少年トルイとソルカの出逢い
・
木守りの実
「てめーら逃げんなよ!! 隅々まで家捜しして一人残らず噛み砕いてやる!!」
集落の一番高い屋根の上に、雷と共に現れた血のように真っ赤な魔物。
激しい音を立て、落雷が村のあちこちに直撃する。
村人達は恐れ慌てて、怯える馬を引き出し、我先にと逃げ出した。
雷が後を追って大地を揺るがすので、立ち止まって振り返る事も出来ない。
たちまち村は閑散、猫の子一匹居なくなる。
「ふぃ~~」
屋根の上で大きく息を付いて、赤毛の少年は掲げていた剣を下ろした。
稲光で目眩まししていたが、本当はただの、ちっちゃい人間だ。
「この村で最後だよな」
独りゴチながら屋根を飛び降りる。
――!?
背後から何か!
向かって来たそれを避けて掴むと、干し草用の三本ホックだった。
そして三本ホックの柄には、顔を真っ赤にした子供がくっ付いていた。
大きな毛糸の帽子を深く被った、山岳民族の子供、自分より二つ三つ年下くらいか。
怒りの目、と言うよりは、純粋に、正義に燃える目。
「ぼ、ぼくの村から出てけ――!!」
おお、ちょっと相手にしてやりたい絶滅危惧種だが、今はそんな暇が無い。
掴んだ三本ホックを引っ張り、つんのめった子供をヒョイと抱えた。
「は、離せ! はーなーせー!」
子供は空中でジタバタした挙句、地面にぺたりと落とされた。
「痛ーい!!」
「離せっつったのお前だろが」
赤毛の少年は地面にうつ伏せた子供の頭を押さえ付けて、顔を覗き込んだ。
鼻水を垂らして震えている癖に、眼だけはメラメラ燃えている。
「お前、一人か?」
「うるさい! ころせ! お前なんかに降参するもんか!」
「だから、お前一人か? 寝たきり婆さんを守ろうとして、とかじゃないんだな?」
「こーろーせー!!」
少年は溜め息を吐いて、子供のセーターの袖を後ろ手に結んだ。
そうして黒鹿毛にどさりと積んで、自分も飛び乗り、村を出て南に駆けた。
「ぼくを、どーすんだ! 人質にはなんないぞ! 大人は何でも簡単に捨てるんだ!」
村から半里ばかり離れた所で、子供はそのまま地面に放り出された。
「この……!」
ここで子供は馬上の魔物を、初めてちゃんと見た。
「??」
何か、思っていたのと違う?
恐ろしい狼の化身だと思った筈だが、人間の少年? に見える。
真っ赤な髪と銀に光る目は、やっぱり普通じゃないけれど……
何でそんな普通の子供みたいな、困ったような表情?
「お前、名前、教えて置け」
「ソ、ソルカだ! 忘れんなよ!」
子供は、灰色がかった真ん丸な瞳で、力一杯少年を睨み付けた。
「ふうん、ソルカ、殺せとか簡単に言うな。後、朝までここに居ろ。じゃあな」
少年はそれだけ言って、黒鹿毛を返して、村ではなく、少し外れた山の方へ駆けて行った。
「おい!?」
ソルカは草っ原で転がったまま、駆け去る騎馬の後ろ姿を見送った。
「……何がしたかったんだ?」
村を襲いに来た魔物には違いない。自分でそう言っていたし。
だけれど自分に手出ししなかったのは何でだろう?
あんな困った顔をしたのは何でだろう?
分からない事だらけだが、『朝までここに居ろ』という言葉が強く残っている。
ソルカはもぞもぞとセーターから腕を抜き、戒めをほどいて、そこに座り込んだ。
魔物の言う通りにするのは癪だけれど、朝までぐらいなら、居てやってもいい。
だって何だか、あの銀の瞳は怖いけれど、悪者じゃなさそうな感じだった。
大人達は、出来る限り遠くに逃げて行ったんだろう。
あの人達、何でも簡単に捨てるんだ。
村も、母さんも……!!
―― どん ――!!!
