世を照らすのは日輪だけじゃない。   作:千月

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 前回誤字脱字報告を頂きました。投稿する前には何度も目を通しているんですが、脳が勝手に補完してしまいますね。今まで誤字脱字報告はなかったので、頂いた時少し悔しい思いをしました。でも誤字脱字報告はありがたいので、これからもよろしくお願いします。
 さて、そろそろ主人公が那谷蜘蛛山の任務に向かいますね。次はそれ関係の話を書きます。

 今回外伝小説のネタバレがありますので、苦手な方はご注意ください。
 今回思った以上に長くなってしまいました。上下に分けようと思いましたが、既に感想欄で次話について言ってしまったので、この長さになりました。最後の方、展開が駆け足……どころかジェットコースター感がありますが、どうかご容赦を。


第11話 鬼の居ない平和な世界を。

 占いは当たるも八卦、当たらぬも八卦と言う。

 天気占いも、血液型占いも、相性占いも、はたまたこっくりさんも、全て当たるか当たらないかは誰も分からない。

 どんなに占いで高名な人物であっても、未来を見通すことは神仏でもなければかなわない。

 

 しかし。

 

 四辻の藤の着物の占い師。

 

 その女の予言は必ず当たると言う。更に忠言に従わなければ悪い方に転がるとも言う。

 さて、何故そんな前置きをしたかというと、現に今、有一郎がその女に引き留められたからである。

 

「お主、失せ物の相が出ておるぞ」

 

 そう婀娜めいた声で告げられた。見れば藤色の着物を着た女が穏やかな微笑みで、有一郎の顔の方をちょいと指していた。

 

「今夜、お主の近くの者が息を引き取るだろう」

 

 いかにも占い師と言った風体の女は、有一郎が冷たい目で見ても、気分を悪くすることはなかった。

 

「そうですか。忠告ありがとうございます」

 

 背を向けた有一郎に、女が「今向かうが吉」と声を掛けたが、振り返ることもなくそのまま歩いて行った。

 有一郎は任務の帰りだった。霞屋敷へと帰る道すがらに話し掛けられて、なんだと思えば誰彼が死ぬと言うこと。

 

(阿呆くさい)

 

 鬼殺隊に所属している以上、昨日食卓を囲った相手が死ぬことはよくあることだ。よって女が言ったことは大体の確率で当たるだろう。そんな当たり前なことに時間をとられた有一郎は、ムス、とした顔で霞屋敷へと着いた。

 

「どうしたの? そんなにムス、として。嫌なことでもあった?」

「別に。めんどくさい奴に話し掛けられただけ」

「ふ~ん……」

 

 

 

―――………

 

 

 

 

 

 

 

 燃えている。燃えている。燃えている。

 

 襖が、畳が、壁が、天井が。ありとあらゆるものが燃えている。

 

「――――――!!!」

 

 立ち煙る黒煙。こちらを呑み込まんとする炎。何かが崩れる音。

 

「――――――げて!! 逃げて!!!」

 

 耳を劈く女の声。その声はひどく擦れて、聞いているこっちが痛くなるほどに嗄れていた。そのせいで声の主の年齢は不明だ。

 はっきりと聞こえたはずなのに、その声の主の姿はいずこにも見えない。もしやなにかの下敷きになっているのか。

 

「私はいいから!! 逃げて!!! 生き延びて!!!」

 

 直後に響いた轟音。

 勢いよく噴き出す炎の舌。

 

 わからない。

 わからない。

 これは一体なんなのか。

 

 自分は声の主へと手を伸ばしているのか、視界に入った手は煤けていた、

 その手は横から伸びた誰かの手が掴み、強引にそちらの方向に体が傾く。

 

「ごめんなさい。ごめんなさい」

 

 泣いている女性は色の失った唇で繰り返す。窒息するような息遣いで繰り返す。

 悲壮の雫を宙に走らせ、炎の海と化した廊下を必死に駆ける。

 

「ごめんなさい―――」

 

 

 

 

 

 

 

―――………

 

 

 

 

「………夢……か」

 

 変な夢を見た。火事の夢だ。その夢を見たせいか寝汗が酷い。

 東側の障子の方へと顔を向ければ、ほのかに明るかった。既に太陽は昇り始めているようだ。しかしまだ空気は冷たい。起きるにはまだ早い時間だが、この状態で眠れるわけがない。

 水浴びしてくるかと、布団を押しのけ歩き出す。

 無一郎はぐっすりと眠って起きる気配は無かった。

 

(念のため………)

 

 一応台所の竈を確認し、残り火があるようなことはないことを確認する。

 

(まったく。あの女が変なこと言ったせいだ)

 

 井戸の水を汲んだ有一郎が、悪態を吐くように息を吐く。

 苛立ちのまま脱いだ寝間着を放り投げるように置き、頭から冷たい水を被る。これを幾度と繰り返せば嫌な汗は完全に流れ落ち、少し気分が良くなった。

 

「さて、飯の支度でもしておくか」

 

 気分が晴れた有一郎は、占いの女に言われたことは忘却の彼方に蹴り飛ばし、薪棚の方へと歩みを進めた。

 

