鬼滅の波紋 On Every Street (鬼滅の刃 X ジョジョ1部)   作:ヨマザル

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探索

 1868年(慶応4年)。

 日本列島の本島東北部、現在のM県S市が、まだ杜央庄と呼ばれていた頃。

 杜央庄の北のはずれ、海沿い。断崖の上に、ひとつの館が立っていた。その館を目指して、二人の漢が藪をかき分け、進んでいた。

 

 その一人、鱗滝左近次(うろこだきさこんじ)は、背が高く、肩幅が広い男であった。髪は黒く、後ろで束ねている。

 顔立ちは整っていて、どこか柔らかい印象が残る。

 顔立ちのせいか、駆け出しの頃は鬼に侮られることが多かった。それを嫌ってか、鱗滝の顔には、隈取がおどろおどろしく施されていた。 紅と墨の線が、頬から額へとうねっている。

 隈取のせいで、表情は読めない。

 もう一人、桑島慈悟郎(くわしまじごろう)は、鱗滝よりもひと回り小柄。

 体は引き締まっていて、足さばきは獣のように軽い。髪は短く、額に汗が浮いていた。 顔つきは地味だが、眉が太く、意志の強さを感じさせる。

 

 二人は、並んで歩いていた。

 言葉は少ない。

 だが、呼吸は揃っていた。

 

 やがて、建物が良く見えるようになった。

 和洋折衷の建物。

 瓦屋根の上に、錆びた風見鶏。木製の窓枠は、普段見慣れた大きさではない。異国の寸法で切られているためだ。

 玄関の扉は重く、蝶番が軋んだ。

 扉を開け、室内に入る。そこは、20畳はあろうかという板張りの広間だった。

 屋根からは、蜘蛛の巣が張ったシャンデリアがぶら下がっている。

 壁には一面の薬品棚。

 鱗滝左近次は、隈取の顔をわずかに動かした。

 桑島慈悟郎が、瓶を一つ、手に取った。蓋を開けると、強い匂いが立ち上る。

 

「……ここが、例の館ですか」

「そのはずだ……しかし……」

 鱗滝は、床の軋む音に眉をひそめた。

「このあたりも、荒れたな」

「戦の影響ですかね」

「かもしれぬ。春先に、杜央藩の周辺で新政府軍の動きがあった。まだ火蓋は切られていないが、ガラの悪い浪人崩れがアチコチうろついている」

「……鬼より、人の方が怖い時もありますね」

「その通りだ。憎しみが積もれば、鬼より深くなる……だがここが人の手で荒らされたのかは、わからぬ」

「世が荒れた時こそ、鬼も活動しやすくなる。鬼の犠牲者が目立たなくなるから……」

「そうだ。だからこそ我らの使命は鬼を斬ることのみ、人の世には介入せぬ……」

 鱗滝と桑島は、荒れ果てた室内をみまわした。

 床は湿っていた。

 海風が、扉の隙間から入り込んでいる。 薬品の匂いと、潮の匂いが混ざっていた。

 薬品棚の隅に、数々のノート、本。ノートの文字は混ざっていた。一部は漢字、一部はアルファベット。

『記憶』『混合』『制御』──そんな単語だけが、かろうじて判読できた。

 桑島が、棚の縁に手を添えた。

「……異国の手が入っていますね」

 鱗滝はろくに返事もせず、探索を続けていた。その手が、不意に止まった。

「これは何だ」

 鱗滝は、壁の棚の異国の言葉で書かれた本の隙間に、手を入れた。

 棚の奥に、手書きの図が残されていた。

 紙は黄ばみ、端が焦げている。

 異国のぐにゃぐにゃした筆跡。

 人体の断面図。 その周りを、細かい線と点がたくさん書き込まれている。

 二人の人物が縛り上げられ、洞窟に転がっている絵があった。

 桑島が目を細めた。

「……鬼の仕業とは思えませんね」

 鱗滝は頷いた。

「ああ、ここにいたのは……学者か?」

「そうかもしれませんね。でも、ならばどうしてこの館へ繋がる情報を、鬼が持っていたのか……」

 桑島が、棚の縁に手を添えた。

 

