世を照らすのは日輪だけじゃない。   作:ポンタ ponta

14 / 22
 明けましておめでとうございます。今年も『世を照らすのは日輪だけじゃない。』をよろしくお願いいたします。皆様の感想や評価を心よりお待ちしております。
 さて、前回更新は2月と言いましたが、筆が正月の陽気にあてられてウェーイし始めたので思った以上に早く投稿できました。まさか三日で九割書き終わるとか思ってませんでした。けれど無一郎くんの登場は次回に持ち越しになりました。すまぬ。
 また、今回胡蝶さんの落差が激しいです。具体的には慈愛の天使から残酷な天使です。もしかしたらキャラ崩壊してるかもしれません。ご注意ください。
 そして今回の内容のネタバレになりますが、私、色々と考えた上でタイトルを決めています。なので、前回のタイトルで記載したとおり、前回の続きであった胡蝶さんの話は『再会はもう望めない』とおりになっています。今後もタイトルに関してはそんな感じになっているので、お暇があれば読む前と後で考えてみて下さい。
 あと、今回の『行く』は誤字ではないです。こうした方が良いかとこっちの漢字を使ってます。

 少し全体に関する説明になりますが、私は漢字に読み方をあまり振りません。理由としては、読者の皆様の語彙力を上げるため、というのもあります。漢字に読み方を振ってしまうと意味を理解しないまま進んでしまいます。これは私的にあまり望みません。なのでお手数になりますが、一度検索を挟んで漢字の意味を理解していただいてから読むことで、更に人物の心内や情景等が想像しやすくなるかと思われます。なのでわざと振っていません。
 そんなの関係ねぇ! そんなの気にしねぇ! という小島よし○ばりの方はそのままお進みください。


第14話 外面如菩薩内心如夜叉。

 その光景に眩暈がした。血の気も引いた。

 思わず後ろにたたらを踏んでよろめいた。

 

 凄惨な部屋の中、虚ろな瞳で横たわる二人の男女。

 

 なぜ夢に手を伸ばした矢先にこうなるのか。

 私が弱いからか。

 私の背が小さいからか。

 姉のような力がないからか。

 

 だから私は、間に合わなかったのか。

 

 

 

―――………

 

 

 

 薬種問屋の主人から助けを乞われた胡蝶しのぶは、部屋の一室を借りて隊服に着替えたあと、主人に書いてもらった地図を頭に叩き込み、北の方角へと走っていった。

 帝都からは幾分とだが距離があり、着いた頃には夜の帳が下りていた。

 緑が深い山は沈黙に満ち、不審な物音や匂いは一切しない。強いて言うならしのぶが空を切る音のみが微かに響く。

 

 しかしその沈黙はすぐに裏切られた。

 鬱々とした森を疾走する最中、鉄錆の匂いが鼻につく。

 

 鼻を侵す嗅ぎ慣れた匂いに、まさか、と最悪な予想がしのぶの頭に浮かぶ。

 

 緩んだ足を叱咤し、肺を膨らませ、風が運ぶ匂いの先へと飛ぶように駆けた。

 

 匂いの元は茅葺き屋根を指している。目的地も此処だった。

 灯りの点いていない家から、今も漂ってくる濃い血の匂い。

 

 助けなくては。

 

 中半から粉砕された引き戸の向こう。

 月明かりが照らす居間の先には、凄惨な光景が広がっていた。

 

 畳も壁も天井も、真っ赤な血で染まっている。

 その部屋の奥の暗がりに、重なる二つの肉塊。

 未だ血の滴るそれは、人間であったもの。

 女性の方は、骨が皮膚を貫き、指はてんでバラバラな方向を向き、四肢は折れに折られて畳まれていた。

 その一方で男性の方は、女性より幾分かマシだが右手の手首より先は無く、代わりに剥き出しの骨と垂れる皮膚と肉がそこにはあった。

 

 部屋に広がる地獄を見て、しのぶの体の奥底が、蜷局を巻くようにあぶついた。ぐつぐつと煮え立ち、粘つく泡を立てる。

 

 これ程に酷く外傷があれば、もはや生きてはいない。

 

 そう思ったのを覆したのは、ゴボッと吐き出された血の音だった。

 