強烈な地響きがした。
子供は座ったまま地面の上で放り上げられた。
「えっ・・ああっ!」
月明かりに、村の方で砂塵が見える。
ソルカは跳ね上がって村へ走り出した。
魔物の言い付けも何も関係無い! 大切な宝物があそこにあるんだ!
「・・!!」
裏の山が、樹木ごと、ごっそり滑り落ちていた。
村の殆どが土砂に埋まっている。
遠目に、隣の集落も、その向こうも。山沿い全体が被害を受けている規模だ。
「あああ・・!」
子供は声を上げながら、村外れの干し草小屋の方に走った。
そこだけ少し高台になっていて……
「ああ、あった!!」
宝物は無事だった。
干し草小屋は半壊していたが、お陰で土砂が止められ、『それ』は守られていた。
子供は気を取り直して、その高台から村を見下ろした。
族長の大きな家も、教会も広場も畑も、みんなみんな土砂に埋もれている。
地震も豪雨も、何も無かったのに、何でいきなり?
変わった事があったとすれば、あの赤い魔物。
「でも……」
ひとつ言える事。
こんなに恐ろしいコトになっているのに、村の人達は皆無事だ。
最後に残ったのが自分一人だったから、間違いない。
これって偶然? それとも、まさかまさか……
「おう」
後ろで声がした。
赤毛の魔物? が、黒い馬に跨がってそこに居た。
「ちょうど良かった、ソルカ。どこかに水場ない?」
まるで通りすがりの旅人みたいに、気安く話し掛けられた。
「あ、あっち行け……」
ソルカは後ずさった。
「うーん、ちょっとの間、いろいろ忘れてくれないかな? 尾花栗毛が死にそうなんだ」
魔物はまた困った顔をする。
何だかもう、魔物とも言えない、普通に少年の顔だ。
「……あそこの埋まっていない柵の横に、素堀の井戸がある」
「ありがと」
少年はソルカの指差した方向へ駆けて行く。
ソルカは、高台を降りて、自分の家に行けないか探してみた。
土砂は厚く、まだ動いている箇所もあって、とても無理そうだ。
どうしよう、と途方に暮れている後ろを、木桶をぶら下げた騎馬が通過した。
「おい! それ! 井戸の木桶!!」
「まだ崩れるかもしれない。山から離れていろ」
速足で駆け去る騎馬をソルカは追い掛けた。
「村の木桶だぞ、持って行くな――!」
ここまで壊滅した村で木桶もクソも無いのだろうが、子供は走って魔物を追い掛けた。
何故か着いて行きたかったのもある。
一人ぼっちには慣れていた筈だったのだが。
村から少し離れた台地で、一頭の尾花栗毛の馬が横たわっていた。
首も上がらない程ぐったりしていて、鼻を大きく広げて気管から変な音を漏らしている。
赤毛の少年が馬の横に屈み込んで、布を水に浸して。何とか馬の口に含ませようとしていた。
「…………」
離れた所から、その様子を見たソルカは、すぐに村の方へ取って返した。
尾花栗毛は、水を飲み込む力も無く、横になったまま腹を小刻みに上下させている。
「お前、頑張ったんだな……」
赤毛の少年は屈み込んで馬の首を撫でてやるしか出来なかった。
今晩、これ以上の命を失いたくない……
唇を噛み締めている所へ、すう・・と、目の前に何かが差し出された。
「??」
黄色い大きな蜜柑。
見上げると、子供が真剣な目で、両手でそれを差し出している。
「馬の息を整えるのに良いんだ。元気も出て水を飲めるようになる。ちょっとづつ食べさせてあげて」
「…………ありがと」
少年は黄色い実を割って、少しづつ馬の口に入れてやった。
(馬を見つめる目が、本当に優しい。やっぱりこのヒト、悪者じゃない)
尾花栗毛は蜜柑の小さいカケラを口に入れてやると、目を閉じて、少し転がしてから飲み込んだ。
三カケほど食わしてやった後、水に浸した布を口に付けると、ぺちゃぺちゃと吸い始めた。
