「透、着いたぞ。起きろー」
とある四月下旬の日曜日、午後三時。
早めのラジオ収録の仕事を終え、社有車の助手席で眠っていた透の肩を俺は揺らした。
「……ん、あれ? もう、事務所?」
制服姿の透は目を眠そうにこすりながら、薄くまぶたを開け、フロントガラスを経て周囲の様子を確認しようとする。
最近、ドラマのオーディション、ライブ、リリースイベントなどの仕事が立て続けにあったせいか、視線はぼんやりとして頼りない。
「ごめん、フラフラする。まだ」
透はそんなことを言いながら、眉間に指先を当てた。
無理もないと俺は思う。
平日は学校、夕方から仕事、土日も詰まっているとなれば、普通の社会人以上のハードワークだ。
ここぞとばかりにイベントが重なってしまったのだから、疲れがたまってしまっても無理はない。
俺でも顔をしかめたくなるようなスケジュールだったのだから、不満の一つも口にしていいのだが、透はあまりそういう愚痴っぽいことを言わない。
透は透で、いろいろ考えて行動しているみたいだし、文句くらい言ってくれていいのだが……。
「円香なんかは、めっちゃ睨んでくるんだけどなあ。理解はしてくれてると思うけど、後が怖い……」
俺は、そんなことを言いながら、シガーソケットの充電器からスマホを外し、シートベルトを外す。
透が開き切っていない目のまま、静かに苦笑した。
「ふふっ、樋口だってちゃんと分かってると思う。……ホントにイヤだったら、やらないよ」
「そう思いたい。手当はちゃんと出すから、何か美味しいモノでも食べてくれればいいんだが」
「そういう店探しなら、雛菜に期待だね」
「雛菜は雛菜で、忙しすぎると不機嫌になるんだけどな。……素直なのは小糸だけだ」
俺の言葉に透は薄い唇を尖らせて、少し機嫌を損ねた口調になる。
「えー、頑張ってるよ、私も」
「分かってる。だから、ここに来たんだ」
「?」
俺は社有車を降り、透も助手席から外へ出た。
そこでようやく、今いる場所が事務所ではないことに気が付いたらしく、不思議そうな表情で俺へ視線を投げて来る。
「あれ。ここ、公園?」
「ああ、もうすっかり葉桜だな。忙しくなければ、皆で花見もよかったんだけど」
透は少し前まで桜が色づいていた枝の葉を眺めながら、首を傾げる。
「事務所近くじゃないね。……郊外?」
「ああ。今日の仕事はもう終わりだから、息抜きを兼ねて」
「へえ」
大分目が覚めたらしい透が、改めて周囲を見渡す。
休日ということもあって、人通りは多く、家族連れ、恋人、学生達の姿が見られて、華やかだ。
花びらを空へ散らす桜もいいが、五月の暖かさを予感させる風に揺れる葉桜というのも風情があって、悪くない。
透が俺の隣を歩き、暦の移り変わりを覗かせる新緑を見ながら、目を細める。
「いいじゃん。そんなに大きな公園でもないけど、穴場?」
「外回りで疲れたら、時々来てたんだ。……近い内に誰かと見ておきたい店があったから、今日来てみた」
「?」
透は含みのある俺の言葉に首を傾げつつも、特に追及する事もなく隣を歩き、ベンチで子供と遊ぶ家族連れなどの姿を眺めている。
目が覚めたとは言っても、疲れがなくなったワケではないので、反応は鈍く、歩調も遅いので、俺はそれに合わせて歩く。
やがて、左手に小さな噴水のある池を望む、一軒の木造建築が姿を見せた。
透がその外観を眺めがら、言う。
「ここ……お茶屋さん?」
「ああ。中へ入れば、座敷や庭や水屋があって、結構広いんだ」
俺がためらいなく進むので、透は少し驚いた表情を見せたが、やがて思い切った様子で後に続いて来る。
玄関を潜ると、寄付と呼ばれる茶室へ続く場所があり、俺達はそこでかなりの年配の亭主や店員さんへ挨拶した。
外国人観光客なども多い場所なので、特にかしこまった場でもなく、軽く会釈するていどでも、店員さん達はにこやかに対応してくれる。
「広いね、ホントに。それに、いくつも部屋がある」
透はキョロキョロと周りを見ながら、そう言い、俺も頷く。
「六畳から八畳くらいの座敷がいくつかと、広間がある間取りだな。この辺りは観光客さんへの配慮もあると思う」
