星と水底のおとぎばなし   作:小日向ひより

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16.コインで勝負!

 

 

 ジョセフが策士上手というのは百も承知だが、今回ばかりは相手が悪いとしか言いようがない。

 

 遊びにイカサマを使うのは勝率アップとスリルの上乗せだが、本職はそれに留まらないからだ。

 その証明が、ダービーの今投入しようとしているコインの数だ。

 

 その数、実に五枚。

 

 これがお遊びの賭け事ではないと言外に知らしめ、プロを相手にしていると痛感させる──実に博徒らしいやり方である。

 

「おい、水面に波が……」

「静かに。テーブルに手を触れないでくれ」

 

 ジョセフを鋭く制し、ダービーの指先はぴったりとグラスに向けられたまま微動だにしない。

 息をするのも辛いような静寂と、糸が張るような緊張感。

 

 金属音を立ててグラスへ着水するコイン。

 僅かに水面に波が立ったものの、酒がこぼれることはなかった。

 

「へぇ」

 

 澪は思わず感嘆の吐息を漏らした。

 さすがプロのバクチ打ちは違う、と再認識させる一手である。たった一度の『攻撃』で、この場は既にダービーのものだ。

 しかも彼の用いたものは集中とくそ度胸。スタンドやイカサマといった小賢しい手段を一切使わず、これまでに培ってきた実力のみでこなしてしまった。

 

 たとえ他に何かをしていたとしても今、ここで、五枚のコインを見事、酒をあふれさせることなく投入したという点だけは『本物』ということだ。

 

 澪は相手が敵だろうと評価すべきところは評価するし、素直に凄いと思う。とりわけ、今のは賞賛したいくらいだ。

 

 ただ、それは次にコインを投入するジョセフにかかるプレッシャーが乗算されることとイコールなので、ちっともよくないのだが。

 人を感心させるということは、精神を揺さぶるということに他ならない。

 相手のジョセフどころかシーザーたちまで驚愕に瞠目しているのだから、こうかはばつぐんだ、である。

 

 これはもしかすると、もしかしてしまうかもしれない。

 

「すごい心臓だ。5枚同時に入れるとは……」

 

 ジョセフの声にも、ダービーの肝の太さへの畏怖が僅かにあった。

 

「儂は一枚にしとおこう。危ない危ない」

 

 おいおじいちゃん大丈夫か。

 

 今の口調では「これから何か仕込みます☆」と言っているようなものではないか。澪は今の言葉だけで猛烈に不安になった。

 親指と人差し指でコインをつまみ、ゆっくりとグラスへつけるジョセフの様子には、確かに緊張が窺える。

 なんせシーザーの魂まで賭けているのだから、失敗なんて以ての外である。

 

 だが、それだけだ。

 

「……」

 

 我知らず、澪の眉間に皺が寄る。

 ジョセフの態度におかしな部分はない。だからこれは単に経験則からの勘だ。

 

 おそらく、ジョセフが何かを仕込むなら『ここ』だ。

 

 相手に失敗させるのが目的なのだから、次に自分のターンが回ってこないよう努めるのが最適解といえる。

 

 だが、それはお遊びの場で、かつ──澪のようなド素人を相手取っているのならば、の話だ。

 

 大前提として、相手はバクチで生計を立てているプロ中のプロである。

 

 ゲーム序盤で既にイカサマに関することを明言している相手が、果たしてジョセフがイカサマをしないと信じたりするだろうか。

 考えるまでもなく、否である。そんな太平楽なワケがない。

 何らかの対策を既に講じているか、仕込んでいたとしても全くおかしくない。むしろそれが自然だ。

 とすると、あまり考えたくはないが……ジョセフは敗北を喫してしまうかもしれない。

 

 なぜなら──

 

 キン、と軽い金属音が響き、澪の思考は中断された。

 

「……ふー、心臓に悪いわい。こぼれるかと思ったわい!」

 

 ため息を吐きながら両手をぴらぴらさせる様子がなんとも白々しい。

 こっそりとシーザーに視線を送ると、軽く頷いていた。やっぱりなんかしたんだな。

 ジョセフは勝ちを確信しているのだろう、表面上は硬い雰囲気だが鬼気迫るような逼迫感は消失している。

 

「さ、君の番だ、オービー君」

 

 このじじい煽りよる。

 

「ダービーだ」

 

 再三に渡り名前を間違われ続けたダービーが、ジョセフの腕を掴んで怒りをあらわにしたところで誰が責められようか。

 

「二度と間違えるな! 私の名前はダービーと言うんだ! オービーでもバービーでもない!」

 

 怒りを誘うという戦術は間違っていないが、なんというかこっちが恥ずかしくなってくる。すいませんウチのクソジジイが。

 

「すまんね。君がコインを入れる番だ、ダービーくん」

 

 これ以上つつくのは得策ではないと判断したのだろう、ジョセフは軽い謝罪とともにダービーを促した。

 ダービーは無言でチョコレートをかじりながら長考しているようだった。

 

