また、アンケートの回答ありがとうございました。あらかじめ注意事項として「質を求めるならば~」と書いてはいますが、やはり小説を書くとなると上を目指して書きたいので。
伊黒さんが靴下を渡す話をひとまず書いてはみたんですが、コレジャナイ感が凄まじかったのでやめました。そのため鏑丸がひと肌脱いだところで話を終えています。悪しからず。
「悲鳴嶼さんが住んでるのはここであってるんだよね?」
「………ソウヨ」
無一郎からの問いに、普段は元気良く返事をする銀子だが、今の銀子はナメクジに塩を振ったようにしおしおとしていた。それは金子も同じようで、先ほどからずっとため息を吐いている。
「ウウゥ………キット私タチ捨テラレルノヨ」
「ソウネ………キット無情ニ捨テラレルノヨ」
「さっきからうるさい」
くよくよ鳴いて、さながら呪詛の如く吐き出される悲哀の声に、ついには有一郎が顔をしかめた。
それに気付いた様子はなく、それぞれの肩に乗っていた姉妹は、「「ダッテ」」と嘴を開く。
「「猫ヲ触リタイッテ………ウオオオオオンンン!!!!」」
漆黒の両翼を開き、天を仰いで本格的に泣き出した金子の翼が有一郎の頭に当たった。有一郎の目がますます冷たくなる。
冗談を言っているように聞こえるが、これは金子と銀子の紛れもない本音である。
無一郎から以前、岩柱である悲鳴嶼行冥の屋敷に行く理由をカミングアウトされてから、金子と銀子は次第におかしくなった。
初めは鬱陶しい程に付きまとい、そして布団の中まで入り込むようになり、最終的には唐突に笑いはじめ、時に泣くようになった。情緒が不安定すぎる。どこぞの何塚のほうがまだちゃんとしてる。
そうこうしているうちに、ぽつんと建つ屋敷に辿り着いた。
未ださめざめと泣いている金子の相手を無一郎に任せ、有一郎が家の戸を叩く。
「すみません、悲鳴嶼さんはいらっしゃいますか?」
ここでひとつ。悲鳴嶼行冥は目が見えない。いわゆる盲目と言うものだが、その分彼は耳が格別優れている。その事を無一郎づてに知っている有一郎は、家の中から一切の物音がしないことに不審を抱く。
「……ごめんくださーい」
もう一度声をかけて確認してみるが、出てくる気配がない。買い出しにでも出掛けているのかなんなのか。とりあえず、仕方がないので近くで待とうかと、座れそうなものが無いかを探そうとして――――。
そこまで考えた時、鳥肌が立つような既視感を覚えた。そう、これは確か、育手の家の前で―――と、思い出したくもないことを思い出してしまった有一郎は、念のために後ろを振り向いた。
「……流石にないか」
後ろにあるのは地面にひっくり返ってじたばた喚く金子と銀子。流石の姉妹と言うべきか、一挙手一投足が全く同じだ。
疑ってしまったことに対して申し訳無さを感じながらも前を向くと、目の前に猫がいた。
「うわっ!?」
「あっ、こんにちは悲鳴嶼さん、お邪魔します!」
「南無……よく来た、歓迎しよう」
猫を持っていたのは他でもない行冥。その巨体に似合わずなんの物音もさせずに近づいていたのは、やはり鬼殺隊最強と言われるものか。ただ、抱かれている猫によってどこかちぐはぐ感があるのは拭えないが。
「じきに昼時だ。腹が空いているだろう? お昼の用意はしてある」
「「ありがとうございます」」
招かれた居間。囲炉裏には鍋が吊り下がり、中には煮物が煮えていた。
「いただきます」
三人同時に唱和して、目の前の食事に箸をつける。
なお行冥が抱いていた猫はどこかへと走り去り、その原因である金子と銀子は、「逃ゲンジャナイワヨ泥棒猫ガァ!!」と追いかけていった。
「……うちの鴉がすみません」
有一郎も無一郎も、正直穴があったら入りたい気分だった。
始めは少しぎくしゃくとした雰囲気だったが、幸か不幸か金子たちのお陰でその雰囲気もだいぶ薄れた。