 男は生きていた。その肉塊のような体になってもなお。

 

 

 

―――………

 

 

 

 その日は、異様な雰囲気に満ちた夜だった。

 最近になって人死にが頻発し、それゆえに家の周りには篝火と熊よけの鈴縄を張り、万が一のために猟銃も用意した。

 

 始まりは物音からだった。家の外から聞こえてきた鈴の音に、彼はいち早く気付いて猟銃を手にして家を出た。袖を引く妻にすぐに戻るとだけ伝えて、さっと家を出る。

 

 彼はもちろん、銃など扱ったことはない。知り合いのマタギに使い方と手入れの仕方を学んだくらいだ。訓練された軍人とは違う。恐怖をどう抑えれば良いのかすらわからなかった。

 恐怖に震える手で銃身を持ち、音がする方向へと砲身を向ける。

 音が近づいてくるにつれ、息が荒くなった。寒くもないのに歯がガチガチと音を鳴らす。本当は自分だって誰かに守って欲しい。死ぬのは嫌だ。

 けれど自分の死の恐怖よりも、愛する人が傷つく姿を見る方が、いっとう恐ろしかった。

 

 ―――不意に、目の前の茂みが揺れた。直ぐに撃った。恐怖を振り切るように叫んで、二発、三発、四発と、撃って、撃って、撃って、そして空撃ちした。

 その時になってようやく、彼は肺の空気を使い果たして窒息しかけていたことに気付き、深く呼吸をした。

 荒立つ心臓が鳥の声も虫の囁きもかき消して、今にも飛び出そうなほどに胸を叩いた。

 

「あなた……?」

 

 後ろから声をかけられて、銃に手を添えながら振り返る。振り返った先には愛する妻がいて、漆黒の瞳は風に吹かれた水面のように揺らいでいた。

 

「大丈夫さ。奥に入っていてくれ」

「あなた」

「心配いらないよ。さあ」

 

 潤んだ瞳で哀願されたけれども、彼は妻をそっと家の方へと押し返した。

 

「大丈夫だ。大丈夫」

 

 安心させてあげたいが、一辺倒にそんなことしか言えない。自分が凄腕の兵士であればもっとマシな事を言えただろうか。心配させることなく、頼もしい背中を見させていられたのだろうか。

 無力感に苛まれながら、袖引く妻を優しく押した。安心させるように笑顔を浮かべ、きっちりと扉を閉める。

 

「ああ、きっと大丈夫さ」

 

 扉ごしの妻に背中を向け、自身に言い聞かせるようにそっと繰り返し、彼は覚悟を決めた。

 また葉音が掠れる音がした。更に枝が折れる音もする。鈴縄を引っ掛けたモノが近づいてきているのは明白。

 

 心臓がそぞろに騒がしい。今だけ、今だけは止まって欲しいと彼は思う。

 

 そして、それは姿を現した。その姿はまるで、おとぎ話の鬼の様だった。

 その姿を認めた途端、体が浮いて、すぐに地面に叩き付けられた。口の中に血の味が広がる。銃を撃つ暇すら無かった。その銃も、既に手から離れて地面に転がっている。

 

「ヒヒャハハハ、男だ男だ!! 人間の男だぁ!!」

 

 腕を捕まれて地面に叩き付けられる。

 足を握られて木に打ち付けられる。

 

「ふっ……ぐ…………っ」

 

 自分をいたぶる鬼の嗤い声のせいか、骨が折れる音か、それとも溢すまいと唇を噛んで堪えた苦痛の声が漏れてしまったのか、家の扉がほんの少し開いた。そこから一対の瞳が覗く。

 

 やめろ駄目だ見るな戻れ音を立てるな今すぐに!!

