ネメアの獅子   作:西風 そら

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12・ユユⅡ

 

 

「どうした、どれもお気に召さないのか?」

 

 石壁の部屋には、ラシャの天蓋付きの大きなベッドと、揃いのペルシアの調度品が入れられ、空いた空間一杯に、艶々した絹の衣装や装飾品、金糸銀糸の刺繍の入った靴が並べられている。

 

 その真ん中で、ユユは石の床に座り込んで呆けている。

 

 逃げ出す機会はそこそこあった。

 この現象に戸惑って、気圧(けお)されているのだ。

 物に対しての執着はそんなにない。

 ただ、短時間にこれだけの物を揃えてしまうこの人物に、興味を持ち始めている。

 ……この、子供みたいに物で釣る事しか考えない大人の男性に。

 

 

 妖精の娘は笑うでも感動するでもなく、無表情で無言だ。

 フビライは焦った。

 どうしたらこの娘はここに居たいと思ってくれるだろう?

 どうやったらこの娘は自分を好んでくれるんだろう?

 

 この娘は風の妖精だ。

 するりと手を抜けて逃げ出す事など、きっと容易だ。

 一度逃がすと用心して二度と捕まえられなくなってしまう。

 いっそ鎖で繋いで置こうか……

 

「痛い、イタイーッ!」

 いつの間にフビライは、女の子の小さい手首を掴んでネジ上げていた。

 

「あ、すまない、すまない……」

 口ではそう言うが、フビライは手を離さなかった。

 妖精の娘が痛がって身を引いたからだ。

 手を離したらそのまま逃げてしまう気がした。

 

 ユユはというと、ただ手が痛くて本能で身をよじって逃れようとしているだけだ。

 しかしそうなったら、フビライはもう片手も掴んで動きを封じるしかなかった。

 本当は、逃れようとする者には逆効果なのだが……王は、大人のクセに、そんな事も分からなかった。

 

 両手をネジ上げられても、ユユは生真面目に妖精の力は使わなかった。

 そうすると、人間の大人の男性は、自分をビクとも動けなくなるまで押さえ付ける者だと、初めて知った。

 いきなり、かって無い恐怖に身がすくんだ。

 ・・タ・ス・ケ・テ・・・!!

 

 知った気配が急激に迫って来た。

 

 ――ドガアァ――!!

 

 外側の石壁に大穴が空いた。

 部屋中土ほこりが舞い、豪華な絹は瓦礫に埋もれた。

 

 大穴の真ん中で、水色の妖精が特大の緑の槍を構え、瞳に怒りを燃え上がらせて、仁王立ちしている。

 

「ユユに・・・ふ・れ・る・な!!」

 

 いつもながら迫力ある眉間の縦線。

 草原でユユの降りた気配を見付け、地の記憶を読んですっ飛んで来たのだ。

 ユユに害成す者に王も人間も無い。

 姑息な口車で子供を騙した不埒者!!

 

 普通の人間なら腰を抜かしておしまいだ。

 しかし人並み外れた執念を持っているからこそ、この男性は人並み外れて大ハーンなんて張っている。

 右手で剣を抜いて、左手は妖精の娘を離さなかった。

 

「この娘は俺が召し上げた。去れ!!」

 

 それは無理があるだろう。火に油だ。

 カワセミのこめかみの青筋が生き物のように動いた。

 

 それを見て、一番冷静になれたのはユユだった。

「待って、待って!」

 放っておいたらトンでもない事になってしまう。

 手をネジられたまま、身軽く身体を縦回転させそれを解いて、フビライの前に立ち塞がる。

 

「カワセミ様、冷静になって! 一から七まで数えて――っ!」

 これはユユが癇癪を起こした時に、よくカワセミに言われる台詞だ。

 

 水色の妖精は目を丸くして、一瞬止まってから息を吐いて、肩を降ろした。

 

「それから、あんた!」

 娘は王の方を向き直る。

「アタシはあんたに『召し上げられた』覚えはありません!」

 

 王もしゃっくりをしたみたいな顔になって、止まった。

「手を・離して・下さい!」

 

 小娘に気圧されて、王は指を開いた。

 細い手首に白く痕が付いてる。

 

 即座にカワセミの所に駆けて来ると思いきや、ユユは動かない。

「ユユ? 帰るぞ、来い」

 

 しかしユユは動かない。

 はなだ色の瞳でまっすぐ王を睨み付けている。

 

「ユユ!?」

 

「ねえ、あんた、何でアタシを騙したの?」

 小娘は王を見上げた。

 一直線の刺すような瞳に、王はタジタジとなった。

 

「……すまない」

 思わず、子供の頃以来の謝りの言葉を口にして、正直な言葉がスルリと出た。

「お前が欲しかった。テムジンのように」

 

 その言霊(ことだま)は、マズイ!

