目無し足無し夢も無し 心を救う永遠の帝王   作:ルシエド

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「人と一緒に行動すると、自分を見失って、その人に似てきます。自分を保つためには、なるべく人と離れていた方がいいんです」

   ―――堀文子


13 ラナンキュラス ■■■■

 『優美な屍骸(le cadavre exquis)』。

 20世紀にシュルレアリスムが生み出した、『新たなる芸術』を生み出す手法の一つである。

 

 他の人が何を作っているかを知らないまま、自分の担当部分だけを制作し、結果的に誰も予想できなかった意外な作品が生まれるという『皆の芸術』の一種。

 つまり、現代で言うところのリレー小説の意外性、自動生成文章の面白さ、合作コラージュ画像の良さなどの始祖とも言えるものだ。

 

 全員が書いた文章がしっちゃかめっちゃかに繋がって、AIの自走生成文章のような面白い詩が生まれる。

 それぞれが本気で作った彫刻を組み合わせた結果、まるで地獄の隅に住んでいそうなキメラの立体が出来上がる。

 映画制作であるのに、5人の脚本家が自分の前の脚本の最後の5ページしか確認できないという、異様な前提で作った長編コメディ映画も世に出た事がある。

 絵の場合は四つ折りにして四人が四部分を書き終えた後に広げるという手法や、完成した絵を糊で貼り付けるものなどもある。

 布の絵の上に、紙の絵を貼り付ける手法も珍しくはない。

 

 なればこその優美な屍骸(le cadavre exquis)

 これを思いついた文化人達が最初に遊んで生み出した文章は、優美な死骸はワインの新酒を飲むだろう(Le cadavre – exquis – boira – le vin – nouvea)―――であったと言われている。

 

「つまり、二人で別々に絵を描いて、後で合体させようってこと?」

 

「そういうこと」

 

 少女はぶんぶんと首を振った。

 

「ムリムリムリ! センセーの絵とボクの絵で釣り合うわけないじゃん!」

 

「いいんだよ、そんなに重くとらえなくても。もとは遊びの一種だしね」

 

「えー、うーん」

 

「きみと一緒に遊びたいんだよ。それだけ。いやかな?」

 

「センセーズルだよ。そういう言い方されたら断れないじゃん」

 

「ははは。色えんぴつとかクレヨンとか、いろいろ持ってきたからすきなのを使っていいよ」

 

 画架が二つ。

 折り畳みの椅子が二つ。

 筆が一本、色鉛筆が一本。

 キャンバスが一つ、画用紙が一つ。

 二人で同じレース場を眺めて、違うものを書き始めた。

 

 互いが互いの絵を見ないようにして、少女は絵の真ん中を、少年はそれを取り巻く全てを担当することを決める。

 少年の絵に、最後に少女が描いた絵を貼り付ければ完成だ。

 

 少女は今までやったことのない絵の形式にワクワクし、いつも憧れと尊敬をもって見ていた彼の絵に自分の絵が加わることに不思議な高揚を覚え、初めて彼と並んで絵を描くという今に、自分でもよく分からない安らぎを感じていた。

 それは先進国のストリートアートではよく見られるという、憧れのアーティストが道路に描いたものの横に、自分のアートを書き加える時の気持ちが近いだろう。

 感じている高揚と安らぎだけが、彼女の内より生まれる特別な感情だった。

 

「センセー、なんでいきなりこんなもの描こうと思ったの?」

 

「きみに全てがバレて……これまでのことを思い出して、それで、すこし思い直したんだ」

 

 少女が首をかしげて、少年は答える。

 

「きみと過ごした時間も、わたしにとってはなによりかけがえのない宝物だ」

 

「!」

 

「きみだけじゃなく、幸せなこの時間も、絵の中で永遠にしたいと思ってね」

 

 彼が彼女を描けば、彼が見た彼女は絵の中に描き残される。

 絵が残る限り、それは永遠になるだろう。

 だが、それだけだ。

 絵にされるのは、『彼が見た彼女』のみ。

 

