東堂のセリフも好きです。
日下部の制止を振り切った順平が地下通路を進んでいれば、地鳴りと共に大きな呪力が地上で弾けた。
余波が及んだのか、天井に亀裂が入るのを見て、崩れるのを危惧した順平は近くの階段を上がり、地上を通って渋谷駅を目指す。
無数に血の跡が残る駅前の広場を通り抜けている間にも、何か大きな気配が動いているのが感じ取れる。
未熟な自分でも気配が追えるということは、それだけ強力な相手……特級相当が暴れているという事なのだろう。
そのことが気になりつつ、再び地下へと入ったところで、上半身にひどい火傷を負った長身の人物が歩いているのが目に入る。
覚束ない足どりの彼が手に持つのは、刀身に布を巻いた鉈だ。これには順平も見覚えがあった。
「七海さん……?」
声をかけるが、意識がはっきりとしていないのか、七海の反応はない。
彼が地下へ続く階段に向かうのを――まだ戦いに行こうとするのを止めるため、順平は
七海は順平の式神である澱月に運ばれながら、真希と禪院直毘人が倒れている場所を伝え、共に向かう。
捕まるまで気が付かない程、五感がにぶっているのだ。この後は、二人と一緒に渋谷から離脱することになるだろう。
しばらく無言のまま進んだが、誰も順平に追いついてこない様子を見て、七海は彼に話しかけた。
「……吉野君も単独行動ですか?」
一瞬、肩を震わせた順平が振り返り、困ったように眉を下げる。
「あとで説教……ですよね? さっき叫んでいた虎杖君も」
先月の、会ったその日に悠仁と並んで説教を受ける順平の姿を思い出した七海は、状況を忘れて小さく笑みを浮かべた。
「七海さんの怪我が治ったら喜んで受けるので、これ以上の無理はしないでください。……虎杖君を止められる人、あなたしかいないんです」
五条は笑って見ているだけだと言う順平に、状況が容易に想像できた七海は苦笑する。
表情を動かしたせいか、感覚のなかった身体が鈍く痛んだ気がして、問題のある教師の救出は問題児に任せようと、七海は息を吐いて目を閉じた。
仰向けに倒れる悠仁の隣に、制服の前ボタンを外した東堂が立つ。
「起きろ
「東堂……」
声を聞き、その名前を悠仁が呼ぶ。閉じかけていた瞼を開いた悠仁は、折れた月光の聖剣を掴んだ腕でゆっくりと上体を起こした。
指も腕も、まだ動くことを確認する。視界の隅に、東堂の連れらしき人物が駆けてくるのを収めてから、悠仁は目線を床に向けた。
「俺は……もう、何のために戦うのか分からない……。宿儺の指を喰うのも、誰かの命を奪うのも、自分が選んだことだ。その事は後悔しない」
守るよりも、奪うことのほうが容易い。“人を助ける”なんて、傲慢な言葉だと分かっている。
「だけど……どこへ行っても俺は!」
地下の下水道で、切り殺した獣の腹から血に塗れた白いリボンを拾い上げた。革手袋越しに触れた生暖かい感触が忘れられない。
手向けた花は赤く染まり、辺りには血臭が満ちる。いつも、そうだった。
「……目の前にいる
それは、数え切れぬほど繰り返しても、変わらない結末。人々は夜明けを待たずに絶望し、狂い、血に酔っては消えていく。
「“狩人”だと気取っていても、所詮ただの人殺し……。奪う事しかできない、醜い獣なんだ」
真人の攻撃を新田との位置替えでかわした東堂は、蹴り飛ばした真人から遮るように悠仁の前に立つ。
視線は真人に向けたまま、背中越しに俯く悠仁に話しかけた。
「違うな
その言葉に顔を上げた悠仁が、東堂の背中に目を向ける。
「しかし、オマエが狩人である事を……遺志を継いだという狩人達を誇りに思っているのも知っている。