「任務ゥゥゥ!! 有一郎チャン任務ゥゥゥ!!!」

 

 が、任務が入った。

 有一郎は腕を差し出し金子を停める。

 

「内容は?」

「柱デアル煉獄杏寿郎ト共二帝都二向カエ! 今回ハ護衛任務デアル!!」

「護衛任務?」

「ソウヨ! 護衛対象ハ鬼殺隊ニ色々融資シテクレル人ラシクテ、ソノ人カラ要請ガアッタンダッテ!」

「へぇー」

 

 無一郎に任務だと伝え、金子に案内されるまま道を走れば、特徴的な髪と羽織が道の向こうに見えてきた。あれが煉獄杏寿郎に違いない。

 

「煉獄さん」

「よろしく頼む時透少年!」

「よろしくお願いします」

「今回は護衛任務だ! 鬼が出る可能性は低いが気を引き締めていこう!!」

「はい」

 

 朝日が照らし始めた道を煉獄杏寿郎と共に歩く。昼前には帝都に着くだろう。

 

「ところで時透少年、俺の継子にならないか?」

 

 予想通り昼時に帝都に着き、腹ごなしでそば処に入って注文した天麩羅蕎麦を待つ間、有一郎の向かいに座った杏寿郎がそう訊ねてきた。

 

「遠慮しておきます」

 

 しかし有一郎は、考える素振りすらなく断る。視線も杏寿郎の方ではなく蕎麦職人の方に向かっていた。今は継子云々より職人の手捌きに好奇心が唆られていたのだ。

 

「遠慮することはない! 俺の所に来ると良い!!」

「いや、遠慮します。そもそも俺の呼吸は霞なので」

「来ると良い!!」

「そういうことなので、お断りします」

「そう意気地になって断ることもない!」

「いや、結構ですから」

「来ると良い!!!」

「俺の話聞いてますか? あなたの耳は飾りか何かですか?」

「来ると良い!!!」

「駄目だこの人…………」

 

「へいお待ち」

 

 有一郎が頭を抱えた所で料理が運ばれてきた。

 杏寿郎と有一郎の前に漆塗りの食器が置かれ、そこに鎮座する料理に二人揃って喉を鳴らす。もはや継子の話は遥か彼方にぶっ飛んだ。

 

「熱いから火傷せんようにな」

 

 目の前には秘伝のタレが染みた黄金の衣に、手打ちの蕎麦麺。鼻腔をくすぐる上品な香りに、これでもかと食欲が刺激される。

 

「いただきます」

 

 パキリ、と小気味いい音を立てて割った割りばしで、海老天の衣をつつく。すると箸の先から海老の弾力が伝わってきた。それをサッと天つゆに通らせ、がぶりと頬張る。するとどうだろうか、ふわふわとした衣が破れるや否や、海老の濃厚な旨味が口いっぱいに広がってくる。これは新鮮な海老を使っているせいなのか、それとも職人の腕が高いのか。

 

「うまい!! うまい!!!」

 

 杏寿郎の口からは、箸を運ぶごとにその言葉が放たれる。

 それを視界の端に捉えながらも、有一郎は箸を動かし今度は蕎麦に狙いを付ける。

 麺を挟むように掬ってみれば、ツルツルとした滑らかさで、さぞ喉ごしが良いのだろうと察せられる。

 掬った麵の三分の一ほどを、チョンチョンとつゆに浸らせる。あまりつゆを付けすぎてはいけないのだ。蕎麦本来の香りや味が損なわれしまう。

 つゆの水面に浮かぶ薬味とともに啜れば、予想以上の滑らかさ。例えるならば天上で作られた絹を食したというのなら、きっとこれほどのものだろう。

 麺から滴るつゆが飛ぶのに目もくれず、ちゅるちゅる音を立てて頂いていく。

 

「親父さん、お代わりを頂けるだろうか!!」

 

 早くも杏寿郎は二杯目だ。

 熱々の麺で舌を仄かに焼きながらも、箸を持つ手は止まらない。はふぅ、と息を吐けば白い蒸気が宙をくゆった。

 

 

 

 

 

 

 

 お腹を満たした二人は、目的地である大きな屋敷に着いた。屋敷の周囲には藤の木が植えられている。

 杏寿郎が扉についたノッカーで訪れを知らせると、十秒も待たないうちに初老の男性が出て来た。

 

「ああ、よくぞいらしてくれました」

 

 深々と腰を折ってそう言った男性の姿は、燕尾服に白の手袋を身に着け、いかにも執事といった容姿だった。

 

「旦那様と御息女の元へ御案内致します」

 

 ぴん、と糸が張ったように伸びている背中に続き、杏寿郎、有一郎の順に屋敷の中に足を踏み入れる。

 物珍しさできょろきょろ周りを見渡していると、件の部屋に着いたのか執事の足が止まった。

 

「旦那様、鬼狩り様方でございます」

「ああ、中に通してくれ」

 

 部屋の中から聞こえてきた低い声。開かれた扉をくぐると、中には椅子に座る細身の男性と、その腕の中で寝息を立てる幼い少女がいた。

 