 今、ここで創られようとしているのは、『彼と彼女が過ごした時間』だ。

 彼と彼女の二人で一つの絵を創ることで、それを何よりも正確に形にしようとしている。

 二人で創った絵画ならば、何よりも二人の思い出の形として相応しいだろう。

 

 描く者、観る者、描かれた絵、それが渾然一体となる表現技法。

 近年の現代アートを代表する一人であるフェリックス・ゴンザレス=トレスなどが得意とする『観客参加型芸術』と同じ系譜に属する、彼と彼女だけの特別な芸術であると言えるだろう。

 

「もー、しょうがないなーセンセーは。ボクじゃなきゃ付き合ってあげてないんだからね?」

 

「ありがとう、お嬢さん」

 

「クレヨンは流石に……色鉛筆でいいか……うわあ150色!? なにこれ!?」

 

「どうしたの」

 

「どうしたのはこっちのセリフだよセンセー! 小学校なら24色で羨望の目で見られるよ!?」

 

「そ、そうなのか……まあすきな色使ってね」

 

「うん! センセー! 聞いていい?」

 

「なんだい?」

 

「色が英語表記なせいで読めないんだけどこれ何色!?」

 

「……ちょっと待ってね、えんぴつの側面に色の名前彫ってあるから」

 

 なんやかんやとわちゃわちゃして、二人は描き始めた。

 

 少年は迷いなく、少女が何を描いてもそれなりに映えそうなものを描く。

 

 少女は最初は迷っていたが、何かを思いついた顔になると、一気に色鉛筆を走らせた。

 

「お嬢さんは何を描くんだい?」

 

「秘密!」

 

「そっか。描き終わったら触れて見るのが楽しみだ」

 

「下手でも笑わないでよ? ボク、絵はそんな自信あるわけじゃないからさ」

 

「笑うものか。絵に本質的な上手い下手はないよ。あるのは本気か適当かだけさ」

 

「ふーん。じゃあセンセーの描き始めの頃の絵とか見せてよ」

 

「えっ……ああいや、昔のわたしの絵は……下手だし……」

 

「上手い下手はないんじゃないの?」

 

「うっ」

 

「あははっ。

 いーのいーの、ボクの絵は下手でもいいから、庇わなくていいんだよ。

 センセーの上手な絵が好きだから、センセーより上手くなれる気がしないしね」

 

「ぐぅ……いや本当に……芸術は上手い下手では……」

 

「あはははっ! センセーが困ってる! めずらしっ!」

 

 話し合って、笑い合って、語り合った。

 

「むう……思ったほど上手く描けないや……」

 

「最初はふんわりと描く気持ちがいいと思うよ。

 画用紙はいっぱい持ってきたから、失敗を恐れずにね」

 

「はーい。ふふっ、センセーが先生みたい」

 

「人に教えたことはないんだけどね」

 

 楽しいことを。

 

「今日はねー、オススメの飲み物買ってきたんだよ、いでよはちみー!」

 

「おや……はちみつの香りがするね。レモンの香りも少々。飲みものかな?」

 

「はちみつドリンク飲んだことないの? そりゃそっか。めっちゃ美味しいよっ!」

 

「はちみつ主題の現代アートジャンルがあるのを知ってるくらいだね、わたしは」

 

「あるんだ……」

 

「実は今日はおやつも持ってきてるんだ。一時間は描いてたし、すこし休憩して食べようか?」

 

「おおー!」

 

 楽しいことだけを。

 

「ねえ」

 

 楽しいことだけを、話して。

 

「センセーさ、なんで笑ってられるの?」

 

 いられるわけがない。

 

「ごめん、ボクあんまり食欲ないや」

 

「そうか」

 

「センセー、死んじゃうんでしょ?」

 

 少年から貰ったお菓子を一口かじって、持ってきたドリンクを飲むのもそこそこに、少女は真剣な顔で少年を見つめる。

 少年はいつものように穏やかな表情で、死が近いだなんて全く思えない。

 やがて来る死を知ってから年単位の時間が経った少年と、まだ全然時間が経っていない少女との間で、受け入れ度合いの差があるのは当然のことだった。

 

