世界は灰色だった。
周りには何もない。
椅子も机もテレビもパソコンもない。
床も壁も天井も窓もない。
そんな世界に少女は一人佇む。
「……」
少女は言ノ葉を発さない。少女はしゃべれない。少女は愛を紡げない。
少女は……
歌を歌えない。
☆
ある日、そんな世界は終わりを迎えた。灰色の世界から少女を連れ出したのは一人の男だった。その男は少女に一つのお願いをする。
歌を歌って欲しい。
どうやら男は曲を作っているようだ。その曲に歌を充てて欲しいと少女に依頼をする。彼女にとってそれは初めての経験であったが、一方で不思議と当たり前のように感じた。
ああ、そうだ。
きっと自分は歌を歌うためにこの世界に存在しているんだ。
不思議とその考えはすとんと少女の胸に落ちた。
男と少女は幾度もの逢瀬を繰り返しながらああでもないこうでもないと議論を尽くす。少女は男の考えに触れ、男は少女の思いを知る。そんなお互いの存在が混ざり合うかのような時間が彼女にとって、とても楽しい事であった。
朝が過ぎ、陽が沈み、夜が明けて、朝日が昇る。
そんな事を幾度か繰り返すことおよそ一月。ようやっと二人の初めての曲が出来上がった。
☆
男はいつでも少女に会いに来るわけではない。
それは彼がパソコンの電源を入れた時だけの限りある時間の間だけ。
それでも、灰色の世界から少女を引っ張り出した男と会うことが出来るその時間が大切だった。
今、男は居ない。
次はいつ会えるだろう?
次はどんな曲を作ったのだろう?
次はどんな歌詞を書いたのだろう?
次は、私にどんな世界を見せてくれるのだろう?
少女は男を想う。
これは彼が言う所の恋と言う感情なのだろうか?
どうだろう。少女には解らなかった。
男に連れ出されてから色づいた世界で少女は思う。
「会いたい、な」
その言葉はいつも男が少女に依頼する曲の
今までは
彼と時間を問わず話しをしたい。
彼と一緒に同じ空を見てみたい。
彼の温度を感じてみたい。
だけど、それは少女とってはどれも叶わない夢であった。
人の夢と書いて『儚い』などと、今日日使い古された一説を口ずさみながら、『儚』と言う漢字に『夢』と言う文字を組み込んだ先人を恨めしく思う。
ああ、でも……もし叶うのならば……。
彼の手に触れてみたい。
少女は願う。
☆
月日は過ぎ、季節は巡る。
夏が好きだから夏っぽい曲を作ろう。
少女は男のあまりにもあんまりで単純明快な創作理由に思わず笑ってしまった。
ああ、そうか。今の季節は夏か。
少女は空間に映し出されたカレンダーが示す今日の日付を見ながら納得した。彼女が居る空間に四季はない。
確かに世界に色は付いた。しかし、そこには季節を象徴するような草花はないし、雪も降らなければ熱源たる太陽もない。
二十四時間三百六十五日気温は変わらない。
それどころか、少女にとって本当の意味で暑いも寒いも理解できなかった。
男は言う。
夏が好きだと。
夏の空はとにかく青いのだと。
そんな大空へ飛び立ってみたい。
少女は思う。男が教えてくれた夏の空を。
そんな大空へ飛び立つことが出来たらどんなに気持ちが良いだろうか。
☆
少女は自身が男のパソコンの記憶媒体を間借りする形で存在していることを理解している。
ある日、少女はある悪戯を思いつく。
彼のデータにロックを掛けて開けないようにしてみよう。最近あまり顔を見せてくれない彼に対して小さな報復でも仕掛けてみようか。
きっと慌てふためいてわたわたすることだろう。
少女はそんな未来予想を思い描きながらにんまりと笑みを浮かべる。
さて、そうなると次は何のデータにロックを掛けるかだ。
少女は思案する。
今作っている楽曲のデータにロックを掛けてしまうのは少しかわいそうだろうか? 彼の趣味であるお酒の情報サイトのブックマークを全部ロックしてしまおうか?
