をどんどん遠回しにするのは澪の前からのくせだ。昔ははぐらかされてもいたが、それと察せないほど花京院と澪の付き合いは短くない。
澪はしばらく沈黙していたが、やがて観念したように深く息を吸って、吐いた。
「懺悔っちゅーか、自分の思い込みを承太郎にオラオラされたというか……その、あれです」
花京院には見えないが、その表情は容易に想像がついた。
きっと目を伏せて、そっぽを向きつつ恥じ入るように唇を尖らせているのだろう。
「案外、信用されてるんだなー、と」
「……?」
そうして手短に語られた内容を噛み砕き、花京院は呆れたように言った。
「きみね、その露悪趣味も大概にした方がいいよ」
「それ承太郎にも言われたわー、刺さるー」
ホリィの延命は誰もが望みこそすれ、厭うものではない。
敵を助けるために土壇場で出たデマカセならば話が別だが、これは単にタイミングの問題である。
「潔さと諦めはぜんぜん違うよ。言い訳にしかならないと勝手に判断して、肝心な部分を話さないまま投げっぱなしにするなんて下の下だ」
「返す言葉もございません……」
完全にしょぼくれているらしい澪に、けれど花京院もこの時ばかりは容赦しなかった。
「大体、それは承太郎のみならずぼくらを馬鹿にしているも同じことだ」
「?」
「だってそうだろう? ぼくらと澪は、そんな言葉ひとつで揺らぐほど底の浅い付き合いじゃあない」
見限られることを前提に話をしていたとすれば、心外である。
これまで築き上げてきた互いの信頼を蔑ろにしているも同じだ。
「まったく、ぼくや承太郎やジョースターさんたちのことが大好きなくせに、変なところで臆病なんだから困ったものだね」
「だってー」
「だってじゃない。いいかい、よく聞いて」
花京院は目の前にいるであろう、わからんちんで諦め癖のついたろくでもない幼馴染みに噛んで含めるように言った。
「澪が好きなのと同じくらい、ぼくらだって澪が好きだし、信頼してるんだよ」
そう、それは傍から聞けば非道な交渉であったとしても、どうせ理由があるんだろうなと即座に察することができるくらい──強固で揺るぎないものだ。
花京院は『法皇の緑』をそろりと伸ばして澪の位置を確認すると、触脚でむにむにとそのほっぺたをひっぱってから頭を撫でた。
「それを忘れず、ものぐさにならないでちゃんと話しなさい。わかったね」
兄が妹に説教するような体で訥々と語られ、澪はがっくりと項垂れるしかない。
「はぁい、猛省します」
そうして、自分の頭を撫でていた『法皇』の触脚を手にとってぎゅーっと握って、おでこに当てる。
スタンドの感覚は花京院にも伝わっている。体温は低いがぬくもりは感じる。感触もだ。
そしてたぶん、こもっている気持ちも。
「……ホントのホントは、典明くんはもう、無理しないで欲しい」
「うん、そうだろうね」
絞り出すような声に、花京院は動じた風もなく静かに頷いた。
承太郎たちは肉親の危機という喫緊かつ切迫した問題がある。しかし、花京院はそうではない。
いわばDIOの被害者という点しか理由のない花京院に、少なからず澪が負い目を感じていたのは知っている。
そして、おそらくは花京院がこの旅に同道した理由も察している。
祈るように自分の額へ『法皇』の触脚を当てたまま、澪は独白するように。
「でも典明くんは、典明くんのためにこの旅が必要なんだね」
だからこそ、澪は積極的に花京院を止めたりすることはなかったのだ。
それは彼がDIOによって蹂躙され、簒奪されてしまった自尊心や矜持を取り戻すチャンスを永遠に剥ぎ取ってしまう所行だと理解しているから。
今回のように花京院が入院するような怪我を負わなければ、きっと澪はこうして言い出すこともなかっただろう。
「そうだよ」
不安と戸惑いに揺れる声をなだめるように、できるだけ優しく花京院は囁いた。
「ぼくは、ぼくのためにここまで来たんだ」
ホリィのために、承太郎のために、澪のために──自分のために。
だから澪には止められない。
ここから進むか否かを決められるのは、世界中でただひとり──花京院典明だけだから。
そして彼は止まるつもりも、戻るつもりもない。
そこまで理解してしまっているから、分かってしまうほどの絆を育んでしまったから、澪はささやかに願いを口にして、噤んで。
大切な幼馴染みへと、精一杯の激励を。
「じゃあ、待ってる」
「待たなくて構わない、すぐに追いつくさ」
あっさりと返す声には、迷いも気負いもなかった。
「そっか」
澪はほんのりと笑って、頷いた。
「じゃあ……、あとでね」
「うん、あとで」
☓☓☓☓☓
空は静かに黄金色で、雲が輝いて流れていく。