 あの村では、声を失った者が大勢いた。

 大きな、美しい村だった。そこに鬼が潜んだ。人の体に潜み、声をまねる鬼であった。

 村人は、家族の声を真似る鬼に、呼ばれて出ていった。

 だが戻ってきたのは、記憶が抜けた体だけだった。生きる力を失った、抜け殻。

 鱗滝達が村に着いた時には、鬼の依り代にされ、気がふれた老人が、一人嗤っていた。話す事が出来る村人は、彼しか残っていなかった。

 

 鬼は、返垢(へんこう)は、まだどこかで人を喰っている。

 どこかで。

 誰かの声を使って。

 

 全力で鬼を追った。

 鬼の遺留品に、西洋から輸入された小さな刀があった。輸入元をたどると、この館の情報が出てきた。

 だからここに来た。

 悲劇の連鎖を断つために。

 

 階段を降りた先は、狭い地下室だった。 壁は湿っていて、天井が低い。 薬品の匂いが、まだ残っている。

 床に、黒ずんだ液体。血ではない。何らかの薬品の刺激臭が、かすかに残っていた。

 桑島が、足元を見た。液体の縁に、微かな擦れ跡。 何かが這ったような痕。

 

 その時だった。

 

 天井の隅から、埃が落ちた。一粒。

 鱗滝は、隈取の下で視線を上げた。刀の柄に、手を添える。

 桑島も、刀に手をかけた。足を半歩引き、重心を落とす。

「……いますかね」

「ああ。生かして、捕まえよう。何か情報を持っているかもしれん」

「了解です」

 

 天井の梁が、きしんだ。

 埃が、さらに落ちる。

 棚の奥。

 暗がりの中で、何かが動いた。

 ギギギ……

 湿った音。

 喉の奥で、石を砕くような鳴り。

 影が、這い出る。

 五体。

 どれも腕が長い。関節が逆に曲がっている。

 

 ──鬼。人を喰らう異形。夜に現れ、常人では太刀打ちできない力を持つ。その回復力は、ほぼ無尽蔵 。

 鬼殺隊は、彼らを討つために存在する。

 

 一体が飛び込み、カギ爪を振り下ろした。

 人間ではありえない、俊速の攻撃。

 だが攻撃は空振り、壁を粉砕した。

 木片が飛ぶ。

 薬品瓶が砕ける。

 液体が飛び散る。

 匂いが、急に濃くなった。

 

 鱗滝と桑島は、背中を合わせた。

 鬼が、同時に動いた。

 五体が、四方から襲いかかる。

 

 桑島が、先に動いた。

「雷の呼吸、壱ノ型──霹靂一閃(へきれきいっせん)

 

 シィィィィッ

 独特な呼吸音を立てながら、小柄な体が床を滑るように走る。

 一体の鬼の懐に潜り込む。

 足を止めず、刃を振る。

 

 踏み込みと同時に、斬撃。

 雷のような速さ。

 刃が、鬼の肩から胸へと走る。

 浅い。

 だが、鬼は崩れ落ちた。

 

 鱗滝は、動かない。

 一体の鬼が、正面から突進してくる。

 彼は、刀を構えたまま、足を半歩引いた。

 鬼の腕が振り下ろされる。

 鱗滝は、受けた。

 刃の背で、腕を弾く。

 体を沈め、視線を上げる。

 

「水の呼吸、捌ノ型──滝壷・断」

 

 瞬時に構えなおした上段からの一撃。

 刃が、鬼を両断する。

 動きは少ない。

 だが即断。

 一瞬の剛力。

 

「貴様らッ!」

 残る4体が、同時に襲いかかる。

 しかし、鱗滝と桑島の敵ではなかった。

 

◆◆

 

 すべての鬼を倒し、屋敷はふたたび静かになった。

 薬品の匂いが、まだ残っている。

 床には、鬼の残骸。 血は、すでに乾き始めている。

 

 ググ……ギ……

 鬼たちの体が、崩れていく。

 

 桑島が、息を整えた。

「……五体でしたね」

 

 鱗滝は、隈取の下で目を細めた。

「数は関係ない。動きが読めれば、斬れる。だが、生かして捕えることはできなかったな」

 

 桑島は、壁の裂け目を見た。

「……あの時は、俺は動けませんでした。今でも思い出します」

 それは5年ほど前の話。桑島が鱗滝の後方支援として初めて任務に出た時の事だ。

 今と同じように、5体の鬼に囲まれた。

 ひとり、子供を助けそこなった。桑島が動けなかったからだ。

 何年も前の事。だが桑島は今も忘れていない。

 

 鱗滝は答えなかった。

 ただ刀を納めた。

 

