こんばんは、いつも見に来てくれている諸兄よ。俺は今日も元気です。すみません、嘘つきました。
腹減った……空腹でイライラするし、食事って大切だったんだなぁ……いや、言葉としては分かっている。でも体感したことはなかった。飽食の時代なんて言われる現代の人間であった俺は多分に漏れず、本当に飢えたことはなかった。ついでに言うと、ゴブリンに転生してからも食事はちゃんと貰っていたので、空腹に悩んだことはなかったのだ。
そう。朝食に続いて晩飯もゴブリンどもは俺の1食分しか持って来なかった。それに文句を言うわけにもいかず、俺はサーラさんと少ない食事を分けあって、ぼそぼそと食べ終えたんだ。空きっ腹を抱えてようやく理解する、食事の大切さ……そういえば前世の友人で一人暮らししたやつが、食事をケチりすぎると何もかも上手くいかなくなるって言ってたなぁ……。
いや、朝晩合計して1食抜いた程度で何言ってんだ?と思われるだろうが、成長期にあるこの幼女ぼでぃと、むしろ絶食した方が体にいいよ?と医者に言われた旧メタボボディでの1食の価値は全然違うんだ。それに、ここのところはサーラさんに食事量を偏らせていたから、俺はあんまり食べてなかったんだよ。しかも、中途半端に食べてるせいか、余計にお腹が空いているような気までする……。
なお、幼女ぼでぃのぽっこりお腹はこれでへこんだりしない。だって、ぽっこり出てるのは脂肪じゃなくて内臓だから。
さて、どうでもいい話をするというノルマも終えたことだし、そろそろシリアスに入ろう。
現在は、晩飯を食べてからある程度たったところで、お隣でギャッギャ言ってたのも収まって、そろそろゴブリンどももご就寝という時間だ。しかしなんだ、繁殖部屋に凸ったゴブリンどもの数が少なかったような気がする。繁殖部屋にいる女性の数が少ないから、気を使ったのか……? え、そんなことできるの?
腑に落ちないが、少なくて困ることでもない。気にせず、行動を開始しよう。あ、その前に最後に呪文合ってるか見直しておこう……ティラヒュンカ……オンノン……よし、大丈夫そうだな。
ではサーラさんと頷き合って、作戦行動開始である。
が。早くも1歩目からつまづいた。はえーよホセ。
というのも、私室を出て、女性たちのいる部屋に続くT字路辺りまで来たところ、何やら話し声が遠くに聞こえるのだ。方向は大広間の方。まだ寝ないで騒いでるのか?と思って、ちょっと様子見とばかりに大広間を覗いてみて、少し後悔した。そして大いに感謝した。ありがとう、先に覗いてみようと思った十秒前の俺。
大広間の中央に鎮座する焚火の周辺に、なぜか5匹ものゴブリンが手に手に武器を持って集っているのだ。肉でも焼いているのか、ちょっと美味しそうな匂いが……おっと。しかもそこから少し離れた位置に1匹、こちらも短槍を地面に突き立て、その横に寝転がっている。合計6匹のゴブリン、それも全員歩哨の役だ。単に巣につく前に寝落ちしたゴブリンがいるのとはわけが違う。
女性たちが脱走するにはここ、大広間を絶対に通らなければならない。そこに普段の倍の数の歩哨。これはもしや脱走計画がバレている……? いや、昨日の今日で察知されるということはないと思うんだが……ともかく、先に覗いておいて良かった。何も知らずに3匹だと思って突っ込んでいたら、確実に危なかっただろう。
今度はちゃんとT字路で待ってくれていたサーラさんに、大広間にゴブリンが6匹いることを告げる。サーラさんはそれを聞いて難しい表情で腕を組んで考えていたけど、間もなく大きく頷いた。確かに、女性の中には後回しにすれば致命に至りそうな体調の人もいるし、時期を延ばしたとしても消耗していくばかりなのだ。
行くしかない。
