ネメアの獅子   作:西風 そら

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~時系列表~
1253: バヤン初陣 少年シリギとの別離
1260: フビライ VS アリクブケ王位争奪戦
1264: バヤン帰郷 フビライの配下に
1270: フビライ ユユと会う
1271: ナナ シリギと会う
1276: シリギの乱
1279: シリギの乱終焉へ

   ***


17・シリギⅠ

 

 

 カワセミは一足遅れた。

 

 王都に到着した時には、ユユはもう飛び出した後だった。

 妖精の娘の居室の窓は開け放され、もぬけの殻だった。

 

 目を閉じて探ってみるが……

「……駄目か」

 とにかく、何でかユユとナナの双子に関しては、予知も透視も効かない。

 まるで二人がこの世に存在しない者のように。

 

「成りは子供だが、教えは叩き込んでいる。滅多な事はしでかさないと思うが」

 

 王都にそびえる城は冬前の蜜蜂の巣のように、人間が忙しなく走り回っている。

 だが差し当たって、フビライ自らが動く事はないだろう。

 

 水色の妖精は馬を返して、草原台地の中心へ引き返した。

 

 

 ユユは高度を上げて馬を飛ばしていた。

 カワセミがあまり高い所を飛ばない事を知っていた。

 今、あのヒトに会ったら、感情を抑えられず喧嘩してしまう。

 

 フビライは悪王ではない。

 というか、近年稀に見る賢王と言って良い。

 ユユの贔屓目でなくとも、テムジンの後継を名乗って遜色無い。

 玉座争いで混乱した中央をまとめるのも素早かったし、大陸南方の征服も、バヤンの人柄もあるが、異例な程血を流していない。

 今更そのフビライの支配に抵抗する事も、自らが玉座を狙う事も、ユユの知っているシリギからは考えられなかった。

 

 ユユは飛びながら、一所懸命心を落ちつけようとした。

 

 ……理由は、あるのだろう。

 あのヒトはずっと自分の生まれた意味を探って生きて来た。

 カワセミ様はその手助けをしていた。

 これがその過程なら、行き着く答えがあるんだろう。

 

 でも、アタシは……

「王サマを助けたい!!」

 ダメだ、やっぱり感情が勝ってしまう。

 

 ――!!?

 不意に後ろから腕を掴まれた。

 心肺の弱いカワセミはこの高さは飛ばない筈?

 

 長い髪を顔に掛け、眉根を寄せてユユを覗き込んで来たのは、双子の片割れ、ナナだった。

 

 

 

 

 シリギは目を閉じていた。

 とうとうこの日を迎えた。

 

 フビライの元へはもう戻れない。

 主張が違っただけの後継争いとは違う。

 今回のは正真正銘裏切りだ。

 あの憎めない苦笑いがもう見られないのは、ちょっと寂しい。

 嫌味ではなく割りと本気で。

 

 戦の陣の天幕の外から、仰々しく声が掛かり、毛色の違った武将が通された。

 甲冑の出で立ちが微妙に違う。戦慣れて着こなれていた。

 

「此度は……何と言うか……我等はどう受け取れば良いのであろう?」

 本来の戦相手、オゴデイ一族の軍勢よりの使者だ。

 

 シリギは立ち上がって、ぶっきらぼうに答えた。

「素直にそのまんまだ。我等はフビライに反旗を挙げた。即ちあんたらの敵では無くなる」

 

「いきなりそう申されても……」

 

「事前に相談が必要か? それであんただったら素直に信用するか? やっちまったらそれだけが事実だ。あんたらはこちらを受け入れざるを得ない」

「…………」

 

「もひとつ証が欲しいだろ。」

「…………」

 

「人質の皇子二人をくれてやる」

「何と……!」

 

「あんたらはフビライに対して非常に有利に立てる訳だ。少なくとも自分達は安泰だ」

 

「……その申し出、本当に我が大将に伝えても宜しいか? その変わり反乱軍に手を貸せと言う事で?」

 

「うん、まあね」

 淡栗毛の将は少し首を傾けた。

「それより、最優先に守って欲しい約束事があるんだけれど」

 

「出来得る事なれば」

 

「皇子には皇子としての扱いを。礼節を外しては誇り高き王家ではなく、ただの蛮族に成り下がる。……あいつらに何かやったら碧眼の獅子が黙っていないからね」

 

「………解り申した」

 使者は最初の無骨な態度ではなく、丁寧な礼をして天幕を出た。

 

 

 

 その使者に見える由も無いが、天幕上の落葉松の枝に、双子の姿があった。

 

「シリギ……」

「会って行く?」

「ううん、やっぱりシリギはシリギだって、分かっただけでいい」

 

 ここへ来る道々、ナナは、ノスリに聞かされた自分の知っている事を、ユユに伝えた。

 シリギが何をしようとしているか、何と闘っているのか。

 