 地下室を抜けると、広大な洋風の離れ屋についた。

 床はレンガで覆われ、窓がほとんどない暗い部屋。だが、部屋の一辺を覆う分厚いカーテンとその下の引き戸を開けると、ガラス張りの温室があった。大きな温室だ。

 硝子越しに、霧が見えた。

 温室の硝子は曇り、外の光がぼんやりと差し込んでいた。

 鱗滝は、棚の前で立ち止まった。

 隈取を縁取った顔をこする。

 棚の奥に、乾いた血の跡。

 洋風の大きな机があった。異国の言葉で書きつねられたメモ、壊れた洋琴、そして、ヒノキの板で長方形に仕切られた平箱が何枚もあった。

 その仕切りの中には、ピンでとめられた、岩のような、木のような素材の塊がある。

 その塊は昆虫のような、植物のような、貝のような形をしていた。

 どれも、半分以上は崩れていた。気のせいか、幽かに動いているモノがある。

 その隣には、裂けた記録帳。

 墨が滲み、文字が読みづらい。墨の走らせ方は、見たことがないものだった。

 桑島が、眉間にしわを寄せながら、読んでいく。

「これは……香料の配合表。 その隣に、これはなんだ? 実験体の反応記録? “怒り/恐怖/従属”──香りに対する感情の分類……どういうことだ?」

 桑島は、眉をひそめた。

「……香りをかがせて、反応を見ていた。なぜだ?」

 鱗滝は、紙の端に“マドカ”の名を見つけた。 筆跡は、他と違っていた。

 

 (かくし)たちが、静かに現れた。黒子の衣装を着け、隊士をサポートする仲間だ。

 誰も、声を発さない。

「探索を、徹底的に。この奇妙な物には直接触れるな」

 鱗滝が言った。

 (かくし)たちは頷き、周囲をくまなく調べていった。

 桑島は、温室の奥で空を見ていた。

「春の星は、よく揺れますね」

 鱗滝は答えない。

 桑島は、少し笑って言った。

「温室の探索は、完了いたしました……不思議なものはない。香りの強い植物が大量に植えられていたようです。今は全て、枯れています」

 鱗滝が、ゆっくりと頷いた。

 その時、(かくし)の一人が何かを差し出した。

 小さな袋だった。

 干からびたカヤの実と蝋梅(ろうばい)の花。

 布地は古く、だが丁寧に縫われていた。異国風の、豪奢な刺繍が入った袋だ。

 鱗滝は、それを受け取った。

 仮面の下で、嗅覚がわずかに震えた。

 甘い匂い。

 懐かしいような、遠いような。

「この匂い……」

 

 さらに、手書きの小さな手紙が見つかった。

 墨で、こう書かれていた。

「ひなたへ。今晩は月が綺麗だった。君は、どうしてる? 私は、何日も陽の光を見ていないよ」

 その他に、年頃の少女が友達に向けて伝えるような、色々な思いが書きつねられていた。

 鱗滝は、紙を見つめた。

「……この子を探す。まだ、この藩にいるはずだ」

 桑島は頷いた。

 もういちど、袋を丁寧に調べた。

 手縫いの布。藤色。

 神社のお守り

 干からびたカヤの実と、蝋梅(ろうばい)の花。

 香りが、風に乗って広がった。

「この香り……ずいぶん強いですね」

 桑島は、少し顔をしかめた。

「天然の香りではありませんね。精油され、調合されたもののようです」

 袋の裏を広げた。

 刺繍があった。

 岩のような模様と、細い印。

 隠の一人が、静かに言った。

「この印、山間のマタギが使うものです。そして、この家紋……M藩南方の、香西家のものかと」

「つまりこの子は、香西家が率いているマタギの手の者……か」

「そう考えるのが自然かと」

「この袋の出所を探せるか?」

「……地域は絞れます。あとはしらみつぶしに探していけば、必ず見つけられるかと……おや、待ってください。このお守りは六壁神社(むつかべじんじゃ)志波彦神(しわひこのかみ)を祭ったものですか……なら話は早いです。香西家の影響範囲にある六壁神社は、確か『杜王庄』にしかありませんから」

