全21話・約10万文字で完結済
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1・庭園
夕暮れの草原を風が渡る。
たなびく草波を駆けるのは、この国には珍しい連銭美しい葦毛馬。
馬上はこれまたこの国には珍しい、淡い栗毛の男の子。
夕陽を受けて茜に染まる前髪の下の瞳は、青より薄い『はなだ色』。
外国(とつくに)よりの旅人かと思いきや、歴としたこの国の王族の一員。
丘の一つを越えると、眼下に古い街が広がる。
昔王都だった時代は、立派な外壁に護られ栄えていたが、今は簡単な関があるだけで、それも形だけだ。
大分前に、都はもう少し南東・・侵攻中の隣国寄りに遷都された。
それに伴い、王族は古い街を捨て、新しい都に移り住む。
一部の『物好き』を除いて。
街の中央の城跡はほぼ廃虚。
葦毛の騎馬は、水が枯れて久しい噴水広場を通過して、慣れた足取りで、城の裏手に通じる細い路地に入った。
ひび割れた煉瓦壁の向こう、昔の後宮の跡地に、そこだけ人の手の入った緑の垣根がある。
下馬して木戸を押すと、とりどりの野ばらが野放図に広がる、鮮彩色の空間。
奥には、夕陽に陰を落とす数本の蜜柑の大木。今は白い花が真っ盛りだ。
庭園の中央、ひときわ明るい芝生に、揺り椅子から立ち上がる影がある。
男の子と同じ淡栗毛を長く結った、品の良い老婦人。
この庭の主、現王モンテの母、ソルカ妃。
「まあ、シリギ殿。またこんな片田舎まで。お母様に許しを頂いて来たのですか?」
言いながらも、気に入りの孫の来訪に嬉し気だ。
「手紙を置いて来た。いいんだよ、あの人達。兄様達が居れば」
シリギと呼ばれた男の子は憮然と答え、庭の隅の定位置へ馬を繋ぎに行く。
「またそんな……」
子や孫は数居るけれど、異国の血を引く自分の髪色を受け取ったのは、長子の所のこの四男坊だけだ。しかし祖母が特別にこの子供を気に掛けるのは、その為だけではない。
「お祖母様、またなんだ、またおかしな事になったの!」
男の子は、馬具を外すや挨拶もそこそこに、駆け寄って喋り出した。
「僕には見えているのに、皆そんなの見えない居ないって馬鹿にするの」
「…………」
老婦人は小さく息を吐いた。
それを訴える為に、月に何度もこの子は馬で半日駆けてやって来る。
手を引いて小さなガーデンチェストに座らせ、ただ一人の侍女を呼んで飲み物を運ばせる。
「シリギ殿、前々から言っていますよね。貴方に見えるからといって、皆にも見えるとは限らないのです。そういうモノって世の中にあるんです。でも皆々に可愛がられ平穏に暮らすには、人と違う所は主張してはならないの。皆と同じでいる方が、幸せに生きられるでしょう?」
「なんでっ!」
男の子は声を張る。
「そこに居るのに、見えているのに。青い髪のヒトが空飛ぶ馬に乗って雲の上まで飛んで行くのが!」
「シリギ殿、だから……」
「お祖母様は信じてくれたじゃない。昔からお祖母様だけが、嘘を言うなって叱らなかった。ねえ本当の事を言って。お祖母様にも見えているんじゃないの? 見えていて、平穏に暮らす為に黙っているんでしょ」
婦人は困った眉を寄せた。
(見る事が出来たらどんなに素晴らしかった事か……)
「小さい時はチラリチラリだったのに、最近どんどん見える時間が長くなって、ずうっと目で追えるまでになってる。今日なんて風切り音まで聞こえたんだよ。他の人が見えないからって、無い事になんか出来ないよ」
この間までは優しく慰めるだけで誤魔化せていたものを、もうそれでは駄目なのだろうか。
子供というのはいつの間にこんなに自我を持つ物なのか。
夫人は溜め息ひとつ付き、背筋を伸ばして男の子に向き直った。
「シリギ殿、貴方幾つになりました?」
「先月十一になりました、お祖母様」
「そう……来年には私がこの街に来た歳ですね」
婦人は白い花が清く香る大木を見上げた。
「あの時持って来た蜜柑の苗がこんなに大きくなったのだから、本当に大昔ね」
「お祖母様?」
「ええ、逢った事がありますとも、私も。蒼い妖精に」
