ワクチン受けてくるので、早く書かないといけなかったのもありますが。
“そいつ”は、どこにでもいるゴブリンだった。体躯は並、頭のできも並。これといった特技もないが、さりとて不得手もない。きわめて平均的なゴブリンだった。
“そいつ”の周囲にいる同胞もまた、きわめて典型的なゴブリンばかりであった。“そいつ”の感覚からすれば、彼らはとても気のいい奴らばかりであった。日々の獲物に一喜一憂し、くだらないことでバカ騒ぎをし、時には取っ組み合いの喧嘩をしたりして、翌日にはうっぷんなんぞさっぱり忘れて笑い合う。強いて不満があるとすれば、現在“お宝”がいないせいでスッキリできないくらいのものだった。それも、巣が十分に回る程度には数がいたし、まだまだ若い彼らにとって子供を作るということは急務ではなかった。
そんな平和なゴブリンどもの生活が終わりを告げたのは、とある1匹のゴブリンがその群れに合流したからだった。そのゴブリンは人族に追い散らされた群れの生き残りであり、性質の悪いことに頭が回るやつだった。
そいつは忘れなかった。かつての巣で享受していた日々を。そいつは知っていた。同胞がどれだけ乗せやすく、どう転がしてやれば己の望むままに動くかを。そいつは持っていた。捲土重来を果たすための、月神から下賜された魔法という手札を。
そして、“そいつ”にとって、激動の日々が始まった。
十数匹しかいなかった群れはそいつの口車に乗せられて、全員人類圏に近い場所に居を移した。ただし、近隣ではない。そいつは学習したのだ。前回巣が襲撃されたのは、人類圏に近付きすぎて間抜けな同胞が後をつけられたからだと。故に今度は山一つを隔て、己らの痕跡をなるべく隠そうと考えたのだ。
さらに、周囲にいたはぐれの同胞を引き入れて、巣はすぐさまに中規模程度まで大きくなる。戦力がそろえば次に行うのは、襲撃だ。そして襲う相手も選ぶ。村という、人族が寄り集まって暮らしている場所を襲えば、否が応にもこちらの存在が露見する。ではどうするか。狩りと同じだ。群れる動物を狩るには、はぐれたやつを探すのだ。群れはそいつの号令の下、不用意に森に入った者や、街道を移動する個人を狙って狩りを始めた。
そいつの考え通りに事は順調に進んでいた。“お宝”の数も増え、次の世代も生まれ始めている。もう少し“お宝”が増えれば、それこそ数年もすれば元の規模の巣を築ける。そしてそのボスとして君臨できる。そんな将来を夢見て、そいつは暗い笑みを浮かべた。
だがしかし、どれだけ綿密に計画を立てようとも、周到に準備を整えようとも、完璧に遂行しようとも、そんなことは知ったことかと嘲笑うように、“偶然”あるいは“運命”という理不尽は殴りかかってくるのだ。
“そいつ”は幸福だった。前よりも飯を食えるようになったし、“お宝”を相手に欲望の限りを尽くすのは楽しかった。いつものように飯を食い、嬲り、心地よい疲労感の中眠りに着こうかと思っていた時だった。太陽が山の稜線から顔を覗かせてしばし後のことだった。
冒険者が巣を襲撃したのだ。
洞窟に蔓延し始めた目と喉を焼く煙に、“そいつ”を含めたゴブリン全員が飛び起き、巣は大混乱に陥った。新鮮な空気を求めて出口に殺到するも、いざ外、というところで“そいつ”の視界から突然同胞が消えた。出口の目の前に穴が掘られていて、しかもご丁寧に出口に足首程度の高さの細いロープが張られていたのだ。ロープに足を取られて穴に転げ落ちる奴、ロープと穴にまごついているうちに矢に射抜かれる奴、意を決して飛び越えるも、脇に控えていた人族の槍に貫かれる奴。
たくさんの同胞が“そいつ”の目の前で死んでいった。故に“そいつ”は踵を返した。出入口はまだある、そちらから逃げればいいのだ。死にたくないという本能の赴くままに洞窟の中を走り抜けた“そいつ”を襲ったのは、長剣による一撃だった。もう一つの出入口から侵入していた冒険者に袈裟斬りにされ、声を上げる間もなく“そいつ”の意識は刈り取られた。
だが、“そいつ”は悪運たくましく生き延びた。冒険者が“そいつ”の死を見落としたのだ。