 燦燦と差し込む太陽を背にするダービーの眉間には皺が寄り、額からは汗がにじみ出ていた。あれでは暑かろう。

 

「……影になるからこの位置からはやりにくい。テーブルの右側から入れさせてもらうぞ」

 

 ダービーはかた、と最小限の動きで席を立ち、位置を変えた。

 

「どこからでもお好きにどうぞ」

 

 ジョセフの声は平静を保っているようだが、余裕がある。むしろ、勝利を確信した人間特有の弛緩が見えた。

 彼が何を仕込んだのか、までは澪にも見当がつかない。

 しかし、もう自分に順番が回ってくるなど夢にも思っていないような表情だった。

 

──あ、負けるかも

 

 なんとはなしに、澪はそう直感した。

 余裕は慢心を招き、確信は崩れた瞬間に精神的動揺を誘発する引き金と化す。

 

 そして、自分が策を弄した罠を、更なる策で突破されたとしたら──その瞬間のジョセフの受ける衝撃はいかばかりか。

 

「『もう酒の表面は限界だ』『無理だ』と考えているのだろう……?」

 

 グラスの上ギリギリでコインを構えたままのダービーがジョセフを見やる。

 その表情は先程ジョセフが浮かべたものと同種の──

 

「ちがうんだな、それが」

 

 勝利を確信したもののそれだった。  

 

 言葉と同時にコインは指先を離れ、酒の海へと溺れていく。大きく水面はたわんだが、それだけだ。

 数秒とかからずコインはグラスの底へと到達し、グラスの酒は一滴たりとも零れない。

 

「ば、馬鹿なッ!」

 

 反射的に椅子から立ち上がったジョセフの声には、動揺と狼狽があった。

 

「そんな、まさかッ!? あふれないはずがッ!」

「何が、『あふれないはずが』なんだね? 見ての通りだ、入れたぞ」

 

 ジョセフの言は仕込みが失敗しました、と暴露したに等しい。

 それをダービーも分かっているのだろう、余裕綽々の笑みだ。

 

「次は貴方の番ですよMr.ジョースター」

 

 次のターンが回ってくる。ジョセフにとっては予期せぬ出来事だ。

 咄嗟にジョセフは承太郎を振り向くが、彼はダービーのいかさまの可能性を否定し、まっとうな手段でコインを投入したことを証言した。

 仮にダービーが何かしら仕込んでいても、承太郎の言はジョセフに最も重く響くだろう。

 

 『自分がイカサマを仕込んだ』負い目に『ダービーはそれに打ち勝ち正々堂々コインを入れてみせた』という圧倒的勝利。

 

 これらの行動で受けた精神的動揺を抱えたまま、ジョセフが平常心を保ったまま、次のターンを凌ぎきれる可能性は……限りなくゼロに近い。

 現に、ジョセフは手の平を口元に当てたまま黙考に耽っている。

 眉間には深い皺が寄り、瞳は焦燥感と疑惑がない交ぜになってひどいものだ。

 だが、揺らいだ精神が平常に戻るのを黙って見逃してくれるほど、ダービーは甘い相手ではない。

 

「Go Aheard! Mr.ジョースター」

 

 むしろ博徒は、相手のそんな隙をこそ狙い撃つ。

 

「早くしたまえッ! 酒が蒸発してしまうまで待つ気かね?」

 

 精神的動揺を見逃さず、急かし、ミスを誘うのは常套手段だ。

 ジョセフがこれまでダービーに仕掛けてきたことを、本人から丸ごと返されているに等しい。

 

「JOJO! へこたれてんじゃあねぇ! コインを入れればお前の勝ちだ!」

 

 ジョセフの背後に立ったシーザーが激励するが、それが今の彼に聞こえているかどうか。

 ジョセフは土気色になってしまった顔色で脂汗を流し、震える指でコインをつまんでいる。呼吸は荒く、安定しない。

 イカサマを看破され、更にそれを堂々と突破された敗北感。屈辱。混乱。

 

 不正を好まない黄金の精神がここで仇となってしまった。常ならば美徳の精神構造は、こと賭場においては逆効果だ。

 

 それら全てが揃ってしまえば、彼を待ち受けているのはたったひとつ。

 

「ああッ! ジョースターさん! ツェペリさん!」

 

 アヴドゥルの悲鳴が響き、ジョセフとシーザーの背中から立ち上る魂が、ダービーのスタンドによって収奪される。

 

「ジョースターは賭けに負けたのを自らの心の中で認めたのだッ! だから魂が外へ出たッ! レイズしたツェペリの魂もな!」

 

 スタンドの手でもっちゃもっちゃと弄ばれ、柏手の音が響き、二枚のコインがテーブルに落下した。

 

「ギャンブルは、このダービーの勝ちだ」

 

 澪は倒れているシーザーの身体を抱き起こし、壁に寄りかからせながら頸動脈に指先を当てる。やはり、脈はポルナレフ同様止まっている。

 ジョセフも同じように移動させ、もはや抜け殻と化したふたりの額にでこぴんした。

 

「イカサマの技術は、ダービーさんのが上だったね」

 

