任務を終えた一年生三人が集まる寮の共有スペース。
そこには出来上がった鍋を前にして、沈んだ顔をする伏黒と釘崎がいた。
一人で鍋を食べ進めていた悠仁が、手を止めて二人を見る。
「二人ともどったの? 腑に落ちない顔して」
「
「もつ鍋とか私らへの嫌がらせだろ!」
一言発すれば、返ってくるのは非難の嵐。
自分は怪我してないからと、買い出しから調理まで引き受けてくれた悠仁に感謝はしていたが、我慢はできなかった。
まだ出会って二週間。戦闘面では見習う点が多いと認められている悠仁だが、日常生活では
後に二人は「返り血という言葉が可愛いものだと感じる日が来るとは思わなかった」と語ることになる。
雨の降る中、一年生三人と補助監督の伊地知は、特級仮想怨霊の呪胎が現れた少年院で生存者の確認・救出任務を行うため、宿舎の扉前にいた。
「特級に相当する呪霊がいると予想されます」
沈んだ表情の伊地知が状況の説明を始める。
特級と会敵したら逃げるか死ぬしかない。絶対に戦うなと念を押す伊地知の言葉を背に、宿舎の扉が閉じられた。
生得領域に入ると感じる、久しぶりに
悪夢の中にいるような、浮世離れした空気。
……居心地がいい。
悠仁はサーベルの柄頭に短刀を付けた両刃刀――
玉犬と連れ立って歩く伏黒の数歩先を、軽い足どりの悠仁が進む。
何度目かの分かれ道に出たところで悠仁が立ち止まり、両刃刀の柄を押し込んでサーベルと短刀の二本に分けた。
途端に今まで経験したことのない圧を感じて、伏黒の身体が硬直する。
眼だけを横に動かせば、顔に4本のラインが入った筋肉質の呪霊――特級呪霊がいた。
迷わず動いた悠仁が伏黒と釘崎を蹴り飛ばし、蹴った勢いのまま旋回して呪霊に斬りかかる。
その様子を視界の端で捉えた伏黒が、蹴られた腰を押さえ、痛みで動くようになった身体を起こした。
自分達の立っていた場所を確認すれば、どこへ続くとも知れない穴が広がっている。
「こいつは俺が狩る。二人は先に戻ってくれ」
サーベルに付いた血を払いながら言う悠仁の向こうで、呪霊が下半身の
悠仁を避けてこちらへ走ってきた呪霊だったが、背後から腹に腕を突き立てられ、その内側をさらけ出した。
自分と呪霊の血に濡れた悠仁が、何本目かの輸血液を脚に突き刺す。
だが呪力を受けた傷の治りは悪く、完全には塞がらない。
特異な攻撃はしてこないし、致命傷も負っていないが、徐々に傷が増えるのは鬱陶しかった。
呪霊も負傷してはいるが、治癒を使えるようになったのか、その傷は塞がりつつある。
狩るのが先か、動けなくなるのが先か……。こんなにも死を間近に感じるのは久しぶりだ。
「……生身で呪力を受けるからそうなる」
高揚する悠仁の頬に宿儺の口が浮かび上がり、その気配に特級呪霊は動きを止めた。
呆れた声で助言を始めた宿儺に、悠仁は内心、首をかしげる。
悠仁の取り込んだ宿儺の指は、たった1本。
宿儺にとって失くしても惜しくはないが、狩人だった悠仁が何になるかには、少々興味があった。
助言するのは気まぐれ。……あと、悠仁だけが交換できる血の酒は惜しい。
「呪力の源は負の感情。溜め込んだ怒りや恐怖を解放しろ」
その言葉に、悪夢での出来事が走馬灯のように蘇る。
診療所に始まり、ヤーナム市街を抜けて、聖堂街。
辺境までもを渡り歩き、最後にたどり着くのは……慣れ親しんだ狩人の夢。
大樹の下でゲールマンと戦った時に感じた、元から身体の中に存在していたような何かの感覚。
宿儺の指を喰ったときに感じたあれは、呪力を知覚していたのだ。
右手に握った落葉に、あふれ出した呪力が
悠仁はもう、夢を見ない。死んだら夢で目覚めることもない。