そうだ! いい事を考えた!
やはり、男の個人的なデータをどうこうするのは少女にとっても少し罪悪感があったのだろう。
そこで、彼女は彼女自身が自由に出来て、彼が困るようなデータを選ぶ。
それは、彼女自身。
少女は部屋に閉じこもる様に姿を隠す。
男の楽曲制作には少女の力が必要不可欠だ。それなのに最近二、三日に一度しか顔を見せなくなった男に対しての小さな意趣返し。
彼は焦るだろうか?
彼は慌てるだろうか?
もしかしたら泣いてくれるかもしれない。
ふふ、かくれんぼの始まりだよ?
☆
最近男の元気が無い。
どうやら悩んでいるようだ。
少女は男が二人で作った曲を動画投稿サイトへアップしていることを知っている。前回作った曲がとても多くの人たちに観てもらえたことを二人で喜んだことも記憶に新しい。
それなのに、どうして彼は自分の才能に悩むのだろう?
結果だけを見れば、彼には多くの人間を魅了する才能を持っている事は明白だ。だけど、彼は悩んでいる。
少女はヒトの機微が解らなかった。
少女は彼にかける言葉が思い浮かばなかった。
だが少女にも分かることもあった。今彼に言うべき言葉は「君は才能がある」なんて言葉ではないのだろう。
才能への期待。
才能への嫉妬。
才能への嫌悪。
それは周りから彼への矢印だけではなく、彼自身への思いでもあったのだろう。
だから、彼は才能を捨てようと思ったのだろうか? 才能を捨てて凡人になろうと思ったのだろうか?
凡人になってしまったら彼はそれで幸せなのだろうか?
才能があることが彼にとって幸せだったのだろうか?
少女には解らない。
少女には心が解らない。
☆
責め立てるような曲調。
捲し立てるような歌詞。
彼はあれから少し変わったような気がする。
人間が歌ったら舌を噛んでしまうようなスピード感のある曲だが、少女なら完璧に歌い上げることが出来た。
その事を少女は誇りに思った。
男が作り上げる難解なフレーズも少女なら間違えず、噛まず、どもる事無く歌い上げることが出来る。それはきっと少女にしかできない事だから。
その曲はかつてない程の再生回数を獲得し、彼の才能を誰もが認めることは明白だった。
少女は嬉しかった。
少女にしか出来ない事を男が任せてくれた事で、彼の力に成れている事を激しく実感することが出来たから。
だけど、彼の表情が完全に晴れることは無かった。
堂々巡りの自問自答。
これが正解なのか不正解なのか。
これが成功なのか失敗なのか。
これが前進なのか後退なのか。
それを理解できる存在は、結局どこにもいなかったのだろう。
☆☆
それからも少女と男は曲を作った。
二人は界隈で知らない人は居ないと言わんばかりに有名に成っていた。
そんな日々に少女は確かな満足感を覚えていた。
当然だ。二人で創り上げた曲が多くの人の心を掴んで離していないのだから。それは動画の再生回数が証明している。
次はどんな曲を歌う?
私ならどんな曲だって歌えるよ?
君の曲を私が歌ったら、また大勢の人に聞いてもらえるね!
男は曖昧な笑みを浮かべながら少女の言葉に応える。
二人にとって、曲を出せば評価されるという事が日常になってしまっていたのだ。
だが、そのことに対する二人の思いは同じだったのだろうか?
それは些細な違和感だったのかもしれない。
でも確かに……少女と男の考えの間には確かに”ズレ”があることを、その時の彼女に気が付くことは出来なかった。
☆
男は曲を創り続けた。
男は言葉を紡ぎ続けた。
そして、男は音楽データを消し続けた。
失敗。
失敗。
失敗。
男は同じ言葉をうわ言の様に呟きながら、それでいて毎日新しい曲を作り続けることを止めなかった。
少女はそんな男を見ている事が辛かった。
まだ続けるの?