「来てくださってありがとう」

「いえ、任務ですので」

「そうですか、では早速任務内容についてお話します」

 

 依頼主によると、ここから山を四つ程越えた所に街がある。そこに住む妻に少女を無事に合わせて欲しいとのこと。娘は稀血であるため、強い鬼を引き付けてしまう可能性が高い。そのため柱を呼んだそうだ。有一郎に関しては杏寿郎が念には念を入れてのことだそうだ。

 ちなみに、何故昼間に行わないかというと、商売敵やなんやらで、別の人間に命を狙われる可能性があるからである。鬼殺隊は隊律として人間相手に刀を抜くことができない。少数なら徒手空拳で無力化できるが数え切れないほどの襲撃者が一斉に襲い掛かってきたら流石に対応できない。

 一方で夜は、襲い掛かってくるのは基本的に鬼であるし、もし娘を狙う人間が襲いかかったとしても、その人数はたかが知れているからだ。

 

「なるほど。そういう事情でしたか」

「ええ。私事で柱と高階級の方をお呼びして申し訳ございませんが、どうか娘をよろしくお願いします」

 

 目一杯頭を下げて頼む男性に、杏寿郎は頼もしく頷いて、寝息を立てる少女を受け取った。

 

「ご安心ください。我々が無事にお届けしましょう!!」

 

 部屋に響いた頼もしい声に安心したのか、男性はほっとしたような笑みを浮かべた。

 

 

「さて、そろそろ出発しようか」

「はい」

「お、お願いします」

「うむ! 大船に乗った気でいるがいい!!」

 

 少女は杏寿郎が背負うことになった。というのも、有一郎より杏寿郎の方が背丈もあるし背中も広かったからである。

 夕陽が燃える中、雑多な人ごみの中を歩く。悪意がある人間がいないか気配を探りながらも、早足で群衆の中を歩く。

 

「………煉獄さん」

「ああ、いるな」

「っ!」

「俺が行ってきます」

 

 左の建物の屋上。そして右の路地の暗がり。明らかに堅気じゃない人間の雰囲気だ。

 それを感じ取った有一郎は、恐怖で震える少女の背中を安心させるようにひと撫で摩った後、群衆に溶け込むように姿を消した。傍から見れば一瞬で姿を消したように見えるだろう。

 そして杏寿郎が帝都を抜け、一つ目の山の麓に差し掛かったところで有一郎が追いついた。

 

「俺達の後を追っていた怪しい人間たちは全て無力化して転がしておきました」

「流石だな! やはり俺の継子になれ!」

「それまだ諦めてなかったんですか」

 

 と、ぶつくさ言いつつ山道を登っていく。山道と言うか畦道と言った方が正しいか。道らしい道は均されておらず、歩きづらいったらありゃしない。

 

「君は大丈夫か? 寒くはないか?」

「大丈夫です。寒くもありません」

 

 鬱々と生い茂る草木に気が滅入りながらも、周囲を警戒することは怠らない。

 

「埒が明きません。木の枝を伝って行きましょう」

「そうだな……」

 

 ただでさえ月光が届きにくい山の中だと言うのに、背が高い草で視界がすこぶる悪い。

 地面を歩くのは悪手だと判断した有一郎は、目の前の木を指してそう訊いた。

 

「これからだいぶ揺れると思うが大丈夫か?」

「はい」

「うむ、それならば良し。だが気分が悪くなったら直ぐに言ってくれ」

「わかりました」

 

 護衛対象からの許可も下り、ひとつ頷いた二人はひとっ飛びで木の枝に乗り移る。そして曲芸師も目を瞠る程の身軽さで、次々と木の枝から枝へと飛び移り、着実と山を登って行った。

 

 ニ刻ほど経った頃だろうか、闇の向こうから鬼の気配がした。

 

「霞の呼吸」

 

 その気配は弱い。血鬼術も使えない雑魚鬼だろうとアタリをつけ、有一郎は鯉口を切る。

 

「稀血ィィィィ!!!」

「参ノ型 霞散の飛沫」

「人間ッ! 喰ゥゥゥ―――ウゥ!?」

 

 どうやら自分の頸が斬られた事すら気付かない鬼だったらしい。鬼は灰になる直前になるまで気付かなかった。

 

「鈍臭い奴だ」

「良い太刀筋だ! 気に入った! 俺の「継子にはならないです」よもや!」

 

 続く言葉を先回りして潰し、足を止めることなく疾走していると、他にも蛆が湧くように雑魚鬼が出てくる。少女の血は随分と希少性が高いらしい。

 

 鬼を葬りながらも走り続けると、遂に最後の山に着いた。今まで同様枝を伝いながら登っていくと、やがて一段拓けた場所に出た。

 そこには少女と見える女が一人、佇んでいる。

 首回りに細長いマフラーを巻いた鬼娘は、杏寿郎が背負う少女に指を指す。

 

「その娘、稀血よね? 食べても良いよね?」

 

 その鬼の出立ちは、白い髪に白い肌。額からはニ本の角が生えており、赤い瞳の中には『下肆』の文字。十二鬼月である。

 

「血鬼術・写身鏡々(うつしみきょうきょう)

 