「シリギは、王サマを苛(さいな)むのが目的ではないのね……」

「うん」

 

「アタシ、分からなかったの。シリギが何で戦を手段にするのか。話をして解決出来ないの、って」

「ユユ……」

「違ったんだわ。王サマと話していても、何となく気付いた。人の欲が生む争いはもうそこにある物で、抗(あらが)えない大きな河で、シリギはそこに飛び込んで、流れを変えようとしていたのね」

 

 頑張って考えをまとめる妹の横顔を見つめ、兄は口を開いた。

 

「僕らは人間の業(なりわい)に手出し出来ない。シリギはそれが解って、一人で引き受けている」

 

「アタシ達、本当に何にも出来ないの?」

 

「これから何がどんな形で来るか分からない。人間界が荒れると必ず人外界にも悪い影響が出る。蒼の里では、日々をまっとうに積み重ね、他部族との連携を密に張る事で、守りを固めている。地味だけれど、ノスリ長も父上も、頑張っているんだ」

 

「……ナナも?」

「うん……まあ」

 

「アタシは子供で我が侭だから、何の役に立てないのね……」

 

「それは、違う」

 ナナは声を高めた。

「ユユは……」

 ここまで言いかけたら、言ってしまった方が良いだろう。

「カワセミ長が、ユユには何も知らせないまま好きにさせて置くべきだと言ったんだ」

 

「カワセミ様が、アタシを放って置けって?」

「いやそうじゃなくて……あのね、フビライ王は、ユユと出会った最初の頃と、おんなじか?」

「ううん? ……色々変わったと思う。話が通じるようになったり」

 

「だろ、そういうのって、他の誰にも出来ない。予知の効かないユユが王の側に居る事によって、予知から外れた予想も憑かない未来が来るんじゃないかって。そうカワセミ長が」

 

「カワセミ様が……」

「ユユにもちゃんと役割が…………ああ、噂をすれば」

 ナナは慌ててユユを引っ張って、落葉松の枝の中に姿を消した。

 

 朝もやの中、カワセミがシリギの陣に降りて行くのが見えた。

 久し振りに見る師は、えらくやつれて頬が蒼白い。

 

「??……こんなに近くに居るアタシ達に、何で気付かないの?」

「うん、ずっとああなんだ、あのヒト。精彩を欠いちゃって」

 

「ど、どこか悪くしているんじゃないの?」

「いや、単純に、ユユが横に居ないからじゃないか?」

 ナナがシレッと言った。

「ぇ・・えっ?」

「からかっているんじゃないよ。本当にそう思うだけ」

 

「…………」

 何だろう、何で喉の奥がせり上がって来るんだろう。

 こんな事くらいで悔しい、バカ、アタシ。

 

 泣きべそを喉に押し込む妹に、ナナはそっと話し掛けた。

「ねぇユユ、さっき、自分達は本当に何も出来ないのかって聞いたろ? 僕もずっと考えていた。それで、考え付いた事がある」

 

「ナナ……?」

 

 

 ***

 

 

 南方の地平に陽炎のように横に長い影が現れた。近付くにつれてそれが延々続く大部隊なのが分かった。

 大ハーン、フビライの命を受け、反乱軍討伐に参じた『百眼の闘将』バヤンの軍勢。

 

 先頭近くに、眉間に幾重にも皺を刻んだ大将が、出立してから一言も喋らずひたすら馬を進めていた。

 その面持ちは歩を進める毎に沈痛になって行く。

 側付きの者は、腫れ物に触るように口を聞く事も出来なかった。

 いつもは豪気な部下思いの大将なのに。

 

 王都に帰還し、目通ったフビライも、更に多くの皺を刻み、鉛を呑み込んだような顔色をしていた。

 王は形式ばかりの勅命を授け、将は言葉少なに粛々とやるべき任務に付いた。

 

 

「王サマ」

 謁見の間から下がったフビライが一人になるのを見計らって、ユユが駆け寄った。

 妖精の娘が居室を出て城内をうろつくのは珍しい。

「今のヒトが百眼の闘将?」

 

「ああ、奴が来たからには安泰だ。反乱軍は一年以内に沈黙するだろう」

「そう……そうね、皇子サマ達、早く帰れるといいね」

 

 あの日、ユユは夜遅くに帰って来た。

 故郷の兄に行き逢って説得され、シリギには会わずに引き返して来た、と言う。

 漏れ聞いた話として、皇子は酷い扱いを受けていない事だけを教えてくれた。

 そしてそれからシリギの事は一切口にしなくなった。

 

 兄と話しただけなら何故そんなに遅くなる? 本当はシリギに会って何か申し合わせたんじゃないか? と、一瞬疑ったフビライがすぐに恥じ入る程、妖精の娘は王に真摯に接した。

 この娘が嘘がつけず演技も出来ないのは、フビライには分かっていた。

 無用に長年一緒に居た訳ではない。

 

「ユユ? どうした?」

 自分に顔を向けたまま動かない娘に、王は聞いた。

 あの日以来、やたらと見つめられるのは気のせいか?

