鬼滅の波紋 On Every Street (鬼滅の刃 X ジョジョ1部) 作:ヨマザル
コォォオオオ……
ウィル・A・ツェペリは息を吸い続ける。
深く、深く。
腹の底まで空気を満たす。呼吸は細胞を揺らす波紋になる。
体内の水分が共鳴し、力が外へと広がっていく。
師、トンペティとの組み手を終えたツェペリは、波紋の流れを、もう一度、練り直していた。
チベットの高地。 空は真っ青で、陽の光は強く、空気は刺すように冷たい。
石造りの修練場。チベットの高所に立つ建物の間。その屋根と屋根を結ぶ、一本のロープの上に、ツェペリは立っていた。
渓谷を冷たい強風が吹き抜け、ロープを揺らす音だけが響いていた。 他の音は、なかった。
ツェペリは、波紋の呼吸を続けた。
だが、強風が吹き続ける中、意識は別の場所に向かっていた。
師が語った、あの予言の言葉──
(古からの死臭ただよう密室で……
幼な子が門をひらく時──
鎖でつながれた若き獅子を未来へとき放つため……
おのが自身はその傷を燃やし、しかるのちに残酷な死を迎えるであろう)
気づくと、ツェペリは、息を止めていた。
掌を握りしめる。
視線は遠く、山の向こうを見ていた。
その先に、まだ見ぬ国がある。
その先に、自分の物語が待っている。
彼は、静かに息を吐いた。
「!!?ッ」
ツェペリは目を開けた。
修行時代の夢を見ていた。
船室の天井が揺れている。
木の軋み。波の音。塩の匂い。
隣のベッドで、ダイアーが背を起こしていた。
肩幅が広く、腕に古い傷がある。髪は短く刈られ、額に汗が浮いていた。
オスマン・トルコ出身の仲間。
波紋法を学ぶため、十代で砂漠を出て、チベットに来た男。長い修行を共にした親友であり、ライバルだ。
「起きたか」
ツェペリは頷く。
窓の外には灰色の海。
雲が低く、水平線はぼやけていた。
「函館まであと一日だそうだ」
「港の規則は?」
「条約港だ。出入りは許されている。だが、居留地は曖昧だ。領事館を通すのが無難だろう」
「……この国は、まだ揺れているのだろう」
「ああ。昨年革命があって、政体が変わった。だが幕府とかいう旧政府の地方勢力が、北で同盟を組もうとしている。新政府軍は、春のうちに動くはずだ。ガラの悪い連中がうろついているとも聞く」
「戦の前夜か」
「そうだ。その混乱に、異形が紛れ込むのは容易い。人を食っても、目立たないからな」
ツェペリは窓辺に立つ。
海の向こうに、異国の建物が立ち並んでいる場所が見えた。あれが函館だ。
清の港で起きた事件。
干からびた死体。血の痕。
夜にだけ現れる男。
日本行きの船が出航してから、
だから、東の果ての神秘的な国、日本を調査することにしたのだ。
「異常者がいる……と街は恐怖に震えているそうだ」
と、ダイアーが少し躊躇して、また話し続けた。
「吸血鬼の仕業と噂されている。石仮面をかぶった者かもしれん」
石仮面──
ツェペリの顔が険しくなる。
十年前、メキシコで発掘したそれは、父を吸血鬼に変えた憎きものだった。
あの夜、船が襲われた。
船が、一夜にして屍生人で満ちた。石仮面が人を血に飢えた吸血鬼に、吸血鬼が屍を
ツェペリは海へ飛び込んだ。
石仮面は船に残され、水平線に消えた。
吸血鬼は彼を追って海に飛び込み、朝日に溶けた。
その顔は、若返った父だった。
ツェペリは洋上から、それを見ていた。生き残れたのは、幸運だった。
他の仲間は、全滅していた。
船にいたのは、発掘隊の仲間たちだった。厳格な隊長である父。同い年の乗組員。親友のモラーノ。美味しい菓子をくれたコック。小うるさい甲板長。夕暮れには、父の親友である、博物学者が奏でる笛の音が流れていた。
その音が、仲間が、すべて波間に消えていった。
石仮面は、必ずまた現れる。何としても、破壊しなければならない。
船が揺れる。
甲板の上で、誰かが叫ぶ声が遠くに聞こえた。
ツェペリは船員の声を黙って聞いていた。言葉は違うが、聞きなれた、陸に向かう緊迫感にあふれた船員同士の会話だ。
ダイアーも同じように息を整える。
やがて、船の揺れが小さくなった。
「着いたら、まず情報だな」
「ああ、いつものように、港の噂。領事館。地元の武術家……それから、夜に動く者を探す」
それ以上、言葉はなかった。
二人の呼吸だけが、奇妙なリズムを奏でながら、静かに揃っていた。
半日後……
ドドドドド……
函館の裏通り。
荒くれ者が三人、真剣を抜いていた。
肩で風を切り、目は血走っている。
「異国の者が、何を偉そうに歩いてる!」
「拳士だと? こっちは剣士だぞ!」
「この街で刀を抜くのは、命を張る覚悟がある者だけだ!」
ダイアーは無言だった。
波紋の呼吸を整える。
一歩踏み出す。
バッ!
