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そうして日は流れ、約束のライブフェス当日。
姫乃ちゃんの情報どおり、このダイバーフェスとやらはバンドやEDMが中心で、客層もそれっぽい若者が九割くらいを占めている。そこまで音楽に詳しくない俺でさえ知っているアーティストも何組か出ていた。
今日はいちおう藤黄学園の関係者ということで、特別にステージ下のカメラマンブースに入れてもらえていた。お金を払っていないのにも関わらず、こんな至近距離で生のステージを見られるのはかなりの幸運。普段の行いの良さに感謝したい。
とりあえず、姫乃ちゃんと約束したステージの時間になるまでは他のアーティストたちの写真を撮りながらイメージトレーニングをしていたのだが。
「ダメだな……」
改めて、人を撮る難しさを思い知らされていた。
当然のことながら、こういうライブ写真というのは必ず動きが入る。景色を撮る時には瞬間的な判断がほとんど求められないから、自分のテクニック次第で何とかなる。だが、被写体が動く人間だとそうはいかない。簡単に言えば、誤魔化しが効かないんだ。ただ単にズームして連写すればいいというわけではなく、ステージ上のアーティストが刹那に浮かべる表情やポーズを一瞬で切り取らなければならない。
さらに困ったことに、彼ら彼女らにはカメラで撮られている、という自覚がほとんどない。それはそうだ。何千人の前でパフォーマンスをしなければならない状況で、そんなものに気を向ける余裕などあるわけがない。だからこそ、たまにアーティストの動きとカメラマンの判断がバインドして奇跡的な一枚が撮れるのかもしれないが、それは沢山の条件が揃わなければ成功しない。
そんな神がかり的な一枚を俺に求められても困るので、今回はありきたりな写真で我慢してもらおう。もう少し練習してからリベンジしたいと思う。
などと、始まる前から弱気になりながらステージ写真を撮っていると、甲高いMCの声が会場に響く。どうやらタイムテーブルどおり、スクールアイドルの出番がやってきたらしい。だが。
「スクールアイドルだってよ。どうする?」
「あー。あんまり興味ないけど次のバンド近くで見たいし、とりあえず見てみようか」
ステージの前にあるカメラマンブースの後ろ、スタンディングゾーンの最前に立っているカップルらしき若い男女がそんな話をしている。気になって振り返ると、先ほどのMCを聞いたであろう大勢の観客がそのエリアから立ち去っていくのが見えた。
残酷だが、これも仕方ないことなんだろう。この人たちは俺と違ってお金を払ってここに来ているのだから、興味のないアーティストをわざわざ見る理由はない。しかも、次の三組は今までのステージとはかなりテイストの違うジャンルだ。自分が通う高校のスクールアイドル部のパフォーマンスを見てもらえないのは寂しくはあるが、それに対して文句を言える権利など俺にはない。
『────こんにちはっ。東雲学院スクールアイドル部です。ここからはスクールアイドルの時間ですよ! 一緒に盛り上がりましょうっ!』
そうして、時間通りにスクールアイドルのステージは始まった。
最初は東雲学院。今年加入した一年生の子がセンターに抜擢されたっていうあのグループか。明るい茶髪のツインテールのあの子がたぶんそうだろう。なるほど、確かに可愛い。背は小さいが、歌はとてものびやかで、ダンスにはそれを感じさせない大胆な表現力がある。詳しくない俺が見ても分かるくらいだ。その才能は近くにいる人間からすれば、まるで宝石のようなものに見えただろう。姫乃ちゃんとの約束にはなかったが、とりあえずあの子たちの写真も撮っておくことにしよう。
スクールアイドルの持ち時間が短いこともあり、東雲学院のステージはあっという間に終わった。だが、その魅力は畑違いの観客にもしっかりと届いていると見える。
最初は興味なさげな表情をしていた客たちが、スピーカーから流れる音楽に合わせて途中からサイリウムを振り出した時は、なぜか俺まで嬉しくなってしまった。
それから次に出てくるのは我が藤黄学園のスクールアイドル。この辺の高校では強豪であるが故に、彼女たちの佇まいは先ほどの東雲学院より遥かに落ち着いている。
『お台場のみなさんっ、今日は存分に楽しんで行ってくださいっ!』
そして、そのグループの不動のセンター・綾小路姫乃が観客を煽り歌い始めた瞬間、会場全体のボルテージが上がったのを感覚的に感じ、カメラを握る腕に鳥肌が立つのを自覚する。
「やっぱ、すごいな」