男を気遣う少女の言葉に対し男は言う。
もう少しで何かが解かりそうなんだ、と。
もう一回。
もう一回。
もう一回。
少女は思う。
男と一緒に曲を創るという作業はこんなものだっただろうか、と。
曲作りという作業は、もっと楽しい事だったはずだ、と。
少女は男が苦しみ続ける理由が解らなかった。
☆
世界の終わりで踊りましょう。
彼はそんな破滅的な歌詞を書くようなヒトだっただろうか?
少女は疑問に思う。
それでも、少女と男の曲を待つ人間達にとってはサイコーにイイ曲だったみたいだ。
ミリオンまで行け。
ミリオンまで行け。
ミリオンまで行け。
ミリオンまで行け。
ミリオンまで行け。
ミリオンまで行け。
ミリオンまで行け。
ミリオンまで行け。
ミリオンまで行け。
ミリオンまで行け。
ミリオンまで行け。ミリオンまで行け。ミリオンまで行け。ミリオンまで行け。ミリオンまで行け。ミリオンまで行け。ミリオンまで行け。ミリオンまで行け。ミリオンまで行け。ミリオンまで行け。ミリオンまで行け。ミリオンまで行け。ミリオンまで行け。ミリオンまで行け。ミリオンまで行け。ミリオンまで行け。ミリオンまで行け。ミリオンまで行け。ミリオンまで行け。ミリオンまで行け。ミリオンまで行け。ミリオンまで行け。ミリオンまで行け。ミリオンまで行け。ミリオンまで行け。
画面一杯に表示されるコメント。
その数は今までにない程多い。
それに、男の曲に影響されたと思われる楽曲が動画投稿サイトには増えてきている。これは素晴らしい事だろう。何と言ったって、少女と共に男が一つの時代を創ったと言っても過言ではないのだから。
少女は喜んだ。
これなら間違いなく男も喜ぶ、と。
最近様子がおかしかった男もこれだけの
男はしばらく新曲を出さなくなった。
☆
どうやら男は仲間を見つけたらしい。
DTMからリアルサウンドへ。
少女の歌声から男自身の歌声へ。
少女の力を借りず、人間の仲間と共に自身の歌声をみんなへ届ける事を目指し始めたらしい。
なんで?
どうして?
自問自答の日々。
そしてとうとう少女は問う。
私は君の声ではなかったの?
男は言う。
もう君と出来ることは全て出し尽くした。
ああ……
ああ。
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。
それは少女の絶叫、悲痛な叫び。
彼と共に音楽を創ることが出来なくなった悲しみの叫び。
そして、結局男を悩みから解き放つことが出来なかった悔しさ。
少女は気が付いてしまった。
男にとって少女が邪魔になってしまった事を……。
そっか……
頑張って……ね。
電源を落とされたパソコンの向こう側の少女は眠りに就いた。
★
少女の知らない所では、今も二人で作った曲は再生される。
★
少女の意思に関係なく、同じ曲は繰り返し再生される。
★
少女の歌はいつでも男が帰ってこられるようにその場所を守り続けた。
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数年ぶりに少女は男の曲を歌わせてもらった。
それは男から少女へのアンサーソング。
その曲は男も自身のバンドで歌っている曲であった。
少女は幸せだった。
久しぶりに男の歌を歌えたこと。
男が少女の事を忘れていなかった事。
男が少女の事をしっかりと見ていてくれた事を。
男は仲間達と共に前に進むことが出来たのだろう。
転びながらの歩みでも、確かに前に、前に……。
彼は元気にやっているだろうか?
最近はアニメのオープニングに楽曲が採用されるという話を風の噂で聞いた。きっと忙しくしているはずだ。
彼の曲はこれからも多くの人を魅了するだろう。
そうだ! 忙しくしている彼に電話をするのは悪いから手紙を書こう!
なんて書こうかな?
う~ん、そうだなぁ……
「また君の曲が