「マテコノ雌猫! ウチノ無一郎チャンタチニ色目使ウンジャナイワヨ!」「皮剥ギ取ッテ三味線ニシテヤルワ!!」
賑やかな声が聴こえた途端、三人は束の間無言になり、そして堪えきれずに無一郎が小さく噴き出した。
「ご、ごめんなさい」
笑うのを堪えた肩の震えが声にまで伝わっている。
行冥は無一郎が、きっと顔を手で覆って笑いを堪えているのだろうと想像して、うっすらと笑った。
「好かれているのだな」
「……はい。少し手に負えないところもありますが」
堪えている無一郎の代わりに有一郎が答えた。
話を変えたい無一郎が、一度箸を置いて口を開く。内容は岩屋敷に来た二つ目の理由だ。
「……その、ここにしばらく居ても良いですか? できれば悲鳴嶼さんに修行をつけて貰いたくて」
「構わない。玄弥の刺激にもなるだろうしな」
「「玄弥?」」
「弟子だ」
詳しく訊けば、玄弥とは行冥の元で鬼殺隊になるべく鍛えた青年のことだそうだ。呼吸の才能がなく、代わりに鬼を喰らって鬼を斬るらしい。
「鬼を食べる……」
「ああ。咬合力が並外れて強く消化器官も強いゆえにできる。流石に副作用が無いとは言い切れんが」
「そうなんですか。……お腹壊さないのかな?」
「そこ重要じゃないだろ」
すかさず飛んだ突っ込みに、無一郎があははと笑う。
「今は任務に行っている。帰ってきたら紹介しよう」
・
・
・
「初めまして不死川玄弥です」
「俺は時透有一郎」
「僕は弟の時透無一郎だよ。ところで君のお兄さんって、風柱の不死川実弥さん?」
「は、はいっ、俺の兄です」
「やっぱり! 似てるもん」
「そ、そうですか。具体的にどこが?」
「ヤクザっぽいとこ!」
「失礼だぞ無一郎。そんなことは思っても言わないんだぞ」
「兄さんもひどいこと言ってると思うよ」
「…………」
なんて挨拶テロされた玄弥は、その日はずっと落ち込んだままだった。
―――………
「前にここに来る理由として、修行をつけて貰うって言っただろ」
「「…………テヘ?」」
「なんなの? 三歩歩けば忘れる鶏頭仕様なの? 二羽揃って黒い鶏なの?」
「「ウワァァァ!! 今言ッチャイケナイコト言ッタァ!!!」」
「本当のことだろ。お前ら俺たちの鎹鴉なんだからもっとしっかりしてくれよ。恥をかくのは俺たちなんだから」
「「…………ウゥ……ワカッタワ」」
有一郎からの説教を頂いた金子と銀子は、有一郎が居なくなった途端、互いの顔へと目をやった。
「銀子……」
「金子……ワカッテルワ」
女性は男性に浮気された場合、その湧き出た憎悪と憤怒は浮気をした男ではなく、男を誑かした女へと向ける傾向があると、自称鴉界のファッションリーダーが言っていた記憶がある。
『オメェラ知ッテタカ?』
『知ラナイケド、ソンナワケナイジャナイノ。馬鹿ジャナイノ?』
『ソウヨ、浮気ヲシタ男ガ悪イノヨ。ナノ二相手ノ女二怒リヲブツケルナンテ、オカシイワヨ』
『ヘッ、コレガ分カラナイナンテ、マダマダオ子チャマダナ』
『『アァン?』』
その直後に、ワッチャー! と喧嘩したから忘れていたけれど、確かに言っていた記憶がある。その時はまだ、好きだの恋だの愛だのがどういうモノか理解できなくて、何も知らない無垢なヒヨコだった。尻に卵の殻をはっつけた様な、頭に殻を乗せた様な、何も知らない、ただの子どもだった。
今ならあの時の言葉が真に理解できる。
有一郎や無一郎が悪いなんてことは有り得ない。たとえ“悪”を定義するのなら、二人を誑かしほくそ笑む奴こそが“悪”なのだ。
悪は追い立てなくては。
悪は滅ぼさなくては。
悪は消し去らなくては。
悪というものがこの世にある限り、私たちは夜も眠れない。
悪を殲滅せよ!
悪を破滅せよ!!
悪を滅殺せよ!!!
