ネメアの獅子   作:西風 そら

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5・葡萄酒

「ねえ」

 

 風に散る魔物の塵を目で追いながら、シリギが呟いた。

「これが『答え』だとしたら?」

 

 女の子はすぐには何の事か分からず、シリギを見た。

 

「大切なトルイを殺めたのが、本当に兄王だったとしたら。それが答えだとしたら、どうなるの? 君のカワセミ様は、どうするの?」

 

「……どうも……しないわ。妖精は人間に何も出来ないもの。ただ……」

 唇が震えている。シリギにも、歯のカチカチ言うのが聞こえる。

「人間とは、切れる、でしょうね。トルイが亡くなってからも、切れたような物だったけど、これで、完全に、切れる、でしょうね」

 

「君と僕も、切れるの?」

「…………」

 

 長い沈黙。

 

「もう一回だ」

「……え」

「もう一回だけ、あの葡萄酒の天幕へ行って確かめる。こんな答え、嫌だ」

 

 振り向いたシリギはハッと目を見開いた。

 女の子の大きな瞳が膨らんで、決壊寸前だった。

「ア、アタシも、イヤ」

 

 『切れる』というのは、関わりを失くする事だ。

 会ったり言葉を交わしたりだけでなく、心で想ったりする事も。

 そんなの黙って勝手に想っていればいいじゃないかと言われそうだが、妖精の世界の言霊(ことだま)は重い。特に『切れる』なんて強い言葉に対しては。

 

 彼女はそんなに沢山の人間を知っている訳じゃないが、想い出の中に大切な人間がいる。

 目の前の男の子だってきっとこれから大切になる。

 

 

 

「君のカワセミ様も、違うって信じているみたいだった。僕が、トルイが王族に利用されるだけされて妬まれて殺されたみたいな言い方したら、滅茶苦茶怒ってたから」

 

 焚き火を大きくし、ユユの捕って来た鯏(ウグイ)を焙りながら、シリギは言った。

 

「うん、そうだと思う。だけど『君のカワセミ様』って言うのやめて」

 

「ああ、はあ、……うん」

 意地悪で言っていたのが、真面目に嫌がられて、シリギは罰悪く口をつぐんだ。

 

「あの方、アタシの事なんか意識に無いもの。心の向こう半分はいつだって巫女様が占めている。アタシはどんなに一緒に過ごしても、所詮(しょせん)押し掛け弟子のオチビちゃんでしかないの」

 

「え、えっと……」

 そういう話に気の利いた返しが出来る程、シリギに人生経験は無かった。

「み、巫女様って人がどんなに素敵か知らないけれど、ユユの将来性も見抜けないなんて、予言者が聞いてあきれるよ」

 

 そんなフォローでも元気が出たみたいで、ユユはクスクス笑った。

 そうして話をしている内に、二人が同い年なのも判明して、ここでやっと身構えが取れた。

 

「父上も兄達も母上も、王族としての役割をこなしていて立派だと思うけれど、それだけなんだ。一緒に居ても上っ面だけ。好きになれない馴染めない。お祖母様と居る時だけ、人間と過ごしている気分になるんだ」

「そう、うーん、シリギは何だか大変なんだね」

「ユユはどんな家族?」

「アタシは生まれた時から七つまで、ずっと三人暮らしだった」

「三人家族?」

「三人暮らしよ。母様とナナとアタシだけ。たまに父様が来るけれど、基本ずーっと三人っきり。他に比べる物がないから、馴染めないとか分からないなあ」

 

「へえ、三人暮らしったって、ユユが百人分くらい喋るから、丁度いいのかな」

「何よそれ。まあ、アタシ達を蒼の里に送り出して、母様は寂しいわよね。だからせめて、いつも母様の事を想うようにしているの」

「じゃあ良い家族なんだ。離れていても想っているなんて」

「そうかな、そうだね」

 

「僕も、お祖母様を想おう。トルイの事をちゃんと知って、教えてあげるんだ。何も分からないから宙ぶらりんで、寂しい思いをしているんだ」

 ユユは焚き火に照らされる男の子の横顔をじっと見つめる。

 

「トルイを信じよう。結果はもうある物だけれど、それに至る過程がきっとある筈だ」

 

 焼けた鯏を半分に裂くが、ユユは手を上げて断った。

「肉は入れない。術が逃げるから」

 

 

 ***

 

 

 シリギは地面に横たわり、地に意識を落とす。

 何でか普通に出来る自信があった。

 

 側でユユは手を握っている。

「アタシがシリギを守る。だから安心して行って来て」

 

「凄い自信だね」

「うん、話していて分かったの、気が付いたの」

「ん?」

「カワセミ様の術だけではダメだった理由。トルイの所へ行くには、やっぱり血が必要だった」

 