巣の規模が優に50を超えていたこと。一度にたくさんのゴブリンが死んだことによって命の精霊がそこかしこに飛散し、結果として“そいつ”の命を覆い隠してしまったこと。巣のボスであるゴブリンの闇神官が思いの外手強く、冒険者の疲労が大きかったこと。捕らえられていた女性が多く、冒険者の手がそちらに割かれたこと。たくさんの要素が“そいつ”の幸運に働いた。
さらに運命の歯車は回る。
ゴブリンは欲深い種族だ。一度得た悦を手放すことなどできはしない。もし強制的に奪われようものなら、そこに残るのは狂おしいほどの……いや、狂える憤怒だ。
“そいつ”は出血で朦朧とする頭と、腸が煮えくり返るような怒りの狭間で、願った。
奴らに復讐を。
奪われた全てを取り戻すことを。
その手段を。
――昏い昏い怒りに応えたのは、月と魔法と復讐を司る女神だった。
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“そいつ”は昔を懐かしむように、己の肉体についた刀傷を指で撫ぜた。ついでに現状に思いを巡らせる。
巣の規模は前と同じ50を超えたし、“お宝”も数がそろっている。さらには驚くべきことに、この巣にはゴブリンクイーンまで存在するのだ。
捕らえた耳長が女の赤ん坊を産んだと聞いた時、さすがに10年を生きた“そいつ”でも訳が分からず、我が愛しの女神様にお伺いを立てたのだ。そして断片的ながら得たイメージは、巣の更なる発展のために必要なもの、というものだった。
あの時の喜びを思い出し、“そいつ”はにんまりと笑う。己を扇動したあいつは冒険者に早々に討ち取られたが、己は更なる巣の発展が約束されている。あいつの考えるのと同じように山を一つ越えた場所に、うってつけの巣を見つけた。何もかもが前回よりも順調だ。それに、あいつは逃げることを疎かにして冒険者に討ち取られたが、己は違う。冒険者が来てもすぐに分かるように見張りを立てることを思いついたし、もしも冒険者が攻めてくれば、全てを投げ捨ててでも逃げるつもりなのだ。
――完璧だ。
このまま、なぜか他の同胞よりも異様に成長の遅いクイーンが子を産めるようになれば、己の支配体制は盤石なものになる。もしかしたら、人族の“国”と呼べるような規模に匹敵するものを築き上げることができるかもしれない。そうなれば、己は……。
いったい何年後のことになるかもわからない壮大な未来図を脳裏に描きながら、“そいつ”はくっくと嫌らしい笑みを浮かべた。
だが、“運命”の手からは誰であっても逃れられない。
“そいつ”は皺だらけの禿げ頭を掻きむしっていた。目は血走り、今にも歯を砕きかねない勢いで歯ぎしりをし、口角からは泡が零れていた。
なぜか? 逃げられたからだ。ほとんどの獲物と、あろうことかクイーンにまで。
裏口を塞いでいた木格子は土に埋もれた。同胞に掘り起させているが、土だけでなく大きな岩もあって簡単には進まない。その間にあれらは逃げるだろう。己の絶対の逃げ道となると考えていた裏口は、崖に口を開けていたせいで同胞が回り込むこともできなかった。
何故こうなったのか。どこで己は間違ったのか。考えど考えど、“そいつ”には答えが見つからなかった。考えに考えて、思考がわき道にそれたところで、はたと思い立った。
自分はこのままここにいていいのか、と。
人族は群れの仲間を大切にする。かつてはそれを利用して他の人族を罠にかけたりもしたが、今はその性質が仇となる。
敵にこちらの存在が露見した。まだ巣には獲物が残っている。そう、敵が来る。非道な手を使って、巣を全滅させにくる。
もう“そいつ”にできることは一つだけだった。
1週間後、被害の露見からは異例の速さで冒険者が巣に踏み込むも、そこには数えるほどのゴブリンしか残っていなかった。
というわけで、“そいつ”こと陰険野郎の……独白にしようと思ったんですが、ゴブリンの独白とかむ〜り〜、なので第三者視点?っぽいものでした。
……こいついっつも言い訳してんな?