ネメアの獅子   作:西風 そら

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少年トルイとソルカの出逢い




番外・短編
木守りの実


「てめーら逃げんなよ!! 隅々まで家捜しして一人残らず噛み砕いてやる!!」

 

 集落の一番高い屋根の上に、雷と共に現れた血のように真っ赤な魔物。

 激しい音を立て、落雷が村のあちこちに直撃する。

 

 村人達は恐れ慌てて、怯える馬を引き出し、我先にと逃げ出した。

 雷が後を追って大地を揺るがすので、立ち止まって振り返る事も出来ない。

 

 たちまち村は閑散、猫の子一匹居なくなる。

 

 

「ふぃ~~」

 屋根の上で大きく息を付いて、赤毛の少年は掲げていた剣を下ろした。

 稲光で目眩まししていたが、本当はただの、ちっちゃい人間だ。

 

「この村で最後だよな」

 独りゴチながら屋根を飛び降りる。

 

 ――!?

 背後から何か!

 

 向かって来たそれを避けて掴むと、干し草用の三本ホックだった。

 そして三本ホックの柄には、顔を真っ赤にした子供がくっ付いていた。

 

 大きな毛糸の帽子を深く被った、山岳民族の子供、自分より二つ三つ年下くらいか。

 怒りの目、と言うよりは、純粋に、正義に燃える目。

 

「ぼ、ぼくの村から出てけ――!!」

 

 おお、ちょっと相手にしてやりたい絶滅危惧種だが、今はそんな暇が無い。

 

 掴んだ三本ホックを引っ張り、つんのめった子供をヒョイと抱えた。

「は、離せ! はーなーせー!」

 

 子供は空中でジタバタした挙句、地面にぺたりと落とされた。

「痛ーい!!」

 

「離せっつったのお前だろが」

 赤毛の少年は地面にうつ伏せた子供の頭を押さえ付けて、顔を覗き込んだ。

 鼻水を垂らして震えている癖に、眼だけはメラメラ燃えている。

 

「お前、一人か?」

「うるさい! ころせ! お前なんかに降参するもんか!」

「だから、お前一人か? 寝たきり婆さんを守ろうとして、とかじゃないんだな?」

「こーろーせー!!」

 

 少年は溜め息を吐いて、子供のセーターの袖を後ろ手に結んだ。

 そうして黒鹿毛にどさりと積んで、自分も飛び乗り、村を出て南に駆けた。

 

「ぼくを、どーすんだ! 人質にはなんないぞ! 大人は何でも簡単に捨てるんだ!」

 

 村から半里ばかり離れた所で、子供はそのまま地面に放り出された。

「この……!」

 

 ここで子供は馬上の魔物を、初めてちゃんと見た。

 

「??」

 何か、思っていたのと違う?

 恐ろしい狼の化身だと思った筈だが、人間の少年? に見える。

 真っ赤な髪と銀に光る目は、やっぱり普通じゃないけれど……

 何でそんな普通の子供みたいな、困ったような表情?

 

「お前、名前、教えて置け」

 

「ソ、ソルカだ! 忘れんなよ!」

 子供は、灰色がかった真ん丸な瞳で、力一杯少年を睨み付けた。

 

「ふうん、ソルカ、殺せとか簡単に言うな。後、朝までここに居ろ。じゃあな」

 

 少年はそれだけ言って、黒鹿毛を返して、村ではなく、少し外れた山の方へ駆けて行った。

「おい!?」

 ソルカは草っ原で転がったまま、駆け去る騎馬の後ろ姿を見送った。

 

「……何がしたかったんだ?」

 村を襲いに来た魔物には違いない。自分でそう言っていたし。

 

 だけれど自分に手出ししなかったのは何でだろう?

 あんな困った顔をしたのは何でだろう?

 

 分からない事だらけだが、『朝までここに居ろ』という言葉が強く残っている。

 

 ソルカはもぞもぞとセーターから腕を抜き、戒めをほどいて、そこに座り込んだ。

 魔物の言う通りにするのは癪だけれど、朝までぐらいなら、居てやってもいい。

 だって何だか、あの銀の瞳は怖いけれど、悪者じゃなさそうな感じだった。

 

 大人達は、出来る限り遠くに逃げて行ったんだろう。

 あの人達、何でも簡単に捨てるんだ。

 村も、母さんも……!!

 

 

 ―― どん ――!!!