「……え……」

 

「シリギがその血の……い絆でトル……へ行くのな……同じ血……」

 

 シリギは意識が吸い込まれて、それ以上聞いていられなかった。

 

「……シが…………まもる………………………

 

 

 ・・流れる原色の帯

 

 

 

 何度も見た葡萄酒の盃。

 そこに映る銀の瞳。

 正面に立つ男性。

 

「さすが戦神、と言った所か。あの不利な地形でよく敵軍の薄い所が読める物よ」

「運・・だよ、兄上」

 

 初めてはっきり聞くトルイの声。

 少し高めで澄んだ声。

 あれ? 何だろ、すごく聞き覚えのある声な気がする。

 

 目の前のオゴデイ王は、盃を持つ手と反対側の手に、豪奢な飾り付けの瓶を掲げている。

「西方の極上酒だ。戦神を讃えて乾杯する為に確保しておいた」

 

「それは光栄」

 トルイは手を伸ばして、瓶を受け取って眺める。

 

 トルイと同化しているシリギの視界も変わった。

 意識はあるが、身体は動かせない。

 当たり前、これは過ぎ去った過去の、もう決まった出来事なのだ。

 

 二人盃を持ち、立ち上がる。

 

「戦神の働きを讃えて」

 

「飲めば良いんだな、兄上」

 

 トルイは含みのある言い方をして、ためらいなく盃を口に運んだ。

 

 ――!!――

 王の表情が明らかにおかしい。

(飲んじゃダメ!!)

 シリギの叫びは無視され、トルイは面倒くさい事をサッサと済ませたいという風に、盃の縁に口を付ける。

 

 ――カシン・・!!

 

 王が、自分の盃でトルイの盃を弾き落としていた。

 二つの盃が離れた所で転がる。

 こぼれた葡萄酒が銀の燭台に飛び散っている。

 濡れた部分が、明らかに怪しい黒色に変色した。

 

「迂闊はよせ。お前は帝国に必要だ。だが俺はいつでもお前を殺したいと思っている」

 王は立ちすくんでトルイを睨む。

 何てめんどくさいヒトなんだ……

 

「うん、心掛けとくよ、兄上」

 トルイは王に背を向け、どす黒く斑になった銀の燭台を持ち上げる。

「あーあ、気に入りだったのに」

 うわっ、このヒトもめんどくさそう……

 

 

 ***

 

 

 鼻で笑って王は出て行き、トルイは一人になる。

 シリギはトルイの視点で物を見ているが、何の働きかけも出来ない。

 そう、これはただの地べたの記憶。何も変える事は出来ない。

 

 トルイは盃を拾い上げて隅に放り投げ、寝台に仰向けになった。

 

 ……コトリ……

 

 入り口に気配。

 

 しかし天幕の主は身構えるでなく、全くの無警戒。

 命を狙われているにしては呑気過ぎやしないか?

 

 風が通り過ぎるように御簾が捲(まく)れ、入って来たのは純白の甲冑の女性だった。

 透けるような肌、青い髪、はなだ色の瞳……

 

(トルイの、お母さん……)

 

「王が出て来ましたね」

 鈴を振るうような声。

 あれ? この声も何だか聞き覚えがあるような……

 

「うん、いつものやつ」

「…………」

「ビョーキだね、あのヒト。何とかなんない?」

 

 女性は黒い燭台を見つめ、溜め息を吐きながら指でなぞった。

 斑点が、拭ったように銀に戻って行く。

 

「金軍の残ったのは?」

「大将を退けたので撤退命令は行き渡っていますが、一部動かない部隊があります」

「引き続き警戒が必要って所か」

 

「監視を続けますか?」

「そだね」

「では」

 女性はフワリとひるがえって去りかける。

 

「ちょっと休んで行けばいいのに」

「大丈夫です。監視なんて休み半分みたいな物ですから」

 

 トルイは上半身を起こした。

「あのさ」

 

 女性は入り口で立ち止まって振り返る。

 全ての所作が音もなく静かだ。

 西の森のあの小さなパオで、密やかに暮らしていた蒼の妖精。

 

「うーん、やっぱりいいや。王都に戻ってからでいい」

「いいんですか?」

「うん」

 

「では」

「あ」

「はい?」

「気を付けてね」

 

「はい」

 

 今度こそ女性は出て行った。

 多分これが、母親と息子の、最後の邂逅。

 

 

 トルイは寝台に仰向けに転がっていた。

 銀の瞳は天井を睨んだまま何か考え事をしている。

 シリギの方が苦しくなって来た。

 この後、確実に何か起こるんだ。

 