「エジプトは古代からナイル河を境に陽の沈む方向に死者を葬ったらしい」
地図を眺めながらジョセフがそう呟く。
アスワンの病院をあとにした一行は一路、船でナイル河を下っていた。
現代的なボートではなく、昔ながらの帆船である。
ちょうどエドフへ向かう商船があったので、相乗りを頼んだところ快く承諾してもらえた。ジョセフの弾んだチップのおかげであることは想像に難くない。
風を孕んだ帆は大きく張って、ゆるゆるとした河の流れは静かだったからジョセフの声はよく聞こえた。
「だから全ての町はナイルの東側に集まっている。西側にある建造物は、全て墓か死者にまつわる建物だそうだ」
ジョセフの言う通り、夕日に照り映える西に建ち並ぶ建物はどれもが歴史と追悼の気配を感じさせる。
生と死が彼我のようにくっきりと分かれているというのは、日本人には少し理解が難しい感覚だ。
文化と慣習が違えば死者の葬り方も異なる。
「敵は西だろうが東だろうが、東西南北お構いなしに襲ってくるがな」
それはそうだ。
土地の成り立ちと敵の行動には関係がない。全員の顔が引き締まり、少しの緊張が走った。
イギーはちょうどおねむの時間なのか、澪にちょっかいをかけることもなく、アヴドゥルの腕の中で大人しくしている。
「敵、か……」
ンドゥールについてのあれこれがあったから思い出す機会を逸していたが、そういえばこの先はどんなチャートになっていただろうか。
澪は腕を組んであぐらをかき、脳内で記憶に検索をかけて文字列を探る。
そういえば、ふたつの枠がひとつになっていた。
「『未来日記少年』と『二番煎じドッペルゲンガー』……」
「なんか言ったか?」
耳ざとい承太郎に軽く首を振り、更に考える。
確かあのチャートには矢印がついてて宵丸の字で『無問題』とか注釈がついていた。なら除外して考えてもいいかもしれない。
『二番煎じドッペルゲンガー』はその先には登場していなかったが、確か『未来日記少年』と『ガンマンのガンマン~』は再登場していた気がする。
いや、今はそれより次のチャートを思い出す方が先決だ。
そう、問題のないスタンドペアの次にあった欄にあった名前は。
「えーと、『名刀電光丸(妖)』?」
夢と希望にあふれる未来のひみつ道具も、言葉一つで一気に不穏である。
しかし刀とはまた意味深だ。
例のひみつ道具は某映画などで大活躍した精密コンピューター内臓のハイテク刀で、持ち主がズブの素人でも刀が勝手に敵を自動追尾、電光の如くに斬ってくれるというシロモノだったが(妖)とついているということは、そのエネルギー源は電池などではないのだろう。
自分の相棒たる小狐丸も少しばかり特殊なので、仮に妖刀が相手だとしてもさして不思議でもない。ましてスタンドならなんでもありだ。
そこまで考えたところで、一度荷下ろしをしなければならないらしく、コム・オンボという町の船着き場に接岸した商船から下りた澪は周囲をぐるりと見渡した。
船着き場ということもあるのか、人も店も多く活気に満ちている。
夕方といえばかき入れ時だ。露天で夕飯のおかずなのか、肉の串焼きなんかも売っていて食欲をそそる。
「へぇ、サボテンの実なんて始めて見ました」
そんな中、樽に山と積まれている緑色と赤い実に興味を惹かれていると、横にいたアヴドゥルが説明してくれた。
「
「あ、それなら分かります」
ウチワみたいに幅広のサボテンがぽんと頭に浮かぶ。こんな実をつけるとは知らなかった。
「どんな味ですか?」
「食べてみればいい。説明するより早いだろう」
そう言って、赤と緑の実をいくつか買ってナイフを使って慣れた手つきで割ってくれた。
トゲは既に処理してあるらしく手に刺さったりはしない。それをアヴドゥル先生ご指導のもと、ジョセフや承太郎たちと食べ比べてみる。
種がぎっしり詰まっているので食べるというよりは、中の水分を吸うという方が近かった。
「うへぇ、緑の方は青臭いのう」
「でも赤い方より甘味は強いかも? けっこうしっかり味がする」
「味は梨に近いな……」
「そう、だからPearとついている」
承太郎の呟きにアヴドゥルが答え、澪ははたと気がついた。
こういうことにいの一番で飛びついてくるポルナレフの姿が見えない。
「せんせー! ポルナレフさんがいません!」
咄嗟に言ったら、修学旅行の生徒みたいになってしまった。
承太郎が眉を寄せたが、アヴドゥルはあまり気にせず迷子の方に反応した。
「なにッ!? いつ敵が襲ってくるか分からないというのに、全く……」
「探しに行くしかあるまい」
「だね」
ジョセフに頷き、澪たちはポルナレフを探しに行くことになった。
