ネメアの獅子   作:西風 そら

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19・終焉Ⅰ

 

 

 時はホンの少し遡って。

 

 

 天空で対峙する蒼の妖精と赤い獣。

 

 狼はカワセミの最初の一撃を寸でで替わして、髭を焦がしながら、不自然を感じた。

 今の一撃は力は大きいが、速さが全然無い、精彩を欠いているのが丸分かりだ。

 

「てめぇ! 本気出せっつったろうが!!」

 

 全身から立ち上る炎の帯がカワセミを襲う……が、手前でツィと往(いな)なされてしまった。

 

「お前こそ、これが全力か?」

 

「・・・・・・」

 

「・・・・・・」

 

 水色の妖精が、自分の掌を眺めながら、ボソッと呟いた。

「どうやら万全じゃなさそうだ」

 

「今気付いたのか! 阿呆か! 何時(いつ)かくだらん死に方をするぞ!」

「お前も・・じゃないのか?」

 

「けっ……」

 狼も薄々、己の不調は自覚していた。

 だけれど、ここまで力を失っている理由が分からん。

 炎の熱が全然上がらないのだ。

 

 ・・アレか・・!!

 

 ――『アタシ、あんたの為に何が出来る?』

 

 欲望を糧とする自分にとって、あの言霊は毒だ、猛毒だったのだ。

(忌々しいあの小娘……)

 

「まあ、全身全霊を使えばお前を塵にする事は可能かもしれない、が……」

「が、何だよ」

 

「うーん、そんな必要あるか?」

「ふざけんな!!」

 

「すまない、何でかお前に本気になれない」

「~~~~!!」

 

 赤い狼はますます力が封じられて行くのを感じた。

 元より、こちらへ戻って来てからのバヤンも穴の開いた桶の様な状態だったが、今、下界で何を話していたのか、いきなり底がバカンと抜けた。

 

(は?・・もういいのか? お前、その程度のタマだったんかよ? この腑抜けぇえ!)

 

 前にもこんな事があった。

 あの時もカタチを取り戻すのにトンでもない時間を要したのだ。

 ――やってられっか!!

 

「なあ、狼よ、災厄のある間だけでも退いていてくれないか?」

 

「うるせぇ! 俺様に『お願い』すんな!! 糧にもならねえ連中なんかもう用はねぇ!!」

 

 狼は捨て台詞と共に去りかけて、ふと静まって振り向いた。

「あ、そう、王都のどチビだけれどよ。あいつ、ガキの癖にしたたかだ。油断すんなよ、大どんでん返しを喰らうぞ、クックク」

 

 

 

 カワセミはあの捨て台詞が気に掛かり、王都に馬を早めていた。

 シリギは大丈夫だ。バヤンが側に居てくれる。

 

 今は……ユユ……!!

 

 

 ***

 

 

 王都の城内、奥まった庭園。

 ユユが城へ来た時、馬の為に植えた赤爪草が株分けして、今はちょっとした群落だ。

 

 草を踏む音にフビライは振り向いた。

「ユユか……?」

 

「はい、眠れなくて散歩していたの。王サマも?」

 

 月明かりに浮かんだシルエットは、小さな女の子ではなかった。

 スイと伸びた手足はしなやかで、細かいウェーヴの掛かった空色の巻き髪が腰まで流れる、十五、六に見える少女。小鳥みたいだった声も、悠揚(ゆうよう)と鈴音のようになった。

 丈の長いレースのケープを引き摺りながら、王の側に寄る。

 

 フビライが一年以内に片が付くと言った反乱鎮圧は、シリギの巧みな動きで遅れに遅れていた。

 その間……ユユは、サナギが蝶になるように、急に成長し出した。

 正確には、シリギが反乱を起こし、兄と話をした日からだ。

 

 フビライは、ここの所とみに背の伸びた娘を見やりながら、眼をしばたいた。

「百眼の将が、もうそろ奴を追い詰める。今度のバヤンはしくじらないだろう」

「…………」

「シリギが引かれて来たら、お前は奴の命乞いをするのかい?」

「しないわ」

 ユユが即答だったので、王は意外な顔をした。

 

「だって王サマは、シリギの首を跳ねたりしないでしょう?」

 

「何故そう思う? 奴のした事を客観的に考えれば、最低、打ち首だ」

 

「でも王サマは、シリギの事好きなんでしょう?」

 昔と同じように、ユユはあっさり言い切った。

 

「だっても、でもも、俺は王だ。好き嫌いで物事は通せないんだよ」

 

 ユユは言い返さないで、はなだ色の澄んだ瞳でじっと王を見る。

 この瞳の力で、いつも王の心は余計な物を剥がされ、洗い流される。

 王は息を吐いて、月を仰ぎ見た。

 

「ああ、そうだ!! 奴の、温(あたた)かだった母そっくりの細い淡栗毛も、憧れだった父そっくりの姿も声も、昔っから俺の心を捕らえて離さない! ……今もだ!!」

 

「王サマ……」

 

「だが、奴はいつだって、俺の手をすり抜けて行った。後見を申し出た時も、配下に置いた時も」

 

