2018年11月10日 夜
栃木県 立体駐車場跡地 エレベーターホール
自動販売機に併設された年季の入ったベンチに一人で腰かけた悠仁は、
悠仁がここに来たのは、呪術高専三年、
しかし秤は、上層部ともめて停学をくらっている身である。高専関係者を見ていい気はしないだろう。
それに彼は、術師や呪詛師の参加する賭け試合の胴元であり、非術師も客にしている。
呪術規定8条の「秘密」に抵触している秤に、悠仁と伏黒が身分を隠さず接触するのは困難なため、こうして悠仁が内側から探りを入れることになった。
そういう訳で、金を稼ぎたい野良術師を装った伏黒のハッタリが秤の部下に効き、悠仁を賭け試合の選手として参加させることに成功したまではいい。
問題は、悠仁が敵かどうかの判断に迷ったら「一発、殴ってから考える」タイプであることだ。
今回もそのスタイルで通そうとする悠仁を伏黒が止め、自分たちが秤に協力を“お願い”する立場であることを強く言い含めたが、心配である。
今後の関係に響く問題を起こさないことを願うばかりだ。
試合の時間が近づいたため、秤の部下である男が悠仁のもとを訪れる。説明された試合のルールは2つ。
1.逃げるな
2.術式は使うな
それに対して悠仁が質問を投げれば、男も選手を邪険に扱うつもりはないらしく、答えが返ってくる。
秤に会えるかもしれない方法――試合中に実力をアピールできれば、八百長試合の役者として声がかかる可能性を示されて、悠仁は笑みを浮かべた。
「要は、派手に暴れりゃいいわけだ」
簡単で分かりやすい。
会話が途切れたところで、男が会場へ繋がる扉を開いたため、悠仁は肩を慣らしながら進み出る。
どんな相手にも油断するつもりはないが、体術で五条らのお墨付きをもらっている悠仁が苦戦する相手がいるとは考えにくい。
とはいえ、短時間で勝負が決まっては客が面白くないだろう。
攻撃は鋭さよりも、音と動きを重視。回避も大げさにして、空間を広く使い勝負を
試合をシミュレーションしながら会場の中央に立つ悠仁と対峙したのは……とても見覚えのあるパンダだった。
危なげなく優勝を果たした悠仁は、
ソファで脚を組みくつろぐ秤が、値踏みするように悠仁を見ながら口を開く。
「虎杖。『1日1時間、あることをするだけで月収100万円に…!!』って言われて、信じるか?」
典型的な詐欺の謳い文句から始まったのは、彼の価値観と、今後の計画の話。
普通に考えれば騙されていると分かるような詐欺に、それでも人々が騙されるのはなぜか?
それは、騙す側も騙される側も持っている、「ここで人生変えてやろう」という“熱"のせいである。
“熱”に浮かされて人は判断を誤る。だが“熱”がなければ人は恋一つできない。
「俺は“熱”を愛している」
そう語る秤の言葉に
よりダイレクトな“熱”のやりとりを感じられるのがギャンブルであり、生きることはギャンブルだ。
そして、大きく張れない奴と、引き際を知らない奴から振り落とされていく社会において、ギャンブルをしていない人間はいない。
賭け事を嫌悪する人間が憎んでいるのは、賭け事ではなく“敗北”と“破滅”だ、と。
「俺は“熱”を愛している。“熱”は“
呪霊の存在が非術師たちに公表され、呪術界が揺らいでいる今の状況を、秤は事業拡大のチャンスと捉えた。
彼の計画を推し進めるには、とにかく優秀な駒がいる。
「虎杖。俺の“熱”に浮かされてみないか?」
秤が悠仁に提案したところで、テーブルに放り出されていた秤のスマホに着信が入った。
画面に視線をやれば、綺羅羅からのTEL番での着信――異常事態の合図。
スマホには手を触れず、秤は戸棚からグラスを2つ取り出す。
「……虎杖、何か飲むか?」
そう声をかけながら、秤は自分の熱が急激に冷めていくのが分かった。
「あ、じゃあ適当に。酒以外で」
テーブルを挟んで床に座った悠仁は、気を抜いているように見えて隙がない。
「なんだ。弱いのか?」
「俺、普通の酒じゃ酔わな……未成年っす」
「今さら気にすんなよ」
続けて軽口をたたけば、やはり緊張した様子もなく返してくる。
野良術師にしては高いレベルの戦闘スキルを有する、目の前の少年。連れの食えない黒髪の男も、同い年ぐらいだった。
見た目の年齢的に後輩――高専生か?