「詳しいな」

「じつは、『杜王庄』の近くの生まれなんです」

 桑島に向かい、隠が、胸を張った。

 鱗滝は、まだ手紙を見ている。

「やはりこの子に、会う必要がある」

「探しますか?」

「ああ、すぐ行くぞ」

 その時、棚の奥にもう一枚、紙片が落ちていた。

 桑島が拾い上げる。

「取引状ですね……送り先は函館。大量の香料をそこへ送ったようです……香西家の印もある……」

 鱗滝は、隈取の下で目を細めた。

「函館か……」

「どちらに行きますか?」

「まずは、杜王庄の捜索にあたる」

「了解です」

 風が、少しだけ向きを変えた。

 温室の硝子が、わずかに鳴った。

 霧は、もう晴れていた。

 道が見えていた。

 

────────────

 

 雪がまだ残っていた。

 陽は高いのに、風は冷たい。

 ひなたは、手にした包みを抱えながら、村の坂を駆け下りていた。

 朝の手習いの後、隣村へのお使いの帰り道。

 いつも通るはずの道が、今日は違って見えた。

 理由はすぐわかった。

 村の家が壊れていた。

 屋根が裂け、柱が折れ、土壁が崩れていた。

 血痕などは、ほとんどない。

 人の声は少ない。

 風が村を抜ける音が、響く。

「……ただいまッ!」

 誰も返事をしなかった。

 ひなたは、包みを胸に抱いたまま、足を止めた。

 村の広場には、倒れた桶や、割れた障子が散らばっていた。

 子供たちの姿は見えない。

 ドキン……

 ひなたの胸がうずく。

 村に何があったのか。飢えた山賊どもに襲われたのか……

 

「!?、ひなたちゃんッ」

 声をかけたのは、隣の家の奥さんだった。

 顔に傷があり、手にはほうきを持っていた。表情に力が無かった。

「無事だったのね。よかった……」

 ひなたは、頷いた。

「……何が、あったんですか」

 奥さんは、ほうきを握り直した。

「……お……鬼が来たの。けど、何かを探してるみたいで……人は襲わなかったのよ。でも反抗した人は……」

 言葉が途切れた。

「鬼?」

「……そうよ。あれはヒトじゃぁない。鬼よ……」

「鬼ッ!叔母さん達はッ!!」

「落ち着きなさい。アンタの家族は全員無事よ。アンタの事、心配していたわよ」

「…良かった…ねぇ、村の他の人たちは……」

「ほとんどが無事よ。みんな、自分の家に閉じこもって、隠れているわ……」

 ひなたは、包みを下ろした。奥さんに断って、片づけを手伝い始めた。

 桶を立て直し、障子の破片を集める。

 手が震えていた。

「ごめんなさい……」

 誰に向けた言葉かは、わからなかった。

 ただ、口からこぼれた。

 そのとき、包みの中から袋が落ちた。

 小さな、手縫いの袋。

 干からびたカヤの実と、蝋梅(ろうばい)の花が入っている。

 ひなたは、それを拾い上げた。

 指先が、少しだけ冷たかった。

 香りが、ふわりと広がった。

 懐かしいような、怖いような匂い。

 ひなたは、袋を握りしめた。

「……マドカ」

 そう言った。そのときだった。

 

 足音がした。

 雪を踏む音。

 静かで、重い。

 ひなたが顔を上げると、男が立っていた。

 黒い羽織。

 腰に刀。

 目は、まっすぐだった。

「失礼、マドカとは誰だね」

 声は低く、抑えられていた。

 だが、怒っているわけでもなさそうだった。

 冷静な口調だ。

 

 ひなたは、少しだけ袋を握り直した。

「親友です」

「この村の者か?」

「……はい。今は、いません」

 

 男は一歩、近づいた。

「申し遅れた。俺の名は斎藤一。仙台藩の隊士だ。主に治安維持をお役目としている……この度、藩に通報があった。この村で、夜にむごたらしい事件が起きたと。だから検分に来た」

 ひなたは、黙って聞いていた。

「その袋。蝋梅(ろうばい)の香りがするな。いい香りだ……君のものか」

「……マドカのです。お守り代わりに、借りています」

 斎藤は、袋を見ていた。

 雪が、また一枚、袋の上に落ちた。

 蝋梅(ろうばい)の花が、少し崩れていた。

 

◆◆

 

