アナタへの旅路【完結】   作:鷹崎亜魅夜

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 三話完結です。
 では本編どうぞ。


後篇

 某所、深夜。

 

 一人の少女がそこに居た。

 

 黒い帽子を被り、白いブラウスを赤いネクタイで緩く締めている。少しだけレースがあしらわれた黒のスカートを身につけ、少女は――宇佐見蓮子は辺りをきょろきょろと見渡している。

 

「……ここで……良いんだよね?」

 

 疑問形なのは『この場所』で間違っていないかどうかわかない不安から来るものであって、決して誰かに確認をとっているワケではない。

 

 深夜も深夜、草木も眠る丑三つ刻に出歩くなど、余程の暇人かヒキニートのいずれかしかない。蓮子はそのどちらでもなく、ちゃんと理由があって『この場所』に訪れたのだ。

 

 蓮子はいるのは、もう使うことは無い電車の車庫の付近だ。車庫に電車は一両も無く、ただ廃線路となった広大な土地に一人、ポツンといる。

 

 こうして懐中電灯だけを持ち、辺りは漆黒の闇の中に一人だけでいると、世界には自分一人だけしかしないのではないか、と考えてしまう。

 

 砂利を歩く音が異様に響き、不気味な雰囲気をさらに加速させる。こんな場所、さっさとおさらばしたいが、蓮子は「はっ」と自分の頬を叩いて喝を入れた。

 

「うぅ、少し強く叩きすぎた……」

 

 ひりひりと痛む両頬をさすりながら再び辺りを見渡す。

 

「……なんか、寂しいところね」

 

 廃線路なのだから寂れた感じがあるのは仕方ないにせよ、それを加味して考えても、ここは物悲しい。忘れられた場所、と言えば良いだろうか。もう誰も踏み事は無い、朽ちて行くだけの土地。

 

「……感傷に浸っている場合じゃないわね」

 

 蓮子は視線を正面の闇へと向ける。少し緊張しているのか、胸がドキドキしている。

 

「まさかこの歳で親を不幸にするとはね」

 

 蓮子は自嘲気味に呟く。

 

 先日の出来事を、蓮子は思い出していた。

 

 

 

 

 

     ●       ●       ●

 

 

 

 

 

「《零次元エクスプレス》……ですか?」

 

 初めて聞く単語に蓮子は眉根にシワを寄せた。

 

「その様子から察するに、知らないようね」

 

 対面に居る大学の教授の肩書を持つ赤い髪の少女――岡崎夢美は小さく息を吐いた。

 

「初耳ですね……。どんな話なんですか?」

 

「さっきも言った通り、乗客をどこへでも、いつの日にでも導いてくれる列車よ。分かりにくかったら青いネコ型ロボットに出て来るタイムマシンのようなものと考えてもらった方が早いかもしれないわね」

 

「その表現って大丈夫なのか?」

 

 頬杖をつきながら水兵服を着た金髪ツインテールの少女――北白河ちゆりが渋い表情を浮かべていた。

 

「明言はしてないから大丈夫じゃないかしら?」

 

「だったら別に言わんでも良いだろ」

 

 ちゆりは呆れながら言った。

 

「話が逸れたわね。これは噂話……と言うには、性質が違うとも言ったわね」

 

「ええ」

 

 蓮子は頷いた。夢美は異質なものであると言っていたのだ。

 

「本質は異なるんだけど、最も近い分類となると……『神隠し』に近いわね」

 

『神隠し』。蓮子はその単語に食い付いた。

 

「『神隠し』が超常現象とするのであるならば……《零次元エクスプレス》は言うなれば……願い」

 

「願い……ですか?」

 

 ある日突然と姿を消す・消えてしまう超常現象を『神隠し』と呼称する。しかし、似たような性質を持ちながらも《零次元エクスプレス》は願いに近いという。

 

「『神隠し』は当人の意思に関係無く発生する言わば天災……。神だけに『神災』と言ったら、少しは楽しい言葉遊びかしらね。でも、当人の願いによって、人の願望によって発生する《零次元エクスプレス》は人災よ」

