ネメアの獅子   作:西風 そら

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3・金の鈴

 

 

   

 

 初夏の緑の中に、黄色い花が帯のように広がっている。

 北の草原の台地。

 

 灌木の林にシリギの淡栗毛がのぞく。

 隠れてるつもりで、上空からは丸見えなんだが。

 

 一昨日の昼から、彼はずっとここで張っている。

 ソルカ妃の記憶の中の、トルイが語った妖精の里。

 色々繋ぎ合わせて、だいたいここだと目星を付けた。

 割りと正解だったみたい。

 

 日に何度も空に草の馬を見かける。

 その度に葦毛を駆って追い掛けるのだが、どうしても途中でフイと見えなくなる。

 

「人間には近寄れない世界なのかなぁ? でも僕の取り柄って妖精が見えるだけだし……」

 

 そう、シリギは今一度妖精との接触に挑戦してみる事にしたのだ。出来ればトルイの母親に。

 だってやっぱりどうしても、自分一人では分からない事が多すぎる。

 っていうか、何一つ分からない。

 

 そもそも自分で考えろって、一人ぼっちの僕には無理くない? 

 お祖父様には妖精の母親がいたし、大ハーンはもっと多くの人外の知り合いに囲まれていた(らしい)。出発点が違うじゃないか。

 ハンデがあるんだから、ヒントの一つぐらい求めに来たって、恥ずかしくはないと思うっ。

 

 という訳で、シリギがここで張っているのは半分腹立ち紛れでもある。

 自覚していないが彼がトルイから受け継いだ物は、『妖精が見える』以外に『頑固』というのもある。

 だって放って置こうと思えば、祖母の言う通り、放って置く事も出来るのだ。

 何もしないで、『役割』とか無視して生きた方が楽に決まっている。

 

(でも……)

 月明かりの下の、羽根の妖精の怒りに満ちた目を思い出す。

 自分はきっと、大切な事を知らないんだ。知って置かなきゃならない大切な事を。

 

「とにかく何が何でも、何かが進展するまで、蛇のように粘ってやる」

 

 

 

 

「そんなに粘られても困るんだけれど……」

 こちらはシリギの後方の落葉松のてっぺん。

 二本突き出た両側の枝に、二人の妖精。

 

「カワセミ長が、『あの子供の件はユユに一任しているから手を出すな』って通達しているもんで、苦情が殺到してんだ。目障りだって」

「…………」

 

 一人は真っ直ぐな髪を肩で切り揃えた男の子。

 もう一人は先日の空色の巻き髪の女の子。

 顔立ちが微妙に似ているから兄妹っぽい。

 

「何とかしろよ、ユユが中途半端に構おうとしたせいだろ」

「だって」

「どうせあの子は妖精が見えるんだから、手っ取り早くユユが行って、何が知りたいのか聞いて教えてやれば済む話だろ」

「でもね、ナナ」

「『だって』と『でも』は無しにしなさいって、この間父上に叱られた所だろう」

 

「だってだってでもでもでもでも! はいどうぞって答えをあげる事は、あの子の為になるのかしら。あの子の望んでいるのはそんなのじゃない。ううん、あの子は言葉で言う答えじゃなくて、もっと別のモノを欲しがっているのよ」

 

「そんな悠長にやってたら、カワセミ長に貰った一週間なんてあっと言う間だぞ」

「うう……」

「僕はもう行くぞ。ノスリ長に呼ばれているんだ」

「待って、ナナ」

 

 ユユは手を伸ばして、空中の馬を呼ぼうとしたナナの手首を掴まえた。

「要するにね、あの子は『自力で何とかする』って達成感が欲しいのよ。じゃあ、アタシが何か借りを作ってあげれば、アタシの助けを正々堂々受け取れるんじゃないかしら」

 

「……それで?」

 ナナはイヤ~な予感がしながら、一応聞いた。

 妹がこういう理屈をこね出す時は、絶対ロクでもない事に巻き込まれるのだ。

 

「例えばよ、か弱い女の子が悪漢に襲われている所を助ける、とか」

「僕、行かなきゃ」

「待ちなさいよ、ナナだってチョイと作れば悪者らしくなれるって」

「そんな下品な事出来るか! 離せ!」

「健気で可愛い妹がこんなに頼んでんのに!」

「そんな代物何処に居るんだ? はーなーせ――!」

 

 二人はもつれ合って落葉松の枝から足を踏み外した。

「わっ!!」

「キャ!!」

 

 風の妖精なら勿論その位平気だ。風で自分の体重を支える事が出来るから。

 二人は同時に風を呼び……

 そしてそれは丁度逆方向同士から来て、ぶつかってキレイに相殺された。

 この双子は時々こういう天文学的確率のドジをやらかす。

 

「ユユ、このバカ~~!!」

「きゃゃあぁぁあ~~!!」

 ――ばきばきばきばき――どさ!!

