瑠璃色のフリージア   作:雨魂

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姫乃リベンジ

 

 

 

 ◇

 

 

「それでぇ、ちゃーんと言い訳はしてくれるんですよねぇ、せーんぱい?」

 

 

 夏休みが始まり、数日が経過したある日。

 

 自由参加が鉄則であるうちの写真部に夏休みの活動は当然の如く皆無。しかし、機材の忘れ物を思い出し、それを取りに部室へ訪れたところ、その扉の前にはとある女の子が威圧感をバキバキに出しながら待ち構えていた。

 

 いや、もちろん彼女の存在と約束を忘れていたわけではなかった。ただ、あのフェスの後からすぐに夏休みが始まり、今日まで会う機会がなかっただけ。連絡先も交換していなかったし、俺のような分際が神聖な藤黄学園スクールアイドル部の練習に立ち入るわけにもいかなかったので、依頼の首尾を確認できなかったのだ。

 

 とまぁ、そういう経緯があった。ここで一旦、意識を現実に戻そう。

 

 

「…………」

 

 

 俺は今、写真部の部室の中で正座をしている。その前で腕組みをしながら仁王立ちするのは制服姿の綾小路姫乃ちゃん。この構図を作り出したのは俺の意志ではない。美少女の前で正座をし、蔑みの眼差しで見つめられることに興奮する、などという残念過ぎる性癖は持ち合わせてはいない。

 

 ということでつまり、俺はこの美少女に正座を強制されているのである。理由はちゃんと理解しています。だからこそ、俺は下げた頭を上げられないままでいた。

 

 

「その…………あの時はうっかりしていたというか、なんというか」

 

「あれれぇ? 聞こえませんねぇ。そんな虫の鳴き声みたいな声じゃなくてもっとはっきり言ってもらわないとぉ、私の耳には届きませんよぉ?」

 

 

 俺の言い訳を耳にし、猫撫で声で指摘してくる姫乃ちゃん。声自体は可愛らしいが、その裏に隠された副音声が恐ろしくてたまらない。ハッキリ言わないと〇します☆、みたいな幻聴が聞こえてくる。

 

 もう絶対怒ってるよこの子。もはや怒られる要素があり過ぎて、いま彼女が抱えているのは俺のどこに対する怒りなのかが分からない。あなたの存在です、とか真顔で言われようものならショックのあまり今すぐベランダから身投げしてしまいそうだ。

 

 

「だから、あの子のステージがあんまり凄かったから、写真を撮るのをうっかり」

 

「忘れてた、とか言いませんよねぇ? この私のお願いを先輩が破るなんて、ありえませんよねぇ?」

 

「…………」

 

 

 訳を話そうとしたのに、その言葉を先に奪われて否定される。もうどうすればいいんだっ!

 

 そうして、出口の見えない迷宮に迷い込んだネズミのように八方塞になる。謝っても許してもらえるとは思えない。だって、あれほど朝香果林のステージ写真だけはしっかり撮ってこいと念を押されていたのにも関わらず、俺は。

 

 

「一枚しか撮れなかった、なんてぇ、冗談にしてはぜんぜん笑えませーん」

 

 

 俺が犯したその罪を言葉にする姫乃ちゃん。

 

 ふと顔を上げると、彼女はどす黒いオーラを出しながらニコニコとキュートなスマイルを浮かべていた。だが、まったく嬉しくない。もう恐怖という感情しか生まれてこない。さっきから全身の震えが止まらないのは、おそらくこの子が出している濃厚な殺意のせい。

 

 ────そう。あのダイバーフェスの日。朝香果林の初ステージを間近で見ていた俺は彼女のパフォーマンスに圧倒され、姫乃ちゃんの依頼をうっかり放棄してしまった。

 

 気づいた時には朝香果林のステージは終了しており、文字通りの後の祭り。カメラのデータにかろうじて残っていたのは一枚の写真のみ。ちょうどいいタイミングで始まった夏休みにかこつけて、その事実を隠し通せると思っていたのだが、俺の予測は駅前にある有名な店のパンケーキ以上に甘かったらしい。食ったことはないが。

 

 綾小路姫乃はスクールアイドルの練習の合間に必ずこの部室の前に訪れ、罪人()がのこのこ現れるのを首を長くして待っていたという。

 