 

 天然か人工かの違い。なるほど、それならば分かりやすい。

 

「でも、言っても噂話ですよね?」

 

「本質は異なると言ったけど、なにもそれが噂話を修飾してるとは言っていないわ。性質が違う、と言ったのよ」

 

「?」

 

 蓮子は意味が分からず首を傾げた。それを見た夢美は驚いていた。

 

「君は頭の回転が早い方だと思っていたけれど……それは私の勘違いだったのか? この程度のことが理解できないなんて……」

 

「お前、自分がどれだけぶっ飛んでる人間か自覚しろよ。んでもって、自分と同じことを他人に求めるな」

 

 ちゆりはそう言って夢美の態度に呆れていた。

 

「悪いな、こいつ……天才をこじらせてバカなんだよ。悪気があるワケじゃねぇから許してやってくれ」

 

「は、はぁ……」

 

 ちゆりの謎のフォローに蓮子は曖昧に頷くだけだった。夢美はいまだに「なぜわからない」と言いたげな表情を浮かべていた。

 

「要はあれだ、あれ。『神隠し』と……なんつったか、零次元なんたらってやつの現象の本質は違うが、内容自体は似たようなもの。けど、噂話として見てみると、その零次元なんたらは他の噂話とは性質が異なるって言いたいんだよ」

 

「ああ、なるほど」

 

 ちゆりが噛み砕いて説明してくれたのでようやく夢美が言っていたことを理解出来た。忘れていたが、ちゆりだって大学院を出ているのだ。

 

「そんなに噛み砕かないと分からなかったかしら?」

 

「お前……まぁいいや、先に進めろ」

 

 ちゆりは何か言いたそうな表情だったが、諦めて手を振って先に進むように促していた。

 

「性質が異なるって、どう言う意味なんですか?」

 

「噂話とは基本的にデマのことよ。デマとは、人の悪意によって生み出される偽りの話のこと。十中八九がその『悪意』だと言っていいわね。だけどしかし、極稀に、ほんの僅かな真実が紛れ込んでいるわ。火の無いところに煙は立たない、と言えば分かるかな?」

 

 また意味の分からないコトを、と思った蓮子だったが、少し考えてみることにした。その意味を吟味していると、ハッとした。

 

「……まさか、そう言うことなんですか?」

 

「君はこっちの方は察しがいいんだね。まぁ、そう言うことよ」

 

 夢美は冷めた紅茶に映る自分を見つめながら言った。

 

 

 

 

 

「《零次元エクスプレス》を見た人物がいる」

 

 

 

 

 

 蓮子は言葉を失った。夢美はどうしてだろうか、心苦しそうに続けた。

 

「丑三つ刻を少し過ぎた廃線路……そこに《零次元エクスプレス》は現れるわ」

 

「本当……なんですか、それ……」

 

 蓮子の声は震えていた。

 

 これまで沢山のサイトや雑誌に目を通してきた。しかし、有力な情報を得ることは出来なかった。何一つ、消えた最愛の親友――マエリベリー・ハーンことメリーに繋がるモノは無かった。

 

 しかし、今。希望の光とも言える話が聞けそうなのだ。

 

 藁にも縋る思いで問いかける。

 

「ええ、本当よ」

 

 夢美はそう断言した。

 

 蓮子の目尻には涙が浮かんでいた。自分の今までの苦労が報われようとしている。《零次元エクスプレス》に乗れば、自分はメリーに逢うことが出来る。この腕で彼女を抱きしめることが。

 

 歓喜の声をあげようとしたところで、夢美が「でも」と続ける。その表情はどこか、影が射していた。

 

「《零次元エクスプレス》に乗車するには……とある条件があるの」

 

「条件……ですか?」

 

 ふと見ると、ちゆりまでもが表情を変えていた。思い出すのも憚るような、そんな表情だ。

 

