世を照らすのは日輪だけじゃない。   作:ポンタ ponta

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 感想毎度ありがとうございます。私は基本的に感想に返信しますが、その内容によって返さないときもあります。私正直なので、感想欄で盛大なネタバレをしてしまうかもしれないのです。そのため、感想によって返信していません。別に読んでない訳ではないですし、貰った暁には欣喜雀躍狂喜乱舞なヨサコイダンスが心の中でヒアウィゴーしてるので、これからもお願いします。(最高にハイってやつだ!)
 話が変わりますが、もうすぐ掲載を開始してから一年が経ちます。時が経つのは早いものですね。はてさて、二年目を迎える頃には終わっているのかな。

 前回二つに分けると言ったがあれは嘘だ。おそらく三つに分かれるぞ。もしかしたら四つになるかもしれん。でも今話で上下を終わらせるぞ!
 今回文字数がニ万千七百文字あります。前書きと後書きも足せば二万二千五百文字あります。過去最多の文字数なので、時間があるときにお読みください。
 戦国時代の話が出てきますが、私にその時代の話言葉なんてものは知りません。こんなもんじゃね? って感じで書いてます。ご注意を。また、一部鬼滅の刃煉獄杏寿郎外伝の台詞(瑠火の台詞)が出ています。ご注意ください。


第20話 全てはあの日から始まった。下

 まただ。またこの夢を見る。

 何時しか見た、あの意味不明な夢だ。

 

「お帰りなさいませ、父上」

「ああ、いま戻った……椿姫も随分と大きくなったな」

「とー様、とー様、抱っこ」

 

 側仕えらしき女性の人から、稚児の娘が覚束ない足で男の傍まで歩いて抱っこをせがむ。

 

「随分と重くなったか? 寂しくはなかったか?」

「ううん、大丈夫。兄上が遊んでくれるから」

「そうか。輝夜はどこに?」

「母上はあっち」

 

 指差された方向に、男は歩き出す。先程の側仕えの女性が案内を申し出て、共にこの部屋から出ていった。 

 さて、俺はどうしてまたこの夢を見ているのか。動くこともままならないこの夢は、一体何時終わるのだろう。

 

 これが夢だと思っていたのは、その時までだった。

 これが過去の出来事だと、その時に俺は知ったのだ。

 

 男はこの体の名前らしき名前、「仁」を呼んで、仁は男の方へと駆け寄った。

 

「父上、今日は何を教えてくださるのですか?」

「医術だ」

 

 はっきりとその男の顔が見えた瞬間、俺はぎょっとした。

 俺達の前に現れた時と同じ装い。いくつか異なる点はあったけれど、俺はこの巌勝と呼ばれる男があの上弦の壱だと確信した。そして、それと同時に悟った。この男が俺の先祖だと。

 なぜなら、男の耳元に俺が着けている耳飾りが揺れていたからだ。この耳飾りは先祖代々時透家に継がれてきたもの。それがこの男の手にあるならば、この男は俺と無一郎の先祖様だ。

 ということはつまり、この夢は夢ではなく、過去の出来事ということになる。とはいっても、本当にこれが過去の話しだと信じきっている訳では無いけれども。

 

 男がこの城に訪れるのは、大体月に一度。仁はその度にこの男から知識や武術、戦術等を教わっていた。

 男はいつも忙しなく動いていた。一国の主ということもあってか、家臣の人達と話し合うことも多々あったし、この仁と妹の椿姫、そして男の妻、輝夜と一緒に領内を見て回ることもあった。

 そんなある日のこと。仁が一通り“式”を覚えたところで、耳飾りと脇差を託した。

 

「巌勝様……」

「一体急にどうされたのです? まだ私は“式”も己のものとしてはおりませぬし、領主となる器でもありませぬ。脇差は父上が持っていてくだされ」

「いいや、もうそれはお前のものだ。耳飾りもお前に託す」

「父様……どこか行ってしまいますの?」

 

 そう訊ねたのはすっかり大きくなった椿姫。家臣や側仕え、男の教育を受けて育った椿姫は幼いながらもしっかりと物事を理解していた。

 

「………そう時期は空けぬ。椿姫が裳着を迎える前には戻ってこれるだろう」

「分かったわ。わたくしも我が儘言わずに待ってるわ」

「すまない」

 

 迷惑をかけると、男は仁と椿姫の頭を撫でる。満更も無いように笑う二人とは違い、傍にいた男の妻、輝夜はどこか憂いた目で男を見詰めていた。

 

「一体何が………」

 

 身を焦がす程の熱気に包まれた座敷。焦げ臭い匂いが黒煙と共に漂っていた。

 

「仁、逃げましょう! 頭は低くして黒い煙を吸わないように!」

「母上、一体何が起こっているのです!?」

「私にも何が起きているのか分かりません。ですが火事が起こっているのは事実。それが偶然のものか、叛意を抱いた誰かが引き起こしたものかは分かりませんが、じきに城中を燃やし尽くすでしょう」

 

 仁の手を引く輝夜は怯えの表情をしながらも、いつでも仁を守れるように走っていた。

 

「椿姫は、椿姫はおらぬか!?」

 

 もう辺りは火で囲まれている。四方八方から壁や天井が崩れる音が響く。

 その音に負けないように仁が叫ぶが、椿姫からの応答はなかった。

 仁の頭の中で最悪な光景が映し出されたが、その前に声がした。業火に負けた声であったが、仁と輝夜は溢すことなく拾い上げた。

 

「兄様、母様、椿姫はこちらです!」

「どこだ! ここか!?」

 

 声が聴こえてきた方向に閉ざす襖を開いたとき、上から燃えた木材が雪崩のように崩れてきた。咄嗟に後ろに飛び退くも、燃える木材が進路を阻んでしまった。

 

「椿姫! すまぬがもう少し辛抱してくれ! どこか入れるところを探す!!」

 

 辺りは地獄もかくやの灼熱。目に入る全てのものが燃えていた。熱された黒煙が喉に入り込んで肺を焼く。目も黒煙にやられて涙が溢れている。

 疾く見つけて救出しなければ、じきに物言わぬ骸となるだろう。それまで椿姫がもつかどうか。

 

「ごほ、ごほ、息が」

 

 炙るような熱気に気管支を焼かれながらも、必死に目を凝らす。しかし視界のほとんどは黒煙で覆われてしまった。

 突如、土砂崩れにも似た轟音が、椿姫の居る部屋から響いてきた。

 

「――――――!!!」

 

 叫んだ声は声にはならず、獣染みた咆哮が仁の喉から迸った。

 立ち煙る黒煙。こちらを呑み込まんとする炎。勢いよく噴き出す炎の舌。何かが崩れる音。

 

「――――――げて!! 逃げて!!! 私はいいから!! 逃げて!!! 生き延びて!!!」

 

 再び響いた轟音。城が崩れるのもあと僅かばかし。

 仁は椿姫へと手を伸ばしているが、届くわけもなし。

 その手は横から伸びた輝夜の手が掴み、強引に仁を引き剝がした。

 

「ごめんなさい。ごめんなさい」

 

 泣いている輝夜は色の失った唇で繰り返す。窒息するような息遣いで繰り返す。

 悲壮の雫を宙に走らせ、炎の海と化した廊下を必死に駆ける。

 

「ごめんなさい、椿姫っ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 なるほど、繋がった。

 

(けれどどうしてあそこで目が覚めるかなぁ!)

 

 男が俺たちの先祖であったこと、男が鬼になって今も生きていること、しかも上弦の壱となって人を喰らっていること。

 上弦の壱にまつわる話を知ったのは良かったんだけど、結局あのあとどうなったんだ?