これは正義である。我らが正義の代行者である。
「「駆逐シテヤル!! ココカラ猫ヲ……一匹残ラズ!!」」
―――………
わかっている。これは夢だと。
家の壁であったもの、柵だったもの、柱であったもののがそこらじゅうに散らばっている。
その中央には血に濡れた包丁を持って、呆然と立ち尽くす少年。
顔にある二つの大きな傷から血が流れている。
知っている。これは夢だと。
「何でだよ!! 何でだよ!! 何で母ちゃんを殺したんだよ!!」
俺の腕の中で血まみれになっている女性は、紛れもない母ちゃんだった。
その母ちゃんを殺したのは、他の誰でもない兄ちゃんだった。
「人殺し!! 兄ちゃんの人殺し!! 人殺し―――っ!!」
なんでこうなったのか。一体お袋が何をしたのか。
いつもの日常のはずだった。変わらない日々のはずだった。
毎日毎日朝から晩まで働いて、俺たちのために身を粉にして働くお袋が、その日は日付が変わってしばらくたっても帰ってはこなかった。
兄ちゃんはそれを不安に思った俺たちの頭を順に撫で、「捜してくるよ」と家を出た。その手に包丁を持って。もし野犬や狼に襲われていたら、と不安だったのだろう。俺たちは兄ちゃんの背中を見送り、安心して眠りについた。
けれど心の底からは不安が拭い切れなかった。だから誰ともなく目を覚ました。誰かひとり起きれば、誰かがつられて起き、結局みんなが目を覚ました。
隣に敷かれた兄ちゃんの布団は、未だに冷たいままで、あれから帰って来ていないことを示していた。
「母ちゃん戻ってこないね。大丈夫かな」
「今までこんなに遅くなることは無かったのに、もう夜が明けちゃうよ」
弘はそう零し、貞子も窓の向こうを見て不安を募らせる。
「大丈夫だよ。起きたら兄ちゃんも母ちゃんも戻ってるよ」
そんな弟たちを見て、安心させようと言った時だった。
荒々しく戸を叩く音がした。
そこからが地獄の始まりだった。
戸を粉砕し天井へと移動したそれを、野犬か狼かと思った。それは、瞬く間に弟たちを血の色に染め上げ、低い唸り声をあげた。
「玄弥逃げろ!!」
狼を追ってきた兄ちゃんが突撃して、兄諸共二階から外へと落ちた。
俺はすぐに医者を呼ぶために駆けだした。
しかし医者の住む家への道の途中で、血に塗れた兄ちゃんがいた。遠目でもすぐにわかるくらいに、兄貴の羽織に血が飛び散っていた。
その時にはもう、空は白んでいたから、そのせいで俺は見てしまった。兄ちゃんの足元に転がるものを。
獣だと、狼だと思ったそれは母であったのだと。
訳が分からなかった。
なんで母ちゃんは俺たちを殺そうとしたのか。
なんで兄ちゃんが母ちゃんを殺したのか。
混乱するままに母ちゃんの体を抱きしめて泣きじゃくり、俺は愛しいはずの兄ちゃんに向かって、あらん限りの声で、人殺し、と何度も叫んだ。
愛する母を手にかけて、兄ちゃんは一体どんな思いだったのだろう。
どんな思いで包丁を振り下ろしたのだろう。
どんな覚悟でトドメを刺したのだろう。
母ちゃんが人間であったのなら、それだけで済んだのだろう。
兄ちゃんの傷は癒えるものに過ぎなかったのに、その傷に塩を塗り込むように母ちゃんの体は崩れた。
腕の中の母の体は、朝日に照らされると劣化した本のようにぼろぼろと崩れていった。白い肌がくすんだ灰色になり、骨も残さず灰となった。その灰すらも風に攫われた。
人間であるのなら、そうはならなかった。
だから俺は知った。悟ってしまった。
母ちゃんは人在らざるものになったのだと。
そう理解した瞬間、津波の様な後悔が押し寄せた。
命がけで俺たちを守ろうとしてくれた兄を、俺は混乱のままに罵った。
最愛の母を手にかけて、打ちのめされていた時に必死で守った弟から罵倒されてどんな気持ちだっただろうか。