 夢美はちらりと蓮子を見る。そして一瞬だけまぶたを下ろすと、蓮子のことを見据えながら言った。

 

 

 

 

 

「その条件は……死ぬことよ」

 

 

 

 

 

 その言葉を理解するのに、長い時間を要した。どうしてだろうか、周りの声が遠く聞こえる。

 

「…………………死ぬ、こと……?」

 

 どうか聞き間違えであってほしい。蓮子はそんな淡い期待を込めて問いかけてみるが、否定の言葉が返って来ることは無かった。

 

「は……はは……」

 

 蓮子の口から掠れた笑い声が漏れた。

 

「なにそれ……。え? 死ぬことが乗車の条件……? 意味分かんない」

 

 それでは元も子も無いのではないだろうか。逢いたい人に会いに行きたいのに、なぜ死ななければならないのか。

 

「意味分かんない……。だって死んじゃったら……触れないじゃないですか……」

 

 メリーを。

 

「抱きしめられないじゃないですか……」

 

 メリーを。

 

 

 

 

 

「なにも、出来ないじゃないですか」

 

 

 

 

 

 蓮子の言葉に、夢美は反論しない。それはつまり、そう言うことだからだ。

 

「やっと……やっと、逢えると思ったのに……。そう思ったのに……このザマですか……。結局、私はメリーに逢えないということなんですか。逢いたいと願うことが、それほどまでに罪深いことなんですか?」

 

 先ほどとは違った意味で目尻に涙が浮かんだ。声をあげて泣けたらどれだけ楽なことだろう。蓮子の自制心が泣くのを阻止しているのか、それとも、もうどうしようもなくなってしまい途方に暮れて泣くことが出来ないのか。

 

「……零次元は」

 

 夢美が口を動かす。

 

「点も線も無い、完全なる無を定義しているわ。それはつまり『死』を意味しているわ。だから《零次元エクスプレス》とは《死の列車》とも言い換えられるわね」

 

 詭弁だ、と言いたかったが、乗車の条件を知ってしまうと強ち間違いではないと思ってしまう自分が居た。

 

「《零次元エクスプレス》に乗車する人たちは全員……もう逢えない人に逢いに行く為に乗っているのよ」

 

 故に条件は『死ぬこと』が求められる。簡単な数式だ。

 

「……お前にだって親が居んだろ?」

 

 ちゆりが重々しく口を開く。

 

「親だけじゃない。兄弟姉妹だっているかもしれない。ついでに祖父さんや祖母さんもだ。ダチだって。……お前はたった一人に逢いたい為だけに、人生終わらせんのか? お前のことを憎からず思っているヤツはどうするつもりだ?」

 

 ちゆりは視線を蓮子へ向けながら問いかける。

 

「お前の人生だ、勝手に決めればいい。だけど、その選択一つで全部が変わっちまうことだってあるんだぞ。それでもお前はまだ『逢いたい』なんてほざくのか?」

 

 ある一言で、ある行動で。当人からすれば些細なことかもしれないが、全体からすれば大事となる。歴史を紐解いてみても、本当に瑣末なことで国が滅んだり戦争が起きたりしているのだ。

 

「私はお前を止めようとはしない。もちろん、夢美だってそうだ」

 

「君が一人で決めなければならないのよ」

 

 二人に見つめられ、蓮子は俯いた。

 

 家族のこと、親族のこと、友達のこと。これまで自分に関わってきた様々な人。

 

 それらを思い出し、天秤にかける。

 

 蓮子は無言で考えこんでいた。夢美もちゆりも、それを見守るだけだった。

 

「……私は」

 

 蓮子は『答え』を言った。

 

 

 

 

 

 

 

「それでも、逢いたい」

 

 

 

 

 

 

 

 多くの人々とメリーを天秤にかけた結果、蓮子はメリーを選んだ。

 

「多くの人に迷惑をかけることは分かってます。ここまで育ててくれた親にはとても申し訳ないことだと思います。でも、それでも……ッ」

 