 

 続きが気になって悶々とする有一郎の隣の病床には、竈門炭治郎がいた。

 

「有一郎君、目覚めたんだね! よかった!!」

「うん。ところでどうして君はずぶ濡れなの?」

「どうして、って機能回復訓練で薬湯をかけられたからだけど。あ、カステラ食べます? 後藤さんから頂いたんですがちょっと量が多くて」

「あ、うん、ありがとう」

 

 上物と分かるカステラに爪楊枝を突き刺し、炭治郎は有一郎へと差し出した。その動作に伴って薬湯の苦々しい匂いが漂ってきた。

 

「はい有一郎君、口開けて」

「自分で食べられるからいいよ」

 

 皿を炭治郎から受け取り、ぽいっ口の中に放り込む。

 

「ところで他の二人は?」

「伊之助も善逸も任務に出払っています。俺は今日煉獄さんのところにお見舞いに行こうと思ってて、これをお見舞い品として持っていこうかと」

 

 これです、と指差されたものを見れば、駅弁の牛鍋弁当が三箱そこにあった。

 

「本当は煉獄さんの好物を持っていきたかったんですが、知らないので代わりにこれを。善逸に買ってきて貰いました」

「ふーん……そっか。丁度良い。俺も煉獄さんのところに行こうと思ってたんだ」

「えっ!? でも有一郎君退院の許可は出てませんよ!! それにまだ骨折治ってないですよね!!?」

「当たり前だろ。だから抜け出す」

「えっ!!? 駄目ですよそれは! しのぶさんに怒られます!! ……って着替えてる所悪いですが聞こえてますか!? ああ、そんな堂々と抜け出すなんて……!!」

「お~い金子いるか? 早速だけど道案内頼む」

「有一郎くーーん!!!」

 

 

 

―――………

 

 

 

「コッチヨ、コッチ!」

 

 上空を羽ばたく金子の案内の下、風呂敷を提げた有一郎を背負っている炭治郎がとことこ歩く。

 ちなみに、有一郎の風呂敷には牛鍋弁当と饅頭が入っている。饅頭に関しては手土産が無いと拙いかと思った有一郎が、蝶屋敷にあった饅頭を勝手に持ってきた。本人曰く、お金は置いてきたので盗んではいないとのこと。

 

「ああ……饅頭はともかく、抜け出したことがしのぶさんにバレたらどうなるんだろう……怒られるんだろうなぁ」

「そんなにうじうじするなら来なければ良かったじゃんか」

「でも黙って見逃すことはできないので!! 俺は長男ですから!!!」

「それ関係ある?」

 

 キリッと言い返した炭治郎だが、次の瞬間には弱々しく顔を俯かせた。と思えばパッと顔をあげた。

 

「そういえば、有一郎君何かありました?」

「何が?」

「なんだか前と違って雰囲気が柔らかくなったなと」

「そうかな……別になんにもないよ。……て言うかまだ会ってからそこまで日にち経ってないのに、変わるも何もないだろ」

「そうですかね」

「そうだよ。あとお前乗り心地良いな。全然揺れなくて快適だ」

「えへへ、そうですか? 妹を背負っているからですかね!」

 

 そうこうしているうちに煉獄家に着き、有一郎をおろした炭治郎がごめんくださいと門をたたく。

 

「はい、どなたでしょう」

「おお」

 

 そろりと顔を出した杏寿郎似の少年。思わず有一郎は感嘆の声を挙げた。

 不躾ながらもじろじろと観察すれば、杏寿郎とは違って穏やかな下がり眉。身長的に考えて弟の千寿郎であろう。

 

「突然すみません。時透有一郎と申します」

「俺は竈門炭治郎です」

「ちょっと煉獄さんに訊きたいことがありまして、こうして伺った所存です」

「俺は煉獄さんのお見舞いに。こちらはお見舞い品です」

「そうでしたか。では、どうぞお上がりください。お見舞い品もありがとうございます。きっと兄上も喜んでくださるでしょう」

 

 門の敷居を跨いで玄関へと向かう途中、不意に玄関の引き戸がガラガラと開いた。

 開けた主の姿が見える前に、そこから舌打ち混じりの酒焼け声が飛んできた。

 

「……なんだ騒がしい」

 

 昼間っから漂う酒臭さ。

 刺々しいぶっきらぼうな態度。

 着崩れた浴衣に気を留めず、苛立ちをぶつけるように足音を立てて歩いてくる。

 

「父上。この方々は兄上のお見舞いに来て下さっただけで……」

「初めまして、竈門炭治郎と申します」

 

 炭治郎に続いて、時透有一郎ですと名前を名乗るはずだったが、酒甕が割れる音がそれを邪魔した。

 

「お前、その耳飾り……その痣……そうかお前、“日の呼吸”の使い手だな? そうだろう!!」

「“日の呼吸”? 何のことですか?」

「父上?」

 

 突如豹変した煉獄愼寿郎は炭治郎の胸ぐらを掴む。あっ、と誰かの制止の声が上がるより早く、炭治郎の身体が地面へと叩き付けられた。

 

「おいお前いきなり何してんだ!!」

「うるさい黙れ!!」

 

 すかさず有一郎が飛びかかったが、なにぶん今日目覚めた上に骨折がまだ治っておらず、いつもと比べれば欠伸が出るほど遅い動きだったため、簡単に防がれ投げ飛ばされた。

 

「何をなされるのですか父上!!」

 

 父の蛮行を止めようと、千寿郎が愼寿郎へと駆け寄った。

 

「父上お止め下さい! お客様相手にご無体な!」

「うるさい黙れ!!」

 

 千寿郎は炭治郎を守ろうと立ち塞がり、対する愼寿郎は邪魔だとばかりに拳を振り上げる

 愼寿郎の拳が千寿郎へと飛ぶ瞬間、炭治郎は寸での所で千寿郎を抱きかかえ、転がることで千寿郎に拳が当たるのを防いだ。

 

「何をするんだ! 貴方の息子だろう!? 殴るなんてあんまりだ!!」

「うるさい黙れ!!」

「うるさい黙れしか言えないのかこの飲んだくれ!!」

 

 千寿郎を背に庇い、ぎり、と炭治郎は愼寿郎を睨みつける。その態度が逆鱗に触れたのか、それとも有一郎の罵倒に腹が立ったのか、愼寿郎は顳顬に青筋を浮かべ怒鳴り散らした。

 

「……お前、俺たちを馬鹿にしているだろう! 小僧の癖に! “日の呼吸”の使い手だからか!」

「どうしてそうなるんだ!! 何を言っているのかわからない!! 言いがかりだ!!」

「お前が“日の呼吸”の使い手だからだ!! その耳飾りを俺は知っている! 書いてあった!!」

「話の脈絡がわかりません!! もっとわかるように言ってください!!」

「アンタ酒の飲み過ぎで脳が溶けたんじゃないか!?」

「さっきからうるさいぞ貴様! っ、お前……その耳飾りは!!」

 

 罵倒を飛ばした有一郎へと愼寿郎が視線を向けた途端、愼寿郎の表情が憎しみで染まった。

 

「お前っ、“月の呼吸”の使い手か!! 鬼殺隊の裏切り者らしい罵詈雑言の数々、お前が鬼になる前に、即刻その首を切り落としてやる!!」

「父上一体どうなされたのですか!? 少し落ち着いてください! 先程から訳の分からないことばかり……。“日の呼吸”とは、“月の呼吸”とは一体何なのですか!」

 

 これ以上は見過ごせないと叫んだ千寿郎を、愼寿郎は冷めた目で一瞥した後、苛立ちを隠すつもりもなく言い放った。

 

「“日の呼吸”とは始まりの呼吸! 一番初めに生まれた呼吸、最強の御技!」

「は、始まりの呼吸……?」

「そして全ての呼吸は“日の呼吸”の派生!! 全ての呼吸が“日の呼吸”の後追い、猿真似、劣化品に過ぎない! 炎も水も風も、全てが!!」

 

 そう愼寿郎は叫ぶ。血反吐を吐くような声だった。そしてギロリと怨嗟と憎悪を孕んだ瞳で、有一郎を睨み付けた。

 

「“月の呼吸”は“日の呼吸”と同じ始まりの呼吸! “日の呼吸”が絶対の剣閃を誇るならば、“月の呼吸”は無類の間合いを持っていた! だというのに、奴は鬼殺隊の最高位、柱を賜ったのにも関わらずに、ある日鬼に墜ち、あろうことか当時のお館様と御内儀の首を切り落とした!!」

