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そうして今日の分の撮影が終了し、残った時間は二人で海に入って島の夏を満喫した。まさかこんな綺麗な海に入れるなんてこれっぽっちも思ってもいなかったので、契約してくれた果林の事務所には頭が上がらない。帰ったらミドリさんのもとへお土産を持っていかなければ。
しかしまぁ、これだけの美人でスタイルの良い女の子がビーチで遊んでいれば、若い男が蟻のように寄ってくるのも当たり前で、予想通り何組かの旅行客にナンパされていた果林。そして、その度に男除けの彼氏役にされたのはちょっと困った。だって、めちゃくちゃスキンシップ激しいんだもんこの子。俺が彼氏に見えないから大げさに芝居を打たなければならなかったのは分かる。けど、もう少しモテない男子の純情を汲み取ってほしかった。腕組みとかされるとね、ちょっと肘に当たるのですよ、ええ。何がとは言いませんが。
それと、遊んでいる間に何人か果林の地元の友達にも会い、仕事で帰ってきていることを説明していた彼女。果林が東京で読者モデルとスクールアイドルをやっていることは島の人たちにも伝わっているらしく、数人の友達は誇らしいという旨の話を彼女にしていた。その話を聞いて果林は満更でもない表情を浮かべていた。
海の家で借りたフラミンゴの浮き輪に果林を乗せて沖の方へ行って泳ぎ疲れたり、島の元気な少年たちと一緒に桟橋から海へ飛び込んだりと、目いっぱい島のブルーを遊びつくした俺たち。その間も、果林のスナップ写真はたくさん撮った。
しかし途中で『私ばかり撮られるのも面白くない』という謎理論を繰り出してきた果林さん。仕方ないので予備として持ってきたミラーレス一眼を貸してやり、何故か俺の写真をめっちゃ撮られた。それのどこに需要があるのかは知らん。けど、そういうのもたまにはありだろう。撮られる側の気持ちが分からなければ、良い写真は撮れないのだから。後で姫乃ちゃんに送る果林のスナップに、わざと一枚だけ俺が桟橋から海にダイブしてる写真を混ぜておこう。どんな反応が返ってくるか見ものだ。
そんな充実した一日を過ごし、気づけば時は夕暮れ。
俺たちは更衣室で水着から着替え、亮さんに貸してもらった自転車に二人乗りして星空荘までの道のりをゆっくり辿っていた。
「────楽しかったわね」
沈み行く夕日を眺めながら、そんな感想を漏らす果林。俺はペダルを漕ぎ、横に付いてくる自転車の影を見つめて口を開いた。
「そうだな。こんなに夏休みが楽しいのは久しぶりだ」
「そうだったの?」
「まぁな。どこかの土地に行くにしてもいっつも一人旅だったし。それもそれで楽しいけど、誰かと行く旅行も悪くないなって思ったよ」
旅行じゃなくて仕事か、と言いなおそうと思ったけど、その言葉を口にする前に果林は言った。
「それならよかったわ。私も、海でこんなにはしゃいだのは中学生以来かも」
「へぇ。そん時の果林も見てみたかったな」
「私だって、ここにいる間は活発な島の子だったのよ?」
「知ってる。今日もちょっと垣間見えてたし」
シュノーケルを借りて浅瀬にいる魚を素手で捕まえようとしてたり、捕まえた小さいカニをこっちに全力投球してきたり。東京にいる時では想像もできない朝香果林をたくさん見た気がする。どっちが本物、とかは無いんだろう。どちらも等しく果林は果林。彼女はその姿を隠したりはしない。俺は、どっちの果林も良いと思った。
「ここにいると、昔の自分を思い出すのよ」
「そりゃそうだろ。地元なんだからさ」
「そういうものなのかしら」
「家に帰ったら誰だって素の自分に戻る。それと同じだろ?」
それもそうね、と自転車の後ろに乗る果林は言った。そうだ、別に変なことはない。どんなに有名なスーパースターにも帰ってくる場所がある。そこは本当の自分でいられる所であるべきだ。だからこそ、そこに帰ろうとしない彼女のことが俺は気になっていた。
海沿いの道を進む二人乗りの自転車。横からときおり吹く海風に湿った前髪が揺れる。とある民家の前を通ると、醬油を煮たような香りが鼻をくすぐり、それから子供のはしゃぐ声が耳を通り抜けた。
「なぁ、果林」
前を向いたまま、俺は彼女の名前を呼ぶ。その声が真剣みを帯びていたのに気づいたのか、果林は静かに続きを待っているようだった。だから、勇気を出して訊ねることにする。
「実家には、帰らなくていいのか?」
その質問に返ってくる答えは、ない。数十メートル車輪が前に進んでも、果林は黙ったままだった。
地元に帰ってきたというのに、果林は家族の話を一度もしてくれない。俺にだけ言わないのかと思っていたら、彼女は亮さんにもその話をしていない。そういう姿を見ていたからこそ、家族に関する話題をあえて避けているのだと思った。何故なのかは見当もつかない。だから、こうして訊ねている。
