「僕はそれでいいと思います。カワセミ長の判断に賛成です」
朝、事情を聞いたナナは、顔色も変えずにあっさり言った。
「妹が心配じゃないのか?」
ノスリに突っ込まれたが、
「皆さん忘れてるようだけれど、ユユは僕と同い年なんですよ。自分の身ぐらい自分で守れます」
流れるように言い切って、ノスリも、そして父親のツバクロも、一本取られた顔になった。
「で、カワセミ長は?」
ナナは長い髪を肩から滑らせながら、大机の奥の書類に手を伸ばす。
「そんなで、また王都。それで、ナナ……」
「はい、カワセミ長向けの仕事は僕がやります。昨日割り振った時からそのつもりでしたから」
手に取った書類はそれで、ナナはもう段取りを頭に入れている最中だった。
「すまんな」
書類を確認し終え、マントを羽織って執務室を出、ナナは馬繋ぎ場への坂を下る。
後からツバクロが追い付いて来た。
「お前、本当にいいのか?」
「言った通りですよ、ユユは……」
「いや、そっちじゃなくてお前。大丈夫か? 引き受け過ぎじゃないか? 何なら、今の内に僕からノスリに言っておいてやるぞ」
ツバクロはこれから、西方の砂漠の国へ旅立つ。
フレグが王朝を開いた事で人外世界も影響を受け、古い種族間で混乱が続いている。
向こうの風の部族が結構な被害を被り、今、大長が出向いて面倒を見ている。
それの一時交代要員として行くのだ。
「それでなくとも手が足りないのに、ノスリの奴、いつまで経ってもカワセミに甘いから」
「大丈夫ですよ」
ナナは父親を遮った。
「カワセミ長の仕事自体は数が少ないし、シンプルですから」
「ならいいが……」
「そうだ、近々母上の所へ行く予定はありますか?」
ナナが話題を変えるように言った。
「もしあったら同道させて下さい」
「ん、ああ、そうだな。ユユの事も知らせておいた方が良いだろうし。西の出向から戻ったら行こうか。しかしどうした、珍しいな?」
「ええ……ちょっと」
そこまで話した所で馬繋ぎ場に着いた。
柵にはこの日出掛ける者達の馬が引き出されているが、ナナの馬だけ一回り大きい。
「また馬高が上がったんじゃないか?」
「はぁ、これ以上大きくなられても困るんですが」
「遠目だと大長の馬と見間違うな」
「…………」
草の馬は主の資質に合わせて成長する。
ナナは長となる資質充分、という事だろう。
母親が長の家系の本流という、血統から言っても当然で、周囲も普通に納得していた。
「もう少ししたら、僕の道案内無しに高空飛行が出来るようになるかもね」
馬好きのツバクロは嬉し気に息子の馬を眺める。
「まだまだ怖いです。高い所の気流ったら、トンでもなく速いんだもの」
「慣れれば簡単なんだけれどね」
ツバクロは自分の馬の馬装を手早く点検し、鐙(あぶみ)を降ろして跨がった。
普通でない飛行をする彼は、馬装を自らチェックするのは欠かさない。
「ナナならすぐ出来るようになるさ」
手綱鞭一閃、一瞬で青空の点になる父を見送ってから、ナナは自分の馬に視線を移した。
馬は切れ長の気高い目でナナを見つめ返す。
子供の頃はクリクリした懐こい目をしていたのに、全然違う馬になってしまった。
自分に合わせて成長してるんだから、自分に合っている筈なのに、全然そんな気がしない。
「行こうか……」
そぉっと跨がると、力溢れた馬はグンッと急上昇しようとした。
「待って待って! お前は、真似しなくていいの!」
手綱を絞って馬を抑える。
「ふう……」
やっと最近安定して飛べるようになった。
この馬は力が有り過ぎる。ユユなら大喜びなんだろうが。
妹の幼顔を思い浮かべる。
七歳で里へ来た翌日、昏睡にあったカワセミ長に、ナチュラルにコンタクトを取ってしまったユユ。
自分が一生懸命基本の勉強をこなしている間に、軽々と長の一人の弟子に収まって、何だか訳の分からない魔法を使いまくっていたユユ。
「生まれながらに何かを持っているとしたら……それは、ユユだ」
あの妹より先に名前を貰う訳には行かない、という思いがあった。
せめてあの子に追い付いたと思えてから、一緒に拝命したい。なけなしの自分のプライドだ。
嫉妬とか焦りを持った時期もあったが、今はそういうのは通り過ぎている。
忙しい父の代わりに育て親をやってくれたノスリのお蔭だ。
自分の能力を把握し、立ち位置を確立させて、やるべき仕事をきっちりこなす。
ナナは三人長の中でノスリを最も尊敬し、彼のようになりたいと思っていた。
当のノスリは知らずに、ナナにはもっと高い次元を求めているのだが。
「みんな、知らないようだけれど……」
すっ飛んで行きそうな馬を抑えながら、空の上もあって、大きな声で独りゴチた。
「僕、意外と平凡なんだぞ」
***
里からユユの姿が消えても、カワセミは一見あまり変わらなかった。
ただ、長年側に居る仲間には、彼の心が此処に無く、精彩を欠いているのが分かった。
で、微妙にナナに負担が行く事になる。
その日もナナは、外で一仕事終えて帰路、王都の側を通り掛かった。
街や人家の上はあまり飛ばないのが定石だが、つい王宮を覗いてみたくなった。
「あそこにユユが居るのか」
宮殿は前々王の時代からの物だが、門構えや庭園は新たに設えられ、明るくきらびやかだ。
「何だかあいつ、お得な星の下に居るよな」
庭園の一角にユユの馬が遊んでいるのが見えた。
用心しながらそこに降りてみる。
ナナだけでなく、好き好んで人間の陣地に入る妖精はあまりいない。
「妖精が見えるのは王だけだし、大丈夫だよね……」
ナナはキョロキョロしながら、ユユの馬に近寄った。
「久し振りだね」
まだあどけない仔馬の顔の馬が、ちょっぴり羨ましかった。
庭園の一角にはユユの馬の好物の赤爪草が、これでもかとばかりに積み上げられ、真鍮の水桶が置かれていた。
草の馬が見えない侍従は、訳の分からないまま草を刈り、朝夕新鮮な水を入れ替えさせられているのだろう。
馬のタテガミには金糸のリボンが編み込まれ、額飾りはトルコ石やらルビーやらで、王冠のように飾り立てられている。
「凄いな……」
「スゴいよね」
ナナは横っ飛びした。
忘れてた!
