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お台場からまず電車で羽田空港に向かい、それからチェックインしてやけに小さい機体の飛行機に乗り込み、一時間ほど空の旅を楽しんで到着したその離島。
「────着いたわねえ。はぁ、懐かしいわこの感じ」
羽田空港と比べると百分の一くらいのサイズしかない空港を出ると、意外と涼しい風がどこからか吹いてきた。飛行機を待つ間に調べたのだが、この島の気温は都心とほぼ変わらず、むしろアスファルトからの熱が無かったり、ときおり潮風が吹いたりするおかげで、体感温度は数字よりも涼しく感じるらしかった。
「…………ここが」
朝香果林の故郷。空港を出てすぐにあったのは、車やタクシーが停まっている小さなロータリー。その向こう側に目を向けると、小高い緑の山とその広大な裾野の緑が俺たちを出迎えてくれた。
「すげぇな」
「そうでしょう? 初めて来た人はみんなそう言ってくれるわ」
隣で背伸びをし、懐かしそうにその周囲の景色を眺める果林。この子は飛行機に乗るのは初めてだったのか、空港ではめちゃくちゃテンションが上がっていた。ここから東京には船でも行けるらしいので、別におかしな話ではないのだろうが、そこは少し意外。
あと、もうひとつ。これは流していいのか微妙なところだったので本人には言わなかったのだが、心の中で悪態を吐くくらいは許してほしい。
とりあえず果林さん。あなた、息をするように迷子になるのやめてくれませんかね? そのせいで既に無駄な疲労感が溜まってしまっていた。
ちなみに、お台場から羽田に行くまでに二回、空港に着いてからは四回ほど、目を離した隙にあらぬ方向へと行っていた朝香何某。フライト直前に行方をくらまし、新千歳行きの飛行機に乗り込もうとしていたのを見つけた時はさすがに正気を疑った。たぶん、彼女はテレポート能力とか持ってるんだと思う。こうして無事到着できたからいいんだけどさ。
「そんで、泊まる場所とかはもう決まってるのか?」
そう訊ねると、果林はこくりと頷いてから口を開く。
「私のいとこがやってるゲストハウスよ。荷物もあるし、まずはそこに行きましょうか」
それを聞いて、少しホッとする。実家とかだったらなんか気まずいし。久しぶりに帰ってきた娘がいきなり男を連れてきたとかなったら、ご両親はたまったもんじゃないだろう。そういうところも気にしてくれたんだろうか。その辺は野暮だから訊かない。けど。
「実家には帰らないのか?」
何気なくそう訊ねてみる。だが、果林は何も言わない。口を閉ざしたまま、ただ目線の先にある山を見つめている。その少し
でも、気になりはする。せっかく故郷に帰ってきたのだし、家族には会うべきだろうと思うから。
彼女にもいろいろあるのは何となく分かる。けど、そこにはあえて踏み込まない。俺にはその権利はまだない。でももし、彼女自身から話をしてくれるのなら、その時は真摯に聞いてあげようと思う。
「じゃあ、行きましょうか」
そう言って、果林はキャリーバッグを転がしてロータリーを歩いて行く。俺も少し遅れてその背中を追った。
どうやらそのゲストハウスとやらには歩いて行くらしい。どれほど離れているかは分からないが、この島の中ならば徒歩も主な移動手段になるんだろう。
ロータリーを抜け、道路の両脇にヤシの木が植えられた都道を西へと向かう。交通量がほぼ皆無のその道路。夏休みで人がごった返していた東京と比べると、ここは本当に日本なのか、と疑いをかけたくなる。まぁここも住所的には東京なんだけどさ。
その道を二人並んで歩き出して気づいたのだが、驚いたことに蝉の声があんまりうるさくない。これほど自然が広がっていればうるさくて仕方なさそうなのに。そして、聞こえてくる蝉時雨もミンミンゼミやらアブラゼミが織りなす、あの不快な大合唱ではなかった。
「なんか、蝉の声が一種類しか聞こえなくないか?」
気づいたことを果林に訊ねると、彼女は山の方を見ながら答えてくれる。
「確か、ここの蝉はほとんどがツクツクボウシなのよ。なんでそうなのか、理由は忘れたけど」
「へぇ。意外とそういうことも知ってるんだな」
正直な感想を言うと、果林は少しうんざりしたような表情になる。
「東京に行ってから調べたのよ。島にいる時はこれが当たり前だと思っていたから。なんであんなにうるさいのかしら、都会の蝉の声って」
