かかったのに、結局こんなものに……。
「あたし、冒険者になる!」
なんて、突拍子もないことを言って、村を飛び出して行ってしまった妹のティーラからの手紙が途絶えて、早3年。寿命の長さに比例するように気の長い私たちではあるけれど、それでも3年という月日は看過できないものだった。
心配で心配でたまらなくなった私は、村の長に無理を言って、あの子を探すために村を出た。あの子が最後に手紙を書いたのは、徒歩で向かうなら山や川を迂回する必要があり、余裕で一月はかかるところにある、人族の街。ただ、私には空の契約精霊がいる。この子に運んでもらえば直線で進むことができるし、2日も飛べば着くと思われた。
この時、私は村を出るということを、甘く見ていた。あの子が心配で、いてもたってもいられなかった、というのもある。精霊と親しいエルフの中でも珍しい、“空”の精霊と契約を交わしたことで慢心していた、というのもある。これらは反省しなきゃいけないところ……。
でも、私はこの時の決断を後悔はしていない。だって、そのおかげで、死ぬ前にもう一度、あの子と会うことができたのだから。
空の精霊に運んでもらって約半日、そろそろ山越えかな、と言うところで日が傾き始めたので、一度下に降りることにした。山の裾野に広がる森はなだらかで静かなところだった。エルフである私にとってはただの道と同じようなもので、そのことが私に“もう少しだけ進む”という選択を採らせた。
今思えば、この森はあまりに静かすぎた。動物、とくに肉食獣の気配が極端に少なかったんだ。しかし、私は狩人や戦士といった職ではなく、それが意味するところを深く考えもせずに、あと少し、とはやる気持ちに背中を押されるように進んだのだった。
結論から言うと、私はゴブリンに捕まってしまった。いくら戦闘の心得がないと言っても、生まれて150年以上を森の中で暮らすエルフなの。返り討ちは厳しくとも、追跡を撒くくらいはどうってことのない仕事のはずだった。けど、ゴブリンはなんと、森の中に罠を仕掛けていたのだ。跳ね上げ式の括り罠だ。それに足を取られ、あっ、と思ったときにはもう何もかもが遅かった。
こっちを捕らえようとするゴブリンを空の精霊で牽制しつつ、足の縄を切ったはいいけれど、周りのゴブリンはどんどんと増えていく。頭上を覆う木々を突っ切って空に逃げるべきか、と思った時に、そいつが現れたんだ。
不気味な杖が振り上げられた。
――この後のことは、思い出したくない。
私が連れ込まれたのは、ゴブリンの巣穴の奥の奥。ゴブリンは巣の奥にお宝をため込む習性がある、なんて聞いていたけれど、まさか自分がその“お宝”としてしまい込まれるとは思ってもいなかった。
私は、こんなところで立ち止まっていられない!なんて心を奮わせてみるものの、首に嵌められた重たい感触と、体中に残る苦痛がその心を萎れさせる。
洞窟の中は土の精霊の気配が強すぎて、風の色が濃い私の契約精霊は入って来られない。しかも悲しいことに、私は土の精霊との相性がとても悪い。木と土と水に囲まれて生きるエルフにあるまじきことなのだけれど、悪いものは悪いんだから、しょうがない。水の精霊との相性は良いんだ――いえ、不貞腐れていても、それこそしょうがない。何としてもここから脱出しなければ……。
洞窟の奥はとても暗かった。巣の所々で松明が焚かれていたけど、その光はここまでは届かない。夜目を持っているゴブリンにはこれで十分なのかもしれないけれど、夜目や暗視がない私には本当に何も見えなかった。かろうじて出入口がぼんやりと明るく見えるかな、という程度だ。
しかし、エルフには……というよりも、精霊使いにはこういった場合に役に立つ魔法がある。別に暗闇を見るための魔法ではないけれど、月のない夜の森は本当に暗くて、そんな際にエルフはこの魔法を使うんだ。
《精霊の目》
月神から下賜された魔法の1つ。これは、精霊力の濃淡を見ることができるようになる魔法。
ただ、洞窟内だから周りは岩や土だらけで、土の精霊の力が非常に強い。なので、視界は土の精霊力を表す黄土色一色に塗りつぶされた。そしてその中に浮き彫りにされるように3つの命の精霊の力が見えた。大まかなシルエットしか分からないが、人族の女性2人と、獣人族の女性だ。彼女たちは壁際の草の寝床で死んだように眠っていた。