悪夢の中では、狩人に名誉なんてなかった。……いや、違う。狩人に名誉なんて必要なかった。
誰にも認められず、許されなくても……。皆、譲れぬ矜持を――意志を持って戦っていたのだから。
「狩人と呪術師が同じとは言わん。だが! 所属も目的も違えど、お前達が皆“狩人”だと名乗ったように! 俺とオマエと! 釘崎! あらゆる仲間、俺たち全員で“呪術師”なんだ! 俺たちが生きている限り、死んでいった仲間達が真に敗北することはない!」
そこまで言い切った東堂が、一度、声のトーンを落とした。
「罪と罰の話ではないんだ。呪術師という道を選んだ時点で、俺達の人生がその因果の内に収まりきることはない。散りばめられた死に意味や理由を見出すことは、時に死者への冒涜となる! それでも! ……オマエは何を託された?」
動きの邪魔になる上着を脱ぎ捨てた東堂が、一歩前に出る。それは迷いのない、いつも通りの姿だった。
「今すぐ答えを出す必要はない。だが……答えが出るまで決して足を止めるな。それが、“呪術師”として生きる者達への、せめてもの罰だ」
走り出した東堂を見ながら、悠仁は床に膝をついている脚に輸血液を打つ。
相手の呪力が傷口に残っているせいか、真人の黒閃を受けた部分は治りが悪かった。
……怪我をして、それが痛いと思ったのは久しぶりかもしれない。
そのまま立ち上がろうとした悠仁の背中に、側で控えていた新田の手が触れた。
傷口を薄い膜が覆う感覚と共に、痛みが引いていく。患部を動かしてみても、傷が開くことはなかった。
「いいですか、虎杖君」
悠仁に術式を施した新田の説明によれば、この術式の効果は治癒ではない。だが、止血はできるし、これまでに受けた傷が悪化することもない。
「あっちの子にも、同じ処置をしました。……弱ってはいましたが、呼吸も脈もあります。傷は深いけど、助かる可能性は
釘崎のいる通路を指さした新田の言葉で、陰っていた悠仁の瞳に光が灯る。
「俺は彼女連れて離脱します。でも、あんま期待せんといてくださいよ!」
「……うん!」
新田を見送った悠仁が、今度こそ、折れた月光の聖剣を手にして立ち上がる。
もう、様式美だとか、戦っている自分の“姿”を気にする必要はない。自分が何に成るのかも、考えなくていい。
今はただ、目の前にいる
東堂の手を叩く音が響き、悠仁の目に映る景色が変わる。
折れた聖剣が纏うのは、青い月の光ではない。
迫る
――それが、狩人として……呪術師として、自分にできる唯一のことだから。
真人の広範囲にわたる攻撃によって、地下通路の天井が崩れ落ちる。瓦礫の下敷きにされる前に、三者は戦いの場を地上へと移した。
急速に呪力を高めていく真人が二人を分断し、それぞれを術式で押し切ろうとするが、どちらもしぶとい。
この状態が続くなら、悠仁か東堂の片方は殺せたとしても、真人は祓われることになるだろう。
一度、攻撃の手を止めた真人が、二人の前に立って両腕を広げる。その身体から、先ほどよりも大きな呪力が溢れた。
二人を領域に引き込んだとしても、宿儺や月の魔物が出てくれば、真人は為す術もなく殺される。だから一か八か、五条に倣って0.2秒だけの……。
――領域展開 自閉円頓裹
瞬間、真人の目の前に広がったのは、やはり自分の領域ではなく、無数の獣骨が浮かぶ赤い水面。
頭上には巨大な背骨と、そこから伸びる肋骨のようなものが広がり、視界の限り続くそれらによって、宿儺の腹の中に収められているのだと理解した。