「ああ」
そんな顔になった意味が、その言葉を聞いて理解できた。確かに、他の土地に行って地元との違いに気づくことってあるからな。たぶん、初めての夏にあのつんざくような鳴き声を聞いて、思わず島の蝉の生態系を調べたんだろう。この子が苦い表情を浮かべながらスマートフォンで調べ物をしてる光景をイメージしたら、なんだか可愛くて少し笑えた。
道の右側にはさっきから見えていた小高い山とその下に広がる新緑。左側には空港の敷地があり、フェンスが道の先までずっと伸びている。遥か遠くに目を転じると、いま歩いている歩道の延長線上に濃い青と水色の境界線が見えた。おそらく、下の青が海でその上の青が空だろう。その二色のボーダーラインはどこか幻想的でもあった。
つい一時間前までは自然など微塵も感じられない無機質なコンクリートに囲まれていたのに、今はこの島が生み出す夏の空気に包み込まれてしまっている。
変わり映えしない道を進み、緩い下り坂に入る。そうしてふと道の端に目を向けると、緑しかなかったはずのそこに鮮やかな赤があるのに気が付き、思わず足を止めた。
「綺麗な花だな、これ」
足を止めた俺に気づいた果林はこちらを向き、ああ、と言いながらその花を見つめる。
「ハイビスカスね。この辺にはあまり植えられていないけど、もう少し進むとたくさん咲いているのが見られるわよ」
「マジか。でも、これが初めて見たやつだから記念に撮っておくよ」
そう言って肩に掛けたショルダーバッグからカメラを取り出す。すると、傍らに立つ果林はそんな俺を見てふっと笑った。何となく、彼女が言いたいことは分かった。でもそれには触れず、そこに咲いている一輪のハイビスカスを撮る。
「そうだわ」
「ん?」
何枚かカシャカシャいわせている最中、果林は何かに気づいたようにそう零す。顔を向けると、彼女は胸に掛けていたあのバカでかいサングラスを装着していた。
「せっかくだから、ラフな画も撮っておく? ほら、オフショットとか後で見返すと結構いい写真が撮れていたりするでしょう?」
「あー、確かに」
提案してきた果林にそう返事して、いちおう仕事としてここにいることを思い出した。危ない危ない。うっかり普通に旅行をしに来ている気分になってたぜ。
「光が良かったら、そういうのも撮りましょうよ」
「そうだな。じゃあ、適当に撮っていくから好きにポーズ取ってくれ」
言うと、果林はラフなスナップショット用の姿勢や佇まいでカメラのファインダーに移り込んでくる。
身をかがめてハイビスカスを見つめているところや、キャリーバッグを引いて数メートル先を歩いている後ろ姿。たったそれだけでも彼女は画になる。これは俺の才能ではなく、朝香果林が持つ能力だと思う。さらに、この島の美しいロケーションも、彼女の里帰りを歓迎してくれているようだった。
そうして道を進んでいくと、果林はある場所で右にある小道へと曲がる。そこは車一台通れるくらいの道幅しかなく、左右と頭上は深い緑に包まれていた。
「こっちよ」
そう言って、迷わず先に進んでいく果林。その姿を見て改めて思うのは、バリバリのシティガールな見た目や雰囲気を醸し出しているあの子が、本当にこの島の出身なのか、ということ。彼女のことをいくらかは知っているからこそ、その事実にまだ驚きを隠せなかった。それも、俺がまだ彼女の表面しか知らないからなんだろうけど。
あの子の深いところを知りたいとは思う。けれど、無理にそこへ入り込むようなことはしたくない。言ってみれば、今の俺にとっての朝香果林は常にファインダーの向こう側にいるような存在。近くにいるのに、それでも触れることはできない、美しい高嶺の花。
でも、今はこの距離感を心地よく感じられた。彼女は読者モデル兼スクールアイドル。そして、俺は彼女の一瞬を切り取る専属カメラマン。
偶然とはいえ、せっかく与えられたこの立ち位置を自ら放棄するような真似はしたくない。だから、こうして数メートル離れた所に立ち、カメラ越しに彼女を見ているくらいが、ちょうどいいんだ。
「なにしてるの。早く行くわよ」
「ああ、すぐに行く」
先で待っている果林に声をかけ、俺は駆け足で彼女の後を追った。
次話/星空荘
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