 

 強烈な地響きがした。

 子供は座ったまま地面の上で放り上げられた。

 

「えっ・・ああっ!」

 

 月明かりに、村の方で砂塵が見える。

 

 ソルカは跳ね上がって村へ走り出した。

 魔物の言い付けも何も関係無い! 大切な宝物があそこにあるんだ!

 

「・・!!」

 裏の山が、樹木ごと、ごっそり滑り落ちていた。

 村の殆どが土砂に埋まっている。

 遠目に、隣の集落も、その向こうも。山沿い全体が被害を受けている規模だ。

 

「あああ・・!」

 子供は声を上げながら、村外れの干し草小屋の方に走った。

 そこだけ少し高台になっていて……

「ああ、あった!!」

 宝物は無事だった。

 干し草小屋は半壊していたが、お陰で土砂が止められ、『それ』は守られていた。

 

 子供は気を取り直して、その高台から村を見下ろした。

 

 族長の大きな家も、教会も広場も畑も、みんなみんな土砂に埋もれている。

 地震も豪雨も、何も無かったのに、何でいきなり?

 変わった事があったとすれば、あの赤い魔物。

 

「でも……」

 ひとつ言える事。

 こんなに恐ろしいコトになっているのに、村の人達は皆無事だ。

 最後に残ったのが自分一人だったから、間違いない。

 これって偶然? それとも、まさかまさか……

 

「おう」

 後ろで声がした。

 

 赤毛の魔物? が、黒い馬に跨がってそこに居た。

 

「ちょうど良かった、ソルカ。どこかに水場ない?」

 まるで通りすがりの旅人みたいに、気安く話し掛けられた。

 

「あ、あっち行け……」

 ソルカは後ずさった。

 

「うーん、ちょっとの間、いろいろ忘れてくれないかな? 尾花栗毛が死にそうなんだ」

 魔物はまた困った顔をする。

 何だかもう、魔物とも言えない、普通に少年の顔だ。

 

「……あそこの埋まっていない柵の横に、素堀の井戸がある」

 

「ありがと」

 少年はソルカの指差した方向へ駆けて行く。

 

 ソルカは、高台を降りて、自分の家に行けないか探してみた。

 土砂は厚く、まだ動いている箇所もあって、とても無理そうだ。

 

 どうしよう、と途方に暮れている後ろを、木桶をぶら下げた騎馬が通過した。

 

「おい! それ! 井戸の木桶!!」

 

「まだ崩れるかもしれない。山から離れていろ」

 

 速足で駆け去る騎馬をソルカは追い掛けた。

「村の木桶だぞ、持って行くな――!」

 

 ここまで壊滅した村で木桶もクソも無いのだろうが、子供は走って魔物を追い掛けた。

 何故か着いて行きたかったのもある。

 一人ぼっちには慣れていた筈だったのだが。

 

 村から少し離れた台地で、一頭の尾花栗毛の馬が横たわっていた。

 首も上がらない程ぐったりしていて、鼻を大きく広げて気管から変な音を漏らしている。

 

 赤毛の少年が馬の横に屈み込んで、布を水に浸して。何とか馬の口に含ませようとしていた。

 

「…………」

 離れた所から、その様子を見たソルカは、すぐに村の方へ取って返した。

 

 尾花栗毛は、水を飲み込む力も無く、横になったまま腹を小刻みに上下させている。

 

「お前、頑張ったんだな……」

 赤毛の少年は屈み込んで馬の首を撫でてやるしか出来なかった。

 今晩、これ以上の命を失いたくない……

 

 唇を噛み締めている所へ、すう・・と、目の前に何かが差し出された。

 

「??」

 

 黄色い大きな蜜柑。

 

 見上げると、子供が真剣な目で、両手でそれを差し出している。

 

「馬の息を整えるのに良いんだ。元気も出て水を飲めるようになる。ちょっとづつ食べさせてあげて」

 

「…………ありがと」

 

 少年は黄色い実を割って、少しづつ馬の口に入れてやった。

 

(馬を見つめる目が、本当に優しい。やっぱりこのヒト、悪者じゃない)

 

 

 尾花栗毛は蜜柑の小さいカケラを口に入れてやると、目を閉じて、少し転がしてから飲み込んだ。

 三カケほど食わしてやった後、水に浸した布を口に付けると、ぺちゃぺちゃと吸い始めた。

 

 そうして、とうとう首を上げて木桶から直接水を飲んだ。

 

