鬼滅の波紋 On Every Street (鬼滅の刃 X ジョジョ1部) 作:ヨマザル
五稜郭の対峙から1日後:
幸いな事に、しづの店は焼失を免れていた。
「しづさん、湯が沸きました」
厨房にいた通詞が、表に声をかける。
「隆さん、ありがとう!」
しづは通詞に礼を言い、湯を急須に注ぐ。
「『隆さん』?」
「そうよ?」
何故か、通詞が顔を赤らめた。
しづは茶を入れ、湯気の立つ茶碗を持ってきた。
ひなたの前にそっと置く。香草の匂いが、春の風に混ざった。
「痛み止め。少し苦いけど、効くわよ」
ひなたは頷いて、茶を口に運ぶ。
「ありがとうございます……本当だ。少し楽になった気がする」
「ひなたぁ……こんなことになるなんて、考えてなかった……ゴメン」
首を垂れるマドカ。ひなたは、無事な方の右腕を使って、マドカを抱きしめた。
隣で控えていたツェペリが、治療を始めるまで、二人はずっとそのままでいた。
ツェペリが、包帯を解く。
「では、失礼……ところで、この手当は、完璧ですね」
「ありがとうございます」
しづが頭を下げる。
「ですが……精いっぱいの治療はしたのですが、症状は悪くなるばかりでした……」
傷口があらわになると、彼は眉を寄せた。
隣にいたマドカが、ひなたの手をギュッと握った。
「……これは、深刻だな……だが幸い……完全に侵食された場所は、ほとんどないか?」
ツェペリの指先が、皮膚の縁をなぞる。
コォオオ────
ツェペリの波紋が、静かに広がっていく。
ひどく熱い何かが、ひなたの腕に染み込んでいった。
怯むひなたを見て、ツェペリが優しくいった。
「熱はすぐに引く。波紋は、内側から屍生人の悪影響を殺す。その熱だ。体を回復させながら、後10回ほども治療を続ければ、完治できるだろう」
「ありがとうございますッ」
マドカが、頭を下げた。
「今は何も感じないだろうが、だんだん痛みが戻ってくるはずだ。それが治っている証拠だ。しばらくは痛みを我慢してくれ」
彼は、しばらく沈黙してから言った。
「
ニコッと笑い、ひなたの肩をそっと叩く。
「治るさ。時間はかかるけど、君の中に太陽はある」
「ひなた、良かったッ」
「マドカッ、痛いよ。ちょっと」
マドカがひなたに飛びつき、笑った。
鱗滝は、縁側に腰を下ろしていた。隈取は落とし、素顔だった。顔立ちは意外なほど優しく、整っていた。
「……『かわいい』顔付きだな。戦士とは思えぬ」
鷲津が、ぽつりと呟いた。
鱗滝は、少しだけ目を細めたが、何も言わなかった。
そこへ、治療を終えたツェペリがやって来た。
「ふぅ……ひなたの傷は、何とかなりそうだ」
「さすがだな……」
「『波紋法』は本来、治療の技。治療こそ、この技術の本来の正しい使い方なのだ」
「うらやましい話だ。俺たちの技は、戦い以外で役に立たない」
「何を言うか、しづ殿から聞いたぞ。ひなたには、しづ殿の秘薬の他に、アンタ達の『蝶屋敷』とかいう医療所からの『薬』も一緒に処方したと。『蝶屋敷』の薬を混ぜて、初めてひなたへの感染の速度が遅れたと、聞いたぞ」
「『蝶屋敷』は、俺たちが鬼との戦いで得た傷を、治療するために生まれた施設だ。しょせん、戦の為の設備だという事には、変わりがない」
鱗滝は苦笑いした。
「ヌシ等の波紋は、応用範囲が広そうだ」