「お館様の首を……!?」

「そして奴は鬼殺隊を壊滅寸前まで追いやったのだ!! っ忌々しい裏切り者めが!!」

 

 荒々しく息をする愼寿郎は、鼻をならしてとある方向を見た。その視線の先には未だ目を覚まさない杏寿郎の部屋がある。

 

「杏寿郎もだ。大した才も持たぬ癖に剣を握り、高々猿真似の呼吸を極めただけで柱などと馬鹿馬鹿しい。何の価値もない塵芥と同然だ! だから杏寿郎は四肢欠損の大怪我を負ったのだ。とんだ愚か者だ!! 死ななかったのが幸運だ!!」

 

 父の暴言に千寿郎が唇を噛んで俯く。今にも泣きそうに瞳を震わせ、下がり眉をいっそう下げた。

 その姿を見た途端、炭治郎の眼前は怒りで真っ赤に染まった。

 

「……この糞爺! 煉獄さんの悪口を言うなっ!!」

 

 その啖呵を吐き捨てるや否や、炭治郎は愼寿郎に飛びかかった。しかし炭治郎の拳は当たらない。愼寿郎は腐っても元柱。一般隊士の動きを見切るのも、その上反撃して裏拳を繰り出すのも、腹に膝を入れるのも、酒が回っている状態でも造作もない。

 

「お止め下さい父上!」

 

 千寿郎が叫んだ。

 他方、有一郎は乱闘でほどけた風呂敷から饅頭を一つ取った。

 そして構える。

 それに気付いた千寿郎が目を剥いた。

 

「え、一体何をなさるのです!?」

「やることはもちろん一つだろ!」

 

 一方乱闘に無我夢中になっている炭治郎の頭が、愼寿郎の鳩尾に命中。

 それと同時に。

 

「さっきから黙って聞いていればごちゃごちゃうるさいんだよぉおお!!」

 

 有一郎がぶん投げた饅頭は、寸分違わず愼寿郎の鼻先に命中し、炭治郎の頭突きと相まって、愼寿郎の意識を蒼穹の彼方に飛ばした。

 愼寿郎は低い唸り声を一つ上げ、炭治郎共々倒れ伏す。

 

「ち、父上ぇぇ!!?」

 

 困惑した叫びを挙げる千寿郎の隣で、有一郎は清々しいとばかりに腰に手をあて胸をはり、

 

「悪鬼滅殺!!」

 

 と叫んだ。

 

 

 

―――………

 

 

 

 その後、我に帰った炭治郎が愼寿郎を担いで別室へ寝転がし、今は千寿郎の部屋で三人が向かい合っている。

 炭治郎は愼寿郎の手当てを終えて帰ってきた千寿郎へと向き直り、粛々と頭を下げた。やってしまったと炭治郎が反省していても、有一郎は我関せずと差し出された玉露を啜っていた。

 

「ごめんね本当に。お父さん頭突いちゃって……大丈夫だった?」

「大丈夫だと思います。目を覚ましたらお酒を買いに行かれたので。炭治郎さんも頭大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫です。俺昔から石頭なんで」

「そうでしたか」

「炭治郎、過ぎたことをうだうだ悩んでいたってしょうがないだろ」

「有一郎君はもう少し顧みたほうが良いかと思いますよ」

 

 炭治郎が玉露を啜ってしばらく無言の時間が過ぎたころ、千寿郎がぽつりと「お二人ともありがとうございました」と呟いた。

 

「すっきりしました。兄を悪く言われても、僕は口答えもすらできなかった」

「そんな、俺は、煉獄さんや千寿郎くんが悪いように言われたのが許せなかっただけで」

「俺もむしゃくしゃしてやっただけで感謝される謂れは無いよ」

「それでもありがとうございました」

 

 深く頭を下げた千寿郎は、再び感謝の言葉を口にした。そして顔をあげた千寿郎へと、有一郎は本題を投げかける。

 

「それで、訊きたいことがあるんだけど」

「はい。何でしょうか?」

「煉獄家って代々鬼狩りを生業としていた家でしょ? 戦国時代に関する書物って何かある?」

「ありますよ。確か父がよく読んでいた書物がそうだと思います。持ってきますので少々お待ちください」

 

 しばらくして戻ってきた千寿郎の手には、一冊の古い本が握られていた。題目は『二十一代目炎柱ノ書』と記されていた。

 

「これではないかと思うのですが……」

「ありがとう」

「有一郎さんが知りたいことは書かれているでしょうか」

 

 にこりと笑う千寿郎から本を受け取る。

 その隣から炭治郎がひょこりと首を伸ばした。

 

「あの、その本俺にも読ませてもらっても良いですか?」

「別に構わないぞ」

 

 そう言って、有一郎と炭治郎は本を開いた。暫くはぱらぱらと頁を捲っていたが、やがてその手もぴたりと止まる。開かれた頁の殆どが、解読不可能な程に切り裂かれていた。

 

「ずたずただ……殆ど読めない。元々こうだったのかな?」

「いいえ、そんなはずはないです。歴代炎柱の書は大切に保管されているものですから。恐らく父が破いたのだと思います……申し訳ありません」

「チッあの飲んだくれめ。もう一発饅頭投げてやろうか」

「それはやめてください」

「駄目です」

 

 ブンブン腕を振り回し始めた有一郎を、千寿郎と炭治郎がやんわりと抑える。有一郎もそこまで本気にしていなかったのか、正直に矛を納めた。

 

「“ヒノカミ神楽”か、“日の呼吸”について書かれていたのかな。もしかしたら有一郎君の“式”について何か分かったのかもしれなかったのになぁ……」

「すみません。わざわざご足労頂いたのに、骨折り損で終わってしまうような形になってしまって」

「いいえ別に! 俺はそこまで気にしてないので。それに自分がやるべきことはわかっています。もっと鍛錬して、“ヒノカミ神楽”を使いこなせるように足掻くしかないんです」

 

 炭治郎は決心を固めたかのように、膝に置かれていた手を固く握り締めた。

 

「どんなに苦しくても、悔しくても、足搔いて藻掻いて精一杯前に進みます。そしてその果てに、俺は杏寿郎さんのような強い柱に、必ずなります」

 

 炭治郎の真摯な言葉と目が、真っ直ぐ千寿郎の心を射抜いた。

 千寿郎は、その目の向こうに兄の姿がちらつき、思わずほろりと涙を流し始めた。

 

「兄には“継子”がいませんでした。本来なら私が継子となり柱の控えとして実践を積まなくてはならなかった……でも、私の日輪刀は色が変わりませんでした」

 

 かつては千寿郎も兄とともに、父である槇寿郎から剣術の指南を受けていた。父が柱を辞めてからも、兄から剣術を教わっていた。

 

「どれだけ稽古をつけてもらっても、私は駄目だった」

 

 血豆が潰れた手で竹刀を振るい続けても、何年も鍛錬を重ねても、千寿郎に与えられた日輪刀は、今日に至るまでずっと鈍鉄色のままだった。それは千寿郎には、剣士としての才がないと突き付けているのと同じだった。

 

「剣士になるのは……諦めます」

 

 この言葉を吐き出すのに、一体どれほどの懊悩があったのか。悔し気に涙を流す千寿郎は、ポツリポツリと続きを紡ぐ。

 

「炎柱の継承は断たれ、長い歴史に傷がつきますが、私は剣を振るう以外の形で、人の役に立てることをします………兄はきっと許してくれるでしょうから」

 

 ぼろぼろと涙を流す千寿郎に、炭治郎は言わないようにしていた言葉を伝える覚悟を決めた。

 

「杏寿郎さんは、お父さんと千寿郎さんに遺言を残していました。……本当は万が一にも杏寿郎さんが亡くなってしまった時に、お伝えしようと思っていたのですが、今伝えます」

 

 ぬくい涙を流す千寿郎の眼を真っ直ぐと見つめ、炭治郎はあの時言われた言葉を繰り返した。

 

