気づかせてくれたのは
◇
あっという間に月日は流れ、高校最後の夏休みはあっけなく終わった。あの島に行った以外はほとんど毎年と変わらない毎日を過ごし、やがて九月がやってきて、怠い授業を消化するだけの日々をまた過ごしている。
「はぁ…………」
例の如く、誰もいない写真部の部室でため息を吐く。
今は月末にある文化祭に向けて、夏休みに撮り溜めた写真を整理していた。やることと言っても、俺たち文科系の部活にできるのはひっそりとした展示会くらい。写真に興味すらない人たちが暇つぶしに入って、何の感想も言わずにぼんやり眺めていくだけのイベント。そこに情熱を向けるのは、どんだけ写真が好きでも難しい。
「もっと、心が躍るようなものならいいんだけどな」
あの子の写真のように、見ているだけで体温が上がってくるようなもの。俺が見たいのはそういう作品だった。
でも、文化祭で写真部がそんな写真を展示したのが知られたら、保護者とかその他いろいろな方面からうるさい声が飛んでくるのは何となく想像ができる。
だから、それを見せるのは自分ともう一人の女の子だけでいい。
「────失礼、しますっ」
「うおっ!? なんだ、姫乃ちゃんか。びっくりした」
ちょうどその子のことを考えていると、ノックもなしに部室のドアが開かれた。
入り口で荒い息を繰り返しているのは、この藤黄学園が誇る最強のスクールアイドル、綾小路姫乃。
彼女がこうして部室にやってくるのは最近ではめずらしいことではなくなった。何かとここにやってきて、虹ヶ咲学園にいる一人のスクールアイドルのことを熱く語って帰っていく。そんな意味不明な関係も悪くない、と思い始めてきた今日この頃。学校一の美少女と話ができるなんて、男の夢みたいなもんだろう。まぁ、裏があり過ぎるのを知っているので、たまにそのことを忘れそうになるんだけど。
「先、輩…………っ」
「うん? どうしたの?」
顔が赤く、息が切れている姫乃ちゃん。もしかして走ってきたんだろうか。うーむ、そんな姿も超可愛い。何も知らなかった夏休み前だったら玉砕覚悟で告白していたかもしれんが、今はそんな気にもなれない。むしろこの子と付き合える男は現時点ではこの世にいないと言い切れる。
姫乃ちゃんは部室のドアを閉めてこちらに歩み寄ってくる。その手には一冊のファッション誌。それを見て、彼女が何を伝えに来たのかに気づいた。
そっか。そういえば発売日、今日だったっけ。
「────最っ高、です」
と、言いながら詰め寄ってくる姫乃ちゃん。近い近い。良い匂いする。そのちっちゃくて血色の言い唇を見てるとうっかり大罪を犯しそうになるので、あんまりそう言う軽率な行動はしないでほしい。
「ああ、ありがとう。早速買ってくれたんだ。俺も帰りに買おうと思ってたんだけど」
「私は授業が終わったと同時にコンビニに行って、ここに向かう間に中身を確認してきたんです。本当は先輩と一緒に見ようと思ったんですけど、我慢できませんでした」
「うん、危ないから今度からはちゃんと立ち止まって読もうね?」
どんだけ中身が気になったんだよ。最寄りのコンビニなんて校門から百メートルも離れてないのに。彼女はそれほどまでにそのファッション誌に載った読者モデルの写真が見たかったんだろう。気持ちは分からなくもないので、これ以上は何も言わないであげよう。
姫乃ちゃんは俺の前にある机に雑誌のある部分を広げて置く。そして、めっちゃ早口でその感想を語り出した。
「もうやばいです。この海での写真とか、綺麗すぎて見た瞬間に走りながら気絶しそうになりました。あとはこの自然の中で空を見上げてる果林さん。なんですかこれ。天使ですか? それとこのお寿司を食べてる時の横顔。もうこの写真だけでお腹一杯になります。それからそれから────」
などと、その雑誌に載った写真の一枚一枚に感想を言ってくれる姫乃ちゃん。俺は彼女の言葉を苦笑いをしながら聞き流し、その写真に目を向けた。
