ネメアの獅子   作:西風 そら

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2・西の森

 

 月明かりが蜜柑の白い花を照らす。

 夏虫のコロコロという声の中、庭園の端、繋がれた葦毛に近付く者がいる。

 

「シィッ」

 愛馬の綱を引き、淡栗毛の男の子はバラの繁みをそっと歩いて、木戸を押した。

 

 そこからは乗馬し、寝静まった街を抜け、居眠りしている関の番人の横を通り過ぎて外へ出る。

 星が散らばる草原を西へ、西へ。目的地はそう、トルイの母が住処としていた西の森。

 

 お祖母様はああ言ってくれた。僕だって決められた役割なんて御免だ。

 だけれどどうしても一つだけ、ハッキリさせたい事がある。

 大ハーン・テムジンの第四皇子、僕の祖父、『トルイ』・・彼にまつわる噂話の真否を。

 

 

 月夜に黒くそびえる木々。

 西の森はすぐ見付かったが、荒れ果てツタが密生し、入って行ける道がない。

 大昔、大ハーンが鎮守の森として一般の立ち入りを禁じた触れが、まだ効いている。

 

「馬は無理か」

 シリギは葦毛を繋ぎ、小刀を抜いてツタを切りながら踏み込んだ。

 不思議な感覚だ。

 薮こぎには慣れていないし足元は真っ暗なのに、怖さは無く、バリバリと前へ進める。

 まるで勝手を知った場所みたいに。

 そして多分一度も迷わず、目的の広場に出る事が出来た。

 

 そこだけ空が抜けて、月がスポットライトのように照らしている。

 中央のボロボロの小さなパオを見て、胸がザワ付いた。

「本当にあった……」

 

 パオは完全に朽ちて傾き、とても誰かが住んでるような状態ではない。

 辺りも草ぼうぼうだが、一本だけ立派な蜜柑の木が立っている。

 庭園の木と同じに、白い花が月明かりに満開だ。

 

「蒼の妖精……」

 シリギはそおっと呟く。

「妖精さん、トルイのお母さん、もしも居るのなら、一つだけ教えて下さい。僕はトルイの孫のシリギです」

 

 森は微動だにしないし、パオもカタとも動かないが、シリギは続けた。

 

「僕の親族の間で、嫌な噂があるんだ。お祖父様の最期について。僕のお祖母様はきっとそれもあって、親族と距離を置いている。だから教えて下さい。お祖父様が亡くなった時、人間に見えない蒼の妖精のお母さんは、側に居たんでしょう?」

 

 思いなしか、蜜柑の木の天辺が、ザワと鳴った気がした。

 

「ねえ、お願い。それが分からないと、お祖父様と同じ能力を持つ僕だって、これからどうしたらいいのか分からないんだ」

 

 声は森の木々に吸い込まれるばかり。寸との反応も無い。

 

 シリギは我に返ってうんざりした。

 宛違いだった、バカみたい。そりゃ二十年も経っているんだものな。

 

 蜜柑の木に背を向け、立ち去ろうとした時……

 

 

 刹那、全身に鳥肌!!

「なに!?」

 

 ――ざわわ

 ざざざざ!!――

 

 風もないのに背後の蜜柑の木が大きく揺れた。

 

 月の光ってこんなに明るかったっけ!?

 

 次の瞬間、前方の藪から巨大な何かが立ち上がった。

 

 空気を震わす獣の咆哮!

 

 喉から心臓が飛び出しそうになった。

「と・・!!」

 虎! まっ黒い虎!

 いや虎って? 本当に虎?? 大き過ぎるんだけど!!

 

 何を考える余裕も無い。

 手にナイフを握っているけれど、こんなのでどうにかなる代物じゃない。

 ヘタリ込む意外何も出来なかった。

 

(絶対逃げられない。逃げられっこない。僕の人生こんなにあっけなく終わるの?)

 

 獣臭が濃くなり、熱い吐息が迫る。

 夢なら覚めて――!

 

 固く瞑った瞼の裏に、緑の閃光!

 

 ・・・

   ・・・

     静寂

 

 糊付けを剥がすように目を開くと、眼前に、地面に刺さった緑の槍。

 と、それに遮られるように動きが止まっている大虎。

 低く唸っているから生きてはいるが、見えない糸で縛られているように動かない。

 

 

「なあんだ……」

 

 棒読みの静かな声が響いた。

 

「キビタキと同じ能力って自分で言うから楽しみにしたのに、期待ハズレ……」

 

「?・・??」

 腰が抜けて立てないシリギは、ズリズリとお尻で這って虎から離れた。

 這いながら振り向いて、蜜柑の木を見上げる。

 声がした天辺は、ぼぅっと光って霞がかかったようにぼやけている。

 