で、私の首に嵌められている重い何かだが、残念ながら視界的な意味で見えない。まぁ、首輪だろうとは思う。そしてそれには鎖が繋がっていて、その先は壁の高い位置にある留め具に繋がっていた。鎖を少し引っ張ってみたが、ジャラジャラという鎖のこすれる音と、硬い手応えが返ってくるだけだった。首輪の方も、私の力ではどうにもならないくらい、しっかりした作りだった。
――絶望に打ちひしがれていた私は、この日、奇跡と出会った。
膝に額をつけて涙をこらえていた私の耳にゴブリンの鳴き声が届いた。また来たのか、と顔を上げた私の視界に、暫くして映ったのは、小さな子供のエルフだった。
……その、本当にエルフにしか見えなかったんだ。エルフもゴブリンも、元をたどると同じ祖に行きつくのだけれど、ゴブリンはその生態故に混血が進んでいて、今やエルフとはかけ離れた命の色をしている。ところが、私の前に現れた小さな……便宜上ゴブリンと呼ぶけれど、そのゴブリンはエルフとほとんど同じ命の輝きを放っていた。
そして、その子ゴブリンは、何故か私を助けてくれた。
私の首につけられた鎖の先を外してくれて――今でも微笑ましくなる光景が思い出される。
ゴブリンの闇神官が私を取り戻しに来た時も、牙を剥いて威嚇してくれた。
この子がエルフなら、同じエルフである私を助けてくれるのは、理解できるのだけど……ゴブリンの巣穴にエルフの幼児がいるわけがないと思いつつ、私と同じくエルフなのかと尋ねてみると、この子は首を振って否定した。何故ゴブリンが私を助けてくれるのか、この時は分からなかったけれど、一月もこの子と過ごすうちに、だんだんと理解できた。
まず、この子は異常なまでに頭が良かった。そう、異常だ。世界のどこにエルフ語を習いたがるゴブリンがいるのか。しかもこの子はどうみても幼児。ゴブリンは1年で大人に育つというので、生後数ヶ月といったくらいだと思う。なのに、この子は私の言うエルフ語のほとんどを理解した。2週間もすれば、単語だけだけれど、私に通じるエルフ語を話すようにまでなってしまった。
……これを、“頭が良い”と形容して良いのかどうか、私には分からないけれど……ひとまず、この子は頭が良い。この巣でどういったことが行われているのか、誰がどんな目に遭っているのか、将来どうなるのか。そういったことを理解できてしまう頭がこの子にはあるんだ。
そんな頭を持ってるせいだろうか、この子は臆病だった。ゴブリンが隣の部屋で女性たちを相手に乱暴を働いている間、この子は耳を塞ぎ、丸まってその時が過ぎるのを待った。ゴブリンが私とこの子の世話をするために、日に何度か部屋にやってくるのだけれど、そのたびに私に抱き着いては、ゴブリンをやり過ごした。
この子はきっと、庇護してくれる者を探していたんだろう。それが私になったのは、巣に連れられて来て初日だったからなのか、それとも私の外見が似ていたからなのか……。
私はこの小さなゴブリンに名前を付けた。エルフは子に名前を付けるとき、父母が話し合って言葉を1つずつ贈る。そしてそれには古来の言葉を使うのが慣習である。古き言葉はそれだけで力を宿す。名前は私たちの身を守る最初のおまじないだ。まぁ、この場には私しかいないので、そこは許して欲しい。
私が考えたのは、ニエラハーサというもの。古エルフ語でゴブリンを意味する《ハーサ》、そして幼いという意味の《ニエラ》。ニエラハーサ。おそらく先祖返りでも起こしたのだろう、この小さな子ゴブリンにはちょうど良い名前だと思う。
そんなゴブリンらしからぬニエラとの生活は一月で終わりを告げた。とは言っても最悪の事態になったわけではない。むしろ、奇跡と言っても良いものだった。
ニエラはこの巣から逃げ出したがっていた。それに、巣に囚われている女性たちも助けたかったようで、私はニエラに連れられて、囚われの女性たちと接触することになった。
……あぁ……あぁ……。
ここで、こんな出会いをするなんて、私は全く思っていなかった――いえ、思いたくなかった。
今思えば、ニエラをあっさりとゴブリンだと信じたのは、あの子が自分で言ったということ以上に……こんなところでエルフの子供が生まれるということを、その意味するところを、無意識のうちに拒絶していたんだと思う。こんなところに、あの子がいるはずがない……いて欲しくない、って……。
――心が絶望に染まる。
あの子の輝かしい程の顔は、今は見る影もない。長い間、理不尽に晒され続けたに違いない。頭髪はほぼ抜け落ち、頬はこけ、眼窩は落ち窪み、目は開いているがどこも見ていない。全身に残る残虐の跡。それどころか、欠けて足りない部分が何カ所もあった。