「ああ」
自然と声が出てくる。それは、本当に自分が撮った写真が雑誌に載っている感動と、この写真を選んだのか、という意外さを含ませた声。
果林が特集されたページには約束通り、あの数日間で撮った写真だけが使われている。
意外だったのは、仕事用に集中して撮った写真よりも気軽なスナップショットの方が多く使われていたこと。事務所の代表であるミドリさんには一応スナップも送っていたのだが、もしかすると果林の普段を映した写真の方を求められていたのかもしれない。
星空荘に向かうまでの写真や、植物園でキョンを愛でていた時の果林。海で遊んでる時や、亮さんたちと囲んだ夕食の時のものまで載せられていて、なんだかカメラマンのこっちが恥ずかしくなった。事前に言われていればそう言うラフな写真ももっと本気で撮ったというのに。いや、だからこそ言わなかったのかもしれない。力が入ればこういった自然体の朝香果林は撮れなかっただろうから。
「そして、一番はこれですこれっ。新しい衣装で地元の夏祭りでライブをした果林さんっ。ああ、私も見たかったですぅ…………」
姫乃ちゃんはそのページを開き、俺の目の前に突き付けてくる。その言葉を聞いて、少し疑問に思った。
あの時の写真って、撮ったんだっけ?
「……………………」
「先輩は果林さんのステージを見たんですよね? どんなライブでした? ダイバーフェスの時とどっちが良かったですか? どんな曲を歌ったんですかっ?」
隣で興奮しながら訊ねてくる姫乃ちゃんの声が、何故かよく聞こえなかった。それほどまでに、俺の意識は雑誌に掲載されている朝香果林の姿に向かっている。
読者モデル以外にもスクールアイドルとして活動している、という情報としてこの雑誌には載っているあの時の写真。でも、俺は確かあの時も果林に見惚れてしまって動けなかった。なのに、ちゃんと写真として残っている。そのアングルや構図は間違いなく俺が立っていた場所から撮ったもの。
もしかすると、意識とは違う場所でこの身体を動かす指令が脳から伝達されていたのかもしれない。そんなバカみたいな理由以外に、この写真を説明する材料がなかった。
「先輩? 先輩ってば。もう、無視しないでくださいよ」
「あ、あぁ、ごめん」
呆然とその写真を眺めていると、姫乃ちゃんに声を掛けられて意識が正常に働き出す。
そこに載っていたのは、新しい衣装で夏祭りのステージで歌い踊る果林の姿。その表情は自信に満ち溢れ、彼女の前にいる観客たちに目いっぱい自分の全力を表現している。
無意識だったからこそ、こんな良い写真が撮れたのかもしれない。ダイバーフェスの時と同じ。奇跡の一枚と言ってもいい。
あの時の写真は姫乃ちゃんにあげるために撮ったものだったけれど、今回は沢山の人たちに見てもらえる。その評価がどんなものかは具体的に聞くことはできないかもしれないが、掲載されたという事実だけで自分を誇らしく思えた。
「よかった、本当に」
────結局、果林の事務所から受ける仕事はこの島での撮影だけで終了した。夏休みの間だけ、という短期の契約だったので、それも仕方ないのだろう。
だからあれ以来、あの子とは一度も会っていない。連絡すら交わしていなかった。だって、そうする理由がなかったから。俺は暇だったけど、あの子は今どきの女子高生が憧れる読者モデル兼スクールアイドル。そんな彼女に俺と会って何かをするだけの暇はないだろう。
…………いや、違うな。それはただの言い訳だ。
たぶん俺は、あえてあの子に会わないようにしていた。夏休みの間に会ってしまえば、あの島での数日間を汚す行動をしかねなかった。この心の中にある感情が、本物の彼女を前にしたら溢れ出てしまいそうで。そうなれば、もう顔を合わせることすらできなくなる。それが嫌で、次に会うまでに時間を空けたかったんだ。そうすれば、この想いをキチンと受け入れられると思ったから。