 王は今度は下を向いて自分の両手を見据える。

 その手の中に何度も置きながら、シリギはいつもすり抜けて、遠くへ行ってしまった。

 トルイの面影と共に。

 

 気配に顔を上げると、ユユが真正面に居た。

 はなだ色の瞳が吸い込まれそうな程に近い。

「ユユ?」

 

「オレンジ色の光が……。」

「何だって?」

「災厄が、また首をもたげようとしている」

「なに? 何を言っているのだ?」

 

「以前は、玉座を、領土を、名声を欲しがる欲だった。でも今は違う。別のモノを欲しがる欲」

 

「ユユ? だから何の話だ!?」

「でもね王サマ、そちらの欲なら、アタシが受け取ってあげられるの」

 

 ユユは微笑んで、白い腕を王の肩に回してふわりと浮いた。

 

 仰天して動けないフビライの頭を、ケープの衣擦れと暖かい腕が包んだ。

 瞬間、何もかも忘れて限りない安心感に包まれた。

 母に呼ばれた時のように……

 父に誉めて貰った時のように……

 

 胸元に、何かが触れたと思ったら、もうユユはそこに居なかった。

 

「――ユユ――??」

 

 夜の風が赤爪草を揺らし、妖精の娘の返事は二度と返って来なかった。

 

 

 ***

 

 

 空が藍色に沈む宙天。

 

 遠く地平は円を描き、その端に昇りかけた太陽が見える。

 

 一気にそこまで駆け昇ったユユは、胎児のように丸まって、宙を漂っていた。

 空中に足音を感じて、塞いでいた睫毛をうっすら上げる。

 

「……ユユ……」

 宙を歩いて来たそのヒトも、馬を連れていなかった。

 彼らの馬も、この高さまでは無理なのだ。

「ここなら誰も来ない。ここまで昇れるのは僕達だけだから」

 

「……ナナ……」

 

 長い髪を宙に漂わせながら、双子の兄は、すっかり様変わりした妹に目を見開いて、微笑んだ。

 

「受け取って来れた?」

「うん」

 

 ユユは丸まっていた身体を開いて、胸に抱えたオレンジの塊を見せた。

 それは銀河のように渦巻いて、残り炭の如くチロチロ瞬いている。

 

「これが、『災厄』」

 

 災厄はフビライの欲を糧としていた。

 それが権力や財産に対する欲である限り、永遠に充たされる事は無い。

 しかし、彼の心が塗り替わり、欲する物が変わったら?

 

「『愛』なら、アタシでも、与えてあげられる」

「そして欲が充たされれば、災厄も人間の身から剥がす事が出来るんだ」

 

 二人が話し合った通りになった。

 誰に教えられた訳でもない。

 二人は生まれる前から知っていた気がする。

 

 ユユは手の中の災厄の光を見据えた。

 まだもう一仕事残っている。

 

 静かに目を閉じて、少しずつ両手の間隔を開いて行く。

 オレンジの渦が生き物みたいに渦巻いた。

「っつ……!」

 

「勇気を出して、ユユ」

 ナナが正面で叫んだ。

「僕がここに居る! 何があっても絶対ここに居るから!」

 

 ユユは薄目を開けて頷き、両手を前に伸ばした。

 災厄の光が放射状に伸び、解放されようとしている。

 

 刹那、ナナがユユの両手に指を絡めて掴んだ。

 伸びていた光が止まる。

 そして、小刻みに震えながら収縮を始めた。

 

「そしてユユの術を完全に相殺出来るのは僕。それで災厄は完全に消し去る事が出来る。これが、僕達が双子で生まれて来た意味だ!」

 

 あの日、シリギの天幕の上の落葉松の枝で、二人で話し合った結論だ。

 あの日以来、二人は誰にも打ち明けず、粛々とこの日を待っていた。

 

 誰にも言えなかった。

 結果がどうなるか分からない。

 災厄のエネルギーがどれ程の物か、想像つかないのだ。

 自分達の許容量を遥かに越えるなら、どうしようもない。

 

 だから、一度のチャンスを待っていた。

 シリギの捕まる一歩手前、帝国が痛手を負っている今が、災厄の歪みが最も小さくなっている時。

 

(でもやっぱり基準が分からない。ユユのすべてが必要とされるなら、僕だってすべて使い切らなきゃならない。弱気になるな、諦めるな、何があっても絶対に見捨てちゃダメだ)

 

 オレンジの光が二人を包んだが、繋いだ手はけして離さなかった。

 

 ――・・!?