 夜半過ぎた頃、外に足音と気配。

 トルイは即座に身を起こした。今度は母親ではないらしい。

 

「トルイ、起きているか?」

 オゴデイ王の声。

 

「どうしたの、兄上」

 

 王は人目をはばかるように天幕に滑り込んで来た。

 何だか戸惑った様子だが、さっきと違って目の焦点は合っている。

「おかしなモノがある」

「おかしな?」

「明らかに周囲から浮いているおかしなモノだ。お前なら解るかと」

 

「分かった、行こう」

 

 王は目を丸くする。

「信じるのか? そんな簡単に」

 

 トルイは立ち上がって帯剣した。

「兄上の冗談と本気の区別ぐらいは付く。貴方、基本的に嘘の吐けない人だから」

 

 トルイのペースに巻き込まれながら、オゴデイは先に立って案内した。

 軍の野営地を外れ、山沿いの人気のない場所。

 

「一人になりたくて、夜闇を散歩していたのだ」

「兄上の夢遊癖は昔っからだけれど、王なんだから護衛ぐらい連れて行きなさいよ……………………わお!!」

 

 岩場を越えた平らな荒れ地に、その『地割れ』はあった。

 内部から光を吐き出す、笹舟程の大きさの裂け目。

 しかもオレンジと白の交互に瞬いている。

 確かに『おかしなモノ』だ。

 

 中で液体が対流しているかのように、光はチラチラと動いている。

 水底から見た水面を逆さにした感じだ。

 

 トルイはこれを知っている。

 同化しているシリギには、彼の戦慄が伝わって来た。

 

「兄上……よく、見えたね」

「普通見えないのか?」

「うん……まあ……さすが王だ」

 

 何か言いたそうなオゴデイの横を通り過ぎ、トルイは裂け目の側に屈み込んだ。

 

「トルイ、これが何か分かるのか?」

「うん、『災厄』。俺も見るのは二回目」

「災厄!? どんな?」

「分からない、前の奴は未然に防げたから」

「お前がか?」

「違うよ」

 

 トルイは更に身を乗り出して中を覗き込んだ。

 オゴデイはハラハラしたが、妙な気持ちでもあった。

 俺がちょいと手を動かせば簡単に突き落とせるって、お前も分かっている癖に。

 

「ああ、まだ小さい」

 トルイは顔を上げた。

 

「兄上」

「何だ」

「大丈夫だから陣へ戻っていて」

「何でだ、説明しろ」

 王は踏ん張る。純粋に好奇心もあるのだろう。

 

「一応、妖精の力はヒトの前で使わない、って約束があんの」

「妖精の……チカラ?」

 

「うん、俺半分妖精だもん」

 

(サラッと言った――っ!)

 シリギは出せない声で叫んだ。

 

「……初耳だぞ」

「聞かれた事ないから。・・って、前王が存命中は最優先秘密事項だったな」

「な、何で今更」

「今は貴方が王でしょ」

「…………」

 

 オゴデイは立ち尽くしている。

「ね、陣へ戻ってよ。それが嫌ならせめて後ろを向いていて」

 

「俺は人ではない、王だ!」

 

 トルイは目を丸くしたが、すぐ苦笑いになった。

 そして王を手招きした。

 

「そっちから見えるかな。あれ、あすこ」

 指差された方向を、王は素直に覗き込んだ。

 内部は底深く、無数の光の川が、繊維のように流れている。

 

「ちょっと流れが引っ掛かって滞っている所があるでしょ」

「眩しいな……うん、あの白いのが二つに裂けて折れ曲がっている所か?」

「そう! 見えてるじゃん!」

 

 王が顔を上げると、トルイの顔がすぐ目の前にあった。

 初めてこんなに近くで見る、銀の瞳……

 

 

 

「今日から貴方がたの弟になるんです」

 

 母に引き合わされた歩き始めたばかりの子供は、明らかに『普通』でなかった。

 血のように真っ赤な髪、動物みたいに光る銀の瞳、大き過ぎる八重歯……

 色々と人間離れした父だが、一体何をやらかしたんだと、幼いオゴデイですら思った。

 

 一回り離れた二人の兄は尚更だ。

「母上、では、この子が……正妻の貴女の子でもない、この子が、末子となり王を継ぐのですか!?」

 

 この頃この国の習慣は末子相続が主流だった。諸説あるが、若い長を据えて年長者が守り立てる形が、争いを生まず、一族の長期繁栄の為に良いとされていたらしい。

 

「いえ、この子には殆ど何も与えなくてもいいから、一族の末席にだけ加えるという、王の条件でした」

「あの人の事だ、いつ気紛れを起こさないとも限らない。こんな、バケモノみたいな……」

「ジョチ! 王の御子ですよ!」

 

