心まで脱がして~学園一の美少女は絵のためなら何でも言うことを聞いてくれるそうです~   作:青ヤギ

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#13 少女は服を脱ぐ。少年は深い領域へ至る。

 夏休みが始まって間もなく、僕は乃恵の部屋に泊まり込みで絵を描いていた。

 事前に、そういう約束をしていた。

 

「夏休み中ずっと泊まってもいいのよ♪」

 

 と乃恵は冗談なのか本気なのかわからないことを言っていたが……正直その言葉に甘えたいと思うほどに、いまの僕は当面の間、実家から遠ざかりたい気持ちだった。

 

 お泊まりといっても、半ば家出に近い。

 

「朝人……またお父さんと喧嘩したの?」

「……まあ、そんなところ」

 

 僕の様子から乃恵は目聡く気づいた。

 

 妹の真昼が「夏休みなんだから構え~」と甘えてくるのはまだいい。来年中学生になるというのに未だに兄にベッタリなのが多少心配ではあるが……。

 

 母の家事を手伝うのもまだいい。むしろ、普段から僕のワガママを聞いてくれる母には感謝しかない。

 

 父だけには我慢できなかった。

 

「……昨日さ、画材を『捨てろ』って言ってきたんだ」

「え?」

「『高校生になってまで、まだお絵描き遊びするつもりか?』って……さすがに本気の喧嘩になったよ」

 

 理性では、父の言い分もわかるのだ。

 絵の道を本気で進もうとしていない人間が、大事な高校の夏を絵に費やすなど。

 ……でも、たとえ将来に繋がることではなくとも、いまの僕にとって絵を手放すワケにはいかなかった。

 

「……だから、そんなに大荷物なの?」

「場所を取って申し訳ない」

「いや、それはいいんだけど……すごい力持ちだね朝人」

「火事場の馬鹿力ってやつだな」

 

 気づけば絵に関するものをほとんど抱えて家を出ていた。

 

「……なんか、ごめん。都合のいい逃げ場所にしちゃってるみたいで」

「ううん。気にしないで? 頼ってもらえて、嬉しいよ」

 

 乃恵は笑顔でそう言ってくれた。

 

「朝人が怒るのも、無理ないと思うもん。……もちろん私もぷんぷんです! ひどいよ! 朝人の絵はこんなにも素晴らしいのに!」

 

 そう言って乃恵は部屋に飾ってある僕の絵に手をかざす。

 ……だいぶ増えたな。

 

「心配しないで朝人! 朝人の絵描きとしての未来は私が守ってみせる! 本当にいつまでも居ていいんだからね! というか、もういっそのこと一緒に暮らしましょ!? 大丈夫! 両親は私が説得するから!」

「落ち着いてくれ乃恵。さすがにそこまでしなくていいから」

 

 乃恵なら本気でやりかねないのが恐ろしい。

 

 

 

 乃恵と出会って、110日目。

 僕らは夏休み早々、二人きりの時間を過ごすこととなった。

 

 

 

    * * *

 

 

 

「たまには俺が作ろう」

「朝人の料理!?」

 

 ただ泊めてもらうばかりなのも申し訳ないので、得意料理の特大オムレツを披露することにした。

 卵料理に関しては昔から自信があった。

 フライパンになみなみと溶き卵を注ぎ、弱火でじっくりと焼き、ここぞというタイミングで大皿に乗せる。

 

「どうだい?」

「お見事! まるで黄金色!」

 

 乃恵は大袈裟に目を耀かして拍手をした。

 あとはチキンのソテーやトマトのサラダ、チーズにフランスパンなどを用意した。

 

「ご賞味あれ」

「朝人の手料理が食べれるなんて……勿体ないわ! 記念に飾っていい?」

「いや、食べろよ」

 

 僕が手料理を作ったのがよほど嬉しいらしく、乃恵は興奮気味に何枚も写真を撮った。

 

「ん~おいしい~」

「そりゃよかった」

「……朝人の愛がお腹に染み渡っていくようだわ」

「ちょっと怖いぞ乃恵」

 

