少し蒸し暑さを感じるようになった6月の中頃、部活を終えた悠仁はグラウンドを横目に走っていた。
「あ、デカイの湧いてんじゃん! 今夜狩ろうぜ」
大きな独り言を言う彼に、左手の甲に現れた口が言葉を返す。
「あれは雑魚だ。わざわざ出向かんでいい」
「でもさぁ、宿儺が毎晩、匂いたつ血の酒を飲むじゃん? 獣狩りして
数秒の沈黙の後、左手の口が再び動いた。
「……狩ってこい」
うざ。と呟く宿儺を気にせず、笑った悠仁は病院へ向けてスピードを上げる。
その際、すれ違った呪術師らしき少年が声を掛けてきたのに宿儺は気付いたが、面倒なので黙っておいた。
いつも通り、買ってきた花や見舞いについての祖父の小言に、適当な相槌を打つ。
人を助けろだなんて、
ふと、祖父の言葉が途切れたのに振り返る。
「……爺ちゃん?」
悠仁の呼びかけに、返る言葉はない。
話してる途中で寝るなんて、と思いたかったが、わかってしまった。……祖父が亡くなった。
人が死ぬところなんて、何度も見てきたはずなのに、涙が止まらない。
悲しいのか、寂しいのか。もしかすると、人のまま穏やかに生涯を終えた姿を見られて、嬉しいとすら思っているのかもしれない。
静かにベッドへ近付けば、自然と、祖父に向けて祈りの体勢をとっていた。
「いってらっしゃい。……爺ちゃんの目覚めが、有意なものでありますように」
必要な書類の記入を済ませ、荷物を抱えて受付を離れる。
「……学校へ行こう」
悠仁が呟けば、右の頬に宿儺の口が浮かび上がった。
「身内が死んだというのに、いつも通りか」
「死は目覚めを迎えるために必要なこと。……悲しむことはしても、ずっと嘆いてはいられない」
「薄情なことだ」
「そうかな?」
話しながら待合室を通り抜けたとき、廊下にいた少年に声を掛けられた。
「虎杖悠仁だな」
悠仁が右手で頬を隠して振り返れば、同じ年頃の黒髪の少年が、険しい顔をして立っていた。
「呪術高専の伏黒だ。話がある」
呪術……。確か、獣に似たあいつらは呪霊と呼ばれていて、呪術で狩りを行う者がいるのだったか。
以前聞いた宿儺の話から、彼が呪術関連の機関に所属しているのだと予測する。
組織立って行動する奴らにはロクなやつがいなかったと、思い出しただけで顔が歪みそうになるのを誤魔化して、伏黒と名乗る少年に向き直った。
「喪中なんだけど……。それに今日は行くとこあるから、明日でもいい?」
出入り口を指差して歩き出せば、伏黒が慌ててついてくる。
「話を聞け。オマエが持っている呪物はとても危険なものだ。これが写真」
道路に出たところで、伏黒の取り出したスマホを見れば、宿儺の指の画像。所有者がいたのは知らなかった。
悠仁は少し気まずくなって、頭をかく。
「あーそれね……ごめん食べちゃった」
「……は?」
「どうにもできない状況でさ、食べたら何とかなるかなって」
「いや、指食べて打開できる状況なんてねぇだろ」
何言ってんだこいつ。と言いたげな伏黒の顔は分かりやすい。
「冗談を聞いている暇はない。さっさと寄越せ」
眉間の皺を増やした伏黒に、悠仁は歩きながら箱を投げ渡す。
「いいけど空箱だよ?」
箱を受け取った伏黒が、悠仁の顔を凝視した。
呪いの気配は、箱ではなく悠仁から色濃く漂っている。
「オマエ、何者だ?」
「何者って……俺は狩人だと思ってるけど。あ、話長くなるならさ、学校での用事済ませてからでいい?」
「狩人? って、待て!」
返事を待たずに走り出した悠仁に続いて、伏黒も走り出した。
月明かりに照らされた杉沢第三高校の校舎前に、二人の少年が立っていた。
屋上のフェンスからこちらを見下ろすのは、2対の目と3対の足をもつ太った爬虫類のような呪霊。
「今日はあの獣……呪霊? 狩るからさ、ちょと待っててよ」
そう言って背中に回した悠仁の手に、身の丈程の大剣――ルドウイークの聖剣が握られる。
