星と水底のおとぎばなし   作:小日向ひより

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閑話.だいじなはなし

 

 

 その日の夜、無事にエドフの街に辿り着いた僕らは、夕飯を終えてからホテルで三々五々に引っ込んだ。

 僕だけシングルというのは申し訳ないが、今日は好都合かもしれない。

 

「むーかーしギリシャのイカロースーはー」

 

 お風呂も終えて、超どうでもいい鼻歌なんぞを口ずさみつつ、明日の準備をこそこそ進める。

 

「ロウでかためた鳥の羽根」

 

 今日は夜も更けてしまったため、あの刀は明日警察に届けるらしい。

 もしあの刀が『名刀電光丸(妖)』だった場合、何かしらのトラブルが起こるのは明々白々。そうなると、こちらにもある程度の対抗手段が必要である。

 

「両手に持って 飛びたったー」

 

 そんなワケで、対抗手段としてのひみつ道具を創作中である。

 予想が当たっているなら、これで多少は相手を怯ませることができるだろう。

 

「雲より高くまだとーおーく……」

『随分とご機嫌じゃあないか』

「うぴぃ!?」

 

 突然、洗面台の鏡越しに聞こえてきた低く、甘い声音に驚いて手の中のものをぐしゃあ、と握りつぶしてしまった。ああ勿体ない。

 

 じゃなくて。

 

 蛇口をひねって顔を上げると、鏡には何故か逆光で表情こそ分からないものの、豪奢な金髪と出来すぎた石膏像のような肢体。

 

 紛れもない生前の義弟が、威圧感たっぷりに登場していた。

 

 僕はしばらく状況が理解できず、そんな義弟の様子をまじまじと見つめ、気付けば思ったことを口にしていた。

 

「……え、なんで半裸なの。吸血鬼は風邪引かないの?」

『おい、もう少しマシなことを言え』

 

 マシなことと言われても。

 どうにも刀剣の方で頭がいっぱいすぎて処理が追いつかない。久方ぶりに会った義弟にかけるべき言葉とは何か。深夜に。

 

「あー、と、久しぶり。あと今晩は? むしろDIOにはおはよう?」

 

 ぎくしゃく、と無難な挨拶をしてみるとDIOは頭痛をこらえるようにこめかみへ手を当てていた。

 

『……いや、もういい。今日は目が覚めているだけマシだ』

 

 はて、今日は、ということは前にもこうやって邂逅したことがあったの……だろうか。ぜんぜん覚えていない。ごめんDIO。

 脳内で記憶を必死で探っていると、暗闇の中でDIOはくつりと笑ったようだった。

 

『澪、何かわたしに言うことがあるだろう』

「言うこと……?」

 

 ちょっと考えて、こっちはすぐにピンときた。

 

「ンドゥールさんは僕がゲットだぜ、しました。ごめんね!」

 

 どうせDIOの元に戻っても死にそうだし、こっちの情報漏洩もまっぴらだったので自決される前に捕獲してしまった。

 

『ふん、好きにするがいい。ンドゥールはわたしを狂信的に慕っている。このDIOが不利になるような真似はせんだろうさ』

 

 さすがカリスマ上司(悪)。

 部下のことをよく分かっていらっしゃる。

 

「うん、その前に死のうとしてたからボコ殴りにした」

 

 八つ当たりで、という本音はさすがに隠しておいた。

 DIOとの距離はきっとそう離れてはいないのだろうけど、こうして鏡越しの会話だと緊張感もなにもない。元現代っ子としてはSkypeで話しているような気分なのだ。

 

 そんなゆるゆるな空気の中で、ふとDIOの瞳が鋭くなったような気がした。

 

『……貴様は、このDIOを殺したいのではないのだな』

「うん、まぁ何発か殴らせては欲しいけど。ていうか、僕に殺されるようなことしたっけ?」

 

 ホリィさんの身体への影響云々があるので承太郎たちはともかく、僕は別段DIOを殺す気で会いに行くワケではない。

 あえて言うなら、典明くんとか他の人に迷惑かけていることをこってりお説教して(肉体言語含)、請求書を届けたい。

 少しは進んだのだろうか我が家の建築。棟上式くらいはやっているといいのだけど。

 