「父さんには、体を大切にしてほしいと。そして千寿郎さんには、自分の心のまま正しいと思う道を進んでほしいと」

「兄上が、そんなことを………っ」

 

 任務先には、上弦が二体いたという。であるならば死を覚悟した筈だ。そしてその上で言葉を遺した筈だ。兄らしい、ひと掬いも虚偽のない、心からの慈愛で満ちた言葉を。

 兄からの美しい言葉は、千寿郎の心を満たした。その心の空に映ったのは、穏やかな兄の微笑み。

 兄が千寿郎を励ますときは、いつだって目を細めて微笑むのだった。

 

 千寿郎は兄上と零し、静かに泣いた。

 

「千寿郎さん、杏寿郎さんは千寿郎さんの決めたことを否定しません。笑って許して、背中を押すと思います。俺も千寿郎さんの意思を尊重します。千寿郎さんの思いを戦いの場まで持っていきます。それでももし、千寿郎さんを悪く言う人がいたら―――俺が頭突きします」

「それはやめた方がいいです」

 

 

 

 

 

 

 

 

「“歴代炎柱の書”は私が修復します。他の書も調べてみます。父にも聞いてみて、何かわかったら鴉を飛ばします。そして、こちらを」

 

 場所は煉獄邸門前。茜色に染まり始めた世界の中で、千寿郎は布に包んだなにかを炭治郎へと差し出した。

 

「これは……もしかして千寿郎さんの日輪刀の鍔ですか?」

「そうです。炭治郎さんが私の思いを戦場にまで持っていってくれると、その言葉が嬉しかったんです。心が掬われる思いでした。……ですから、私の一部とも言えるこの鍔を、あなたに持っていてほしいんです」

「そんな大切なものを……」

「持っていてくれるだけで結構ですから。私では力不足でしょうが、きっとあなたを守ってくれます」

「…………ありがとう。大切に持っておくよ」

「では、気をつけてお帰りください」

「うん。千寿郎さんもお元気で」

「俺もまた来るよ。煉獄さんが目覚めたら、すぐに呼んでね」

 

 煉獄邸から離れる影。有一郎を背負った炭治郎が何度も振り向いて腕を振る。その背中で有一郎も手を振っていた。

 二人の姿が見なくなるまで、千寿郎はずっと手を振り続けていた。

 

 

 穏やかな夕焼けの帰り道、何事もなく蝶屋敷についた炭治郎は、ゆっくりと有一郎を降ろした。

 

「有一郎君、本当によかったんですか?」

「なにが?」

「知りたいことがあって杏寿郎さんの家に行ったのに、結局何もわからずまいで」

「う~ん……確かに残念だったけどさ、収穫もあったからいいんだ」

 

 期待していたぶんがっかりしたのは確かであった。しかし、思いがけず槇寿郎が言った言葉が、それなりの情報になったのだ。

 

「まぁ、有一郎君がいいなら俺も構わないのですが」

「そういえば、炭治郎は柱を目指すんだろ」

「えっはい!」

 

 元気よく返事をした炭治郎は、力強く拳を握った。

 

「有一郎君や杏寿郎さんと一緒に戦えるようになるのが、目標です!!」

「そうか、じゃあ俺も負けられないな。俺も柱を目指してるんだ」

「無一郎君がいるからですか?」

「そう。兄である俺が、隣に立たなくてどうする」

 

 話している間に気分が高まってきたのか、有一郎は病室に進む足を止めて、道場に繋がる道へと歩き始めた。

 

「こうしている間にもあいつは鬼を狩っているんだ。俺も負けちゃいられない」

「あ」

「こんにちは有一郎君。今日はいい天気でしたね」

 

 後ろから飛んで来た冷ややかな声に、有一郎が一瞬で凍り付く。

 恐る恐る振り返れば、胡蝶しのぶがにこやかな笑顔をして立っていた。

 

「ちょっと私とお話をしましょうか」

「……はい」

 

 

 

―――………

 

 

 

 夕焼けに燃える世界。

 槇寿郎は自室から庭先を眺めながら、酒甕を傾けていた。

 

「忌々しい小僧共め……」

 

 不愉快が口をついて出た。胸に渦巻く感情を飲み干すために、酒を一気に呷る。

 

(“日の呼吸の使い手”と“月の呼吸の使い手”………なぜ今俺の前に出て来たのだ)

 

 昼間にやって来た二人の隊士の顔を思い浮かべる。その途端、腹の底を不可解な感情が澱む。

 二十一代目の手記に書かれていた、あの日輪を象った耳飾りと月輪を象った耳飾り。前者は鬼殺隊の英雄、後者は鬼殺隊の裏切者が付けていたもの。

 今まで鬼殺隊の中でどちらの呼吸の使い手も、耳飾りをした隊士も出てこなかった。

 だが、なぜ今になって出て来た。それも同時期に。

 

(やめろ、考えるな。どうぜ考えたところで答えが出てくるわけでもない)

 

 だが考えてしまう。もし、もしかしたらと仮定の想像が沸き上がる。

 

(やめろ、やめろ、どうせ俺は炎しか使えなかったのだ。日など使えるわけがない)

 

 もし日の呼吸が使えていれば五十人の骸を見ずに済んだのかもしれない、一人の少年の心に深い傷を残さずに済んだのかもしれない、妻の病態だって―――。

 

(くだらない、くだらない、どうでもいい!!)

 

 必死に言い聞かせて、忘れてしまえと酒精を喉に走らせる。

 長い長い溜息を吐き、畳の上へ寝転がる。その途端、視界の端に妻の仏壇が見えた。いかんと思って体を起こしても、見てしまったものはすぐには消えない。

 

「……瑠火」

(駄目だ、思い出すな)

 

 再び酒甕を傾ける。買ったばかりの酒甕が、既に半分になっている。思わず舌打ちをした。

 全く、今日は本当に散々な日だ。鬱憤を晴らそうと一口、また一口と酒精を口に含む。

 

「失礼します」

 

 ふと、背にした障子が開かれた。その声は第二子の千寿郎のもの。

 

「お戻りでしたか……あの、先程の」

「うるさい!! どうでもいい、出て行け!!」

 

 なぜ忘れようとしたばかりに、それを掘り起こすような真似をするのか。

 俺が怒鳴り散らかしても、千寿郎は下がらない。普段ならすぐに下がるくせになんなのか。

 千寿郎が何かを言おうとする度に、俺はそれに被せるように怒鳴って耳に入らないようにする。

 

「さっさと出て行け!!」

「……わかりました」

 

 やっと千寿郎は下がるらしい。再び開かれた障子の擦れる音がする。

 俺は怒鳴ったために水分を失った喉を潤そうと、再び酒甕を手に取った。だが、それを喉に流すことは叶わなかった。

 

「体を大切にして欲しい」

 

 ただ静かに、千寿郎はそう告げた。

 俺が驚愕で固まっているうちに、千寿郎は続きを言い放った。

 

「兄上が遺言として遺していた、父上への言葉です」

 

 そう諳んじて、千寿郎は出て行った。

 残された俺は、酒が回った脳味噌で考える。

 

 果たして、俺は杏寿郎にそう案じられる父であったか。いやそうではないだろう。

 瑠火が亡くなってから、千寿郎はおろか杏寿郎への剣術の指南をやめて、冷たく突き放した。

 家族うちの挨拶もせず、それどころか無視さえ決め込んで、一体どこに俺の体を気遣うところがあったのか。恨まれる所以こそあれ、気遣われる理由がわからなかった。

 

 だが、杏寿郎にとっては、俺は尊敬すべき父親だったのだ。どれほど惨めな姿であったも、杏寿郎にとっては唯一無二の父親だったのだ。俺にとって瑠火がかけがえのない存在であったように。

 

『行って参ります、父上』

 

