学校のマドンナ
◇
時は盛夏の候。四六時中ジメジメしていて気持ちまで滅入りそうになる梅雨が過ぎ、今度は本格的に暑いシーズンがやってきた。
俺を含めた学生たちは皆、数日後に控えた夏休みまでの日数をカウントダウンしながら、今日も昨日と同じような一日を消化する。夏の良いところなんて、女子の制服が夏服になることと夏休みがあること、くらいしか思いつかない。いいよね。もっさりとしたブレザーを脱ぎ去った途端、教室内が一気に爽やかになるあの感じ。体育の後、隣の女子が制汗スプレーなんかを振ろうものなら、次の授業は悶々として上の空になってしまうのが男って生き物。その点だけは夏の炎天下にも感謝をしたい。
「良いのがないな……」
そんなどうでもいいことを考えながら、俺は部室で一人、自前のノートパソコンの前に座って嘆いていた。
わが校の写真部は自由であることが部風であり、何を撮るかも自分で決めてよく、部室に来るタイミングも各人に任されている。つまるところ、かなりゆるゆるな文科系の部活。毎年恒例の展覧会の前とか文化祭の前くらいしか部員全員がこの部室に集まることはない。
本日も他の連中は別の部活の掛け持ちだとかバイトとかで忙しいらしく、参加者は俺だけ。まぁ、高校生で自前のカメラを持つ、なんて裕福な家庭に生まれた奴の特権みたいなものだし。俺のように実家が写真屋をやっていたりする人間でない限り、自分で金を稼いで道具を用意する他ないからバイトに明け暮れるあいつらの気持ちも分かる。
でもね、後輩くん? あんだけ前から新しいレンズを買う買う言ってたのに、なんでいつまで経っても同じやつを使ってるのん? しかし、この受け継がれてきた部のしきたりを破るわけもいかないので、俺は知っていても敢えて何も言わない優しい部長を演じ続けるのであった。偉い、俺。超偉い。
「……うーん」
古い機材やら歴代の先輩方が置いていった写真やらがべたべた壁に貼ってある誰もいない部室で、再び小さな声を吐く。
静かであるが故に、開け放たれた窓の外からは運動部の威勢のいい掛け声、廊下の方からは合唱部の歌声なんかが鮮明に聞こえてくる。
PCのディスプレイに映るのは、昨日撮ってきた写真の数々。今は数週間後にあるフォトコンテストに送る写真を選ぶ作業をしていた。
「あー…………まだまだだな、俺」
理想に追いついてこない自身の腕に落胆しながら、ため息を吐く。今回の課題はポートレート写真。昔から景色を専門として撮ってきたから、人を撮ることには慣れていない。風景であればそれなりに上手く撮れる自信はある。何度か写真雑誌にも載せてもらった経験もあるし、自分でもそれが合っていることも自覚している。だが、それだけが撮れればいいわけではない。人も等しく撮れなければ、俺が目指しているカメラマン像には到底追いつけない。
「あとは…………モデル、とかかなぁ」
テクニックや知識はすべて揃っていると自負している。なのに、実際に押したシャッターが切り取るのは何かが違うものばかり。何度撮ってもイメージ通りにならない。ならば原因は自分にではなく、ファインダーに映す人間の方にあるのではないか、という完全に他力本願的な思考に陥ってしまっていた。
「…………」
そうしてまた、別のフォルダを開いて良さげな画を探す。すると、春に撮った写真のデータが目に留まった。
夕暮れの公園。そこで出会った一人の女子高生。
彼女を撮ったこの写真だけは上手く撮れたと言い切れる。なら、これをコンテストに出せばいいんじゃないか、と言われるかもしれない。けど、俺はこれを公にしたくはなかった。それがおかしな話なのは分かっている。でも、これは自分だけのものとして手元に置いておきたかった。
「…………朝香果林、か」
彼女はあの時に言っていた通り読者モデルで、調べてみたらティーンエイジャーの間では結構有名らしかった。あの子に憧れる女の子たちの気持ちは分かる。男の俺でさえ(むしろ男であるからこそか)、その美貌に目を奪われてしまったのだから。
もったいないことをしたな、と思う。あんな子ともう一度会えるとは思えないし。どんだけ気持ち悪くても、あることないこと理由をつけて連絡先を聞いておくべきだった。しかし、それはもう後の祭り。またあの子の写真を撮りたいと願っても、それが叶うことは二度とないだろう。