 不意に、ナナの意識が呼び戻された。

 

 目を開けると、身体の周りが白色のモヤに包まれていた。

 目の前のユユが微笑む。

 

「母様から守護の術を、一つだけ預かっていたの」

 

「母上……?」

「うん、強い術だから一つしか持てなかった。ナナは長にならなきゃならないもんね」

 

 微笑んだ顔のまま手を離され、思い切り突き飛ばされた。

 

「ユユ――――!!」

 

 ナナは白いモヤに包まれて、地上へ運ばれて行った。

 

 術は一つ。なら当然、蒼の長を継ぐナナを選ぶ以外の選択肢は、ユユには無かった。

 

 ユユの母だって、こんな計画を知っていた訳じゃない。知っていたら、叱り飛ばして全力で阻止しただろう。ただ、いきなり一人で訪ねて来た娘に、何となく虫が報せて、念の為にと持たせてくれただけだ。

 

「キレイだったな、母様の守護の魔法。ああでもやっぱりアタシは、翡翠色の羽根の方が…………」

 

 オレンジの光はもう欠片も無い。

 冷たい空間で巻き髪の娘はゆっくり後ろに倒れて行った。

 

 

 

 

 

 

    ・・・   ・・

 ・・・  ・・・    ・・  ・

 ・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・

 

 春の草原の匂いがする。

 

 ユユはうっすら目をを開けた。

 

 水色の見慣れた髪が頬に触った。

 

「……!!」

 両手が背中にがっちり回り、水色の妖精が全身でユユを抱き抱えていた。

 翡翠色の羽根が目一杯広がって、二人を覆っている。

 剥がれた羽根の一枚一枚が、空間を漂って、キラキラしている。

 

「カ・ワ・セ・ミ・さ・ま・・?」

 

「この大戯(たわ)けが!!」

 

 

 ユユがカワセミに抱えられて空気の濃い所まで降りると、眉間に縦線を入れたナナが三人の馬を連れて待っていた。

 本当に本当に偶然に、落っこちて来たナナが、カワセミに行き逢ったのだ。

 

 地上に降りる間にふと見ると、カワセミは馬の首にもたれて半分眠っていた。

 その間にも翡翠色の羽根は、主を守るように一枚また一枚と剥がれて行った。

 

 (巫女様……)

 

 三人はそうして色んな役割を終えて、蒼の里へ戻って行った。

 

 

 ***

 

 

 カワセミは向こう三日間眠っていた。

 いくら羽根があっても、空気の薄い成層圏までどうやって翔んだのか、本人も記憶していなかった。

 ただ、頬に霜の降りたユユを見て、これ以上無い程に心が凍り付いたのだけは覚えていた。

 

 ナナは不機嫌だった。

 父親にもノスリ長にも一生分の説教くらったし、ノスリ家の女性陣にもギャンギャン叱られた。

 何で自分だけ……と思うが、そういう役回りなんだろう、諦めるしかない。

 ユユが空から戻ってくれただけで何でも許せた。

 しかしユユの事は多分一生許さない。自分の中だけで。

 

 ノスリは通常業務に戻っている。

 執務室の自慢の子供達がトンでもない事をやってのけた。

 頬が緩みそうになるが抑えねばなるまい。まだまだこの二人からは目が離せない。

 

 ツバクロは風出流山(かぜいずるやま)の神殿で、妻と居た。

 あんなに怖がりだった息子が、急に高空飛行を教えてくれと言い出したのに疑いを持たなかった自分を、過去に戻ってぶん殴りたい気分だった。

 妻は妻で、娘が何も言ってくれなかった事が不満だったらしく、いつもの百万倍のペースで愚痴を吐き出し、ツバクロは自らの反省も兼ねて、ひたすら聞き役に徹していた。

 

 

 放牧地は、丁度金鈴花が盛りだ。

 黄金の花の絨毯の中で、長いウェーブを振って、空色の髪の少女が振り向いた。

「アタシやっと解ったの。何で母様があの神殿に居るのか」

 

「うん……」

 まだ本調子じゃないカワセミは、ゆっくり土手を下って歩いて来る。

 

「母様の守護の術は凄いんだもん。凄すぎて便利すぎて……何だかあんまり頼っちゃいけない気がしたの。だから遠くから見守るだけにしているんでしょう?」

 

「そうだな……」

 なんだかいつもの毒気が抜けて、カワセミは穏やかだった。

 ユユは屈んで、黄色い花輪を作るのに余念がない。

 

「シリギはこの花好きかなあ?」

「ああ、好きだと思うよ」

 

 ユユの馬には、旅支度がくくりつけられていた。

 

 

 

「欲しがるから失うんだ。叔父上……」

 

 フビライの前に引かれたシリギは、一言だけそう言って、そうしてもうその後は、押しても引いても喋らなくなった。

 

 フビライはシリギを無駄に追い詰めたりはしなかった。

 バヤンが何かを語った訳ではない。彼も口をつぐんでいた。

 王はただ、居なくなった妖精の娘の言葉を大切にしただけだ。

 好きなものは好きなのだ。

 その心だけ持っていれば、いつかは失わず、得る事も出来るだろうか……

 

 淡栗毛の彼に下された処分は、二度と故郷に足を踏み入れる事を許されない、海を越えた遠くの島で一生を終える事だった。

 

 

「アタシはシリギの側に居る。海の向こうの凍える島へ、独りきりで行くのなら」

 

 ユユがそう言い出すのを、カワセミは予測していた。

 『慈み』が、彼女の持って生まれた魂なら、誰も止める言葉は持っていなかった。

 

 

 

 

 

 




挿し絵:星 
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