 

 叫べるものならそう叫びたかった。

 

 ぱっちりと妻と目があった。

 ああ、そんな目をしないでくれ。大丈夫。大丈夫だから、良い子だから、ゆっくりと家の中に戻ってくれ。

 

「なんだぁ? 家ン中に誰か居ンのかぁ?」

 

 鬼が目を向ける。訝しげな視線を妻がいる家に向けて鼻をすする。

 

「匂う、匂う、匂うなぁ。女の匂いだぁこれは」

 

 胸の奥が、腹の底が、頭の中がぞっと冷える。

 止めなくては。何がなんでも、何をしても何を犠牲にしてでも、そこに行かせてはならない。

 

「ウヒャヒャヒャ」

 

 鬼が笑みを深める。愉しげに、眼がすぅっと細くなった。

 妻が血に染まる姿を想像しただけでたまらなく恐ろしくて。行かせてはならぬと折れた腕を鬼の足に巻き付けた。

 

「なんだぁ? オレの邪魔すんのかぁ?」

「ぐぅ……行かせ、ない。……ぜ、…だいにぃ!!」

 

 行かせないと言いかけて、また投げられた。地面をゴロゴロ転がって、最後は倒れていた大木に背中を強かにぶつけて止まった。

 

「あ………」

 

 数瞬、意識が混濁する。

 背中を勢いよくぶつけたせいだろうか、鈍い熱さだけを感じるだけで、痛みが消えた。けれど腕と足は動く。

 

「そこまでオレを止めるとすると、そこに居る女はおめぇの大事なもンと見た」

 

 鬼は嗤う。朗らかに、上機嫌に。

 そしてより一層笑みを深くする。何か思いついたとばかりに目元と口元が弧を描く。

 覗いた牙が不穏に煌いた。

 

 ああ、まさか、まさか、やめてくれ。

 それだけはやめてくれ。お願いだから。

 

 邪知を煮詰めた顔で嗤う口元から、飛び出す台詞に予想がついた。

 

「おめぇの前でそいつを殺せば、おめぇはどんな音を奏でるのかなぁ?」

 

 ギャハハと嗤って、ひとっとびで家の中へと鬼は飛び込んだ。

 そのすぐ後、絹を裂くような悲鳴が家の中から轟いた。

 耳を劈く悲鳴は、たちどころに鬼の嘲笑と肉が潰れる音が塗り潰した。

 

「ぐ、ぐぐぐ、ぐぅうぅ」

 

 折れた腕と足を引きずり、地面に這いつくばって家を目指す。

 待っててくれ。俺がすぐに行くから。それまで堪えてくれ。

 口元に銃を咥えて、ずりずりと家の中を目指す。

 

 幸いにも痛みを感じられなかったから、想像よりも早く家の中に入れた。

 もう少し、もう少しと這いつくばって、居間の襖を開けた瞬間だった。

 

「あああ、ああ、あああああああ!!!!」

「ソレだよソレソレ! いぃ~い音色だぁ!! もっともっと聴かせてくれよォ!!」

「ああっ、あああっ、ああああ!!!」

 

 妻が妻が妻が、血に濡れて伏している。

 烏の濡れ羽のような黒髪は血の池に漂って、新雪のように白い肌は深紅の色に染まって、紅いらずの口元は俺の名前を囁かない。

 

 見れば一目で死んでいるとわかる。それでも、彼は目の前の現実が受け止めきれずに、妻であったものに手を伸ばす。どうしても受け止めきれず、諦めきれず、その温もりに触れたくて、畳の上を這いずった。

 あと少しで触れるという時に、伸ばした右手が鬼に潰されて引きちぎられた。

 

「残念だったなぁ。ほれ、あともう一本伸ばしてみろ」

 

 引きちぎった右手をボリボリ咀嚼して、鬼は酒の肴とばかりに二人の人間をげらげらと嗤って眺める。

 

 彼は右手があった場所から噴き出す血を意にも止めず、今度は左手を伸ばす。

 伸ばされた手はまたも引きちぎられるかと思われたが、不意に鬼があらぬ方向を向いた。

 

「チッ、鬼狩りが勘づいたな」

 

 それだけ言うと、鬼は瞬く間に姿を消した。

 彼が伸ばした左手は、何者にも阻まれずに漸く、妻の元についた。

 

 自らの血で赤くなった指を這わせれば、真白の肌に一筋の赤が描かれる。

 這わした指先は目元で止まった。

 

「雪菜」

 

 囁いた名前は掠れて、しかし返事はない。

 もう一度名前を言った。返事はない。

 もう一度名前を呼ぶ。けれど返事はない。

 

「ああ、ううう、ぅうう」

 