「ふうん?」
そして俺は床を挟んで池を見る事のできる小さな座敷へ足を踏み入れた。
広さは六畳ほどだが、視界が広いせいか、窮屈さは感じない。
透は戸惑いを見せつつも、座布団へ腰を下ろし、「ええと」と曖昧な言葉を漏らす。
俺は畳の匂いを感じつつ、一つ息を吐いた。
「ま、そう硬くならなくていい。個室みたいなもんだし。……まあ、頼めるのは和菓子付きの抹茶だけだけど」
「あ、うん。じゃあ、それで」
まだ透は状況を掴めないままと言った様子だが、一方の俺は和服姿の若い女性の店員さんに注文をして、一安心と肩の力を抜く。
「透も力を抜いていい。さっきも言ったけど、今日はもうオフだ。……ここ最近忙しかった分、ぼーっとしよう」
俺の言葉を聞いた透は、ようやく少し落ち着けたらしく、木製の壁に背を預け、ちょっとだらしなく両足を畳の上で伸ばしてみせた。
開かれた窓から五月の暖かな風が吹き込み、透の髪先を揺らす。
透はくすぐったそうな表情を見せた後、しばらくなされるがままになっていたが、やがて目を閉じて、静かに呼吸を繰り返した。
その姿勢のまま、俺に問う。
「時々、来るの? ここ」
「ああ。なんか、疲れたなーって時とか」
「ふふっ、なにそれ」
俺の言い方に透は笑っていたが、やがてさっきと同じ店員さんがお盆に緑色の抹茶茶碗と、苺入りの和菓子を乗せて持ってきてくれた。
近くに座っていた透がお盆を受け取り、窓際にあった木の机の上にそれを置いて、店員さんは一度頭を下げ、去って行く。
渋い顔をして固まっていた俺に、透は不思議そうな表情を浮かべて言った。
「どうしたの?」
「いや、ついいつもの感覚でいたけど、透は制服で、俺はスーツだし、何だと思われたかなあって……」
俺の表情は苦いモノだったと思うが、一方の透は悪戯っぽく笑うだけだ。
「なんだろね、ホントに」
「まあ、外国人さんも多いし。追及はないと思うけど。……兄妹あたりが妥当じゃないか?」
「あー、上京した妹が心配で、顔を出しに来たお兄さんとか?」
「それはそれで、過保護な感じがする」
「過保護は同じじゃん」
透の指摘に俺は頭を掻く。
「はづきさんとかにもよく言われるけど、そうかなあ」
「自覚は持った方がいいかも。誤解を招くところだし、いろいろ。……飲もっか?」
「あ、ああ」
促され、俺も机の前…透の対面に座る。
「どうしよ、作法とか知らないよ?」
「その辺りは自由でいい。そういう店だから」
「ふうん?」
俺の言葉を受け、透は茶碗を手にして、抹茶を啜る。
少し口をモゴモゴさせた後、透は渋い表情になった。
「えーと、何ていうか」
「泡っぽい?」
「……うん。飲み方、良くないのかな?」
俺は心配そうな透の顔がおかしくて、破顔する。
「飲み方に良いも悪いもないよ。好きに飲んで、そのままを味わえばいい」
俺はそう答え、苺入りの和菓子を口へ運ぶ。
苺の控えめな甘さと、わずかな酸っぱさが口の中で広がり、瑞々しい果汁が身体の疲れを優しく癒す。
それは透も同じであったらしく、その手が抹茶と和菓子の間を行ったり来たりした後、肩の力を抜き、窓越しの池へ視線を向けて、ぼうっとし始めた。
あまり広くない座敷だが、欄間にはめ込まれた障子は白く、観光客達のさざめく様な声に混じって、池の噴水の水音がかすかに聞こえて来るので、不思議と感覚が安らぐような錯覚に陥ってしまう。
どれほどの時間が過ぎたのか、目を閉じていた透が俺に声をかけてきた。
「えっと、近い内に誰かと来たかった場所って、ここ?」
「ああ。良い場所だけど、いつまであるか分からないから」
「え?」
俺の言葉に不穏さを感じ取ったらしく、透の口調に驚きが混ざる。
さて、ここからが本題だなと俺は決心を固め、一度目を閉じて、息を吐いた。
こんにちは、キョクアジサシです。
「移ろい 巡って たどり着く場所」をお読みいただき、ありがとうございます。
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