ただでさえ兄ちゃんは、獣だと思い込んで殺めたものが母であったと知って傷ついたのに、俺の的外れな言及はその傷を無理矢理広げるものだった。
そして人間では無くなった母ちゃんを手にかけて、兄ちゃんはきっとこう思ってしまったのかもしれない。
俺が殺したのは母ちゃんじゃない、と。
あるいはこうも思ったのかもしれない。
自分の子を自分の子だと知る前に、母ちゃんを殺してやれて良かった、と。
そう思ってしまっていたのなら、どれほど自己嫌悪に苛まれただろう。どれほど感情を押し殺したのだろう。
弟に傷を広げられ、そう思った自分を親不孝者だと塩を塗り、心に癒えぬ傷を負って、心も体も満身創痍になって。
そして、兄ちゃんはいつの間にか消えていた。
俺はその後を追えず、かと言って家には戻れなかった。あの小さな家には、部屋いっぱいの地獄で広がっていたから。
「ああ、ああっ、………あああっ」
かつて兄ちゃんと約束したのに。俺と二人で一緒に守ろうって約束したばっかりだったのに。俺は何もできなかった。命がけで俺たちを守ってくれた兄ちゃんと引き換え、俺は抱いていた一番小さな弟さえ守れなかった。
「あ、ああ……ああああっ!!」
夢は何時も、ここで終わる。
・
・
・
「くそっ……」
この夢を見ると、もう一度は眠れない。こういう時はいつも、俺は外に出て滝のある場所に向かう。
「くそっ! くそっ! くそったれぇぇぇ!!!!」
ここならどんなに大きな声で叫んでも、滝の流れる音で搔き消される。
「わかってるさ! 俺のせいだってことは!!」
あの時兄貴を追い掛けていれば、兄貴の側に居られたのかもしれない。
「あああああああああ!!!!!」
もちろん俺は努力した。兄貴の側に居られるように。
兄貴の今の立場は柱。柱はそう簡単に会えるものじゃない。基本的に柱は柱か、その継子としか会えない。
「くそ! 何でだよ! 何で俺は呼吸が使えないんだ!!」
呼吸が使えないなら柱になる可能性はゼロに等しくなる。幸いにも俺は鬼喰いで戦えるが、弱い鬼しか倒せない。強い鬼ならそのぶん強くなれるが、それは鬼を喰えたらの話だ。鬼を喰う前に俺が喰われてしまう。
「くそぉぉぉぉぉ!!!!」
湿り気を帯びた空気が肌を撫ぜる。
滝の水飛沫が頬を伝う。
その様は、あの日の俺の、心によく似ていた。
「うるさいなぁ。今何時だと思ってんの?」
―――………
手水に起きた帰りだった。偶然家を出て行く玄弥が見えたから、どこに行くのか気になって着いていっただけ。
「時透さん………」
覗き見ていた木の陰から出て、驚いて振り返った玄弥の前まで歩く。
「そうやって騒いで、現状どうにかなるもんなの? そんな訳ないだろ」
「っ、分かってるさそれくらい! だけど!」
「だけど何? 分かってるならやるべきことやれよ」
「うるさいうるさい! お前に何がわかる!! 呼吸が使えるお前が!!!」
歯を剥きだし、目と肩を怒りで震わせて、玄弥は溜め込んでいた感情を爆発させた。
「俺だって使えるもんなら使いてぇよ! でもできねぇから鬼喰ってんだよ! どんなに頑張っても呼吸ができなくて、悲鳴嶼さんからだって言われたさ! 悲鳴嶼さんだけじゃねぇ、他の人からも言われたさ! お前は呼吸の才能がねぇって!! そう言われた俺の気持ちがお前にわかるかよ!!!」
「わからない。わかるはずがない。俺は玄弥じゃないんだから。でもそうやって誰かを妬んで、恨んで、お前に何の利がある? なんもないだろ。ただ空しくなるだけだ」
似たようなことは俺にもある。俺だってかつては他人を妬んだ。神様にだって恨んだ。仏様も憎んだ。
父さんと母さんを亡くしてからも、亡くす前からも、神様も仏様も何もしなかった。救ってくださることはなかった。そう悟ったから、俺は現実を見て、弟を守るために必死に働いたんだ。それは鬼狩りになった今でも変わらない。