 完全に思考が斜めに走っていると、DIOは訝しんだようだった。

 

『ミオ・ジョースターを死に至らしめたのは、わたしだろう』

 

 なのに、どうして意趣返しとして殺そうと思わないのか。と言外に問いかけている口調だった。

 

 そんなの、決まってるのに。

 

「過失致死じゃん、アレ。なに、ディオってばまだ気に病んでたの?」

 

 案外可愛いところもあるもんだ。

 と、かなりどうでもよさげな返事をしたところDIOは押し黙ってしまった。

 

「あの時は、どうせ労咳末期で余命ひとつきあるかないかくらいだったし……」

『そうだったのか!? おい俺は聞いてないぞ!』

 

 ダン! と鏡に拳を叩き付けられてちょっとビビる。

 そうか知らなかったのか。あの後ジョナサンと色々あったらしいから、聞く暇なんてなかったのかもしれない。

 

「言ってもしゃあないことだし、パパさんの方が大変だったからそれ以上心配かけてもなぁって思って。頑張って隠してた」

『頑張ッ……!?』

 

 さらっと言うとDIOは何やら考えているようだった。

 「そうか、だからあの時石仮面が……」とかなんとかブツブツ言っている。

 あと後ろから「どうされましたかDIO様!?」とか野太い声が聞こえるのは部下の人かなんかだろうか。

 

「まー、悔いがないかと言われれば嘘になるけどさ、今元気だからその辺は、うん、いいよ」

 

 あの時、もし自分の命脈が尽きたままでもやっぱり僕はディオを恨むとかはしなかったと思う。

 彼は石仮面から素晴らしい力を手に入れたと歓喜してテンションハイで大暴れして、それから僕を仲間入りさせようとした。やってたことは外道のそれだし、だから僕は激おこぷんぷん~したワケだけど。

 

 でも、僕を殺したくてしたことじゃないことだけは──分かってるから。

 

 殺意はなかった。歪みまくってたけどディオなりの好意だった。

 理不尽で、横暴で、天の邪鬼で、大事な義弟の目論見外れ。大きな失敗。

 笑って許す、まではできないけどもう悩まなくていいよ、と思えるくらいに整理はできているのだ。

 だから仲間になれなくてごめんね、とはちょっとだけ思った。言うと調子づきそうだから言わないけど。

 

『……相変わらず、義姉さんの思考回路はわたしの理解の範疇を超えているな』

「わりとシンプルに生きてるつもりなんだけど」

 

 大事なひとは自分のぜんぶで大事にする。敵には相応の態度で臨んで、それ以外はテキトーに。

 とっても分かりやすいと思うのだけど、DIOにはそうではないらしい。

 

『だが、だからこそ、わたしは澪が欲しいのだ』

 

 DIOが口の端を上げて笑う。

 その時だけ、暗闇の中で肉厚の唇が艶やかに煌めいた。

 

 ゆるりと長い指先が、招く。

 

『わたしのもとへ来て、わたしのものになれ、澪よ。この世界で唯一、変わらぬこのDIOの義姉、わたしの──おんな』

 

 それは重い、熱のこもった毒薬のような誘いだった。

 

 喉が爛れて灼けてしまいそうな、深く、醸造されきった情の片鱗。

 

 手を取ってしまえば楽になれる。そうと分かる。

 

 でも、

 

「ダメー」

 

 僕は指で×印を作って笑った。

 

「僕は僕のもの、頭っから足の先まで僕の領土ですので」

 

 自分を御するのは自分のみ。

 それは譲ることのできない僕の矜持で、違えることの許されない一線だ。

 

『ふむ、ではこう言い換えようか』

「ならんっちゅーのに」

 

 しかしこの義弟はなぜか愉しそうに笑むばかりだ。

 

『まぁ聞け』

 

 くつくつと喉の奥を震わせ、悪徳の救世主は憫笑する。

 

『わたしの元へ来るのならば、永遠の支配と隷属を約束しよう。──澪の望むとおりの、な』

「……──ッ」

 