 うっとりと恍惚しながら食べる乃恵に半ば引きつつ、食事を堪能した。

 

 

 

 食後、風呂を沸かしてもらい、先に入れさせてもらうことになった。

 

「朝人~? お湯加減どう~?」

 

 扉越しに乃恵が尋ねてくる。

 

「ちょうどいいよ」

「そう。……お背中、お流ししましょうか?」

「結構だ……ってうわっ! 扉開けるな!」

「むぅ~。せっかくだから、いっぱいお世話したいのに~。いけず~」

 

 扉の隙間から乃恵が不満げに顔を出す。

 

「一緒に入っちゃダメ?」

「ダメだ」

「恋人同士なんだから、気にしなくてもいいと思うけどな~」

「俺にも心の準備があるんだよ……」

「私はとうにできてるよ?」

 

 乃恵の声色は真剣だった。

 

「私の身体、気にならないの?」

 

 異性として。モデルとして。

 乃恵が二重の意味で聞いているのがわかった。

 そして、この間の答えを急かしていることも。

 

『私で、ヌードを描いて』

 

 あれから結局、僕はまだ答えを出せていない。

 

「……ごめんね。びっくりさせちゃって。ゆっくり浸かってていいから」

 

 僕が押し黙っていると、乃恵は表情を笑顔に切り替えて脱衣所から出て行った。

 

 心地よい湯船の中に身を沈めながら、僕は考える。

 

 僕は、彼女の裸を、描くべきなのだろうか。

 

 今日も一枚、乃恵の絵を描いて、少し感じ始めている。

 ワンパターン化してきたと。

 新たな試みが必要な段階に来ていることは、とうにわかっている。

 ……でもそれが、本当に彼女を脱がすことで進むのだろうか?

 

 ハッキリしていることは。

 あとはもう、僕の覚悟次第ということだった。

 

 

 

    * * *

 

 

 

 夜も更けてきた頃、乃恵は僕が持ってきた画集を見たがった。

 前々から乃恵が関心を示していたものをチョイスして、何冊かリュックに詰めてきたのだ。

 

 乃恵は主に古代ローマの彫刻やルネサンス期の西洋絵画に関した画集に夢中になっていた。

 

「ねえ、どうして昔の絵ってヌードが多いの?」

「時代や国によって理由は変わるな。ローマとかギリシャでは神様が人型だから『理想的で完全な肉体美』を持った裸を描くことで神を表現したんだ。中世とかだと裸婦は御法度になるけど、宗教絡みのメッセージ性があるなら許されたんだ。一糸まとわない姿は『純真無垢の象徴』とかね」

「ふ~ん。それにしたって女の人の裸の絵多くない?」

「……まあ、()()()()()がなかった時代だからな。神話とか聖書とかモチーフにすれば描き放題だったわけだし」

「な~んだ。昔の人たちも結局エッチだったんだ」

「そりゃ人間ですから」

「ふむふむ。なんかさ、世界史の教科書を読むよりも、芸術の歴史を調べたほうがその時代の人たちのこと理解できて楽しいね?」

「芸術は人の歴史そのものだよ。『世界史よりも美術史を学べ』って言う大学教授もいるぐらいだし。というか美術史の教育を日本は疎かにしすぎてるんだよ。外国じゃ母国の美術史や哲学史を履修するのは普通なんだぜ?」

 

 夏休みに入る前から、乃恵は度々、美術史に関しての質問をしてくるようになった。

 僕の絵の上達に少しでも貢献するため、自分も美術の知識を身につけたいのだそうだ。

 乃恵の本棚に、美術関連の本が増えていたのを思い出す。

 

「…………」

 

 乃恵は随分と生き生きとするようになった。

 自分のことを「空っぽ」と称していた頃と比べて、心の底から僕との時間を楽しんでいるように思える。

 

 ここ最近、少しずつではあるそうだが、両親に自分の意見を伝えられるようになったという。

 彼女の両親は娘の変化に戸惑っているようだったが、以前よりもずっと会話が弾んだそうだ。

 もう、あのときのように乃恵から灰色や闇色が溢れることもない。

 

