ネメアの獅子   作:西風 そら

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18・シリギⅡ

 

 

 百眼の闘将はフビライの期待に違わず、目覚ましい活躍をした。

 まず、草原中央を制していた反乱軍をたちまち蹴散らし、失った所領をあっと言う間に取り戻した。

 オゴディ家の軍も、その他の元々の勢力も、大きく後退した。

 

 しかしバヤンはシリギに辿り着けなかった。

 あちこちで出現の情報は耳にするのだが、まるで鬼遊びでもしている様に、バヤンが到着すると、スルリスルリと別の所に移動しているのだ。

 

 バヤンが執拗にシリギを追い掛けるもんで、戦の段取りは乱れ、不必要に長引いた。

 知将らしくもない、と揶揄されたが、バヤンは碧眼の獅子にこだわる事を止めなかった。

 

 バヤン本人にも説明付けられなかった。

 裏切られた憎しみだけでは無い。

 この長年の焦然とした乾き……それは、淡栗毛のあの少年にたどり着く事でしか、解消出来ない気がした。

 何でかそんな気がした。

 

 

 

 AD 1279

 

 バヤンの進攻で、今や反乱軍はその体を成していなかった。

 協力する筈のオゴディ家の元々の勢力も、人質の身柄だけを受け取って、地元の戦に集中していた。元々烏合の衆なのだ。

 

 バヤンを長とした小隊は、今、まさに反乱軍最後の将、碧眼の獅子を追い詰めていた。

 

 奇しくも大昔、少年だったシリギがバヤンを見送った、旧王都の城跡だった。

 

 シリギが籠城しているとの知らせを受け、バヤンは身軽に手近な小隊だけを引き連れて、夜闇の中を急行した。

 今度こそ逃してなるものか、何、もう兵も残り少ない筈だ、こちらも兵隊など少数で構わん! と思っていたが……

 

 油火を放って燃え盛る城から逃げる人影は無かった。

 また藻抜けの殻!?

 

 バヤンは急遽、小隊に周辺の逃げ道を固めさせ、自分は単身城内の火の回っていない箇所に踏み込んだ。

 シリギが折角復興させていた城は、反乱の年月で、また廃墟と化してしまっていた。

 

 ――……!?

 目の前を、白い小さな蝶が横切った。

 こんな炎の戦場に?

 

 蝶はバヤンの周りを一回りして、奥の細い通路へ飛んだ。

「…………」

 吸い寄せられるように蝶の後を追った。

 崩れた煉瓦の路地を抜けて、蝶は城の裏へと誘う。

 

 不意に緑が広がった。

 まだ涼しさを残す蔦の垣根の先に、古い木戸がある。

 垣根など薙ぎ払ってもいい物を、バヤンは律儀に木戸まで歩いてそれを押した。

 

 開けると別世界。

 野バラが野放図に広がり幾重ものアーチを作る、目もあやな庭園。

 炎を潜って来たバヤンの肌に、生き返るような冷たい風が当たった。

 

 奥に進むと、白い花が満開の木々の広場。

 戦場にそぐわない清しい香りが満ちる。

 

 広場の中心、月に照らされたその下に、追い求めていた碧眼の獅子が

 ……居た。

 

 スクと立って俯いて。

 人指し指の先の蝶をふっと吹くと、それは花びらとなって散った。

 そうして、バヤンの方を向き、ゆっくりと目を上げた。

 その顔に追い詰められた敗将の焦りは微塵も無い。

 

 バヤンの方が狼狽えて、抜刀しながら辺りを見回した。

 

「・・独りか!?」

 

「うん」

 

 シリギは剣を習っていた少年の頃と同じ口調で言った。

「ここまで着いて来てくれたからね。皆、城にある物を好きなだけ持って、故郷へ帰れと追い出した。もう大した物も残っていなかったけれどね」

 

 突っ立ったまま動かない相手に、バヤンは剣を構えて叫んだ。

「抜け!!」

 

 シリギはまだ動かず、バヤンを見ている。

 

「私は、お前を倒す為に、戦場を駆け、ここまで来たのだ! 抜け! 私と剣を交えよ!!」

 

 また俯いてシリギは、剣に手を掛けた。

「バヤンがそれを望むなら」

 

「おう!! 剣を教えた甲斐があったと思わせてくれ!!」

 

 バヤンは高揚して、自分でも思いがけない台詞を口走った。

 シリギはちょっと止まって、それから……ちょっと笑った。

 

 蜜柑の花散る庭園で、百眼の闘将と碧眼の獅子は、心行くまで剣を打ち合った。

 

 自分は、これを求めていたのだろうか……?

