~時系列表~
1253: バヤン初陣 少年シリギとの別離
1260: フビライ VS アリクブケ王位争奪戦
1264: バヤン帰郷 フビライの配下に
1270: フビライ ユユと会う
1271: ナナ シリギと会う
1276: シリギの乱
1279: シリギの乱終焉へ
***
AD 1270
草原を夏草が覆う。
風の当たらない湿った窪地に、一頭の馬が横たわっていた。
傍らに一人の男性。悲痛な面持ちで短剣を手にしている。
馬は目を見開いて腹を上下させている。
四肢の一本が関節じゃない所から曲がっていた。
「俺が気を付けていればな……」
馬は痛みに涙をためて主を見ている。
こうなってしまったら愛馬の為にしてやれる事はひとつ。
一息で絶命出来る場所を、この短刀で突いてやるだけだ。
「………………」
男性はためらっていた。
早く済ませなければならない。
間もなく供の者が城から代わりの馬を引いて来る。
その前に終わらせて、涙を流し終えておかねばならない。
自分は神の子だ。馬ごときで人前でベソをかいている訳には行かない。
一人で始末を付けると、無理矢理人払いをしたのはその為だ。
この長年連れ添った愛馬の最期すら、威厳持ち見送ってやらねばならぬ。
意を決して短剣を握り直した時……
――・・!?
自分の隣に誰か居るのを感じた。
そんな馬鹿な、誰か来る気配なんて?
いつの間に、隣にしゃがんでいたのは子供だった。
空の色を映したような青色の髪の、十一、二歳の女の子。
一瞬、変わった帽子を被っているのかと思ったが……髪だ。
男性には無頓着に、倒れた馬の額に手を当て、愛しげに見下ろしている。
伏せた睫毛も空色だ。
(人間とは違う者……)
男性は然程(さほど)は驚かず、その子供をマジマジと見つめた。
視線に気付いた女の子が、驚いた顔を向けてきた。
「見えてる?」
「ああ……」
「そうか、あんたはこの子が大切なんだね」
女の子はまた視線を馬に向けた。
「だから、この子とお話に来たアタシが見えたんだ」
「そういう物なのか?」
「そういうモノよ」
額に手を当てられている馬は、目を閉じて、心なしか安らいでいるように見える。
「お前は、馬の魂を迎えに来た何かなのか?」
「ううん、お話ししに来ただけ」
「……こいつは、どんな事を話している?」
「あんたが泣きそうな顔をしてるから心配だって」
「…………・・・・」
男性は神の子たるものの本懐を失してしまった。即ち涙が堰を切った。
「この子は名馬だね」
彼女がポツリと言ったのは少し時間を置いてからだったので、男性も涙に詰まらず答えることが出来た。
「ああ、俺と幾多の戦場を駆け抜けた。俺の武功の半分はこいつの物だ。誇れ高い名馬だ」
「ううん、武功とか何をやったかじゃないの」
女の子は馬の額から頬を撫でながら言った。
「この子の為に涙を流してくれる主が居る、そしてこの子の心の中も主の事で一杯だ。そういう馬の事を、アタシ達は名馬って呼ぶんだよ」
それから顔を上げて男性を見た。
「この子はねえ、風の末裔になるんだよ」
「……風の?」
「風の末裔だよ。アタシ達の馬。」
女の子が視線で促した先には、何とも異形な、草で精巧に編まれた緑の馬が佇んでいた。
「人間の間で研鑽(けんさん)した馬の魂は、何代か繰り返して名馬に昇華したら、蒼の里へ来るの。アタシ達はその魂の入れ物を草で編むんだよ」
「…………」
「この子は蒼の里へ逝くんだよ。だから、そんなに寂しくないよ」
寂しくないよ……という言葉はどちらへ向けて言ったのか。
空色の睫毛の下の一粒の滴と共に、馬は静かに目を閉じた。
「今なら痛みを感じない」
女の子は唄うように囁いた。
男性は短剣を握り直し、正確に急所に差し込んだ。
「なあ、草の馬に宿ったこいつと、また会えるか?」
血溜まりの馬の顔と体には、男性のマントが掛けられている。
「さあ……魂は何も覚えていないし、アタシにもどの魂がこの子か分からない。でも、たまたま会う事はあるかもしれないよ」
最後の言葉はこの女の子のちょっとした優しさだというのは解った。
「お前は、蒼の妖精か?」
女の子は目を見開いた。
「知っているの?」
「ああ、母に聞いていた。父の母親の事も」
「……えと?」
「俺はフビライ。トルイの第二子だ」
女の子はさすがに驚いた顔をした。
「じゃあ、あんたが、この間新しく即位したっていう……王サマっ!?」
「まあそうだ」
フビライは女の子の『王サマ』という言い方が、他の者の『大ハーン』とちょっと違って気に入った。
「えっと、ソルカ妃が、あんたに喋ったって?」
「ああ、偉大なる大ハーン・テムジンの側に、助力する妖精が居た事も、その妖精が我らの父トルイの母だという事も。他に何かあるか?」
「ソルカ妃が……」
女の子は信じられないという顔をしている。
………そうだろう。
母は口が堅かった。
聞き出すのに苦労した。
「母から、蒼の妖精にと言付かっている品物がある」
「え?」
「取りに来て貰えるか?」
やがて侍従が代わりの馬を引いて来たが、彼らは、女の子も異形の馬も気にしない。
本当に見えないんだなと、フビライは胸躍る気分になった。
空色の巻き髪の女の子は、素直に、王達の騎馬の後ろを着いて来た。
あまり、人間ズレしていないのだろうな…………
「ここで待っていてくれ」
草の馬は外に繋いで、城の一室に通された女の子は、その部屋に窓が無いのに気付いた。
扉も妙に厳重だ。
「??……??」
扉の鍵をかけ関貫を下ろしながら、フビライは高揚した気持ちを抑えられなかった。
愛馬は最後に自分に素晴らしい贈り物をしてくれた。
蒼の妖精を手に入れたのだ!!