 涙が零れる。妻が死んでいるとやっと自覚して、その証拠とばかりに涙が降ってやまない。

 もう、その愛らしい唇で名前を呼んではくれないと悟った瞬間、嗚咽が吹き出した。

 

「雪奈、雪奈、雪奈ぁ」

 

 瞳から涙が迸る。鼻水が喉に詰まって呼吸が止まりそうになる。自身の涙で溺れかけても、愛する妻から離れたくはなかった。

 

「う、う、うぁうぅ」

 

 死んだ。死んだ。雪菜が死んだ。

 途端、腹から熱いものが込み上げて、堪らず吐き出した。吐き出された吐瀉物は、真っ赤な血だった。

 

 それが血だと認めるのと同時に、身体中が厭に熱くなった。さながら燃えているみたいに。

 

 自分の死が近付いていることを悟って、せめて妻の直ぐそばで眠りたいと頭を寄せた。

 

 その時だった。

 音もなく気配もなく、何者かが襖の向こうに居た。

 

 暗く狭窄する視界の中でも、その人物が美しい者だということがわかった。

 あまりにも美しいものだから、彼は彼女が、あの世に連れていく天使か死神かと思ってしまった。

 

 再び込みあげたものを吐き出せば、彼女は一瞬目を瞠った。そして自分の元にくると傍にしゃがんで顔を覗き込む。

 

「貴方の名前は、雅人で間違いないですか?」

 

 僅かに頷きつつ、出血で鈍る頭の中、何故自分の名前を知っているのか不思議に思ったが、「貴方の父親からのお願いです」とそれに付け足された店名に、納得がいった。

 

「できるだけ動かないでください。今から治療を始めます」

 

 鞄からガーゼと注射器などの医療器具を取り出した彼女に、首を振った。

 いらない。愛する人を亡くした世界で生きたくはない。

 その思いを汲み取ってくれたのか、鎮痛剤だけを打ってくれた。それすらもいらなかったけれど。

 

「な、なにも……いらない。体中が、もも、燃えてるみたいに……熱いんだ。自分……で、もわかる。……もう……な……長くない」

 

 喉で絡む血のせいでどもりながら伝えれば、彼女は少し悲しそうな顔をした。でもそれも一瞬のこと。すぐに優しい顔に戻ると、ガーゼで顔や口に付いた血を拭いてくれた。指に血が付くのも躊躇わず、慈愛しかない手つきで妻の顔も拭ってくれた。

 

 その眼差しに、どうして父親の顔が思い浮かぶのか。

 

「なぁ……頼みたい……ことが…………あるんだ」

 

 吐血しながら頼めば、彼女は硬い表情をした。きっと願いの内容も勘づいているんだろう。

 再び血で濡れた口元を拭いながら、彼女は頷いた。

 

「父親に………頼む」

 

 今までの時を振り返れば、あっという間な日々だったと思う。でもその大半は父さんが占めていた。

 母さんが事故で死んでしまって、父さんは男手ひとつで育ててくれた。

 母さんの分も愛情を込めて、ここまで育ててくれた。

 いろいろなことを教えて貰った。文字の読み書きから始まり、薬種の良し悪しやガラの悪い者たちへの立ち振る舞いについてまで。俺は薬種を売るより土をいじる方が好きだったから、父さんの後を継ぐことはなかったけれど、後悔はしていない。

 きっと帝都で毎日心配してくれてたんだろう。不安や心細さもあったんだろう。頻繁に手紙を送って、いつもいつも書き始めは病気や怪我の心配だったね。特に最近は不穏なことばっかり書いていたから、随分と心配させてしまっただろう。ごめんね。

 

 ああ、伝えたいことが多すぎる。沢山の言葉があふれ出て止まらない。でも、やっぱり伝える言葉はこれだと思う。

 

「俺を………育ててくれて、あり、が……とう。愛し………てる。そして親、不幸者で……ごめん」

 

 父さんの最期は看取ろうと思っていたけれど、叶えることはできない。子供は俺一人だけだったから、他の兄弟に頼むこともできない。父さんはたったひとり、孤独になってしまって悲しいよね。ごめん。

