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カメラと財布だけを入れたショルダーバッグを肩に掛け、階段を降りるとソファに足を組んで座る果林と柱に背を預けて彼女と話をしている亮さんがいた。二人は俺に気づくと同時に顔を向けてくる。
「来たわね。それじゃあ行きましょうか」
「ああ。よろしくお願いします、亮さん」
「うん。せっかく果林ちゃんが連れてきてくれたお客さんだからね。しっかりこの島を楽しんで行ってもらわないと、こっちも困るからさ」
白い歯をのぞかせてハニカム亮さん。このラフな感じは彼独特の空気感なんだろう。果林が俺もきっとこの人を好きになる、と言った意味が少しずつ分かってきた。
俺たちは外に出て、庭に停めてあった亮さんの車に乗り込み、島の道路を走り出した。果林は助手席で、俺は後部席。亮さんは喫煙者なのか、車内には微かに煙草のにおいがした。
「今さらだけど、よく来てくれたね二人とも」
窓を開けて、爽やかな夏風を受けながら進む車。それを運転する亮さんが俺たちに向かってそう言ってくる。
「今回は仕事だから仕方なく、よ」
「はは、そっかそっか。光くんも学生だよね? 夏休みだから予定は空いてたのかな」
「まぁ、そんなところです。地元に行く、って言われたのはつい数時間前でしたけど」
「おお、さすがは年頃の男子。女の子の頼みにはフットワークが軽くなるのが男ってもんだよねぇ」
「尻の軽い男を目指してるんで、その辺は朝飯前です」
「それって悪い意味なんじゃないのかしら」
「捉え方次第ではそうなるな」
「なんでそんなにハッキリ言い切れるのよ」
助手席から聞こえてくる小さなため息。自分でも言ってて何言ってんだろうと思ったからしょうがない。俺たちの会話を聞いていた亮さんはカラカラと笑う。
「でもよかったよ。果林ちゃんに同年代の友達がいてさ」
「なによ急に」
「果林ちゃんのことだから東京にもすぐに馴染めると思ってたけど、実際に見てみないことには安心できなかったからね」
ステアリングを握る亮さんにそう言われ、果林は窓の外に流れる島の景色を眺めながら答えた。
「彼は友達じゃなくて専属カメラマン。さっきも言ったでしょ?」
「えー。でも仲が良くなかったら仕事でも一緒に来たりしないんじゃない?」
零された淡白な返答に亮さんが重ねて訊ねる。その会話の中心にいるはずの俺は、後部座席で若干の気まずさを感じていた。そして、次に果林が何を答えるのかに凄く興味が沸いた。
数秒の空白が車内に落ちる。窓の外からはツクツクボウシのどこか寂し気な鳴き声だけが聞こえてきた。
「…………彼のことは信頼してるの。それだけよ」
ぽつりと吐かれるその言葉。東京のようにうるさい場所だったのなら聞き取れなかったであろう小さな声はいま、確かにこの耳に届いた。もちろん、その言葉の真意までは汲み取れない。だけど、なんか嬉しい。ちょっとだけニヤけてしまった。後部座席に座っててよかったぜ。
そんな話をしていると、車はとある駐車場に停まった。果林はシートベルトを外し、外に出る。俺もそれに倣ってドアを開けた。
「ここは?」
その緑地公園のような場所を見て訊ねると、果林はすぐに答えてくれる。
「植物公園よ。ここならきっと、光も楽しんでくれると思うわ」
「植物公園…………なるほどな」
確かに、花なんかの自然を撮るのが好きな奴にはお誂え向きな場所だ。一人で春の公園とか行ったら、余裕で半日は潰せるし。誰かにとっては何気ない場所が、俺にとって最高のアトラクションになるのはカメラをやっていてよかったと思えることのひとつ。
「二人で行ってきなよ。俺は少し用足ししてくるから、一時間後くらいにここに集合で」
運転席に座る亮さんが窓を開けてそう言ってくる。果林はその言葉に頷き、軽く手を上げた。
「分かったわ。また後でね」
「楽しんできてね、光くん」
「はい、ありがとうございます」
そうして亮さんは駐車場から出ていき、俺と果林はそこに残される。
「それじゃあ行きましょうか」
「うん。案内よろしく」
「それはいいけど、あんまり写真を撮るのに夢中になりすぎないでよ? 他にも行きたい所はあるんだから」
「分かってる。その辺はしっかり弁えてるから大丈夫だ」
「本当かしら」
果林にジトっとした目を向けられた。しかし、それは心外だ。
「あんまり舐めてもらっちゃ困るな」
「どういうこと?」
首を傾げる果林。俺は腰に両手を当ててその質問に答える。
「なんせ俺は去年の修学旅行で、初めての清水寺にテンション上がり過ぎて撮影しまくってたらバスに乗り遅れて、後で死ぬほど教師に怒られた男だぞ」
「なんでドヤ顔なのよ。むしろ心配になったのだけれど」