 

 不意に、辺りの明るさが増した。

 燃え盛る城の火が飛んで、蜜柑の木に移ったのだ。

 勢いの付いた炎は瞬く間に樹々に広がる。

 

 シリギがそれを見て棒立ちになった瞬間、闘将の剣が彼の剣を弾いた。

 赤い石の付いた剣は、クルクル回って離れた所に刺さった。

 そのままバヤンはシリギに飛び掛かり、押し倒して剣を首に当てた。

 

「・・!?」

 組み伏せられても視線を蜜柑の木から離さない相手に、闘将は躊躇した。

 

 シリギは他人事みたいに穏やかな声で言った。

「僕の首を持って勝凱(かちどき)を挙げれば、この戦は終わりだ。人質も返る。君の義兄も」

 冬空の薄蒼の瞳は、炎を背景のバヤンをただ映していた。

 

「何でだ……お前は、何を考えている? 何を、望んで……」

 

「とっととその首をハネろぉおお――――!!」

 

 バヤンの後ろから赤い獣が飛び出した。

「お前さんは、こんな所で立ち止まってちゃいけないんだよ! まだまだ、まだまだ、その闘将の血を燃え立たせ、俺様を楽しませてくれな、く、ちゃ…………!???」

 

 

 獣の鼻先に、いきなり緑の槍が突き付けられた。

 

 シリギに馬乗りになったバヤンを挟んで、反対側に立つ者。

 額に深い縦線を刻んで狼を睨みつける、水色の長い髪を逆立てた男性。

 

 バヤンは目を疑った。

 その男性にはどう見たって、背中に羽根があるのだ。

 しかも裸足の足は宙に浮いている。

 

「貴様の相手は、このボクだ……!」

 有翼の男性は地の底から湧くような声で唱えて、槍を構え直した。

 

「へえ? へへへえ・・!!」

 赤い狼はバヤンとシリギからいっぺんに興味が飛んだように、声を弾ませた。

「蒼の妖精の現役の長殿が、俺様の相手をしてくれるってぇ!? そいつぁ、そいつぁ、面白い! 面白過ぎて顎が外れっちまう!!」

 

「カワセミ!!」

 黙っていたシリギが叫んだ。

 

 妖精は深い水色の眼を細めて、彼を見る。

「こいつは、ボクの管轄だ」

 それからバヤンを見た。

「こんなのに憑かれていたのは、お前自身の弱さだ、惰弱者が」

 

「『こんなの』で悪かったな!!」

 狼が妖精に飛び掛かった。

 妖精は一瞬で消え、離れた上方に乗馬した姿で現れた。

 

 狼は踵を返す。

「へへっ、そう来なくっちゃ。本気出せよぉ!!」

 

 狼は赤い光となり、蒼い光ともつれ合いながら、月光の空へ急上昇して行った。

 

 残ったバヤンは暫く茫然としていた。

 あの妖(あやかし)は、自分の妄想ではなかったのか……

 

「……ねえ」

 身体の下のシリギの声で我に返った。

「やるならさっさとやってよ。さすがにこの状態のままは……ちょっと辛い」

 

 バヤンの剣は、シリギの首を地面に押さえ付けたままだった。

 

 

 ***

 

 

 旧王都の上空高く。

 赤い光と蒼い光が水平の円を描いて睨み合っている。

 

「蒼の妖精の長殿とやり合えるなんて、骨の髄までギンギン疼くぜ!!」

「そんなに闘うのが好きか?」

「当たり前だ、俺は身体の芯まで戦神だ。強い奴とガンガンビリビリどつき合うのが至上の歓び!!」

 

「……そうか……申し訳ないが、ちょっと残念な事を報せねばならない」

「??」

 

「実は、マジ物の戦闘って、ほぼ、した事が無い」

 

「何だとぉお!! お前、蒼の里の『不世出の術者』じゃねぇのかよっ!!」

 

「最初のくすぐりで、概(おおむ)ね相手が降参してしまうんだ。本気の術のどつき合いなんか、やった事が無い」

 

「あのタイミングで割り込んで来て、そゆ事ゆーなよぉお――!!」

 

「闘わないとは言っていない」

 カワセミは槍を頭上に掲げてピタリと止めた。

「手加減のやり方を知らないって事だ。だから…………悪く思うな!!」

 

