たった一瞬だった
しかし捉えられない速さではなかった
やろうと思えばいくらでもその影に仕掛けることなど容易かった
だが彼は構えるどころか拳を握る事さえしなかった
殺意もなければ敵対心さえその通り過ぎて行った誰かからは感じなかった
そして何よりも彼が興味を示したのが“人間とは似ていて異なる匂い”そして人間には無い筈の尾と耳の位置
目覚めた時に感じた嗅覚の情報で最も疑問に感じていた元凶を彼はようやく見つける事が出来た
「……??何だ……今の……?」
前に居た帽子を被った男は飛びそうになった帽子を押さえながら先程の影を見ていた
彼は先程の存在を追うべくまた歩みを進め男二人の間を通ろうとして彼に気づいた2人は一瞬唖然としていたがすぐさま道を開けてくれた
「あ……す、すいません……」
(で、でけー!?カサマツにあんな人いたか?……観光目的の外国人、か……?)
「じょ、ジョーさん。大丈夫ですか?」
「あ、あぁ……なんか今日は急な驚きばっかだな。てかこの辺であんな奴いたか?」
「……さぁ」
後ろから聞こえる二人の声を無視して彼は先程の存在を追跡を始めた
匂いは覚えた
見つけ出すのにさほど時間は掛からないだろう
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追跡から数分後
匂いを頼りに歩いてから彼は1つの大きな施設に辿りついた
施設の周りには簡易な柵で囲まれ、部外者は入れないようになっている
門らしき壁にはこう書かれていた
「ウマ娘カサマツトレーニングセンター学園」
ウマ娘
先程の男が話していたワードが此処に書いてあった
どうやら馬ではなく、カタカナでウマと書いて読むようだ
そして先程から追っていた存在と似た匂いがこの施設内から多数感じる
ここ以外でも町からは人間に紛れて幾つも感じとってはいたがこの施設に関しては圧倒的に人間よりもあの存在と似た匂いが濃い
ウマ娘、未だにその正体は定かではないが先程の走り去って行った存在と無関係では無いはずだ
彼は軽く地面を蹴り、柵を超えて施設の敷地内に入り込んだ
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敷地内の建造物をあらかた調べ尽くした彼は今現在、とある倉庫内にいた
ごちゃごちゃと備品が置かれた物置部屋で此処に来る前に食糧の保管所兼食堂らしき所から拝借した半分に切られた豚のもも肉の塩漬け、通称ハムと林檎を1つ所持
それを口へと運び、赤い果実に牙を立て食事を始める
拝借してから数分ぐらい後に食堂からなにやら嘆きに近い声が複数聞こえた気がしたが彼は気にもしなかった
施設に入ってから分かった事は2つあった
まずこのトレーニングセンター学園は所謂1種の養成施設という事
主に座学による知識向上が基本だが、最も力を入れているのは身体能力向上の取り組みだ
受けているのは人間ではなく彼ら……否、彼女たちウマ娘だけのようだ
そして肝心の存在であるウマ娘
本が大量に保管された部屋(図書室)に潜入して幾つか歴史の資料を読み漁って分かった事
ウマ娘は太古の昔から存在し、人間たちと共存してきた他種族
つまりは人間の形に近しい、人間では無い生き物
彼女たちは人間には無い耳と尻尾を持ち、走る事に特化した強靭な脚を所持している事が主な特徴だ
産まれてくるウマ娘は皆必ず女性であり、男性のウマ娘は一人も存在しない。ならどうやって種を存続しているかは答えは簡単だった
ウマ娘の番は人間の男性だ。身体の構造は基本人間の女性と変わらない、故に生殖活動によって子を授かる事が可能だ
故に女性しか居ない他種族であっても今現在まで種の存続が出来たようだ
自分とは違う人間の形をした別種の存在
過去の記憶を辿っても彼女たちウマ娘という存在には会った事も聞いた事も無い
あの悪夢の中で共にいた仲間ならばなにか知っていただろうか?……この場所に居ない存在に期待してもそれは無駄な事だと悟る
……そもそも彼は未だに此処が何処で何故自分は生きているのかという疑問に今更ながら抱き始めた
目を閉じ、記憶を遡ると見えてくるかつて見た景色
幾度も年月を超えて、熟成を待ち、コルクを引き抜いた死都ロンドン
あらゆる生からの解放、死への隷属、こびりつく血臭死臭
響きあう敵と味方の悲鳴慟哭、その果ての最高の悪夢
一人の女に体をあっさりと貫かれたあの時、痛みと同時に感じた一抹の爽快感
身体中を走る銀の毒、眼前に広がるヴァルハラが果てのない幸福と興奮を与え、落ちていく意識の最中
全てが遊園地のアトラクションの様に綺羅びやかで、静まる湖畔に佇むように穏やかで、果たして自らを解き放つ瞬間だった
だが、彼に眠りは許されなかった
骸の扉を開くための鍵はもう無い
ただ眼前に拡がるはむせるような血なまぐさと硝煙の香りも無い
温く、何もかもが温く、何もかもが甘く、何の刺激もない世界だ
ガラガラッ
扉が開く音に反応し、顔をあげると泥に汚れた少女が部屋を見て震えていた
「夢の一人部屋……!ふかふかの布団!枕!蛍光灯まである!」
泥がついた服のまま畳まれた布団にダイブする少女
その表情はまるで純粋無垢な子供のように爛々と輝かせていた
「……はっ」バッ
なにかに気づいた様に少女は布団に埋めていた顔をあげ、ハムに食らいつく彼に視線を向けた
しばらくの沈黙の後、少女の口から唾液が滴り、自分から手に持ったハムに視線が変わる
察した彼は二口噛みついたハムの残りを少女に向けて差し出すように伸ばす
「くれるのか……!」タラタラッ
口を開くとさらに唾液が滴り始めた
首を縦に振り、肯定の意を示すと少女は彼の手からハムを受け取り口の中に頬張った
「はひがほう。はじっですごじごばらがずいでだんだ(ありがとう。走って少し小腹が空いてたんだ)」モグモグ
口に入れたハムを咀嚼しながら喋る少女
しばらくして飲み込んでから更に続けた
「君も、同室の子の荷物の片付けが終わってなくて此処にいるのか?ならば私たちはしばらくのルームメイトだな」
少女は耳をピコピコ動かしながら勝手に解釈して喋り始めた
「ハムありがとう……そう言えば見た事ある気が…そうだ走ってた時にすれ違っていたな。君もあそこで走っているのか?」
どうやら彼を同じ学園の学生だと勘違いしているようだ
服装も普通とも言い難い上にまず性別が違うという事に気づいていないのか、かなり抜けている性格のようだ
「あぁそうだ。ルームメイトなら名乗っておかないとな」
どんどん勝手に話が進む中
少女は自身の名を彼に告げた
「オグリキャップだ。よろしく頼む」