俺にその真相を知る権利はないのかもしれない。けど、果林のことを知れば知るほど、彼女が隠すものを理解したいと思ってしまった。そんなの、当たり前のことだろ。これは理屈じゃない。
ただ、この子だから。朝香果林のことだから、知りたいと思うだけなんだ。
「…………帰ってることも言ってないのよ」
ポツリと零れ落ちる小さな声。ここが東京だったならきっと、その喧騒に飲まれてしまっていただろう。でも、果林は確かにそう言ってくれた。
「どうして」
「
問いに返されるのは、そんな短いセンテンス。それを聞いて、これ以上は本当の意味で彼女の深い場所へと近づく覚悟が無ければ踏み出せないのだと感覚的に理解した。
踏み込めば拒絶されるかもしれない。今まで積み重ねてきた信頼も、あっという間に崩れ去るかもしれない。それは嫌だ。
誰にだって言いたくないことはある。きっと、この話が果林にとっての
自転車を漕ぎながら、少し考える。朝香果林という女の子のパーソナルなことを、ここまで知りたいと思う理由。自問してみたら、答えは意外とすぐに出た。
たぶん、俺は。
◇
「あ…………」
そうして、果林を乗せた自転車は星空荘の前に着く。
そこの前には三人の人影があった。その姿を視認した時、後ろから聞こえてくる小さな声。
一人は亮さん。そして、こちらに気づいて俺たちの方に近づいてくる中年の男性と女性。
「なんで」
今までの話の内容と、彼女の反応で分かった。
この二人は、果林の両親なんだ、と。
「果林。本当に帰ってきていたのね」
「どうして亮くんにしか言わなかったんだ。連絡も寄こさないで」
「…………」
「ああ、でも会えてよかった。元気でやってる? ちゃんと食べているの?」
「せっかく久しぶりに帰ってきたんだ。今日は家でお母さんの手料理を一緒に食べよう」
両親の優しい言葉に反応を見せない果林。彼女はただ、視線を下げてその言葉を聞いているフリをしている。どうしてそんなことをしているのかは、分からない。でも、確かに感じた。斜め後ろでその光景を見ていれば、それを感じ取ることができた。
この人たちは、自分の娘に見えないナイフを突き刺している。それを理解しているのはきっと、俺と玄関の前で申し訳なさそうな顔をしている亮さんだけだ。
果林は両親に帰ってきていることを伝えていないと言った。なのに、この人たちはここにいる。その理由はたぶん、亮さんがリークしたから。そうじゃなかったら、きっと果林とこの二人は顔を合わせることもなかっただろう。
少しずるいと思うと同時に、亮さんの気持ちも分かった。あの人は何も考えずに行動する人じゃない。いろんな葛藤があって、果林と彼女の両親の気持ちを考えて、その結果、双方を会わせることを選んだのだろう。そうじゃなければ、果林が自分から両親に会いに行くことはないのが分かっていたから。
ここからの展開はきっと、亮さんも読めていない。それはすべて、朝香果林の反応にかかっている。
両親に声を掛けられる果林。そのどこか痛々しくも見える姿を眺めていると、彼女は不意に俯けていた顔を上げた。
「…………ごめんなさい。お父さん、お母さん」
そして、その言葉だけを残し、足音は遠ざかっていく。
予想外の反応だったのか、呆然とした顔で急に走り去った娘の後ろ姿を見送る彼女の両親。やっぱりこうなったか、と唇を噛み締める亮さん。彼らの顔を見た後に、俺は果林が消えていった坂道の方を見つめた。
結果として、果林はこの現実から逃げ出した。その理由は彼女にしか分からない。想像することはできても、それが正解かどうかは彼女しか知り得ない。
「…………何やってんだ、馬鹿」
だけど、これが正しいとは思わない。俺は自転車のハンドルを強く握りしめながら、逃げて行った果林に向かって呟いた。
娘の顔が見たくて会いに来てくれた親の前から逃げ出すことが正しいなんて、ありえてはならない。正当な理由がある殺人が許されないのと同じように、それだけは絶対に間違えている。
俺が動く理由など、それだけで十分。あの子を見つけて、それからこの胸の内にある正論を彼女にぶつけてやればいい。お前は間違えている。だから、その理由を教えろと。
「────っ」
自転車をその場に置き、果林が走り去っていった方向へと走り出す。ここであの子を追えるのは俺だけ。何かを言えるのも、何も知らない俺だけだ。
無責任? 上等だよ。ここであいつに嫌われたとしても、俺はお前は間違えてるって言ってやる。それを言わずして何が専属カメラマンだ。何が信頼できる奴だ。ここで何も言わなかったら、あの子と知り合った意味すらなくなる。
ここが関係の終わりならそれでもいい。それでもいいから、俺はあいつに言わなくちゃいけない。そして、訊ねなくちゃいけないんだ。
「…………どうして」
逃げる時に泣いてたんだ、って。
次話/君の星になる
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