家出娘のなつき度が上がった。通い妻に進化した。   作:夜桜さくら

10 / 12
言っておかないといけないことがあって/……なんですか?

 

 

〈 2月21日 〉

 

 

 ところで、転機というものは突然訪れるものである。

 転機とは、環境の変化によって訪れるもので。

 だからそれは往々にして、自分の意思では気付けないものだ。

 

 カタカタ、と千夜はキーボードを叩く。

 

 手元の資料を見ながら、報告書をまとめていた。

 

「千夜。プチ会議するから第一会議室来れるか?」

 

 投げられた言葉に顔をあげると、友人兼上司ちゃんである、井上が立っていた。

 同年代でありつつも上司という、少しややこしい関係。

 作業を止めて、見上げるような形で、向き合う。

 

「……ええと、何時からですか?」

「いつでも。まぁ俺からちょっと伝えることあるだけだから」

「……?」

「仕事上の連絡事項」

「わかりました。じゃあ今からでも?」

「おけ」

「パソコンとか資料とかなくても?」

「おけ」

 

 じゃあ、と席を立って、二人そろって会議室へ移動する。

 事務所と会議室はそう離れているわけでもないので、世間話をして間を取り持つ必要もなく、到着。

 第一会議室はそこそこ広めの部屋だが、特に使用予定もなかったらしく、がらんとしている。

 千夜は空いている椅子に適当に腰掛け、メモとペンを取りだして、待機する。

 

「……」

「お前最近あの子とどうなの?」

「……あの子、とは」

「魚類っぽい子」

「井上さん……魚類っぽいって言い方はちょっと……。というか、仕事の話じゃないんですか」

「同級生なんだからため口でいいだろ。ここ今二人なんだからさぁ……。で、あと、別にその魚ちゃんも別に無関係じゃないっちゃ無関係じゃないんだよな。だから聞いてんだけど」

「……まぁいいけど。よくはないが。まぁよしとする」

「で?」

 

 えー、と千夜は露骨に嫌そうな顔をした。

 眉間にしわをよせて、唇を曲げ、不満そうな表情を形作る。

 

「いや嘘じゃなく結構マジで仕事に無関係じゃないんだよなこれが」

「井上が嘘つかないっていうの信用ならなさ具合が凄まじいんだよな……」

「信じろって」

「……まぁ別に、そこまで隠すようなことでもないからいいけど」

 

 他人に好かれているか嫌われているか、あるいはどうでもいいと思われているか。

 そのあたりの感情というのは、ある程度類推が可能だ。

 単純に考えると、好意的な言動をされているなら、好かれていて。敵意的な言動をされているなら、嫌われている。

 もちろん反感を抱かれていても、面と向かって「嫌い」だなんて言う人は少ないだろうし、そういうところが感情を類推するにあたって難しいところではあるのだが。

 

 だけど、それでも。

 

 嫌いな相手にチョコレートなんて贈らない。

 あんな表情をしない。甘い声で話さない。

 どういう感情を向けられているのかは、多少は、わかっているつもりだった。

 

「たぶん好かれてるとは思うんだけど、そろそろどうしていいかわかんないんだよな……」

「あ? ん? 別れる予定でもあんの?」

「……あー。いやあのときはそんな流れの会話してた気もするけど、別に付き合ってないよ。なんかまぁ……ちょっと縁があって最近よく遊んでるんだけど……うん……」

「遊ぶって……。千夜お前、いつから女を弄ぶような男に……」

「殴っていい?」

「じゃあなんだよ。ただの女友達じゃねえの?」

「うーん……」

 

 ただの女友達、というには関係性が特殊。

 けれどただの知り合い、というには距離が近すぎる。

 とはいえ、ついこの間、少女自身は「知り合い? ですかね?」などと言ってはいたのだが、それはそれ。

 シチュエーション的に、照れ隠しというのもあっただろうし、今まさに彼が言葉に困っているように、少女にとってもそうなのだろう。

 

「実はあの子未成年なんだよね」

「えっまじ援交じゃん」

「殴っていい?」

「やべーな衝撃の事実だ。通報していいか?」

「馬鹿」

 

 はー、と大きなため息。

 

「……まぁ実際、色んな問題がありすぎて、どうしていいかもうよくわからないんだよね」

「問題って、例えば?」

「いやまぁ未成年。年齢差」

「それ以外は?」

「……あ、とは……」

 

 プチ家出状態、であることとか。

 それにまつわることに、いくらかの問題はあるような気はしていたが、ただそれは千夜には直接の関係のないことだった。

 彼が本質的には関与できない問題。彼ができるのは、少女を精神的に安定させることだけで。だからそれは、彼らの周囲を取り巻く問題ではあっても、彼らの関係性に影響を及ぼす問題では、ない。

