ネメアの獅子   作:西風 そら

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第二章開始です

家系図:
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ネメアの獅子
9・バヤンⅠ


 AD 1253

 

 春霞の草原に土埃を立てて、地平まで続く隊列が行く。

 

 大ハーン、モンテの命を受け、今まさに王都を出陣し、西方へと旅発つ大隊。

 先頭近くに、王の実弟である大将、フレグの騎馬。

 周囲はその祖父テムジンの代からの忠臣の家系で堅められている。

 いずれも歴戦の傷跡を身体に刻んだ猛者揃いだ。

 

 猛々しい顔の中に一人、輪郭に幼さの残る青年が混じる。

 隣の父親は、曾祖父の代から王家に仕える闘将の血族。

 紅顔の青年は真新しい甲冑に身を包み、血の誇りを胸に、初陣に心躍らせていた。

 

 旧王都が見えた時、そちらから駆けて来る一頭の騎馬があった。

 遠目にも判る、この国には珍しい連銭葦毛。そしてあの目立つ淡栗毛。

 大ハーンの例の第四皇子。

 

「……父上」

「ああ、今回の遠征は長くなる。行って良い。あまり遅れぬよう」

「は、有り難うございます」

 青年は一礼して隊列を離れ、葦毛の方へ駆けて行った。

 

 

「バヤン!」

 淡栗毛の少年は息せききって、青年の騎馬に駆け寄る。

「行っちゃうんだ。無事で帰って来てね、怪我しないでね」

 

「シリギ様……」

 青年は、この大隊を前に通常運行の皇子に、呆れながらも何だかホッとした。

「戦場へ参るのです。怪我を恐れていては武功は上げられませぬ」

 

 そう、モンテ王はじめ他の王族、この少年の兄達だって、『血に恥じぬよう』『期待している』『武功を立てよ』と、仰々しく見送ったのだ。

 

「うん、だけど……」

 少年は冬空のような薄青い瞳で真っ直ぐ見つめて来る。

 

 バヤンは本当にこの目に弱い。

 大ハーンにだって、自分の仕える主君にだって、こんな気持ちは湧かない。

 

「もういつ会えるか分からないのに、本心じゃない事は言えない」

 

 本当にこの皇子は……

 こんなだからこの子は、軟弱者と一族を弾かれ、つましく旧王都で祖母と暮らす羽目になっているのだ。

 しかし将来有望なこの青年は、何故かこの落ちこぼれ皇子が気に掛かってしようがない。

 こんなストレートに『無事で帰れ』しか言われない壮行なんて。

 

「私は無事で戻りますよ。この愛する生まれ育った草原の地に。そしてまた貴方と剣を交えたい」

 青年はだから、この少年に対してはうわべでなく、素直な言葉を出す。

 そんな自分を不思議に思う。他の誰にも言わない言葉が出て来る。

 

「うん、僕、バヤンに教えられた通り、一日だって怠けない。次に会う時は、『シリギに剣を教えた甲斐があった!』って思われるように」

 

「頼もしゅうございます。そうして貴方様も王朝の繁栄の為活躍される御身となられ、その時には私も、教え甲斐があったと大いに誇れましょう」

 

「違うよ!」

 少年はいつものように口を尖らせる。この手の話に関しては、えらく頑固なのだ。

「僕は僕の大切なモノを護れるように、強くなりたいんだ!」

 

 

 そう言って、闘将と名高いバヤンの父親の所へこの少年が訪ねて来たのは、去年の初夏の頃だった。

 皇子の希望とはいえ、多忙な将軍に稽古を付ける時間など無く、体よく息子のバヤンが当てがわれた。

 最初不満気だった皇子も、四つ年上のこの息子が父も一目置く剛の剣の持ち主だとすぐ解り、真面目に旧王都から稽古に通って来た。

 

 筋はなかなか良かったし、一族の中で変わり者扱いのこの子と居る時、何故かバヤンは心地良く、いつしか稽古の時間を待ち遠しく思えるようになった。

 この真っ直ぐな子供と話していると、身分も立場も脱いだ素の自分になれたのだ。

 

 青年は、彼を好きだった。

 きっと、かなり、好きだったのだ……

 

 

 ***

 

 

 若武者は手を振って駆け去り、シリギはその影が騎馬群に紛れて小さくなっても、出来得る限り目に焼き付けていた。

 

