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果林との専属契約をしてから数日後。姫乃ちゃんの予告通り、虹ヶ咲学園はお台場にあるその校舎と周辺を会場にスクールアイドルフェスティバル、というスクールアイドル限定の大規模なイベントを開催した。
広い校舎や公園内に何十個ものステージを配置し、訪れた人たちはそれぞれ目当てのスクールアイドルのライブを見に行く、というライブフェススタイルのイベント。タイムテーブルも偏りが出ないように配慮されており、上手く回ればほとんどのステージを見ることができるような設定になっている。よほどスクールアイドルが好きな人が考えた催しだと、この会場に入ってすぐに理解できた。
「部長! 次は東雲学院のステージに行ってきますっ!」
「了解。じゃあ、サポートで何人か一年生を連れて行ってくれ。ああ、SDの容量には気を付けろよ。それと、暑いから水分補給も忘れずにな」
「分かりました! では行ってくるでありますっ。……生の近江遥ちゃんに会える~、ぐふっ」
「あー、こちら部長の星だ。B班班長、藤黄のステージにカメラ足りてないっぽいのでそっちに応援願う、どうぞ」
『こちらB班班長。了解です部長。いま、虹ヶ咲の璃奈ちゃんと対戦してるので、それが終わったらすぐに向かいま────のあああああっ!? また負けたぁあああ!』
「うーし、じゃあダッシュで向かえー。ついでにしっかりそこの写真も撮っておけよー、以上。…………はぁ」
トランシーバーのプレストークから指を離し、一度ため息を吐く。それは夏の暑さのせいもあるが、主に仕事の多さが八割くらいの理由を占めている。
姫乃ちゃんからもらったリベンジの舞台として迎えたこのスクールアイドルフェスティバル。今回の依頼は、写真部全体でこのフェスの写真を撮るために死ぬ気で働く、というもの。俺一人じゃない分、労力は分散されているが、今日は部長として写真部の連中を指揮しないといけないので、その動向を監視してそれぞれに指示を出すのが超大変。合間に俺も撮らなくちゃいけないし、本当に休む暇がない。
ひとつ救いだったのは、スクールアイドルのフェスということで、写真部全員の気合いがフルマックスであるということ。普段はサボって部活に来ないくせに、こういう時は本気を出してくるのがうちの部の良い所。今日のために貯めていたバイト代をぜんぶカメラにつぎ込んだ奴らが何人かいたくらいだ。うーん、別に強制したわけでもないし、あいつらが納得していればそれでいいんだけど。むしろそのパッションを出せるのなら、普段の部活からそれくらいの熱量で臨んでほしいと部長としてしみじみ思う。
「次は…………虹ヶ咲の子か」
ポケットからタイムテーブルが書かれた紙を取り出し、次の撮影場所を確認する。
向かうのは近江彼方、という虹ヶ咲学園のスクールアイドルのステージ。確か、東雲学院の近江遥ちゃんと姉妹なんだっけ。動画でしかパフォーマンスを見たことはないが、妹があれだけ元気いっぱいのアイドルなんだから、お姉ちゃんはもっとパッション全開なんじゃなかろうか。
そんな想像をしながらステージエリアに足を踏み入れた途端、何かがおかしいことに気づく。
『…………スヤァ』
「「「「「…………スヤァ」」」」」
「…………なんだこれ」
ステージの上にスクールアイドルはいて、客席には客もいる。だが、一向にライブが始まる気配がない。むしろなんかみんな寝てんぞ大丈夫か。何があったらこんなシュールなライブになるのだろう。睡眠ガスでもばらまかれたのか?