 ヴォルテ妃は気丈だった。

 色んな事を受け流さなくては、あんな人並み外れた王の正妃なんて務まらないんだろう。

 

 赤毛の子供は後宮の奥でひっそりと育てられた。

 オゴデイも滅多に会わず、その存在も気にならなくなっていた。

 

 それが、十二,三歳になった頃、いきなり何が吹っ切れたのか、被っていた兜を脱いで、平気で赤毛を曝して闊歩するようになった。

 そしてみるみる父や家臣達の信頼を集める存在になって行ったのだ。

 

 

 

「兄上?」

 

 大嫌いな銀の瞳が真ん前で見開いている。

 

「あ、ああ……それであの引っ掛かりが何なのだ?」

 王は目を反らして聞いた。

 

「あれ、放って置くと結構ヤバイ奴。端折って結果だけ説明すると、あの滞りがどんどん流れを止めて、決壊した時に大災厄が起こる」

「まさか、そんな、大袈裟な」

「だから別に信じなくてもいいから」

 

 王は黙って腕組みした。

 

 トルイは歩幅で辺りを測ったり、地面に石を置いて標を付けたりしていたが、やがて棒切れを拾って地面をガリガリ引っ掻き始めた。

 

「……何をしている?」

「風の浄化の魔方陣を描いている。大地の力も借りて、捻れを戻して裂け目を閉じる」

 

「お前に出来るのか?」

「一応習ったけど……俺、術力が少ないから、この方法しか無いんだ。まあ何とかなると思う」

 

「そんな不確かな事では困るぞ!」

「信じてくれたんだ、嬉しいな」

 

 王は困った顔をして、辺りをキョロキョロした。

「あのヒトは、どうなんだ」

「へ?」

「たまにお前の側に見える、白い甲冑の女性……妖精なんだろう?」

 

 トルイは目を見開いて口をパクパクさせた。

「兄上! みっ見えていたのっ!? いつからっ?」

 

 あまりにびっくりされて、王が逆に戸惑った。

「たまにだ。フイと視線を移した時とか。父上が亡くなってからだな」

 

「ああ……」

 人の王となりその責務を負ったからだろうか。

 そういう事もあるのかもしれない、だから妖精だの言ってもすんなり信じてくれたんだな。

「あのヒトは、理詰めの術はテンでダメ。感覚のヒトだから。まだ、俺の方がマシ」

 

「そういう物なのか?」

「うん……」

 

(それは嘘だ……)

 シリギにだけ、分かった。

 彼は、この裂け目に関わって命を落としかけた親友を、知っているから……

 

 

  ***

 

 

 トルイは擦りきれた棒を取り替えながら、地面を引っ掻いて紋様を描き続ける。

 王は所在無さげにそれを眺めていた。

 

「あの女性……白い甲冑の」

「うん?」

「綺麗だな」

「ふふサンキュ、俺の母親」

「はあ? 若過ぎないか?」

「妖精は人間の何倍も生きるの」

 

「そうか。しかし側で見ると改めて不思議な物だな。子供の頃に見ていたのは、遠目で緑の馬に乗って……」

 

 オゴデイは、トルイが手を止めて、この世の物ではないモノを見るような表情で突っ立ってるのに気付いた。

 

「どうした? もう出来上がりなのか?」

「あ・あ・兄上……」

「??」

「今、何て!?」

 

「出来上がりなのかって」

「その前!!」

 

 トルイは棒を放り出し、ずかずかと王に歩み寄って、両肩を掴んだ。

「子供の頃、何を見ていたって!?」

 

 オゴデイは戸惑った。何がこいつのツボだったんだろう?

「馬で空を飛ぶ青い髪の妖精だよ。本当に小さい頃だ。見たことすら忘れていたな」

 

「そっ、それ、誰にも言わなかったのっ?」

 トルイは王の肩を強く掴んでガシガシと揺さぶった。

 こいつが自分に対してこんなに感情をあらわにした事などない。

 オゴデイは怒りより、不思議に嬉しさが湧いた。

 

「あ、ああ……兄達にかなり馬鹿にされて、幼心に傷付いて二度と口にしなかっ……ん?」

 

 トルイは腕を掴んだまま、ズルズルと足元にしゃがみこんでしまった。

 

「おい、どうした?」

 王は同じようにしゃがんで、トルイを覗き込んだ。

 

 顔を上げた銀の瞳は、いつものふてぶてしい獣の輝きが消え、仔犬のように震えて潤んでいた。

 

「兄上……それ、父上に言っていたら、大嫌いな俺に、逢わずに済んだのに…………」

 

 

 

 

 

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