呪力と“呪詛溜まり”の呪詛は別物ということでお願いします。
2018年11月某日
禪院家 懲罰部屋
「そもそも、虎杖悠仁の肉体に“浴”って必要なの?」
部屋に張り巡らされた
“浴”とは、蠱毒で厳選された生物を潰し濾すことで得られる呪力の溶液に器物を十月十日漬け込むことで、本来、家宝として秘蔵する器物を外敵から守るために呪具化する儀式だ。
裏梅はそれを呪霊で再現しているようだが……。虎杖悠仁は生来の肉体の強度はさることながら、狩人として悪夢を廻る過程で毒や発狂などのあらゆる状態異常への耐性も得ている。
特に「呪い」への耐性と受容性は、日常的に呪霊や獣――上位者の血を浴びてきたため極めて高く、宿儺の器として既に完成していると言っていい。
「いくらかの呪霊の血を足したところで、蛇足にしかならないよ」
「貴様の考えは聞いていない」
冷ややかに言い放った裏梅が、ちらりと羂索の顔を見て忌々しそうに舌打ちする。
「虎杖悠仁の肉体は宿儺様の受肉先として申し分ない。だが貴様の実験のせいで変なモノまで憑いているだろう」
それを塗り替え、奴の自我……あるいは魂を深くへ沈める必要がある。
「変なモノって……。あれは私が知る限り、最も“神”に近い存在だよ」
確かに、その月の魔物は虎杖悠仁に危害を加えるとしゃしゃり出てくる過保護っぷりだった。
「だが多数の宿儺の指を取り込んだ今なら、あれも出てこれないだろう。それよりも……」
天元を取り込んだときに知り得た
そして虎杖を含む高専の連中が向かった東京第1
五条を封印した
仮に封印を解かれても、五条を殺せるようにはしているが……。
「そろそろ宿儺にも働いてほしいよね」
保険として、こちら側に宿儺が欲しい。
問題は宿儺に主導権を握らせる方法だが……虎杖悠仁は理不尽に殺されるくらいなら、ためらいなく宿儺に肉体を譲るだろう。
たとえ何人殺し、何人殺されることになっても、自身を――その身に宿る宿儺を殺させるつもりはない。
そのくらい自分本位になれるだけの矜持と覚悟を持っている。
「……試しに一回、虎杖を殺してみる?」
楽し気に笑う羂索とは対照に、裏梅が素っ気なく返す。
「どんな理由があろうと、私が宿儺様に危害を加えることはない。やるなら貴様一人でやれ。……雑魚の相手はしてやる」
前、凍らせてなかった? という羂索の言葉を無視して、裏梅は“浴”の準備を再開した。
2018年11月16日 15時過ぎ
東京第1
――呪いと海に底は無く、故にすべてがやってくる。
浮遊する呪霊に乗る羂索と裏梅の耳に、少年の声が風に乗って微かに届く。
二人が視線を向ければ、無自覚に紡がれた彼の“呪詞”に応えるように、ビルの屋上を駆けて迫る悠仁が手にする“呪詛溜まり”から悍ましい気配が溢れ出ていた。
その富士壺が生えた頭蓋骨に絡まるロープから覗く細長い杭のようなもの――近代ではロボトミー手術に用いられた器具に似たそれを見て、羂索は合点がいったように呟く。
「漁村の民の成れの果てか……」
自分が彼の地を離れたあと、残ったビルゲンワースの級友たちが何を成したかは把握していない。
だが、やはり
呪霊と呪詛がぶつかり、呪霊の方がはじけ飛んだのに目を見張った羂索は吐き捨てるように呟いた。
「亡霊共が」
悠仁を見送った伏黒が、雷撃を受けて座りこんでいる来栖に振り返り声をかけた。
「逃げるぞ。来栖。……立てるか?」
まだ痺れが治まっていない様子が見て取れたが、伏黒は有無を言わさず肩を貸して来栖を立ち上がらせる。
「悪いが、ひとまず高専に来てもらう」
五条の封印を解ける来栖と“天使”を失い、宿儺が復活するのが最悪のパターンだ。それさえ避けられるなら、“天使”への交渉は後回しでいい。
虎杖と羂索のことは、真希に任せるしかない。
歯がゆい思いをしながら、伏黒は自分たちを心配し大声で安否確認をしている髙羽と合流するべく屋上を後にした。
羂索と共に呪霊に乗っていた裏梅が離れるのを視界の隅に捉えながら、悠仁は再び“呪詛溜まり”を掲げ、悍ましい呪詛を飛ばす。
先ほど、羂索は低級呪霊が押し負けたことに驚いたような素振りを見せた。そして悠仁自身も、悪夢の中よりも濃い呪詛が放たれたことを実感している。
思い違いかもしれないが……この頭蓋骨には、あの男への恨みが宿っている。
それでも、この程度では術式も持たない悠仁が勝てる要素にはなり得ない。
実際に、特級呪術師である九十九と脹相が挑んで敗れている。だが――。
術式の相性も、術師本人の戦闘力の差も覆し得る方法が一つだけある。
“領域展開”。
呪術師が自身の生得領域――心象風景を呪力で具現化し、その結界内に敵を閉じ込める奥義。
“領域”は昔の術師にとって、今よりもずっとスタンダードな技術だった。
その理由として、現在の領域に多い「必中必殺」の「必殺」の部分を省いていたことが挙げられる。
昔の一般的な領域の性能は、領域内の対象に自身の“
現在は「必殺」に拘るあまり、領域を構築する条件のハードルが上がり、領域はより高度な技術となり使い手が減少している。
では、術式を持たない虎杖悠仁に領域展開は使えるのか?