 

 落葉松の木の根元でもつれ合ってノビている三人…………

 ……ん? さんにん??

 

 木の上で揉めていた二人は、地上の男の子にとっくに気付かれていた。

 そして話し声を辿って木の根元に来た彼は、見事に枝を突き破って落っこちて来た二人の下敷きになった。

 

 ・・・

  ・・・・・

「う゛~~~・・」

 

 シリギは意識を取り戻した。

 頭がズクンズクンする。

 

「あ、あ、まだ動くな。頭をぶつけちまってるからな。もうちょい目を閉じていろ」

 

 大人の男性の声がして、視界が大きな掌(てのひら)に覆われた。

 払い除けて見たい衝動に駈られたが、ここは素直に従って置こうと思った。

 

 どうやら柔らかい草の上に寝かされているようで、周囲に複数のヒトの気配がする。

 

「ユユがバカな事言い出すから……」

「うう、ごめん。でも、ナナだって……」

 さっき樹上で揉めていた二人の子供の声。片方は西の森で会った子だ。

 

「だってもアサッテもない! キミら二人、おかしな力が働いて、ボクにも予知出来ない危険が起こるんだ。二人同時に魔法を使うなって口を酸っぱくして言ってあったろ!!」

 これは、同じく西の森で会った、羽根のヒトの声だ。確か、名前は……

 

「おぉい、カワセミ、そっちは後で説教しておくから、この子の治癒を頼むわ」

「何でボクが……」

「大長の指示だろうが」

「チッ」

 

 思いっきりの舌打ちが耳に入った後、シリギの頭に別の掌が置かれた。

 最初の掌より小さくて骨張っていた。

 

「頭はコブ一個だな、問題無い。それよりこっちだ」

 

「ひぃいい!!」

 右足首を掴まれた瞬間、シリギは痛みで身体が剃り返った。

 

「折れてるな」

「折れてるか」

「痛いです痛いですってば!」

 

「痛いか?」

「痛いから痛いって……あれ?」

 足首の中がモニョモニョして、最初の鋭い痛みはマシになった。

「すごい!」

 

「調子に乗るな。キミの身体じゃ術が通らん。まあ骨を接ぐ程度まではやってやるから、後は人間の治癒力で治せ」

「はい、あのぉ……」

「ボクは何も知らん。知っていてもキミに答える筋合いは無い」

 

「お祖母様に聞いた、昔、お祖母様の村にトルイが来た時の話。村を助けたトルイにお礼を言ったら、『カワセミが予知を伝えてくれたお陰だよ』って言ったって。貴方、そのカワセミさんなの?」

 

「…………」

 一同黙っている。

 目を塞がれているので表情が見えない。

 

「だったらどうなの?」

 つっけんどんなカワセミの声。

 

「お礼、言いたい」

「村を救ってくれて有難うって?」

 

「お祖母様を助けてくれてありがとう」

 

 ふっ・・と、静かになった。

 目を塞いでいた掌もいきなり消えた。

 

 周囲には誰も居なかった。

 今しがたまであんなに何人もの気配がしていたのに。

 

 ・・・なんなんだよ・・・

 

 シリギは上半身起こした。

「痛!!」

 右足を見ると、ズボンがまくり上げられ、足首に布がしっかり巻かれている。

 何の膏薬を塗ってくれたか、凄い臭いだ。

 

「あーあ……」

 折角妖精達に会えたのに、何も聞かなかった。

 見当違いな事のお礼を言っただけ。トンでもないマヌケっぷり。

 自分を蹴りたい、蹴れないけど。

 

 背後で吐息がして、慌てて振り向いたが自分の馬だった。

 がっかりしながらも、自分を気遣ってくれる鼻面を撫でる。

 

 妖精は人間が嫌いなのか? そうでもないよな、手当てしてくれたし。

 でも何か、僕らとは違った掟や常識がありそうだなぁ。

 そんな事を考えながら葦毛を見て、ある一点に釘付けになった。

 

 灰色の連銭模様の首の付け根に革ひもが掛けられ、見覚えのない金の鈴が付いている。

 