正面に立つのは両面宿儺。その後ろには、数多の獣骨と共に傷だらけの月の魔物が積まれている。
以前、自分の領域は月の魔物によって塗り替えられた。だが、
「セーフ……ってことでいいのかな。宿儺」
冷汗をひと筋垂らした真人が声をかければ、それを宿儺が一瞥する。
「
それがなかったら殺されていたのだろうか。腕を組み笑う宿儺は、もう目の前にいる真人のことを見てはいない。
今の外の状況にも関心がないらしい宿儺の様子に、悠仁を殺すつもりでいる真人は立場を忘れて苛立ちを覚える。
「……虎杖は殺す」
真人がそう呟けば、ようやく宿儺の眼に真人が映った。
「黙ってここで見ててくれ」
領域が閉じれば、真人に向けて悠仁が駆けてきているのが見えた。
迎撃しようにも、領域展開後は一時的に術式が焼き切れるため、無為転変の使用が困難になる。
こちらも走り出してから、真人は自分の前を遮らせるように改造人間を投げた。
領域展開後は術式の使用が困難。ならば、時間差で変形するように、先に改造人間を仕込んでおけばいい。
タイミングを外せば無駄撃ちだが、その時はその時で問題ない、これはちょっとした賭けだ。
だが……。この状況なら、虎杖は仲間の安否よりも
膨れ上がった改造人間の質量によって、悠仁の持つ折れた聖剣の刀身が防がれる。
押し込もうとしていた刀身が肉壁に包まれる前に、刃を引き抜いた悠仁は前に跳んで迫る障壁をかわした。
悠仁が東堂のいる方を振り返れば、片手を失くした東堂の腹に、真人の拳が入るのが見える。
黒い火花を散らした真人が東堂を追撃しようとすれば、東堂の胸から何かが滑り落ちた。
ペンダントが地面に落ちる音に、一瞬、真人の注意が引かれる。
それは呪いとしての才能だけでは補えない、戦闘経験の未熟さから生じた隙。
迫る真人の右手を、東堂の右手が叩く。
瞬く間もなく突きを放つ体勢に入った悠仁が真人の前に現れ、折れたことにより取り回しの良くなった聖剣が黒い火花を散らした。
黒閃によるダメージで追い詰められた真人の姿が……魂の形が変わる。
――遍殺即霊体
それは攻撃のための手段としての変形ではない。
尾を生やした強靭な身体に、肘から伸びたブレードを牙とするならば、呪霊よりも獣と呼ぶのが相応しかった。
「ハッピーバースデイってやつさ。虎杖」
悠仁の振るった聖剣が、真人に触れて欠ける。強度だけではない。速さも、力も、変身前より桁違いに高かった。
悠仁の攻撃が通っているようには見えないが、真人の攻撃は掠るだけで皮膚が千切れる。
ブレードを避けるために体勢を変えたことで、一瞬、悠仁の動きが止まった。
その隙を逃さずに悠仁の頭を右手で捉えた真人は、掴み上げた身体を地面に叩きつける。
地面が崩れた穴に落ちたことで真人の手が離れ、着地した二人の間に数メートルの距離ができた。
輸血液で回復できるような隙は無い。真人を倒すには……悠仁の最大呪力出力の黒閃をぶつけるしかなかった。
黒閃を狙って出せる術師はいない。だが、今、真人が対峙している悠仁には、「狙って出している」と思わせるだけの凄みがあった。
悠仁は次も黒閃を打つ。そう確信する真人は、すでに対策を済ませていた。
黒閃は、打撃との誤差0.000001秒以内に呪力が衝突した際に生じる空間の歪み。
それならば、サイズ変形でミートをずらし、「遍殺即霊体」を解いた部位を呪力で
そして、拳に呪力を集中させている悠仁の首をカウンターで落とす。
真人が左腕から胸、顔の半分にかけての変形を解いたのが、悠仁の瞳に映る。
常人では捉えられない速度で、
斬撃に付いていけなかった光波が暗く輝き、傷口を広げるようにぶつかる。