そうして、とうとう首を上げて木桶から直接水を飲んだ。
「やったあ!!」
ソルカは思わず歓声を上げた。
上げてから口に手を当てて赤毛の少年を見ると、気持ち一杯な目で馬を見つめている。
(普通に、イイヒト、だ……)
尾花栗毛が十分水を飲み終わってから、黒鹿毛も木桶に頭を突っ込んだ。
「お前も頑張ってくれたもんなあ」
それから、立ち上がれた尾花栗毛を騙し騙し井戸まで歩かせて、満足行くまで水を飲ませた。
ソルカが残った夏蜜柑を割って与えた。
二頭仲良く草を食み出して、もう大丈夫だと思えてから、赤毛の少年はホォッと息を吐いて、その場にしゃがみ込んだ。
顔を膝に埋めて、酷く疲れた様子で、無防備に。
ソルカはそおっと声を掛けた。
「あの……」
「ああ、蜜柑、ありがとな」
少年は膝に顔を埋めたまま答える。
「あの山崩れ、分かってたのか?」
「まあな、でも、俺じゃない」
「村のみんなを助けてくれたのか?」
「だから、俺じゃない。俺は教えて貰っただけ」
「じゃあ、誰なんだ? 山崩れが分かってたって、預言者とか? 村のみんなに言わなくちゃ。ぼくだってお礼を言いたい」
「…………」
「ねえ」
少年はゆるゆる顔を上げた。
ソルカではなく、正面の地平の星を見つめる。
「じゃあ、祈ってくれ」
「??」
その横顔は焦燥しきっていた。
「祈ってくれ…………」
不意に、夜空に鋭く、高い声が響いた
「鷹だ!!」
少年は弾かれたように立ち上がる。
「まさか、こんな夜中に?」
ソルカが呟く目の前で、本当に立派な鷹が、羽音高く少年の腕に降りて来た。
ビックリして目を見張るソルカの前で、少年は鷹の足筒から紙を引っ張り出し、食い入るように読んだ。
そうして真上を見上げて目を閉じ、両膝からヘナヘナと地面に崩れた。
「良かった……ヨカッタ……」
少年は即座に筒を逆さに向けて、鷹を放った。
多分、受け取ったという合図なんだろう。
ソルカには色々さっぱり分からない。
でも村の皆を救ってくれたこのヒトが良かった事なら、きっと良い事なんだ。
「ソルカ!!」
知った声がした。
目を上げると、いつの間に、逃げ出していた村人が十数人、手に手に棒や武器を持って立っていた。
逃げた先で、同じように追い出された近隣の集落の面々と合流して、おかしなモノだと話し合っている所に地響きがあり、族長はじめ何人かで戻って来たのだ。
「魔物! 貴様が災厄をもたらしたのか! 村をこんなにしちまいやがって!」
「ちがう、ちがう!!」
ソルカが叫んだが、大人達の怒号にかき消される。
ち……参ったな。
尾花栗毛を連れて逃げ切れるかな……
少年がそんな事を考えていたら、何とソルカが三本ホックを持って村人の前に躍り出た。
誰かが持っていたのをかすめ取ったのだ。
「あんた達に、村の事、言う資格無い!! 簡単に村を捨てたくせに!! 簡単に母さんを捨てたくせに!!」
「…………」
村人達の声が止まった。
赤毛の少年は進み出た。
事情は分からないが、ここで逃げ出すと、この子供を孤立させてしまうのは分かった。
たじろぐ村人達を横目に、ソルカの三本ホックを掴んで降ろさせる。
「そんなモン振り回すのは、大事なモンを守りたい時だけにしとけ」
「あんたを守る為じゃダメなのか?」
「…………」
ソルカは再度、村人に向いて叫んだ。
「皆、村から逃げてなきゃ、今ごろ、この土砂の下敷きだぞ!!」
村人達はちょっと怯んだ。
「そ、それは、たまたまだろう、偶然だろう」
赤毛の少年は村人に正面向いた。
「俺が礼儀正しく村に出向いて、これから災厄が起こるから逃げろって口走って、あんたら信じてくれたかい?」
良く通る澄んだ声だった。