俺も決意に頷くと、まずは繁殖部屋の方に向かった。幸い、起きているのも寝ているのもおらず、スムーズに繁殖部屋にいた2人と接触できた。2人は……いつもどおりに、ゴブリンどもの欲望を受け止めた後で、2人とも疲れているが、慣れているようで体を動かす分には問題ないようだった。俺はサーラさんと一緒に、寝藁を使って2人についた残滓をできるだけぬぐい取った。そのままにするには忍びないからだ。
さて、ここから先はスピード勝負である。子育て部屋襲撃、首枷の破壊、大広間で魔法ぶっぱ、裏口で木格子を燃やす、逃げる。どこにものんびりとしていられる猶予はない。
夜目とか持ってない人間の女性たちには流石に暗いようで、手で洞窟の壁を確かめながら俺たちについてくる。周りがほとんど見えないというのは大変だと思うが、彼女たちには大変な任務がある。エルフさんを連れ出してもらわないといけないのだ。そのことをサーラさんに通訳を頼んで2人にお願いすると、2人も力強く頷いてくれた。
次に子育て部屋だが……先ほどの大広間で嫌な予感はしていたけれど、やはりというか、子守役のゴブリンが2匹になっていた。1匹は柵の近くで座り込んでいる。もう一方はというと、赤ちゃんゴブリンがぐずっているようで、小柄ないつもの子守役が赤ちゃんゴブリンを抱いてあやしていた。
こちらには気付かれていない。急襲するなら今のうち。
頸枷をどうやって外すかまだ知らないんだけど、そちらはサーラさんに任せて、俺はその奥にいる繋がれていない女性2人の方に向かおう。というわけで、赤ちゃんゴブリンをあやしている子守役がふらふらと移動しているので、奴がちょうどいい辺りに移動したのを見計らい、手振りでサーラさんに合図を送って、GoGoGo!
『ギギ!?』
赤ちゃんゴブリンをあやしていた子守役が俺に気付いて、驚きの声をあげる。その声にさらに驚いたもう1匹が慌てて何事かと辺りを見回している。さてはちょっと寝てたな。
『そこで止まれ!』
赤ちゃんゴブリンを抱いている子守役が硬直する。それと、俺の声で気付いた奥の2人が腰を上げたのが見える。だが、俺が叫んだのでもう1匹の子守役のヘイトがこっちに向いてしまった。完全に目線が俺をロックオンしている。
『クク! 何だ!』
『お前も動くな! 子供を攻撃するぞ!』
『ギャギャッ!?』
俺の言葉に、子守役のまなじりが吊り上がった。まずい、脅しのつもりだったんだが、逆に怒りに油を注いだみたいだ。完全に俺以外目に映らない、みたいな顔になってしまった。
俺の位置は今、首枷をつけられている女性2人の間あたり。奥の女性たちまであと5メートルくらいというところ。俺めがけて子守役が走ってくる。まずった、ここで捕まるわけには――と思った瞬間だった。俺の肩をかすめて凄まじい勢いで伸びてきた何かが俺の目の前でゴブリンを捕まえたかと思うと、ガッシャンと鎖の大きな音とともに壁際にゴブリンを引きずり寄せた。驚きながら振り向くと、なんと獣人の女性のおみ足にゴブリンがとっ捕まっていた。カニバサミの要領で。
『グギギギ、放セ!』
呆然と獣人の女性を見上げると、なんとも得意げな表情の彼女。これは惚れるわ。
いや、そんなことを言ってる場合じゃない。俺は奥の2人のもとに駆け寄ると、既に立ち上がっていた女性たちの手を取った。一瞬、びくりと女性たちの体が硬直するも、俺の小さな手だと分かるとすぐに緊張を解いてくれた。そのまま2人の手を引いて、首枷をつけられた2人の横を通り過ぎる。赤ちゃんゴブリンを抱いた子守役は完全に混乱してしまっていて、ギャ?ギャ?っと言いながら棒立ちのまま。捕まったゴブリンの方はというと、獣人の女性は器用にもゴブリンを足だけで転がして、上に乗っかってしまっている。すげぇ身体能力だ。
おっと、見惚れてる場合じゃない、頸枷を外さないと。サーラさんの方を向くと、サーラさんは2人の人間の女性と共にエルフさんを何とか持ち上げたところだった。何故か、獣人と人間の、首枷を嵌められた女性たちの方に近寄ってすらいない。いや、この人たちは?