 藩士は、立て続けに質問をぶつけた。

「昨夜、何か異常はありませんでしたか」

「物音でも、雰囲気でも、何でも構いません」

「え、いや……」

 村人は口ごもった。

 斎藤は、ゆっくりと歩き出した。 藩士のそばを通り過ぎる。 何も言わなかった。 藩士は、頭を下げた。

 斎藤は、井戸のそばにしゃがみ込んだ。 地面の染みを見て、土をすくった。 匂いを嗅いだ。

「血だな」

 すぐそばの家の戸が、わずかに開いた。

 中から、年配の男が顔を出した。 斎藤は、その目を見て、静かに言った。

「昨夜、何か見たか」

 男は、少しだけ戸を開いた。

「音がしました。遅い時間に……」

「人か? 獣か?」

「……わかりません。風の音かと思いましたが、何かが走ったような……」

 斎藤は目を細めた。

「蝋梅の香りを嗅いだ者はいるか」

 男は、戸の奥を振り返った。

「そういえば……娘が、何か匂うと言っていました。朝方です」

 斎藤は、少しだけ間を置いて言った。

「その娘に、話を聞かせてもらおう」

 男は、戸の奥を振り返った。

「今は、外に出ています。すぐ戻るはずです」

 斎藤は頷いた。

「戻ったら知らせてくれ」

 一歩、下がった。

 深くではないが、はっきりと頭を下げた。

「協力、感謝する」

 男は、少し驚いたように頷いた。

 戸を静かに閉めた。

 斎藤は振り返った。

 隊士が、少し離れた場所で控えていた。

 斎藤は、村人からの聞き取りを終えると、隊士にいくつか指示を残した。 記録の整理、痕跡の確認、娘の所在の報告。

 それだけ言うと、井戸の染みを一瞥し、村の奥へ向かって歩き出した。

 隊士は、筆記具を持ったまま、斎藤の背を見送った。そしてすぐ、あれこれと働き始めた。村人を捕まえて質問したり、何やらスケッチしたり、忙しそうだ。

 村人達は、戸を閉め始めた。

 囲炉裏の火が、少しだけ揺れた。

 

 その時、門の方から、二人の男が歩いてきた。

 一人は、歌舞伎役者のような隈取をつけていた。

 肩に厚手の外套をかけ、腰には短い刀を下げていた。

 もう一人は、浅黒い顔に皺を刻んだ男で、背は低く、足取りは確かだった。

 どちらも、雪を払うことなく歩いていた。

 斎藤が、井戸のそばで足を止めた。

 隊士の一人が、刀に手をやり、二人を制した。

「所属を聞く」

 斎藤の声は低かった。

 隈取の男が立ち止まった。

 浅黒い男が一歩前に出た。

「鬼殺隊の鱗滝左近次。こちらは桑島」

 斎藤は、少しだけ目を細めた。

「藩命による検分中だ。協力を願う」

 

◆◆

 

 隊士たちは、井戸の周辺と村の外れを調べていた。

 地面の染み、折れた枝、残された足跡。

 記録を終えると、斎藤のもとに戻った。

「報告、済みました」

 斎藤は頷いた。

「出るぞ」

 隊士たちは荷をまとめ、馬を引いた。

 馬に乗る前に、斎藤は立ち止まった。そして、ひなたの方へ向き直った。

「椿の香りをつけた娘が、北へ向かったという証言があった」

「函館。2月ほど前、関所を通ったと」

「……マドカですか」

「名は出ていない。だが、特徴は一致している」

 ひなたは、袋を握ったまま、頭を下げた。

「ありがとうございます」

 斎藤は少しだけ間を置いて言った。

「行くなら、夜は避けろ。わかっていると思うが、新政府軍と旧幕府勢力の争いの影響で治安が悪化している。今は質の悪いチンピラが、この辺りの街道をうろうろしているからな」

 ひなたは、頷いた。

 斎藤はそれを見届けると、馬の方へ向かった。

 

◆◆

 

 斎藤と名乗る、藩の役人達が村を出ていった。

 門の方で馬の足音が遠ざかっていった。

 ひなたは、囲炉裏のそばにいた。

 袋は、胸元にしまったまま。

 火は小さくなっていた。

 井戸の近くに、二人の剣士が残っていた。

 隈取の男は、地面を見ていた。

 もう一人は、村の外れの方を見ていた。

「お前が、袋を持っていたな」

 隈取の男が言った。

 声は低く、抑えられていた。

「はい。友人のものです」

「蝋梅の香りが残っていた」

「……そうです。彼女が使っていました」

 桑島が、井戸の縁に手を置いた。

「ご友人に最後にあったのは、いつだ」

「三月前の夜です。家の裏で。何も言わずに出ていきました」

「行き先は?」

「わかりません。斎藤さんが、函館へ向かったと教えてくれました」

 鱗滝が、息を吐いた。

「斎藤?」

「ええ。藩のお役人です」

 少しだけ間があった。

「ああ、先ほどの……江戸幕府の亡霊か」

 桑島が口元を歪めた。

「生き残りは、どこにでもいます」

 ひなたは、黙って頷いた。

 その後、村は静かだった。

 雪は止み、風もなかった。

 夜になった。

 囲炉裏の火は落ちていた。

 犬が、一度だけ吠えた。

 