人の心に届く声音。
村人達は静まった。
まん丸な目を向けるソルカの横で、少年は心で溜め息を吐いていた。
バックレた方が楽だったんだが。
ここまで来たら、ちゃんと締めなくてはなるまい。
もうヘロヘロなんだけれど……
「するとそなたは、シャーマンなのか?」
赤毛の少年は族長と対峙している。
村人の半分は、避難している子供や老人の為に戻り、半分は、ここで朝になるのを待つ為に火を焚いている。
ソルカは少年の方をチラチラ見ながら、干し草小屋にあった塩と燕麦を、二頭の馬に与えている。
「あんたらが納得するならそれでいい。とにかく、風の神が災厄を教えてくれた。それで俺に出来るやり方で、手っ取り早くあんたらを追い出した。感謝したかったら奴にしてくれ。俺にされても困る」
族長は戸惑った。
シャーマンだったらここで布施の要求か、少なくとも信仰を求めて来るのだが。
「しかし、神に救われてそのままと言うのは、縁起的に良ろしくない。せめて、そなたに何か……」
「ふうん・・あっ!」
赤毛の少年は思い付いたように顎を上げた。
「じゃあ一コだけ、欲しいモノがあるんだけれど」
「あ、ああ。我等は沢山無くした。だが命があればまた築ける。なんなりと言ってくれ」
少年は口の端を上げて、親指で後ろを差した。
「こいつ」
後ろにはソルカが突っ立っていた。
「こいつが欲しい!」
族長は目を丸くして口をぽかんと開けた。
「そりゃ、また……しかし、その子は……」
「見たトコ、身内、居なさそうだし」
軽々喋る少年の前に、ソルカがツカツカと歩み寄った。
――バシッ
赤毛の少年の頬をはたき、激しい目を向けてから、ソルカは凄い勢いで駆け去って行った。
少年は茫然と突っ立ち、族長はおろおろした後、額に手を当てて息を吐いた。
「あの子には地雷です。それは……」
村の西側、半壊した干し草置き場の横、一本だけある蜜柑の木の下で、子供は膝を抱えていた。
「よぉ……」
赤毛の少年が視線を泳がせながら近寄る。
「……悪かったな」
「別に、悪くなんかない。あんたは村を助けてくれたんだし、何を要求してもいいと思う」
「ふうん」
少年は子供の手首を掴んだ。
「じゃあ謝れよ」
「な!」
「ビンタくれてごめんなさいって謝ってみろ」
「い・や・だ!!」
少年は暫くソルカの目を見据えていたが、ふっと力を抜いて、掴んでいた手を離した。
「そうだ。自分の信念は貫け。お前は、ヒトをモノみたいに扱うのを許さない。決して許さない。一生貫け」
赤毛の少年は大きな犬歯を見せて刻むように言った。
ソルカは黙っていたが、その顔から目を逸らさなかった。
「山を根城にしていた野党が、あの子の母親を要求しましてな。その年は不作で……皆、もう疲れていました。あの子は七つでした」
族長は恥じ入るように吐露した。村の惨い過去。
「郷司が野党討伐に動きましたが、時遅く、母親は戻らぬ者となっておりました。父親も昔に亡くしていて……それ以来、村の皆であの子を育てていますが、心は頑ななままで」
「母さんはこの木の香りが好きだった。花も好きだった。実の成る季節も大好きだった。遠い西の国から嫁いで来る時、苗を持って来たんだ。満開の白い花の下に居ると、春の精みたいだった。今はもう、この木だけがぼくの大切な宝物なんだ」
ソルカは蜜柑の木の幹を撫でながら、暗い草原を見やった。
地平に細いオレンジの線が入り、長い夜が明けようとしている。
「……実が、無いな」
赤毛の少年は、冬前の乾いた葉だけの木を見上げながら言った。
「最後の一個だったのか?」
「うん……木守りの実。冬の間木を守って貰う為に、わざと一個残して置くんだ。でも、残して置いて良かった」