「さ、サーラ?」
「…ニエラ。行く」
「サーラ!?」
いやいや、待ってくれ。ちょっと待ってくれ。確かに、子守役が2匹いるなんてアクシデントはあったが、攻撃的な子守役は今うつ伏せで獣人の女性に潰されてしまっているので、多少の時間くらいならあると思うんだが……。
……まさか、最初から、助ける気がなかった……? サーラさんにも何も手がなかったのか……!
……置いて、行くしか、ないのか……?
あんな大見得を切っておいて、いざ事となれば何もできない……恐る恐る顔を上げると、そこにあったのは獣人の女性の厳しい顔。怒られる――反射的に目を閉じてしまった俺に降ってきた言葉は、俺の想像の埒外のものだった。
「ニエラ、行く」
……え? 今のはエルフ語で、でもサーラさんじゃないよな。となると……もう一度獣人の女性を見上げると、獣人の女性はニヤリと笑ってみせた。そうしてまた厳しい顔つきでもう一度「行く」、と。
彼女は、自分が助け出してもらえないことを、承知していたのか……。
それでも動けないでいる俺に対し、彼女は三度、今度は吠えるように。
その声に弾かれるように、俺は先頭に出るべく、女性たちの手を強く握りしめて走り出した。
大広間の入口についた時、歩哨のゴブリンどもは何やらゴブゴブと話し合っていた。時折、こちらに向けて指をさしているところを見ると、子育て部屋でゴブリンが騒いでいることを不審がり始めているようだ。ギリギリ間に合った。即、火のヒュンカの召喚の詠唱を開始する。
ティラヒュンカ ヴォストー オーヌーン
ホリオン サニン ティルヴォン イレス
オンノン サニッル モーガヌンヴェアモン
一字一句間違えないよう、丁寧にしっかりと発音する。ああ、そう言えばできる限り近付くとか何とか言ってたけど、もう間に合わないな。頼む、成功してくれ!
ヴォラオアコアスタ エルローン ユードゥッソ
最後の呪文を唱えた。と、全身から熱量を強制的に持っていかれたような感覚にゾワリと総毛立つ。実際に減っているのは魔力だ。よかった、成功したみたいだ。
大広間の真ん中にある焚火の炎が不自然に揺らめき、自身の意志によって己の形を決めた。そこに現れたのは昨日の生ける炎のような不定形ではない。長い毛を纏った大きな赤い鼠だ。大きいと言ったが鼠にしては、であって、焚火をする場所として石で囲われている中に普通に収まる大きさなので……体だけで30センチくらい?
唐突に表れた火鼠にゴブリンどもはぎょっとして腰を浮かせかける、が、それよりも俺が呪文を唱える方が早い。火鼠、ファイアーボールだ!
《――――!》
瞬間、火鼠はその場で爆発した。
……爆発した。熱風がここまで届あっちぃ! これ閉所で使っていい魔法じゃねーぞ!
え、待って、しかも火鼠死んだ!? これファイアーボールじゃなくて“だいばくはつ”じゃねーか! もう一度召喚の呪文唱えないといけないのか!?