どこに行っていたのか途中で戻ってきたイギーと合流し、チューインガムをお駄賃にポルナレフを探してもらう。
いつもポルナレフに絡んでいるだけあって、イギーは彼の匂いをちゃんと覚えているらしく迷いのない足取りで歩いていく。
「遺跡の方だね」
手をひさしにして見ると、石塊の多い遺跡が見えた。
夕方の蜜柑色の光に満ちる遺跡はあちこちの柱が朽ちてはいるが、刻まれてきた歴史の持つ深い赴きを感じさせる。
そんな中、真新しい切り口の柱の横で膝をついたまま、微動だにしないポルナレフの姿があった。イギーがけたたましく鳴き声を上げ、承太郎たちも気がついた。
「おいポルナレフ、そこにいたのか」
「一人でいなくなるから心配したぞ、敵に襲われたらどうする」
二人の問いかけにもポルナレフの反応は茫洋としていた。
「え? ……ああ、ジョースターさんか……」
まるで目眩でも起こしたように瞳の焦点があっておらず、片方の手でこめかみを押さえている。イギーはまだ吠えていた。
少し疑問を覚えた澪がイギーの視線を辿ると、ちょうどポルナレフが地面に刀を置くところだった。
「ポルナレフ、うずくまってどうした? ウンコでも踏んだか?」
「なんだ、刀を持ってるな……何かあったのか」
ジョセフとアヴドゥルの問いかけで、ようやくポルナレフは正気に戻ったらしい。瞳に力が戻ってくる。
「ああ……たった今、くそったれの敵に襲われたのさ」
その言葉に全員が緊張し、周囲を見渡すが「もう終わったがな」とポルナレフは続けた。
「アヌビス神の暗示のスタンド使いと言っていたぜ」
そんな中で、澪はポルナレフの話を半分聞き流しながら、地面に置かれている剣を訝しげに観察していた。
黒い鞘に金と宝石をあしらった豪華な装飾の刀剣だった。形状から察するにシャムシールの類だろうか、柄の部分には布が巻かれ、誰かが実用していたのだと知れる。
「剣の達人で、物体をすり抜けて物を切断できるスタンド使いだった」
言われてみると、柱の横で既に事切れている青年が目に入った。彼がこの刀を使っていたらしい。
「強敵だったぜ、この剣で奴は襲って……」
ポルナレフが手元の剣を取ろうとしたが、その手は空を掴むきりだ。
「あれ、ない?」
それも当然、刀はなぜか集合してきたネズミによって運ばれている最中だったからだ。
「なんだ? ネズミが刀を持っていこうとしているぞ!? コラァッ!!」
慌てたポルナレフが一喝すると、ネズミたちは一気に散らばり逃げていった。
「まったく気色悪いぜ。手癖の悪いネズミが住んでんのか? どうせならチーズを盗め、チーズを!」
転がった刀を拾い上げたポルナレフは、刀身を見せようというのか柄に手をかけて引き抜こうとするが、抜けないようだった。
「……」
その様子を見ていた澪は一瞬、まだ低い唸り声を上げているイギーに視線を向けてからポルナレフの方へとつかつか歩み寄り、
「ん? 澪もこれが見たいのか?」
「てい」
べしん、とポルナレフの手をひっぱたいた。
予想もしない衝撃で彼は手から刀を取り落とし、当然怒った。
「な、なにすんだよ!?」
「すいません、なんか敵愾心が火を吹いて」
「はァ?」
そう、澪がその刀を目にして感じたのは沸々と滾るような嫌悪感だった。なんだかざわざわして、落ち着かない。
自分でも説明が難しいのだが、頭皮の毛穴が開くような不快感があってどうにも我慢できなかった。
そんな違和感を持て余していると、
──いぃいいいん
耳の奥に韻々と響く音がした。
これは以前感じたことがある。『何か』に呼応している──否、拒絶するかのようなそれは哭き声だ。
おそらく、これを聞き取れているのは自分だけだろう。リュックの中で澪の愛刀たる小狐丸が、全力で目の前の刀を威嚇するように声なき聲を上げている。
ポルナレフの持っている刀が原因だとすれば、動物的勘の鋭いイギーの威嚇にも納得がいく。
「それ、持って行くんですか?」
「ああ、一応は凶器だからな。警察に届けなきゃなんねぇだろ」
公僕の名前を出されてしまうと、この場でへし折って埋めていこうぜとは言えない。澪は結局押し黙るしかなかった。
「ポルナレフ。助かったから良かったが必ず二人以上で行動するんだ。気をつけろ」
「ほんの数分、一人になった所を襲ってくる奴らだからな」
ジョセフとアヴドゥルが代わる代わる小言を言っていると、船の汽笛が聞こえてきた。
「儂らの船の汽笛じゃ! 急いで船に戻るぞ! 今日中にエドフまで行くのだ」
ジョセフが走り出し、全員で後を追う。
その間に澪はイギーを抱き上げて走りながら呟いた。
「親分もあの刀がクロだと思います?」
「イギッ」
「だよねぇ……」
さてどうするか、と澪はあれこれ算段を巡らせ始めた。