刀身に施された細かな模様と、両手で肩に担いで持つ様子から、敵を叩き潰すための武器であると推測できた。
「その呪具……」
次々と浮かぶ疑問を一旦飲み込んで、伏黒は付いていくことを決めた。
校舎の4階まで上れば、暗い廊下の先から、ぺたぺたと足音を立てるギョロ目の呪霊が歩いてくる。
悠仁がポケットから取り出したスローイングナイフを牽制で投げれば、吸い込まれるように呪霊の眉間に命中した。
よろめく呪霊の下に突っ込み、大剣を叩きつければ冷たい血の雨が降り掛かる。
呪霊に食い込んだ剣の柄を押し込むと、大剣の刀身――鞘を外し、引き抜いた両刃の剣で背後の呪霊を薙いだ。
狭い通路で武器を振ることには慣れているが、周りを壊せないとなると無駄に気を使う。
鞘は背中に担ぎ、空いた左手に獣狩りの短銃を持った悠仁は、屋上へ続く扉に向かった。
屋上に出れば正面から飛び込んでくる本命の呪霊を、悠仁は右へのステップで回避しながら斬りつける。
こちらを追って4本の腕を振り上げる敵の胸に、短銃の照準を合わせた。
攻撃のタイミングに合わせて水銀弾を撃ち込めば、呪霊は胴体を晒して硬直する。
無防備な腹へ、獣が爪を立てるように指を曲げた右手を叩き込めば、柔らかな内側を引きずり出せた。
匂い立つ香りに、悠仁の表情が緩む。狩人は血に酔うのだ。
「あ、普段着のまま返り血浴びちゃった……!」
目隠しをした長身の男が、腕に紙袋を提げて立っていた。
「今、どういう状況?」
五条先生、と伏黒が呼ぶのを聞いて、悠仁は銃口を下げ装備を解除する。
無闇に敵対すると死を招く事は、身をもって知っていた。
「宿儺の指を食ったという自称狩人が、2級相当の呪霊を祓いました」
「なんて?」
報告を聞いてこちらに向き直り、歩み寄ってきた五条が目隠し越しに視線を合わせる。
「んー? 宿儺と……他にも何か混じってるね。なんだろ」
顔が近いので右を向いて逸らせば、左頬に宿儺の口が現れた。
「こいつは魔物の愛し子だ。呪術師には理解できん」
勝手に話し出した宿儺の口を、急いで手で押さえる。
「人がいる時は黙っとく約束だろ。酔っ払ってんのか?」
悠仁が咎めれば、頬を押さえた手の甲に再び口が現れた。
「まだ飲んでおらんわ」
そのまま言い合いを始める二人の様子を見て、五条がにやりと笑う。
「君が宿儺? いやー、仲良しだね。……呪いの王も大した事ないな」
「え? 宿儺って呪いの王なの? 飲んだくれだと思ってた」
「殺すぞ小僧」
宿儺に気を取られた悠仁の額に、五条が指を伸ばす。
だが触れる直前に悠仁は後ろに飛び、五条の顔と胸の前にはスローイングナイフが止まっていた。
「何それチートじゃん!」
短銃を構えて立つ悠仁に、五条は両手を挙げる。
「ごめんごめん。気絶しても宿儺に乗っ取られないか確認したかったんだ」
いい動きだねー。と間延びした声で話す男は初めて会うタイプの人間だが、何となく腹が立つやつっているんだと、新しい発見をした。
「君、呪術師にならない? ……死闘も、血を浴びるのも好きなら天職だよ」
祖父の納骨を終えた悠仁が自宅に戻ると、玄関の前に伏黒と五条が立っている。
「どうするか決まった?」
手を振りながら声をかけてくる五条の横を通り、扉の鍵を開けた。
「全ての宿儺を取り込んでから死ねってやつでしょ? 宿儺を喰うのはいいけどさ……」
悠仁は獣狩りの悪夢を思い出す。
言葉を交わした友が獣になり、自分の手で葬った。
共闘した狩人とは信念の違いから殺し合い、憧れた狩人には死を望まれる。
何度繰り返しても結末は変わらず、悪夢は終わらず……諦めかけたときに見つけた
「俺は自死しない。恩人が殺されるのを黙って見ているつもりもない。だから……」
五条に向き直り、その顔を見据えれば、彼は不敵な笑みを浮かべる。
「殺したいなら掛かってこい。俺たちの狩りを教えてやる」
「いいね。その時がきたら殺してあげるよ。……僕、最強だから」