なんてパニックになりながら焚火場の方に目を向けると、なんとそこには元気にこちらに向かって走ってくる火鼠の姿が! もう絶対屋内でファイアーボールなんて唱えないよ!(震え声)
突然の爆発に後ろの女性たちも度肝を抜かれていたのだが、この結果を知っていたサーラさんによって即座に再起動されたようで、俺の背中を突いてくる。ありがとう、俺も我に返ったよ。
駆け寄ってきた火鼠はするすると俺の体を登って、肩に。火で毛皮とかができてるから熱いのかと思ったけどそんなことはなく、やや暖かいくらいだ。もしかしたら調整してくれているのかもしれない。しかも体重を感じないんだけど……まぁ、その辺の考察はまた後で、今はこの爆発の混乱に乗じて逃げるのみ。
背後ではゴブリンどもの悲鳴が飛び交っており、焚火の近くにいた5匹のゴブリンは、おそらく戦闘不能だろう。が、1匹、怒号を上げる奴がいる。少し離れて寝転がってた奴だ。運良く爆発に巻き込まれなかったらしい。あいつ、確か短槍を持ってたな。あんなので刺されたらたまったもんじゃない、迎撃すべきか?と後ろをちらりと見ると、そのゴブリンが今は顔を掻き毟ってもがき苦しんでいた。よくよく見ると、顔に薄い青色の何かが……水のヒュンカに顔に張り付かれて窒息させられているようだ。サーラさん、運用方法がえぐい……。
後ろの惨状からはそっと目を伏せ、今は裏口へと向かう。それに、大広間とその先の中部屋をつなぐ通路は狭い。人間の女性たちが確実に移動できるよう、光源となっている火鼠を持って頭上に掲げる。俺はちんまいので、手を上げても通路の天井にも届かない。
そうして着実かつ迅速に通路を進んでいると、中部屋につく直前で俺の耳がゴブリンの声を拾った。これはまずい、普段はこの先の中部屋には歩哨は立っていないんだが、今日に限っているようだ……いや、違うな。おそらく、陰険野郎が警備を厳重化したんだろう。俺たちの脱走計画を知っていたとは考えられないし、もし知っていたのならもっと直接的な手段を取っただろうから……おそらくは食事を減らされたサーラさんが脱走するかも、といった漠然とした予感に従った結果だろう。
いや、そんなことはどうでもいい。今やるべきは、攻撃だ。迅速にゴブリンを排除し、木格子の扉を開けなければならない。あの大騒ぎだ、その陰険野郎もすぐに駆けつけてくる。そうなればゴブリンどもが統制を取り戻す。今なら多分、即攻撃されるようなことはないだろうが、奴の命令となれば話は別だろう。
俺は覚悟を決めると、先頭切って部屋に飛び込んだ。
いたのは歩哨が2匹、部屋のほぼ真ん中あたりに立っている。右にいるのは短剣を、左にいるのは短槍を装備している。案の定、俺が部屋に飛び込んできたことに目を白黒させている。先制攻撃美味しいです。
頭上に掲げていた火鼠が俺の手から飛び降りて、毛を逆立ててゴブリンどもを威嚇する。この段になってようやく2匹は俺が敵だと認識したようだったが、遅い。
ファイアーボール……いや、ダメだ、ゴブリンが近すぎるし、部屋も大広間に比べて狭すぎる。確実にこっちまで燃やされることになる。となると、ファイアーアローの方か。迷っている暇はない、左の短槍を装備したゴブリンを指差し、呪文を唱える。
いけ、火鼠、ファイアーアローだ!