 父さんに申し訳なくて、もう再び会うことは望めなくて、涙が溢れて、出血で死ぬより脱水で死ぬと思うくらい涙が流れた。

 

「ああ、目が見えない。何も見えない。真っ暗だ」

 

 視界がぼやけて見えなくなり、体が冷たく感じてきて、本格的に死に向かって歩き始めているとわかる。

 左手にぬくもりを感じた。彼女が握ってくれたのか、それとも妻が握ってくれているのか、わからないけれど涙がまた、ぽろっと流れた。

 

「大丈夫です。大丈夫ですよ」

 

 彼女の声が、遠くから聞こえる。

 

「……うん」

 

 自分の声も、霞がかってよく聞こえない。

 

「とう………さ、ん」

 

 ああ、思考が………ほつれて、あたまが、溶けて……く。

 

「と………さ……ん」

「さき………に………ま………………って、る」

 

 父さん、ありがとう。

 母さん、ありがとう。俺もすぐに行く。

 ありがとう。

 ありがとう。

 

 遠くで、愛しい人の声がした。

 ああ、もうすぐ君と会える。君の声が心地良い。

 

「おやすみなさい」

 

 誰かの声が聞こえた。誰かわからない。けれど、

 

「あり………が、と………う」

 

 さようなら、名も知らぬ優しい人よ。

 さようなら、父さん。愛してる。

 ただいま、雪奈。愛しい人よ。

 

 

 

―――………

 

 

 

 目の前で死んだ青年。頬は涙で濡れて、口元は穏やかな笑みを浮かべていた。

 しのぶはその頬を、白いハンカチでそっと拭った。

 

 鞄に医療器具を戻す頬には、涙も涙の跡も無い。

 目の前で人が死ぬのは慣れている。嫌が応にも、慣れるしかなかったのだ。

 片づける横顔は、変わらぬ微笑を保ったままだけれど、堪え切れないとばかりに長い睫毛だけが震えていた。

 

 鞄の留め具を留め、すくっと立ち上がる。

 

 これから、帝都に戻らなくてはいけない。

 どんなに伝えたくない内容でも、伝えなくてはならない。

 それが期待を裏切る結果になったとしても。

 

 でも、その前にやらなくてはいけないことがある。

 鬼を滅殺することだ。

 

 噴き上げた感情と呼応するように、掴んだ刀がぎしぎしと軋んだ。

 

 そして胡蝶しのぶは姿を消した。

 肺を極め、俊足を高め、思考を巡らせ、五感を研ぎ澄まし、鬼を驚異の早さで見つけ出した。

 件の鬼は洞穴に潜んでいた。

 

 たちまち追い詰められた鬼は身勝手に命乞いをした。

 

 殺さないでくれ、助けてくれ、もう人を喰わないし殺さないから、と。

 

 しのぶは思わず眉を顰めた。

 もう殺さない? もう人を喰わない? 一体どの口がそう言うのか。

 

 突き出された刀は唸り声を挙げ、その醜い瞳を突き刺した。

 その勢いは目玉を穿ち、頭蓋骨に当たっても衰えず、後頭部を貫いた。頭を貫いた勢いで、血やら脳やら脳髄液やらがべちゃべちゃと地面に飛び散った。

 

 土砂混じりの岩を赤く濡らし、鬼は苦悶の声を挙げて転げ回る。

 脳内に直接注ぎ込まれた毒は、暴れまわるように脳を破壊する。

 解毒しようにも、構造が複雑過ぎて簡単にはいかない。ならばと、己の手で頭を弾き飛ばすことで取り除いた。頭は再生し、毒を排除できたものの、その息は荒い。

 

 そして息が整うそばから、鬼は叫んだ。

 お許し下さい、やめて下さい、死んでしまいます、と。

 

「喧しい口を閉じろ。吐き気がする。今晩夫婦を殺したのはお前だな?」

 

 鬼の眼前に突きだされた刃に刻まれた『滅殺』の二文字が鈍く、そして妖しく煌めく。

 鬼狩りの激怒を感じ取った鬼は、必死に言葉を探す。

 真実を言ったら殺されるだろう。嘘をついても殺されるだろう。

 どっちに転んでも殺されるなら、ほんの少しでも可能性の高い道に転ぼうと、鬼は叫んだ。

 