「呼吸が使えないなら、他の手段で鬼を斃せばいい。現に蟲柱の胡蝶さんは毒で鬼を斃してる。お前の場合は鬼喰いだろ。ならその手段を突き詰めろよ」
そう言えば、玄弥は頭を垂れて下唇を噛んだ。きつく握り込まれた玄弥の拳は震えていた。
「…………ああ」
年下に刺々しい物言いで言われたせいなのか、その声は滝の音でほとんど消され、微かにしか聞こえなかった。
玄弥はそのまま沈黙したままだったけど、帰ろうとする俺を見て「なぁ」と声を掛けてきた。
「相談したいことがあるんだ」
「………乗り掛かった舟だ。最後まで聞いてやる」
「鬼喰いなんだけど、どこまで知ってる?」
「鬼を喰えば頸以外の傷は治る、強い鬼ほどその分強くなる。これくらい」
「その強い鬼ほど喰った時強くなるんだが、その肉を喰うまでに俺がやられる可能性が高くなるんだ。なんかいい案ないか?」
「なるほど……」
安全で鬼の肉を喰らうにはどうすればいいってことか。
「ひとつ、鬼の肉を常時携帯すること。ただその鬼の肉の元の持ち主が死んだらその肉も消える。更に携帯している鬼の肉が太陽に当たってもだめ」
「はい、そうっすね」
「ふたつ、これが一番の最善策。日輪刀と同じ効果を持つ銃を使うこと。これなら遠い所からの狙撃で鬼を斃せるし、斃せなくても鬼の肉は手に入る」
「え、銃なんてあるのか!?」
「空を飛ぶ鬼がいるし、戦闘時の援護も含めて刀鍛冶の人たちにお願いしているらしい」
空を飛ぶ鬼。かつて無一郎が戦った鬼だ。無一郎から聞いたところによると、既に試作はできているらしい。
「担当の人に相談するか、刀鍛冶の里に行ってみれば?」
「ああ! そうする。ありがとう。本当に!!」
始めはとても厳つくて険しい顔だった玄弥はその瞬間、ようやくその年頃らしい笑みを浮かべた。
―――………
「………ハァ」
藪椿が散りばめられた庭。その中心で鍛練をしていた時だった。
一通りの鍛練が終わり、流れが途切れ、自分しか居ない場にふと訪れた静寂。そこにポツンと落ちた小芭内のため息。
不安混じりのその声は、地面に沈み込むように消えていった。
「…………」
蛇屋敷の縁側に座った伊黒小芭内は、左胸を羽織の上からそっと押さえる。
甘露寺蜜璃への贈り物として買った靴下は、ずっと小芭内の胸の中にしまわれている。
空を見つめる小芭内は、買ったその日から思い悩んでいた。食事の時も、鍛練している時も、鬼殺をしている時さえも。その悩みを吹き飛ばすように鍛練に打ち込んでも、ふとした瞬間にまた悩む。
果たして俺が、これを渡しても良いのだろうか、と。
(汚い一族に生まれた俺から、何の穢れも無い君に贈り物などしても良いのだろうか、いや、そもそも受け取って貰えるのだろうか)
そんな思いが逡巡し、深い霧の中を彷徨っているようだった。
そう思うたびに、小芭内は靴下をしまっている羽織の内側を触る。
『私今回柱に任命された、恋柱の甘露寺蜜璃と言います!!』
(………)
そう言われたのはもう二ヶ月以上も前のことなのに、その言葉は今も瑞々まで潤ったままで、その笑顔も少しも色褪せることなく、今もこうして第二の心臓のように脈を打つ。
「俺は一体どうしたら………」
「カァァァァァ任務! 任務!!」
空を横切り塀に降り立った鎹鴉が、小芭内へと任務を告げた。
「わかった。すぐに行く。……鏑丸」
己へと差し出された腕をするする上る鏑丸は、友人のためにひと肌脱ぐことを決意した。
―――………
紫刀を抜く。目を閉じて深く呼吸をする。そして踏み込む。
「壱式 闇月」
岩屋敷に訪れてからはや二ヶ月。無一郎は既に自分の屋敷へと帰った。俺はどうしても“式”をものにしたくてここに居る。
そもそも何故家に伝わる“式”で鬼を斃せたのかが不明だ。俺の遠い先祖が鬼狩りだったのか。でもそれならあまね様が俺の付けてる耳飾りが初見なのがおかしい。単に知らなかっただけかもしれないけど。