 そして今日、ようやく姿を見せた男からそんなバカみたいな結果しか出せなかったことを報告され、怒りが爆発した姫乃ちゃんはとりあえず俺に罰を与えることにしたらしく、今に至っている。

 

 

「いや、本当にごめん。これに関してはマジで返す言葉がない」

 

 

 言い訳をしてこれ以上罪を重ねればブチ切れている姫乃ちゃんに本気でエグい罰を与えられそうだったので、とりあえずこの日本において最強の謝罪法・土下座を披露しながら謝ることに。多分これでは許してくれないだろうから、次は服でも脱いで屋上から全力で謝罪の弁を叫び散らそうとか考えていたのだが、頭の上からは小さなため息が聞こえてきた。

 

 

「まぁ、あのパフォーマンスを真正面から見せられて正気を保てなかったのは仕方ないとは思います。私もステージ脇から見ていて失神しそうでしたから」

 

 

 そうだったのか。顔を真っ赤にしながら気絶しそうになるのを必死に耐えている姫乃ちゃんの姿が脳裏に浮かんだ。

 

 

「でも、先輩にはどうにかしてあの時の写真を撮ってほしかったです」

 

「…………っ」

 

 

 そして、少しトーンを落としたその声を聞いて、胸が痛んだ。

 

 あれほど素晴らしい数分間を何枚もの写真に収めていれば、きっと姫乃ちゃんも満足できたに違いない。それが分かっているからこそ、後悔の念は消えてくれない。

 

 そうだ。俺はあの時、あの子に見惚れている場合ではなかった。溢れてくる感情を押し殺して、無理やりにでもシャッターを押し続けなければいけなかった。それが、星光という写真を撮ることしか能のない人間に与えられた、使命だったのだから。

 

 

「本当、カメラマン失格だと思う。でも…………」

 

 

 俺は顔を上げ、正座をしたままポケットからあるものを取り出し、前に立つ姫乃ちゃんに差し出した。彼女は少し驚いてからそれを受け取り、そして息を呑んだ。

 

 写真で大事なのは枚数ではない。何千何万の写真を撮ろうが、究極の一枚には絶対に敵わない。これは自分自身にする言い訳じゃない。事実だからこそ、そう思うだけだ。

 

 たった一枚だったとしても、そのクオリティが高ければきっと見る人は満足してくれる。

 

 だから、俺は彼女にその写真を渡した。

 

 

「心の底から言えるよ。あのステージは本っ当に素敵だった」

 

 

 姫乃ちゃんに渡したのは、あの時に撮った唯一の写真。

 

 青の光線と透明なバブルが織りなす幻想的なステージの上で歌う瑠璃色のスクールアイドル。口元に浮かべるシックなその微笑は、彼女を何よりも強く朝香果林という存在として表している。

 

 こんな奇跡としか言いようがない一枚がカメラの中に収められていたので、家に帰ってから自分が夢でも見ているんじゃないかと本気で思ったくらいだ。

 

 

「………………、…………ッ」

 

「? 綾小路さん?」

 

 

 しばらくの間、写真部の部室に落ちていた沈黙。

 

 その静けさを破ったのは、俺の前に立つ一人の少女から発せられる嗚咽のような声だった。

 

 顔を向けると、姫乃ちゃんは俺が渡した写真を見つめながら両目から大粒の涙を流していた。この学校で女神と崇められる彼女のそんな予想外な姿を目にして、俺が動揺しないはずがない。

 

 

「ご、ごめんっ。えっと、この埋め合わせはいつか必ずするからっ、その、今回はほんとごめん!」

 

 

 まさか泣かれるとは思っていなかったので、再び全力の土下座を決めた。

 

 この子は泣くほど朝香果林の写真を楽しみにしていた。それを裏切ってしまった俺は、どうやって罪を償えばいい? 床に額を付けてそんなことを考えていると、涙声が耳に届いた。

 

 

「……ちが、ちがい、ます……っ。こ、この写真、がぁ」

 

「え?」

 

 

 ぐすっと鼻を鳴らしながら嗚咽交じりに言う姫乃ちゃん。思わず顔を上げると、彼女は口を片方の手で隠しながら俺が渡した写真をこちらに見せてくる。

 

 

「綺麗すぎて、素敵すぎて、訳が分からなくて、もう…………っ」

 

 

 華奢なその両肩を震わせながら、零れ落ちる涙を拭うこともなく姫乃ちゃんはそう言う。感情が溢れて言葉にならないその言葉を聞いて、ようやく理解した。

 