ツェペリは頷いた。「波紋は、太陽の力。だが、それを生み出すには、呼吸が必要だ。多数の呼吸が生み出すリズムによって、体内に波動を作り、太陽の力を細胞に溜める。つまり、外のエネルギーを、内に溜める技術だ。溜めたエネルギーで、体を活性化したり、モノをくっつけたり、弾いたり、固くしたりできる。自分の体内にも流せるが、外にも流せる。他人に流せば、治療もできる」
「呼吸法は、逆だ。一つ一つの呼吸に集中し、大量の酸素を取り込み、体温を上げ、筋力と反応速度を引き出す。体の“内なる力”を絞り出す為の技術だ」
「似ているようで、違うな」
「似ている所も大きい。『波紋』は、我々の流派の始祖、始まりの剣士が持っていたという力とも、共通点があるように思えるが……」
鱗滝とツェペリが、他にはわからぬ会話で盛り上がり始めた。
ダイアーは、庭で桑島から借りた日輪刀を手にしていた。
「波紋と全集中の呼吸の違いか……」
「試してみるか?」
桑島が、わら束を指差した。
ダイアーは頷き、刀を抜いた。
波紋を流しながら、刃を振るう。
パフッ
刀が、わらに弾かれた。
斬れない。振動が、刃を揺らしていた。
波紋を流さず、再度刀を振るってみると、わら束は簡単に切れた。
「お見事、筋がいいではないか」
「……なるほど。波紋を使わなければ、良く斬れる……波紋を込めると、斬れなくなる」
「日本刀は繊細でな。良く斬れるが、しっかり斬るには刃をぶれることなく綺麗に当てなくてはならない。それを刃筋を立てる。と言う……」
「波紋の振動が、刃筋を乱しているということか」
「そうだ。そして刃筋が乱れれば、刀は斬れぬ。斬れぬ刃では、鬼の頸を斬ることは出来ん……」
「つまり、刀を前提に置いた技術体系か、そうではないか……」
「そういうことだ」
鷲津が、急に立ち上がった。
ぱたん、という音が、庭の空気を切った。
わら束と刀のやり取りを、黙って見ていた。
眉間に皺が寄っていたが、誰も気づかなかった。
「……俺は、ここまででいいだろ」
声は低く、抑えていたが、どこか刺があった。
マドカを見ながら、そっと言い足す。
「……新政府の奴らに一矢報いる……俺の目的は変わらん」
「……鬼滅隊は、俗世の争いにはかかわらぬ……だが、もう鬼にも、屍生人にも、手を出すな。次に手を出せば、貴様を斬る」
「俺は、奴らを許さん……」
ダイアーが言った。
「残響賛歌の影響があったとしても、俺は、貴様のやり方を認めぬ……だが、この国の行方を決めるのは、我々ではない……勝手にしろ」
マドカは悲し気に言った。
「鷲津さん……ゴメンなさい。でも、やっぱりもう手伝えないよ……もう、鷲津さんの思いが、正しいとは思えなくなったの……」
「……気にするな。お前は、お前の信じた道を行けばいい。それが正しい事だ」
鷲津が笑った。
「俺には俺の、変えられない生き方がある……屍生人と鬼を兵器とすることはあきらめた……だが……この地で伝説を聞いた。この地に生ける兵器と化した人間の一族がいると。俺はそれを探す」
鷲津はそのまま、庭を横切って出ていった。
ダイアーが、刀を桑島に返す。
桑島はうなずき、鱗滝に向かって、話しかける。
「……鱗滝殿……産屋敷家殿から、『柱会議』の招集が……」
「そうだな、名残惜しいがここを去るべき時か……」
そう言って、鱗滝と桑島は一向に別れの言葉を告げた。そして、刀を抱えて宿を出ていった。
しづが、茶碗を片付けながら言った。
「さて、私たちも動かないとね」
「この国は、まだ落ち着かないもの」
春の光が、庭をなでていた。
誰も、終わりとは言わなかった。
でも、誰もがそれを感じていた。
一週間後:
大西洋、カナリア諸島。
