「どうした、どれもお気に召さないのか?」
石壁の部屋には、ラシャの天蓋付きの大きなベッドと、揃いのペルシアの調度品が入れられ、空いた空間一杯に、艶々した絹の衣装や装飾品、金糸銀糸の刺繍の入った靴が並べられている。
その真ん中で、ユユは石の床に座り込んで呆けている。
逃げ出す機会はそこそこあった。
この現象に戸惑って、気圧(けお)されているのだ。
物に対しての執着はそんなにない。
ただ、短時間にこれだけの物を揃えてしまうこの人物に、興味を持ち始めている。
……この、子供みたいに物で釣る事しか考えない大人の男性に。
妖精の娘は笑うでも感動するでもなく、無表情で無言だ。
フビライは焦った。
どうしたらこの娘はここに居たいと思ってくれるだろう?
どうやったらこの娘は自分を好んでくれるんだろう?
この娘は風の妖精だ。
するりと手を抜けて逃げ出す事など、きっと容易だ。
一度逃がすと用心して二度と捕まえられなくなってしまう。
いっそ鎖で繋いで置こうか……
「痛い、イタイーッ!」
いつの間にフビライは、女の子の小さい手首を掴んでネジ上げていた。
「あ、すまない、すまない……」
口ではそう言うが、フビライは手を離さなかった。
妖精の娘が痛がって身を引いたからだ。
手を離したらそのまま逃げてしまう気がした。
ユユはというと、ただ手が痛くて本能で身をよじって逃れようとしているだけだ。
しかしそうなったら、フビライはもう片手も掴んで動きを封じるしかなかった。
本当は、逃れようとする者には逆効果なのだが……王は、大人のクセに、そんな事も分からなかった。
両手をネジ上げられても、ユユは生真面目に妖精の力は使わなかった。
そうすると、人間の大人の男性は、自分をビクとも動けなくなるまで押さえ付ける者だと、初めて知った。
いきなり、かって無い恐怖に身がすくんだ。
・・タ・ス・ケ・テ・・・!!
知った気配が急激に迫って来た。
――ドガアァ――!!
外側の石壁に大穴が空いた。
部屋中土ほこりが舞い、豪華な絹は瓦礫に埋もれた。
大穴の真ん中で、水色の妖精が特大の緑の槍を構え、瞳に怒りを燃え上がらせて、仁王立ちしている。
「ユユに・・・ふ・れ・る・な!!」
いつもながら迫力ある眉間の縦線。
草原でユユの降りた気配を見付け、地の記憶を読んですっ飛んで来たのだ。
ユユに害成す者に王も人間も無い。
姑息な口車で子供を騙した不埒者!!
普通の人間なら腰を抜かしておしまいだ。
しかし人並み外れた執念を持っているからこそ、この男性は人並み外れて大ハーンなんて張っている。
右手で剣を抜いて、左手は妖精の娘を離さなかった。
「この娘は俺が召し上げた。去れ!!」
それは無理があるだろう。火に油だ。
カワセミのこめかみの青筋が生き物のように動いた。
それを見て、一番冷静になれたのはユユだった。
「待って、待って!」
放っておいたらトンでもない事になってしまう。
手をネジられたまま、身軽く身体を縦回転させそれを解いて、フビライの前に立ち塞がる。
「カワセミ様、冷静になって! 一から七まで数えて――っ!」
これはユユが癇癪を起こした時に、よくカワセミに言われる台詞だ。
水色の妖精は目を丸くして、一瞬止まってから息を吐いて、肩を降ろした。
「それから、あんた!」
娘は王の方を向き直る。
「アタシはあんたに『召し上げられた』覚えはありません!」
王もしゃっくりをしたみたいな顔になって、止まった。
「手を・離して・下さい!」
小娘に気圧されて、王は指を開いた。
細い手首に白く痕が付いてる。
即座にカワセミの所に駆けて来ると思いきや、ユユは動かない。
「ユユ? 帰るぞ、来い」
しかしユユは動かない。
はなだ色の瞳でまっすぐ王を睨み付けている。
「ユユ!?」
「ねえ、あんた、何でアタシを騙したの?」
小娘は王を見上げた。
一直線の刺すような瞳に、王はタジタジとなった。
「……すまない」
思わず、子供の頃以来の謝りの言葉を口にして、正直な言葉がスルリと出た。
「お前が欲しかった。テムジンのように」
その言霊(ことだま)は、マズイ!