「違います! オレじゃない! オレじゃないんです!!」

 

 洞穴に木霊する、虚偽まみれの命乞いの叫泣。

 そんなもの、しのぶに通用する筈が無かった。

 

「嘘をつくな外道が。お前からは血の匂いがする。濃厚な血の匂いが。その匂いを巻き散らかしておいて殺してない? 嘘も休み休みに言え」

 

 鬼が口を開く度に血の匂いが漂う。

 鬼が動く度に血の匂いが移動する。

 その匂いを嗅ぐ度にしのぶの脳裏には、あの青年と女性の姿がちらつくのだ。

 あの状態になるほどの残虐非道な仕打ち。あの仕打ちを見れば、この鬼が人間をただ喰うだけに飽き足らず、悦んで人間を玩具のように嬲り、弄んでいるのはゆうに想像できた。体にも血の匂いが染み付いてるのだ。吹き出た血を避けることもせず、自ら進んで浴びていたのだろう。

 

 ほんっとうに吐き気がする。

 

 怒りは際限を知らず膨れ上がり、それをぶつけるように切っ先を突き刺した。鬼はゴハッと血を吐く。

 

「ただで死ねるとは思わないことね」

 

 声は地獄の底を這う程に低く、摩訶鉢特摩の如き冷気を孕んで、這いつくばる鬼を卑睨する。

 次いで呼吸音と共に紡がれた複眼六角。そして風を切り裂く音。その刹那の時間でしのぶは的確に急所を突く。水月、咽頭、肝臓、腎臓、心臓、脳幹。

 計六ヵ所に打ち込まれた毒は鬼の体を内側から蝕み、死すら生ぬるい激痛を鬼に与える。

 想像を絶する痛みが脳に直撃し、鬼はもんどりうって絶叫する。

 

「お前に与えた毒は痛みのみを追及したもの。簡単に死なせはしない」

 

 激痛のあまり涙を流す鬼の顔を覗き込み、しのぶは艶然と微笑む。

 

「痛いでしょう? 苦しいでしょう? それは鬼の再生力を逆手にとって調合したものだ。重要な器官を内部から破壊し、筋肉の断裂を起こして、皮膚を引き裂く。弱い鬼なら大抵すぐに死んでしまうがお前は違うでしょう? なまじ再生力が高いがために何度も何度もその痛みを味わい続ける。それこそ永遠に、だ」

 

 さらにしのぶは、四肢と頭部に新たな毒を打ち込んだ。

 それは麻痺毒。万が一にも自らの体を破壊して、毒を強制的に取り除くのを防ぐため。

 麻痺毒を打ち込まれた鬼は、口を開くことも許されず、もはや痛みを感じるだけ。

 絶望に染まった瞳は恐怖で滲み、視線でしのぶに助けを乞う。

 

「助けてほしい? その苦痛を取り除いてほしい?」

 

 地獄もかくやという苦しみに悶える鬼に、しのぶは蜘蛛の糸を降ろす。

 もちろん鬼は一も二もなく視線で頷いた。

 いいでしょう。そう菩薩の如き微笑を湛えて、しのぶは強烈な蹴りを鬼に叩き込み、洞穴から鬼を蹴り飛ばした。

 血反吐を巻き散らかしながら飛ばされた鬼は、開けたところまで転がった。

 

「助ける訳がないだろ。劣悪窮まる極重悪鬼め。夜明けを迎えるまで、今まで喰った人へ詫びていろ」

 

 そう吐き捨てたしのぶの表情たるや夜叉の如きに凄まじく、まさしく嚇怒と憎悪で燃えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝焼けが一日の始まりを告げる前、煉瓦が黄金色に輝くその前に、帝都の一角にひっそりと悲哀の一報がもたらされた。

 その一角である薬種問屋の戸が叩かれる。

 目の下に隈をつくった主人が彼女を迎え入れた。

 

 心配で震える声で、雅人と雪菜は、と主人が問う。

 陰を落とした声で、ごめんなさい、としのぶが答えた。

 

 途端に、主人は顔を覆って泣き出し、堪えられないとばかりに膝を折った。

 

「ううぁ、ああ、雅人、雪奈っ!!」

 