 

「……なんだろう」

「特にないのかよ草」

「いやないことはないんだけど」

「ふうん?」

「……いやまぁ、この話もういいでしょ」

 

 はぁ、とため息を一つ。

 

「で、仕事上の連絡事項って、結局なに?」

「あぁそれは────」

 

 友人兼上司が放った、一言。

 それを聞いた千夜は、ピタ、と見事に固まった。

 

 


 

 

〈 3月3日 〉

 

 

 チャイムの音が鳴る。

 耳の奥に響く音、授業の始まり/終わりを知らせる音、時間の区切りをつける音。

 

 カチ、とシャーペンの芯を引っ込める。

 パタ、と教科書とノートを閉じる。

 テキパキ、と卓上の色々なものを片付ける。

 

 そして、ドッ、と教室が喧噪に満たされる。

 休み時間、お昼の時間、学校生活で最も長い休憩時間。

 食堂など教室外で食べる人たちはガヤガヤと外に出て、あっという間に教室の人口密度が減っていく。

 

 そんな中、真魚は、悠然とかばんの中からお弁当箱を取り出して、てくてくと席移動をする。

 窓際の前から三番目の位置に、真魚の友達である礼が座っている。真魚は礼の前の空いた席に座る。ここ最近の、通例の位置だった。

 

「ひな祭り、ですわね」

 

 お弁当をつつきながら、礼が神妙な顔つきで、ぽつりとつぶやく。

 

「……」

「桃の節句、とも言いますわね」

「そうなんだ……」

「えぇ、そうなんです」

 

 つんつん、と真魚は自分のお弁当の白米を箸でつつく。

 お米を一粒だけつまんで、口に運んで、もぐもぐと咀嚼して、呑み込む。

 特に続きの台詞はないんだな、と思って、真魚は言葉を返す。

 

「それで、ひな祭りがどうかしたの?」

「特別何かあるわけではないんですが。3月3日ですし、ふと、ひな祭りを思い出したんですの」

「季節感は大事だもんね」

「ですわね」

 

 意味のあるわけでもない、パッと頭に浮かんだだけの言葉のラリー。

 

「でももう三月なんだよね……。なんか一年あっという間だったけど、次も同じクラスだといいよね」

「噂によると、ある程度は仲良し同士で三年のクラスは固めてくれるとかどうとか聞いたことがありますが……眉唾ですしね……」

「あっそんな噂あるんだ。へー」

「真偽のほどは定かではありませんけれど……まぁそこは論議しても仕方ありませんわね」

「確かに」

 

 二人はお弁当を食べながら、いつも通り他愛のない話を続ける。

 もうすぐ高校三年生になる──、という話を皮切りに、進学・進級・受験勉強の話など。

 

「──ところで真魚ちゃん」

「?」

「あの方に告白とかはなさらないんですの?」

「…………」

 

 真魚は、お弁当に入っているミニハンバーグを半分に割り、パクリと一口。

 ケチャップの味がするなと思いつつ、もぐもぐごくん。

 

「……急に何?」

「やけにインターバルをはさみましたわね」

「だって……」

 

 都合が悪くなると、沈黙をはさむ。

 それが真魚の癖だった。

 

「いやでも、なんでまた?」

「あぁいえ……普通に四月になりますし……?」

「え? だから何?」

「クラス替えなどの前の告白とか、割と定番じゃありませんこと?」

「……なるほど? …………確かに、そういう人もいるんだろうね。あれだよね。卒業式前の別れ際の……みたいな?」

「そうですそうです」

「まぁあの人は社会人だし、あんまり関係はないかなって」

「確かに!」

 

 目から鱗、と言わんばかりに、礼は目を見開く。

 

「小中高とクラス替えや進学があったので、なんとなく春と言えばそんな感覚がありましたが、そうですわよね。社会人になったら早々変わらないんですのね」

「ね。私たちにはあんまりイメージできないけど」

 

 厚焼き玉子焼き。

 おいしい。

 

「それはともかくとしても、告白はしないんですの?」

「あっその話まだ続くんだ」

「まぁ」

「んー……」

 

 告白するしないについては、真魚ひとりで、自宅で考え事をしていたときに、結論が出ていた。

 

「まぁ、しないと思うけど」

「あら。なんでですか?」

「なんでって……」

 

 真魚は言葉に迷って、水筒からカップにお茶を注ぎ、んく、と一息つく。

 少女にとっては比較的タイムリーな話題だったから、ある程度のことは考えた。

 好きとか、嫌いとか。

 告白するとか、しないとか。

 でもやっぱり、リスクのほうが目立っていたから。

 