「やったあ!!」

 ソルカは思わず歓声を上げた。

 上げてから口に手を当てて赤毛の少年を見ると、気持ち一杯な目で馬を見つめている。

 

(普通に、イイヒト、だ……)

 

 尾花栗毛が十分水を飲み終わってから、黒鹿毛も木桶に頭を突っ込んだ。

「お前も頑張ってくれたもんなあ」

 

 それから、立ち上がれた尾花栗毛を騙し騙し井戸まで歩かせて、満足行くまで水を飲ませた。

 ソルカが残った夏蜜柑を割って与えた。

 

 二頭仲良く草を食み出して、もう大丈夫だと思えてから、赤毛の少年はホォッと息を吐いて、その場にしゃがみ込んだ。

 顔を膝に埋めて、酷く疲れた様子で、無防備に。

 

 ソルカはそおっと声を掛けた。

「あの……」

 

「ああ、蜜柑、ありがとな」

 少年は膝に顔を埋めたまま答える。

 

「あの山崩れ、分かってたのか?」

「まあな、でも、俺じゃない」

「村のみんなを助けてくれたのか?」

「だから、俺じゃない。俺は教えて貰っただけ」

「じゃあ、誰なんだ? 山崩れが分かってたって、預言者とか? 村のみんなに言わなくちゃ。ぼくだってお礼を言いたい」

 

「…………」

「ねえ」

 

 少年はゆるゆる顔を上げた。

 ソルカではなく、正面の地平の星を見つめる。

 

「じゃあ、祈ってくれ」

「??」

 

 その横顔は焦燥しきっていた。

「祈ってくれ…………」

 

 

 

 不意に、夜空に鋭く、高い声が響いた

「鷹だ!!」

 少年は弾かれたように立ち上がる。

 

「まさか、こんな夜中に?」

 ソルカが呟く目の前で、本当に立派な鷹が、羽音高く少年の腕に降りて来た。

 

 ビックリして目を見張るソルカの前で、少年は鷹の足筒から紙を引っ張り出し、食い入るように読んだ。

 そうして真上を見上げて目を閉じ、両膝からヘナヘナと地面に崩れた。

 

「良かった……ヨカッタ……」

 

 少年は即座に筒を逆さに向けて、鷹を放った。

 多分、受け取ったという合図なんだろう。

 

 ソルカには色々さっぱり分からない。

 でも村の皆を救ってくれたこのヒトが良かった事なら、きっと良い事なんだ。

 

 

 

「ソルカ!!」

 

 知った声がした。

 目を上げると、いつの間に、逃げ出していた村人が十数人、手に手に棒や武器を持って立っていた。

 

 逃げた先で、同じように追い出された近隣の集落の面々と合流して、おかしなモノだと話し合っている所に地響きがあり、族長はじめ何人かで戻って来たのだ。

 

「魔物! 貴様が災厄をもたらしたのか! 村をこんなにしちまいやがって!」

 

「ちがう、ちがう!!」

 ソルカが叫んだが、大人達の怒号にかき消される。

 

 ち……参ったな。

 尾花栗毛を連れて逃げ切れるかな……

 少年がそんな事を考えていたら、何とソルカが三本ホックを持って村人の前に躍り出た。

 誰かが持っていたのをかすめ取ったのだ。

 

「あんた達に、村の事、言う資格無い!! 簡単に村を捨てたくせに!! 簡単に母さんを捨てたくせに!!」

 

「…………」

 村人達の声が止まった。

 

 赤毛の少年は進み出た。

 事情は分からないが、ここで逃げ出すと、この子供を孤立させてしまうのは分かった。

 

 たじろぐ村人達を横目に、ソルカの三本ホックを掴んで降ろさせる。

「そんなモン振り回すのは、大事なモンを守りたい時だけにしとけ」

「あんたを守る為じゃダメなのか?」

「…………」

 

 ソルカは再度、村人に向いて叫んだ。

「皆、村から逃げてなきゃ、今ごろ、この土砂の下敷きだぞ!!」

 

 村人達はちょっと怯んだ。

「そ、それは、たまたまだろう、偶然だろう」

 

 赤毛の少年は村人に正面向いた。

「俺が礼儀正しく村に出向いて、これから災厄が起こるから逃げろって口走って、あんたら信じてくれたかい?」

 

 良く通る澄んだ声だった。

 人の心に届く声音。

 