 血鬼術は分身らしい。本体から十体程の分身が現れ、二体が杏寿郎へと向かう。本体はその場から動く気配がない。分身に戦闘を任せるつもりだろう。

 

「下弦などお呼びじゃない。どうせなら上弦呼んでこい」

 

 地面が沈みこむほどの踏み込み。式の呼吸で分身の頸を撥ね飛ばし、有一郎は刀を構えたまま大きく距離を取る。

 一方で下弦の肆は彼我の力の差を悟ったのか、酷く狼狽し始めた。

 

「壱式 闇月」

 

 固まったままの鬼に瞬時に近付き、三日月を纏った横薙ぎの一閃。呆気なく肆の頸が飛ぶ。

 

「……なんだ、呆気ない。コイツ本当に十二鬼月か?」

 

 十二鬼月であるなら、今まで食べてきた人間の数も相当なものだろう。

 だと言うのにこの呆気なさは何だろうか。相手が弱すぎるせいなのか、それとも己が強くなったせいなのか、どうにも腑に落ちない。

 周囲の気配を探り、鬼が居ないことを確認した有一郎は、残心を解いて納刀し、先を行った杏寿郎に追い付くために駆け出した。

 

 

 

 

 

「あ、危なかった……やっぱり分身に任せておいて正解だったわ」

 

 それから数分後、地面の中から土竜のようにひょっこり顔を出したのは、誰でもない下弦の肆。

 始めから馬鹿正直に真正面から戦うつもりなど、肆には毛頭なかった。

 

「ここから直ぐに離れないと、鬼殺隊がやってくる」

 

 地面の中から完全に這い出た肆は、服に付いた泥も落とさず闇の中へと逃げて行った。

 

 

 

 

―――………

 

 

 

 有一郎は走りながらも手元の地図に視線を落とす。既に杏寿郎は目的地に着いているのだろう。

 地図通りに左に曲がれば、少し先から杏寿郎の声が聴こえてきた。声の方向へと走れば、杏寿郎と妻らしき女性が言葉を交わしている。少女は眠そうに目を擦りながら、片手で母親の裾を握っていた。

 

「道中善くない輩と、俺の部下が戦闘に入りました。万が一ということもあります。護衛を増やすか、居を移したらどうでしょうか」

「そうでしたか……御迷惑をお掛けしました。そうですね、夫と娘と相談して直ぐにでも決めたいと思います。今日は有り難う御座いました」

「ありがとう、お兄さん」

 

 そう母親と少女が頭を下げた時だった。有一郎のうなじの産毛が逆立った。

 

「危ない──」

 

 本能が叫ぶままに少女を抱え込んだその瞬間、閑静な住宅街に、似つかわしくない砲音が響く。

 

 とある一点で白煙が舞い上がる。遠方からの狙撃だ。

 

 母親と少女の叫びが迸るより先に、二人の視界から杏寿郎の姿が掻き消えた。

 

 

 

 

 

―――………

 

 

 

 男はとある里に生まれた者で、その里で育てられた者は、依頼されれば情報操作、間者は勿論、拷問や人殺しさえ息を吸うように遂行する人間となる。

 

「お前がそうか? いや、答えなくて良い。お前だな」

 

 だからこそ、憎悪を孕んだ冷ややかな目で見られても、とんと思うことは無かった。

 

「何の罪もない少女を狙い、俺の大切な部下を撃ったのは」

 

 目の前に立つ男は、先程まで殺害対象の所にいた人間だ。ここからそこまで随分と距離があったはずなのに、瞬く間に己の前に姿を現した。

 

「俺は人間が好きだ。須く尊く儚い存在であるが故、鬼の恐怖から守りたい。だが―――だが、俺はお前が嫌いだ。断じて許せない」

「……だからなんだ。至極どうでもいい」

 

 圧倒的な強者の気配。自分と男では天と地程の差がある。この距離を瞬く間に詰めた男だ。逃げられはしないだろう。かといって対象を再び狙うのは不可能だろう。なら、己がやるべきことは。

 

 懐から苦無を取り出す。男が身構える。

 しかしその切っ先が向かうのは、男ではなく己の喉。

 

「ッ!? 待て!!」

 

 一寸の迷いもなく引かれた苦無は、柔らかな喉笛を真一文字に引き裂いて、噴水のように血を吹き出した。

 

 

 

 

―――………

 

 

 

 両親が死んでしまってから、俺はこう誓った。弟はなんとしてでも守ると。だからこそ、こう思っていた。俺が身を挺して守るのは、弟である無一郎のみだと。

 でも俺の体は反射的に少女の方へと駆けだして、そうなればもう、凶弾から庇うことしかできなかった。

 

 腕の中に抱え込んだ少女に傷はない。代わりに俺から出た血が彼女の羽織を濡らす。

 夜はまだ明けておらず、視界は暗いと言うのに、染まった赤色ははっきりと見えた。

 幸いにも少女は守り通せたが、このまま戦闘続行するのは辛いものがある。けれど俺は一人じゃない。煉獄さんが居てくれて助かった。

 