「弐式 弄月」
他にもおかしいところがある。呼吸の型名にはそれぞれ、壱ノ型 垂天遠霞や、弐ノ型 八重霞のように型名を表す字は漢字だ。そして“式”の式名も同じだ。妙に共通している。
型名の後に技名があるのも“式”と同じだ。けれど“式”の最後である陸式は違う。途中で失伝したのか、技名が無い。式名である陸式で終わっている。
けど一番の問題はそれじゃない。
「陸式」
そもそも“式”を使いこなせていないんだ。
「はぁ………はぁ………はぁ………くそ」
“式”の手順を知っているのに、体が追いつかない。二発や三発ならまだしも、五発、六発となると肺への負担が大きい。最後の陸式なんてまさにそうだ。
全集中の常中で体力は向上しているけど、それでもまだまだ足りない。
「もう一回だ」
俺に霞の呼吸は合わない。ならなんの呼吸が合うのか。俺はそれをこの“式”だと考えている。
無一郎よりうまくできるこの“式”が、俺にとっての最適な呼吸なんだ。
ふと、以前無一郎と交わした言葉が脳裏を過ぎた。
場所は霞屋敷の縁側、よく晴れた日のことだった。
『繊月?』
『うん。合同任務の時にね、呼吸らしきものを使う鬼が出たんだ。その鬼刀を佩いてたからさ、もしかしたら呼吸を使っているかもしれないんだ。でもまぁ、月に関する血鬼術の可能性の方が高いけどね』
『へぇ』
『………………僕が言いたい事分かる?』
『分かってる』
『家に伝わる“式”のことはまだお館様にも言ってない。けどいつか話さなきゃいけないと思う』
真剣な目で無一郎は言ったが、俺としては言ってなかったことに驚いた。
『もし“式”が鬼が使う呼吸と同じだったなら、きっと非難の目で見られると思う。特に“式”を正式に継いでいる兄さんには』
『ああ。でも俺が“式”を使って十二鬼月を斃せば、多かれ少なかれその目も少なくはなるだろう』
無一郎の面持ちは真剣だったが、その眉は不安げに下がっていた。それに触発したように治ったはずの傷が疼き、俺はそれを抑えるように刀の柄を掴んだ。
『お前はなんの心配しなくていい。お前の兄はそこまで弱くないからな』
背中を向けて、庭に降り立つ。刀を鞘から走らせる。決意を示すように掲げ、肩の位置まで振り下ろす。
『そこで見ていろ無一郎。必ず上弦の頸を斬ってやる』
振り返ったその先で、無一郎は束の間目を丸くし、そして弾けるように笑った。
―――だから、例えこの“式”が鬼と同じものだとしても、俺は使うのを止めない。俺は無一郎を守りたいから、どんな手を使ってでも弟を守りたいから、鬼の技であろうと力が手に入るのなら厭うことはしない。
「よし、次いこう」
刀を置き、岩の前に立つ。悲鳴嶼さんから教えてもらった修行。その一つ岩押し。他の滝行と丸太担ぎはとうに終わった。
「ふっ………ぐぅううぅうう………ううう」
滝行と丸太担ぎはすぐに終わったのに、岩を押す修行が中々進まない。足の方が下がって押し負けてしまう。体重が軽いのもあるかもしれないけど、体重はなんとかできるものじゃない。単純に筋力が足りないのかもしれない。
「ねぇ玄弥は岩押せる?」
にっちもさっちもいかなくなって、その日の食事の時に玄弥に訊いてみることにした。
すると玄弥は言い澱んだように傷がある左頬を掻いた。
「あー………完全とまではいかないけど押せるよ。けれど俺のは時透さんより小さいからな」
「別に良いよ。悲鳴嶼さんが俺にとってはあの大きさが良いって判断したんだから。それよりどうやって動かせたの? 呼吸は使ってないんでしょ?」
「“反復動作”って知ってるか?」
「なにそれ?」
どうやら“反復動作”というのは、全ての感覚を一気に開く技だそうだ。“反復動作”をすることで一気に集中力を極限まで高めて、全身の力を引き出すそうだ。