曇り空の下、潮風が街路をなでていた。
石畳は濡れていて、靴の音が鈍く響く。
ジョージ・ジョースター卿は、骨董店の奥にいた。
棚には、古い器や奇妙な仮面が並んでいた。
その中に、ひとつだけ、異様な形の石があった。
「これは、沈没船から引き揚げられたものです」
店主が言った。
「形は仮面ですが、用途は不明。呪物かもしれません」
ジョージは、仮面を手に取った。
石の表面には、細かな彫り込みがあった。
目の部分が、わずかに盛り上がっていた。淵には、等間隔で穴が開いている。
「面白い造形だ。飾りにちょうどいい」
彼は、軽く笑った。
「もうすぐ子供が生まれるんです。
イギリスに戻る前に、少しだけ買い付けをしておこうと思ってね」
「それはおめでとうございます。ただ、この品はもう売れてしまったんですよ……」
「何だって、それは困るな」
「売り先は、ロンドンの古物商です。良かったら、紹介文を書きましょうか?」
「頼む。ではこの仮面は、ロンドンで買えるかどうか、試してみるよ」
ジョージは、外の空を見た。
雲が、ゆっくりと流れていた。
風は穏やかで、海の匂いが街を包んでいた。
「ところでこの仮面、どこで見つかったんですか?」
「北の方です。沈没船の残骸の中。
何百年も前のものかもしれません」
ジョージは頷いた。
「なら、きっと価値がある。何とかして手に入れて、飾り棚の中央に置こう。子供が興味を持つかもしれない」
彼は、古物商の住所が書かれたメモを持って、店を出た。
通りには、果物と香草の屋台が並んでいた。
遠くで、鐘の音が鳴っていた。
その日。
彼の息子が、ロンドンで生まれた。
名は──ジョナサン・ジョースター。
それは、語られるべき物語が、受け継がれる器を得た瞬間だった。
半年後:
ある日、村に鱗滝と桑島がふらりと現れた。鱗滝は隈取の代わりに、自分で彫った木製の面をつけていた。厄除けの面と言うのだそうだ。
「……これのほうが、子供に泣かれない」
そう言って、なぜか鍋を置いていった。
マドカは、その面をじっと見つめて、 「……それ、ちょっと気持ち悪い」とだけ言った。
桑島は、何も言わずに縁側に座り、 ひなたにだけ「心得よ」と呟いて、 向日葵の匂いを残して去っていった。
彼らは、何度か顔を出しては、すぐに忙しそうに消えていった。まるで、風のように。
春の風が、山の端をなでていた。
ひなたとマドカは、村に戻っていた。あの日から、季節がひとつ半、巡っていた。マドカは家族とは、少し距離を置いていて、親戚筋のひなたの叔父の家──ひなたが住んでいる所──に居候をしている。
マドカは、まだ多くを語らない。けれど、朝になると必ず縁側に座り、ひなたが淹れたお茶を、黙って受け取る。
袋は、今も部屋の隅に置かれている。 香りは薄れたが、誰も捨てようとはしなかった。
夜になると、マドカは星を見上げる。ひなたは、その隣で静かに座る。言葉は少ないが、沈黙は優しかった。
1年後:
春の夕方、桑島がまたふらりと現れた。 縁側に座り、向日葵の匂いを残して、ひなたにだけ、ぽつりと語った。
「……あれから一年。箱館は、また燃えた。新政府軍が来て、旧幕府の残党が立て籠もった。そして、五稜郭で戦があった。俺も、その場に行った」
「しづさん達は……」
「無事だ。様子を見てきたから、間違いない……元気だったぞ」
それから、いいにくそうに付け足した。
「……新選組は、壊滅だ。別動隊もな……鷲津のうわさは、聞かなかった」