時間差できた二重の衝撃により、真人の上体が後ろに逸れたところで、悠仁は迫っていた真人の右手を屈んで避けた。
「呪霊よ、オマエが知らんハズもあるまい」
真人の耳に、離脱していたはずの東堂の声が届く。のけ反った体勢になっていたために、真人には東堂の自信にあふれた姿もはっきりと見えた。
「腕なんて飾りさ。拍手とは……」
東堂が腕を構える。位置替えがくる。
「魂の喝采!」
切断された腕を叩く、鈍い音が響いた。
真人は体勢を崩したまま、背中側に移動した悠仁にブレードを当てようとして――居なかった。
パイプを切りつけ、東堂のブラフだったと理解したところで、腹に抉り取られるような衝撃がはしる。
黒い光とともにぶつかった悠仁の拳が――獣の爪のように指を立てた腕が、強化されていない柔らかな内側を掴んだ。
拳の衝撃で、崩れた穴の外まで弾き出された真人は、何か大切なものが抜き取られた感覚を味わう。
両膝をつき、血の溢れる腹を押さえていれば、真人の頭上に影が差した。
「認めるよ。真人。……俺はオマエだ。俺はただ、目の前にいるオマエを殺す。それに意味も理由もない」
真人が顔を上げれば、凪いだ瞳の悠仁が立っていた。
「どこへ行っても、俺のやることは変わらない。……呪いを殺し続ける。それが、この戦いの俺の役割だ」
悠仁を見上げた真人の瞳が揺れる。そこに映るのは、何より人間らしい感情。
それを見た悠仁の眉間に、僅かにしわが寄った。
「……オマエ、俺のことを恐ろしいと思ったな?」
腹にあてた、真人の手が震える。人間に恐れられるべき呪いが、呪いを恐れるべき人間に恐怖を感じる。
これ以上の不条理を見つけるのは容易ではない。
「俺が“人間の皮を被った化け物”だというなら、今のオマエは……“化物の皮を被った人間”だ」
交差した視線を逸らすことができない真人を、捕食者――上位者の眼差しをした悠仁が見下ろした。
「真人……。お前の嫌いな……人間になれたぞ」
■補足■
「狩人狩りアイリーン/烏羽の狩人」
後輩への餞別としてアイテムを分けてくれたりと、友好的でまともそうな先輩狩人。
狩りに、血に酔った狩人を狩る。あまねく狩人に悪夢の終わりもたらす“汚れ役”を引き受ける狩人でもある。
狩人狩りは、まず強く、血に酔わず、また仲間を狩るに尊厳を忘れない。
しかし、彼女もまた狩りに酔っているのだろうか。
――どうした? まさか狩人が、獣が恐ろしいのかい? まあいいさ。恐れなき狩人など、獣と何が変わろうものかね……。
――獣はもはやとめどなく、狩人はもう、用無しさ。
――……ああ……お前たち……。お前たち狩人に死を!
「ヤーナムの少女」
獣狩りの夜に、ひとりで両親の帰りを待つ少女。白い大きなリボンをした、小さな女の子らしい。
主人公が少女の姿を目にできることはない。
狩人である父親を探しに行った、母親探しを主人公に依頼する。これが悲劇の始まりである。
――ありがとう、獣狩りさん。お母さんとお父さんと、お爺ちゃんの次に大好きよ。
「悠仁の額の傷について」
原作では、真人の攻撃を正面から止めたときに付けられた傷です。
狩人は敵の攻撃に対して、かわすかパリィ(カウンター)するのが基本&通常の攻撃での傷は輸血で治る設定のため、脹相に#16でつけてもらいました。
「悠仁は嫌味とか言うのか?」
最後のあたり、嫌味を言うイメージはないけれど、言ってほしいので言わせました。
本当は「“ハッピーバースデイ”真人……お前の嫌いな……人間になれたぞ」まで言わせたかった。