《――!》
火鼠が音とは形容しにくい波動を放出して、鳴いた? するとその体から三条の火の矢が飛び出して、ゴブリンの顔、肩、体に炸裂した。
『ギイィィイィィ!?』
死にはしないが、肉の焦げる臭いがするあたり、相当なダメージのようだ。顔を押えて床を転げまわるゴブリンに、ちょっと気分が悪くなる。だが、これで少なくとも戦闘不能だろう。もう1匹の方も、相変わらず毛を逆立てて威嚇する火鼠に、腰が引けている。というか気持ち悪い……あー、これ魔力の欠乏か……。
ちょっと俺がふらふらしている間に、後続の女性たちが部屋に入ってきた。と、先頭で入ってきた人間の女性が猛ダッシュしたかと思うと、ファイアーアローを打ち込んだゴブリンが持っていた短槍を拾い上げて、ゴブリンに突き付けた。だが、身のこなしは良いものの、短槍に慣れているようには見えなくて、牽制が精いっぱいのようである。おそらくだが彼女は戦闘職ではあるものの、普段槍は使わないのだろう。
などと考えている間にどんどんと女性たちが部屋に入ってくる。なんだか切羽詰まった顔と、焦ったような口調から察するに、どうも後ろからゴブリンどもが追いつきかけているらしい。これは早々に扉を開けないと、この狭い部屋の中で乱闘するハメになりかねない。だが、俺は約束の魔法2回を撃ったことによるガス欠でグロッキー状態。もう1発魔法を撃てば確実に意識が落ちるという、嫌な自信満々の予感がある。ここで木格子の扉に向けてファイアーアローを使って、後はサーラさん達に託す? だが、エルフさんに加えて俺まで足手まといになれば、ゴブリンどもの追手から逃げきれないかもしれない。そんなことはないと信じているものの、極限状態になれば何が起きるか分かったものではない。つまり、俺だけゴブリンの巣に取り残される、なんてことも……ないと信じてるけどね?
ならばと、扉に直接取り付いて火のヒュンカ自身に焼いてもらおうにも、部屋中央のゴブリンが邪魔。短槍を持った女性が牽制しているけれど、1人ではちょっと荷が重そうだ。何せ防具なんて何もないから、ゴブリンの短剣が当たるだけでまずいことになる。
と、どうにか手がないかと模索していたところに、人間の女性陣では最後の人が、これまた短槍を手に部屋に飛び込んできた。そんなのどこで拾って……あ、水のヒュンカに溺れさせられたアイツのか……しかも腕前は先の女性よりも上のようで、堂に入った構えで俺の前に躍り出ると、2人掛りでゴブリンを攻撃し始めた。さすがに2対1で、かつ短槍2本と短剣では勝ち目がないと悟ったゴブリンは何を選択したかというと、逃走であった。不慣れな方の女性の脇を一瞬の隙を突いて駆け抜けると、俺たちが入ってきた通路から一目散に逃げて行ったのだった。
ともかく、これで木格子に近付ける――と思ったところにまたも予期せぬインシデントである。
「ローヤーン!!」
さっき逃げたゴブリンとすれ違うように部屋に飛び込んできたサーラさんが、いきなり知らない単語を叫んだ。するとこれに呼応して、狭い部屋の中を荒々しく風が吹き始めたのだ。その風は何と徐々に青と緑のグラデーションに色づき、小さな子供のような姿を取った。
これはまさか……風のヒュンカ? 確かにこの部屋は洞窟内では珍しく、しっかりと風を感じられる場所だ。そのおかげで実体化に必要な風が足りたとか、そういったことなんだろうか? とはいえ、あの長ったらしい呪文は要らないの?とか、風のヒュンカとか聞いてないんですけど?とか、いろいろ言いたいことはあるものの……今は飲み込みましょう。水のヒュンカには悪いけど、あの子よりも戦力値高そうな子が来てくれたぞ!
「ティーラ ヴォソロ!」
サーラさんが呪文を唱え、風のヒュンカが声なき声を響かせる。それに呼応して大気が鳴動する。風の魔法だ。通路の入口周辺の砂ぼこりが通路に凄い勢いで吸い込まれていったのが見えた。多分、通路に突風を吹かせて、ゴブリンどもを押し流したんだろう。
もう少し攻撃的な魔法はないんだろうか? それとも、ファイアーボールと同じで、周囲に俺たちがいて被害が出るから使えない、とかだろうか?