客席に立ち尽くし、その意味不明な状況に戸惑っていると、スピーカーから眠たげな声が聞こえてくる。
『あ~。彼方ちゃんのステージに来たっていうのにお昼寝してない人がいるぞぉ。いけないなぁ』
「…………???」
『そんな悪い人には~、彼方ちゃんが眠くなっちゃう魔法をかけちゃうよ~。えーい』
「は? ちょっ、なに、え?」
ステージ上のベッドで眠っていた近江彼方に見つかり、なんかよく分からない魔法とやらをかけられた途端、どこからともなく現れた羊の着ぐるみを着た奴らが俺のところにベッド的な何かを高速で運んでくる。
「うおっ!?」
そして、俺はそいつらに押し倒され、そのフカフカなベッドに寝転ぶことに。やめてっ、乱暴しちゃらめぇ! いや、マジで何があった。
『あなたも彼方ちゃんと一緒に夢の世界に行こうねぇ。おやすみ~』
「…………ぁ」
そして、その声が聞こえてきた途端、眠気が一気に襲い掛かってくる。ヤバい。これからも撮影は続くんだから、こんな所で寝てる場合じゃないってのに。
でも、この枕やわらかくて気持ちいい。このエリアだけアロマが焚かれているのか、その匂いで副交感神経が優位になってくる。ああ、もうダメ。始まってからずっと働きっぱなしだったし、少しくらい寝てもいいよな。
「スヤァ…………」
『スヤァ…………』
そうして、俺は穏やかな眠りの世界へと落ちていった。
◇
「仕事をほっぽってこんな所で堂々と寝てるだなんて、やっぱり良い度胸してますねぇ、せーんぱい」
「────はっ!?」
殺気が入り混じった声が聞こえ、目を覚ます。一瞬、自分がなんでここで寝てるのかマジで分からなくなった。
ベッドに横たわったまま視線を動かし、そこに立つ人間を確認する。そして、俺は死を覚悟した。
「おはようございます、星せーんぱい。近江彼方さんのお昼寝ライブは楽しかったですかぁ?」
「お、おおおおはよう姫乃ちゃん。いや、これはその、可愛い魔女の魔法にかけられたというか」
自分で言ってて超馬鹿な言い訳だと思った。でもしょうがないじゃん。あの雰囲気でお昼寝しないのもなんかあれな気がしたし。俺は一人のスクールアイドルファンとして、彼女たちが表現したい世界観を受け入れなくてはならない。さすがにライブ中に寝たのは初めてだったけど。
寝転ぶ俺の顔を覗き込んでいる姫乃ちゃんは、ハッキリ確認しなくても怒っている。ダイバーフェスの時と同じ黄色い衣装を着た彼女のこめかみには、アイドルとして浮かんじゃいけない血管が浮き出ているように見えた。おかしいな。そうか、まだ寝ぼけてるんだな。そういうことにしておこう、うん。
上半身を起こして周りを見てみると、どうやら近江彼方ちゃんのライブはすでに終了しており、客席にいた客も全員いなくなっていた。嘘だろ。眠らせたらそのままなのかよ。このタイミングで起こされてなかったら、俺は完全にまた眠らされてた。具体的に言うと永い眠りの方に。
「まったく。先輩は私の頼みを何だと思ってるんですか」
「ご、ごめん。ついうっかりしてた」
頬を膨らませている姫乃ちゃんに謝る。腕時計を確認すると、どうやら三十分ほど昼寝をしていたらしい。おかげで頭が冴えてる感じがする。ありがとう、可愛い魔女さん。起こしてくれたらもっと嬉しかったな。
「それで、撮れ高はどうなんです?」
姫乃ちゃんに言われ、俺は首に掛けたカメラに目を落とす。それから一度頷いた。
「上々だよ。他の部員の方はまだ分からないけど、とりあえず朝香果林の写真だけはばっちり撮ってきたから」
姫乃ちゃんはこのフェス全体を撮ることがリベンジの機会、と言っていたが、あれは本心ではなかった。それが分かっていたからこそ、俺は部員たちに他のスクールアイドルを撮るのを任せ、ほぼ朝香果林のステージにだけ集中することにした。彼女は今日これまでに二回パフォーマンスをしているが、今回はそのどちらも完璧に撮影できた。
俺の言葉を聞いて、姫乃ちゃんはぱあっと嬉しそうに表情を明るくする。その顔を見れただけでも、頑張った甲斐はあったってもんだ。というかこの子、二回とも最前列で見てたけどな。自分のステージもあるっていうのに、全力でコール&レスポンスをするスクールアイドルにはなかなかお目にかかれない気がする。