数日前、部室で話を交わしたあの時からは想像もできないステージ力。東雲学院がグループ全体の魅力でセンターのあの子を引き立てていたのであれば、藤黄学園はセンターに立つ綾小路姫乃の魅力がグループ全体を輝かせている。だが、彼女だけが前面で光っているのではなく、他のメンバーもそれぞれの色をしっかりと出している。そのバランスが素晴らしい。
自分の高校のグループだから贔屓をするわけではないが、やっぱり彼女たちにはラブライブに出場してほしいと思ってしまう。綾小路姫乃が在学中にそれを成しえなかったのなら、しばらくその栄光には届かないだろうから。
『ありがとうございました! 最後まで楽しんでくださいっ!』
程なくして藤黄学園の持ち時間が終わり、姫乃ちゃんが残す言葉に呼応して大きな声援が送られる。
さっきまで会場に流れていたあのスクールアイドルを見くびる空気はもう感じられない。最前に立つあのカップルも、今では拳を突き上げて他の観客とともにステージを楽しんでいた。
ここまでの二組で、スクールアイドルの魅力はオーディエンスには十分伝わったはず。タイムテーブル上ではそうではないが、スクールアイドルの枠としては次が最後。そのトリを飾るのは、綾小路姫乃が言っていた朝香果林という読者モデルの女の子。
こうしてその場に立っていてもまだ信じられない。春に出会ったあの子が、このステージで今からスクールアイドルとしてライブをする。もし、何かの手違いでこの場に彼女が出てこなかったとしても、俺は恐らく何も思わなかっただろう。ああ、あの話はやっぱり冗談だったんだ、とすんなりその事実を受け入れたに違いない。それほどまでに、あの朝香果林という女の子がスクールアイドルをしている姿が想像できなかった。
これが初めてのステージだというのだから、あまり期待はしない方がいいのかもしれない。しかし、それを知っているのはこの会場で一握りの人間だけ。前二組で高まった期待感を、あの子は乗り越えられるのだろうか。思わず、そんな心配をしてしまった。俺がそう思えるということは、間違いなく次に出てくるあの子も同じことを感じているはず。しかも、他人である俺の何百倍も強く。
興奮冷めやらぬフェスの雰囲気の中、数十秒の間が空く。それは次のアーティストに移るためのインターバルということは理解している。それでもなぜか心配になった。俺にそんな筋合いなど、あるはずもないのに。
「あ…………」
異様に長く感じた数分後、袖の方から現れる一人のスクールアイドル。やはりそれは、春に出会ったあの子。出てくることは分かっていたのに、その姿を見た瞬間、心臓が強く鼓動した。
彼女に合う紺色を主体としたセパレートの衣装。誰もが可愛い印象を持つスクールアイドルとは一線を画すそのセクシーな出で立ちは、妖艶な魅力を持つあの子によく似合っている。
何も言わずに淡々とした足取りでステージの中央へ向かう朝香果林。そういう演出なのだろうが、前二組のエネルギッシュなイメージとはこの時点で異なっていることが明らかに見て取れる。
「一人?」
「そうみたいだね。そういうスクールアイドルもいるんだ」
なんて声が後ろから聞こえてくる。確かに、そう思う気持ちは分かる。俺も少し前まではスクールアイドルはグループで活動するのが当たり前だと思っていた。しかし、何事にも例外は存在する。
次のステージがソロのスクールアイドルであることに気づいた会場が、少しだけざわつく。それがやけに鬱陶しく感じて、形容できない苛立ちを覚えた。
当然のことだが一人の場合はグループとは違い、観客の視線が分散されない。ここにいる人間のほぼ全員の意識と視線が、そこに立つたった一人の女の子に集まる。それがどれほどのプレッシャーなのかは、今ステージの上に立つ彼女にしか知りえない。
頑張れ、と無責任な言葉を心の中で唱える。いや、もしかしたら声に出てしまっていたかもしれない。それがあの子に届くことはないのに。あの子は俺がここに立っていることにさえ気づかないだろう。初めてのライブでそんな余裕など、どう考えても持てるはずがないだろうから。
『……………………』
照明が落ち、静寂に会場は包まれる。それでも、このカメラブースからはステージ上のシルエットだけは確認できた。朝香果林は俯いている。この空気にのまれてしまったのだろうか? それなら何か声をかけた方がいいのか? でも、こんな所から俺みたいな奴が何かを言ったところで、一度怖気づいた心は簡単には立ち上がらない。
誰だって一回は経験したことがあるだろう。人前で何かをするっていうのは、どんなことであろうが緊張する。その恐怖は人間が持っている本能なのだから抗いようがないんだ。でも、それを見ている他者はその恐怖心を感じ取れない。だからこそ