 村人達は静まった。

 

 まん丸な目を向けるソルカの横で、少年は心で溜め息を吐いていた。

 バックレた方が楽だったんだが。

 ここまで来たら、ちゃんと締めなくてはなるまい。

 もうヘロヘロなんだけれど……

 

 

 

 

「するとそなたは、シャーマンなのか?」

 

 赤毛の少年は族長と対峙している。

 

 村人の半分は、避難している子供や老人の為に戻り、半分は、ここで朝になるのを待つ為に火を焚いている。

 ソルカは少年の方をチラチラ見ながら、干し草小屋にあった塩と燕麦を、二頭の馬に与えている。

 

「あんたらが納得するならそれでいい。とにかく、風の神が災厄を教えてくれた。それで俺に出来るやり方で、手っ取り早くあんたらを追い出した。感謝したかったら奴にしてくれ。俺にされても困る」

 

 族長は戸惑った。

 シャーマンだったらここで布施の要求か、少なくとも信仰を求めて来るのだが。

 

「しかし、神に救われてそのままと言うのは、縁起的に良ろしくない。せめて、そなたに何か……」

 

「ふうん・・あっ!」

 赤毛の少年は思い付いたように顎を上げた。

 

「じゃあ一コだけ、欲しいモノがあるんだけれど」

「あ、ああ。我等は沢山無くした。だが命があればまた築ける。なんなりと言ってくれ」

 

 少年は口の端を上げて、親指で後ろを差した。

「こいつ」

 

 後ろにはソルカが突っ立っていた。

 

「こいつが欲しい!」

 

 族長は目を丸くして口をぽかんと開けた。

「そりゃ、また……しかし、その子は……」

 

「見たトコ、身内、居なさそうだし」

 軽々喋る少年の前に、ソルカがツカツカと歩み寄った。

 

 ――バシッ

 

 赤毛の少年の頬をはたき、激しい目を向けてから、ソルカは凄い勢いで駆け去って行った。

 

 少年は茫然と突っ立ち、族長はおろおろした後、額に手を当てて息を吐いた。

 

「あの子には地雷です。それは……」

 

 

 

 

 村の西側、半壊した干し草置き場の横、一本だけある蜜柑の木の下で、子供は膝を抱えていた。

 

「よぉ……」

 赤毛の少年が視線を泳がせながら近寄る。

「……悪かったな」

 

「別に、悪くなんかない。あんたは村を助けてくれたんだし、何を要求してもいいと思う」

 

「ふうん」

 少年は子供の手首を掴んだ。

「じゃあ謝れよ」

 

「な!」

「ビンタくれてごめんなさいって謝ってみろ」

「い・や・だ!!」

 

 少年は暫くソルカの目を見据えていたが、ふっと力を抜いて、掴んでいた手を離した。

 

「そうだ。自分の信念は貫け。お前は、ヒトをモノみたいに扱うのを許さない。決して許さない。一生貫け」

 赤毛の少年は大きな犬歯を見せて刻むように言った。

 

 ソルカは黙っていたが、その顔から目を逸らさなかった。

 

 

 

「山を根城にしていた野党が、あの子の母親を要求しましてな。その年は不作で……皆、もう疲れていました。あの子は七つでした」

 族長は恥じ入るように吐露した。村の惨い過去。

 

「郷司が野党討伐に動きましたが、時遅く、母親は戻らぬ者となっておりました。父親も昔に亡くしていて……それ以来、村の皆であの子を育てていますが、心は頑ななままで」

 

 

 

「母さんはこの木の香りが好きだった。花も好きだった。実の成る季節も大好きだった。遠い西の国から嫁いで来る時、苗を持って来たんだ。満開の白い花の下に居ると、春の精みたいだった。今はもう、この木だけがぼくの大切な宝物なんだ」

 

 ソルカは蜜柑の木の幹を撫でながら、暗い草原を見やった。

 地平に細いオレンジの線が入り、長い夜が明けようとしている。

 

「……実が、無いな」

 赤毛の少年は、冬前の乾いた葉だけの木を見上げながら言った。

「最後の一個だったのか?」

 

「うん……木守りの実。冬の間木を守って貰う為に、わざと一個残して置くんだ。でも、残して置いて良かった」

 ソルカは少年の方を見ないで、だんだんに色付く草原を見ながら答えた。

 木がさわさわと揺れて、清い香りが漂う。

 