テムジンと同じように!!
蒼の妖精の娘を………!!
***
草原大地の中央、蒼の里。人間の視認とは別の波長に存在する、妖精達の住処。
中央の執務室への坂を登る、里でただ一人の有翼の妖精。
「ユユがまた居ないんだ」
御簾を開けて入って来るカワセミに、奥の大机のノスリが顔を上げる。
「またか、困った奴だな」
「探しに行く。今日、ボクのやるべき仕事はあるか?」
執務室の主な『仕事』は、外部から毎日のように舞い込む依頼への対応。
『蒼の長』が草原の人外を統べ、平穏を保つ為の古くからのカタチだが、長だけでは手が足りないので、複数の補佐役が常時飛び回っている。
依頼の内容は、信仰儀式やまじないから、争いの調停、裁判、妖魔退治等、様々。
勿論、何でも引き受ける訳ではないが、今の三人長のノスリとツバクロは器用で要領が良く、対応出来る範囲が広い。
残りの一人・・術力特化で社交力ゼロのカワセミは、数は少ないが、彼にしかこなせない特殊な仕事担当なのだ。
「ん――・・」
ノスリは書類の束を手繰りながら、チラと横を見た。
そちらで彼を補佐していた長い髪の青年が、書類から目だけを出して言った。
「今日のこれなら、僕でも出来ると思います……」
「すまない、ナナ」
「いえ、ユユが手間を掛けっ放しですみません」
「手間とは思っていない。弟子に取った者の責務だ」
カワセミはそう言って、双子の片割れとは思えない立派な青年に仕事を託して、執務室を出た。
シリギと出逢った頃からだ。
双子のバランスが崩れ始めた。
ナナは大長に着いて、『内なる眼』を開く訓練に入っていた。
身体も心もグングン成長し、今ではノスリやカワセミの代役が務まるまでになっている。
一方のユユは……どうした事か、成長が一切止まってしまった。
それまではそこそこ伸びていた術の力も頭打ちに、長の血筋の象徴である『内なる眼』も、ウンともスンとも言わない。おまけに身体はいつまでたっても子供。
妖精の成長の仕方はマチマチで、成長が極端に遅い子はたまにいる。
しかしユユの場合、比較対照になる双子の兄がいるのが不味かった。
遅い方は、どうしたって意識してしまう。
更にもう一つの問題。
いい加減一人前のナナが、いつまでも幼名で呼ばれているのが不自然なのだ。
当のナナが、「一緒にこの世の光を見たんだし、成人の命名の儀式だって一緒に受けたいです」と、妙に拘(こだわ)るもんで、ユユはますます肩身が狭くなって行くのだ。
そういう訳で、最近のユユは修行もおざなりに、居辛い里を抜け出して、幾晩も戻らない事がままあった。
ここの所のカワセミの日課は、何処かでイジケているユユを探し出しては、なだめて連れ戻す事。
探すと言っても、捜索系の術は使えない。
何でか、ユユとナナの双子には、通常の術では反応しないのだ。
通信用の護り石も、最近は自宅に置き放し。
で、地道に気配を探して飛び回るしかないのだが。
「本当に、手間だとは思っていない」
カワセミはもう一度声に出して呟いた。
一旦弟子に取ってしまった自分の責務。だから何があっても探し出す。
「とにかく、見捨てちゃダメなんだ……」
馬を駆りながらカワセミは、先立って執務室で長三人で話し合った事を思い出していた。
「これ以上ユユの為にお前に負担をかける訳には行かない。あの子を一度、神殿に戻そうかと思うんだ。ナナの為にも、ユユの為にも」
双子の父であるツバクロが、真剣な表情で切り出した。
「そうだな。ここでキリキリして過ごすより、一回ナナから離れて、お袋さんに相談に乗って貰いながらノンビリ暮らすのが良いかもしれんな」
同調するノスリに、カワセミだけは反論した。
「待ってくれ。今山に帰されたら、あの子は見捨てられたとしか感じない。今まで頑張って耐えていた気持ちがいっぺんに萎んでしまう。見捨てちゃダメなんだ。とにかく見捨てちゃ……」
「それでも今のままじゃ何も進展しないじゃないか」
困ったように問うツバクロに、カワセミも困った顔になる。
何せ、ユユとナナに関しては、予知も透視もさっぱり効かないのだ。
「とにかく、もうちょっとだけ待ってくれ。すべての事に意味がある。ユユが……せめて、何か自分の価値を見出だせるまで」
二人の仲間は、カワセミの一生懸命さにほだされて、ユユの里帰りは保留となった。
――・・僅かなユユの気配!!
カワセミは、空中で馬の方向を変える。
「……見捨てちゃダメなんだ、見捨てちゃ」
過去、もう見捨ててくれと逃げ出しても、しつこく追い掛けて来た師がいた。
何も出来なかった自分と根気よく向き合い、出来る事が一つ見付かる度に大喜びしてくれた。
お前には生まれて来た価値がこんなにもある、と言ってくれた。
あの時あのヒトが見捨てなかったから、今の自分があると思っている。
師と同じ道を歩むのは、カワセミにしたら、水が低きに流れる如く当たり前の事だった。
「あの子にだって絶対に、生まれて来た価値がある筈なんだ」