ユユの眼の奥に光が横切ったのを見逃さなかったカワセミは、焦って口を挟んだ。
「相手にするな、帰るぞ! ユユ!!」
しかし嫌な予感が的中してしまった。
空色の巻き髪がゆっくり振り返る。
「アタシ……ここに居る」
***
カワセミは狼狽えた。
「バカを、言っているんじゃない!!」
「だって……このヒト、アタシが欲しいって……アタシを必要としているのよ。アタシ、望まれているの。ここに居る」
ユユは何かが壊れて流れ出すような声で唱える。
まずい、本当にまずい。
心に穴が開いている所に、丁度スッポリおさまるピースが来てしまったのだ。
お前でなくともいいんだ、妖精なら誰でも……!
喉まで出掛かった言葉を、一旦呑み込んだ。
そんな事が分からないような愚かな娘ではない筈だ。
承知の上で言っているんだ。
…‥・・
「それで、おめおめ引き下がったのか!!」
ノスリの声が裏返った。
執務室の机を叩いて立ち上がる。
「力づくで連れ戻す・・!」
ツバクロが口の中で呟いて、外へ飛び出しかけた。
「待ってくれ」
カワセミがその肘を掴んで止める。
「ユユが決めたんだ。無理矢理連れ戻したらもっと悪い方向に行く」
「これ以上悪い方向があるか!! あの王に関わってはいけない・・そう言っていたのは君だろ。それに、はっきり言って、あの王は、テムジンとは違う!!」
「そうだ。あの手の輩が考える事は一つだ。グズグズしてたらユユが手込めにされちまう」
ノスリのそのまんまな一言に、ツバクロは卒倒しそうになった。
カワセミは息を吐きながら言った。
「……そこん所は釘を刺して来た」
・・‥…
ちょっと話をする……と、ユユを遠避け、カワセミはフビライの胸ぐらを引っ張って顔を近付けた。
「あの娘の母親は、トルイの実母だ。解るか?」
「えぇ……?」
「つまり、お前とは非っ常に近~い血縁だ。『何か』やるつもりだったらお門違いだぞ。畜生道に堕ちるぞ祟られるぞ呪われるぞ」
…‥・・
「そ、そりゃ、また……」
ノスリは額に手を当てた。
「自分が神の子だなんて言っている人間にそんな倫理が通用するか?」
ツバクロはちょっと落ち着いたが、まだ心配は拭えない。
「うん……その後、ひとつ、カマをかけてみた」
「カマ?」
・・‥…
カワセミはフビライに更に顔を近付けて小声で言った。
「あの娘はあんたのお望みとは違う。即ち『妖精の力を持った自分の子供』はつくれない。どうだ、あの娘を突き放してくれたら、もっとグラマラスで見栄えの良い妖精の娘を紹介するが?」
…‥・・
「うわあ……」
ノスリは開いた口が塞がらない。
「トンでもないハッタリだな。大長が聞いたら卒倒するぞ」
「紹介するだけだ。その後の事は知らん。嘘は言っていない」
「……それで?」
・・‥…
フビライは大真面目に聞いて来た。
「他の妖精の娘も、あんなに可憐なのか?」
「…………は……?」
「だから、妖精の娘って、みんな、あの娘みたいに、可憐で可愛いのか? そうじゃなかったら俺はあの娘がいい」
…‥・・
「………………」
「………………」
「ボクは……ユユはそれなりに……その、見る角度によっては……可愛いと思っている。だけど、他人がそう言うのは初めて聞いた」
そう、ユユの母親は目の覚めるような麗人なのだが、残念ながら部品は貰っても配置が違うのがユユの外見だった。両親の見目の良い所はみんなナナに集中してしまっていた。
第一、里へ来て以来連日騒動を巻き起こすお転婆娘を『可憐』だなんて言う口は、里には存在しなかった。
・・‥…
「世継ぎは事足りている。配下には『百眼の闘将』に『碧眼の獅子』が居る。今更妖精の能力など必要ない。ただ、側に控えて居てくれれば良い。そういうのは駄目か?」
カワセミの前で王は目を伏せて、罰悪そうに呟いた。
言葉にしながら言い訳が削ぎ落とされ、シンプルな欲望だけが残った。
何のことはない、
要するに……ただ単に……
ユユが気に入っただけなのだ、この王サマは。
「何で、あの娘を可憐だと思う?」
「初対面の俺の馬の為に涙をこぼしてくれた。俺はそんな存在に逢った事がない」
…‥・・
ノスリもツバクロも完全に落ち着いて、考え込んだ。
カワセミは続ける。
「あの子の直感力には…………まったく……本当に、まったくもって、叶わない。……あの王にはユユが、本当に、必要だったんだ」
カワセミ自身も、そんなに意識せず言った言葉、『ユユ自身の価値』。
有るのかもしれない。
本人すらまだ気付いていない、思いも寄らぬ処に。