ひなたは、マドカの隣で黙って聞いていた。 桑島は、空を見ながら続けた。
「でもな、あの面は瓦の上から落ちて、砕けていた。誰も拾わなかった。……もう、死んだんだ」
マドカは、目を伏せた。 ひなたは、そっと彼女の手を握った。
桑島は立ち上がり、茶の礼を言って、二人に背を向けた。
その背中は、少しだけ軽く見えた。
3年後:
春の市。
山の雪が溶け、村に人が戻ってくる季節。
香草と木工と、古道具と、噂話が並ぶ日。
ひなたは、香を選んでいた。
袋はもう持っていない。
代わりに、腰に小さな革のポーチを下げていた。
「東方
その声に、ひなたは振り返った。
マドカが立っていた。
髪は短く、黒い外套の裾が風に揺れていた。
「……来ると思ってた……香西
「なんとなく、来たくなった。気がついたら、来ちゃったよ。山からここまで下りて来るのに1日かかった。もうクタクタだよ」
「おじさんたちに会ったら、また大騒ぎになるよ」
「いまさら、気にしないわよ」
「……だよね。アンタは……」
二人は並んで歩いた。
言葉は少ないが、しかしただ歩くだけでも、お互い伝わるものがあった。
その時だった。
市の奥で、ざわめきが広がった。
人の流れが乱れ、誰かが叫んだ。
「紙芝居屋の前にいたのに! あの子がいないの!」
「さっきまで、ずっと見入ってたのに……!」
若い母親が、紙芝居屋の前で立ち尽くしていた。
手には飴の袋。目は、泣きそうに揺れていた。
周囲の人々が足を止め、ざわざわと声を交わし始める。
ひなたが振り返る。
マドカは、すでに視線を走らせていた。
「どうしたの?」
「子供が一人、いなくなったみたい」
「迷子……じゃないよね」
「わからない。でも──」
マドカは、目を細めた。
市の外れ、山道へと続く細い路地に、
人混みを避けるように歩く影が見えた。
「……あそこ。誰か、子供を抱えてる」
「知ってる人?」
「違う。それから、あの人歩き方が不自然。小走りだし、挙動不審だよ。見るからにキョドキョドしている」
ひなたは頷いた。
「行ってみよう」
マドカが外套を翻し、先に走る。
ひなたも、後を追った。
市の喧騒が遠ざかる。
森の縁に入ると、空気の匂いが変わった。
湿った土の匂い。踏み跡が、斜面に残っていた。
「こっち。枝が折れてる」
マドカが指差す。
「子供の靴跡もある。小さい。走ってる」
ひなたは、落ち葉の上にしゃがみ込む。
「男の足跡と重なってる。引きずられてるかも」
二人は、言葉少なに進んだ。
風が、木々を揺らしていた。
やがて、森の奥に人影が見えた。
若い男が、子供の腕を掴んでいた。
子供は泣きじゃくり、男の手を振りほどこうとしていた。
「ほらっ。ウチに来いよ。美味いもんタンと食わせてやるから⋯⋯それに、たくさん遊んでやる!楽しいぞ⋯なっ?」
「おがぁ―ちゃんと一緒がいいのッ!」
「だから、カーちゃんは来れないんだよッ!!」
男と、子供の声が聞こえる。
ひなたは、木々の間から静かに歩み出た。
正面から、男に声をかける。
「その子、怖がってるよ」
「黙れ……! 俺の子だッ。何をしようと、俺の自由だッ」
男が、ひなたに向けて身構える。
その隙に、マドカが背後の斜面を回り込んでいた。
足元の枝を拾う。
そして、落ち葉を踏む音もなく、木の影から距離を詰めていく。
ひなたが尚も言った。
「……その子、君の顔を見て泣いてるよ」
「うるせぇ……」
「それでも、“楽しい”って言えるの?」
男が、腕を引いたまま後ずさる。
「うるせぇ……お前らに何がわかる!」