何はともあれ、障害は排除された。途中で火鼠を拾いつつ木格子の扉に向けてダッシュし、扉の鍵が取り付けられている木製のフレームの上に火鼠を置いた。きょとんとする火鼠の表情の豊かさにちょっと驚きつつ、焼いて欲しい部分を指でとんとん叩いて、火!火!とか、自分でもアホ丸出しだなーと思う説明をした。一応何とか通じたようで、木に齧りつく火鼠。火鼠の毛が逆立って炎のように揺らめき、俺の顔にも熱波が届く。木の色が見る見るうちに黒く変わり、焦げる臭いと煙が辺りに立ち込めはじめた。
やはり瞬時に燃やすというわけにはいかないが、この分であればそう時間もかからずに壊せるくらいにはなりそうだ。
サーラさんがさらに、3度目となる風の魔法を通路に向けて放つ。突風を吹かせてるだけのようであるし、足止めの効果はさほどでしかないのだろう。さらに短槍を装備した人間の女性2人が通路の入口の左右に陣取ってゴブリンを牽制している。今は何とか均衡しているが、サーラさんの魔力が切れる、短槍を奪われる、強硬に突破されるなどとなれば、俺たちは窮地に立たされることになる。
ジリジリとした耐えがたい時間が流れる……。
木が黒く変色した部分もだいぶ広がったし、そろそろ壊せるんじゃないだろうか。そう焦燥に駆られて扉を揺らしてみると、前はびくともしなかったのに俺の力でもギシギシとわずかに揺れ動くようになった。おお、これは!と思った瞬間、今まで燻り、溜まり続けていた熱が臨界点を越え、ボッという音とともに火がついた。
「サーラ! 火!」
「!! ミラ!」
俺の呼び声とサーラさんの声に反応して、玄人の動きで槍を振るっていた女性がさっそうと駆け寄ってきて、扉に華麗に蹴りを一撃。これによって錠が取り付けられていた部分がバキャッっと弾け飛び、蝶番を壊す勢いで扉が開いた。ついでに、扉に齧りついていた火鼠も一緒に吹っ飛び、ころころと木格子の向こう側に転がっていってしまった。
声なき声を上げて火鼠が憤慨する。申し訳ない、でも今はちょっと気を配っている余裕がないんだ。
開いた――ついに、扉が、開いたんだ!
……ああ、感動に浸っている暇はない、早く脱出しないと。
扉が開いたのを確認して、短槍を持たない女性2人が体に鞭打って立ち上がり、エルフさんを担ごうとする。が、柔らかそうな体をしているこの2人はそれが物語っているように、力仕事を生業としていたようではなく。しかも、2人はゴブリンに生け捕られるという最悪極まる環境に長く晒されてきたのだ。その上、意識のない人間は重く感じる。それらの積み重ねがここに来て、腕力の限界という形で現れた。目に見えて震える腕で、それでも憤怒の形相でエルフさんを持ち上げようとする女性たち。そこに短槍装備の2人も加わって、何とか木格子の扉をくぐり抜けた。が、くぐり抜けた先でエルフさんを放り出すように倒れこむ2人。
とにかく、俺も続いて扉をくぐる。それを確認していたサーラさんが最後に、もう1度風の魔法を通路に向けて撃ち放ち、足早に木格子に駆け寄ってくる。火に気を付けながら扉をくぐり抜けるサーラさんの横顔には疲労が色濃く出ていた。どれほどの魔力を消費するのか分からないが、この短時間に合計4度も魔法を使い、その前には俺に魔力を融通してくれていたんだ。おそらく、サーラさんも限界が近い……。
そしてこの状況に拍車をかけるように、通路からゴブリンどもが次々と顔を覗かせる。奴らはこちらを視認し、ニィっと喜色に口の端を歪めた。