「だっ、誰かいるの!?」

 シリギの問い掛けには答えず、無感情な声は別の誰かに話し掛けた。

 

「もういいよ、ユユ、稽古の続き……」

 

「はぁい」

 梢に響く小鳥のような声。

 

 天辺の枝がバウンドすると同時に、槍が消えて虎が動き出した。

 シリギの目の前に、白い何かが降って来る。

 

「破――邪――!!」

 

 眩し過ぎて、また目を閉じさせられた。

 

 ようよう目を開けると、小さな影が杖を掲げて、足を振り上げクルリと回って着地した所だった。

 一拍遅れて、黒虎だったモノの破片がカサカサと崩れ落ちる。

 

「……!」

 言葉が何も出て来ない。

 黒虎を倒したであろう者は、自分と同い歳位の女の子だった。

 白かったのは、彼女の裸足のふくらはぎ。

 夏の空かと思える明るい青色の巻き髪に、桃色の頬、自分と同じはなだ色の瞳……

 

 女の子は杖を腰に刺し、両膝に手を置いてシリギを覗き込んだ。

「あんた、大丈夫?」

 

「ユユ!!」

 樹上の声が咎める。

「お気軽に人間に関わるんじゃない。帰るぞ」

 

「はぁい」

 女の子は踵を返してポンと地面を蹴った。

 

 シリギはバネで弾かれたみたいに跳ね起きた。

 折角巡り逢った千載一遇のチャンス!

 これを逃したら、次の機会があるかなんて分からない。

 

 腰を抜かしている男の子にしがみ付かれるなんて思ってもいなかったようで、女の子はあっけなく地面に転がった。

「きゃあぁっ、何すんのよ!」

「お願いっ、行かないでっ」

 

 もがく女の子に地面で必死にしがみ着くシリギ。

 その前髪をかすめて、緑の槍がザクリと地面に刺さった。

 

「ひっ!」

 

 そお・・と見上げる眼前、眉間に怒りを滲ませた、異様に凄味のある男性が立っていた。

 吸い込まれるような水色の瞳、ダブダブの法衣に腰を越える長い髪、月光に煌めく翡翠色の羽根……はねっっ??

 

「ユユから、は・な・れ・ろ!!」

 

 女の子は緩んだ腕から逃れて、慌ててそのヒトに駆け寄った。

「ごめんなさい」

「迂闊だな、ユユ……減点」

 

 二人がまた去ってしまいそうなので、シリギは這いつくばったまま必死に叫んだ。

「ま、待って待って!! 僕、一つ聞きたいだけなんだ。トルイお祖父様は……身内の手に掛かって殺されたんですか? 妬まれて、嫉妬されて、毒を飲まされて」

 

 二人の妖精の顔の血の気がすぅっと引いた。

 

「そんな事……誰が言うの?」

 師匠より先に口出ししてしまった事にハッとして、女の子は罰悪そうに口をつぐんだ。

 

「ぼっ僕の親族だよ。伯父様達とか、兄様達とか、あと女性も……みんな言ってる」

 

「見て来た人はいないのよね?」

 またまた出喋った女の子の頭を、男性が無言で押さえた。

 

 少しの沈黙の後、有翼の男性はやっと口を開いた。

「それを、聞いて、どうする」

 最初と同じ、無感情な棒読みの声だった。

 

「え、えっと、だって、知っていたいじゃないですか。僕、何だかお祖父様と同じ役割を持って生まれて来ちゃったみたいだし」

 

「役割とは」

 

「な、なにか、一族の役に立つ為とか平和の為とか、そんなのじゃないんですか? いや、こっちが聞きたいぐらいだし。でもね、一所懸命役割を果たして、その挙句お祖父様みたいに妬まれて殺されたんじゃ割りに合わな……」

 

 ――ザグザグザグザグ!!――

 

 閃光と共に、無数の槍がシリギを囲んで突き立てられた。

「ひ・・」

 悲鳴は、眉間にピタリと突き付けられた槍の切っ先に止められた。

 

「キビタキを・・! 侮辱 す る な・・!!」

 

 怖い、物凄く怖い。

 全然分からない事だらけなのに、シリギはもう何も聞けなかった。

 

 でもでも、黙っていたらこの二人は去ってしまう。

 喋ると怒りを買う。

 どうしたらいいんだ……

 

 さっきから二人を見比べてドギマギしていた女の子が、そぉっと口を開いた。

「ね、カワセミ様。ほんの少し、この人を助けてあげてもいいかしら。だって、この人……」

 

「ユユ、修行中の身で他人の心配なんかしている暇があるか?」

 有翼の妖精は、女の子の申し出にも気持ちを動かされる様子はなかった。

 

「でも……」

 