「でも先輩?」
「うん?」
隣に座る姫乃ちゃんが椅子を近づけて、俺の顔を覗き込んでくる。だから、距離が近いって。こんなところを写真部の連中に見られたら俺は間違いなく処刑されてしまう。
「果林さんと二人で旅行したことは、まだ許してませんからね」
「いや、だから何回も言ってるけどあれは旅行じゃないって」
何度言えば分かるんだこの子。思い返してみれば仕事をしてる時間よりも、果林と遊んでいた時間の方が長い気はするが、最初の目的はそうじゃなかったんだから早く許してほしい。
「でも、先輩のことは見直しましたよ、私」
「え…………」
そう言って、ニコリと微笑む姫乃。それがどんな気持ちを込めた言葉だったのかは分からないけれど、その笑顔を見て心臓が軽く生き急いだ。
「お願いしたら、私のことも…………こんな風に撮ってくれますか?」
そして、姫乃は上目遣いで俺の顔を見つめてくる。そのあざとい表情に、本気で理性がどうにかなりそうだった。あの子に惹かれているのは自分が一番わかっている。なのに、後輩の女の子にまで心を奪われそうになる自分が、ほんの少し嫌いになりそうだった。
俺は視線を逸らし、顔が赤くなるのを自覚しながら答えた。
「ああ、撮るよ。とびっきり可愛いやつをさ」
「ほんとですか?」
「うん。約束する。だから、姫乃ちゃん」
「はい?」
それから再び視線を合わせる。そこには首を傾げながらこちらを見ている学校のマドンナがいる。俺たちにあるのは、朝香果林という存在でつながった奇妙な関係。普通では交わらないはずの線と線の間には、常にあの子がいた。そこに関しては感謝しかない。こうして綾小路姫乃と話ができるなんて、ちょっと前までは想像もしていなかった。
だからこそ、俺はこの子に言う。
「果林に──いや、誰にも負けないスクールアイドルになってよ」
そして、いつか俺は撮りたいんだ。
顔を合わせて緊張するのではなく、自信を持って朝香果林と隣り合うことができる、綾小路姫乃のことを。
俺がそう言うと、姫乃ちゃんは目を丸くしてこちらを見てくる。それから少しの間を空けて、唐突に吹き出した。
「あははっ。もう、急に真面目な顔をするから告白されるのかと思っちゃいました」
「いや無理でしょ。姫乃ちゃんは俺に死ねっていうのか」
そんなことがバレたら俺はこの学園の男子どもに確実に殺られる。綾小路姫乃とは誰も触れてはいけない高嶺の花であり、男子たちの永遠の偶像でいなくてはならないのだから。
俺の言葉を聞いて、雑誌を抱えて椅子から立ち上がる姫乃ちゃん。どうやら今日はこれで帰るらしい。けど、彼女はなかなかその場を動かない。どうしたのだろう、と顔を向けると、姫乃ちゃんは真剣な表情で俺を見て口を開いた。
「私、先輩が撮る果林さんが大好きです」
その言葉に嘘はない。だからこそ、本当に嬉しかった。誰よりもあの子のことが好きな彼女のそう言われて、そう感じないはずがない。
「そっか」
「それと、先輩のことも…………」
「うん?」
「何でもありません。じゃあ、私は練習に行ってきます。今度のライブ、先輩も来てくださいね?」
そう言って、足早に部室を去っていく姫乃。彼女の頬が赤く見えたのは、たぶん気のせいだろう。
その姿を見送ってから、俺は姫乃ちゃんに言われた言葉について少し考えた。それから、部室の天井を見上げて独り言を呟く。
「……………………いつか、スクールアイドル専門誌に投稿してみようかな」
うちの学校には強豪の部があるのだから、それも悪くはないだろう。まぁ、あの子にバレたら怒られそうだけど。
俺はスクールアイドルを撮るのが上手い。このスキルは自分でも気づかなかった。
その才能を引き出してくれたのは、果林じゃない。
綾小路姫乃という後輩のスクールアイドルだった。
次話/瑠璃色に輝く花
-1