 杏寿郎が俺への挨拶を欠かしたことはなかった。あの日も、いつも通り俺の部屋を訪れた。そして俺も、背を向けたまま無言を貫いた。

 杏寿郎は俺に無視されても、言葉を叩き落とされても、諦めることはなかった。だが傷ついてはいたのだろう。

 杏寿郎は俺とは違って傷ついても蹲ることなく立ち上がり、前を向いて、歩み続けた。

 その生き様は、病没する目前まで力強く生きた妻のようだった。

 俺が立ち直れなかったから、杏寿郎もいつか折れると思っていた。いつしか来る絶望を味わい、心の焔を消して蹲る。そうなるに違いなかった。そう蔑みさえして、俺は妻との子を見捨てたのだ。見捨てて、しまったのだ。

 

「杏寿郎」

 

 万感の思いを込めて我が子の名前を呼んだ。取り戻せない過去を悔やみながら名前を呼んだ。

 

 ―――もう、酒を飲む気は失せていた。酒甕に封をして畳の上に置き、腰を上げた。

 酒を求める以外で外出するなど、何年ぶりだろうか。そして、息子のために何かをしてあげるなど、どれほどぶりだろうか。

 弛んでいた着流しをきっちりと締め、俺は行きつけの商店を目指して、一歩ずつ歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 数時間前の出来事を反芻しながら、愼寿郎はゆっくりと廊下を進む。

 思えばずっと己の部屋でくすぶっていた。杏寿郎の部屋に進むまでの道のりが、随分と新鮮に感じた。俺はそれほどまでに腐っていたのだろう。

 

「杏寿郎、入るぞ」

 

 極力音を立てないようにゆっくりと障子を開き、中を様子見る。杏寿郎は今宵も、目を覚まさないままだった。その隣に、千寿郎がすがりつくように眠っていた。看病していたのだろう。優しい子だ。

 千寿郎を起こさないよう忍び足で入室し、そうっと杏寿郎の枕元に片膝をつく。

 久々に真正面から見た長子は、傷と相まって随分と窶れたように見えた。

 

「すまなかった、杏寿郎、千寿郎」

 

 聞こえてはいまい。それはわかっている。だが言わずにはいられなかった。

 このままでは風邪を引くだろうから、杏寿郎の隣に布団を用意し、その上に千寿郎を寝かせた。

 

「大丈夫か杏寿郎」

 

 傷が痛むのだろう、寝てはいるものの苦しそうに脂汗をかいていた。自身の袖で杏寿郎の顔の汗を拭う。次いで髪の毛を梳くように撫でた。精一杯の慈愛を込めたお陰か、寝苦しそうだった表情が少し和らいだ気がする。

 ふと視線を逸らせば、棚の上に紙飛行機が飾ってあった。俺は思わずそれを手に取った。

 そう、これは確か、杏寿郎が任務に出向かう前に、言っていたものだ。

 

(死ぬほどよく飛ぶ紙飛行機か……)

 

 それに加えて、杏寿郎の想いも乗せてあると言っていた。一体何を書いていたのか、気になって紙飛行機を解いてみれば、

 

(ああ………お前らしいな)

 

 文面を見た瞬間、槇寿郎は眉尻を緩め、和やかな表情を見せた。

 

「そうか、そうか」

 

 さも可笑し気に口元を綻ばせ、指先でその文面をなぞった。

 

『さつまいもが食べたい!!』

 

 自分の好物を書くなど、本当にお前らしい。

 そうだな、お前が目を覚ましたら、腹一杯のさつまいもを食わせてやろう。町中のさつまいもを買い占めて、千寿郎と一緒に腕を振るおう。さつまいものご飯と、さつまいもの味噌汁を用意しよう。さすれば、お前はきっと、大声で「わっしょい」と叫ぶのだろうな。

 

 音も無く退出した槇寿郎は、自身の部屋に戻って紙飛行機を折った。そして出来上がった紙飛行機を手に、夜の庭に立った。

 杏寿郎がまだ幼少の頃以来、折りもしなければ飛ばしさえもしなかった。だが、体はどの瞬間に指を離せばいいのか、どのくらいの力で押し出せばいいのか覚えていた。

 指から離す瞬間、槇寿郎は祈った。

 

(どうか、杏寿郎が目を覚ましますように)

 

 音も無く紙飛行機が飛びあがる。夜の風を切り裂いて、遠く、遠く、遠く――――。

 月に吸い込まれそうなほど、高く、高く、高く―――。

 今まで折ったどの紙飛行機よりも、飛んで、飛んで、飛んで―――。

 

 

 そして、夜の闇へと見えなくなった。

 

 

 

―――………

 

 

 

 気づけば俺は、どこか見知らぬ場所に立っていた。

 目の前には、蛆が湧いた女と赤子の死体。女性の腹は破かれおり、そこから臍の緒らしきものが赤子との間に点々と散らばっていた。きっと腹を割かれて赤子を取り出されたのだろう。

 見るに堪えないほど凄惨な現場だった。

 

「弔いましょう。弔ってやらねば可哀想だ。私も手伝いますよ」

「………ああ、ありがとう」

 

 死んだ赤子を抱える若者。その耳元で揺れる耳飾り。

 知らない男であったが、その耳飾りには見覚えがあった。あれは竈門少年が着けていたものと同じものだ。

 

 流されるまま俺は、若者と共に二人を弔う様子を見ていたが、ふとここはどこだと疑問に思った。

 てっきり俺は死んだものかと思っていたが、ここが黄泉だとは考えにくい。死に際に見る夢かとも思ったが、目の前の光景を夢と呼ぶには鮮明すぎる。かと言えど現実と認める程確信がない。

 

「あの方が鬼殺隊に入っていただいたお陰で、我らの戦力はうなぎ登りもかくやと言うもの」

「早く俺も痣者となりて鬼の頸をとりたいものだ」

「縁壱殿の兄者も入隊したと聞いた。弟があれほどの剣才を持つのだ。きっと兄者も素晴らしい剣を振るうに違いない」

「おお、噂をすれば巌勝殿だ」

 

 話し合う男達に見覚えはない。その鬼狩りの装いすら今の時代で見たこともない。

 だが、庭先で歩いていた男を見た瞬間、俺ははっと息を止めた。

 紫根染めに黒柄の着物。腰に揺れる二つの振り物。目の数は二つであるし、耳元には時透少年が着けていた耳飾りが揺れていたが、間違いない。

 

 巌勝と呼ばれる鬼狩りは、黒死牟と呼ばれていた上弦の壱だった。

 

「巌勝殿! 共に鍛錬をしましょうぞ!」

「有難い……では早速………手合わせを……願い申し上げる」

 

 俺としては近付きたくはないが、自由の効かない体は急かすようにあの男の腕を掴んで道場へと引っ張っていく。

 手を動かそうと思っても思い通りにならず、どころか歩くつもりもないのに足が進む。

 ただこの男に縛り付けられている俺は、一体何をすれば解放されるのだろうか。

 

「巌勝殿、もう休まれてはどうか。鍛錬のし過ぎは体に毒ですぞ。貴方はただでさえ隊士の治療に時間と体を削っておられるのですから」

「む、煉獄殿か……気遣いかたじけない。……だが誰よりも努力を……しなければ……経験を積まなければ………縁壱のような働きは……できますまい」

 

 呼ばれた煉獄の名。俺の姓だ。だが俺はこんなやり取りをした覚えはない。この声も似ているが俺のそれではない。

 しかし唐突に理解した。これはご先祖様が体験した記憶だと。

 

「何を戯けたことを。貴方は既に並の剣士を凌駕している。鬼狩りとなって日が浅いのに新たな呼吸を生み出し、痣も出しておられる」

「それだけでは……足りぬのだ。こんな……こんな児戯のような剣では………到底届きはせぬ」

 

 巌勝と呼ばれていた剣士は、俺が見ている限りいつも余裕がない。まるで水面で喘ぐように我武者羅に振るう剣を見ていると、こっちが息苦しくなるようだった。

 しかし何故俺はこの記憶を見せられているのだろうか。この記憶に一体なんの意味があるのか。

 