 西方の平定は容易ではない。何年、何十年、……もしかしたら今生の別れかもしれない。

 シリギにとってもあの青年は、人間の中で数少ない、心許せる大切な存在だったのだ。

 

 その影が地平に消え、シリギは乾いた瞳を反らして、西の森へ馬を向けた。

 

 西の森、鎮守の森、禁忌の森・・近隣の住民はそう呼んで近寄らない。

 テムジンの出した触れがまだ生きている。

 

 森の入り口からほんの少し藪をこぐと、騎馬一頭通れる道が奥に向けて出来ていた。

 連銭葦毛は慣れた感じで森を歩き、一本の蜜柑の木の立つ広場に抜ける。

 白い花はまだ蕾だが、清しい香りが満ちている。

 

 以前中頃にあったパオは片付けられ、結構な広場になっていた。

 周囲に、大人の腕程の、太い木片が散らばっている。

 

 シリギは広場の真ん中に立ち、まず、目を閉じて感覚を張り巡らせた。

 ――・・・・・

 大丈夫、近くに蒼の妖精は居ない。上空から見られる事はないだろう。

 

 足元に転がっている木刀に手をかざす。それはフワリと掌に吸い寄せられた。

 そのまま木刀を構えてもう一度目を閉じた。

 

「風よ……!!」

 

 葦毛は蜜柑の木の陰に隠れた。

 そこ以外の広場一杯に、強力な風が渦巻いた。

 散らばってた木片が舞い上げられ、でたらめに飛び交い始める。

 

 背後から横から飛んで来る木片を、少年は木刀で打ち落とす。

 落とされた木はまた舞い上がって、今度は別方向から飛んで来る。

 その『稽古』は、彼が気配を感じるまで続いた。

 

「やめ……」

 風がパタリと止んで木片がドサドサと地面に落ちる。

 程なく、上空に空飛ぶ緑の馬が横切った。

 知った顔ではない。

 

「バレる訳には行かない」

 

 一年前、蒼の大長は自分の風の力を封印した。

 それは自分の身を案じての事だ。人間が術を使うのはその命を磨り減らす。

 蒼の妖精はみな同じ考えだ。

 一人を除いて。

 

 その一人のカワセミの力はまだ借りていない。

 貰った石は、肌身離さず首から下げているが、使った事はない。

 

 そう、封印の効いたこの状態で、シリギはここまで風が使えるようになっていた。

 

「僕は強くなる! トルイのように! 護りたいモノを自分の力で護れるように!」

 

 

 ***

 

 

 AD 1259

 

 凱(とき)の声が上がり、若き将が大歓声の中、拳を突き上げて凱旋する。

 逞しい体躯、精悍な顔立ち、信念を湛えた力強い瞳。

 

「百眼のバヤン!」

「闘将バヤン!」

 

 見た者すべて魅了する、光輝くオーラを放つ若者は、先日異例の早さで将軍を拝命した若武者バヤン。

 戦の要処を素早く見極め強襲する姿は、まるで顔の二つ以外にも眼を持っている様で、いつしか『百眼』の異名を冠されるようになった、

 鳴り止まない歓声を背に、将は門を潜って城に入る。

 

 君主フレグに着いて故郷を出て数年。

 西方の制圧は着々と進み、父と共に活躍したバヤンは、君主の片翼を任されるまでになっていた。

 順風満帆、誰もが憧れる輝かしい覇道。

 

 自室に戻り、兜を脱いで甲冑を外す。

 ほぉ、と息を付いて窓枠に手を掛けた。

 思い描いた通りの順調な大将軍への道。満足な筈だ。

 でも、時々訪れるこの渇いた感じは何だろう。

 

 バヤンは故郷の少年を忘れてはいなかった。

 いや何でか、会わなくなってますます彼を思い出すようになっていた。

 

 

「しみったれた面(つら)してんなよぉ・・!」

 

 不意に、天井の隅の暗がりで声がした。

 バヤンはさほど慌てるでもなく、無表情で振り向いた。

 

 朱色の火花が飛んで、ポッっと狼の形の炎が浮かんだ。

 蹴爪と首の周りのタテガミから炎を燃え立たせる、仔牛程の大きな獣。

 

「またお前か……妖(あやかし)」

 

 炎ははっきり狼の姿になって、空中を歩いてバヤンに寄った。

「俺様の言った通りだったろう? これからも、俺様がお前さんの羅針盤になってやる。楽しいだろ、連戦連勝」

「…………」

 