「ありがとうございます。あぁ、また家宝が増えますぅ…………」
両手を組み、祈りをささげるような格好で感謝してくる姫乃ちゃん。家宝になるのか。ていうか、この子の部屋にはどれくらい朝香果林のアイテムがあるんだろう。割とどうでもいいけど、ちょっと気になってしまった。
「ああ、そういえば姫乃ちゃん」
「はい?」
「実は俺さ、この前」
と、そこまで言いかけた時、このエリアの入り口から一人の女の子がこちらに歩いてくるのが見えた。俺が先に気づくと、それに倣うように姫乃ちゃんもそちらに目を向け、あ、と声を出す。
「あ、朝香さんっ!?」
突然の登場に驚いたのか、姫乃ちゃんは彼女の名前を呼んでから何故か俺の後ろに隠れる。なんでだよ。あからさまに反応すると色々疑われちまうぞ。
「お疲れ様。同じ高校の二人で何を話していたの?」
「お疲れさん。まぁ、色々とな。そっちは?」
ちょうど君の話をしてたよ、と言ったら後ろにいる姫乃ちゃんに何をされるか分からなかったので、とりあえず軽く誤魔化しておくことに。俺が訊ね返すと、ステージ衣装を着た果林はすぐに答えてくれる。
「私はちょっと休憩よ。なんか、ステージを降りたらカメラマンに囲まれてね。今までその相手をしていたのよ」
「なんだと?」
食い気味に反応する俺を見て、果林はくすっと笑う。
「勝手に他の人に撮らせたからって、そんなに怒らないでよ。ファンサービスで撮らせてあげただけだから」
「べ、別に怒ってねぇし」
「あら、本当に?」
「…………ちょっとうらやましいって思っただけだ」
「あはは。あなたのその正直なところ、やっぱり好きよ」
本心で答えると、果林は口に手を当てて上品に肩を震わせる。
笑ってくれるのは嬉しんだけど、果林の『好き』というワードに反応したのか、背後に隠れている姫乃ちゃんに背中の肉をめっちゃ抓られた。痛い痛い超痛いっ。
「…………その」
「綾小路さんもお疲れ様。そっちのステージもかなり盛り上がってたみたいじゃない。さすがは人気のスクールアイドル部ね。私たちも負けていられないわ」
果林がそう言った途端、後ろからボッとコンロに火が点く時のような音が聞こえてくる。どうした。
「あ、ありがとうございます。朝香さんのステージも、とっても素敵でした」
「ふふ、ありがとう」
俺の背中から果林の前に姿を現した姫乃ちゃんは、もう熟れたトマトもビックリするくらい顔を赤くしてモジモジしながら会話をしている。そりゃ憧れの人に真正面から褒められたら嬉しくもなるわな。だが果林の言う通り、スクールアイドルの人気としては藤黄学園の方が勝っている。だから、こういう時くらいはその威厳を出してもいいんじゃないのかな。さすがに口に出しては言えないけどさ。
「そうだ、姫乃ちゃん。せっかくだから朝香さんとのツーショット撮ってあげるよ」
「ああ、いいわね。私からもお願いしたいわ。藤黄学園のセンターと一緒に写真を撮ってもらえる機会なんて、そうそうあることじゃないからね」
俺と果林がそう言うと、姫乃ちゃんは何を言われたのか分かっていないのか、顔を赤くしたまま呆然と立ち尽くしている。そうして数秒後、信じられないものを見た時のような顔になり、同時に頭から湯気が出てきた。おかしい。今の気温は三十度超えているはずなんだけどな。
「そ、そそそそそそんなっ! 私なんかが神────朝香さんとツーショットなんて、おこがましくて無理ですッ!!!」
「あらそう、残念だわ。でも」
暴走し始めた姫乃ちゃんにそう答える果林。だが、彼女はそう言ってから俺の方へと目配せをしてくる。そのアイコンタクトで果林が何を思っているのか把握できたので、俺は姫乃ちゃんに気づかれないよう、カメラを起動した。
「私はあなたとの写真が欲しいから、撮ってもらうわね」
「あ────」
そっと姫乃ちゃんの隣に並び、片腕で彼女の肩を抱く果林。片方の手では顔の前でピースを作り、彼女は微笑みながらこちらを向いた。
彼女たちが横に並ぶ瞬間を逃さぬよう、俺は瞬時にカメラを構えてシャッターを切る。そして、その不意打ちは成功した。
「OK。良いのが撮れたよ」