 シリギは葦毛の肩に掴まって立ち上がり、その鈴を手に取った。

 子供の拳ほどの大きさで、燻し金の表面一面に、見た事もない文字が細かくびっしり彫り込まれている。

 

「お前、これ、どうしたの?」

 馬はいつもと変わらない瞬きで主を見る。そして前掻きをして、身体を前後に揺すった。

 

「……乗るの? お前、もしかして、『行き先』を教わったのっ?」

 

 葦毛はまるで頷くように首を上下に振るった。

 

 

 ***

 

 

 葦毛は文字通り飛ぶように駆けた。

 一掻きが普段より遥かに大きく、景色が流れるように飛んで行く。

 

 馬上のシリギは心踊らせながらその飛翔感を楽しんでいた。

 鈴の音がチリチリ響き、馬の四肢に意思を伝えて何処かへ導いているようだ。

 

「何か教えてくれる、誰かの所へ運んでくれるのかしら?」

 何だよ、やっぱり妖精、親切じゃん。勿体振るのが様式美なのかな。

 

 

 何時間か駆けて辿り着いた場所は、しかしシリギの期待を満たしてはくれなかった。

 

「え……と……」

 葦毛が止まって一歩も動かなくなった場所は、周囲に人家も無い荒野だった。

 草原の外れの国境近く、すぐそこの山脈の向こうは隣国だ。

 

「お前、本当にここでいいのか?」

 葦毛は真っ黒い目でシリギを見つめ、フルルと唸る。こいつが喋れたらいいのに……

 

 じき夕暮れで真っ暗になる。

 シリギは決意した。

 足を引きずりながら、白蝋化した木切れを集めて焚き火を作り、馬が止まったその場所に座り込んだ。

 

 何のヒントも無い。この場所に導かれたという事実だけ。

 ならここに居座ってやる。

 頑固者の本領発揮だ。

 

 細々と焚き火を燃しながら、祖母が持たせてくれた干餅をかじる。

 誰が来る訳で無し、何が起こる訳で無し。

 

「まさか」

 考えたくなかったけどやっぱり……

(僕が目障りだから追い払っただけ?)

 

 そう思うと、落ち込みと自己嫌悪がいっぺんに来た。

 僕、何をやってんだろ。

 誰も喜ばない。誰の相手にもされない。勝手に突っ張って、お祖母様に心配をかけて。

 

 丸くなって地面に転がった。

「あーあ……」

 目を閉じて、冷たい地べたが頬に触る。

 

 

 次の瞬間、目の裏を上から下へ、原色の色彩が流れる。

 意識がガクンと墜ちる。

 眠りに落ちる?……のとは、違う、何か変?

 

 

 真っ白な天井の立派な天幕。

 戦の時に陣地に張られるようなアレだ。

 え? ここ何処?

 粗末な野営をしていた筈なのに。

 シリギは一所懸命意識を整えようとした。

 

 身体は立っていると思うのだが、何か高い。

 目の前の葡萄酒の盃は、多分自分の右手が持っていて、ぼおっとそれを眺めている。

 水面の揺らめきが収まった時、そこに映る自分の顔が見えた。

 

(だ、誰っ!?)

 

 自分じゃない、大人の男の人!?

 紫の液体の中、異様にランランと光る、銀・の・瞳・・

 

(ええええ――ーっ!!)

 

 

 ヒュウッと身体が引っ張られる。

 目を開けると、天幕は消えていた。

 

 元の荒れ地の細い焚き火。

 心許なくマントにくるまる自分。

 

「今の……」

 夢じゃないよな、リアル過ぎた。

 もう一度、見られるだろうか。

 頬を地面に付けてみたが、もうあの感覚には入れなかった。

「やっぱり夢だったのかな。そうだよな。そうそう都合よく何かが起こる訳ないって……」

 

 

――・・トルイ・・――

 

 シリギは跳ね起きた。

 まだ眠ってないよ、眠ってないってば。

 

 視界に足が見え、いつの間に、焚き火の向こうに男の人が立っている。

 

「だだだ、誰だれダレ!?」

 

 こんな荒野にいきなり現れるなんて、よく考えなくてもまともな人間じゃない。

 身分はありそうな立派な胴鎧。

 でも顔が土気色。

 目は落ち窪んで光が無く、肩が不自然にユラユラ揺れている。

 

――トルイ……今回の戦、金軍を退けたのはお前の力、お前の功績だと、皆が称えるのだ――

 

 読経を唸るような声。男性は一歩二歩とシリギに歩み寄る。

 背筋が泡立った。

 焚き火に照らされてそのヒトははっきり見えるのに、影が出来ないのだ。

 