「ご機嫌斜めか?」

「お前、何が目的だ? 妖(あやかし)」

 

「ん~~?」

 赤い狼は鼻面がくっつく程バヤンに顔を寄せた。

「も・く・て・きぃ~~?」

 

「どんなに盛り立てても私は家臣の家の出だ。得られる物には限りがある。国の頂点には立たない。それとも魂が欲しいのか?」

 

 真剣に問いかける若者に狼は目を丸くして、それからせせら笑った。

「人間の価値観に当てはめるなや。実体すらあやふやな俺様が、身分や物を欲しがるかよ? 俺様はな、ただ、面白く生きたいのさ」

「面白……く?」

「そうだ、お前さんは面白い!」

 

 言葉を失くして立ち尽くす若者を残して、赤い狼はまた暗闇に溶けた。

 

 この数年、いつからか、自分にだけに見える、炎をまとった妖しい獣。

 戦で荒んだ神経が見せる妄想なのだろうか。

 お・も・し・ろ・い?

 

 祖国の為、君主の為に剣を振るうのは、承知している。

 だが、人の血肉を刻むのが、面白くあろうものか。

 

 暫く茫然として、バヤンは再び窓の外を見た。

 いまだ自分の名を呼び、讃える兵士達。

 自分ももう、立ち止まれない所に居る。

 

「シリギ様……」

 

 何でか、またあの少年を思い出した。

 毛羽立った心の中でも、あの子供の居場所だけは穏やかに澄んでいた。

 彼はどんな大人になったのだろう……

 

 

 ***

 

 

 AD 1260

 

 ソルカ妃が鬼籍に入っても、シリギは蜜柑の花咲く庭園に住み続けていた。

 その間、大ハーンである父が遠征先で亡くなった。

 後継は、王都の留守を預かっていた父の末弟、シリギには叔父にあたるアリクブケが収まった。

 ただ、この末弟、どう見てもちょっと頼りない。戦歴も薄く病弱で引き籠りがちだし、大ハーンとしては余りにも器に欠ける・・と、口さがない者々の陰口に登った。

 

 そんな連中はシリギのひと睨みで黙った。

 そう、この数年で彼の立ち位置は大きく変わっていた。

 処々の小戦で、この十代の青年はトンでもない力を発揮した。

 単身敵本陣に突っ込んで大将の首根っこを抑えるなんて、お伽噺の英雄譚みたいな事をホントにやってのけたりした。

 眠っていた獅子が頭をもたげたように、いきなり。

 

 前王も掌(てのひら)を返したように側室腹の彼を取り立て、彼にはかなりな軍隊と所領を遺していた。

 今や彼は、祖父トルイの一族の頂に近い所に居たのだ。

 

 

「驚きだな、あのヘタレ小僧が」

 

 バルコニーの手摺に、素足で立つ者がいる。

「封印も解いてないっていうのに」

 

 有翼のそのヒトは、鷹のように悠々と、活気を取り戻しつつある城下を眺めていた。

 廃虚だった城は復興され、この若き将の拠点となっている。

 中庭は大切に護られ、蜜柑の木が勢いよく枝を伸ばして黄緑の葉を繁らせている。

 

「急ぐ必要があったからね。早く権力が欲しかった。戦で手柄を挙げるのが手っ取り早いだろ?」

 

 銀製の盃を二つ持って、部屋の中から薄青の瞳の青年が出て来た。

「ああ、酒は飲まないんだっけ?」

 

「キミの酒なら飲んでやる」

 

 背中に掛かる淡栗毛の髪は、以前はこの子供の弱さの象徴の様に見えたが、今は陽光にきらめき、凛とした強さを表している。

 青年の差し出す盃を受け取って、水色の妖精はバルコニーの縁に立ったまま、南方の地平を見据えた。

 青年も盃を持ったまま、手摺に寄り掛かってそちらを見やる。

 

「来るな……」

「来るね……」

 

「あの坊っちゃん王に抗らえるかな」

「その為に僕は、地盤を築き、此処に居る」

 

「……妖精は人間に手出し出来ない」

「いいよ、こうして厄落としの盃を交わしに来てくれただけで」

 

 弱い大ハーンの存在を人間の世が許して置く訳がない。

 その座を狙って来るのは王の兄、南方に勢力を集めるフビライ。

 

「空まで歪んで見える……」

 カワセミは彼方を見やって眉間にシワを寄せた。

「よりによってあんな厄介な所に……」

 

 

 

 

 

 




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