一枚だけだけど、これは間違いなく姫乃ちゃんのお気に入りの写真になるはず。そんな確信がある。
今はこれでいい。でもいつか不意打ちじゃなく、彼女たちが並んだ写真が撮れることを願っておこう。
「きゅぅ…………」
「あ」
果林に肩を抱かれて興奮が臨界点に達した姫乃ちゃんは、気絶するようにさっきまで俺が寝ていたベッドに倒れ込む。しかし、姫乃ちゃんはとても幸せそうな顔をしていた。よかったね。後で怒られるかもしれないが、とりあえず今はこのままにしておいてあげよう。
「それで、なんか用があったんじゃないのか?」
倒れた姫乃ちゃんを見て困ったように笑っている果林にそう訊ねる。すると、彼女は何かを思い出したというような顔でこちらを見てきた。
「そうだったわ。あなたにどうしても撮ってほしいステージがあるから、そのお願いに来たの」
「? そうか。でも今のところ、うちの部員たちが頑張ってそれぞれのステージを撮ってくれてると思うぞ」
事前に確認していたから、おそらく抜けている場所はないと思う。俺がすべてを撮っているわけではないが、写真としては残っているはずだ。
だけど、果林が言いたいのはそういうことではないらしい。彼女は俺の言葉に首を横に振った。
「最後のステージの話よ。最後はサプライズで虹ヶ咲スクールアイドル全員で歌うの。それで、その写真をあげたい子がいるのよ。だから、そこだけは星くんに撮ってほしいの」
「ふーん。でもめずらしいな。朝香さんがそんなこと言うなんて」
他人にあまり興味を示さない子だというのは理解していた。だからこそ、誰かに写真をあげるために俺に頼む、というのが意外だった。
「まぁね。でも、その子がいなかったらこのスクールアイドルフェスティバルは開催できなかった。それどころか、私もスクールアイドルを続けようとも思わなかったかもしれない」
果林は何かを思い出すような表情でそう語る。この子にそう思わせるくらい、頑張った子がいる。その子のために彼女は良い写真を撮ってほしい、と頼ってくれた。なら、俺が断る理由などあるわけがない。
「分かった。じゃあ、良いのを撮るよ」
「ありがとう。あなたに頼めてよかったわ」
「それくらい、お安い御用だ。良いステージになるといいな」
そう言うと、果林は頷いて歩き出す。
「もちろんよ。それじゃあ、よろしくね」
凛とした佇まいで去っていく朝香果林。あの春に出会った時からは、今の彼女は想像できなかった。
俺が知っているのは読者モデルをしていて、それからスクールアイドルに挑戦した彼女だけ。この短期間で朝香果林は進化を遂げた。その事実を知っているからこそ、彼女の才能と努力には驚かされる。
たぶん、俺が撮っているのは彼女の表面的なところばかりなんだ。本当はここに来るまでいろんな物語があったに違いない。それを知りたいと思うのは、きっとおかしいことじゃないと思う。
「…………俺も」
彼女みたいに、誰かを感動させる人間になれるのだろうか。誰かに憧れられるような、立派な存在に。
きっと、そうなるには努力をするしかない。そんなの最初から分かっていた。でも、あの子を見ていると改めて思い知らされる。
才能がないのなら、とにかく時間をかけて追いつくだけの能力を手に入れるしかない。頑張って挑戦して失敗して、また立ち上がる。それを繰り返すことでしか、凡人は前に進めない。ただ、それを諦めなければできなかったことだって、いつかはできるようになる。それを、俺はもう知っている。だから。
カメラに視線を落とし、そんなことを考えているとまた足音が近づいてくることに気づいた。顔を上げると、そこには何故か朝香果林が立っている。
「私の次のステージ、どこだったかしら?」
「…………」
まぁ、どれだけ頑張ってもできないことは誰しもある。
きっと、その希望も残酷さも。その他いろいろ含めて複雑に絡まり合ったものが、それぞれの人生ってやつなんだろう。
第一章/Landscape of the heart
終
次章/Summer paradise
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