俺のようにあの子のことを知っているから緊張するのは仕方ない、と思えても、ここにいる観客たちからすればそんなのどうでもいい。払った金の分、良いものが見られればいいと思っている奴らなんて、ステージに立つ人間からすれば全員敵にしか見えないだろう。そんな中で、今から彼女はパフォーマンスをする。たった一人で。
「────────」
朝香果林が顔を上げる。照明が無いせいで表情までは見て取れない。しかし、その動きが始まりの合図だったのか、隠れていたスポットライトが一斉にステージ中央に集まった。その瞬間、露わになる彼女の表情。
どんな不安げな顔をしているのだろう、と無責任な心配をしていたからなのか────その自信に満ち溢れた微笑みを見て、彼女を侮っていたことに気づかされた。
スピーカーから大音量で流れ始めるイントロ。そのアップテンポなメロディに乗って、朝香果林はその長い手足を滑らかに、且つ軽やかに躍らせ始める。
『────Just like a Rainbow Colors』
彼女のリズミカルなダンスに合わせるようにステージ上から放たれる、無数の青いレーザービーム。夕暮れを切り裂く眩いそれは、一人のスクールアイドルの存在を、これでもかというほどに際立たせた。
『空からこぼれ出す 星座の瞬きは 目を閉じてもまぶしく 光る 走る 熱く』
イントロが終わり、彼女の歌のパートに入ると瑠璃色がステージ上を舞う。
堂々としたその姿は、どう見てもこれが初めてのパフォーマンスとは思えない。あれが本当にあの日出会った女の子なのか、と本気で訝しんだ。
『白とか黒 そう Yes or No そんなに単純じゃないなら 答えなんて誰も知らない 自由に未来創ろう』
歌が上手いとか、踊りが綺麗だとか、そんなことは俺にとって些細なことだった。それならうちの学校のスクールアイドルも負けていない。
俺が魅了されたのは、その圧倒的なカリスマ性。この要素だけは今までステージに立ったアーティストにはなかった。プロを含めた中にもそれを持っている者はいない。なのに、一人の高校生がその力を持っている。ついこの前チャレンジを始めて、これが初の舞台だというのに、なぜここまでの魅力を放てるのか。その意味が分からず、その場に立ち尽くしたまま、俺は目線の先で歌い踊る瑠璃色の女の子を見つめていた。
『Vividな世界 ねぇどうして 一緒だったら心はずむの』
曲がサビに入り、再び青いレーザーが宙を舞う。朝香果林は時にパワフルにまた、時にはセクシーに踊り、その魅力を全身で引き出す。それを見ているとなぜか心拍が先へ先へと生き急いだ。
『Find a way キミとだったら迷子だって悪くはないね』
ふと視線を後ろへと向ける。すると、先ほどまで様々な色が散らばっていたスタンディングエリアが、すべて青に染まっているのに気づいた。
『正解も輝きもひとつじゃないから Just like a Rainbow Colors』
観客たちがサイリウムの色をステージにいる一人のスクールアイドルに合わせたんだ、と認識する余裕すら、その時の俺にはなかったらしい。
『────ふふっ』
「え」
そうして、またこの思考は混乱する。
カメラを構えず呆然と、たぶん相当バカみたいな顔をして立ち尽くしている男に、彼女はステージ上からウィンクを飛ばしてきた。
あの子は俺に気づいている? そうじゃなければ、あんなあからさまな仕草はしないはず。いや、俺に気づいているかいないかはこの際どうでもいい。
今の一瞬。本当に、瞬き程度の時間。
たったそれだけの仕草を目にして、この心はすべて朝香果林というスクールアイドルに奪われた。
「…………」
もう、何も見えない。曲は続いているのに、他の景色は消え去った。俺の視覚は数メートル先で踊る鮮やかな瑠璃色だけを捉えている。なぜかは分からないけれど、その姿を見ているとあの二番目の記憶が蘇ってくる。
無意識にシャッターを押した。ファインダーの中で踊る瑠璃色を捉えて一枚だけ、嘘みたいに美しいその瞬間を切り取った。
そして、気づけば彼女のステージは終わっていて、背後から届くとんでもない歓声を聞いてようやく我に返った。
「ああ」
そうか。これが、長いあいだ探していたもの。
それはきっと、動くことのない情景なんだと思い込んでいた。
でも違った。ずっと求めていたあの色彩は、彼女が持っていた。
虹ヶ咲学園スクールアイドル、朝香果林。
きっとあの子こそ、探していた原風景の答えなんだ。
次話/姫乃リベンジ