一人目の刀が閃く。
一瞬早くダイアーの掌が、相手の胸に触れる。
ズンッ!
波紋が走る。
男は膝から崩れ落ちた。
「な、何をした……!」
二人目が叫ぶ。
「
「はもん……?」
「
「……ふざけるな!」
二人目が斬りかかる。
ダイアーは身を沈め、足元に波紋を流す。
石畳が震え、剣士の足がもつれる。
掌が肩に触れる。
ズバンッ!
二人目も倒れた。
三人目が刀を完全に抜いた。
「異国の術など、我らの刃で断つ!」
ダイアーが、肩を回しながら言った。
「試してみろ」
そう言った直後、ダイアーは顔色を変えた。
背後に気配を感じる。
隣で我関せず……の態度であったツェペリも、腰を落とし戦闘にはいる構えを取った。
その時――
カチャリ
二人の背後で、刀の鞘が鳴った。
「そこまでだ」
霧の中から、侍風の男が現れた。 背筋はまっすぐ。鋭い目つき。腰には、よく手入れされた刀。肩には、奉行所の紋。
ダイアーとツェペリは、すぐに察した。これは日本政府の役人だ。
しかも、かなりの手練れだ。歩き方、たたずまいから、それがはっきりと感じられる。
二人は、そっと手を下げた。
その隙に、さっきの乱暴者がしゃしゃり出た。鼻血を拭きながら、声を張り上げる。
「こいつらです! 突然殴りかかってきて! 爆発して! 空飛んで! 財布盗んで! 団子も!」
「
「
言葉はわからずとも、ツェペリとダイアーが冷静に突っ込む。
役人は、乱暴者を一瞥しただけで、何も言わなかった。 そして、ダイアーの前に立った。
「異国の者よ」
「Yes?」
ぽかり。
掌が、ダイアーの頭に軽く当たった。
「What!」
「連行する」
「Why!」
ダイアーの叫びが、春の函館に響いた。
ツェペリは、帽子を直しながら言った。
「まあ、爆発はしたからな」
役人は、何も言わずに歩き出した。
ツェペリとダイアーは、肩を乱暴につかまれ、しぶしぶその後を追った。
乱暴者は、団子を拾っていた。 春の風が、路上に桜の花びらを舞い散らせた。
帳場の前に、三人。
ダイアー、ツェペリ、そして通詞の青年。
通詞は領事館の見習いで、眼鏡がずれていた。
緊張で汗をかいている。
「名前は?」
役人が言う。
通詞が英語で尋ね、日本語に訳して返答する。
「ダイアーさん。波紋使い。トルコから来ました」
役人の眉がぴくりと動く。
「波紋……何の流派だ?」
通詞が訳す。
「えーと……息を吸う流派です」
「は?」
ゴゴゴゴ……
役人の手が刀にかかる。
通詞が慌てて手を振る。
「違います違います! 呼吸で……えーと、血を……」
「血を吸うのか?」
「いや、血を流す……いや、流さない……」
《呼吸を整え、肺から血流を操ることで、体内の水分に力を伝える技術です》
ツェペリの助け舟を、通詞が必死に訳す。
「えーと……息で血を動かして、水を震わせて……えーと……」
「つまり、体の中に“太陽”を起こすようなものです」
役人が、目を吊り上げる。
「……面様な……何を言っている? お前らの仕事は何だ?」
後ろでツェペリがささやき、通詞が訳す。
「えーと……呼吸の医者です」
「医者か?」
「違います」
「では何だ?」
「……研究者です」
「つまり、医者ではない」
「そうですね」
役人の眉がぴくり。
刀の鞘が鳴る。
カチャリ。
「息を吸う流派などツ! 無明流・師範代の我に、戯言は通じぬ!」
通詞が固まる。
「えーと……それは……どう訳せば……」
ツェペリが小声で肩をすくめた。
「通訳殿、言葉はわからぬが、先方がなにやら怒っておられる事は、良く分かる」
ドドドドドド……
空気が張り詰める。
通詞が震えながら言う。