本当の死闘感に、今までにないほど集中できていた。
特級呪霊の弾き出した呪力を、前に飛び込んで
そのまま懐に滑り込み、落葉で切り上げた瞬間、斬撃は黒く閃いた。
「……動きたくない」
生得領域が消えた宿舎の壁にもたれて、宿儺の指を回収した悠仁が呟いた。
高揚感が消えると呪力も上手く出せなくなった上に、呪霊の呪力を受けた傷は塞がらないままだ。
「治してやろうか」
左手の甲に現れた宿儺の口が言葉を発する。……胡散臭いことこの上ない。
しかし、怪我をしたまま生活をするのも、悠仁には
「条件は?」
「代わっている間のことを忘れる」
それくらいは、短時間であれば問題ない。
だが宿儺は呪いの王で、挑んできた呪術師たちを
野放しにしたら、周りも自分も殺される。
「……その間、人に重傷以上の傷を負わせないなら」
少し悩んでから答えた悠仁に、宿儺が意外そうに返す。
「傷つけるなとは言わんのだな」
「他人への行動を強制するとリスクが高そうだし」
その言葉に、理解が早いのはいいことだと宿儺が笑った。
「縛りだ。時間は5分としよう」
先に脱出をし、伊地知に応援要請を頼んで見送った伏黒と釘崎は、生得領域が閉じるのを確認した。
悠仁が特級呪霊を祓ったのか、別の要因か……。
緊張が走った二人の前に、血に濡れた悠仁が現れる。
伏黒に向けて何かを投げ渡した悠仁の顔には、刺青が浮かんでいた。
距離をとって掴んだものを確認すれば、両面宿儺の指。わざわざ回収させる意味が分からない。
「……何が目的だ」
構えをとる伏黒たちに、宿儺は面倒くさそうに手を払う。
「お前らを殺すのは俺じゃない。……少し小僧の話をしよう」
そう言って語られたのは、五条でも見つけられなかった悠仁の強さの原因の一端――死んで繰り返す獣狩りの悪夢。
死者の遺志を継ぎ、自らの獣性に
「小僧は情のある相手と殺し合ったときに、格段に強くなった。……時折言葉を交わしただけの相手でも、だ」
宿儺が嘘を語っている可能性はある。だが悠仁の武器の扱いや立ち回り、物音や気配への勘の良さを説明するには十分だった。
「獣を狩る
伏黒と釘崎に向けられた宿儺の目が、時間だと言って閉じられる。刺青が溶けるように消え、目を開けばいつもの悠仁に戻っていた。
目の前のもつ鍋をにらみながら、釘崎は今日の任務でのことを思い返す。
自分らしくあるために必要なのは、物理的な力だけじゃない。
自分の意志を通せるぐらいに、気持ちも、立場も強くなる必要がある。
動くこともできなかった自分への怒りを鎮めるために、目の前の鍋を食べることにした。
鍋を食べ進めていれば、悠仁が蹴ったことを謝ってくる。こっちは助けられたというのに、謝られると居心地が悪い。
「大丈夫よ。硝子さんに反転術式で直してもらったから」
逃げてるときにできた怪我も、と苦々しく思いながら付け足すと、悠仁が不思議そうにこちらを見る。
「反転術式って何?」
釘崎が説明をすると、悠仁は口を開けて間抜け面になった。
話を聞けば、怪我を治してもらう代わりに宿儺と交代したらしい。
どうせ交代するなら、呪霊と戦うときから交代しとけと思った。
鍋のシメに何を入れるかの話を始めたところで、部屋の
「悠仁が大変なことになったって聞いたけど!」
珍しく焦った様子の五条の登場に、見上げた三人の動きが止まる。
伊地知の連絡を受けて急いできたらしい五条も、仲良く鍋をつついている三人を見て動きが止まった。
静かになった空間に、合点がいった伏黒の声が響く。
「……あ、虎杖が血まみれだったので、伊地知さんが驚いてましたね」
再び訪れる静寂。
伊地知マジビンタと呟く五条を見送り、三人は鍋に向けて手を合わせた。