 自分の顔色が変わるのが分かった。

 音を立てて血の気が引いて、指の先が凍り付くような感覚。

 そのDIOの言葉は、僕の心の奥の奥──最も脆い部分を的確に打撃する一言だった。

 

『顔色が変わったな』

 

 機嫌の良い声が耳に入ってこない。

 心臓が早鐘を打って、寒気がするのに汗が噴き出した。

 

『あの頃は気付かなかったが……澪、貴様は支配と隷属を受けていただろう」

 

 それはディオがDIOとして、人を支配下に置くことを覚えたからこそ見えたことなのだろう。

 僅かに垣間見えた深紅の瞳が、虫をいたぶる猫のようにしなった。

 

『おそらくは無意識に、無自覚に、それとは知らずに育ったのだろう』

 

 まるで見てきたかのようにDIOは語る。

 

 誰にも話していない僕の過去。

 思い出なんて呼ぶこともできない汚穢に塗れ、蓋をしてきた忌まわしい昔の記憶があぶくのように這い上がってくる。

 そんな心の襞をねっとりと舐め上げるように、DIOの声は途切れない。

 

『自我を確立した今でもなお、心の奥底では支配と隷属を求めている。それがなによりの『安心』なのだと、既に理解してしまっているからだ』

 

 唇を噛みしめたまま、僕は何も言えない。

 

 間違ってないからだ。

 

 何も考えないのは楽だ。それを僕は経験で知っている。

 DIOの手を取ったらたぶんもう辛いことも、苦しいこともない。

 昔みたいに折檻だけじゃなくて、上手くいったら褒めてくれるし、満ち足りた日々になるのだろう。それはとっても魅力的だ。ンドゥールさんを見たからそれが分かる。

 

 そんな日々を、きっと僕はずっと渇望していた。

 

『可哀想になぁ……寄る辺がないというのは、澪のようなモノにはさぞ心細かろう。みにくく、いびつで、だからこそ愛おしい』

 

 子供をあやすような、恋人へ贈る睦言のような、甘く、人を酔わせるような優しい声だった。

 おぞましいほどに。

 

『おいで、澪。わたしはお前を求めている。百年前からずっとだ』

 

 本当に、本当に。

 

 ひどく魅力的で、甘い誘いだった。堕落へ導く蛇のそれだった。

 

「……──」

 

 返事を待っている沈黙が落ちる。

 頭がぼんやりする。何も考えられない。

 求めてくれる誰かがいる。それは嬉しいことだ。奇跡みたいなことだ。

 

──でも、でもさ。

 

 何も考えてなかった。無意識だった。

 

 額に激痛が走った。

 

 くちびるが触れてしまいそうなほどに近付いているDIOの顔。瞠目しているような気配。

 

 自分で鏡にぶつけた。衝動的だった。

 

「……僕さぁ、DIOに言いたいことがあるんだよ」

 

 額に濡れた感触がある。

 たぶんおでこに傷ができた。あとこめかみの傷開いた。

 鏡から頭を離したら頬をぬめる感触が伝った。顎から垂れる、赤くて鉄錆臭い液体がシャツの胸元についた。あちゃー。

 

『ほう?』

「でも、それはちゃんとDIOに会わないと言いたくない」

 

 鏡越しのSkypeもどきなんかじゃなくて、生身のDIOに会ったら言いたいことがある。

 

 痛みのおかげなのか別の理由か、迷いが消えていくのが分かった。不思議なくらい平静になれた。

 昔の自分ならそんな夢みたいな話、一も二もなく飛びついていただろう。

 ひとりぼっちで、真っ暗で、人の言うことを疑いもせずに唯々諾々とこなしていただけの、機械みたいな自分なら。

 

 でも、もう僕は人とつながることを知ってしまったから。

 

 信頼してもらえること、人を好きになって、好きになってもらえること。

 ありがとうを言って、どういたしましてと返してもらえること。

 そんな奇跡みたいな当たり前を享受してしまった、贅沢者の『夕凪澪』は、もうあの頃には戻れない。

 

「だから、僕は僕のままでDIOのところに行きたい。みんなと一緒に、ずるしないで」

 