「わかんないよ!」
男の背後で、マドカが叫んだ。
同時に男の脚を払い、転んだ隙に、拾った枝を男に突きつける。
男が体勢を崩した瞬間、ひなたが子供を男の手から取り返し、抱き上げる。
マドカが言った。
「わからないよ……でも、見てればわかることもある。その子は、君に怯えてる。それだけは、ちゃんと見たほうがいい。……動かないでね。次は、転ぶだけじゃ済まないよ」
男は、息を呑んだまま動けなかった。
マドカの目は、怒っていた。
「お子さんの前だからね。アンタをぶちのめすことはしない……アンタがなにもしなければね」
「……俺は……俺は……」
男は、頭を抱えた。
「だが、どうすりゃいいんだッ」
「時間をかけなさい。時間をかけて、奥さんとお子さんに受け入れてもらえるよう、頑張りな」
男は、頭を抱えて泣き始めた。
子供は、ひなたの腕の中でしばらく泣いていた。
やがて、マドカの顔を見て、少しだけ泣き止んだ。
男が泣いているのに気が付くと、その隣に近寄り、ポンポンと男の肩を叩いた。男はうなづき、子供の頭をそっとなでた。
優しい目に、なっていた。
マドカは、しゃがんで子供の目線に合わせた。
「……怖かったね。でも、ちゃんと声を出せた。えらいよ」
ひなたは、子供の背をそっと撫でながら言った。
「もう大丈夫。ちゃんと見てるからね」
市に戻ると、人々のざわめきがまだ残っていた。
紙芝居屋の前では、母親が子供の名を呼び続けていた。
ひなたは、子供をそっと腕から下ろし、母親のもとへ導いた。
子供は、少しだけためらったが、母親の顔を見ると、静かに歩み寄った。
母親が膝をついて、子供を抱きしめる。
何度も「ごめんね」と繰り返していた。
マドカは、少し離れた場所でその様子を見ていた。
ひなたが隣に立つ。
「……ちゃんと戻れたね」
「うん。あの子、ちゃんと選べた」
その時だった。
市の端に、黒い羽織の男が立っていた。
鋭い目。静かな足取り。
斎藤一だった。
「……見事な手並みだ」
「見てたなら、手伝ってくれてもよかったのに」
マドカが言う。
「若い者の喧嘩に、年寄りが口を出すのは野暮だ──俺は必要のないおせっかいはしない」
ひなたは、子供にそっと声をかけた。
「ありがとうって言えるなら、きっと大丈夫だよ」
斎藤は、マドカに目を向けた。
「君、香西の血か」
「……そうだけど」
「昔、五稜郭が燃えた夜に、面をかぶった女がいたと聞いた。あれは、君か?」
マドカは、答えなかった。
ただ、風に髪をなびかせた。
「……あの面は、もう死んだ。今ここにいるのは、私だよ」
斎藤は、満足げに頷いた。
「そうか……ならもうここに、俺の仕事はないな……」
少しだけ振り返り、言った。
「……達者でな」
そして、何も言わずに歩き出した。
背中は遠ざかりながらも、どこか軽く見えた。
マドカが、ぽつりと呟いた。
「……あの人、変わってないね」
「うん。でも、口調が前より親身になってた」
「達者でなっ……て、あの人からは、初めて言われたかも」
ひなたは、マドカの横顔を見ていた。 風が、二人の髪を揺らしていた。
その夜。 マドカは、焚き火の前でひなたに言った。
「ねえ、あの子の目、見た?」
「うん。泣いてたけど、ちゃんとお父さんの顔を見てた。怖がってたけど、嫌いじゃなかったと思う」
「……あの子、きっとずっと迷ってたんだね」
「うん。でも、誰かが手を伸ばせば、ちゃんと応える子だった」
マドカは、火を見つめたまま笑った。