――お前は何故王位を辞退した。埋め合わせに即位させられた俺の気持ちなど、お前には永遠に分からぬだろう――

 

「ちょっ、まっ……僕、トルイと違うし……」

 

――父上はいつでもお前を側に置きたがった。お前は兄弟の中で何もかも独り占めにしていたんだ。母上がどんな気持ちで居らしたか。もう沢山だ!!――

 

 男性は速度を早め、躊躇無く焚火に足を踏み入れる。

 何かが焦げる臭いがする。

 しかし彼は表情ひとつ変えず、灰色の手をシリギの首に伸ばして来た。

 

「ひっ」

 逃れたいのに足が動かない。

 冷たい指が喉に触れた瞬間、爪先まで悪寒が走った。

 

 あ、目の前真っ暗・・・

 

 

 と思った瞬間、翡翠色の閃光が走った。一度経験した光。

 

 喉の冷たい手は離れ、足の呪縛が解けた・・瞬間、すっ転んだ。

「ゴォホッ、ゲホゲホゴホ」

 地面でひとしきり咳き込んで、目を上げると、白い二本の素足が立っている。

 

「下がってて!」

 シリギに背を向けて、庇うように立ち塞がるのは、あの空色の巻き髪の女の子。

 

 その向こう、吹っ飛ばされて立ち上がろうともがく、手も足も無い灰色の生き物。

 さっきまでは人間の形だった。

 

 女の子はもう一度杖を掲げる。

「ヒトの情念を餌にカタチを謀(たばか)ったモノ、清浄な風により塵へ還れ・・破邪!」

 

 今一度、翡翠色が辺りを包んだ。

 

 光が治まると、灰色の生き物は消えていた。

「んん?」

 女の子はちょっと首を傾げて、杖を腰に差した。

 

「やっつけたの?」

「……と、思う……」

 

 何だか自信無さ気だが、女の子は気を取り直すようにシリギに向き直った。

 片手を胸に当て、両足を揃えてピョコンとお辞儀をする。

「アタシ、ユユ」

 

「あ、ああ……僕はシリギ。あの、ユユ……っって、痛ぁっ!」

 安心した途端、足の痛みが全身に走って、シリギは尻もちを付いた。

 化け物と対峙している時は痛みなんか感じなかった。

 

「ああ、そう、半端にしか治らなかったのよね。痛い? わよね」

 女の子は屈んで、脚の布を外して丁寧に巻き直し始めた。

 

(優しそうなこの子なら、きっと色々教えてくれる、よし、まずは……)

 

「あっ、まずはお礼だわ!」

 シリギが口を開きかけた所で、女の子が急に顔を上げた。

 物凄く近くで目が合う。

 睫毛も空色の、真ん丸な、澄んだ澄んだ瞳……

 

「あのね、アタシもナナも無傷なの。あんたが下敷きになって衝撃をみんな引き受けてくれたお陰で」

「あ、ああ、そう……」

 ただ避けきれなかっただけなのだが。

 

「ありがとう、ナナの分もありがとう」

 女の子は律儀に二人分のお辞儀をした。

 

「みんな、ノスリ様もカワセミ様も、感謝を示したかったんだけれど、何をするのがあんたに『良い』のか、分からなかったの」

「……そう……なの?」

 分からないってどういう事? 僕はただ、色々教えて貰いたいだけなのに。

 

「それで、馬に、術の掛かった鈴を持たせたの。今のあんたに一番必要な場所に導くようにと」

 必要な場所……この何もなさそうな荒れ地が?

 

「ここ、何処なの?」

 シリギはこの地に来た時からの疑問をぶつけた。

 

「えっ?!」

 女の子は意外な顔をした。

「あんたは、分かっていて、ここで野営を始めたんだと思ってた」

「知らないよ。馬が勝手に来たんだもの」

 

「そっか……あんたが何か確信を持って野営をしている感じだったから、邪魔をしちゃいけないと思って、隠れて待っていたの。でも、あんたはここが何処なのかも知らなかったのか」

「うん、知らない。ねえ教えてよ。ここ何処なの?」

 

 女の子は息を吐いて、焚き火の炎を見据えたまま答える。

「昔、あの山の金軍を退けたトルイの軍が、兄王オゴデイの軍と合流した、野営地……」

「それって……」

 

「トルイの最期の土地」

 女の子はシリギが座り込んでいる場所を指差す。

 

「そこでトルイは倒れていたの」

 

 

 

 

 

 


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