ソルカは少年の方を見ないで、だんだんに色付く草原を見ながら答えた。
木がさわさわと揺れて、清い香りが漂う。
「なあ、お前、ソルカ」
「あんたが野党と違うのは分かる。叩いたりして悪かった」
「俺と、来ない?」
少年はソルカの横に立ち、一緒に朝焼けを眺める形になる。
「俺さ、人間で、信頼出来る奴、欲しいんだ。お前に側に居て欲しい」
子供は目を丸くして赤毛の少年をマジマジと見る。
「信頼って? ぼくら今晩逢ったばかりだろ?」
少年は銀の目に朝陽を湛えながらソルカを見る。
「人生で、ずっと側に居ても心に残らない奴もいる。ほんの一時しか居なかったのに、一生心に残る奴もいる」
それから、正面向いて右手を差し出した。
「一緒に来てくれ」
その時のソルカにはどんな打算も無かった。
ただ吸い込まれるように、この、どこの誰かも分からない、何処へ行くとも分からない少年の手を、取った。
そうして、二人を朝陽が照らした所で、何故か影が覆った。
「やばっ!!」
少年が口走る。
何かが目の前をよぎった気がしたが、ソルカには何も見えない。
さあ……っと風が吹き抜け、蜜柑の木を揺らす。
赤毛の少年は握っていた手を離し、木の反対側に駆けて行く。
そこにはいつの間に、一人の男性が立って居た。
分厚いマントの下に豪奢な鎧、額に金の輪兜。
一目で身分ある武人と分かる。
少年はその男性の斜め前で、足先を揃えて、敬礼する。
家来なのか?
「今さっき、蒼の里からの鷹の手紙を受け取った。酷い物だな」
その武人は、山の崩れた所を見て、率直な感想を述べる。
「あっ……あの……」
ソルカが進み出る。
「だけど、誰も下敷きになっていないんです。このヒトが皆を逃がしてくれて」
男性はギロリとソルカを一瞥する。
押し潰されそうな威圧感に、思わずたじろいだ。
「そういう事は族長に聞く。トルイ、案内しなさい」
「はい」
ここでソルカは、やっと少年の名を知る。
ト・ル・イ……雷(いかずち)かあ。
そういえば夕べ、雷を呼んでいたけれど、このヒトは軍付きの陰陽師とか呪術師なのかな?
ぼくよりちょっと年上くらいなのに。
そんな事を考えていると、トルイはその男性を案内しながら、ソルカに、お前も来い、と合図した。
さすがに族長クラスだと顔パスだった。
「だっ大王!! 帝国の大ハーン!! あゎゎわ、あゎわ」
皆々平伏する中、さっき不用意に話し掛けたのが誰だったのか……ソルカの頭の中で迷い羊がぐるぐる回る。
「と、供も連れず、お一人で? まさか」
「陣中見舞いだ。追って王都から物資を送る。近隣から普請も寄越そう。皆、自棄を起こさず、前向きに復旧に当たってくれ。命あって何よりだ」
王の一声で、鉛色だった皆々の顔に生気が蘇る。
こういうのって、早さが大事なんだ。
機会を逸すると、大切な人民が離散し、流民となり犯罪が生まれ、末には国土を揺るがす害悪ともなる。
王の横で彼の言葉を一字一句逃さず聞こうと頑張る少年を、ソルカはぼぉっと眺めていた。
見送りは結構、と、王は何故かまた、蜜柑の木の所へ戻った。
トルイはソルカを伴って着いて行く。
三人だけになる。
「さて、トルイ」
「はい」
「今回は、良くやった。方法は無茶だが、他に良い手も無かったろう」
「……カワセミのお陰です」
「そうだな、心からハーンの敬意を示そう。鷹の手紙によると、命は取り留めたそうだな。本当に良かった」
ソルカは王とトルイを交互に見ながら、所在無さげにしていた。
王と直に会話出来る陰陽師。
さっきの握手は夢だったのかしら。
「王」
「なんだ」
「褒美が欲しい」
「……ほお」
王がまたあの居竦める様な目を少年に向けたので、ソルカの方が思わず首をすくめてしまった。