「大丈夫か? 怪我はないか?」

「う、うん……でもおにいちゃん、血が、血が、たくさん出てる……!!」

「心配要らないこの程度」

「ごめんなさい……私のせいで」

「謝らなくていい。俺が未熟だっただけだ」

 

 とりあえず傷口が化膿してはいけないから応急処置する。それに加えて呼吸で止血すれば完璧だ。

 そうすれば血は見えなくなって、少女も少しは落ち着きを取り戻したようだった。

 

「大丈夫!? 傷はない!? 平気!?」

 

 少女は母親にぺたぺた身体中を触られ、安堵したのか小さな手で母親の着物の裾をギュウっと握る。そして顔を母親の腰元に押し付けた。

 

「ごめんなさい……私、私、こうなるって思わなくて……っひぐ、ひぐっ」

 

 大きな目を潤ませて、母親に抱き着いた少女は泣き出してしまった。

 

「私からも御詫びと感謝を。娘を助けて頂き、本当に有り難う御座います。貴方は命の恩人です」

 

 土下座までして感謝してきたので、慌てて手を振って頭を上げさせる。そのせいで傷が痛んだ。

 

「いや、任務ですので、ですから頭を上げてください!!」

 

 ここまで感謝されると変に無図痒くなる。

 起き上がらせるために肩を叩こうとしたとき、不意に視界が回転した。

 

(……れ?)

 

 銃弾には毒が塗られていたらしい。

 視界が回るにつれて体が横に傾き、崩れそうになるのを踏ん張ろうと呼吸をする。しかし遅すぎたのか、結局地面に転がった。

 

 次に目が覚めたら、蝶屋敷に俺はいた。

 

 俺が目覚めたと聞いて真っ先にやって来たのは、やはりというか無一郎だった。いつぞやの時のように頭に銀子をはっつけて、慌ただしくやって来た。

 ちなみに傷は数針縫った。抜糸が済むまでは入院だ。

 

 無一郎と紙飛行機を折って暇を潰していたら、伊黒さんがやって来た。

 予想外の来客で固まっていると、「たかだか銃弾に貫かれてその様か。お前の鍛錬甘いんじゃないのか? それともあれかね、お前は目を開いたまま寝てたと言うのか? だとしたら随分と器用なことだ。真似したくは無いがね」と言ってお見舞い品だろう飴玉を置いてさっと背中を向けた。そのまま足を進めて帰るすがら、伊黒さんの首元にいる鏑丸が尻尾を振ったので、それに返すように腕を振る。そして伊黒さんは振り返ることなく扉の向こうに去っていった。

 予想外の来客は続くもので、貰った飴玉をコロコロ転がしていると、今度は音柱の宇随さんがやって来た。

 宇随さんはベッドの隣にある椅子に腰かけると、深く頭を下げた。

 

「すまなかったな、お前を撃った奴、俺の古巣の奴なんだ」

「古巣……とは?」

「俺は鬼殺隊に入る前は忍者やってたんだ」

「忍者!!?」

「ああ、そんでその生活に飽き飽きしてな、嫁と一緒に里を飛び出したんだ」

「はーそんなことが……」

 

 もう一度頭を下げた宇随さんに、俺は「いいですよ」と返す。

 素直に頭を上げた宇随さんに、今まで黙っていた無一郎が目を輝かせて口を開いた。

 

「忍者ってことは、火遁とか水遁使えるの? ニンニン、って言ってみて!!」

「使えるかッ!!! それにニンニン言わねぇよ!!!!」

 

 目を尖がらせた宇随さんは「じゃあな」と言って帰っていった。

 

 

 

―――………

 

 

 

 その三日後に、誰の鎹鴉か分からない鴉が窓からやって来た、嘴には文を咥えている。

 無一郎と共に手紙を開けば、

 

 ―――鉄井戸が亡くなった。

 

 そうとだけ綴られた、簡素な文だった。送り主の名は鉄穴森鋼蔵だった。

 

 一瞬思考が止まったあと、揺り戻すように駆け巡る思考と共に、ふと占いの女の言葉が蘇った。

 

(あれは鉄井戸さんのことを示していたのか……!?)

 

「銀子! お館様のとこまで行って里に行く許可を貰ってきてくれ!!」

「ワカッタワ!!」

 

 今行っても既に手遅れなのは分かっている。それでも、最期にひとつ、顔を見たかった。

 

「……鉄井戸さん、死んじゃったんだね」

「………そうだな」

 

 落ち着きなく、頻繁に窓を見上げて金子の帰りを待つ。

 これが優に百を超えたころ、銀子が戻って来た。訊けば許可は下りたそうだ。

 

 それから数刻後、二人の隠が訪れた。

 

 

 

 

 

 

 刀鍛冶の里に着いた二人は、終始無言で足を運ぶ。有一郎が先を住き、その後ろを無一郎が歩く。有一郎の腹の傷は深かった。完治もしてないのに出歩いたせいで、傷口が熱を持つ。少しずつ額から嫌な汗が出てくるも、足を止めることはない。

 

 両脇に竹をこさえた小道。一迅の風が吹き抜ける。竹の葉が音を立てて擦れた。

 

 その小道を抜ければ、茅葺屋根の家が顔を出す。家からは何の物音もしなかった。

 