このヒトが居たか!
「蒼の里ではナニ考えてんの?」
淡栗毛のその人は、ユユの馬の鼻面を撫でながら、ナナに向き直って微笑んだ。
「ナナ……だよね。大長さんかと思った」
「ひ、久し振りです……シリギ殿」
「シリギでいいよ。妖精には僕の階級なんて無関係だろ」
ナナがシリギに会うのは、彼が瀕死で里に運び込まれた子供の頃以来だ。
お互いもうすっかり大人に変わったのに、お互い一目で分かった。
「里で寝込んでいた時、君も看病してくれたよね」
あの頃とあまり変わらない、母やユユと同じはなだ色の瞳で、懐っこく見詰めて来る。
ナナは意味もなくドギマギした。
「えと、シリギ……は、何でここに? 住んでいるのは昔の王都の方でしょ?」
「ああ、王に呼び出し食らった。しょーもない事で」
「……」
「新しい馬が欲しいんだと。僕の葦毛を寄越せってさ」
「……はあ」
王って……人間のワガママの権化なのか?
「そんで言ってやった。戦場でいっちゃん目立つから面倒くさいっスョ! って」
ナナは吹き出した。
シリギも顔をしかめて笑った。
「本当はそんなしょーもない呼び出し程度で、わざわざこんなクソ宮殿くんだりまで来てやんないんだけどね」
大ハーン相手に物凄い言い草だ。
「カワセミに頼まれているからね。機会ある毎にユユの様子を見て置いてくれって」
ナナは笑顔が少し消えた。
またユユか……
そんなナナに気付いてか気付かないのか、シリギは飄々と続ける。
「玉座の横にちんまり座って、他の者には見えないのに、王がメチャメチャ飾り立ててんの。あれじゃリボンと宝石のお化けだぜ」
ナナは想像して吹き出しそうになった。
「完全に自己満足の世界だね。王も僕もお互い見えている事は、知っていて知らない振りだから、ユユもかしこまっていたけれど、帰り際、肩をすぼめて溜め息付いて見せた。どうも、母君とテムジンみたいな冒険活劇を夢見ていたが、思ってたのと違った、って顔で、非常に退屈気だったよ」
聞いている内にナナはまた苦笑しだして、シリギも微笑んだ。
「葦毛は口実。本当はユユを僕に見せびらかしたかったのさ」
シリギは微笑み続けたまま言ったが、ナナは真顔になった。
「ああ、ごめん。勿論ユユは物じゃない。そういうカンカクの人間もいる、って事さ。特にフビライはね。僕の親父もそうだったけれど、テムジンにすんごいコンプレックスがあるんだ。で、『どうだ、凄いだろ、俺はテムジンと同じに蒼の妖精を侍(はべ)らせているぞ!』って」
ナナは目を丸くしたが、恐れていた人間の王が妙に子供っぽく思えて、可笑しくなった。
「じゃ、じゃあ、貴方も僕を従えて練り歩いてみますか? 王の前を!」
今度はシリギが目を丸くした。
「あっはははは! そいつぁいいや! 君の方がユユより何百倍も見栄えが良い。あのヒトすんごい顔するぞ!」
すんごい失礼な事を口走っているのだが、彼が言うとナナは全然不快にならなかった。
「本当に行きますか?」
「いや、やめて置こう。洒落になんなくなる……」
笑い過ぎて涙を浮かべながら、シリギはユユの馬から手を離した。
「あの人はねぇ、昔っから他人のモノとなると、欲しくってたまらなくなるのさ」
ナナはそびえる城壁を見上げて聞いた。
「玉座も……ですか?」
「フレグみたいに南の一王で収まっていてくれれば良かったのに」
シリギはもう笑っていなかった。
もう何年も、カワセミ長がシリギの所へ通い詰めて、何やら画策しているのは知っている。
残る二人の長が大体の事は把握しつつも、彼に任せて手出ししない事も。
考えてみたら、自分よりもずっと迫力あって気難しい有翼の妖精と、この人は本当につるんでいるんだ。
王のやっている事がお子様ランチにも見えるだろう。
ナナはこの淡栗毛の、自分と少し血縁のある男性を、もう一度真剣に見つめた。
「そういえばさ」
シリギは思い出したように口を開いた。
「前から気になっていたんだ。君とユユって……」
「・・??」