 ぽたぽた、と蓮子の双眸からは雫がこぼれた。

 

「私は……逢いたいんです……ッ。大好きな、メリーに……ッ」

 

 たとえ触れられなくなったとしても。抱き締めることが出来なくなったとしても。

 

 蓮子にとっては命にも代え難い、大切な存在。最愛の彼女にもう一度逢えるのであれば、命など惜しくは無かった。

 

「私のこの決断は間違っているでしょう。愚かだと、浅ましいと……嘲笑されても仕方ないことです。だってそうでしょう……? たった一人に逢いに行く為だけに、人生を捨てるんですから……。これを間違っていると言わず、何と言えば――」

 

「間違ってないわ」

 

 蓮子の言葉を遮るように、夢美が言った。

 

「何を根拠にその決断を間違っているというの? 確かに、愚かな決断だと言わざるを得ない。馬鹿げていると言われても仕方の無いことだわ」

 

 でもね、と夢美は続ける。

 

「そんな美しい想いから来る決断を……どうして間違っているだなんて言うの? 君は誰よりもマエリベリーのことを愛している。全てのしがらみを捨て、愛の為に生きている君は……他の誰よりも神聖なのよ」

 

 夢美はイスから立ち上がり、蓮子に近づく。そして蓮子の頭を自分の胸に抱き寄せた。

 

「私は君を称えよう。愛に生きた殉教者ではなく、愛を貫いた聖人として。それと、君には謝らないといけないわね」

 

 夢美は蓮子の涙を拭いながら言った。

 

「謝る……?」

 

「死ぬという条件だけど……アレは嘘よ」

 

「……」

 

 蓮子はぽかんと口を開けていた。

 

「言ったでしょう? 本質は異なるけど『神隠し』と似たようなものだって。超常現象か願いかの差異だって。どこへでも、いつの日にでも導いてくれるのに、肉体が無ければ逢いに行く意味が無いじゃない」

 

「……は?」

 

 蓮子は素っ頓狂な声を上げた。

 

「強ち死ぬことには違いはないけれど、肉体を失うことは無いわよ」

 

「死ぬっつっても『この次元から消える』って意味だからな。要は自分から『神隠し』に遭いに行くワケだから、この世界から失踪することになる。必然的に『この世界から宇佐見蓮子は死んだ』という扱いになるってワケだ」

 

 ちゆりも、先ほどの陰鬱とした表情とは打って変わって明るい口調で補足をして来る。

 

 どうやら蓮子は夢美とちゆりに一杯喰わされたようだ。この二人は蓮子の覚悟の度合いを確かめていたのだ。

 

「全てを捨ててまでマエリベリーに逢いたい……ね。中々出来ることじゃないわ」

 

 夢美は蓮子の頭を撫でていた。

 

「その覚悟があるのであれば、君にはこれを渡しておくわ」

 

 そう言って夢美は自分が腰をかけていたイスに戻ると、高級そうなポーチから、厳重に保管されている紙を差し出してきた。

 

「この紙は?」

 

「《零次元エクスプレス》の乗車券よ。私はこれを【時渡りの旅券】と呼んでいるわ」

 

 蓮子は目を丸くしてその紙を見た。

 

 神は普通の切符と同じくらいの大きさだ。しかし、目的地の場所も運賃も書いていない。ただの厚紙のように見えるが、触ってみると不思議な感触だった。紙なのにプラスチックのような手触りなのだ。しかし、よく見てみると何かを文字を消したような跡が残っていたが、どういう事だろうか。それを聞く前に、夢美が説明を始める。

 

「この乗車券に目的地を書くの。それだけで連れて行ってくれるわ」

 

「あの、運賃とかは……」

 

「は?」

 

 夢美から素っ頓狂な声が漏れる。

 

「あ、いや……普通、電車の切符って運賃とか書かれてるじゃないですか。それがないから……。もしかして、時価な上に後払いとかなんですか?」

 