 主人の悲痛な哭声は、全霊の哀しみで震えていた。

 落涙と共に紡がれた二人の名前が、しのぶの心を深く抉った。それでもしのぶは哀しみに寄り添うように、主人の肩に手を置いた。

 

「死なないでほしかった………死なない、で、ほしかった!!」

 

 主人の手が縋りつくようにしのぶの翅羽織を掴む。皺が刻まれた手は酷く震えていた。

 その手をしのぶは両手でそっと優しく押さえて、青年が遺した言葉を届ける。

 

「雅人さんから、お父様へ言伝です」

 

 バッと顔が上がる。涙でぐしゃぐしゃになったその顔は、さっきよりも老けたように見える。

 

「育ててくれてありがとう。愛してる。そして親不幸者でごめん、と」

 

 一言一句を漏らさずに聞いた主人は、両拳を握って再び慟哭する。

 

「………馬鹿やろう、馬鹿やろう、親より先に死ぬだなんて、っお前は、とんだ大馬鹿やろうだ………っ!!」

 

 涙で掠れた嗄れ声があがる。

 生きてさえいてくれればよかったんだ。どんな怪我を負っていても、また顔が見れればそれでよかった。それ以外なんも望んじゃいねぇ。

 

「もっと生きて、生きて、生きて、そんでもって大往生するくらいに、俺より長生きしてっ………」

 

 お前たちの子の姿を見たかった。

 男の子なら腹いっぱいのご飯を。女の子なら腕いっぱいの服を。

 毎日が幸せいっぱいの日々を送らせてやりたかった。

 

「ふ………う、………うぅ」

 

 ああ、嗚咽が、止まらない。

 

「愛してる……! 愛してるっ……!! ……っ…俺とあいつの子だ。お前らにゃこれからもっと幸せな未来があっただろうに………どうして死ななきゃならなかったんだ………っ!!!」

 

 しのぶは瞳を揺らすばかりで何も答えられなかった。いっそのこと、怒りに任せて罵ってくれたらどれほど楽か。

 

「………すまない、君を責めている訳じゃねぇんだ」

 

 一瞬だけ喉を詰まらせ、主人は涙混じりにぽつぽつと語り出した。

 

「俺の妻は鬼に殺された」

 

 顔は俯いて、声は下がって、涙が畳にぽとぽと落ちる。

 

「十年以上も前のことだ。鬼と戦っているところに二人して出くわして、鬼に殺されかけた。けれど襟詰の黒衣の一人が、身を挺して庇ってくれた。その人は絶命してた。俺の命と引き換えに、見ず知らずの人間が死んだんだ。………妻は庇ってくれた人ごと貫かれて、血を吐いて、痙攣して、死んだ」

 

 主人の涙は涸れ果てても、哀しみばかりが溢れて頬を伝う。

 

「最終的には、救援に駆けつけてくれた人が鬼を斬って、助けてくれた。彼は妻を助けられなかったことを詫びていた。彼を責める訳にはいかなかった。俺たちを助けるために何人もの命が消えたんだ。感謝はすれど、責めることなどできなかった」

 

 もはや再会を望めない四人。死者の天と生者の地上はまみえない。

 亡き三人を想って主人は、あまりに静かにポツリと零した。

 

「もう一度皆に、会いてぇなぁ……」 

 

 その言葉がしのぶの心の柔らかい部分を、何よりも深く鋭く、抉る様に突き刺した。

 その気持ちは痛い程にわかる。泣きたくなる程に知っている。自分のものと思える程に理解できる。しのぶも鬼に両親を奪われた。その瀬戸際に姉もいる。

 目の前で人が死に、邪知暴虐な悪鬼が闊歩して、残された人が悲しみに暮れて、姉の夢に手を伸ばした矢先の出来事に、しのぶの心は弱くなっていた。

 だからこそ、だからこそ―――。

 

 主人は、はっと息を呑んだ。

 その瞬間。その一瞬。まるで時間が止まったように感じた。

 永遠にも思えるその刹那の時間は、縫い留めたかのような鮮烈な輝きを、主人の目に焼き付けた。

 

 ぽろり。

 ぽろり。

 また、ぽろり。

 