「なあ、お前、ソルカ」

「あんたが野党と違うのは分かる。叩いたりして悪かった」

 

「俺と、来ない?」

 

 少年はソルカの横に立ち、一緒に朝焼けを眺める形になる。

「俺さ、人間で、信頼出来る奴、欲しいんだ。お前に側に居て欲しい」

 

 子供は目を丸くして赤毛の少年をマジマジと見る。

「信頼って? ぼくら今晩逢ったばかりだろ?」

 

 少年は銀の目に朝陽を湛えながらソルカを見る。

「人生で、ずっと側に居ても心に残らない奴もいる。ほんの一時しか居なかったのに、一生心に残る奴もいる」

 

 それから、正面向いて右手を差し出した。

「一緒に来てくれ」

 

 その時のソルカにはどんな打算も無かった。

 ただ吸い込まれるように、この、どこの誰かも分からない、何処へ行くとも分からない少年の手を、取った。

 

 そうして、二人を朝陽が照らした所で、何故か影が覆った。

 

 

 

 

「やばっ!!」

 少年が口走る。

 

 何かが目の前をよぎった気がしたが、ソルカには何も見えない。

 

 さあ……っと風が吹き抜け、蜜柑の木を揺らす。

 

 赤毛の少年は握っていた手を離し、木の反対側に駆けて行く。

 

 そこにはいつの間に、一人の男性が立って居た。

 分厚いマントの下に豪奢な鎧、額に金の輪兜。

 一目で身分ある武人と分かる。

 

 少年はその男性の斜め前で、足先を揃えて、敬礼する。

 家来なのか?

 

「今さっき、蒼の里からの鷹の手紙を受け取った。酷い物だな」

 その武人は、山の崩れた所を見て、率直な感想を述べる。

 

「あっ……あの……」

 ソルカが進み出る。

「だけど、誰も下敷きになっていないんです。このヒトが皆を逃がしてくれて」

 

 男性はギロリとソルカを一瞥する。

 押し潰されそうな威圧感に、思わずたじろいだ。

 

「そういう事は族長に聞く。トルイ、案内しなさい」

「はい」

 

 ここでソルカは、やっと少年の名を知る。

 ト・ル・イ……雷(いかずち)かあ。

 そういえば夕べ、雷を呼んでいたけれど、このヒトは軍付きの陰陽師とか呪術師なのかな?

 ぼくよりちょっと年上くらいなのに。

 

 そんな事を考えていると、トルイはその男性を案内しながら、ソルカに、お前も来い、と合図した。

 

 

 さすがに族長クラスだと顔パスだった。

「だっ大王!! 帝国の大ハーン!! あゎゎわ、あゎわ」

 

 皆々平伏する中、さっき不用意に話し掛けたのが誰だったのか……ソルカの頭の中で迷い羊がぐるぐる回る。

 

「と、供も連れず、お一人で? まさか」

 

「陣中見舞いだ。追って王都から物資を送る。近隣から普請も寄越そう。皆、自棄を起こさず、前向きに復旧に当たってくれ。命あって何よりだ」

 

 王の一声で、鉛色だった皆々の顔に生気が蘇る。

 こういうのって、早さが大事なんだ。

 機会を逸すると、大切な人民が離散し、流民となり犯罪が生まれ、末には国土を揺るがす害悪ともなる。

 

 王の横で彼の言葉を一字一句逃さず聞こうと頑張る少年を、ソルカはぼぉっと眺めていた。

 

 

 見送りは結構、と、王は何故かまた、蜜柑の木の所へ戻った。

 トルイはソルカを伴って着いて行く。

 三人だけになる。

 

「さて、トルイ」

「はい」

「今回は、良くやった。方法は無茶だが、他に良い手も無かったろう」

「……カワセミのお陰です」

「そうだな、心からハーンの敬意を示そう。鷹の手紙によると、命は取り留めたそうだな。本当に良かった」

 

 ソルカは王とトルイを交互に見ながら、所在無さげにしていた。

 王と直に会話出来る陰陽師。

 さっきの握手は夢だったのかしら。

 

「王」

「なんだ」

「褒美が欲しい」

「……ほお」

 

 王がまたあの居竦める様な目を少年に向けたので、ソルカの方が思わず首をすくめてしまった。

 

「俺付きの家臣が欲しい。信頼出来る、生涯共に出来る家臣」

 

「ああ、必要になるだろう。だがまだ早い」

 