 大学生の小遣いなど多寡が知れている。それに蓮子はバイトをしていないのだ。もし仮に、自分が払える上限を越えていたらどうなってしまうのだろうか、という不安があるのだ。

 

「ぷっ……くくく……あっはっはっはっ!」

 

 ちゆりが腹を抱えて笑いだした。

 

「運賃! 運賃って!」

 

 ゲラゲラ笑うちゆりを見て、蓮子は羞恥と怒りで顔を赤く染める。

 

「運賃は必要ないわよ。なにせ、その人の想いがそれの代わりなんだから」

 

 まだ爆笑しているちゆりとは反対に、夢美は穏やかな表情を浮かべて言ってくれた。

 

「そ、そうなんですか……」

 

「問題があるとすれば君が失踪した後のことなんだけど……。そこらへんは私たちで手を打つとしましょうか。なに、気にすることは無いわ。君の純粋な想いに胸を打たれたのと、先ほど君を謀った詫びの印よ」

 

 蓮子が何か言う前に夢美がそう決めてしまった。

 

「となると、簡単な理由としては留学かしら。君は超統一物理学を専攻していたようだし。奇しくも私は物理学の教授だしね。そうね、私の助手として海外を回る……ということにしておきましょうか」

 

 確かに海外留学という名目なら帰って来れなくなったと言ってもいくらでも理由をでっちあげることが出来る。

 

「善は急げって言うわね。宇佐見、君は手早く準備を整えなさい。ちゆり、書類を偽造するから手伝いなさい」

 

「えー……。私、細かい作業とか好きくないんだけど……」

 

 げんなりした様子のちゆりだったが、思いの外すぐに腰を上げた。

 

「《零次元エクスプレス》に乗る日時は宇佐見の都合の良い日で構わないわ。決まったら私に連絡しなさい」

 

 はいこれ、と蓮子は夢美のアドレスが書かれた紙を受け取った。

 

「じゃあ私たちは行くわね」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

 蓮子は頭を下げた。

 

 そして背を向けて歩き始める。

 

「待ってなさい、メリー」

 

 今、逢いに行くから。

 

 蓮子の目には強い意志が灯っていた。

 

 

 

 

 

     ●       ●       ●

 

 

 

 

 

 蓮子は小さくため息をついた。

 

「ごめんね、お父さん……お母さん……。私は、この世界を捨てて……メリーに逢いに行くわ」

 

 蓮子は首にさげられているペンダントを見下ろす。そのペンダントは拳の半分ほどもある大きさをしたモノだった。その中には、一枚の写真が入れてある。

 

 蓮子はペンダントの中にある写真を見て物憂げな瞳を揺らす。

 

「……メリー」

 

 その写真はメリーとのツーショットの写真だった。

 

 きっとこの旅はひどく長いものとなるだろう。もう二度とメリーを忘れない為に、蓮子はこれを持って行くことにしたのだ。

 

「……そろそろ、かな」

 

 携帯で時刻を確認すると午前二時を少し過ぎた頃だった。

 

「……お願い、来て……《零次元エクスプレス》……」

 

 

 

 

 

 

 

 私をメリーのところに連れて行って……

 

 

 

 

 

 

 

 蓮子は祈るように手を組み、その『願い』を口にした。《零次元エクスプレス》に乗る条件は……その人への強い想い。

 

 夢美は最後に――最期に会った時にそう言っていた。その強い想いに呼応して、その願いを叶えるために《零次元エクスプレス》はやって来るらしい。後処理は任せて、と言って夢美は蓮子の前から立ち去って行った。それ以来、夢美とちゆりに会っていない。

 

 

 

 

 

 心からの願いを何度も口にする。辺りは静まり返っており、蓮子の声だけが響いていた。

 

 遠くから、甲高い音が聞こえた。

 

 最初は空耳かと思ったのだが、音はだんだん近づいて来る。

 

 するとどうだろうか。

 

 廃線路の上に、影が浮かび上がる。

 