 澪がそんな作業をしている間に、承太郎はダービーのイカサマの正体を見抜き、激昂したアヴドゥルはダービーに掴みかかった。

 彼の仕込んだイカサマはチョコレートをグラスの底に仕込み、ほんの僅かグラスを傾いだ状態でゲームを開始したこと。形勢不利と見たら陽光を利用してチョコを溶かし、コインを入れられるだけの余裕を作り出すことができる。

 

 ダービーはアヴドゥルに掴みかかられた際の服の皺を伸ばし、埃を落としながら残る面子を睨め付けた。

 まるで、次の獲物を物色しているように。

 

「……いいだろう」

 

 ジョセフたちを見下ろしていた承太郎がやおら顔を上げ、射殺さんばかりの眼差しでダービーを見据え、

 

「そのトランプカードを「ボーナスゲームを希望します!」

 

 横からにょこっと顔を出した澪が元気よく手を上げた。

 承太郎は横槍を入れられたことに苛立ったのかぎ、と睨み付けてくる。怖。

 

「邪魔すんな」

「する。ダービーさん、どうです?」

「おい、澪……」

 

 アヴドゥルも制止の声を上げるが、本人はダービーを見つめたままだ。

 唐突な提案に面食らったダービーだが、そこは百戦錬磨。すぐに精神を立て直し、軽く首をかしげた。

 

「はて、先程、澪様とは賭けを行わないと申し上げたはずですが」

「『魂を賭けた』ゲームは、て意味でしょう?」

 

 それなら、と澪はにんまりと口の端を上げる。

 

「僕は──()()()()()()()()()()()。どう?」

「魂以外、ですと?」

 

 興味深そうにダービーが唇を歪めた。視線で促され、澪は続ける。

 

「はい。髪一筋から足先に至る、僕を僕たらしめている全ての領土をあなたに明け渡します。──平たく言えば、あなたが勝てば僕は唯々諾々とDIOのもとへ向かいましょう」

 

 それは実質的にDIOに全てを明け渡すと同義である。

 

「ふむ」

 

 ダービーは指先を顎に当て、暫し視線を伏せた。一考の価値ありと判断したのだろう。

 

「……いいでしょう。その賭け、受けましょう。ですが、このゲームで澪様が勝利した場合、あなたは何をお求めで?」

「決まってる。シーザーの魂です」

 

 いっそ清々しいほどに澪は断言した。

 

「なんせ、彼はいわば巻き込み事故で魂取られましたからね。ジョセフはしょうがないにしても、シーザーはレイズに使っていましたが、彼自身の敗北ではない」

 

 ダービーが根っからの博徒であるならば、シーザーの魂はジョセフの勝利についてきた──いわばおまけに過ぎない。

 だから澪は博徒相手に賭けに出た。

 

「……確かに負けたのはMr.ジョースターであってMr.ツェペリではない、か。ま、その程度の対価ならばいいでしょう」

「ありがとうございます」

 

 にこ、と笑って会釈する澪。

 そしてその頭をわし掴み、般若と化したふたりが背後でスタンドまがいのオーラを発していた。こっちの方がこわい。

 

「おい、なに勝手してやがる」

「そうだ! ジョースターさんたちを見ただろう!? 負けたらどうするつもりだ!」

 

 案の定、二人は鬼の形相で詰め寄ってきた。

 

「いや、まぁ、まだゲームも決まってないし。勝負次第なら、ね?」

 

 苦く笑いながら両手をひらひらさせる澪には、とてもではないが勝てる見込みがあるようには見えなかった。

 しかし賭けは既に成立してしまっている。もはや戻れないことは、この場の全員が分かっていた。

 

「では、勝負は何を? 選ばせて差し上げます。トランプですか? それとも他の……」

「ああ、それなんですけど」

 

 ダービーの問いに澪はリュックを漁るとお猪口をひとつ、それから野球ボールをひとつ取り出し、それからなぜかバーカウンターへ向かうと店員と何やら話してから、何かを持って戻ってきた。

 そしてそれらをずらっとテーブルに並べた。

 

 お猪口、ボール、そして店員から借りた、ビールの水滴を受ける平たい腕のようなもの。

 

「これは?」

「選ばせてもらってばかりでは不公平というもの。ダービーさんがひとつ、選んでくださいな。道具になぞらえたゲームをしましょう」

 

 へら、と笑う澪の表情に嘘は見られない。

 

「……」

 

 ダービーは澪を見透かすようにしばらく睨め付けた後、真剣に三つの道具を見比べ始めた。

 

「………………では、これにしよう」

 

 長い黙考の末に、ダービーが選んだのはビール受け。

 店のものならばイカサマも難しいだろう、という判断かもしれない。

 

「澪、それで何のゲームをするというんだ?」

 

 アヴドゥルの声に澪はダービーを見たまま元気よく答えた。

 

「では──『こんぴらふねふね』で、勝負だ!」

『は?』

 

 あまりに聞き覚えのない名前に敵、味方問わず疑問の声が上がったとて、仕方がないことだっただろう。

 

 

 

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