 もう、葬式は終わってしまったのだろうか。

 そう不安になりながらも、申し訳程度に戸を叩き、声を掛ける。

 

「ごめんください、有一郎と無一郎です」

 

 するとすぐに戸が開き、中から鉄穴森が出て来た。来てくださって良かったと、彼は言った。

 

 ──あぁ、間に合わなかったのか。

 

 既に鉄井戸の葬式は終わり、もう一度姿を見ることは叶わなかった。

 

 やるせない気持ちが胸内に満ちるのを感じながら、家の敷居を跨ぐ。そして居間に着いたところで驚いた。そこには柱である胡蝶しのぶが手を合わせていた。なるほど。どうりで蝶屋敷で見かけなったわけだ。

 一瞬驚くも、軽く目礼してその隣に正座し、二人揃って手を合わせる。鳴らしたおりんの音が、静けさが染みた空間に響いた。

 

「今日は来てくださってありがとうございます」

 

 黙祷を捧げた後、鉄穴森と机を間に向かい合う。

 話があると、鉄穴森は三人を引き留めた。

 机の向こうに腰を下ろした鉄穴森は、懐から二通の手紙を出した。

 

「鉄井戸さんの遺書です」

 

 その二つの手紙は重ねられて胡蝶しのぶへと差し出された。それをしのぶは両手で受け取り、その場で開けるかどうか悩んでいるのか、しばらく手に持ったままだったがゆっくりと懐にしまった。

 

「鉄井戸さんは心配されていました。あなたのことも、そして姉上のことも」

 

 予想外のことに胡蝶しのぶの柳眉がぴくりと跳ねる。

 そして膝に置かれた手を机に着き、頭を下げた。

 

「………ご心配をおかけしました」

 

 一つ一つの動作から出る音が、煩いくらいに部屋に響く。

 

「………それと、こちらを」

 

 鉄穴森の両手には一振りの刀。それは白鞘に特徴的な蝶を模した鍔。今も目を覚まさない彼女の姉の刀だ。

 

「あなたの、姉上のものです。ここに置いておくよりは、あなたがお持ちしていた方が良いでしょう」

 

 差し出された刀をしのぶは両手で受けとる。そして菫色の眼を刀に落とし、ジっと見詰める。そのまま長い沈黙が落ちた。

 

「…………」

 

 その口からようやく零れたのは、声にもならない吐息。ただのそれのみ。少なくとも、その場にいた時透二人と鉄穴森はそう聴こえた。

 そしておもむろにしのぶは、刀にコツン、と額を付けると、そのままの姿勢で固まった。

 沈黙が再び落ちる。しかし何処からか鳥の鳴き声がしたと共に額を刀から離し、そっと己の左に下ろした。

 泣くでもなく取り乱すでもなく、静かに落ち着いた振舞いで、その(おもて)は微塵も揺らがなかった。

 差し出された姉の刀を、しのぶはどんな思いで受け取ったのか。

 それは彼女自身でしかわからないことだ。

 

 その後、しのぶは家を出て行った。もう蝶屋敷へと帰るのだろう。

 四人から三人へと減った空間の中で、有一郎が口火を切る。

 

「鉄井戸さんの最期は、どの様なものでしたか?」

 

 そう訊ねれば、鉄穴森はふい、と庭にある大きな岩の方へと顔を向けた。

 

「私が見付けた時には、あの大岩の前で、倒れていました」

「……病気…だったのですか?」

「ええ、心臓の病でした。ほら、鉄井戸さん煙管吸っていたでしょう? あれ、中身は薬だったんですよ」

「そうだったのですか……」

 

 そう語る中で、鉄穴森は見付けたときの事を思い出す。

 

 ―――出向かった時はまだ朝早い時間、東の空が白んで来るかどうかの時だった。

 夏に近付いてきたとはいえ、朝は山の中だと肌寒い。体を暖めようと腕を擦ったのを、昨日の事のように思い出せる。

 

 鉄穴森としてはまだまだ寝ている時間帯だったが、呼び主である鉄井戸が時間帯を指定して呼び出したものだから、鉄穴森は眠気を飛ばすように頭を振った。

 

 何故こんな時間に、とは思っていた。けれど眠気が襲うなかでは頭はろくに回らず、結局はやめだと放り投げた。

 

 しかしその眠気は、庭に倒れている鉄井戸を見た途端に吹き飛んだ。

 

 鉄井戸は岩の前で、死装束を着たまま死んでいた。その死に顔は酷く穏やかで、一見寝ていると勘違いしても不思議ではないくらいだった。

 

「もっと早くお手紙を出しても良かったのですが、そうはいきませんでした。それが、鉄井戸さんの願いでしたから」

 

 白装束の懐から飛び出した、白い手紙。これが鉄穴森を呼んだ理由だと直感し、寒さで震える手で開いた。

 そこには鉄穴森宛てに、こう書いてあった。

 

「墓の下にはいるまで誰も呼ばないでほしい、とそう頼まれたものですから」

「そうでしたか」

 

 そして、鉄穴森に託したもの。

 思い耽るように岩に向けていた顔を戻すと、鉄穴森はスッと佇まいを糺す。

 