「今から育てるっ。こいつ……!」

 少年にいきなり手を引っ張り上げられて、ソルカは硬直した。

 

「トルイ……こいつって、羊の仔じゃないんだ。第一どこの誰なんだ? 親御さんは? 子供のゴッコ遊びじゃないんだぞ」

 王は呆れて言うが、何だかだんだん柔らかい物腰になって行く。

 

「どこの誰って、ソルカだよ。三本ホックで村を守ろうとした。三本ホックで俺を守ってくれた。俺と共に来いって差し出した手を握ってくれた。他に何か要る?」

 

 ソルカは勢いに押されていちいち頷くが、成り行きに怯えている。

 

「待て、ちょっと待て!!」

 王は慌てた感じで二人を離す。

 

「トルイ、ちょっとこの子と二人きりで話すから、離れていなさい」

 

 トルイは不満ながらも、言う通りに蜜柑の木の向こうへ後退する。

 

 王は子供の目の高さまで屈み込み、肩に手をかけ、顔を覗き込むんだ。

 射竦めるような目ではなく、お父さんを思い出すような目だった。

 

「あの子は、世間知らずで、突っ走る所がある。実の所どうなんだ? 来る気があるのか? ノリだけだったらヤメて置いた方がいいぞ」

 

 王様の顔がすぐ近くにあって、瞳に硬直する自分が映っている。

 クラクラしながらも、ソルカは頑張って意識を保って答えた。

「い、行きます」

「いいのか?」

 

「約束したし……それに、ト……ルイ? ぼくを信頼してくれるって言った。それに、応えたいって、思います」

「うん、そうか」

 

 王はチラと少年を見る。

 律儀に話の聞こえない所で待っている。

 

 更に顔を近付けて、王は耳元で囁いた。

「あいつ、お前さんの事、何も分かっちゃいないぞ。それでもいいのか?」

「…………」

 

 

 

 王が立ち上がって、トルイが呼ばれた。

「俺は国境の戦線へ戻らねばならない。お前の母の草の馬を借りて来たしな。ただ、この子供がお前と来るのなら、簡単に儀礼だけやって置いてやろう。その前に……」

 

 王はトルイを子供の正面に立たせ、二人の肩に手を置いた。

「お前達、互いに信頼があると言ったが、人間の心のヒダは奥深い。お互いの全部が分かっている訳ではない。隠して置きたい事もあるだろう。露呈した事実に衝撃を受ける日も来る。どんな時も、信頼は揺らがないと誓えるか?」

 

「…………」

「…………」

 

「分からないか?」

 

「誓えないけど……努力する。俺、ソルカと歩きたいから」

「誓うって……そんな軽く言えない。でもトルイと一緒に行きたい」

 

「よし!!」

 

 王は満足した様だった。

「口先だけの誓いは要らん。ちゃんと真剣に考える事が大事だ。トルイ、剣を抜け」

 

 トルイは身体に不釣り合いな大きな剣をシャリと抜いた。

「お前は……そうだな」

 王は干し草置き場に刺さっていた三本ホックを引き抜いた。

「これを持て」

 

 トルイは剣を斜め上に掲げ、ソルカは三本ホックをそれに交わらせた。

 間で王が大真面目に唱える。

 

「トルイ・・

 ソルカ・・

 お前達は、互いの人生を支え、信じ、共に歩む。

 風と大地の名に置いて、王が証人となる」

 

 トルイが真面目にじっとしているので、ソルカも良く分からないながらも、ホックを握り締めて畏(かしこ)まる。

 

 蜜柑の木がサワサワと鳴る。

「ああ、この木も証人になってくれるって」

 トルイがソルカを見て笑った。

 それを見て、ソルカも緊張が緩んで微笑んだ。

 

 

 

「では俺は行く。トルイ、後は任せる。出来るな」

「はい」

 少年が敬礼して、王は蜜柑の木の影に隠れたかと思うと、突風が吹いて見えなくなった。

 

「……王様は?」

「風に乗れるんだ、あのヒト。気にすんな。そういうの、追い追い慣れる」

「…………」

 

 トルイは小刀を取り出した。

「蜜柑の木って、挿し木出来たっけ」

「え? 接ぎ木なら出来たと思う……」

「自宅の庭の一画くらい、ソルカにくれてやれると思う。陽当たりの良いトコな」

「ホント!?」

 