うだうだ考えていても仕方ない。また仲の良いクラスメイトに頼んで、新しい写真を撮りに行こう。
「ん?」
そう思った矢先、部室に乾いたノックの音が二回響いた。来客か? 部によっては高総体も近いし、もしかしたら運動部の奴が依頼に来たのかもしれない。そういうのも二つ返事で引き受け、安い報酬で撮ってやるのがこの写真部の掟。こっちとしても練習にもなるし、悪い話ではないから校内の依頼はなるべく受けるようにしている。
「どうぞ」
声をかけると、一秒ほどの間をおいてから控えめな速度で横に滑る部室のスライドドア。自分の気分転換も兼ねてお茶でも淹れてやるか、と思いながら席を立った瞬間、その人物の姿を目が捉えた。
「────失礼します。その、写真部の部室はここでよろしいでしょうか?」
と、静寂の中に落ちる女子生徒の言葉。それはどこか儚げで、しかし芯のある可愛らしい声音だった。
「あ…………う、えぇ?」
椅子から立ち上がりかけていた訳の分からない姿勢のまま、俺はその女子生徒と対峙する。驚き過ぎたせいで、口からは超気持ち悪い謎の言語が漏れ出てきた。
ドアが開いた先に立っていたのは、長く艶やかな黒髪と左こめかみの辺りに付けたバラの髪飾りがトレードマークの女の子。俺は、この子を知っている。むしろこの学校に彼女を知らない人間などいないと言い切れる。
彼女はこの藤黄学園のマドンナであり、且つこの周辺の学校に通う男子高校生どもが口を揃えて女神と崇める圧倒的美少女。
そう。藤黄学園スクールアイドル部の絶対的エース────綾小路姫乃だ。
なぜ、この高校の神である彼女がこんな平民の代表格ともいえる写真部の部室などに現れたのか。その理由が理解できず、石になる魔法をかけられた無能な勇者のように、俺はその場に固まった。いや、ちょっと嘘。ふひゅ、みたいな死ぬほどキモい声だけがうっかり出てしまった。
「あの…………」
俺の不審な行動&言動を訝しんだのか、怪訝な目をしてこっちを見てくる姫乃ちゃん。おおぅ、ジト目も可愛い。一生その目で見られていたい、なんて、自分でも死んだ方がいいんじゃないかと思うほどのクソ思考をいったん横に置いておき、一度咳払いをしてから口を開いた。
「ああ、ごめん。何か用でもあったのかな?」
平静を繕い声をかけると、姫乃ちゃんは「はい」、と答える。
「その、写真部の方に折り入ってお願いしたいことがありまして」
「ん? 何かな。あ、ていうか立ったままじゃなんかあれだし、入って入って」
そう言ってから光速で椅子を用意し、部室に招き入れる。姫乃ちゃんは明らかに警戒している様子だったが、よほど大事な要件だったのか、おずおずと部室の中に入ってきた。何が入っているのかは分からないが、彼女の肩には大きめのボストンバッグが掛けられている。
「はじめまして。二年二組の綾小路姫乃です」
「三年で写真部の部長をやってる星光だよ。よろしく」
机と机を並べ、互いに自己紹介をしてから向かい合う。なんだかこうしているとアイドルのオーディションをしてる気分になる。もしそうだったなら有無を言わず合格させちゃう。だって怖いくらい可愛いんだもん、この子。
普段、校内で見かけることはあっても、彼女が歩いていると周りにいる人間は俺を含めて全員背景にしかならないので、俺のようなモブがこんな距離で話ができるとか、それはもう奇跡としか言いようがない。あ、なんかちょっと良い匂いがする。あと、すげぇ顔が小さい。これが本物のスクールアイドルってやつか。
「あの、何か?」
まじまじと見ていると、若干引いた感じでこちらを見てくる姫乃ちゃん。いかんいかん。うっかりいろいろと観察してしまった。用事があるとはいえ、知らない年上の男子生徒と二人きりで話をするというのは女の子的にはかなり勇気がいることだろう。あんまり怖がらせないようにしよう。話しながら見ちゃうのは許してほしい。
「何でもないよ。それで、お願いって何かな」
そう訊ねると、姫乃ちゃんは気を取り直すように背筋をしゃんと伸ばし、こちらに向き合ってくる。
「はい。実は、今週の日曜日にお台場でダイバーフェスというライブフェスがあるのですが、そこで写真部の方に撮影をしていただきたいんです」
「ライブフェス……ステージの写真、ってことでいいのかな?」