 甲高い汽笛は蓮子の悲しみの心を慰めるかのように、あるいはこれから消える者を弔うように鳴り響く。漆黒の車両が錆び付いた車輪を回しながらやって来る。

 

 

 

 

 

「これが……《零次元エクスプレス》……ッ」

 

 

 

 

 

 目の前に現れた魔鉄道。乗客をどこへでも、いつの日にでも導いてくれる列車。

 

「本当だったんだ……ッ」

 

 蓮子は感動に胸が震える。蓮子はようやく、辿り着いた。しかし、蓮子はようやくスタートラインに立っただけに過ぎない。

 

 蓮子の目の前で停車した《零次元エクスプレス》の入口が開いた。中から運転手だろうか、帽子を目深にかぶった存在が居た。

 

『乗車券を』

 

 野太いような、鈴を転がしたような、不可思議な声が聞こえる。蓮子はハッとしてポケットから【時渡りの旅券】を差し出した。

 

 

 

 

 

【目的地:マエリベリー・ハーン】

 

 

 

 

 

 そう書かれた切符を渡す。

 

『確かに当列車の乗車券です。最後の確認となりますが、この列車にお乗りになった際にはもう引き返すことは出来ません。如何なる場合、状況になりましても、お客様は目的地に着くまではお降りになることはできません』

 

「構わないわ」

 

 夢美から概要を聞いた時から覚悟はしていた。これが片道切符だと分かった上で、蓮子は乗ることを――逢うことを決断したのだ。

 

「どこへでも、いつの日にでも導いてくれるなら……今さら後悔なんてしないわ」

 

 蓮子はあの廃れた神社の前で誓ったのだ。

 

「この身を懸けて必ず逢いに行くわ」

 

 そう言って蓮子は《零次元エクスプレス》に乗り込んだ。

 

『ご乗車、誠にありがとうございます。当列車はお客様に旅路を満足していただけるよう、最高のおもてなしをさせて頂きます。お食事、睡眠、運動……。様々なご注文を承ります。宇佐見蓮子様、ごゆるりと、お過ごしくださいませ』

 

 運転手らしき存在は恭しく頭を下げた。自分の名前を言い当てられ、多少は驚いたが、取り乱すことは無かった。

 

『こちらへどうぞ』

 

 運転手に導かれ、蓮子は個室に案内された。見かけは一両しかなかったのだが、中に入ってみると全然違った。どうも次元が歪んでいるらしい。

 

「なるほど、だから『零次元』ね」

 

 本来は存在しえない次元。異次元、と言った方が分かりやすいだろうか。

 

『こちらが宇佐見様のお部屋になります』

 

 部屋の中も異次元らしく、部屋の広さはおよそ十畳と言ったところだろうか。

 

 天蓋付きのベッドがあったり、本棚には大量の物理学に関する本が埋められていた。他にも蓮子の好みに合いそうな小物などがある。クローゼットを開けてみると、洋服まで完備されている。良く見ると、バスルームまであるようだ。

 

『宇佐見様が心地良くお過ごしになれるようにと、御用意させて頂きました』

 

 蓮子のプライバシーは一体どこへ消えたのだろうか。もしかすると『神隠し』に遭ったのだろうか。

 

 それでも、着の身着のままで来たのだからありがたいと言えばありがたい。

 

『間もなく発車いたします。少々お待ち下さい』

 

 運転手は頭を下げると下がって行った。蓮子は部屋の中を見渡す。

 

「これ、私が下宿してたところよりも高価なんじゃないの?」

 

 本当に運賃が『想い』だけで良いのだろうか。あとで高額な金銭を要求されるんじゃないだろうか、と不安になる。

 

 恐る恐るベッドに腰をかけようとしたら、列車が大きく揺れた。蓮子は衝撃でベッドに倒れ込んでしまった。発車したのか、と思ったがそう言う類の揺れではない。何か巨大なものがぶつかったような、そんな揺れ方だった。

 

「ま、まあ、廃線路だったし……。どっかの野生動物がぶつかったのかな……」

 