「有一郎殿、あなたにも鉄井戸さんが遺したものがありますが、それは私が預かっています。その時が来たら、お渡しいたします」

 

 鉄井戸が何を思って有一郎に託したのか、何を願って遺したのか。

 それは全く分からないけれど、有一郎は鉄穴森の目を真っ直ぐ見て、はいと頷いた。

 

 日が沈み始めた頃に、鉄穴森はゆっくりと腰を上げた。その背を見送ってから、有一郎と無一郎も腰を上げる。

 しん、と静まり返った家は、口では言い表せない物悲しさがあった。

 

 二人は部屋の中をぐるりと見渡し、特にすることもなく立ち尽くす。自然と鼻から入ってきた匂いは、鉄井戸が吸っていた煙管の匂い。どこか落ち着く、そんな匂い。

 

「「…………」」

 

 さして広くもない部屋をとことこ歩いて外に出る。

 

 家を出た二人はあの岩の前にやって来た。以前鉄井戸と会ったのは秋の頃。黄色に染まった銀杏の葉が、舞うように落ちる頃だった。

 

 思い返すように上を見上げれば、若々しい青葉の向こうに、きらりと瞬く星が見えた。

 

 

 

 

―――………

 

 

 

「なんだよ……なんなんだよこれは!!?」

 

 任務は山に潜む鬼の討伐。前任の隊士が消息不明になり、その後任が男に回ってきたのだ。正確には、男ら、だが。

 集められたその隊は、しかしあっという間に壊滅させられた。

 一人は賽の目状にバラバラにされ、

 一人は繭玉に覆われて、

 一人と一人は互いに殺し合って、

 一人は人面蜘蛛に覆われ姿が見えなくなった。

 生き残った最後の男は、己に歩み寄る死の恐怖に屈し、脇目も振らずに下山しようと走っていた。

 

「ああ、あああ………」

 

 キリキリと何かを擦るような甲高い音と共に虚ろな声で追いかけてくるのは、とうに死んだ筈の仲間と今際の仲間。

 

「も、もう……もう殺してくれ……頼む」

 

 自らの意思に反し体が動く原因は、小蜘蛛が繋ぐ操り糸の仕業。操られまいと何度断てども、血鬼術の糸は張り直される。ならばもう、ならばもう、こうするしか手段はない。

 

「すまないっ、すまない……」

 

 男は声でも泣きながら仲間を斬る。顔見知りの仲間の四肢に、切断するという確固な意思を持って刃を振り下ろす。それは既に死んでしまった仲間も、まだ意識のある仲間も変わらない。

 

「あ……あり、ありがとう」

「お礼なんてっ、ありがとうだなんて、っ言わないでくれぇっ!!」

 

 日輪刀は鬼を斬るものなのに、それを人間に、しかも生きている仲間にさえ振り下ろすなんて、なんと罪深いものだろう。

 だがこうしなければならなかった。こうでもしないと、また鬼に操られ、己を含めた誰かの命を奪いかねない。

 操られた者は己の手で仲間を殺したくはなく、だからこそ、自分を殺してくれと頼み、願いを聞いてくれた男に対して感謝を述べた。

 

「アアアアアアアアア!!!!」

 

 存分に仲間の四肢を解体した男は、足元に群がる小蜘蛛を蹴散らし、仲間の血で濡れた刀を納めることなく走る。その途中で大きな繭玉とすれ違う。中からは共に入山した男の声が聴こえてきた。低くくぐもった悲鳴が、必死に助けを求めている。

 

 ここから出してくれ、と。

 見捨てないでくれ、と。

 置いていかないでくれ、と。

 

 繭玉から響く喉をかきむしるような叫びを捨て置いて、男は見捨てる自分に吐き気を覚えながら、背を向け逃げた。

 

「う………おエェぇぇ!!」

 

 自己嫌悪の吐き気に加え、風が運んできた喉の奥まで犯してくる刺激臭に、男は耐え切れず胃の中身をしたたかにぶちまけた。

 胃の中身を出し切り、荒ただしく口元を拭うと、男は再び走り出す。どこからかくふふと悪悦に満ちた哄笑が聴こえてくる。

 

「ごめん、ごめんみんな、俺はまだ死にたくないっ……!!」

 

 嫌な汗が肌に粘り着く。髪もじっとりと濡れて肌にこびりつく。背筋を這うように汗が流れた。

 

「ハァッ……ハァッ……ハァ」

 

 後ろから追い立てるように迫るカサコソとした足音。その正体に感づきながらも、男は全身全力で足を動かす。後ろを振り返るような余力は無かった。

 

「あぁ、外だ! 外だ!! 助かった!!」

 

 鬱蒼とした木々を抜け、少し先には開けた道が広がっている。

 

「あと少し、あと少しぃぃ!!」

 

 沸き上がった希望を目の前にし、男は既に助かったつもりでいた。

 

 これが、仕組まれていたことに気付かずに。

 

 たったの一歩、山の外に出た瞬間、男は万力のような力で後方に引っ張られ、山の方へと逆戻りしていく。操り糸だ。

 

「ああっ、あああ!! 取れろ!! 取れろ!!」

 