◆◆

 

 夜は、静かだった。

 風が、少しだけ強くなっていた。

 家々の隙間を、冷気がすり抜ける。

 そのとき、影が動いた。

 屋根の上。

 木の間。

 地面の下。

 

 ひなたは、外に出て、家の裏手にいた。

 薪を集めるつもりで、1、2本薪を手に取ったところだった。

 

 その時、風が、変わった。何かひどく嫌な臭いが、混じっていた。

 腐ったような、焦げたような匂い。

 それが、鼻の奥にまとわりついた。

「何? ……いやだよ」

 声は出た。でも、誰にも届かない。

 家の中にいる家族は、ぐっすり眠っている。

 周囲は静か。家の中にいる叔父のいびきが、聞こえる。

 しばらく周囲を観察していたが、何の物音もしなかった。

 何も見えない。ただ、酷い悪臭がする。

 ひなたは、懐に手をやった。お守り代わりにしているニオイ袋を引っ張り出し、香りを嗅ぐ。

 

 その時、屋根の上で、何かが動いた。

 木の間で、何かが笑った。

 

 鬼だった。

 

 鬼、それは「めでたし、めでたし……」で終わる昔話に出てくるような呑気なものではない。人を無惨に食い殺す、バケモノだ。

 形が、いびつに崩れていた。

 皮膚が裂け、骨が見え、皮膚はぼこぼこ。

 それなのに、ひなたを見て、笑っていた。

 

うわぁあああッ!

 ひなたは、逃げようとした。

 だが、足がもつれた。

 転んだ。

 雪が冷たかった。

 袋が、懐から落ちた。

 蝋梅(ろうばい)とカヤの実の香りが、ふわりと広がった。

 

 鬼が、止まった。

 目が、袋を見た。

 そして、ひなたを見た。

「やっぱりか、見つけたゾぉ……ひなたぁぁ……」

 

 声は、耳の奥に直接響いた。

 ひなたは、震えながら袋を拾った。

 逃げなきゃ。

 

 でも、どこへ? 

 

 家の裏に、古い物置があった。

 ひなたは、震える足を必死に動かす。

 物置へ走った。

 扉を閉める。

 鍵はない。

 ただ、息を殺す。

 鬼の足音が近づいてくる。

 雪を踏む音。

 壁をなぞる音。

「……マドカ……助けて……」

 ひなたは、袋を抱きしめた。

 涙は出なかった。

 ただ、心臓が痛かった。

 そのとき、外で何かが割れた。

 足音が、もう一つ増えた。

 

◆◆

 

 鱗滝は、屋根の上から状況を見ていた。

 鬼の動きは、異常だった。

 人間を襲うのではない。

 人間を観察し、何かを探している。

「……生け捕りにしようというのか?」

 桑島が、隣で息を呑んだ。

「この子が、目的……?」

 鱗滝は、物置の扉を見ていた。

 中に、気配がある。

 屋根から飛び降り、鬼をけん制した。

 物置に居たのは、昼間に話をした少女だった。

 震えている。

 

「動けるか?」

 桑島が、少女を助け起こした。

 

 鱗滝は、雪を踏みしめた。

 刀を抜いた。

 鬼が、振り返った。

 目が、笑っていた。

 鱗滝は、隈取の下で息を整えた。

「なぜ、この子を狙う……?」

 声は低く、風に混じった。

 

 (かくし)たちが、周囲を固める。

 雪が、静かに舞っていた。

 次の瞬間、一撃で鱗滝に首を狩られた鬼が、白い雪に倒れた。

 

◆◆

 