 槍はマックスの光を放って狼へ一直線に飛んだ。

 

 

 

 

 上空の強い光に目を細めて、シリギは座り込んでいた。

 夜空を照らす炎の中で、蜜柑の木が花を散らせながら崩折れて行く。

 隣でバヤンも座り込んでいた。

 

「バヤンにも、あの光、見える?」

「ああ、他の人間には見えていないのか?」

「うん」

 

「それで、さっきの話の続きだが」

「うん」

「フビライ王が災厄を抱えていると言ったが、私にはあの方は素晴らしい王に思える」

 

「うん……」

 シリギは膝を抱えて、形を無くしていく庭を見つめていた。

「叔父上は良い王だ。僕もそう思う。災厄はあの人の良い悪いと関係無い。あの人も被害者なんだ」

 

 バヤンは黙って、炎色に染まる淡栗毛の横顔を見つめた。

 さっきの妖精や妖を見ていなければ、自分にだって信じられない話だ。

 だから、自分にも、誰にも、話さなかったシリギの気持ちは分かる。

 

「そもそも、災厄とやらは何なのだ? 国を滅する程の力を持つと言われても……」

 

「教えてくれたのは東国の古い古い部族らしい。中身は色々で、大地の生業だったり、戦争とか疫病だったり、それら全部だったり」

 彼らは長い長い年月、災厄の裂け目に地上の多くが呑み込まれては再生するのを、ただ眺めていただけだったという。 

 

「その者達の証言だけ……か?」

「人外の伝えは人間のそれとは違う。嘘を伝えても意味が無いもの。昔、テムジンの時代、原因不明の山崩れで村が幾つか埋まったでしょ。あれは止め損ねた災厄の切れ端だったって」

 

「聞いた事はあるが……」

 

「本当は、テムジンの時代のその災厄で、帝国は滅する運命だったんじゃないかな。でも一人の妖精が見付けて、彼らが最初の内で止めてくれたんだ」

「…………」

 

「その後で東の古い部族に裂け目の正体を聞いたんだって。それまで裂け目を塞いだ者なんか居なかったからビックリされたけれど、この先どうなるか分からんぞって投げられた」

 

 どうも彼らに言わせると、災厄というのは、この世の『歪み』を治す為の、『大地の身震い』みたいな物らしい。

 だから一時的に歪みを戻しても、原因が変わらない限りまた歪む。

 放って置く事が一番だと。

 

 人外達は摂理に沿って生きるが、必ずしも共有しているとは限らない。

 各々の『正しい事』を、手さぐりで捜しながら進化しているのだ。

 

『今、この草原に生きる者は、己らに出来る精一杯をする』

 草原を統べる蒼の長は、そう宣言をした。

 

 この半世紀、蒼の妖精達は、十何年置きに現れる地割れを見付けては、小さい内に鎮めていた。

 特にカワセミは、最初に手出ししてしまった責任を感じていた。

 放置していたら国も人外界もタダでは済まなかったのに、本人は数十年も昏睡する羽目になったのに、彼はいつまでも自分を許さず、必死で地割れを塞いで回った。

 

 なのに災厄は、妖精の手出し出来ない場所に出現してしまった。

 人間の身の内。

 それまでみたいに物理的に浄化出来ない代物となって。

 

 

「……誰が、決めるんだろうな、その災厄とやらを」

 

「さあ、短絡に説明するなら、『神』って決め付けちゃうのが手っ取り早い。僕はそんな神サマ願い下げだけれど」

 

 フビライ叔父上……あの人の胸にオレンジの光が明滅しているのを見付けたのはいつだったか。

 祖母の見舞いに訪ねて来た頃にはもうあった。

 

 南で大人しくしていた時代はそうでもなかったのに、王座に色気が出始めたら、一気に口が開いた。

 どうも叔父上の欲望を糧に、帝国の膨張と連動して大きくなって行く感じだった。

 

 一つの国が突出する事がこの世の歪みだと? 