それでも私は、あの子を見違えなかった。だって、100年以上も姉妹として、隣にいたんだ。あの子の命の輝きの色彩を、私は絶対に忘れない。
――全身が震える。視界が揺れて、定まらない。立っていられない。
何とか這いずり寄ってあの子を抱きしめた。頭を抱きよせ、耳元で何度も、何度も、何度も名前を呼んだ。
――でも、あの子の魂は、戻って来なかった。
次の日、ニエラが精霊を暴走させた。
ゴブリンの闇神官が月神の眠りの魔法を使ってまで私を連れ戻そうとしたからで、それにニエラが怒り、その怒りに、ゴブリンの取巻きが持っていた松明にくっついていた火の精霊が呼応したんだ。精霊に無作為に力を行使させるのは非常に危険で、特に火の精霊が危険なのは言うまでもないことなんだけれど。でも、この事態を前にして、私は別のことに心を奪われていた。
なぜ、最初にゴブリンの闇神官が来た時に気付かなかったのか。これも無意識のうちに、気付かないふりをしてしまったんだろうか。
松明の光の下で見るニエラは、本当にエルフそっくりだった。いいえ、エルフというよりも、あの子……妹、ティーラの子供の頃にそっくりだった。もし子供の頃、ティーラの隣にこの子がいれば、私は何の疑いもなく、この子をティーラの双子の姉妹だと思っただろう。ひいては私の妹でもあるわけだから、そんなことは起こり得ないんだけれど……それくらいに、ニエラはティーラにそっくりだった。
私は確信した。ニエラはティーラの娘だ。
私は、我らが始祖に誓った。
この子は絶対に死なせない。
この後、私とニエラは逃げ出す算段を立てた。本当はニエラには、ちゃんと学ばないままに精霊を使って欲しくはなかったけれど、ニエラが火の精霊と一時契約を交わして戦力となれれば、巣からの脱出も容易になる。それに、私には天の契約精霊がいる。荒事には正直ちょっと向かない子だけれど、外に出られれば飛んで逃げられるんだから、多少の無理も通そうというもの。
……ティーラの命がもう尽きかけようとしているのも、急ぐ理由の一つだ。
私はニエラに、魔法は2回までと厳命して、精霊魔法の一部を教えた。なのに……この子は命を振り絞る無茶をしてまで私たちを脱出させてくれた。
村への道中、私は気が気じゃなかった。
ニエラは生命力の欠乏で昏睡状態なのに、私は空の精霊のために生命力をとっておかないといけない。一緒に逃げ出した人族の娘たちは皆、戦士かただの村人で、生命力を譲渡できる人はいなかった。それにティーラの容態も心配だった。日の下で改めて見るティーラは……生きているのが不思議な状態だった。
私は空の精霊をなだめすかして、大人6人子供1人を飛ばすという荒業でもって、当初は半日だった行程を丸二日かけて村にたどり着いたのだった。
村にたどり着いてからも大変だった。だって、妹を探すと言って出て行った姉が、たった一月で帰ってきたかと思うと、半死半生の妹に、人族を4人、極めつけはエルフの幼子(に見えるゴブリン)を連れてきたのだから。村は上を下への大騒ぎになった。
人族の娘4人は、言うと悪いけど、別に重要じゃない。人族の中にはエルフを捕らえて奴隷にする、なんて頭のおかしいのがいるけれど、この4人についてはそんな心配はない。村の位置を黙っているという誓約さえしてもらえれば、すぐにでも街に送り返してもよい。まぁ、村に滞在する場所にちょっと困るというくらいだ。なので急遽、樹の精霊に頼んで部屋が1つ作られた。
ティーラは、村の治癒師に預けられた。私は後に語る別件のために居合わせられなかった。後で父と母に聞いたところ……もって一月、ということだった……。
そして私はというと、村の長と、各部の長たちを相手に熱弁をふるい、ニエラの生存を勝ち取ったのだった。後に村の長から、あれは議論ではなく恫喝の類だった、との評価を頂いた。あの可愛いニエラが、ティーラの娘が、ゴブリンのメスだから危険なので殺すべき、などと聞かされたら、それはもうあらゆる手段を使ってでも覆すに決まっている。ただ、あの子自身に危険はなくても、あの子が利用されることの危険性というのは理解できるところなので、非常に不本意ながらも、ニエラには誓約の首輪を嵌めてもらうこととなってしまった。
その後、私も倒れた。
丸一日、死んだように眠った後、私はようやく、あの可愛い幼子に会えたのだった。
かなり端折っていますが、サーラさんに何があったのかを説明してくれと言ったら、こんな感じになるんじゃないかな、と。