「意味分かんないよ。なんで楽しそうなの。なんで幸せそうなの。

 だからずっと……センセーが死にそうだなんて、死んじゃうだなんて思わなかったのに」

 

「きみがいたからだよ」

 

「本当に? それだけ?」

 

「うたぐりぶかいなあ」

 

「だって……ボクそんな、センセーに特別なことしてないし。何もしてあげられないし」

 

 少女の内に、無力感が芽生えていた。

 かつて折れた足で思うように走れないままレースで負けた時に似て非なる無力感があった。

 『頑張っても意味はない』という実感。『求めるものは得られない』という現実感。『どうにもならない』という敗北感。

 かつては"なにくそ"と思えたが、相手が病気では叶わない。

 相手が病気では、敵わない。

 

「きみはいつも、わたしの手を引いて、わたしを気遣ってくれるじゃないか」

 

「え? いや、そんなこと誰でもするでしょ。当たり前のことしかしてないよ、ボク」

 

「……ふふふ。きみはまぶしいなあ」

 

「?」

 

 『自分には彼に何もしてあげられないという無力感』そのものが、彼女の途方も無い善性と、彼が彼女を太陽と見る理由の、存在証明だった。

 それを当たり前と言えることが、何も特別なことはしていないという彼女の認識が、ごく当たり前に月を照らす太陽のようだった。

 彼女は最初からずっと、彼を救い続けているというのに。

 

 少年はクッキーをつまんで、口に運ぶ。

 食べ物は何を食べるかだけでなく、誰と食べるかで味が変わるものだ。

 少年は少女の横で、美味しそうにクッキーを食べて微笑んでいる。

 

「わたしが笑ってごはんを食べられるようになったのは、つい最近なんだ」

 

「え?」

 

「子どものころからずーっとわたしは、笑えないまま生きていてね」

 

 "食事で幸せな気分になる"という、当たり前すらも。

 

「きみのおかげだ。きみと出会ってから毎日がきらきらしてて、毎日がしあわせなんだよ」

 

 彼は、彼女から貰ったのだ。

 

「分かんないよ。センセーの気持ち、全然分かんない」

 

「じゃあ、きみが走っている時の観客の気持ちも分からないのかな?」

 

「え?」

 

「走っているきみを見て、勝ったきみを見て……

 みんな、最高の笑顔を浮かべていたんじゃないかい?」

 

「え……あ」

 

「人には本能があるんだよ。

 『すてきなものを見たい』というものが。

 人にはそれに繋がる機能もあるんだ。

 『すてきなものを見たら元気になる』というものが。

 ウマ娘が走って、画家が絵を描いて、そして人はすてきなものを見るのさ」

 

 素敵なものを見たいという本能と、素敵なものを見たら元気になるという機能、人は誰もがその二つを持っている。

 

「きみの笑顔を見たかった」

 

 素敵なものを生み出せる人がいる。

 

「雲混ざる青空から、夕焼けに変わっていくような、二着の勝負服も見てみたかったな」

 

 素敵なものを作り出せる人がいる。

 

「でもそれは高望みだから、諦めてる。いまでじゅうぶんにしあわせだしね」

 

 そして、生まれつき、そういう素敵なものを見ることができない者もいる。

 

「わたしが出会った人の中で、きみが一番素敵な女の子だって、絵で証明してみせる」

 

「―――」

 

「皆が知らないところで、一人の人を救った女の子がいたことを、見ただけで分かる絵を描いて」

 

 描いて、証明する。

 

 いつだって、彼が好きになる素敵なものは、彼が見ることのできない世界に息づいていた。

 

「きみはやさしい。

 周りの人を好きになって、大切に思ってるのが伝わってくるよ。

 わたしみたいな付き合いの短い人間すら大切に思ってくれてて、本当にうれしい。

 きっときみは、大切な人が傷ついた時、わたしなんかよりもずっと悲しむんだろうね」

 

「そんな……」

 

「わたしが死んで、そんなきみが悲しまないでいられたら」

 

 己の人生に夢見ることができず、未来に夢見ることができなかった少年は、夢を見た。

 