 ユユの眼の奥に光が横切ったのを見逃さなかったカワセミは、焦って口を挟んだ。

「相手にするな、帰るぞ! ユユ!!」

 

 しかし嫌な予感が的中してしまった。

 空色の巻き髪がゆっくり振り返る。

「アタシ……ここに居る」

 

 

 ***

 

 

 カワセミは狼狽えた。

「バカを、言っているんじゃない!!」

 

「だって……このヒト、アタシが欲しいって……アタシを必要としているのよ。アタシ、望まれているの。ここに居る」

 ユユは何かが壊れて流れ出すような声で唱える。

 

 まずい、本当にまずい。

 心に穴が開いている所に、丁度スッポリおさまるピースが来てしまったのだ。

 

 お前でなくともいいんだ、妖精なら誰でも……!

 喉まで出掛かった言葉を、一旦呑み込んだ。

 そんな事が分からないような愚かな娘ではない筈だ。

 承知の上で言っているんだ。

 

 

 

 

 …‥・・

 

「それで、おめおめ引き下がったのか!!」

 ノスリの声が裏返った。

 執務室の机を叩いて立ち上がる。

 

「力づくで連れ戻す・・!」

 ツバクロが口の中で呟いて、外へ飛び出しかけた。

 

「待ってくれ」

 カワセミがその肘を掴んで止める。

「ユユが決めたんだ。無理矢理連れ戻したらもっと悪い方向に行く」

 

「これ以上悪い方向があるか!! あの王に関わってはいけない・・そう言っていたのは君だろ。それに、はっきり言って、あの王は、テムジンとは違う!!」

 

「そうだ。あの手の輩が考える事は一つだ。グズグズしてたらユユが手込めにされちまう」

 ノスリのそのまんまな一言に、ツバクロは卒倒しそうになった。

 

 カワセミは息を吐きながら言った。

「……そこん所は釘を刺して来た」

 

 

 ・・‥…

 

 ちょっと話をする……と、ユユを遠避け、カワセミはフビライの胸ぐらを引っ張って顔を近付けた。

「あの娘の母親は、トルイの実母だ。解るか?」

「えぇ……?」

「つまり、お前とは非っ常に近~い血縁だ。『何か』やるつもりだったらお門違いだぞ。畜生道に堕ちるぞ祟られるぞ呪われるぞ」

 

 

 …‥・・

 

「そ、そりゃ、また……」

 ノスリは額に手を当てた。

 

「自分が神の子だなんて言っている人間にそんな倫理が通用するか?」

 ツバクロはちょっと落ち着いたが、まだ心配は拭えない。

 

「うん……その後、ひとつ、カマをかけてみた」

「カマ?」

 

 

 ・・‥…

 

 カワセミはフビライに更に顔を近付けて小声で言った。

「あの娘はあんたのお望みとは違う。即ち『妖精の力を持った自分の子供』はつくれない。どうだ、あの娘を突き放してくれたら、もっとグラマラスで見栄えの良い妖精の娘を紹介するが?」

 

 

 …‥・・

 

「うわあ……」

 ノスリは開いた口が塞がらない。

「トンでもないハッタリだな。大長が聞いたら卒倒するぞ」

 

「紹介するだけだ。その後の事は知らん。嘘は言っていない」

 

「……それで?」

 

 

 ・・‥…

 

 フビライは大真面目に聞いて来た。

「他の妖精の娘も、あんなに可憐なのか?」

「…………は……?」

「だから、妖精の娘って、みんな、あの娘みたいに、可憐で可愛いのか? そうじゃなかったら俺はあの娘がいい」

 

 

 …‥・・

 

「………………」

「………………」

「ボクは……ユユはそれなりに……その、見る角度によっては……可愛いと思っている。だけど、他人がそう言うのは初めて聞いた」

 

 そう、ユユの母親は目の覚めるような麗人なのだが、残念ながら部品は貰っても配置が違うのがユユの外見だった。両親の見目の良い所はみんなナナに集中してしまっていた。

 第一、里へ来て以来連日騒動を巻き起こすお転婆娘を『可憐』だなんて言う口は、里には存在しなかった。

 

 

 ・・‥…

 

「世継ぎは事足りている。配下には『百眼の闘将』に『碧眼の獅子』が居る。今更妖精の能力など必要ない。ただ、側に控えて居てくれれば良い。そういうのは駄目か?」

 カワセミの前で王は目を伏せて、罰悪そうに呟いた。

 言葉にしながら言い訳が削ぎ落とされ、シンプルな欲望だけが残った。

 

 何のことはない、

 要するに……ただ単に……

 ユユが気に入っただけなのだ、この王サマは。

 

「何で、あの娘を可憐だと思う?」

「初対面の俺の馬の為に涙をこぼしてくれた。俺はそんな存在に逢った事がない」

 

 

 …‥・・

 

 ノスリもツバクロも完全に落ち着いて、考え込んだ。

 

 カワセミは続ける。

「あの子の直感力には…………まったく……本当に、まったくもって、叶わない。……あの王にはユユが、本当に、必要だったんだ」

 

 カワセミ自身も、そんなに意識せず言った言葉、『ユユ自身の価値』。

 有るのかもしれない。

 本人すらまだ気付いていない、思いも寄らぬ処に。

 

 

 

 

 

 

 




挿し絵:絹と宝石 
【挿絵表示】

 
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