 

「あ、ううん、百眼の闘将はすぐに発つの?」

「明朝だが、何故だ?」

「用事があるの」

「お前が、バヤンに?」

「ううん、闘将の後ろに居るヒトに」

 

 

 

 

 

 月が照らす庭園の水盤の塔の上、妖精の娘がスッと立つ。

 

 上空の三日月が一瞬歪んで、逆光に赤い狼の姿が浮かんだ。

 

「久し振りだな、蒼の妖精のお嬢ちゃん。俺様に用があるって?」

「……アタシとナナに猪介(ちょっかい)出すのを止めたと思ったら、そんな所に居たのね」

 

「つまんねぇ蒼の妖精のガキどもより、野心溢れる人間の若武者の方が、初(うぶ)で素直で楽しいぜ。しかも奴(やっこ)さんの親方の身の内に、何やらヤバイ代物が燻(くすぶ)っていやがる。ああ面白い面白い」

 

「…………」

 ナナに教えられた後、ユユも集中して王を見るようにしていた。

 確かに、ある。

 今まで気付かなかったフビライの胸の奥深く、チロチロ瞬く、オレンジの細い三日月のようなひび割れ……

(・・大昔、カワセミ様を九死に一生の目に遭わせた・・災厄!!)

 

 シリギはアレを見ていたんだ!!

 ずっと、アレと闘っていたんだ!!

 

 

「青い眼の小僧の命乞いなら無駄だぜ。すべてはバヤンの意思だ。俺様は手助けしているだけ」

 

「手助け? どんなヒトだって欲望は湧く。でもそれを抑えて忘れて、忘れなかった物の中から本当に欲しいモノを見付けて行くのよ。何でも叶ってしまうと、そのヒトは何が大事か見失ってしまうわ。そうしていつまで経っても満足出来なくて、破滅するまで止まれなくなる。それが手助け?」

 

「知った風な口を聞くじゃねえか、いつの間にそんなにお利口になった? お嬢ちゃん!」

 

「ア、アタシ一人じゃなくて、ナナも一緒に考えてくれたの。あんたを説得する言葉」

 

 狼は大口を開けて笑った。

「阿呆だ、本当に阿呆だな! 普通言わんぞ。説得力ゼロになるだろが」

 

「本心は、アタシ達のどちらかに取り憑きたいんでしょう?」

 

「う~~ん・・?」

 狼は空中を歩いて、ユユに息が掛かるほど、大きな牙を近付けた。

「何を、企んで、いやがる?」

 

「そ、そうすれば、あんたが……」

 そう、ナナと別れた後、城へ帰る前に、寄り道をした場所がある。

 そちらは自分一人の判断だ。赤い狼と対峙するなら、是非とも助言を得たいヒトがいた。

「あんたが、嫌がらせをしたいヒトに、一番効果的な嫌がらせを、出来るものね!」

 

 赤い軌跡を描いて、狼は宙返りで後退した。

「母親にも入れ知恵されやがったな!!」

 

「ねえお願い、百眼の闘将の元を去って。災厄に荷担をするのは止めて。だってあんた、そんなに牙を剥いているけれど、本当はすっごくイイヒトなんでしょう?」

 

「ややややかましい! ああイヤだ、イヤだ! その手でテムジンからも剥がされたんだ! 俺様はな、地上が地獄に落ちた方が都合が良いんだ!」

 

「あんた、欲望のエネルギーが尽きると、カタチを保っていられないんだってね。だからそんなに強がって、ヒトの心を煽るんだ。でも苦しそうだよ。いつもとっても苦しそう」

 

 狼は牙を剥いて娘の喉笛に迫った。

「二度と!! 俺様に!! そんな口を!! きくんじゃねえ!!」

 

 ユユは目を見開いて刃物みたいな牙を見つめ、絞り出すように言った。

 

「アタシ……アタシは、あんたの為に、何が出来る?」

 

「だ・ま・れ!!」

 

 

「妖(あやかし)……?」

 月光の庭、いつの間に、バヤンが立って居た。

「どうした、何と話している? 妖」

 

 妖精の娘の姿は消えていた。

 

「何でもねぇ。とっとと寝ろ。明日から忙しいんだろ?」

 狼は空中を歩いて、バヤンに寄り添うように周囲を回り、大きな声で言った。

「青い眼の小僧っコの首を掻っ切りに行くんだよナ!!」

 獣はクルリと回って闇に消えた。

 

 バヤンは立ち尽くしていた。

 噴水の池に映る、目の下に隈を作った幽鬼のような自分を茫然と眺める。

 その水面に一瞬女の子が映ったような気がした。

 

 驚いて見直したが消えていた。

 

 

 

 

 

 

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