目を見張る子供の前で、婦人はゆっくりと語り始めた。
遠い昔の淡い記憶………
***
山沿いの小さな里で育った村娘ソルカは、ひょんな事から、村を襲った『赤い悪魔』の馬を助けた。
そしてまたひょんな事から、その少年悪魔と『何があってもお互いを信じる』という誓いを立てた。
異国人だった母の形見の蜜柑の木の枝だけを携え、彼に付いて村を出た。
少年は悪魔などではなく、この国の偉大なる大ハーンの四番目の皇子だと知ったのは、王都に到着してからだった。
……‥‥・・・
「まるでお伽噺みたいでしょう?」
祖母は目尻にシワを寄せた。
「いやちょっと待って……」
いきなり始まった話が、遠回り且つ盛り沢山過ぎて、シリギは面食らっている。
偉大なる大ハーン……この国の始礎を築いた、今も神と崇められいる曾祖父の話はよく聞かされているが、祖母のそんなエピソードは初めて聞いた。
・・・‥‥……
皇子の侍従として暮らし始めたある日、皇子が改まって申し出てきた。
「俺の血を分けた母親を、ソルカには知っていて貰いたい」
側室の貴卑にあまり拘らない大ハーンなのに、彼の母親だけは表に出さず詮索をピシャリと退けていた。表向きは正妃ヴォルテの四男と治めていたが、誰が見たって明らかに違う。
だってこの皇子は……
……‥‥・・・
「炎のように真っ赤な髪に、獣のように瞳孔が縦に割れた銀の瞳をしていたの」
「ふぇっ」
シリギは変な声を上げた。それこそ初めて聞いた。
偉大なる大ハーンの話は耳にタコが出来るほど聞かされているのに、彼の右腕として多大な功績を治めていた筈の第四皇子の私事となると、皆一様に口を閉ざすのだ。
まるでタブーにでもなっているかのように。
化け物染みた者だったとチラと聞いた事はあるが、まさか外見からしてそうだったとは。
・・・‥‥……
庭で根付きかけた蜜柑の苗の一本を携え、王都のすぐ側の西の森へ誘われた。
皇子は黒鹿毛、ソルカは尾花栗毛に乗って。
後宮でもなく、こんな郊外の森の中に住まわせているなんて。
馬に揺られながら、少女のソルカは胸のザワ付きを押さえられなかった。
木立を抜けると少しの広場があり、色褪せた小さなパオがひとつ。
皇子は広場の真ん中に立って声を上げる。
「母さん、前から話していたソルカを連れて来たよ」
少女の胸のザワ付きはドキンドキンに変わっていた。
どんな女性が出てくるのか。
やはり赤い髪なのか。
そもそも人間なのか。
けれど、『何があってもお互いを信じる』と誓っている。
そうだ自分で決めたんだ。このヒトが何から生まれていようと受け入れよう。
……‥‥・・・
「そ、それでお祖母様、そのヒトに会ったの? 人間と違った?」
孫の質問に、祖母は口を結んでゆっくりと首を振った。
「会ったと言えば会ったのです。けれど……姿を見る事は出来なかったの」
・・・‥‥……
木立の明るい所に、確かにそのヒトは立っているという。
ソルカの方を見て微笑んでいると。
でも、どんなに目を凝らしても見えない、声も聞こえない。
正直にそう言うと、皇子は八重歯を見せて苦笑いした。
「妖精なんだ、俺の母さん」
「…………」
「俺の頭がおかしいと思う?」
ソルカは頭をブンブン振った。
どうしたら、信じているという事を信じて貰えるだろう。
ふと、持って来た蜜柑の苗木に目が行った。
見回して、丁度良い日向を見付け、慌てて穴を掘り始めた、
「この木が健やかに育てば、ここに住まう方の心根のお優しさを、私もこの目で見る事が出来ます」
皇子は目を丸くし、それから穴堀りを手伝ってくれた。
妖精は姿を隠している訳ではない。
人間の意識にある世界と、少し波長のずれた存在なのだ。
同じ場所同じ空間に居るのだが、波長が違って、見えない触れない。
ただ、たまに波長の合う人間がいる。
大概が血筋で、一説によると、祖先に妖精の血が入っているからだと。
皇子の父王もその父も、代々妖精が見えていたらしい。
「上手く説明出来ないけれど、まあそんな感じ」
植え終えた木に水をかけながら、皇子は教えてくれた。
「母さんは、子供の頃に親父と知り合ったんだってさ」