「……あんた、ほんと変わった」
「あなたが変わったから、私も変われたんだよ」
火の粉が、夜空に舞った。 その向こうに、星が瞬いていた。
5年後:
函館の春は、まだ少し冷たい。風が吹くたび、海の匂いが混ざる。
それでも土の匂いはやわらかく、一郎の墓の前には小さな花が咲いていた。
ひなたは線香を立てた。火をつける手が、わずかに震えた。
風のせいか、それとも──
「……久しぶりね」
背後から、しづの声がした。
「うん」
「来てくれて、きっと喜んでるわ」
「そうだといいけど」
しづは隣にしゃがみ、墓に手を合わせた。その横顔は昔とほとんど変わらない。かすかにしわが増えたようには見える。
「マドカは?」
「来ないよ」
「……そう」
「“今年こそは”って言ってたけど、去年もそう言ってた」
「ふふ、あの子らしいわね」
「ほんとに、あの子らしい」
ひなたは膝を抱えて座った。しづも隣に腰を下ろした。
「……あの子ね、2年前に、駆け落ちしたんだよ」
「え?」
「知らなかった? じゃあ、今初めて聞いたってことで」
「……相手は?」
「憲助って言う人……元は武士で……袖口が
「それは……」
「そう。新選組の人……で、刀を捨てて山に入った。マドカ、それ見て、ついてっちゃったの」
「大胆ね……まだ若いのに」
「何も言わずに、手紙ひとつ残して、ふらっと消えた」
「……それで?」
「大騒ぎ。香西家の本家が大騒ぎ。“あんな男に家の名を汚されてたまるか”って……例の家出騒ぎもあったし、その時家宝の仮面も壊しちゃったから……いちど、勘当されたのよ」
「あらら……」
「でも、あの子は戻らなかった。“あたしは、あの人と生きる”って」
「……あの子らしいわね」
「うん。横で見ているこっちは、胃が痛いけどね」
線香の煙が、まっすぐ昇って風にさらわれた。
「それからすぐ、子どもが生まれた。襄平と、理那」
「……理那」
「マドカに似てるけど、笑い方は憲助さんそっくり」
「香西家は?」
「折れた。“あれは正式な婚姻だったことにする”って。 憲助さんを婿に迎えて、家系図にも載せた」
「無理やりね」
「でも、あの子なら、それが普通よ」
「ふふ……」
「彼女は今も山にいる。“家のことは任せた”って、子どもたちだけ送り出して」
風がまた吹いた。墓石の影が少し伸びた。
「……あたしは、まだ待ってるだけだから」
「ひなた」
「でも、いいの。ここにいるって決めたから」
「それも、選んだことよ」
「うん。……あの人、また来るって言ってたし」
「ふふ、そう。アナタも『そういう人』がいるのね……」
「まぁね……で、来たら、ちゃんと叱ってやるんだ」
「優しいのね」
「違うよ。怒ってるんだから」
「ふふ……そうね」
しづは立ち上がり、墓にそっと手を当てた。
「……一郎も、きっと安心してるわ……榊君も……」
「そうだといいけど」
「ええ。だって、あなたがここにいるもの」
「……うん」
ひなたも立ち上がり、墓に一礼した。
手の中には、小さな野草の花束。
マドカが昔、山で摘んでくれたものと、同じ香りがした。
25年後:
1891年、仙台。
港の空は晴れていたが、風はまだ冬の名残を引きずっていた。
汽船の煙突から白い煙が上がり、甲板には、旅立ちを待つ人々の影が揺れていた。
マドカは、理那の荷物を持って桟橋に立っていた。
娘は、黒い外套の襟を立て、海の向こうを見つめている。
「……本当に行くんだね」
「うん。父さんを迎えに行く。無茶してるだろうから」
「ふふ、そうかもね」