「領事館の許可を……見せてくださいと……」
ダイアーが地図の切れ端を出す。
それは宿の住所であった……
沈黙。
役人は深く息を吐いた。
「……今日は特例だ。だが、次はないぞ」
奉行所の扉が、ギィと音を立てて閉まった。
ダイアーとツェペリは、石畳の上に立ち尽くしていた。
春の風が吹いていた。
桜はまだ残っていて、花びらが一枚、ツェペリの帽子に乗った。
遠くで鐘の音。
近くで団子の匂い。
馬車が通り、子供が走り、商人が叫ぶ。
「とりあえず、自由にはなったな」
ツェペリが言った。
「今のところは、だな」
ダイアーが答える。
二人の背後には、ちょんまげに刀を差した侍が一人、ついてきていた。おそらく、監視の眼だろう。
「……あれはほっておこう、どうしようもない」
「だな……」
二人は歩き出した。
街は騒がしく、言葉はまるで暗号だった。
看板も読めない。地図も役に立たない。
「チベットよりひどいな」
「チベットでは、少なくとも英語の看板があった」
「十軒に一軒な……」
露店の前で立ち止まる。
焼き魚の匂いが鼻をくすぐる。
ツェペリが指差す。
「これ、武器か?」
「食べ物だ」
「動いてるぞ」
「湯気だ」
二人の背後で、子供たちがざわついた。
小柄な子が駆け寄ってきて、ダイアーの前に飛び出す。 帽子を持ち上げ、満面の笑み。
「さっきは助けてくれてありがとう! かっこよかったよ! あの技、すごかった!」
ツェペリは手を止め、少年の顔を見下ろす。言葉はわからないが、礼を言われていることは伝わる。
「
「ねーむ……名前? ……一郎です! 仲間からはイチって呼ばれます!」
ツェペリは、少年の腰に巻かれた縄に目を留める。
「
「遊び道具です!」
一郎はにやりと笑い、帽子をかぶり直す。
「じゃあ、またね!」
子供たちはぺこりと頭を下げて走り去った。団子の匂いだけが残る。
春の風が吹き、桜が一枚、帽子に乗った。
「悪くないな」
「少し、報われた気がする」
二人はしばらく立ち尽くし、ふとポケットに手を入れる。
沈黙。
ゴソゴソ。
「……財布がない」
「俺もだ」
同時に振り返る。路地の先、一郎が笑って手を振っていた。
その手には財布がある。
少年はしゃがみ込み、縄を釣り竿のように操る。
「せーのっ!」
釣り竿が引き上げられ、腰に巻いた綱が引かれた。少年は宙を舞い、屋根の縁に着地した。
「……今の、見たか?」
「見た。あれは、大した技だな」
「日本の子供、恐るべし」
一郎が屋根の上で跳ねている。
ツェペリが帽子を押さえ、ダイアーが呼吸を整える。
二人は同時に走り出した。
背後の侍も慌てて追いかけた。 だが、すぐに転んでしまう。再び立ち上がるが、道行く人に阻まれ、あっと言う間に姿が見えなくなる。
春の函館。石畳の上を、異国の拳士が必死に駆け抜ける。
屋根の上を逃げる一郎は、袋小路に追い詰められた。
先は川、隣家の屋根は遠い。
もう、逃げ場はない。
と思ったとき、少年は迷わず川へ飛び込む。
水しぶきが上がる。
春の川は冷たい。
だが、一郎は迷いなく泳いでいた。
ツェペリとダイアーは、顔を見合わせた。
「泳ぎは得意か?」
「泳ぐ必要はない」
コォォオオオオオォ……
波紋の呼吸。
ダイアーが水面に足を乗せる。波紋が水を弾き、足は沈まない。
一歩、二歩。水の上を進む。
一郎が振り返る。
「うそだろ……!」
一郎は岸へ逃げ、石造りの倉庫をよじ登る。
「登れるか?」
「登る必要はない」
ダイアーが壁に掌を当てる。波紋が石の内部を走る。
振動が伝わり、一郎の手が震え、足が滑る。
「うわっ! ビリってツ」
落下。