何とかして時間を稼がないとならない。その一心で何かないかと周囲を見回すも……何もない。多少の邪魔にはなるかと思って扉を閉めてみるが、玄人さんの蹴りの一撃で蝶番が歪んだようで、ちゃんと閉まらない。
――ゴブリンどもが距離を詰めてくる。
肩でタックルして何とか閉まったと思ったところに、二の腕に感じる軽い衝撃と圧迫感。目の前にはゴブリンの顔と、格子の隙間から差し込まれた緑色の手。それが俺の腕を掴んでいた。生臭い吐息が俺の顔にかかる。言いようの知れない悪寒が全身に走った。
――捕まった! ど、どうすればいい? ゴブリンどもがわらわらと出てくる、逃げられない。扉もすぐに押し開けられる。あの2人は立つのも精いっぱい、逃げられない。
どうする、どうする、どうする――
『ギギャアァッ!?』
空転する思考に喝を入れたのは、俺の目の前のゴブリンに突き入れられた短槍だった。玄人さんの手がゴブリンの手を振り払い、次いで俺を後ろに放り投げた。1メートルも飛んではないけれど、木格子とゴブリンから少し離れられて一息付けると思ったところで、ようやく俺は自分が息を止めていたことに気が付いた。
ちょっとした酸欠に喘ぐようにして呼吸する俺の目の前では、さらにもう1人の短槍装備の女性が扉に駆け寄ってきていて、扉越しにゴブリンに攻撃を加えていた。流石にゴブリンも扉に近寄れないが、向こうにも短槍持ちは何匹かいる。そいつらがお返しとばかりに格子の隙間から短槍を突き入れてきて、それを女性が何とか躱すも、格子から離れてしまった隙にゴブリンが扉を開けようとして、もう一方の女性が扉に蹴りを入れてこれを防ぐ。
そんな一進一退の攻防が繰り広げられる中、さらなる絶望が現れる。奴だ。陰険野郎が通路の奥から現れたんだ。奴はマズい、眠りの状態異常を使う。こんな状況で1人でも眠らせられれば、本当に終わりだ。
奴は部屋を睥睨し、俺に目を止めると、杖でこちらを指し示した。
『ククを捕まえろ!』
陰険野郎の号令にゴブリンどもが奇声を上げて追随する。短槍持ちとかそうでないとかもはや関係なく、無意味にこちらに突っ走ってきては、木格子によじ登る奴まで出てきやがる。扉にかかる圧もさっきとは桁違いで、女性2人の短槍なんかでは止められるものではないことは明らかだった。
「――ヴォソロ!」
圧に負ける! そう思った最高のタイミングでサーラさんが風魔法を撃ち放った。俺の周りでもすさまじい風が渦巻いたが、不思議と俺自身は吹っ飛ばされることもなく、木格子に鈴なりになっていたゴブリンどもだけが綺麗に転がされていた。が、狭い通路に向けて撃つのと、それの何倍も広い部屋の中では威力に差があるのは当然の話である。サーラさんの風では木格子に張り付いたゴブリンを引きはがすだけで、後ろにいる陰険野郎を打ち倒すようなことまではできなかった。
このままでは全員が捕まる……。
何か俺にできることは……できること…魔法……魔力切れで俺は倒れるだろうが、あと1回は使えるはずだ。目標は俺たち全員がゴブリンから逃げ切ること。そのためには……陰険野郎を攻撃するか? いやでも、ゴブリンどもには既に号令が下っている。陰険野郎をどうにかしても、あの熱狂を覚ます一撃が別途必要になるはずだ……。
どうすれば……。
俺の思考がまとまらない間も、風で吹き飛ばされたゴブリンどもがまた立ち上がり、木格子に向けて突進してくる。と、槍上手の人間の女性が、扉と木格子との間に短槍をくさびのように打ち込んだ。扉が開くと思っていたゴブリンが扉に突撃して、頭を強かに打ち付けてもんどりうって倒れた。ついでに後続に踏まれた。上手いっと思ったものの、これは扉の隙間を潰して開かなくしているだけなので、少しの時間稼ぎにしかならないだろう。現に後続のゴブリンが格子の隙間から手を入れて槍を抜こうとしていて、女性が柄を押えて何とか防いでいる状態だ。
