ネメアの獅子   作:西風 そら

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7・言伝

 

 地べたの記憶から戻った時、シリギはまったく動けなかった。

 本当にこれ以上ない程疲れ果て、指先一つ、目を開く事すら億劫だった。

 

 時間を追う毎に酷くなって行き、頭を動かすだけで吐いてしまう。

 ユユが必死に呼び掛ける声も、途切れ途切れに遠くなって……

 

 ・・・

 ・・・・・

 

「お父さまぁ!」

 

「東国帰りの、丁度通り道だから寄ってみた。鷹の手紙で大体の事は知らされていたけれど……」

 

 シリギは微かに意識を戻した。

 ・・知らない男性の声がする。

 助けが来てくれたみたいだ。

 

 足音が近付き、覗き込んでいるらしい男性。その第一声は、

「……こいつぁ、カワセミがご執心になる訳だ!」

 ・・だった。

 

「里へ運ぼう。大長の力が必要だ」

 シリギの額に手を当てて容態を見たユユの父・ツバクロが、すぐに声色を真剣にして彼を抱え上げた。

「ユユ、お前はこの子の馬を連れて、地上を来なさい」

 

 ツバクロの馬は里で一番速く高く飛べる。

 ・・というのを、シリギは後から聞いた。

 意識が半分無くて良かった・・と思った。

 

 

 

 ユユが葦毛を連れて、大分遅れて里へ戻ると、人間の男の子が運び込まれた騒動が一段落した所だった。

 

 里の真ん中の執務室では、ナナが一人留守を預かっていた。

「シリギは?」

「カワセミ長のパオ。あそこが一番気の流れが良いから。大長と三人の長も詰めてる」

 

 すぐに行こうとするユユの手を、ナナは引っ張った。

「立ち入り厳禁」

「何で? アタシはずっとシリギと一緒だったのよ」

「大人の中に子供が入って行くと、大人は大人で居なきゃならなくなる。そんな余裕が無い場合って、あるだろ」

 

 ユユは黙った。

 いつだってナナは冷静で正しい。

 

「ユユ、よれよれじゃないか。家に戻って休んでいろよ」

「……ん……」

 出て行きかける妹に、書類の束を繰りながら、兄はぽつんと言った。

「ユユは良くやったよ」

 

 妹は立ち止まって振り向いた。

「ナナは、それ、何をやっているの?」

「ん? 長の仕事の依頼の分類。これやっとくと、後でノスリ長が楽になる」

「アタシでも手伝える?」

「疲れてるだろ」

「やりたい」

 

「……じゃあ、そっちの終わった奴、日付順に並べて」

「うん」

 

 

 書類の山がきれいに分割される頃、三人の長が入って来た。

 三人とも微妙に伏せ目がちに目が赤い。

 

「ボク寝る。後は宜しく……」

 カワセミは長椅子にうつ伏せに倒れ込んで、五秒で寝息を立て始めた。

 

 大柄なノスリは大机の向こうに座り、ツバクロは長椅子の肘掛けに腰掛けた。

 ナナは素早く後片付けをして、では失礼しますと戸口から消えた。

 本当に自分の立ち位置を確立している。

 カワセミに毛布を掛けていたユユも、慌てて着いて行こうとした。

 

「ユユ」

 ツバクロが呼び止める。

「シリギと一緒に、『見た』んだな?」

「はい、……あの、シリギ大丈夫?」

「強い術に身をさらして、身体がびっくりしただけだ。ちゃんと回復するよ」

「良かった」

 

「『引っ張り戻し役』が必要だと気付いたのは、偉かった」

「はい……」

「まあ明日だ。今日はおやすみ」

 

 

 ユユが出て行っても、ノスリもツバクロも、黙って俯いたままだった。

 

 

 

 

 ・・・・・・

 ・・暖かい掌が額に乗っている。

 シリギはふぅっと意識を戻した。

 

 里に運び込まれ、何人かの妖精が手当てをしてくれたのは覚えている。

 特に水色のカワセミは、しがみ付かんばかりの勢いで術を掛け続けてくれた。

 

 今は、後から駆け付けた大長と呼ばれるヒトが、ずっと額に手を当ててくれている。

「あの、僕もう大丈夫です。大分楽になったし」

 

「貴方は何も心配しなくていいんです。もうしばらくお休みなさい」

 目を開けると目眩がするので姿は見られないけれど、人心地の付く優しい声だった。

 ただ、何だろう? ちょっと張り詰めているような感じもする。

 

「あの、聞いてもいいですか?」

「はい?」

「僕も修行したら、魔法とか使えるようになるんでしょうか。そしたら何か、使命とか湧いて来るんですか?」

 

 大長はピクリと揺れてから、やはり優しい声で、きっぱりと言った。

「蒼の里では、もう人間に術の手解きはしない事にするんですよ。自然に使えるようになってしまった場合は、封印します」

 

「何で、ですか?」

「トルイが突然こと切れてしまった理由、今回やっと解りました。人間は魔法を使うように出来ていなかったんです。術を使う度に、少しづつ命を削っていたのです」

「…………」

「五年前、里に暮らしていた人間の女性も、突然、途切れるように逝ってしまいました。彼女も巫女と呼ばれ、昏睡のカワセミと、夢の世界でコンタクトを取る為に、術を使っていて…………早く……気付くべきでした」

「…………」

 

「私が、間違いを犯してしまった……」

 大長は左手で自分の顔を覆って、長い息を吐いた。

 

「トルイは、間違ったとか思っていないですよ」

 シリギの声に、大長は顔を上げた。

「知っていました、命を縮めるって。トルイの中に居た僕が言うんだから間違いないです。分かっていて魔法を使い続けたんです。お陰で大切なヒト達の役に立てた、ソルカお祖母様を救えた、それに一生の仲間が出来た」