 沢山の大事な人がいるから、DIOの言葉に頷けない。

 

 義弟の願いを叶えてあげられないことが苦しくて、胸の奥がぎゅうっと痛くなった。

 頑張って笑ってみたけど、きっと泣きそうな顔をしてるだろう。

 

 切ないようなさびしいような気持ちがぐるぐるして、だけど涙は出なかった。

 

 まっすぐにDIOを見つめて、頭を撫でるように指先を鏡に添えて。

 

「ごめんね、DIO」

 

 ひとりぼっちの王様に、心からの言葉を。

 

「あとちょっとだけ待ってて、すぐだから」

 

 DIOは瞳を僅かに眇め、呆れたようにぼやいた。

 

『……昔から義姉さんはそうだな』

「わがままでごめん」

『そうだな。だが、このDIOが諦めるつもりなどないと先に言っておこう』

 

 ぎらつく双眸には、執着の色が見えた。

 

『わたしは必ずお前を手に入れる。それだけが、おまえに確定された未来だ』

 

 彼の口ぶりから察するに、刺客への命令はおそらく継続されるのだろう。それでもいい。

 言うなればそれがDIOのわがままで、僕は僕のわがままでみんなと一緒に行こうとしているのだ。

 

 お互い様、というやつだ。

 

「うん、負けない」

 

 僕が頷くと同時、背後でドアが荒々しくノックさえる音が響いてきた。

 すると、DIOが忌々しげに舌打ちをする。

 

『ッチ、気付いたか。今日の逢瀬はここまでだ』

「そっか、おやすみDIO」

 

 ひら、と手を振るとDIOは気が抜けたような吐息を漏らした。

 

『わたしはまだ眠らないぞ。おやすみはこちらが言う台詞だ、馬鹿め』

 

 それきり、鏡は元の役目を取り戻し、映し出されているのは紛れもない僕の顔。

 

 ガァン! と爆発みたいな音がした。

 

「澪ッ! 無事か!」

 

 慌ただしく入ってきたのはジョセフと承太郎だった。

 

「え、なにが?」

「何がって今DIOに『見られている』気配が、ってその額どうした!?」

 

 ジョセフに詰め寄られ、僕は正直に言うしかない。

 

「自分で鏡にぶっつけた」

「なんでじゃ!」

「えーと、諸事情ありまして?」

 

 さらに詰問しようとするジョセフが口を開くより早く、承太郎がホテルに備え付けられていた救急箱から消毒液を出して容赦なくぶっかけてきた。

 

「ぐあああ! 目が! 目がぁああ!」

 

 傷が傷だったのでうっかり目に入り、身悶えしていると承太郎が言う。

 

「攻撃されたワケでもねぇのに怪我してるんじゃねぇよ、このタコ」

「うう、す、すいません……」

 

 器用な手つきで絆創膏が貼られ、一安心。

 渡されたタオルを水で濡らして絞り、血糊を拭いていく。

 

「うわ、これはもうお暇をあげるしかないなぁ」

 

 血の染みって取れないんだ、これが。

 びろーんとシャツを引っ張って眉をしかめていると、承太郎がこちらを射竦めていた。

 

「DIOに会ったのか」

 

 低い問いかけにこともなげに頷く。

 

「会ったよ、鏡Skypeで」

「すかいぷ?」

 

 承太郎が首を傾げ、ジョセフが僕に掴みかかってきた。

 

「なぬ!? それで何を言われたんじゃ!」

 

 何を言われたかと言われると、

 

「半裸だったから風邪引かないのって聞いたら、もっとマシなこと言えって言われた」

「ハァ?」

 

 大した話はしなかったと思われたらしく、「心配して損したわい」とかぶつぶつ言いながらジョセフたちは部屋に戻っていった。

 

 どうもDIOに襲われているとでも思ったらしい。

 

 気を取り直して、洗面台で作業の続きをしている時にふと気付いた。

 

「電話番号聞くの、忘れちゃった」

 

 

 




お借りした曲目は「勇気一つを友にして(片岡輝作詞・越部信義作曲)」です
懐かしの曲です
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