呆れるようにため息を吐かれる。気持ちは分からなくもない。でもこの心情も分かってほしい。初めて訪れて見る景色や建物に興奮してしまうのは、幼少期にクソ安いフィルムカメラを親に渡されたあの時からずっと変わらない習性みたいなもんなんだ。
「とにかく、今日は気をつけるから安心してくれ」
「分かったわ。動かなくなったら引きずって行くから」
「お手柔らかに頼む」
「引きずられる気満々じゃない」
そんな会話をしながら、俺たちは植物公園に足を踏み入れる。正面入り口から入ると、空港を出た時から見えていたあの山が綺麗に一望できた。
「あれってなんていう山なんだ?」
「島富士よ。登ったりもできるけど、この時期はスコールが多いからちょっと嫌なのよね」
「へぇ。確かに少し富士山の形に似てる気もするな」
「どうしても登って写真を撮りたいなら、時間を作るわよ」
「いや、今回はいいや。トレッキングをしてる果林を上手く撮れる気がしない」
「そうよね。私も似合わない自信があるわ」
島富士を眺めながら、山を登ってる果林を想像してみるが、良い画が全く思い浮かばない。いや、ダメだというわけではないのだが、その写真がファッション誌に載ってるイメージができないだけ。アウトドア系の雑誌なら需要はあるかもしれないが。
「エマ似合うかもしれないわね、そういうのも」
「ああ。あの子なら良い写真が撮れるだろうな」
山を楽しそうに歩いてるエマちゃんを想像したら、俺のカメラマン的な欲望が揺れ動いた。いつか果林に頼んで一緒に遊びに行ってみよう。スクールアイドルとしてのあの子は昨日撮ったけど、それ以外の写真も撮ってみたい。思考が逸れたが、あの山は今回は登らない。以上。
公園内に入ると、野球場がすっぽり入りそうなほどの広場があり、そこの前に植物公園と書かれた看板が建っていた。そして、その下に何やら岩が並べられている。
「なにこれ」
「岩でこの島を造ってるのよ。ほら、これが島富士でこの細長いのが空港」
その前に立つと果林が説明してくれる。言われてみると、この島を俯瞰しているような感じに見えなくもない。
「へぇ、よく造られてるもんだ」
そう言って、島のミニチュアにカメラを向けた。こういう些細な写真も、後で見返すとその時の記憶が鮮明に蘇ってくるから大事にしておくのが俺流。
そこから両脇にヤシの木が立ち並ぶ散策路を進むと、ガラス張りの建物が目に入ってきた。どうやらめずらしい植物なんかを展示している温室みたい。しかし。
「なんでこの島に温室なんかあんの?」
「私もよく知らないわ。昔からあるから、疑問に思ったこともないわね」
そういうことらしい。温かいこの島にある温室。あれか。冬にこたつに入りながらアイスを食うと美味い、みたいなやつか。それなら納得できなくもない。いや、できねぇな。
いろいろ考えさせられながらも、とりあえずそこに足を踏み入れることにした。
「あっつ」
「当り前じゃない。あぁ、ここも久しぶりに来たわ」
当然ながら温室の中は外よりも蒸し暑い。着ているシャツにジワリと汗が浮かぶ感じがした。
隣を歩く果林はそこを眺めながら懐かしんでいた。地元にいたってこんな場所にはそうそう来ないだろうしな。
観葉植物が所狭しと生えているその温室。全部を真剣に撮って行ったらマジで日が暮れるだろう。そうは思うけれど、バナナやトックリヤシ、パパイヤなどの本州ではまず見られないであろうめずらしい植物を目にして、カメラを持つこの手が我慢してくれるはずがない。
「おおっ、やっぱすげぇなここ」
「テンション上げない」
「ぐぇ」
興奮を抑えられず、それを口に出すと果林に首根っこを引かれた。いかんいかん。今日は自重すると決めたんだ。知らない土地で置いて行かれたら大変なことになるので、気合いで衝動を治めよう。
「ん? なんだこれ」
そうして足を進めていると、見たこともない植物が生えていたので、気になって近づいた。近くには名前と説明文が書かれた小さな看板があり、それを読んでみる。なになに。
「ミッキーマ〇スノキ…………?」
「これも懐かしいわね。いま見ても全然そう見えないけど」
そこに生えていたのは著作権的に攻めまくった名前の植物。大丈夫かこれ。東京、というか千葉にある某夢の国からクレームが来たりしないのだろうか。
葉が赤く、熟した実は黒くなるらしく、それが上手いこと並ぶとミ〇キーマウスに見えるらしい。しかし、果林が隣で言ったようにまったくそのように見えないため、なんか余計に不安になってきた。めちゃくちゃそう見える! というのならまだしも、言われてみればそうかもしれん、くらいのクオリティでそんな名前を付けていいのか。もしかしたらこの植物を名付けた学者が夢の国の住人になったせいで名前が変わらないではないか、というかなりの深読みをしてしまった。
他にもじっくり撮りたい果実や植物はあったが、それを我慢してひとまず温室を出ることに。それからまた少し進むと新しい建物が目に入る。これは。