こくりと頷く綺麗な黒髪。それから言葉が続けられる。
「そうです。ロックやポップスがメインのフェスなんですが、スクールアイドル枠としてうちの学校を含めた三校が選ばれたんです」
「? なるほど」
それで、この部の出番ってわけか。でも、うちのスクールアイドル部ならそれくらいのステージなら何度もこなしてきただろうに。なんで今回に限って写真の依頼なんて頼むんだろう。しかも、プロじゃない奴らしかいない、高校の写真部なんかに。
反応を見て俺が疑問に思っていることを察したのか、姫乃ちゃんはまた口を開く。
「今回写真部さんにお願いしたいのは、私たちのステージ写真ではありません」
「え? どういうこと?」
じゃあ一体俺は誰を撮ればいいのか。予想もしないカミングアウトに質問を投げると、すぐに返事が返ってくる。
「私たちの後に立つ、虹ヶ咲学園のスクールアイドルの写真を撮ってほしいんです」
姫乃ちゃんはそこで言葉を区切り、すぐに続ける。
「グループのうちとは違い、虹ヶ咲学園はソロで活動する学校です。それで、私独自の情報筋を使って調べたところ、あるスクールアイドルがダイバーフェスのステージに立つことになったそうなんです」
「ふーん。そうなんだ」
独自の情報筋、というワードが妙に引っ掛かったが、彼女の話の腰を折りたくなかったのでとりあえず流しておくことにした。
「なので、その方の写真をどうしても手に入れたいんです。どうか、よろしくお願いします」
琥珀色の大きな瞳に見つめられる。目は真剣そのもの。よほどそのアイドルに執着があると見える。もしかしたらその子はライバルで、研究をするために俺たちが駆り出されるのかもしれない。だとすれば、断る理由はない。写真を撮ることで彼女たちの一助になれるのなら、それは願ってもないことだ。
「それはいいけど、本当にその一人だけでいいの?」
「はいっ。むしろ他のアーティストなんか見なくていいので、その人だけに集中して最ッ高の写真を撮ってほしいんですっ!」
そう言いながら、こちらに身を乗り出してくる姫乃ちゃん。な、なんかちょっとずつエンジンがかかってきてないかしらこの子。さっきより鼻息が荒くなっている気がする。とりあえず話を続けてみよう。
「分かった。で、そのスクールアイドルってどんな子なの?」
そう問いかけた瞬間、姫乃ちゃんは待ってました、というように椅子の傍に置いていたボストンバッグをドスンと机に置いた。そして、その中から業者の如く大量のファッション雑誌を取り出し始める。どうした。
「言い忘れていましたが、この依頼は私個人のものなので、うちの部はまったく関係ありません」
「え。そうなの?」
「はい、そうなんです」
てっきり全員でその子のことを研究するために撮るもんだと思っていたが、どうやら違うらしい。それで。
「その雑誌の山はなんなのかな」
「はぁっ? 何を言ってるんですかっ!?」
「お、おう…………?」
さらっと訊いただけなのに、めちゃくちゃ尖った反応が返ってくる。しかもそれを言ったのはあの学校のマドンナ、綾小路姫乃。その想像もしないリアクションに脳が現実を認めてくれない。何があった。そして、彼女の言葉はそこで止まらない。
「何で知らないんですかっ、先輩は本当に高校生ですか? この人のことを知らないでよく学生を名乗れますね。もう一度小学校からやり直してきた方がいいんじゃないんですか? もしかして、先輩は何も知らないでこの方の写真を撮ろうとしていたんですか? そんなの図が高すぎます。なのでとりあえずここにある雑誌をぜんぶ貸しますので、明日までに彼女のことを研究してから出直してきてください。この私からのお願いですよ? 文句はありますか? ないですよね? 私なんかとお喋りして緊張してる前にこの方の写真を見て興奮してきてください、はい今すぐよろしくお願いします」
「…………」
なんかめっちゃ早口でディスられ、さらに謎の雑誌の山を押し付けられた。姫乃ちゃん、キャラブレ過ぎじゃない? 大丈夫? 清楚で真面目な子だと思っていたのに、なんか急に行ってはいけない方向へ暴走し始めたぞこの子。あれか、もしかしてこの子はあれなのか。ステージの上では誰しもが憧れるアイドルでも、そこから降りると一気に性格が豹変するタイプの人間、なのか?