 もしかしなくても、この子は俺が撮った一枚の写真に感動してくれているんだ。それが分かって、不謹慎ながら少しだけ安心した。俺でさえ心が揺さぶられたその写真。朝香果林の大ファンである彼女ならきっと、それ以上のエモーションがあったに違いない。

 

 

「約束だったからね。姫乃ちゃんが喜んでくれたなら、よかったよ」

 

「家宝にさせていただきますぅ…………っ」

 

 

 なんて言いながら頭を下げてくる姫乃ちゃん。

 

 よかった。一時はどうなるかと思ったけど、泣くまで喜んでくれるなら一枚しか撮れなかった件はチャラにしてくれるはず。

 

 と、思っていたのだが、どうやらそれとこれとは別らしい。

 

 しばらくして泣き止んだ姫乃ちゃんは俺を床に正座させたまま、近くにあった椅子に座りながら口を開いた。

 

 

「でも、先輩のことは許しません」

 

「…………マジですか」

 

「マジです。だって、私の依頼は果たせていませんから」

 

 

 目を赤くする姫乃ちゃんは先ほどのオーラは出していないものの、普通に怒ってはいるみたい。さっきの状態が激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリームだったなら、今は激おこ、くらいまでは治まっているよう。ちょっと古いか? 古いな。

 

 

「ですので、特別にリベンジの機会を与えてあげます」

 

「え、本当に? でもどうやって」

 

 

 訊ねると、姫乃ちゃんはその答えを教えてくれる。

 

 

「これは潜にゅ………………人づてに聞いた話なのですが、虹ヶ咲学園は夏休みにスクールアイドル限定のフェスを計画しているようなんです」

 

 

 この子いま潜入って言いかけなかった? 大丈夫かな。朝香果林が好きすぎて犯罪的なことに手を出さないといいけど。それはとりあえず流しておこう。

 

 

「もちろん、私たち藤黄学園も出させていただくつもりでいますので、そこでこの写真部のみなさん全員が私たちの関係者として死ぬほど働いてくれたら、特別に許してあげてもいいです」

 

「な、なるほど?」

 

 

 話は理解したが、死ぬほど働かなければならないのか。どうやら彼女が与えてくれたリベンジの機会というのはそういうことらしい。しかし、他の部員たちはこの子のお願いなら喜んで引き受けてくれるだろう。

 

 

「でも、次にミスをしたら…………どうなるかは分かっていますよね?」

 

 

 満面の笑みを浮かべながら圧力をかけてくる姫乃ちゃん。具体的に何をされるかは分からないけれど、正座どころの話ではなくなるのは第六感で理解した。

 

 

「せ、精一杯働かせていただきます」

 

「よろしい。では、私はこれから練習があるので失礼します」

 

 

 姫乃ちゃんはそう言って椅子から立ち上がり、この部室を去ろうとする。俺は執行猶予を与えてもらえた安堵感を感じながら、正座をしたままその背中を見送った。

 

 

「あ、そうでした」

 

「?」

 

 

 しかし、扉の前で何かを思い出したような声を零し、彼女は振り返る。

 

 そしてつかつかと俺のもとに歩み寄り、こちらに一枚の紙を渡してきた。

 

 

「夏休み期間で先輩と会えなかったのは私のミスです。ですので、今後はそうならないようにしましょう」

 

「え。これって」

 

「私の連絡先です。スクールアイドルが男の人に渡したと知られたら叱られちゃうのでヒミツ、ですよ?」

 

 

 綾小路姫乃は立てた人差し指を唇に当て、小悪魔めいた微笑みとウィンクをこちらに向けてくる。その蠱惑的な仕草に何も言えなくなった男に背を向けて、彼女はパタパタと走り去った。そして、俺は部室に一人取り残される。

 

 

「…………マジか」

 

 

 成り行きとはいえ、うっかり学校のマドンナの連絡先を手に入れてしまった。大丈夫かな。帰りに脳天に向かって隕石とか降ってこないよね? もしくはこれも全部ドッキリとか? しかし、俺のような奴にそんなもん仕掛けたって何も面白くないので、たぶんその線は薄い。であれば、これはきっと現実なんだろう。

 

 そんなことを考えながら閉められた部室のドアを見つめ、まだ高鳴っている心音を聞いていたのだった。

 

 




次話/瑠璃色との再会
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