……時間稼ぎ……扉を開けられなくする……そうか、時間稼ぎでいいのか。何分稼げば大丈夫、なんて確かなことは言えないが、1時間も稼げればおそらく逃げ切れるだろう。そのために扉を開けられなくする。その方法も何となくだが頭によぎった。
天井を崩して、埋めてやろう。
どうやるか。ファイアーボール? おそらくダメだ。洞窟の壁は固い、仮に崩れても扉が埋まるような量は降ってこないだろう。では? ところで、ヒュンカには火、水、風が存在している。なら当然、土も存在してしかるべきだよな? ああ、俺は土の魔法は教えてもらってない。ヒュンカを呼んでる暇もないだろう。前の呪文がそのまま流用できるかも知らないし。だが、ヒュンカがいなくとも魔法は発動する。いや、正確にはヒュンカを事前に呼び出していなくても、か。
暴発させるんだ。
いや、それだと火が出るんじゃないかって? 確かに、俺には火の資質があるだろうから、その確率は高い。ただ、魔法の発動をヒュンカに頼むという形式、そしてヒュンカ達に意思のようなものが存在することから、1つ推論が成り立つ。あの時火が出てきたのは、俺の怒りに火のヒュンカが応えたんじゃないか、というものだ。火だからな、怒りとかの激情と親和性が高いというのは、アリじゃなかろうか?
つまりだ。土と親和性の高そうな心持ちで、天井を狙って、土の魔法を暴発させる。
……我ながら、頭おかしいんじゃないの?ってレベルの無茶ぶりだ。だが、これはサーラさんには任せられない。サーラさんが土のヒュンカを作れるのなら、とうの昔に作っていなきゃおかしいからだ。つまり、サーラさんには土の資質がないんだろう。
なら俺にはあるのかって? 知らん。あるかないかは賭けだな。
それよりも、土と親和性の高そうな心持ちの方が難しいんじゃないか? どんな気持ちだよ……土……大地…ガイア? 地母神? 全てを受け入れるとか母性とか、静かとか雄大とか? まぁ少なくとも、怒りよりかは近そうだ。
さて……この賭けに勝とうが負けようが、俺は意識を失うだろう。次に目覚めるのが安全な場所なのか、それともゴブリンの冷たい巣穴の奥なのか。まぁ、やらなきゃ負けは確実だ。そして――いや、今言うべきでもないか。
――――覚悟を決めた。やるぜ。
「土のヒュンカよ、俺の願いを聞き届け給え。俺の残る魔力を全て捧げる。だから、少しでいい、扉を埋めるだけでいい。天井を崩してくれ!」
――全身から熱量が失われる。血の気が引いたように目の前が真っ暗になる。ざあざあと酷い耳鳴りがする。
遠くで、土砂のふる音が、おれのみみに、とどいた――
しかもパソコンのフリーズで4000文字くらい吹っ飛びました。皆さんもこまめな保存を心掛けましょう(2敗目)。
あと、次週はお盆でお休みさせていただきます。
21/8/12
ファイアーボールなんて唱えないよ!(震え声)。→。を削除
そのとおりです。ここに句点は要りません。
太陽のガリ茶さん、いつも誤字報告ありがとうございます。
-/-/31
大広間の中央に鎮座する焚火の周辺に、なぜか5匹ものゴブリンが手に手に武器を持って集っているのだ。
→「手に手に」というのは、皆がそれぞれの手に、という意味です。なのでここは、5匹のゴブリンが全員手に武器を持っている、という意味です。