ダイアーが手を伸ばし、ナイスキャッチ。
少年は腕の中で固まっていた。
「なんで水の上を歩けるの!?」
「
「壁に触っただけで、なんで落ちたの!?」
「
「わかんない……」
ツェペリが笑う。
「
「……なんだかわからないけど、楽しくなってきた」
一郎も笑った。
だが、すぐに笑いやめた。ダイアーの腕の中でもじもじし始めた。
「ごめんなさい……」
「何に対してだ?」
「全部……その……誘導したのも……」
「誰に頼まれた?」
「しづさん……」
ツェペリが眉を上げた。
「誰だ、それは」
「町の人。顔役。商会の人。英語、話せる」
「英語?」
「うん。外国の人と話すの、得意なんだって」
その時だった。
路地の奥から、足音がした。
静かに、一定のリズムで。
革靴の音。
春の風が、少しだけ止んだ。
石畳の先に、ひとりの女性が現れた。
黒髪を結い上げ、洋装と和装を混ぜた衣。
銀縁の眼鏡。
背筋はまっすぐ。
まっすぐにツェペリとダイアーを見つめ、にっこりと笑った。
「
ツェペリが、帽子を押さえる。
「英語を話すのか」
「もちろん。あなたたちを待っていました」
「子供たちを使ったのか?」
「彼らは孤児です。生きるためには稼がないといけない。私は、彼らに生きる道を示しただけです」
一郎がしづの後ろに隠れた。
他の子供たちも、しづの足元に集まる。
まるで、磁石に吸い寄せられるように。
「あなたは何者だ?」
しづは、微笑んだ。
「鶴屋しづ。函館の商人です。あなたたちの言葉を、少しだけ理解できます」
「そして、あなたたちの“技”にも、少しだけ興味があります」
ツェペリが小声で言った。
「この人、ただの商人じゃないな」
ダイアーが頷いた。
しづは眼鏡の位置を直した。
「あなたたちが、この辺りでいろいろ聞き回っていたと聞きました」
ツェペリが帽子のつばを持ち上げる。
「誰から?」
「町の人。商会の者も含めて、情報は回ります」
ダイアーが短く言う。
「それで?」
「実は、少し心当たりがあります」
ツェペリが目を細めた。
「聞こう」
しづは視線を落とした。
「三週間前。寺の裏で石工が消えました。三次という男です。夜に石段を修理していた。翌朝、工具だけが残っていました」
ダイアーが言う。
「痕跡は?」
「地面に引きずられたような跡。途中で消えています」
ツェペリが帽子を押さえた。
「それが最初か」
「いいえ。港でも一人、消えています」
「港?」
「倉庫の少年。弥太。荷物の整理中に姿を消しました。壁に引っ掻き跡がありました」
「血痕は?」
「なし。荷崩れの事故かもしれませんが、見つかっていません」
ダイアーが少しだけ首を傾けた。
「それは……」
「噂では、夜だけ現れる船に乗ったのではないかと」
その時、一郎が口を開いた。
「あの……旅人もいなくなったよ」
しづが一郎を見た。
「伊助のこと?」
「うん。薬買ってた。しづさんとこで。で、そのあと、宿に戻らなかった」
ツェペリが一郎を見た。
「それはいつだ」
「二週間くらい前。薬屋の裏に足跡が残ってた。ひとつだけ」
ダイアーが言った。
「薬屋の裏から、どこに向かった?」
一郎は答えなかった。
しづが代わりに言った。
「寺の方です。足跡の向きがそうだった」
ツェペリが帽子を深くかぶった。
「三件。すべて夜。すべて痕跡が不自然」
ダイアーが短く言う。
「行ってみるか」
しづは頷いた。
「ええ。お見せします。ぜひ、異国から似たような事件を追ってきた、手練れのお二人に見て欲しいのです」
ツェペリとダイアーは、しづと共に、函館の街の探索に乗り出した。
そのあとを、一郎がピョコピョコ跳ねながら、ついていく。