「どうしたのだ巌勝殿? どこか嬉しそうに見える。何かあったのか?」

「む、そう見えるか煉獄? そうだな、ひとつ縁壱に近付けた気がするのだ。奴の剣術は奪えなかったが、その体こなしは奪えたのだ」

「それは真か! 実に目出度いことだ!! それで呼吸の型には組み込んだのか?」

「無論だとも。肆ノ型に組み込んだぞ」

 

 俺からしてみたら何時もと同じ仏頂面にしか見えなかったが、この先祖様は違ったらしい。

 先程から飛び飛び景色が飛んでいるが、同時に時間も跳んでいるのか。きっとその跳んでいる間に先祖様と巌勝は気安い仲になったのだろう。でなくては冨岡と負けず劣らずのこの男の機敏を、敏く感じられる訳がない。

 

「兄上、巌勝殿はいずこに?」

「巌勝殿はいつもの通り、故郷に帰っているぞ」

「ならば兄上、今が格好の機会! 巌勝殿が帰ってくるまでの間に皆殿と作戦を煮詰めようぞ!!」

 

 一瞬鏡を見ているのかと思えば、目の前に立つ男はこの煉獄の弟らしい。

 弟は手に紙と筆を持ち、文机の上に置いて墨を引き始めた。弟の正面に座った先祖様は、高らかに胸を叩きこう叫んだ。

 

「あの仏頂面を崩すため、この煉獄杏寿郎がひと肌脱ごうではないか!!」

 

 今度こそ、俺は酷く驚いた。なんとこの煉獄、俺と同じ字を持つようだ。

 

「お……おお! 笑ったか!? 笑ったよな今! どうだ風柱!」

「…………」

「そうだよな! 笑ったよな!! ワハハハハハ!!」

 

 風柱と呼ばれた白髪赤目の女性も、酷く無口で無表情であったが、なんとなく手振り身振りと雰囲気で言っていることが分かる。

 作戦というのは巌勝を笑わせるためのものらしく、俺にお館様の屋敷で行ったあの日を思い出させた。冨岡は結局笑わせることはできなかったが、この先祖様方は成功したようだ。

 巌勝は相変わらず厳しい顔であったが、眉間の皺は少しとれて、口の端がほんの少し上がっていた。笑う声はいつもとは打って変わって柔らかなものだった。

 冨岡も、笑うとこのような顔をするのであろか。見てみたいと、そう思った。

 

「時間がないぞ。痣者が死に始めた」

「呼吸の継承も終わってないのに、いかんばかりか」

「特に日と月はどうする。使い手がいない。このままでは継承が途切れてしまうぞ」

 

 痣者。聞くにこれを発現してしまうと二十五で死んでしまうらしい。

 日の呼吸。初めて聞く名だ。しかし竈門少年が言っていたヒノカミ神楽と何か関係があるのか。

 月の呼吸。これも知らなかった。あの鬼が使っている以外、使い手は、おそらく同一の“式”を扱う時透少年以外いないのだろう。

 

 ある日、先祖様は庭で素振りをする巌勝を見つけた。その耳元にはあの月を模した耳飾りはなく、腰に佩いていた脇差もなかった。そのことに、先祖様も気付いたようだった。

 

「おや巌勝殿、いつも耳元に着けていた耳飾りはどうした? それに脇差しも見当たらないが?」

「ああ……我が子に託した」

「なんと、一体どのような心で?」

「……………………」

 

 訊いてはいけないことだったのだろう。巌勝は何とも言えない顔をして、無言の末にすまないと謝った。そして、足早に去っていく巌勝へと先祖様は手を伸ばして、宙を掻いた。

 

「継国領で反乱があったそうだ」

「巌勝殿が知らずのうちに起こり、向かってみれば城が燃え落ちていたと。その様では家族も生きてはおれまい。一夜で御内儀も彦も姫も失うなんて」

「遺体も燃え尽きたのか骨すら見つからないとは、それでは葬儀さえ行えまい」

「であるのに巌勝殿は相変わらずの態度で、本当は身罷ってしまいそうな程追い込まれているというのに、欠片もその様子を見せない」

「まっこと立派なことだ」

 

 それは俺も思った。家族を失くしたと言うのに変わらずの毅然とした態度。敵ながら天晴れとさえ思った。

 だが、実際はそうでもなかったのだ。

 

「どうすれば良い……私は、俺は……これから……」

 

 満月の夜。庭先を散歩していた先祖様はピタリと足を止め、声が聴こえてきた方向へと恐る恐る足を進める。

 着いたのは巌勝の部屋、ほんの僅かに空いていた襖の隙間から、その声の主を見た。

 

 その時俺と先祖様は、月の裏側を覗いた気がした。

 

「縁壱、教えてくれ……俺は何を為さねば成らぬのだ」

 

 満月に暴かれたその人は、決して見間違うようなことはない。ただ巌勝その人だった。

 ひたすらに隠し続けられていた真実。月の背中は、あまりにも酷く傷ついていた。

 

「お館様、私は、私は……やりとう御座いませぬ」

 

 巌勝は泣いてはいない。

 しかしその声はまるで、涙が溢れぬように引きちぎり、そしてどうにか欠片を吐き出しているかのようで、俺は今までこのような磨り減った声を聞いたことがなかった。

 硬直が解けた先祖様は、ゆっくりと後ずさった。聞いてはならなかったことを聞いてしまって、動揺していたと思われる。

 

「本当に、こうしなければならないのですか」

「それが、運命とでも言うのですかっ」

 

 後方から聴こえてくる巌勝の声を聞かないよう、先祖様は両耳に手をあてて、ゆっくりゆっくり離れていく。足元が瓦解するような感覚を耐えるように、じっと足元を見て転ばないようにしていた。

 だからこそ、聞こえなかった。次に巌勝が何を言ったのかを。

 

「私は―にならなくては―――――――か」

 

 

「また痣者が死んだ。二十五に近い鳴柱も、すぐに死んでしまうだろう」

「縁壱殿もあと数年で死んでしまう。巌勝殿もだ。あの二人が痣の寿命で死んでしまえば、我々は大いに弱体化してしまう」

「せめて継承者が居ればいいのに」

「そも、日と月の呼吸術の継承が出来ない。適性者が見つからない」

「このままでは、日と月は絶えてしまうだろうな」

 

「既に四名もの柱が死んだ。全員痣の寿命だ」

「痣の寿命には誰も抗えぬのか」

「巌勝殿が色々と調べて下さっているが、可能性は低いだろう」

 

 明くる日、先祖様は鍛練していた巌勝を呼び止めた。

 小休憩とばかりに茶を入れて、先祖様は世間話をし始めた。

 巌勝はどこか困惑しているように見えた。

 どうして急に世間話をし始めたのか分からない様子で、それでもじっと先祖様の話を聴いていた。

 程なくして先祖様は、一息で残った茶を飲み干すと言った。

 

「炎の型も八つまで増えた。あとひとつ程型を増やしたいのだが、巌勝殿、何かよい型名はないか?」

「それが呼び止めた理由か?」

「まぁ、うむ」

「事情は分かった。しばし待て」

 

 先祖様は色々と迷っていたのかもしれない。痣を出していない先祖様は寿命に囚われていない。だのに後先が幾つばかりかの巌勝に、その先を訊ねるようなことを憚ったのかもしれない。

 

「…………『煉獄』とは、どうだろうか?」

「俺の姓名か?」

「いや、そちらではない………いや、もしかしたらそうなのかもしれないな」

 

 耳飾りの一件から、この男が厳しい面立ちをするのが増えたような気がする。だが、この時だけは巌勝は、ふっと凪いだ表情をした。

 

「これは外の國の考え方だが、天国と地獄の間には、煉獄がある。仏教で言えば天国は浄土、地獄は地獄道だ」

「そうなのか。天国は天道と違うのか?」

「私も詳しくは知らないが、六道輪廻に伴う天道には終わりがあっても天国には終わりがない。永劫に幸福に満ちた世界で生き続ける」

「ほう、成る程」

「話を戻すが、煉獄の炎は浄化の焔。罪に穢れた咎人を、浄化の炎でその罪を雪ぐ。そして罪を赦された人間は、天国に行けるようになる。つまり浄土に行ける」

 