 目と鼻の先にあった希望は泡沫と消え失せ、絶望が再び姿を現した。それはまるで、絶望が希望の皮を被っている様だった。

 男は精一杯踠くも、体は開放されることなく宙に浮かんだまま、恐怖を煽るようにゆっくりと、闇の口へと運ばれる。

 

「ガァァァァァ!!!」

 

 後ろから、恐ろしい咆哮があがった。見たくもないのに首は勝手に後ろを振り向く。見えたのは、九尺をゆうに超える人型の巨躯。そして月明かりに照らされ鈍く煌めく鋭い牙に九つの巨大な瞳。

 その鬼の口がガパッと開かれ、涎が糸を引くように地面に垂れていく。

 

「やめろぉぉぉぉ!!!」

「くふっ、くふふふふっ!!」

 

 その笑い声が再び聞こえたのは、鬼の手に胴を捕まれた時。

 

「ギャあアあアアあア!!」

 

 バキ、ボキッ、ボリボリボリ

 

 しかしその声の主を見る前に、男は鬼に喰われていった。




 時透さんちの有一郎くん。
 蝶屋敷に戻った後、退院してないのに出歩いたということで、胡蝶さんからどいつもこいつもパンチを受ける。

 時透さんちの無一郎くん。
 頭に銀子を乗っけるのは、それが一番速いから。
 ニンニン!

 煉獄さんちの杏寿郎さん。
 自殺した忍びを見て、助けられずにちょぴり落ち込む。しかし次は止めると意気込み、脚力を鍛え始める。
 有一郎を呼んだのは、実力も申し分なく、また護衛対象に一番近い年齢だったから。

 宇随さんちの天元さん。
 非番で屋敷にいたら、有一郎の鎹鴉である金子に「チュエイ!!」とドリルくちばしを喰らった。お返しに虹丸が、するどいくちばしでやり返した。

 下弦の肆こと零余子さん。
 血鬼術は安定の捏造。美味しそうな匂いに誘われてやって来た。

 奸鷄。
 鎹鴉を捕らえて配下に加える。一度に沢山の配下をゲットできてハッピー。
 なお、無惨のように配下の思考を読んだり、位置を把握したりすることはできない。

 大正こそこそ裏話。
 護衛が煉獄なのは、他に適任が居なかったため。風柱と水柱は言うまでもなく排除。岩柱と音柱は背が高すぎて恐怖を与えるのではないかと思い却下。蛇柱は蛇を連れているので駄目。恋柱は最近気が落ち込んでいるのかぼーっとすることが多く、不安なため除名。蟲柱が一番適任だったが、何時急患が訪れるか分からないため駄目。よって霞柱と炎柱が残り、最終的に年齢で決めた。











































































 夜の天蓋に包まれた遠き空。
 幾種の宝石を散らばしたかのような星の色。
 千里を照らす天満月(あまみつき)

 その光の美しさたるや。

 何時からだろうか。こうして、空を見上げるようになったのは。

 火男の面から覗く視界は狭い。空に懸かる月を良く見るために面をずらせば、鉄井戸の頬をひと撫で風が過ぎて行った。


「…………」

 星空を見上げると、心が不思議な安らかさに抱かれる。
 己の命はあと幾許か。だというのに、心中にはあまりに穏やかな風が吹く。

 それは偏に、為すべきことは為せたからか。
 家に残した桐の箱。風呂敷で包んだそれは机の上に置いてある。鉄穴森なら儂の意を汲んでくれるだろう。

 心残りは勿論ある。だがそれは、我が身をこの世に留める楔にはなり得ない。

 刀に人生を捧げて何十年。鬼が居ない世界を夢に見る程望んだ。
 然れど現し世は悲哀に叫ぶ。繰り返す悲しみの連鎖は断たれることはなく、今も何処かで誰かの血と悲鳴が繋がれる。

 だが絶望は無い。

 鎖は果てしなく続いて見えるが、誰かが必ずや断ち切ってみせる。そう鉄井戸は信じている。

 もはや己の死は目前。だというのに細胞は静かに沈黙する。

 死への恐怖に瞳が揺れることはない。
 生への渇望に喉が苦しむことはない。
 沼に溺れるような絶望もなければ、奈落の底に居るような孤独感もない。

 突如、一際強く叩いた胸の内。それっきり心の臓は語らない。
 はっと漏れ出た吐息。よろける体。傾く視界。仰向けに倒れて視界一杯に空が映る。火男が乾いた音を立てて転がった。

 残された時間はあとひと息。その刹那、夜空の欠片が瞬いた。
 天に描かるるは星の軌跡。儚くも美しい死の輝き。
 それはまるで夢の景色のように、
 実に美しい―――――眺めだった。

「……嗚呼」

 天上の奇跡にどうか祈る。どうかと願う。

 鉄井戸の頬に涙が伝う。静かに、静かに、月の光をたらふくに呑み込みながら、流れ落ちる。

 震えるような息を最後に、口端から煙管が力なく落ちる。

 カラン、コロン。軽やかな音をひとつ遺して、動くものは、なくなった。


 ―――願わくば、どうか、どうか

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