理那がふと笑った。
「朋葉にも、よろしく伝えておいて」
「ええ、きっと喜ぶわ。今朝もひなたと山に入ってた」
「やっぱり。あの親子、ほんと似てる」
「朋葉は、あの子の分身みたい。でも、あなたといるときだけは、少し都会風の顔になるのよ」
「えっ、そう?」
「たまに会うと、『理那がまた変な本読んでてさ』って、よく笑ってるわ」
「うわ、それはちょっと恥ずかしいな……」
「でも、あなたは彼女にとって特別なのよ。ひなたも『あの子たちは姉妹みたいだ』って」
「……うん。あたしも、そう思ってる」
理那は空を見上げた。
「ひなた叔母ちゃんの家、変わらないよね」
「ええ。良一さんが手入れしてるから。熊みたいな体で、細かいところに気がつくの」
「うん、知ってる。前に、朋葉が転んだだけで真っ青になってた」
「子どもが泣くと自分も泣くのよ」
「前に私が風邪ひいたときも、玄関先で泣いてた」
「ひなたに『みっともない』って叱られてたわね」
「でも、顔は嬉しそうだった」
「ええ。あの子、幸せなのよ」
「……あの家、好き。帰ったらまた寄るね」
「ぜひ。あの子も、あなたのこと、ずっと気にかけてる」
汽笛が鳴った。
「帰ってきたら、ちゃんと向こうにも顔を出すよ。お土産、いっぱい買って」
「よろしくね。あの子、そういうの、照れるけど喜ぶから」
「ふふ、わかってる」
理那は荷物を担ぎ直した。
「じゃあ、行ってくる」
「気をつけて」
「父さん、見つけたら叱ってくる」
「よろしく伝えて」
「うん。ひなた叔母ちゃんにも、米国の香草の束、持って帰るよ」
「ありがとう。春の香りが好きだから」
汽笛が、もう一度鳴った。
理那は振り返らずに歩き出した。
その背中を見送りながら、マドカはそっと目を細めた。
「……あの子も、あの子なりに、ちゃんと家を継いでるのよ」
風が吹いた。 春の海に、香草の匂いが、かすかに混ざった。
その旅の果てに、理那は父を見つける。
そしてもうひとつ── 大きな棺を抱えた、かつて歩けなかった、少し泣き虫で、でも誰よりも優しい外国人の“夫”を連れて帰ってくることになる。
……けれどそれは、まだ誰も知らない未来の話。
50年後:
とつぜん空が、変な音を立ててた。
雷でも鳥でもない。
もっと硬くて、もっと速い音だ。
オレは畑で、大根を引っこ抜いてた。
炭治郎が「煮物にするから、いっぱい頼むね」って言ってたからだ。
でも、空の音が気になって、手が止まった。
見たことのない“鉄の鳥”が、空から降りてきた。
羽が回ってる。風が巻き上がる。
地面が、少しだけ震えた。
炭治郎が、家から飛び出してきた。
「伊之助! 危ないから下がって!」
でも、オレは前に出た。
危ないものほど、近くで見たい。
善逸は、家の中から叫んでた。
「なに!? なに!? 爆発!? 戦争!? 死ぬの!? オレ死ぬの!?」
禰豆子は、縁側で座ったまま、目を丸くしてた。
でも、逃げなかった。
ただ、じっと見てた。
鉄の鳥が、地面に着いた。
羽が止まる。風も止まる。
中から、知っている男が降りてきた。
鱗滝だった。
でも、前より年を取ってる。仮面はもう、着けてない。
背中が、少しだけ丸くなってた。
その後ろから、二人の異国の者が降りてきた。
一人は、背の高い男。
もう一人は、目の鋭い女。
でも、肩が触れそうなくらい近くに立ってた。
なんか、仲が良すぎる。
鱗滝が言った。
「彼らは、私の『親友の親友』の子供だ」
????
……つまり、赤の他人か?