 二人、井戸の方へ降りる。

 黒鹿毛と尾花栗毛が仲良く草を食んでいる。

 

 族長が来る。

「王はお帰りで?」

「ああ。被害状況、細かく出る? 俺、任されたから、纏めて城へ持って帰る。他の集落の長にも連絡して提出して貰って」

「え、あ……はあ……」

 

「ソルカ、読み書き出来る?」

「あ、はい」

「じゃあ手伝って」

 

 別にいいのに、族長が他の集落の長も引き連れて来た。

 その中に、帝国の王室ファミリーの顔を見知った者が居た。

 コソコソ言う囁きの内に緊張が走り、報告書はあっという間に完成した。

 

 昼前には出発の算段が付いた。

 尾花栗毛を労りながらゆっくり駆けても、明るい内に王都に戻れるだろう。

 

 ソルカの家は埋もれてしまい、荷物は数本の蜜柑の木の枝だけだ。

 

「ソルカ、忘れ物」

「え?」

 茫然と集落を眺めるソルカに、トルイが、族長を目で指して促す。

 

「育てて貰ったんだ。読み書きまで教えて貰って。村全体に礼を尽くせ」

「…………」

「礼儀知らずは要らんぞ」

「……でも、母さんを……」

 

「ソルカの母さんが、外国(とつくに)から嫁いで、愛して、守ろうとした村だ。だからソルカも守ろうとしたんだろ?」

「……うん……」

「じゃあ、ちゃんと別れろ。今やって置かないと後悔する事は、世の中に御満(ごまん)とある。それは俺が保証する」

 

 ソルカはトルイをじっと見たが、やがて頷いて、族長や村人達の所へ駆けて行った。

 そうして育てて貰った礼を言って頭を下げると、冷たいと思っていた大人達が涙ぐんで、自分の先行きの幸を願ってくれた。

 それから、蜜柑の木の世話は必ず怠らないと、約束してくれる人もいた。

 

 

 

 このヒトに着いて行くという自分の判断は間違っていなかった。

 

 尾花栗毛に揺られながら、ソルカは赤毛の少年の横顔を見る。

 栗毛優しき馬は、トルイの姉の馬だという。

 このヒトに似ているのだろうか?

 

 栗毛が疲れると降りて歩いたが、そんな時はトルイも黒鹿毛を下馬して、二人肩を並べて歩いた。

 そうしてゆっくり、新しい人生のある王都へと向かう。

 

 ソルカは色んな物に感謝した。

 外国(とつくに)よりこの国に来てくれた母、旅先でその母を見初めたという記憶の片隅の父、自分を育んでくれた村、蜜柑の木  …………このヒトに逢わせてくれた、運命…………

 

 感謝する事なんて、忘れていた。

 

 

 

 

 

 

 飲みかけの葡萄酒が膝に滴り落ち、女性は慌てて手の中の盃を立てる。

 

 王は正面でニコニコしている。

 

「い、嫌ですわ、王君。冗談が過ぎます」

 

 小卓に差し向かいで、王は澄まして盃を掲げる。

「冗談で乾杯する程、暇じゃあない」

 

「何を、そんな、あの子はまだほんの子供で……」

「来年には、俺が独立の旗を掲げた年齢だ」

「…………」

 

 王は瓶を傾け、女性の盃に葡萄酒を注ぎながら、尚もニヤニヤしている。

「お互い、生涯一緒に居たいって言うから、簡単な儀式をして来てやった。まぁ、奴にしては良くやったよ。すこぶる良い目をした子供だった」

 

「はあ……あの子が……」

 女性はテーブルに肘を付いて、額に手をやる。

 

「子供ってのは、大人が考えているよりずっと早く、駆け足で成長する。君の口癖だろ。観念して乾杯しよう」

 

 彼女はうつむきながら、ぎこちなく盃を掲げる。

 

「ただ、ちょっと問題があるんだ」

 

「何です?」

 こうなったら大概の事は、あの子の為に用立ててあげなくては……

 

「トルイの奴、まだ気付いていないんだよなあ。誓いの儀式をした相手が、『女の子』だったって事に」

 

 再び葡萄酒を引っくり返す女性を眺めながら、王は、すっごい楽しそうに笑った。

 

 

 

 

 

 




挿し絵:蜜柑 
【挿絵表示】

挿し絵:儀礼 
【挿絵表示】
 


ここまでお付き合い頂き、心よりありがとうございました

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