両手を机につき、瞳孔ガン開きになりながら肩で息をしているその姿を見て、俺は今日、知らなくてもいいことを知ってしまったのだ、と思い知らされた。嘘だろ。
「わ、分かった。分かったからいったん落ち着こう、綾小路さん」
「落ち着く? 私はずっと落ち着いていますが、何か?」
はぁはぁとまだ若干荒い呼吸をしながら首を傾げてそう言ってくる姫乃ちゃん。うーん、参ったな。予想以上にやばいぞこの子。早くどうにかしないと。ていうか、どんだけその子のこと好きなんだよ。
こんな美少女にそれほどまで想われる人間がどんな奴なのか興味が沸き、突き付けられたファッション誌の一冊をぺらと捲ってみる。その子が載っているページには付箋が貼られていたので、すぐに写真を見ることができた。
「あ」
そして、それを開いた瞬間に声が出る。
間違いではないか確認するため、他の雑誌も何冊か見てみるが、付箋はすべてある読者モデルのページに貼ってあった。
瑠璃色の髪に、同い年とは思えない大人な微笑。間違いない。これはあの子だ。そんでもって、姫乃ちゃんはこの読者モデルのことが好きなのか。こんな偶然あるんだな。
「どうですか、先輩も綺麗だと思うでしょう? このスタイルと顔立ちで私たちと同じ高校生なんですよ? すごいですよねぇ、神がかっていますよねぇ。むしろ神様は朝香果林さんなんじゃないでしょうか?」
「俺、この子と会ったことあるよ」
「────はぁっ?!」
ガタ、っと音を立てて立ち上がる綾小路姫乃。彼女は身を乗り出し、向かいにいる俺にめっちゃ詰め寄ってくる。ふえぇ、怖いよぉ姫乃ちゃん。
なんて、心中ではふざけたことを思っているが、ぶっちゃけかなり恐怖を感じた。目は血走っていて、焦点がぜんぜん合っていない。ここで間違ったことを言おうものなら彼女の制服のポケットからカッター的なものが召喚され、脇腹あたりをエイッ♡ってされそう。ここまで来るともはや狂気だよ。返してっ。数分前までそこにいた俺の知ってる大人しくてキラキラした姫乃ちゃんを返してっ!
「どういうことですか? なんで先輩みたいな分際で朝香果林さんと出会ってるんですか? 何がどうなったらそうなるんですか? ねえ?」
「待って待って。会ったと言ってもちょっと写真を撮らせてもらっただけで、別に連絡先交換したわけじゃないし、それ以来一回も会ってな」
「写真を…………撮った…………?」
まずい。何かが姫乃ちゃんの逆鱗に触れたらしい。貞子さながらの低い声とかヤバい目つきとか、もうみんなが憧れるあの綾小路姫乃はどこにもいない。朝起きたらぜんぶ夢であってくれないかなーっ。
「ストップだ綾小路さん。えーっと、そうだ」
怪物になりかけてしまっていた姫乃ちゃんを手で制し、何か彼女の怒りを止めるものはないかと探していた時、先ほど作業していたPCの存在を思い出す。俺はすぐにそこへ移動し、ディスプレイにあの春の写真を映して姫乃ちゃんに見せた。
「ほら、これが証拠だよ」
ゾンビの如くこちらへふらふらと近づいてきていた姫乃ちゃんにその写真を見せたと同時に、足は止まった。よし、効果あり。どうやら朝香果林に関する何かを見せると彼女は落ち着いてくれるらしい。また死ぬほどどうでもいいことを知ってしまった。
「ぁ、ああああ────っ!?」
そして、興奮の色を隠すことなくダッシュでこちらに来る姫乃ちゃん。彼女は床に跪き、神に祈りをささげるような姿勢でPCの画面を見つめていた。
「この周りに咲いてるフリージアっていう花を撮りに行ったとき、偶然会ってさ。頼んで撮らせてもらったんだ」
見惚れてしまって勝手に撮った話はしないでおく。いま考えると、あれは普通に盗撮で訴えられても勝てなかったじゃないかと思う。
「……………………先輩」
「……………………何?」
数分間、その写真を食い入るように見つめていた姫乃ちゃんは小さく俺を読んでから立ち上がる。またクレイジーサイコ的な反応をされるのかと思ったら、彼女は目を潤ませてこっちを見てきた。
「この写真、いくらで買えますか?」
「あー。いちおう俺たち学生同士だし、金銭のやり取りはちょっとね」
さすがに高校の写真部が金で取引するのはまずいので、依頼の報酬は金以外で受けることにしている。それもほとんどどうでもいいことだ。陸上部の写真を撮ったら購買ですぐに売り切れるパンをダッシュして代わりに買ってきてもらうとか、その程度のもの。正直、あってもなくても構わない。なので欲しければすぐにあげてもいい。
「お金じゃ…………ダメなんですか?」
「うん、まぁそうなるね」
だからタダであげるよ、と続けようとしたのだが、何かを勘違いしたのか姫乃ちゃんは頬を朱に染め、小さな身体を自らの腕で抱いた。そして、その顔は羞恥に染まっている。なんで?