二人とも、まぁまぁ強そうだ。
炭治郎は、まっすぐ駆け寄って、深く頭を下げた。
「遠いところから、ありがとうございます」
禰豆子も、炭治郎の隣でぺこりと頭を下げた。
「ようこそ、日本へ」
善逸は、柱の影から顔だけ出してた。
「え!? 外国人さん!? 美人さん!!!? いいにおいィィッ!?」
女が善逸を見た。
目が、獣みたいだった。
善逸は、声を飲み込んだ。
「…………え、え、え……オレ死ぬ!?」
ワケわからんことを叫びながら、家の柱の影に、完全に隠れた。
オレは、前に出た。
「お前ら、何者だ」
女が、オレを見た。
でも、怖くはなかった。
「私はリサ……」
男が、肩をすくめて笑った。
「僕はジョージ・ジョースター。飛行機の操縦は得意だが、着地は苦手さ」
女が、ため息をついた。
「また言ってる。さっきの着地、完璧だったでしょ」
「いや、リサリサ……君が隣にいたからだよ」
「……バカ。リサは重ねないでって……」
「いや、でも可愛いからさ」
でも、笑ってた。メチャメチャくっ付いている。
屋敷の隅に隠れている善逸のヤロウが、キレているのを感じる。
……バカは放っておこう。
オレは、鉄の鳥に近づいた。
羽が冷たい。
中に、いろんなレバーがあった。
「これ、どうやって飛ぶんだ」
ジョージが、帽子を直しながら言った。
「風を切るんだ。空を裂いて、前に進む」
「裂くのか。そりゃあいいな」
「君も乗ってみるか?」
「乗る!」
「じゃあ、今度ね。今日は治療が先だ」
「チリョォ? 誰をだ」
「炭治郎をだ。さっきまで実美と義勇の所に行っておった……奴らの『残り時間』のほうが、短いからな」
鱗滝のオッサンがいい、炭治郎の奴を、リサリサの前に座らせた。
リサリサが、炭治郎の右目と、左腕に触れた。
「ちょっと我慢しててね……」
そんなことを言って、妙な呼吸法を始めた。
コォォオオオ────
「なんですか? うわぁぁッ!」
炭治郎が叫んだ。
光が、皮膚の下で揺れた。
「うぁあああああッ」
炭治郎が大声を上げる。
俺は奴を助けようとして、気が付いた。同じく駆け寄ろうとしていた善逸の動きも、目で止める。
俺には感じられる。これは、確かにメチャクチャ痛ぇんだろうが……攻撃じゃねぇ……
むしろ……
炭治郎は、目を見開いてた。
「……少しだけだけど、目が見える……左腕もちょっと動くし、それにあったかい……」
禰豆子が、そっと触れた。
「兄ちゃんの目が……見えてるの?」
炭治郎が、何度もうなずいている。
アイツ、泣いてる? 笑っている?
「それに、なんだか体の芯に力が戻ってきたよ……ありがとう……ありがとう……」
鱗滝が顔をほころばせた。
「痣の者は、齢25より後の寿命の前借りによって力を得る……だが、初代様は例外であった。初代様の力に近い、この者らの波紋を浴びれば、例外になれるやも知れぬ」
「……あの、もしよかったら、かなを のことも……」
「ああ、この後彼女の所に行くつもりだ」
「ありがとうございますッ」
オレは、意味がわからなかった。
でも、炭治郎が元気に生きられるなら、それでいい。
リサリサが、善逸の方を見た。
「そちらの黄色い子も、足を引きずっているのね。治療が必要かしら?」
善逸は、柱の影から叫んだ。
「いえ! 元気です! 健康です! 骨も折れてません! 心が折れてるだけです!」
リサリサが、少しだけ近づいた。
善逸は、悲鳴を上げて逃げた。
「うわあああああああああああああああああああああああああああッ!!」
だがジョージが先回りして、善逸の足を止めた。
あのデカいのも、やるじゃねぇか。瞬間的な逃げ足だけなら、今も超一級のアイツを捕まえるなんざ。
すぐに、善逸の悲鳴が響き渡った。
アイツは、あれくらいでちょうどいい。
俺は笑った。
空は、まだ青かった。
でも、遠くで雷のような音がしていた。
世界が、変わろうとしていた。
オレは、鉄の鳥の羽に手を置いた。
風を裂くもの。空を越えるもの。
オレも、いつか乗る。
もっと遠くへ行く。
もっと強くなる。
その前に──
畑に戻って、大根を引っこ抜いた。
炭治郎が、煮物にするって言ってたからな。
腹が減ってちゃ、空も飛べねえ。