 巌勝の琥珀色の双眸が、真っ直ぐ先祖様を見る。この先祖様に縛られている俺も、見通されているかのように覚えた。

 

「煉獄の炎はきっと、かの日輪にすら―――届きうるのだろう」

 

 澄んだ月のような瞳が、ゆるりと弧を描いた。心の底かそう思っているかのように、嬉しそうに微笑んだ。

 この男は、こんな顔もするのだと、俺は頭の片隅で驚いた。

 しかしこの十数日後、俺の意識は、なぜ巌勝がこのように笑ったのかを知った。

 

 深い闇に覆われていたその日、四日前から行方不明となっていた巌勝が先祖様の前に現れた。先祖様の後ろには、お館様が住む屋敷がある。

 

「鬼になったと鴉に聞いた………まさかとは思っていた。噓だと思っていた」

 

 先祖様が日輪刀を抜いた瞬間、俺の意識が鮮烈に覚醒した。これが運命だと理解した。

 俺の体ではない先祖様の血が、肌が、全身が、尋常じゃないほどに慄いた。それを実際に体験しているように、俺の意識がはっきりとそれを知覚した。

 

 魂が狂うおしい程叫んでいた。この鬼は我ら煉獄が滅さなくてはならないと。

 これは煉獄家が背負う運命なのだと。

 

「なぜだ巌勝殿! なぜ鬼に身を堕としたのだ!!」

「私には時間が無かったのだ………欠け落ちるばかりの我が月が……満ちることなく夜に沈むのを………どうして認められようか」

 

 先祖様は、拭い難い苦悩に拳を震わせ、圧し殺すように下唇を噛む。そして血を吐く思いで立ち向かった。

 

「炎の呼吸 伍ノ型 炎虎!!」

「無駄だ煉獄……お前の炎は……小さすぎる」

 

 技を放つ先祖様の前で、鬼になった巌勝

――否、黒死牟は半分に欠けていた日輪刀を鞘に納め、構えた。覚えのある構え方だ。あれは俺が喰らった技。

 

「月の呼吸 陸ノ型」

 

 親しい友へと、なんの躊躇いもなく、巌勝は刀を振ったのだと思う。抜刀の速度は目で捉えられる速さではなかった。

 

「常夜弧月・無間」

 

 二度目の三日月の大津波。俺が破れてしまったように、先祖様もまた、左腕と左目を失ってしまった。

 

 次に先祖様が目を覚ました時には、既に何もかも終わっていた。

 当時のお館様の首を取られ、兄が鬼となったこと、また鬼を見逃したこと、鬼舞辻無惨を取り逃がしたこと、これらの責任をとらされ縁壱は追放される運びとなった。自刃の言葉も上がっていたそうだが、先祖様の弟がどうにかそれだけは撤回させたらしい。新代のお館様の口添えもあったそうだ。

 

「そうか」

「すまない。私が無惨を取り逃がしたせいだ。私は鬼舞辻無惨を倒す為に特別強く生まれたのに、しくじってしまった」

 

 目の前で正座する縁壱は、失意に打ちのめされているように見えた。

 

「悪いが、縁壱殿と話したいことがある。席を外してもらえるか」

 

 先祖様を介護していた妻らしき人と弟にそう伝え、二人が部屋を出たところで、先祖様は「縁壱殿」と呼び掛けた。

 

「俺が思うに、巌勝殿は鬼になることを随分前から決めていたと思う」

「っ、どういうことですか?」

 

 身を乗り出した縁壱に、先祖様は順序よく伝えた。

 耳飾りと脇差を息子に託したこと。

 ある日から何時にも増して厳しい顔をするようになったこと。

 それに伴って何かを振り切るように鍛練に身を窶したこと。

 そして“煉獄”という名について語ったこと。

 

「縁壱殿、何か心当たりは?」

「…………分からない。兄上は何時も通りだったかと思う。何か思い詰めている様子は、欠片も見えなかった」

「……そうか」

「いや……まさか……もしそうなら」

「あったのか?」

「私のせいだ……っ」

 

 目に見えて狼狽えた縁壱は、血色を失った唇を引き締めて、ぐしゃりと胸元を掴んだ。

 

「兄上が私に訊いたのです。後継をどうするのかと。私はそれに何の心配もいらないと、私たちはいつでも安心して人生の幕を引けばよいと返しました」

「っ、そういうことか」

「私は愚かなことを言った。妻を亡くし、子を亡くした兄上に、なんと心の無いことを言ったのか」

 

 程なくして、縁壱は頬に涙を流し始めた。

 どんな時でも冷静沈着な彼が、口惜しげに唇を噛み締めて哭いた。

 

「兄上……申し訳ありませぬ、愛する者を喪う痛みはっ、私も知っていたというのに……っ、兄上」

 

 吐き出す縁壱の口調は、母を失った迷い子のようで、水面に浮かぶ月を掴むような声で泣いていた。

 どう足掻いても水面の月は掴めぬと言うのに、縁壱は道理の分からぬ子供の様に、何度も何度も手を伸ばす。

 

「縁壱殿、あまり自分を責めるな。俺にだって落ち度はある。だが何時までもそう蹲っていてはなるまい。前を向こう。胸を張って歩こう。そして何時しか巌勝殿に会った時に、真っ正面から詫びようではないか」

 

 汪然と泣き崩れる縁壱を先祖様は必死に宥めた。その甲斐あって、縁壱は次第に面を上げた。

 

「縁壱殿。気を強く持たれよ。私もやらなくてはならないことがある」

「ああ……ああ、わかっている」

 

 糸が切れた凧の様に、縁壱はふらふらと部屋を出た。じきに縁壱は流浪の鬼狩りとなるのだろう。

 傷が痛むだろうに、先祖様も床から起きて墨を引き、炎の呼吸の指南書を書き始めた。

 壱ノ型から始まり、弐ノ型、参ノ型へと続き、捌ノ型まで書き上げた所で筆をピタリと止めた。この時点でおそらく冊子二冊分は書いていた。

 

「炎の呼吸 玖ノ型 煉獄」

 

 しっくりこなかったのか、何度も口の中で呟いては繰り返した。そもそもこの型は名前しか決まってない。俺は既に型の構え方も知っているが、先祖様はどう構えるか考えなくてはいけない。

 果たしてどのように思い至ったたのかと、俺が思っているうちに、先祖様は何かを悟ったように重々しく頷いた。

 

「炎の呼吸 “奥義” 玖ノ型 煉獄」

 

 先祖様は、煉獄の名に奥義と、一番大切なものだと、そう付け加えた。

 俺は確信を持って納得した。ゾワっと鳥肌さえ立った。

 先祖様はきっと願ったのだ。祈ったのだ。

 

 月は太陽がなくては輝けない。だから、太陽を無くした彼に、代わりの炎を与えられるようにと。

 

 夜に照臨する月の美しさを失くさないために。

 いつしか子孫の誰かが、彼の頸を取るために。

 

 罪すら燃やす煉獄の炎を絶やすことなきよう。

 

 ――最後の玖ノ型。奥義の煉獄について書く前に、先祖様は魂に刻み込むような声で呟いた。四百年経ても消えることのない燈火(煉獄)が、魂に刻まれた瞬間だった。

 

 心に燃える炎こそが、煉獄なのだ。

 ――心に炎を宿すのです。

 

 

 悪鬼を燃やし、罪科を灰に。

 ――悪鬼を燃やし尽くし

 

 

 だからこそ、

 ――人を優しく照らしだす

 

 

「心を燃やせ」

 

 

 あの月を日輪に代わって照らせるように。

 ――心に太陽のような炎を宿した

 

 

 そう願った。

 ――炎柱になるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 半分に欠けた視界。

 見上げた天井は懐かしき我が煉獄家。

 隣には看病をしてくれていたのだろう。千寿郎は俺の隣の布団で寝息を立てていた。

 まず先に、千寿郎に声をかけるべきなのだろう。兄が起きたぞと。戻ったぞと。だが俺は無意識に唱えていた。

 