「じゃ────じゃあ、私の身体を撮れば満足ですかっ? それなら先輩も文句はないでしょうっ。もう、どうしようもない変態さんですねっ!」
「一旦ブレーキを踏もうか、綾小路さん。その条件は俺としてはかなり魅力的だけど、バレたら社会的に抹殺されるから無理だ」
どんだけ朝香果林の写真が欲しいんだよこの子。暴走し過ぎだ。そしてなんで俺が変態としてカテゴライズされている。いや、まったくそうじゃないとは口が裂けても言えないけど、可愛い後輩を脅してイケない写真を撮るほど男として腐ってはいない。
「うぅ。じゃあ、どうすればいいんですかぁ」
涙目で俺を見上げてくる姫乃ちゃん。何も知らない男子生徒共にこの現場を見られたら、間違いなく袋叩きにされていた自信がある。今でさえ別に悪くはないというのに、本気で土下座をしてしまいそうになった。
「そうだなぁ。なら、今度のそのフェスで藤黄のステージの写真も撮らせてくれたら、いいよ」
「本当ですか!? そんなことでいいならぜひお願いしますっ!」
「そんなことって…………まぁいいや。じゃあちょっと待ってて」
交渉が成立した後、すぐにPCを操作して部室に備え付けてあるプリンターでその写真を印刷する。そしてそれを渡すと、姫乃ちゃんは涎でも垂れそうなほど恍惚な表情を浮かべながらその写真を見つめていた。
「ありがとうございますっ。ただの変態さんかと思ってましたけど、優しいんですね先輩」
それから満面の笑みを浮かべてめっちゃ酷いことをさらっと言う姫乃ちゃん。けど、この子が喜んでくれるなら撮った甲斐があるってもんだ。それはそれとして。
「話を戻すけど、俺はこの子のライブ写真を撮ればいいんだよね?」
「そうです。一生に一回しかないステージなので、しっかり撮ってください」
姫乃ちゃんは朝香果林の写真を大事そうにスカートのポケットに入れ、雑誌をボストンバッグに詰め始めた。
「それじゃあ、近くなったら詳細を伝えに来ます」
「うん、よろしく」
「こちらこそよろしくお願いします。楽しみにしてしますね、先輩」
弾けるような笑顔を浮かべながらそう言って、綾小路姫乃は部室を去っていく。その背中を見送り、俺は胸の中に溜まっていた息を吐き出す。うっかり学校のマドンナの裏事情を知ってしまったが、これはもう交通事故みたいなものだと思って受け入れよう。それより。
「…………スクールアイドル、か」
まさかあの子がアイドルになるだなんて、なんだかうまくイメージできなかった。どういう心境の変化があったのかは知らないが、朝香果林というあの瑠璃色の女の子は新しいことに挑戦するらしい。
ファンである綾小路姫乃ほどではないけれど、あの子を全く知らないわけではない。そんな俺でもそのステージを見てみたいと思った。そして、あの子がアイドルとして歌って踊る写真を撮ってみたい。なぜか、その気持ちだけが心の底からふつふつと湧き上がってくる。
「楽しみだな」
あの春の日を思い出しながらそう呟き、PCの画面で微笑む朝香果林の写真を見つめた。
次話/VIVID WORLD