 

 大長は細いカンテラの明かりのもと、身じろぎもせずシリギを見つめる。

 

「だから多分、僕もこうして生まれて来たんです。絶対、間違いじゃないです」

 

 大長は黙って少年の手を握った。

 

 

 ***

 

 

 ソルカ妃の庭園を出て、シリギはツバクロの馬に乗せて貰って、ぐんぐん空を登っている。

 そう、高い高い山、『風出流山(かぜいずるやま)』の頂上直下にある神殿へ。

 トルイの母君に逢いに。

 

 あの夜、トルイが母親に言いかけて後回しにした言葉。

 トルイと同化していたシリギには聞こえていた。

 

「それ、どうしても、トルイのお母さんに直接伝えたいんです」

 シリギがそう言い張って、本日の運びとなった。

 言い張っておいて実は不安になっていたシリギだが、ツバクロから母君直々の招待状を見せられてホッとした。

 『こちらこそ是非お会いしてお礼を申し上げたい』との内容が、人間の文字で美しく書かれてあった。

 

 ユユは途中で、

「子供が居ると、大人は大人で居なきゃいけないから」

 と言って別れた。

 

 よく分からなかったが、ツバクロが

「子供が大人に、『大人で居なくてもいい』って言ってあげられるのは、もう子供を卒業出来ているって事なんだよ」

 と言うのが、妙に印象深かった。

 

 多分、草の馬で高空気流に乗るのなんか最初で最後だろうからと、ツバクロはちょっとサービスしてあげた……が、彼の『サービス(無限宙返り)』を喜ぶ子供なんて、里でもユユだけだという事を忘れていた。

 雪に覆われた神殿に到着する頃には、シリギは完全に目を回していた。

 

 だからトルイの母親が、自分を一目見て卒倒しそうになった事なんて、分からなかった。

 

「ユユが会わせたがらなかった訳だよなぁ」

 

 神殿の暖炉の前で、シリギは温かい飲み物を貰って生き返った。

「僕、そんなに似ているんですか?」

 

「ええ、髪と目の色が違うのを差し引いても」

 

 目の前の女性は、蜜柑の蜂蜜漬けの瓶を抱えて、懐かしそうに目をしばたいている。

 地の記憶の中で見た、白い甲冑の女性。

 今は裾の長いローブ姿で、あの時よりも血色が良くて物柔らかに見える。

 

 シリギは、西の森でカワセミが怒りに身を震わせていた訳が分かった。子供時代のトルイと同じ顔と声で、あんな情けない事を口走ったんじゃ、そりゃ槍のひとつも向けたくなるだろう。

 こっちは知らないよ、そんなの。

 

「お祖母様は、似ているなんて一言も」

「貴方をトルイに重ねたくなかったのかもしれませんね」

 

 

 ツバクロは神殿の外で待っている。

 彼女の馬と自分の馬が戯れるのをのんびり眺めながら、此処へ飛ぶのもやっとだった青年時代を思い出す。

 ここまでの高空気流に乗る方法は、たまたま見付けたんじゃない。

 結構意地になって執念深く挑戦したんだ。連日ボロボロになって大長に怒られながら。

(若気の至りって凄いよな……)

 

 そんなに時間も経たない内に、神殿の主が呼びに来た。

「もういいの?」

「はい、中でお茶でも」

「で、何だったの、伝言って?」

「他愛もない事でした」

 

「ふうん、教えられない事?」

「でもないですけれど」

「じゃあ、教えてよ」

「……前半分だけでしたら」

 

「うん、それでもいいよ」

「『いい加減、子離れして』」

「は?」

「そこまでです」

 

「はあ……」

 

 それから暖炉の前で、シリギの話をゆっくりと聞く。

 トルイとオゴデイ王の、何処にでもいる兄弟の、平凡な仲直りの話。

 

 帰り際に、シリギは緋色の布に包まれた細長い包みを渡された。

 開いてみると、束に赤い石の付いた見事な長剣だった。

「トルイが青年時代に持っていた物です」

 

「そ、そんなの受け取れません!」

「さあ? 貴方がどうでも、剣が貴方の元へ行きたいみたいです」

 たおやかな微笑みと共にサラリと言われて、シリギは謹んで受け取らざるを得なかった。

 

 あ、思い出した。この鈴を振るうような声、ユユがゆっくり喋る時の声に似ているんだ。

 

 

 清しい顔で見送る女性を振り返り、ツバクロは前に乗せているシリギに話し掛けた。

「有難うな。彼女どれだけ救われたか」

 

「いいえ、僕じゃなくてトルイのお陰です。後、ユユが励ましてくれたのも。でも本当にこんな立派な剣……いいんですか?」

「いいんだよ、あのヒト、言い出したら聞かないから」

 

 ツバクロは懐かしそうにトルイの剣を見つめる。

 この剣を悪戯でトルイから取り上げちまって、トルイが母親にビンタされた事があったっけ。

 あの頃の自分は、彼女は何かっていうとビンタしてくるおっかない女性だと思っていた。

 

「あの……な、トルイの伝言、僕にもチョコッと教えてくれない?」

 

「えぇ…… 他のヒトに聞かれたくないだろうなと思って、無理矢理連れて来て貰ったのに」

「内緒にするからさ」

「…………」

 

「じゃ半分、後ろ半分だけでいいから」

「はあ、後ろ半分なら」

「うん、うん!」

 

「『あいつの所へ行っちゃえよ』です」

 

「・・あ・の野郎・・!」

 

 ツバクロが馬に渇を入れたので、シリギはまた怖い思いをする羽目になった。

 

 

 

 

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