その辺は詳しく教えて貰えなかったけれど、きっと吟遊詩人の語る物語のように素敵な大恋愛だったのではと、少女のソルカは勝手に想像した。
母は、風と大地を司る『蒼の妖精』だという。
空飛ぶ草の馬を駆り、戦場で王を助けたりしている、とも。
別れ際、二人の前に立ち、手をかざして気の早い祝福をしてくれた(らしい)。
ソルカには見えなかったけれど、額に確かな暖かさを感じる取る事が出来た。
……‥‥・・・
「蒼の妖精!!」
シリギは叫んだ。
「そのヒトだ。僕が見ているのはきっとそのヒト達だよ。えええっ、お祖父様、妖精がお母さんだったの? じゃあ、僕に妖精が見えるのって、何もおかしくないじゃん。ね、その話、兄上達にも言ってよ」
「シリギ殿・・」
婦人の雰囲気がすうっと変わった。
静かな真顔になり、正面から孫を見据える。
「今、貴方にこのお話をしたのは、解って貰える程の大人になったと思えたからですよ」
「な、何を? 馬鹿にされても我慢して見えない振りしてる方が賢いって事?」
「違います、シリギ殿」
ソルカ妃の眉間に影が入った。
・・・‥‥……
***
「俺の髪? ああ、これは『狼の呪い』」
西の森からの帰り道、馬に揺られながら、皇子はソルカの質問に一つ一つ答えてくれた。
「昔、親父が王になる前、『欲望の赤い狼』って魔物に取り憑かれていて。それを諦めさせたのが俺の母さん。でも狼が去り際に、『次に生まれる子供に狼の呪いを』って術を掛けて行ったんだって。で、俺に当たっちゃったの」
「はぁ……」
それって、父王のツケを自分が被らされているって事だよね……
そんな重い話を事も無げに言う皇子に、ソルカは何と答えていいのか分からなかった。
「ソルカは嫌い?」
「いえ……猛々しく強そうで好きです」
「だろ。カッコイイって自分では気に入っているんだけどなあ」
しかし、人間離れした赤い髪,銀の瞳に陰口が絶えない事も、ソルカは知っていた。
代々人外の見える王の一族は、昔はそうやって日常的に人外と関わっていたらしい。
偉大なる大ハーンが大陸を平定したのも、その父親がバラバラだった草原の氏族をまとめ上げたのも、蒼の妖精の助力ありきだったという。
蒼の妖精はこの国の中央、草原大地の人外世界を統べる、古い一族。
人間の世界が荒れたら人外世界も荒れる。
だから彼らの裁量で、足りるだけの助けをしてくれるのだという。
なのに、赤毛の皇子が生まれる以前、正妃ヴォルテにもその他多くの側室にも、妖精の見える子供は生まれなかった。
「だからさ、俺って親父達にとって特別な存在な訳。他の子供より偉いとかそんなんじゃなく。『役割を持って生を授かったんだから、その道から外れちゃいけない』って感じ。多分一生放棄出来ない」
少年皇子は銀の瞳を伏せて口ごもりながら言った。
「そんな面倒くさい俺だけど……一緒になってくれない?」
この人がどんな多難な人生を歩むか想像も出来ないけれど、ソルカは彼の支えになりたいと思った。
ささやかな婚儀と共に、平民の少女は王室に入った。
皇子自身が他者とあまり交流しなかったので、冷や水を被るような親戚付き合いはせずに済んだ。
皇子は王と戦を共にする事が多かったけれど、妖精の母親も同道し、二人を守護していると聞いていたので、安心感はあった。
小さな舘と庭園で、たまに帰る夫は大切にしてくれたし、幸せだったと思う。
ただ……ソルカの子供も、他の王族にも、もう妖精が見える子供は現れなかった。
偉大なる大ハーンが鬼籍に入り、しばらくしてから、皇子(その頃は赤毛の将軍と成っていたけれど)はポツリと言った。
「もう必要無いのかもしれない。妖精が見える子供も、妖精との繋がりも」
「それって……人間だけで平和な世界が築けるという事でしょうか?」
「だったらいいな」
皇子は苦笑いを噛んだ。
いまだ、亡き大ハーンの遺言を受け継いだ戦が続いている。
助けてくれていた妖精が、人間に愛想をつかして見捨てるという筋もあるのだろうか。
ソルカの不安を見透かすように、皇子は首を横に振った。
「妖精も自分達では決められない。彼らは『摂理』に従っているだけだから」