「俺付きの家臣が欲しい。信頼出来る、生涯共に出来る家臣」
「ああ、必要になるだろう。だがまだ早い」
「今から育てるっ。こいつ……!」
少年にいきなり手を引っ張り上げられて、ソルカは硬直した。
「トルイ……こいつって、羊の仔じゃないんだ。第一どこの誰なんだ? 親御さんは? 子供のゴッコ遊びじゃないんだぞ」
王は呆れて言うが、何だかだんだん柔らかい物腰になって行く。
「どこの誰って、ソルカだよ。三本ホックで村を守ろうとした。三本ホックで俺を守ってくれた。俺と共に来いって差し出した手を握ってくれた。他に何か要る?」
ソルカは勢いに押されていちいち頷くが、成り行きに怯えている。
「待て、ちょっと待て!!」
王は慌てた感じで二人を離す。
「トルイ、ちょっとこの子と二人きりで話すから、離れていなさい」
トルイは不満ながらも、言う通りに蜜柑の木の向こうへ後退する。
王は子供の目の高さまで屈み込み、肩に手をかけ、顔を覗き込むんだ。
射竦めるような目ではなく、お父さんを思い出すような目だった。
「あの子は、世間知らずで、突っ走る所がある。実の所どうなんだ? 来る気があるのか? ノリだけだったらヤメて置いた方がいいぞ」
王様の顔がすぐ近くにあって、瞳に硬直する自分が映っている。
クラクラしながらも、ソルカは頑張って意識を保って答えた。
「い、行きます」
「いいのか?」
「約束したし……それに、ト……ルイ? ぼくを信頼してくれるって言った。それに、応えたいって、思います」
「うん、そうか」
王はチラと少年を見る。
律儀に話の聞こえない所で待っている。
更に顔を近付けて、王は耳元で囁いた。
「あいつ、お前さんの事、何も分かっちゃいないぞ。それでもいいのか?」
「…………」
王が立ち上がって、トルイが呼ばれた。
「俺は国境の戦線へ戻らねばならない。お前の母の草の馬を借りて来たしな。ただ、この子供がお前と来るのなら、簡単に儀礼だけやって置いてやろう。その前に……」
王はトルイを子供の正面に立たせ、二人の肩に手を置いた。
「お前達、互いに信頼があると言ったが、人間の心のヒダは奥深い。お互いの全部が分かっている訳ではない。隠して置きたい事もあるだろう。露呈した事実に衝撃を受ける日も来る。どんな時も、信頼は揺らがないと誓えるか?」
「…………」
「…………」
「分からないか?」
「誓えないけど……努力する。俺、ソルカと歩きたいから」
「誓うって……そんな軽く言えない。でもトルイと一緒に行きたい」
「よし!!」
王は満足した様だった。
「口先だけの誓いは要らん。ちゃんと真剣に考える事が大事だ。トルイ、剣を抜け」
トルイは身体に不釣り合いな大きな剣をシャリと抜いた。
「お前は……そうだな」
王は干し草置き場に刺さっていた三本ホックを引き抜いた。
「これを持て」
トルイは剣を斜め上に掲げ、ソルカは三本ホックをそれに交わらせた。
間で王が大真面目に唱える。
「トルイ・・
ソルカ・・
お前達は、互いの人生を支え、信じ、共に歩む。
風と大地の名に置いて、王が証人となる」
トルイが真面目にじっとしているので、ソルカも良く分からないながらも、ホックを握り締めて畏(かしこ)まる。
蜜柑の木がサワサワと鳴る。
「ああ、この木も証人になってくれるって」
トルイがソルカを見て笑った。
それを見て、ソルカも緊張が緩んで微笑んだ。
「では俺は行く。トルイ、後は任せる。出来るな」
「はい」
少年が敬礼して、王は蜜柑の木の影に隠れたかと思うと、突風が吹いて見えなくなった。
「……王様は?」
「風に乗れるんだ、あのヒト。気にすんな。そういうの、追い追い慣れる」
「…………」
トルイは小刀を取り出した。
「蜜柑の木って、挿し木出来たっけ」