「心を燃やせ」

 

 ああ、分かる。確かに心の中で燃えている。

 あの日に点いた心の火は、今でも絶えずこの胸に。

 

「黒死牟」

 

 これも分かった。あの顔を思い浮かべるだけで肌が粟立ちうなじがぴりぴりと震える。

 先祖様、煉獄家の長男として、責務を果たしてみせます。必ず。

 

 残念ながら、この記憶が本当に過去にあったものかは分からない。実際は支離滅裂な夢なのかもしれない。だがそれでもよかった。正しさなどいらなかった。

 

 たとえ夢であっても、熱は伝わる。

 先祖様の想いが伝わる。

 言葉では伝わらないものが、今もこうして伝わっているのだ。

 

「心を燃やせ」

 

 この魂を震わす言葉は、確かに継がれてきたのだから。

 この炎は、あの月を照らすために大きくなり、それと同時に断罪をするために、俺の心の中で轟々と燃え盛っているのだから。

 

 

 どこか、母上と先祖様が笑った気がした。

 

 

―――………

 

 

 

 燃えるような朝日が世界を照らす。

 明くる日、愼寿郎は手に粥を持って杏寿郎と千寿郎の部屋に向かっていた。粥については、気が付いたら作っていた。何か息子にできることはないかと思案した時に、ふっと頭に浮かんだのだ。なに、まだ杏寿郎が目覚めてないなら自分で食べればよい。酒に溺れていた体には妥当だろう。それにどうしてか、杏寿郎が目覚めている気がしたのだ。昨日の紙飛行機のおかげだろうか。

 そう思いながら、愼寿郎は二人の部屋の襖を開いく。開いた途端、愼寿郎は粥を落としそうになった。

 

「っ杏寿郎……!」

「おはようございます父上。兄上がこの通り目覚めました」

「父上!!」

 

 杏寿郎は目を覚まし、怪我人だとは思えないほど元気良く挨拶をしてくれた。

 

「ああ、おはよう」

「……!?」

 

 いつもと雰囲気が違う父親に、千寿郎は酷く困惑する。

 杏寿郎も一瞬目を瞪ったものの、すぐにおはようございます! と歯を見せた。

 それにおはようと返し、愼寿郎は杏寿郎の布団の側に膝を突いた。

 隣の千寿郎は父の気配がいつもと違うことに戸惑いながらも、何かを悟ったように父上と呟き、やがてわずかに笑った。

 

「杏寿郎……」

 

 愼寿郎はぎゅっと杏寿郎を抱きしめ、肩越しに涙を流した。それを目の当たりにした杏寿郎は、慌てふためきながらも声を張る。

 

「どうなされましたか父上! どこか痛むのですか!?」

「違う」

「では何か悲しい出来事でも!?」

「違う」

「では一体」

「すまなかった、杏寿郎」

「っ」

 

 杏寿郎の続く言葉を遮り、愼寿郎は懺悔をするように杏寿郎の名前を呼んだ。

 

「すまなかった、杏寿郎、千寿郎。今更都合の良い謝罪だとは思っている。俺がお前たちを突き放して、傷つけていたことには変わり無い。失った日々が戻る訳でもない。だが、謝りたかったのだ」

 

 突然の謝罪に杏寿郎の凛々しい顔は呆けていた。

 だがすぐ、いつもの快活さでニッコリと、杏寿郎は何でもないように笑う。

 

「いいえ、父上、いいえ」

 

 ぼた、と肩口に水が落ちた。その感触に驚く間にも、はらはらと雨のように水が降る。杏寿郎の涙だ、と気付くのにしばらくかかった。

 

「俺は平気です。いいのです。俺は、父上がいつか必ず立ち直れると、そう信じていましたから」

 

 されど杏寿郎は、笑顔のまま泣いていた。まるで己が救われたような顔をして泣いていた。

 一体何時からか。息子の泣き顔を見るのは。記憶を掘り返しても遠い霞のように見付からない。だがしかし、杏寿郎はこのような顔で泣くものだったのかと問えば、違うだろう。

 

「しかし、千寿郎はきっと寂しかったでしょう」

 

 その千寿郎も、このような顔で泣くものだったか。

 嗚咽も漏らさず、ただ涙だけを頬に伝わらせて、静かに笑うような顔で泣くものであったか。

 

「すまなかった! 本当にすまなかった! 俺が馬鹿だった! 愚か者であった!!」

 

 二人は父の不甲斐なさに泣き言も恨み言も、一欠片の悪しき感情ももたずに、今まで邁進してきたのだ。

 泣き方すら忘れてしまう程、その情熱で焼いて燃やして灰にした。

 俺が、この子らから泣き方を奪ったのだ。その炎に薪をくべたのだ。

 ぎこちなく背中に回された杏寿郎の手は、震えていた。

 

「父上、大丈夫です。俺も、千寿郎も。許しますよ、何度だって」

 

 朝日が杏寿郎を照らし、焔色の髪が陽炎のように揺れた。

 それが俺には、酷く怖かった。いつしかこの子は自身を薪にして、全身を燃やして死んでしまう気がした。

 

「……父上、もし、どうしても自分が許せないなら、こうしましょう」

 

 優しく引き離した杏寿郎は、喜色を滲ませた声で言った。

 届かなかった手は届き、もう簡単に触れられる距離に父がいて、顔の見える距離に弟もいる。

 果てしない幸福と思える。しかしまだ足りないのだ。父上が足りていないのだ。

 

「俺と千寿郎が父上としたかったことを、これから三人でしましょう」

「これから?」

「父上の布団も、ここに敷きましょう。一緒に鍛練をしましょう。夕方には歌舞伎を見に出掛けましょう。夜は空を見ながら三人で未来の話をしましょう。朝は千寿郎が作ったご飯を、三人で戴きましょう。食卓を囲みましょう。春は花見を、夏は花火を、秋には紅葉を、冬には雪でかまくらでも作りましょう! これからです! 失った日々は戻らないと言うならば、お釣りがくる程共に時間を過ごしましょう! これからです!!」

 

 愼寿郎は、もう一生分の涙を流し果たした思いだった。

 瑠火が死んでしまってから、杏寿郎と千寿郎はふたりぼっちだった。父の愛情を与えられず、二人はずっと独りだった。しかしその悲しみは、これからの輝かしい未来を際立たせるための、大切なものだったのだ。

 今この瞬間に、煉獄家の止まっていた時間が動き出した。

 

 二人の名前を呼んで泣く愼寿郎を傍目に、杏寿郎は愼寿郎が持ってきていた粥を手に取った。

 父上が作ったものだと、杏寿郎は一目みて分かった。

 胸から溢れ出そうになる感情を呑み込み、ひとすくい蓮華で粥を口に入れた。ちょっぴり焦げていたりしょっぱかったが──

 

「わっしょい!」

 

 ───どこまでも、美味しかった。




 時透さんちの有一郎くん。
 懐に入れた者に対しては優しい。
 胡蝶さんとのお話は炭治郎も巻き込まれた。
 戦国時代に関する話はお館様に手紙を出して聞いてみればいいや、と思ってる。というか出した。
 次回に続く!

 時透さんちの無一郎くん。
 忙しや忙しや。柱の激務に追われて蝶屋敷に行っているヒマが無かった。兄が上弦と出くわしたと耳にしたときは、生きた心地がしなかったし任務に力が入らなかった。

 煉獄さんちの杏寿郎さん。
 怪我が酷いため、柱から一時遠ざかる。辞めるわけではないので、回復次第復任する。
 好物に父親が作ったお粥が追加された。
 貴方様は、お館様は一体―――何を知っている?
 次回に続く!

 戦国時代の杏寿郎さん。
 どうか、どうか、我々の炎が、貴方をずっと照らせていますように。
 なお本人は柱ではなく、弟が炎柱である。

 大正こそこそ裏話
 戦国時代の話がいくつか出ましたが、まだまだたくさんあります。その話もいずれ書きます。
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