 ―――だからこそ、しのぶの頬に幾筋の涙が流れた。

 

「泣いて………くれるのか」

 

 薫色の瞳に、小さな海が広がる。

 透き通る程に淡く、光り輝く程に煌めく水面。

 

「ごめんなさい」

 

 もっと早く駆けつけていれば、彼と彼女は死ななかったのかもしれない。

 今日も笑って、太陽の光を浴びていたのかもしれない。

 何の変哲も無いけれど、幸せな生活を送れていたのかもしれない。

 沢山の“かも”が溢れて、それと同じくらいに自身を責めた。自分の無力さを恨んだ。

 自分の手がもっと大きかったらなぁ。

 もっと身長があったらなぁ。

 ほんの少しでも体が大きかったらなぁ。

 もしそうだったなら、剣士と呼べない毒使いになることもなかったのかなぁ。

 誰かの幸せを守れる人になれたのかなぁ。

 

「ごめんなさい。私のせいで」

 

 白い頬に涙を流すしのぶを見て、主人は彼女が、まだ大人に守られるべき少女なのだと気づく。言動が大人びた立ち振舞いだったから、「大人の女性」の雰囲気が醸し出ていた。

 けれど本当は違かったのだ。

 

「君は悪くない。なにも悪くないんだ」

「ごめんなさい。ごめんなさい」

「だからありがとう。ありがとう、本当に」

 

 真珠のような雫を落とすしのぶを、主人は優しく抱きしめた。

 腕の中に納まった少女は、思ったより遥かに小さいものだった。

 

「ありがとう。君の流した涙を、俺は決して忘れない」

 

 しのぶは小さな声で返す。囁く様だった。

 

「ごめんなさい。助けてあげられずに、守ってあげられずに」

 

 ごめんなさい、と。しのぶはひたすらに小さな声で謝り続けた。

 それを見て、主人は涸れた筈の涙がまた込み上げ、二人してハラハラと花弁が零れるように涙を流した。

 

 ―――燃えるような朝日が顔を出す。夜の闇は振り払われて、世界が黄金色に輝き始める。

 時間は止まってはくれない。巻き戻ることもない。だから人間は前を向いて、歩くしかない。

 どれほどの哀しみに打ちひしがれても、

 どれほどの苦しみにのたうち回っても、

 唇を噛んで前を向くのだ。

 一歩ずつ道を踏み締めて歩いていくのだ。

 それが、残された者がすべき生き方なのだから。




 時透さんちの有一郎くん。
 多分きっと恐らくメイビー次々回に登場。

 時透さんちの無一郎くん。
 出演は次回に持ち越し。しばしのお待ちを!

 胡蝶さんちのしのぶさん。
 体格が小さいため、主人から十代前半くらいと思われている。
 今回お館様から渡された、改良済みの調合書を元に作成した毒を使用。名前は鬼の目にも涙。えげつねぇ効能だ!

 薬種問屋の主人。
 二人の遺体と遺品は隠たちの手によって運ばれる。運ばれてきた息子の死に顔を見て、主人はこれから先、一生泣くことができないくらいに涙を流した。

「なんて……顔して………死んでんだよ……っ!!」

 隠たちが見守る中、二つの物言わぬ骸に縋りついて、主人は歔欷の声を挙げ続けていた。

 大正こそこそ裏話。
 救援に駆けつけた隊士は煉獄槇寿郎さん。時系列的には伊黒さんの任務の前。
 ちなみに、雪奈さんと雅人さんの関係は幼馴染。相思相愛の果てに結婚。てぇてぇなぁ。死ぬだなんて可哀想に。ま、私が殺したんですけどー! ……いやストーリーの進行上仕方ないことだったんですよ。私に殺されることは大災に遭ったのと同じだと思って諦めて下さい。

 補足
 妻が鬼に殺されたことは息子(雅人)には言いませんでした。怖がらせたくなかったからです。なので母親は事故で死んでしまったことになっています。誤記ではないです。
 また、胡蝶さんが蝶屋敷に着いた後、炭治郎との出来事がありました。
 ↑の話もこの回で書こうと思いましたが、話のリズムが崩れるのでやめました。なのでこのシーンは次回に書こうと思ってます。
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