会話中に鎌をかけてみるが、本人への質問以外の話題では無駄口をたたかない。
時間の無駄なので、質問を変えることにする。
「オマエ、何でここに来た?」
秤が問えば、数秒、言葉を迷うように黙ってから、悠仁が“お願い”を口にした。
「……大切な人たちを助けるために、呪詛師が始めた命がけのゲームに参加します。胴元にも、一緒に命を懸けて戦ってほしいです」
静かに、はっきりとした口調で淡々と言葉が紡がれる。
しかし秤には悠仁の声も、こちらを見る瞳の奥も、他人事のように冷めていると感じられた。
「金は出せません。でも全てが終わって、お互いに生きていたら……胴元の計画が成るまで駒として協力します」
ゲームとやらの内容も、誰の差し金で来たのかも不明だが、“お願い”の内容は嫌いじゃない。だが――。
「断る」
秤が端的に返せば、悠仁は表情を変えずに瞬きをひとつした。
「……分かりました」
食い下がることもなく引く悠仁の様子を見て、断った側であるはずの秤が苛立ちを覚える。
一ミリの動揺も見えない悠仁の態度を視界に収めながら、秤は手にしていたグラスの中身をあおり、空になったグラスを揺らした。
「虎杖。条件が不満だとか以前の問題だ。……オマエの言葉には“熱”がない」
綺羅羅が簡単にやられることはないと信頼して、秤は悠仁たちの目的を探るために時間を割いた。だが、それらは全て無駄だったらしい。
さっさと虎杖を潰して、綺羅羅の無事を確認しよう。
そう考えた秤がグラスをテーブルに叩きつけ、術式を発動しようとした時、目の前には既に拳が迫っていた。
パンダと共に
辛うじて綺羅羅の動きを止めた伏黒が、“お願い”を聞いてもらえるよう綺羅羅に頭を下げる。
渋々、相手に了承してもらえて一息をついたところで、モニタールームの扉が内側から吹き飛んだ。
「金ちゃん!?」
飛び出してきた男の名前を叫んだ綺羅羅の声を聞いて、伏黒の血の気が引く。
モニタールームの入口に視線をやれば、武器こそ出していないものの、敵を前にした時と同じ雰囲気の悠仁が立っていた。
すぐに反撃にでようとする秤を、綺羅羅が呼び止める。
「金ちゃん! この子達、金ちゃんに助けてほしいんだって! 話を聞いてあげて!」
「知ってるよ! あと、殴られたの俺な!」
綺羅羅に言い返し、切れた唇の端をぬぐった秤は、彼の口調から、悠仁たちが後輩であることと、上層部の差し金で来た訳ではないことを確信する。
「オイオイ、俺らを頼りに来たんじゃねえのかよ」
殴り返しながら茶化すように言ってみたが、反応は良くない。飲み交わしていた時のように話にのるつもりはないらしい。
「今は敵だろ?」
同じく殴り返しながら答える後輩の瞳は、モニタールームで話していた時とは違い、爛々と輝いて熱がこもっている。
“大切な人たちを助ける”ためだとか、献身的な言葉を使っておいて、それ以外は排除するのも厭わないってところか。
「……イカれてんな」
さっきの冷めた“お願い”には期待を裏切られたと思ったが、早計だったかもしれない。
一応、初対面であるはずの後輩がどうして自分を頼りに来たのかと問えば、「先輩達がアンタを強いと言ったからだ」と返ってくる。
普通なら、つまらない答えだと一蹴するだろう。
だが、悠仁の場合は本当に、“大切な人たち”の期待に応えるために来ただけで、彼自身は秤たちに期待していない。
アンバランスな思考だ。
「いいか虎杖」
交えていた拳を下げた秤が、悠仁に呼びかける。
術師が術師にするお願いは、“一緒に命を懸けて下さい”が前提というのは、秤の持論だ。
「オマエの“お願い”は、その前提を満たしていた。……なのにテメェは! なんで今、持ってる“熱”を! あの言葉にのせられねぇんだよ!」
その言葉にこめられた熱は、悠仁に期待していた。
「
そう呟く悠仁の声が響く。秤を見上げる視線の鋭さが増した。
ずっと前から、悠仁のやることは変わらない。……獣になるまで、
「だから俺が、先輩の“熱”に応えることはない」
あるいは、悪夢の初めには熱を持っていたかもしれない。
しかし、期待した分だけ辛くなった。
見えた希望よりも、大きな絶望が待っていて。
贈った愛は、抱えきれない悲しみを連れて帰ってくる。
全て、知ってしまった。
だから狩人は、誰にも期待しないし、希望は持たないのだ。……愛する人以外には。
今は友達だけが、わずかに残った熱を傾けられる存在なのだろう。
「気に入らないなら帰るからさ……邪魔だけはすんなよ」
その言葉には、確かに“熱”があった。
「マジで? 五条さん封印されたの?」
綺羅羅に“熱くなってきた”ことを指摘された秤がそれを認め、後輩たちの話を聞く姿勢に入る。
再会してからやっと落ち着けたため、このタイミングでパンダから夜蛾学長が亡くなったことが伝えられた。
全員、夜蛾にはお世話になった身であるため、しばらく死を悼んでいたくなるが、彼らに立ち止まっている時間はない。
話し合いの結果、死滅回游の方を付けたら秤に協力することを条件に、秤も死滅回游の平定に協力することが約束された。
「よし。後は各々が出向く
乙骨は宮城だったかと確認するパンダに悠仁がうなずこうとすれば、リンゴンと鐘の音を発する、小型の式神のようなものが現れた。
「
<