 僕の絵を通して、そして美術の世界を通して、乃恵は確実に、「確固たる自分」を手にし始めているようだ。

 

 ……でも、そんな乃恵を見るたびに、どうしてもあの絵が過るのである。

 

 太陽のように耀く画家の少年。

 その手に持った心臓を、自分の色に染めていく光景。

 

 ときどき、考えるようになった。

 本当に僕は、このまま乃恵を描き続けていいのだろうかと。

 

「……うん。決めた」

 

 画集を閉じて、乃恵はソファーから起き上がった。

 

「私、やっぱりあなたに描いてほしいな」

 

 何を、と聞くまでもなかった。

 乃恵はとうに、そのつもりでいる。

 僕のモデルとして、最後の領域に足を踏み入れようとしている。

 

 それでも僕は、煮え切らない態度を取ってしまう。

 

「……あのさ。確かに現代じゃデッサン力の上達のためとか、リアリズムの象徴とかで描く人はいるけれど、俺は素人なんだぜ? 普通に描くのはいい。でもわざわざ……」

「本気だよ」

 

 僕の言葉を乃恵は遮った。

 いつものような、からかいを含んだ声色ではなかった。

 

「『理想的で完全な肉体美』。『純真無垢の象徴』。……なら、あなたは、どう描くの?」

「…………」

 

 乃恵を描き続けることへの疑問。

 その一方で湧き上がる、もっとべつの恐怖。

 画材を捨てろと言われて、逃げるようにここへ来て、いつものように乃恵の絵を描いてるとき、ふと想像した。

 

 もしかしたら、これが最後の絵になるかもしれないと。

 ひょっとしたら、今度は無理やりにでも画材を捨てさせられ、完全に絵から遠ざけられてしまうかもしれない。

 

 乃恵との関係も、いつまで秘密にできるかわからない。

 バレたら二度とここには足を運べなくなるかもしれない。

 乃恵と出会うことを一切禁止されるかもしれない。

 そんな後ろ向きなことばかりを考える。

 

 ……もしも。

 もしも本当に、これが最後だとしたら?

 

 胸の溶鉱炉が訴える。

 溶鉱炉の中で孵化を待つ卵が訴える。

 

 決めるのは、お前自身だ。

 

 やっと巡り会った、本気で描きたいと思えた存在。

 彼女のすべてを描くのなら。

 

 彼女を心まで脱がすのなら。

 

 決断するのは、いまだ。

 

「朝人。お願い」

 

 少女は求める。

 まるで人間以上の存在に救いを求めるように。

 

「私のすべてを、描いて」

 

 

 

    * * *

 

 

 

 合図があるまで待ってほしい。

 彼女にそう言われ、僕はキャンバスを抱えたまま、乃恵の自室の前で待つ。

 

「……いいよ」

 

 扉越しから、掠れるような声がする。

 僕はゆっくりと扉を開ける。

 

 部屋に明かりは点いていなかった。

 窓から射し込む青白い月明かりだけが光源だった。

 

 その中で、乃恵は立っていた。

 細身の身体をバスタオルで隠し、心許なげに目を逸らしている。

 足下には、さっきまで身につけていた衣服と、純白の下着が転がっている。

 

「…………」

 

 僕は傍らに用意されたイーゼルにキャンバスを設置する。

 明かりを点けることは止めておいた。

 夜目に慣れれば、十分に描ける。

 

 視界がだんだんとクリアになり、白紙のキャンバスがはっきりと見えてくる。

 視線を移す。

 乃恵の頬が赤く染まっているのが、はっきりと見える。

 

「……やめる?」

「やめない」

 

 乃恵ははっきりと首を横に振った。

 

 乃恵は一度深く息を吸って吐き出すと、僕の目をまっすぐ見てきた。

 

「近くに来て」

 

 彼女に言われるがまま、椅子から腰を上げて、ゆっくりと近づく。

 間近で乃恵と見つめ合う。

 彼女の肩は震えている。

 