 蓮子がそう漏らすと、アナウンスが流れてきた。

 

『当列車に何者かがぶつかったようです。安全確認のため、発車までお待ちください』

 

 どうやら蓮子の読みは当たったようだ。

 

 蓮子はベッドに改めて座りなおし、発車の時を待った。

 

 

 

 

 

     ●       ●       ●

 

 

 

 

 

 同時刻、《零次元エクスプレス》から少し離れた場所にて。

 

 教授の肩書を持つ赤髪の少女――岡崎夢美と、水兵服を着た金髪ツインテールの少女――北白河ちゆりがそこに居た。

 

「ほらよ、目的のブツだ。パチって来たぞ」

 

 ちゆりはそう言うと《零次元エクスプレス》から盗み取ってきた部品を夢美に投げ渡した。

 

「貴重なモノなんだから投げるんじゃないわよ」

 

 夢美はそう言いながら飛んできたモノを受け取った。

 

「これが……【次元超越の歯車】なのね。なんて美しいのかしら」

 

 夢美はうっとりとした表情を浮かべながら幻想的な輝きを放つ歯車を見つめる。幾何学な模様や意味不明な文字羅列が施されている、摩訶不思議な歯車。これさえあれば、夢美の目的は達成したも同然だ。

 

「にしても……お前、本当に鬼だな」

 

「なんのことよ」

 

 夢美はいそいそと、大切なものをしまう為のポーチに【次元超越の歯車】をしまい込んだ。

 

「宇佐見のことだ。お前、ソレを手に入れる為にあいつを人柱にしたようなもんだぞ」

 

 ちゆりの声はいつになく硬く、それでいて夢美のことを非難する口調だった。

 

「あいつのマエリベリーに会いたい気持ちを利用して、付け込んで……。何が純粋な想いに感動して~だよ。お前は……人を、殺したんだぞ」

 

 ちゆりのその表現に、夢美は少しだけ顔を歪める。

 

「殺していないわ」

 

「同じようなもんだろ。このペテン師が」

 

 ガシガシ、と後頭部を掻きながらちゆりがぼやく。

 

「……言ったはずよ。私はどうしても叶えたい願いがあるの……。例え、何を犠牲にしても……ね」

 

「……」

 

 ちゆりだって、夢美が追い求めるモノが何なのか理解している。かと言って、周りの人間を巻き込むのはどうか、と考えたりすることもある。

 

「宇佐見のお陰で、重要なパーツが手に入ったことは私としても助かったと思ってる。だからと言って、人の気持ちを踏みにじるのは――」

 

「……いつになく、私に食ってかかるわね……従僕のクセに」

 

「主にほいほい付いて行くような、主の言うことが絶対だ、主の言うことを全てに是を返すような従僕なんてクソ喰らえだ。間違っていると思ったら刃向かう覚悟を持って説得する従僕こそが、従僕の鑑だと思うけどな」

 

 ちゆりはちゆりで、独自の考えの元に夢美に付き従っている。それを初めて知った夢美は、少しだけ笑っていた。

 

「なんにせよ……今までの急ごしらえの不完全な移動船じゃなく、【次元超越の歯車】さえあれば、私の『可能性空間移動船』が完成するのよ。完成した暁には、宇佐見に全てを話して許しを請うわよ」

 

 どこで会うのか分からないけどね。と夢美は言った。

 

「これまでにいくつもの並行世界を渡ってきて、その過程で【時渡りの旅券】を手に入れて《零次元エクスプレス》を知ったは良いけど……まさか目的地に着くまで永遠にその列車に閉じ込められることになるとは思いもよらなかったわ」

 

 夢美はあの運転手から《零次元エクスプレス》の概要を聞いて、その目的を断念せざるを得なかった。

 

 いくら如何なる目的地へ連れて行ってくれるからとはいえ、着くまでに一体どれだけの時間がかかるか分かったものじゃない。そう考えると、別の手段を講じるしかなかったのだが、『この世界』の蓮子には大きな借りができたと言えるだろう。