 夜は、まだ終わっていなかった。

 鱗滝は、広場の隅に立っていた。

 刀は納めていたが、隈取は落としていない。

 桑島が、少し離れた場所で黒子と話していた。

「今夜の鬼……」

 桑島が言った。

「動きが、異常でした。襲うでもなく、食うでもなく」

 鱗滝は頷かない。

 ただ、地面の跡を見ていた。

「腐臭と焦げの混じった気配。鬼とも、人間の屍とも違う」

 鱗滝は、腕を組んだ。

「だが、弱い。気持ち悪さだけが残る。それなのに、執着が強すぎる」

 

 そのとき、家族に伴われ、ひなたが近づいてきた。

 ひなたは、鱗滝の元に近づく前に、足を止めた。

 強い口調で、家族と少し言い争っている。

 その後、ゆっくりと二人に近づいてきた。

 家族は、不満げにその場に残っている。

 ひなたは袋を握っていた。

 近づくにつれ、カヤの香りが、風に乗って広がった。

「……あの鬼、私を見て笑っていました。私の名前を呼びました」

 声は小さかったが、震えていなかった。

 鱗滝は、ひなたを見た。

「何か、思い当たることはあるか」

 ひなたは、少しだけ考えた。

「……袋のニオイを嗅いだら、私を襲ってきました。これは……親友のものです」

 桑島が、袋の刺繍を見た。

「香西家の印。そして、マタギのしるし。この子が持っている理由は……」

 鱗滝は、言葉を切った。

「なぜ、この子を狙う……?」

 

 遠くで音がした。

 

 屋根が軋む音。

 木が裂ける音。

 雪が毛散らされ、周囲が白く染まる。

 

「ひぃいなたぁぁんっ! みいつけたッ」

 いびつに歪んだ人型の影。

 鬼だった。

「アイツに、会わなきゃ。ひなたぁッ!!」

 ひなたの名を呼ぶ。

 名を呼びながら、走ってくる。

 

 三度目の襲撃。

 形は崩れ、皮膚は剥がれ、骨が軋んでいた。

 

 ひなたの家族はしゃがみ込み、ただ叫んだ。

 鬼は、彼らには目もむけない。

 彼らの横を通り過ぎ、ひなたに向かって、駆けてくる。

 

 鱗滝は、すでに動いていた。

 刀が、雪を裂いた。

 桑島が、(かくし)に指示を飛ばす。

 村人たちが、家の影に逃げ込む。

 鬼は唇をゆがめ、牙をむきだした。

 

 ザシュッ! 

 

 鱗滝が斬った。

 防御を捨てた上段斬り。鬼は、崩れた。

 

 鱗滝は、刀を納めた

「この子を、連れていくべきです」

 桑島の声は、静かだった。

 鱗滝は、ひなたを見つめた。

「そうだな」

 ひなたは、何も言わなかった。

 ただ、袋を握っていた。

 雪の下に、椿の花が落ちていた。

 その香りは、もう弱かった。

 でも、まだ残っていた。

 鱗滝は、村の方を振り返った。

 桑島が、控えていた(かくし)に指示を飛ばす。

 

 ひなたの家族が立ち上がり、ひなたに近づいてきた。

 (かくし)たちが、彼らの行く手を阻んだ。

 

 ひなたは家族を見つめながら、袋を胸に抱いた。

「今の私にとって、守るってことは、動くことだと思います」

 声は小さかったが、はっきりしていた。

「あの人たちに迷惑はかけられない……鱗滝さん、桑島さん、私を函館に……マドカの所へ、連れていって下さい」

 鱗滝は、何も言わずに頷いた。

 桑島が、少しだけ笑った。

 雪が、静かに降り続けていた。

 

 ポタリ

 

 血が雪に垂れた。

 鱗滝の二の腕に、軽いひっかき傷がある。

(……あの程度の敵に……油断したのか?)

 鱗滝は、自分の呼吸に注意を向けた。普段は意識しない、寝ても覚めても常に続けている呼吸のリズムだ。

 ヒュゥゥゥゥ

 流れるようにつづく、水の呼吸。使い手の身体能力を劇的に高める。

 呼吸により取り込まれた酸素は肺に溜まり、血を巡り、左手に流れ、二の腕に到達する。血管を渡る血液が、筋肉に浸透した。そして ひっかき傷から流れる血を止めた。

 

 ヒュゥゥゥゥゥ──ッ

 

 水の呼吸。その力を高めるために、水面のように静かな心が必要とされる。

 鬼殺隊を支える柱の一本、水柱の鱗滝は、静かに呼吸を紡ぎ続けた。

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