「この子供は『やらない言い訳』を捜しているだけだ。構う価値も無い」

 

 シリギはぐっと詰まった。

 言っちゃえばそうなんだけれど……何もそんな言い方……

 

「先に上に行っていろ」

 折角手を差し伸べてくれようとした女の子は、木の上へ追いやられてしまった。

 

 カワセミと呼ばれた妖精は、地面に刺さった緑の槍を手で触れて消滅させながら、転がったままの男の子を見下ろした。

「凡庸に生きろ、誰も責めない」

 

「……僕には役割は無いんですか」

 

「自分で探す物だ。テムジンだってキビタキだって……巫女だって、誰にも頼らず自分で考えて答えを見付け出したんだ」

 

「…………」

 

「キミにやれとは言わん」

 無感情に言い放つと、妖精は羽根を広げて真上に飛び去った。

 シリギにはもう引き留める勇気はなかった。

 

 

 

 直後、来た道の薮が揺れた。

 息を切らしてそこに立っているのは、カンテラを掲げたソルカ妃。

 

「ああ、居てくれた……」

 藪がケープを鉤裂くのにも構わず、シリギに駆け寄る。

 

「ケガ、ケガはないですか? 光が見えて、恐ろしい音がして。どうしてこんな所へ来たの? 何があったの? 何をしていたの? ああ、そんな事はどうでもいいわ」

 

 暖かい手が背中に回る。

「貴方さえ無事ならいいんです」

 

 そのまましばらく無言のシリギを抱き締めて、そして、彼の肩を支えて顔を覗き込んだ。

「私が悪かったわ。脅かすような話をしてしまって。貴方にはまだ早かったわね。忘れなさい、心配しなくてもいいのよ。何があっても私が貴方を守りますからね」

 

 祖母の手の甲は森をくぐって傷だらけだった。それ以前にすごく薄くて細かった。

 唐突に・・混乱した頭の中に一つだけ、ハッキリとした声が響いた。

 

(違う、本当は僕がお祖母様を守らなきゃならないんだ)

 

 この人は、強がっているけれど、弱い。

 僕を守る力なんか無い。

 もしも僕に何か力が宿るなら、最低でもこの人ぐらい守れるようになりたい。

 

 初めて自分で、こうなりたいと思った。

 ああ、これが自分で考えるって事なのかな。

 

 

 

 木の上で立ち去らない師を、ユユは黙って見つめていた。

 

「ユユ」

「はい」

「一週間修行はお休み」

「はい」

 

「あの子供の助けになってやれ」

「はい。でも、どうして?」

 

 有翼の妖精の水色の瞳は、子供を伴って森を歩く老婦人を映していた。

 

「巫女の馬の、恩人だ……」

 

 

 

 西の森の外、祖母の乗って来た馬は、葦毛の隣に繋がれていた。

 美しい尾花栗毛のこの馬は、トルイと初めて会った日、ソルカが命を救った牝馬の子孫だ。

 

 あの後、トルイの姉の愛馬だと知らされたが、何故か主の元に戻さず、ソルカに譲られた。

 姉という人は何処に居るのかと尋(たず)ねたら、『風の神の巫女になった』と寂しそうに言うから、ソルカもそれ以上は聞かなかった。

 

 月の下、並んで歩く祖母と孫の二騎。

 さっきからソルカは請われるままに、トルイにまつわる取り留めのない話をしている。

 思えば、他人から見たらおかしな話が多いし、尾花栗毛の持ち主のトルイの姉の事など、親族の誰も知らなかった。

 

 だからソルカにしてもこんなに沢山話したのは初めてで、ついつい饒舌になっていた。

 トルイが剣を掲げて雷を呼んだ事、『赤い悪魔』を名乗ったけれど本当は、風の神の告知を受けてソルカの村を救いに来た事、母親から聞いたという妖精達の日常の話……

 お伽噺みたいな話でも、シリギがあまり驚かず受け入れているからかもしれない。

 

 月に照らされる表情も何だか違う。

 この数時間でこの子に何かあったのだろうか?

 

 街の入り口が近付いた頃、今度はシリギが口を開いた。

 

「お祖母様」

「なあに?」

「帰ったら、母に手紙を書きます。暫くお祖母様の所でやっかいになると」

「え? それはいいですけれど……」

 

「僕、行きたい所があるんです」

「お母上に嘘を吐(つ)くんですか?」

「お祖母様は知らない事にして下さい。僕、自分の力で探さなきゃならない事がある」

「……………」

 

「すみません」

「……分かりました。でもけして無理はしないで下さいね。」

 

 頑固で言い出したら聞かない所は、ちょっとあの人を思い出させる。

 祖母は尾花栗毛の背で、その日三度目の溜め息を吐いた。

 

 

 

 

 

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