 

「【次元超越の歯車】は手に入った。行くわよ、ちゆり。私の目的のために」

 

 

 

 

 

 私は『幻想郷』に行かなくちゃいけない。

 

 

 

 

 

 ちゆりは、そう言って歩き始めた夢美の後に付いて行く。

 

「どこまでも行かせてもらうぜ、我が主さま」

 

 二人の姿は闇の中に消えた。

 

 そしてその日以降、彼女らを見た者は誰一人としていない。

 

 

 

 

 

     ●       ●       ●

 

 

 

 

 

 しばらく待っていると再びアナウンスが流れた。

 

『安全の確認が取れました。間もなく発車いたします』

 

 本当に間もなく、列車が動き出す。

 

 遠く異次元から現れた《零次元エクスプレス》は、蓮子のような巡礼者――再会を望む者を乗せ、動き出す。

 

 蓮子は立ち上がり、窓際へと向かう。汽笛の音が聞こえ、錆び付いた車輪が軋み回る音が聞こえる。

 

 この世界には様々なものを置いてきた。独りぼっちで抱きしめてきたこの町。守りたい場所もある。けれど

 

「確かめたいのよ」

 

 蓮子は答えを求めて、最愛の親友の下に逢いに逝く。

 

 ガタゴト、ガタゴト、と列車は揺れながらレールの上を走る。

 

 蓮子は押し寄せるやり場の無い感情を、揺れる振動で掻き消そうとする。列車は速度を増し、絡みつく落ち葉を舞い上がらせながらレールの上を突き進む。

 

 キーン、と耳鳴りがする。

 

「いえ、耳鳴りじゃ……ない? これは……空間が、軋む音?」

 

 窓から見える風景が歪んでいく。月が、夜空が、大地が、歪む。普通の列車の加速度を越え、《零次元エクスプレス》は亜音速まで加速し――異次元を、走り出した。

 

「なに、これ……」

 

 これが時空の隙間。現実と幻の境目。異次元の景色。

 

「あれは……」

 

 窓から外を見下ろすと漆黒の闇が広がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その闇の中に、メリーが居た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「メリー!?」

 

 しかし、列車はメリーを通り過ぎた。蓮子の目的地はメリーだったはずだ。しかし、停まることは無かった。見下ろし続けると、さらにメリーが居た。

 

「……もしかして……これって、記憶……なの?」

 

 蓮子がメリーと過ごしてきた記憶。漆黒の闇は乗客の記憶を投影し、逢いたい人を見せているのかもしれない。

 

 時の山を越え、黄泉の河を渡り、メリーが居る世界へ。メリーと生きた世界へ。

 

 暗闇の中を《零次元エクスプレス》は駆け抜ける。

 

 蓮子は確信を得た。この《零次元エクスプレス》は間違いなく、自分を最愛の親友の下へと導いてくれる。

 

 それは夢の世界かそれとも真の世界か。未来か過去かさえもわからない。

 

「夢でも幻でも……前世でも現世でも構わないわ……」

 

 もしもこの願いが叶うのであれば

 

「お願い、もう一度その世界を見せて……。もう一度、その世界へ連れて行って」

 

 蓮子はペンダントを握りしめながら呟いた。

 

 果て無き悲哀を乗せたこの会葬列車は、暗闇の迷路を駆け抜ける。

 

 蓮子はメリーに逢える日を、心から待ち望んだ。

 

「メリー……愛してるわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして今も、蓮子は果ての無い再会の旅路を続けている。

 最愛の親友に逢える日を願って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ―アナタへの旅路 完―

 




 これにて『アナタへの旅路』は完結です。この物語の前篇は凋叶棕さんの「rebellion -たいせつなもののために-」を、後編はSOUND HOLICさんの「零次元エクスプレス」を参考にしました。中篇は完全にオリジナルです。物語性のある音楽を聴いていると、こうして物語が書けたりします。機会があったら、この2曲を連続で聴いてみてください。

 では。

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