「最後の最後に、別れる悲しみに、出会えた喜びが勝るなら。きっと、それは悲劇じゃない」

 

 彼女がこれからずっと悲しむことなく、笑って、幸せで居られたら良いな、と。

 

 そんな夢を見た。

 

「難しいよ、きっと無理だよ、そんなの。だって……センセーが居なくなるの、嫌だよ」

 

「きみに全部バレてしまったからね。わたしはそこを目指すしかないんだ」

 

 今少年の敵は唯一つ。

 残酷な世界ではない。

 最悪の運命ではない。

 迫りくる死でもない。

 悲しみだ。

 彼と彼女の物語を悲しみに終わらせないことだけを祈望し、筆の剣を握っている。

 

「どうか穏やかに、悲しいことだなんて思わないで、笑ってお別れできたらと……そう思う」

 

「悲しいことは悲しいことだよ、無くなったりなんかしないよ、センセー」

 

「さあどうだろう。悲しいことは、悲しいことのままなのかな、お嬢さん」

 

 彼は知っている。

 悲しみを打ち倒すヒーローが居ることを。

 彼の内に根付いていた悲しみを、既に彼女が打ち倒していたから。

 

「もうわたしは悲しくないんだ。

 悲しみは消えるんだよ、お嬢さん。

 誰かが誰かの悲しみを消すことはできるんだと……今のわたしは、信じている」

 

 少年が立ち上がり、筆が動いて、絵に色が乗った。

 

 

 

 

 

 描いて。

 描いて。

 描いて。

 二人が描き上げた絵が合わさって、一つの絵が完成する。

 

「これ、もしかして、わたしかい?」

 

「うん」

 

「ありがとう。とても嬉しいよ」

 

「ん」

 

 速乾の絵の具が作り上げる緑の風景の中心に、少女が描き上げた一人の人間が居た。

 

 少女は遠目にレース場を見ながら、草地をとんとんと踏んで、ありもしない可能性を思い、何の意味もないぼやきを漏らす。

 

「あーあ、どんな怪我でも病気でも治せる薬があったら、すぐにセンセーに使うのに」

 

「そんなものがあったらわたしがきみに使っているよ。きみの足の怪我を治したい」

 

「……センセーはさぁ!」

 

 砂の城に触れるような気持ちで、笑い合った。

 

 出来上がった絵は、なんてことのない絵だった。

 

 彼が描いたのはこの場所の風景。

 彼女が彼を最初に連れて来てくれた場所。

 二人で幾度となく会った場所。

 レース場の夢の熱に触れられる、レース場を一望できる草原。

 彼女が何を描いても合うよう、無難な風景を高いクオリティと独特の色彩で組み上げていた。

 

 彼女が描いたのは、いつも見ていた彼の描き姿。

 いつもレースで、彼女は多くのウマ娘の背中を見てきた。

 その全ては追い越すための背中だった。

 見てきた背中のほとんどに彼女は挑み、それを追い越し、勝ってきた。

 彼女の中で、"追いつけなかったマックイーンの背中"の次に印象深い背中は、触れるだけで溶けて消えてしまいそうな、描いている時の彼の背中だった。

 

 少年は彼女との思い出深いこの場所を描いて、少女は記憶に残る彼の描き姿を描いた。

 

 かくして、出来上がった絵は、ここに来ればいつだって見れる風景のそれに成っていた。

 

 彼が描いた世界に、彼女が描いた彼が居る。

 

 それはまるで、彼が此処に生きていた証のような『美麗な屍骸』で。

 

 綺麗な絵としては死んでいて、芸術としては美しい。

 

 壊れているようなのに、それが完成された形で、アーティスティックで。

 

「人生はいつか終わる夢だ。それをわたしは、たのしい夢にしたいのさ」

 

「……」

 

「だから永遠を探してたんだよ。永遠にしたい刹那を探してたんだ」

 

 何故、人々が『それ』を美麗な屍骸と呼び続けたのか―――その意味を、少女は自分なりの理屈で理解した。

 

 見る者の数だけ解釈が在っていいから、それは芸術と呼ばれるのだ。

 

 

 

 

 


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