「ビジターセンター。島の文化会館みたいな所ね。今日は晴れてるから人は少ないけど、雨が降るとけっこう混むのよ」
入ってみたい、と言ってみたのだが、果林曰く俺とここに入ると間違いなくすべてを回り切れなくなるらしいので、渋々ながらその提案に頷き、公園の奥へと向かった。
そうして進んでいくと、頭上が背の高い木々に覆われた鬱蒼としたエリアに入る。空を仰ぐと木漏れ日が無数に降り注ぎ、俺たちが歩く通路に木々の影絵を描いていた。
その情景を見た途端、ふと良いイメージが頭を過ぎり、俺はカメラを構えて立ち止まる。
「果林。ちょっと道の真ん中に立ってみてくれ」
「ええ。分かったわ」
突然のお願いだったのだが、彼女はその一言で俺が何を求めているのか気づいてくれた。さすがは人気読者モデル。その美貌に狂気するほどのファンが生まれるのにも頷ける。
新緑の隙間から零れ落ちてくる細い光の線に照らされる果林。スクールアイドルとしての彼女がステージの上で受けるスポットライトの照度には敵わないけれど、この淡い光は程よく朝香果林の美しさを際立たせてくれた。
「────」
果林は両手を合わせ、水を掬うようなポージングで木漏れ日を受ける。その儚げな姿はまるで、空から落ちてきた天の遣いを思わせた。そんな彼女の美しさを損なわないよう、瞬時に最高のアングルを探し、俺はシャッターを切った。
「…………よし、もういいぞ」
「ん。じゃあ行きましょう」
そう言って、先を歩いて行く果林。だが、切り替えが早すぎてちょっと思考がついて行かない。写真を撮られる時の彼女の雰囲気は普段とまるで違うので、そのギャップに脳が戸惑いを覚えてしまうのだろう。それにも徐々に慣れていかなければ。俺は今、あの子の専属カメラマンなのだから。
そうして絶えず聞こえてくる小鳥のさえずりや、原色の花が咲いた自然の中を進んでいくと、また少し拓けた場所に出た。
すると、そこの中央にあるフェンスで囲われた敷地の中にある生き物を発見する。
「な、なんだこいつっ」
そして、急に現れた生物に思わず声が出てしまう。いや、だって超かわいいんだもん。で、なんなのこれ。
「キョンよ。せっかくこの島に来たのに、これを見ないで帰るわけにはいかないわ」
「ほう。そうなのか」
そこにいたのは小さい鹿みたいな四つ足の茶色い動物。どうやらこいつらの名前はキョン、というらしい。もう名前からして可愛い。何匹か集まって葉っぱを食んでいる姿を見ているだけで超癒される。触りたい。
「…………」
「どうした果林、そんなに離れて。こっち来ないのか?」
そんなことを考えながらフェンスの間近でキョンを撮影していると、果林がなかなかこっちに寄ってこないことに気づいた。
振り返ると彼女は片手でもう一方の腕を抱くようにしてその場に立ち尽くしている。そして、目線をそらし、なんかソワソワしていた。
「だ、だって、
恥ずかしそうにするその仕草と声を聞いて、彼女が何故こっちに近づいてこないのかに気づいた。まったく、何を気にしてんだか。
「なに言ってんだ。撮ってほしくないところは撮らないよ」
「…………本当に?」
疑いの目を向けられる。いや、
「可愛いのが好き、なんて女の子らしくていいと思うけどな」
「い、いいでしょう別に。私だって、似合わないのは分かってるわよ」
腕組みをして顔を背ける果林。その頬は僅かながら朱に染まっている。プライドが高い彼女のことだ。他人にどう思われるか気になるんだろう。でも。
「いいじゃん。他人にどう思われようが、好きなもんは好きで。そうじゃなきゃ楽しくないだろ」
「え…………」
「俺の前ではそういうところも見せていい、って言ってんだ。俺は気にしないし、むしろさらけ出してもらえた方が安心して撮れる」
そう言ってみせると、果林は少しらしくない表情でこちらを見てくる。なんというか、たぶん、あれが本当の朝香果林なんじゃないかと思うような、彼女の弱さが前に出ていた。そんな姿もいいと思えたのは、きっと少しずつあの子のことを知ることができてきたおかげなのかもしれない。
今の言葉が嘘ではないことを示すためにカメラを手放すと、果林はようやくこちらに近づいてくる。そして、フェンスの近くにいたキョンの前にしゃがみ込み、彼女は笑顔を浮かべた。その意外な横顔を見て、思わず心臓が高鳴った。
「ほら見て光。この子、すごくつぶらな瞳をしてるわ。ふふっ」
なんて、動物を見てはしゃぐ姿も、どうしようもなく魅力的に見えてしまう。約束通り、写真には撮らない。けど、そんな可愛いものを愛でるかわいらしい彼女を、心のファインダーに閉じ込めるくらいは許してほしい。
そう思いながらキョンと戯れる果林を見つめ、記憶のアルバムにその光景を残しておくために、一度だけそっと目を閉じた。
次話/約束のサンセット