「え? 接ぎ木なら出来たと思う……」
「自宅の庭の一画くらい、ソルカにくれてやれると思う。陽当たりの良いトコな」
「ホント!?」
二人、井戸の方へ降りる。
黒鹿毛と尾花栗毛が仲良く草を食んでいる。
族長が来る。
「王はお帰りで?」
「ああ。被害状況、細かく出る? 俺、任されたから、纏めて城へ持って帰る。他の集落の長にも連絡して提出して貰って」
「え、あ……はあ……」
「ソルカ、読み書き出来る?」
「あ、はい」
「じゃあ手伝って」
別にいいのに、族長が他の集落の長も引き連れて来た。
その中に、帝国の王室ファミリーの顔を見知った者が居た。
コソコソ言う囁きの内に緊張が走り、報告書はあっという間に完成した。
昼前には出発の算段が付いた。
尾花栗毛を労りながらゆっくり駆けても、明るい内に王都に戻れるだろう。
ソルカの家は埋もれてしまい、荷物は数本の蜜柑の木の枝だけだ。
「ソルカ、忘れ物」
「え?」
茫然と集落を眺めるソルカに、トルイが、族長を目で指して促す。
「育てて貰ったんだ。読み書きまで教えて貰って。村全体に礼を尽くせ」
「…………」
「礼儀知らずは要らんぞ」
「……でも、母さんを……」
「ソルカの母さんが、外国(とつくに)から嫁いで、愛して、守ろうとした村だ。だからソルカも守ろうとしたんだろ?」
「……うん……」
「じゃあ、ちゃんと別れろ。今やって置かないと後悔する事は、世の中に御満(ごまん)とある。それは俺が保証する」
ソルカはトルイをじっと見たが、やがて頷いて、族長や村人達の所へ駆けて行った。
そうして育てて貰った礼を言って頭を下げると、冷たいと思っていた大人達が涙ぐんで、自分の先行きの幸を願ってくれた。
それから、蜜柑の木の世話は必ず怠らないと、約束してくれる人もいた。
このヒトに着いて行くという自分の判断は間違っていなかった。
尾花栗毛に揺られながら、ソルカは赤毛の少年の横顔を見る。
栗毛優しき馬は、トルイの姉の馬だという。
このヒトに似ているのだろうか?
栗毛が疲れると降りて歩いたが、そんな時はトルイも黒鹿毛を下馬して、二人肩を並べて歩いた。
そうしてゆっくり、新しい人生のある王都へと向かう。
ソルカは色んな物に感謝した。
外国(とつくに)よりこの国に来てくれた母、旅先でその母を見初めたという記憶の片隅の父、自分を育んでくれた村、蜜柑の木 …………このヒトに逢わせてくれた、運命…………
感謝する事なんて、忘れていた。
飲みかけの葡萄酒が膝に滴り落ち、女性は慌てて手の中の盃を立てる。
王は正面でニコニコしている。
「い、嫌ですわ、王君。冗談が過ぎます」
小卓に差し向かいで、王は澄まして盃を掲げる。
「冗談で乾杯する程、暇じゃあない」
「何を、そんな、あの子はまだほんの子供で……」
「来年には、俺が独立の旗を掲げた年齢だ」
「…………」
王は瓶を傾け、女性の盃に葡萄酒を注ぎながら、尚もニヤニヤしている。
「お互い、生涯一緒に居たいって言うから、簡単な儀式をして来てやった。まぁ、奴にしては良くやったよ。すこぶる良い目をした子供だった」
「はあ……あの子が……」
女性はテーブルに肘を付いて、額に手をやる。
「子供ってのは、大人が考えているよりずっと早く、駆け足で成長する。君の口癖だろ。観念して乾杯しよう」
彼女はうつむきながら、ぎこちなく盃を掲げる。
「ただ、ちょっと問題があるんだ」
「何です?」
こうなったら大概の事は、あの子の為に用立ててあげなくては……
「トルイの奴、まだ気付いていないんだよなあ。誓いの儀式をした相手が、『女の子』だったって事に」
再び葡萄酒を引っくり返す女性を眺めながら、王は、すっごい楽しそうに笑った。