「摂理というのは、誰が決めているのですか?」
「さあ……神だとか大自然だとか、そういう奴じゃない? 知らないけれど。代々人間と繋がっていたのは必要だったからで、繋がりが切れるのは必要無くなったからでとか、そういうの。見える子供が居なくなったら自然に細くなって切れる、それには逆らえないんだって」
「…………」
「ややこしいだろ、いいよ、俺だって最初は分からなかった。いまだに自分の母親が理解出来なかったりするもん」
そういう会話の後、戦の遠征先で、皇子は唐突に亡くなった。
病死だとしか伝えられず、ソルカの元には僅かな遺髪しか戻らなかった。
まだ死を考えるような年齢ではなかった。
戦は続き、侵攻した土地寄りに王都は移って行ったけれど、ソルカは親族の勧めを断って、蜜柑の木の庭園に住み続けている。
そうして二十年と少し…………
……‥‥・・・
「もう昔の妖精のお話も、幻だったかと私の中で薄らいでいたわ」
婦人は更に強い目で正面をみつめる。
「シリギ殿、貴方が生まれるまで」
***
シリギは頭がクラクラしている。
今すごく一杯の事を聞かされた。多すぎて、処理しきれない。
「えっと? 摂理、役割り……?」
「貴方が摂理に沿って生まれたのなら、明確な役割があるという事です。戦は続き、国の膨張が早すぎて統治は行き渡らず土地は荒れ、王族は身内同士で一つの席を奪い合っている。妖精の望む平和な世ではないでしょう。何処かで貴方が必要とされる時が来ますね」
「えっ、えっ………ぇぇ」
シリギは口をパクパクさせる。
田舎で穏やかに隠遁している祖母が、国や王族に対してこんなシビアな口をきくなんて、思いもしなかった。
「そ、そんないきなり……どちらかと言うとその話、父上や叔父上達にするべきじゃ……」
「シリギ殿、大ハーンやお祖父様が何故妖精の事を親族に公にしなかったか、解ると思ったからお話ししたのですよ。『見えない者に信じる事は出来ない』のです」
「あ……ぅ……」
「私には政(まつりごと)は分からないし、妖精とお祖父様がどんな連絡を取っていたのかも知りません。お祖父様は本当に陰(かげ)に徹して国の為に尽力していらっしゃった。でも周囲はそうは思ってくれない。腹に何か持っているに違いないと、敵意を抱く者も少なくなかったでしょう。独りぼっちで険しい道です」
そこまで一気に喋り、ソルカ妃は噛み締めるようにゆっくりと言った。
「妖精と繋がる責務を負うというのは、そういう事です」
すっかり陽の落ちた庭園で、肩を落として俯く男の子。
しばらく無言だった婦人は、ふっと頬の力を抜いた。
「だからね、シリギ殿。貴方に妖精が見える事、人間にも妖精にも、知られてはなりませんよ」
シリギは目を見開いて顔を上げた。
正面で、祖母はいつもの穏やかな表情に戻っている。
「私は貴方に、好きなように幸せに生きて欲しいのです」
何も言葉を返せなかった。
話してくれた事は壮大で深遠だったが、祖母はこれが言いたかったのだ。
カンテラを持った侍女が現れ、夕食の用意が整った事を告げる。
何事も無かったかのように、ソルカはシリギの手を取った。
「今日は泊まって行くでしょう。蜜柑の蜂蜜漬けがありますよ」
食事の間、ソルカは新しいバラの話をし、侍女がそれを受けた。
シリギは大人しく相づちを打っていたが、何かを考え込んでいた。
客間のベッドで枕に頭を置いて、祖母がランタンを持って出て行こうとする時になって、その背にそっと声を掛ける。
「お祖父様のお母さん……もうこの世にいないの?」
ソルカは静かに振り返る。
「……分からないのです。お祖父様が生きていらした頃は西の森で、お祖父様を通してお話したりしましたが。訃報を聞いた後何度か森へ行ってみたけれど、気配がまったく無くなっていたの。妖精は人間の何倍も長く生きるというし、役目を終えて帰るべき所へ帰ったのだと、思う事にしました」
「そう……」
「さあ、もう妖精のお話はおしまい。誰が聞いているか分かりませんからね」
「うん、おやすみなさい」
「おやすみ、偉大なる大ハーン・テムジン様のご加護を」