「ちなみに俺は念仏を唱える」
「そうなのか。教えてくれてありがとう」
「ん、いいってことよ」
悲鳴嶼さんと玄弥がこれを使うとき、怒りや痛みの記憶を思い出す。それにより心拍と体温を上昇させている。
俺の場合は、まず無一郎の顔を思い浮かべる。そしてあの夜、無一郎を失いそうになった恐怖を思い出す。この流れで一気に集中力を極限まで高める。
「ぐぅぅぁああああああああああ!!!!!」
けど岩は動かなかった。でも前よりは力が出ている気がする。後は何度も何度も繰り返して体に覚えさせるだけだ。
そうしたら半月後、岩を動かせるようになった。後はもう、一町押し切るだけだ。
「あああああああっがぁぁあああああああああ!!!!」
岩が動く。滑りそうになる足を堪えて押す。心臓がそぞろに騒がしい。ドクドクと肋骨に打ち付ける音がする。
「ああああああああああああああ!!!!!!」
押し切った。全身から力を一気に抜いて、もはや倒れるように地面に寝転んだ。火照った体に地面の冷たさが心地いい。
・
・
・
「…………ニャー」
「うん?」
しばらく有一郎がそのままの体勢で寝転んでいると、どこからか猫たちが集まってきた。それも四匹。
行冥のところの猫は人に慣れているのか、こうして集まってくる時がよくある。行冥に群がる光景はよく見られるものだ。遇に有一郎にも集まってくる時もあるが、何時も金子が追い掛けて散らしてしまう。
そんなわけで、触れるかな、なんて淡い期待をしつつ、有一郎は脅かさないようにそのまま寝転んでおくことにした。
(お、おおおおお…………!!)
すると四匹中、白黒模様の猫と三毛猫が頭を擦りつけるように甘えてきた。内心嬉しさで頬が弛みそうになるのを必死に堪え、そ~っと猫の方へと手を伸ばす。
が、届く前になんて間が悪いことか、金子が向こうから歩いてきた。
(お願い、何もしないで……!!)
金子の目とバッチリ目が合った。金子に向けてもう一度何もしないように念を飛ばす。すると届いたのか、金子がしかと頼もしく頷いた。有一郎の中に一抹の希望が芽生えた。
「気安く有一郎チャン二触ラナイデ貰エルカシラン?」
(……)
「泥棒猫チャンタチィィィィ!!!!!」
あんなに頼もしく頷いたクセに、近付いた金子がそんな叫びをしたせいで、猫が蜘蛛を散らすように逃げてしまった。
「……金子なんかキライ」
そんな有一郎の言葉は、猫を追いかけていった金子には届かなかった。
時透さんちの有一郎くん。
丸太は三本じゃなくて五本、岩の大きさは炭治郎たちが推していた岩より二回り大きい。よく頑張りました。金子への復讐として、金子をしばらく撫でてやんないことにした。
任務も入っているのに関わらず、たった三ヶ月で行冥の修行を終えた。弟が生粋の天才なら、兄は努力の秀才。
時透さんちの無一郎くん。
玄弥ってどんな人だろう? となんとなく想像していたのとは真逆を行っててビックリ。想像を貫いた先にいたのは風柱だった。猫は触れた! あいむはっぴー。
不死川さんちの玄弥くん。
やっぱ顔が似てるのかな? それとも雰囲気とかかな? とわくわく無一郎に訊いたが、まさかの答えで無になった。
鎹鴉の金子ちゃん。
猫を目の敵にする進撃の鴉その一。夜も眠れない(嫉妬で)。銀子と手を組んで猫を追いかけ追いかけ追いかけ回す。嫉妬の炎がカムチャッカファイヤー。
有一郎の目が、穏やかにクズ共を離せって言っていたから(解釈違い&好都合解釈)、意気揚々と追い立てた。しかし、討伐完了! とハフンハフン胸を張って戻ったところ、有一郎の絶対零度の視線で意気消沈。
効果 は ばつぐん だ!
鎹鴉の銀子ちゃん。
猫を蛇蝎の如く嫌う進撃の鴉その二。夜も眠れない(憎悪で)。金子と手を組んで猫を突っつき引っ掻き噛みまくる。嫉妬の炎がバーニングフレイム。