不可能ではないだろうが、結界術は聞きかじった程度、術式を行使するイメージさえ理解していない者が、その段階を飛ばして生得領域を具現化できるかは疑問である。
……彼が普通の術師であれば。
心象風景――現実には存在しない架空の景色。その“架空”が、実際に目にし、彷徨い歩いた“現実”であればどうなるのか?
掲げていた“呪詛溜まり”を胸に抱え込んだ悠仁が、いつか見た宿儺を真似て掌印を組む。
「呪いと海に底は無く、故にすべてを受け容れる……」
そう言葉を紡ぎながら悠仁がイメージするのは、悪夢の最奥。狩人の旅の終着点であり、罪の始まりの場所でもある“海岸”。
灰色掛かって見える陰気なあの場所のにおいも、頬を撫でる風も、踏みしめた砂浜の感触も覚えている。
「領域展開――」
悠仁の声に合わせて自身も領域を展開しようとした羂索は、術式が使用できないことに気付いて動きを止めた。
これは“
悠仁が彷徨った悪夢の“再現”だ。
まだ詰みではないと考える羂索の目の前に広がるのは、
波打ち際には月の魔物が転がっており、そのすぐ傍には両面宿儺が腕を組んで立っている。
それが何かに似ていたらしく、悠仁が少し笑って「ひっでー絵面」だと宿儺に声をかけていた。
改めて、頭蓋骨を抱える悠仁と羂索が、蹂躙された漁村の民と冒涜的殺戮者が向かい合う。
――奴らに報いを……赤子の赤子、ずっと先の赤子まで、永遠に血に呪われるがいい……。
「“不吉に生まれ、望まれず
その呪詛の言葉を羂索が知っていたことに、悠仁が目を見開く。
「『お陰様で長生きできた』とでも返しておこうか」
小馬鹿にした笑いを浮かべた羂索が、自ら“呪詛溜まり”に手を伸ばした。
「悠仁。……君は彼の地で誰も成し得なかった“上位者”にも成れる可能性を秘めている」
――自らの手を離れた混沌を創る。
虎杖悠仁という“器”は完成済だ。後は、これを呪いで満たしてやればいい。
「“進化”した君がどんな姿に成るのか……。この目で見られないのは残念だよ」
そう言って食えない笑みを浮かべた羂索が、呪詛に包まれる。
悠仁の領域に対抗することも不可能ではなかったであろう男が、言葉で悠仁を呪いながら呪いに身を投げ打った。
何秒、呪詛の跡を眺めていたのか。目の前で急激に何かが膨れ上がる気配がして、悠仁が飛び退った。
呪霊操術の術者の死後、使役していた呪霊たちはどうなるのか? 答えは――。
「呪霊の暴走!」
押し寄せてくる呪霊から逃れるため、海岸の浅瀬を悠仁が走る。たとえ術式の使えない低級呪霊であっても、囲まれれば抵抗のしようがない。
しかし、今、領域を解いてしまうと危険な呪霊たちも野放しになる。
すぐに少しでも数を減らそうと覚悟を決めて振り返った悠仁の前で、呪霊の体が海面に触れ……溶けるように海に吸い込まれていった。
――呪いと海に底は無く、故にすべてを受け容れる。
狩人の罪の始まりの一人である男に、蹂躙された漁村の民たちの呪いが還る。
還った呪いは溜め込まれた呪いを解放し、それら全てが少年の拡げた海に還る。
思惑通り……全て虎杖悠仁の遺志となった。
■補足■(投稿後に追加しました)
「悠仁の領域について」
強い術式を持った術師との戦い(初見殺しのボス戦)
↓
自分と相手が同じ条件の戦い(PvP:プレイヤー vs. プレイヤー)
になるイメージなので、五条や東堂のように術式なしでも強い相手だと、普通にキツイです。(呪力操作はできるため)
羂索が戦闘を選んでいた場合、武器のアドバンテージがあっても相手は夏油スペック、戦いの年季も違うので、悠仁が勝てたかは微妙。
呪霊相手には初見殺し。呪力出力を上げて護れば海の中でも耐えられて、岸に上がればセーフ(逃げ道あり)だけど、領域に入ると海の上に放り出されるので、気づかずに浸かれば瞬殺。
術式無しで浮いているタイプなら、海に落とされない限りは大丈夫。