(本当に、誰が決めるんだ、そんな事……)

 

 

「どっちにても王座は得てしまいそうだったから、ミソを付ける為に動いた。結果、南の地を失った上、帝国全体が弱体化した状態での即位になった。あの時は、ガッポリ開いていた裂け目が、見えなくなるまでに閉じたんだ。本当にホッとした」

「………」

 

「なのに、バヤンが来ちゃった。百眼の闘将。逢えて嬉しかったのに、めっちゃ強そうになっててさ。しかも怖そうな狼までオマケに付けて」

「……悪かったな……」

 

「あっと言う間に南の地を取り戻しちゃうんだもん。裂け目はガンガンに大きくなるし」

「それで今回の反乱か」

 

「うん、とにかくバヤンを南から引き離さなきゃって。アリクの息子達は簡単に乗ってくれた。元々機を伺っていたらしいし。今はオゴディ家の手下。皆、簡単に裏切ってくれちゃって。予想はしていたけれど、結構傷付いたな」

 

「一人で傷付いたと思うな……」

 バヤンは小さい声でポツリと言った。

「お前の話を聞いていると、全部一人判断だ。その災厄の裂け目とやらを見ているのもお前だけ。もしもそれが妄想だとしたら、お前はどれだけの罪を重ねている!?」

 

 

 物事の流れを見据えて真実を見極める能力も万全ではないのを、シリギは最近思い知った。 

(あんなに執拗に追い掛けて来るなんて思わなかったんだ……)

 

 自分だけがこの人を好いている訳じゃなかった。

 

 だからここへ誘い込んで、全て打ち明けた。

 今の自分がこの人に出来る唯一の事。

 

 

「さっきの有翼の妖精、カワセミの存在も妄想か?」

「え、いや……」

「テムジンの時代の災厄を命懸けで止めたのはあのヒトだ。それからトルイだって最後まで災厄に立ち向かった。僕は彼らからその先を引き受けたんだ。それが、トルイの血を貰って僕が生まれて来た意味……役割なんだよ」

 

「…………」

「だけどね、カワセミが居ないから言っちゃうけど、バヤンが言ったように、罪は罪だ。戦は人を犠牲にする」

 

「……碧眼の獅子が単騎駆けで本陣を押さえるから人死が最小限だと、我らの所にも響いていたぞ」

 

「キレイ事では収まらない。僕は罪を償わねばならない。そんで、首を差し出すなら、バヤンがいい」

 シリギはとても怖い事をとてもサラリと言った。

 

「お前が居なくなったら、誰がその災厄とやらを抑えるのだ」

 

「ここまで国がボロボロになってんだよ。今は災厄の歪みはとても小さい。この後『神サマ』が諦めるか、しつこくフビライを急き立てるか、他の何処かに復活させるか、その辺りは分からないけれど、まぁどっちにしても……」

 シリギは両手を広げた。

「ここいらで僕の役割は終わりだと思う」

 

 終わりというのは、そんなに簡単に決めてしまえる物なのか……?

 

「……なあ、どうにも疑問な事があるのだが、聞いてもいいか?」

「なに?」

 

「王を……フビライを弑(しい)していたら、災厄はどうなった?」 

 

「あ――・・」

 シリギは額に指を当てた。

「多分、すぐまた別の人間に移るだろって、カワセミが言ってた。分かんないけどね、やった訳じゃないから」

 

「誰に宿っても、フビライ王より厄介な相手はそう居ないだろう」

「ああ、確かに」

「何故、そうしなかった」

 

「んー・・・・」

 淡栗毛の下の薄青の瞳がしばたいた。

「狼が憑いている人の所に移っちゃいそうだったから…… そうだね、それを嫌がったのも僕の罪だ。ああ、また罪が一個増えちゃった」

 

 中央の大きな蜜柑の木が、役目を終えたように崩れた。

 バヤンは遠い遠い旅から帰って来た気持ちになった。

 長い旅を終えたら、また淡栗毛の少年の元に帰って来られたのだ。

 

 

「ねぇ、どの道、王の前に引かれたら打ち首だ。どこのオジサンかも知らない首切り役人に刃を当てられる位なら、僕、今、バヤンにして貰いたいな」

 

「お前は何処まで我が儘なのだ。そんな奴の望みなど何一つ聞いてやらぬ」

 

 

「そうだ、させない!!」

 翼を広げた水色の妖精が、いきなり眼前に降りて来た。

 

 二人は内緒話がバレた子供のように飛び上がった。

 

「赤い狼は?」

「取り逃がした」

「おやまあ」

 

「取り敢えず当分は人間に近寄らないと約束させた」

 カワセミはギロリとバヤンを睨んだ。

「自分の弱さは自分で克服しろ。シリギに手出ししたら人間だろうと考慮の外だ」

 

 それだけ言うと、茫然とする二人を残して、馬を呼んで飛び立ってしまった。

 

 

 




挿し絵:庭園 
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