「……一回だけ」

 

 か細い声で乃恵は言う。

 

「好きって、言って」

 

 僕は頷く。

 心を込めて、これまでのことをすべて思い返して、言葉に乗せる。

 

「好きだよ。乃恵」

「うん、私も」

 

 少女の震えが止まった。

 

「だから、大丈夫」

 

 そして乃恵はゆっくりと、バスタオルから手を離した。

 衣擦れの音と共に、ゆっくりと重力に従って落ちていく。

 

「……見て。これが、私」

 

 かくして、白い裸体が、目の前に広がった。

 

 有坂乃恵の生まれたままの姿。

 追い求めて、決断して、踏み入れた秘境の地。

 

 ……僕たちは、絵描きとモデルとして、そして男と女として──最後の境界線を越えた。

 

 

 

    * * *

 

 

 

「ねえ。ちゃんと私を感じて? いい絵が描けるように。あなたが感じたままに、見たままに、私を描いて。お願い」

 

 月明かりに照らされた少女が、僕に求める。

 ありのままの姿を通して、真実の姿を、描くことを。

 

「朝人。あなたには、私がどう見える?」

 

 乃恵は才女である。

 だから彼女は僕の教えを、ひとつひとつすべて覚えている。

 

 いい絵を描くには、モチーフに触れて、可能なら舌で味わって、その質感と舌触りを理解し、キャンバスの上で再現するように描くことだと……彼女は当然そのことも覚えていた。

 

 だから……手で触れた。口で触れた。

 肌を。髪を。唇を。全身を。余すことなく。

 

 そして。

 

「朝人……」

 

 最も深い未知への領域。

 お互いを強く思い求めなければ決して辿り着けない一線に、僕らは達した。

 

「あっ……」

 

 あまりにも、たどたどしい。

 けれど、相手を思いやれば、決して難しいことではなかった。

 

「朝、人……」

 

 涙をこぼす少女と見つめ合う。

 そこに、悲しみの色は無い。

 淡い桃色が、どんどん深い色となって、美しい桜色へと染まっていく。

 

「朝人……いま、私……すごく幸せ」

 

 それは僕も同じだった。

 

 知らなかった。

 人とは、こんなにも柔らかく、そして熱い。

 熱い。熱い。熱い。

 溶けて、ひとつになってしまいそうなほどに。

 

 触れるすべてが、心地いい。

 愛おしい気持ちが、溢れて止まらない。

 

 ああ、描きたい。

 彼女を描きたい。

 心の底から、そう思う。

 

 だから、もっと、もっと深く、彼女のすべてを知り尽くしたい。

 

「……いいよ」

 

 薄闇の中で、上気した顔で、乃恵は手を伸ばして、僕を受け入れる。

 

「全部、知って、私のこと……。あなたに、全部、あげる……」

 

 月明かりの中で、僕らはまた触れ合う。

 強く、強く、お互いを求めて、深く、深く、僕らは新たな世界を切り拓いていった。

 

 

 それは、人生で最も長い、長い夜だった。

 

 

 

    * * *

 

 

 

 ベッドで眠る乃恵を残し、僕はイーゼルとキャンバスを客間に移す。

 小鳥の囀りだけが聞こえる静かな朝に、僕は黙々と筆を握る。

 

 青白い部屋がだんだんと、朝日で明るくなっていく。

 キャンバスの絵が、日の光を浴びて、産声を上げるように完成する。

 

「……できた」

 

 新しい絵は、驚くほどに、あっさりとできあがった。

 まるで、始めからこの絵を描くことを宿命づけられていたかのように。

 ようやく、ここまで来たかとキャンバス自身が応えるかのように。

 

「……綺麗だよ」

 

 絵の中の、生まれたままの姿の有坂乃恵に向かって、僕は言った。

 

 

 

 溶鉱炉の中の卵が、ピシリと、わずかにひび割れる音が、胸の内から聞こえたような気がした。

 

 




 ようやくプロローグの場面へ辿り着きました。
 そして物語はいよいよ終章です。
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