「別に話してもいいけど……この話教室でするの?」

「それは……デリケートな話になるなら場所は変えたほうがいいかもですわね。真魚ちゃんの好きにしてもらえれば」

「まず、順を追って話すと……」

「あ、教室でいいんですのね」

「まぁ、別に」

「どうぞ続けてくださいまし」

「……えーと、なんだっけ、そうそう、まず『好きか嫌いか』だけど……。それはまぁ、好きなんだよねぇ……」

「LIKE or LOVE問題はありますの?」

「らぶ」

「あら即答」

「そこはね」

 

 真魚は淡々と答えていたが、言葉として少女が彼への好意を口にしたのは、これが初であった。

 

「ちなみに、どんなところが?」

「どんなところ……。優しいところ?」

「出ましたわ! つまらない長所ランキング一位!」

「優しいの何が悪いと……いや言わんとすることはわかるけどさー……」

「はい」

 

 好きな人が悪く言われた感じがして、真魚は、イラァ……と眉を顰める。

 

「言い方変えると、怒らないとか。まだ付き合い浅いから〜、みたいなことも思わなくもないんだけど、あの人たぶん怒るより悲しいって思うタイプで、だから怒鳴られたりとかそういうことはずっとないだろうなーって感じがする。怒らないのいいよね。私怒鳴る人とかすごく苦手。しゅんってしちゃう」

「あー、怒る人はしんどいですわよね。顔面へこませてやろうかと拳を暖めてしまいます」

「ね」

「将来的に見ても、怒らない人相手だと主導権握れそうな感じでいいですわよね」

「う、穿った見方……」

「でも思いません?」

「まぁ……うーん……微妙……」

 

 あれがしたい、これがしたい。

 そういう欲求の話をすると、まだ未知な部分が多いように、真魚には思えた。

 だって、映画を見てばかりで、他に特に何もしていない。

 映画を見て、ココアを飲んで、他愛のない話を永遠に。

 そんな風に、過ごしていたから。

 

「でも歩調というか、生きる速度感というか、そういうのは近いんだろうなあって感じはするかな」

「歩く速度、ですか?」

「歩行スピードじゃなくて、気持ち的なほうね。せかせかして効率優先! ──ってタイプとは私付き合えないし、しんどいだろうなーって思う。そういうのはかなり合う感じする」

「あー、すごくいいじゃないですか。素敵ですわね」

「そうそうそう。でしょ?」

「はい」

 

 ふふん、と真魚は満悦した表情で、ミニトマトを口に運ぶ。

 かり、と皮を破ると、トマトの味が口に広がる。

 もぐもぐ、ごくん。

 

 

 ──もっと言うなら、と。

 

 

 真魚は、言葉を続けようとして、気恥ずかしくてやめた。

 初めて会った日、真魚が人生に一番絶望していた日、そんな日に優しくしてくれたからというのはあるのだろう。

 ココアが甘くて、おいしくて。

 あの家の空気は、心地が良かったから。

 たったそれだけの、他愛のない理由が、きっとはじまり。

 ただ、そんなことは、わざわざ教えてあげる必要なんてなくて。

 真魚は秘めやかに、目を細める。

 

「ところで、これ、なんの話だったっけ?」

「告白の話からの派生ですわ」

「あぁ……」

「まぁ急いては事を仕損じると言いますしね。慎重なのはいいことかもしれません」

「だよね。私もそう思う。やっぱり慎重派だからさ」

 

 急いては事を仕損じる。

 まぁ実際、告白するにしても、もうちょっと異性として意識してもらえるようになってからだろうな──、と。

 真魚は、そんなことを思った。

 

 

 

 

 落ち着いた色味の紺のブレザー、赤のラインが入ったプリーツチェックスカート。

 学校の、制服。

 学校の制服というものは、それを着用しているものが“学生”であることを示すものだ。

 大学生にもなれば、制服を着ることはなくなると言ってもいい。

 

 だからこそ、制服という存在は、中高生の──子どもの象徴的なものとなる。

 

 だから脱いでしまう。脱いでいた。脱いで、私服に着替えて、彼の部屋に行っていた。

 一番はじめは、なんとなく、私服のほうがラフ感が少なくていいかもしれない──、とあえて、きれいめの私服を選んでいた。気軽に、軽々しく、帰り際に適当に寄るような扱いをしていい場所ではないと思っていたから。

 制服は比較的フォーマルな存在であるからして、真魚のその思考はややズレていたとも言えなくもないが、そこは本人の心情の問題であるからして仕方がないとも言える。

 

 ともあれ、結局のところ事実としてあるのは、真魚が千夜の前で制服を着たことが一度もないという事実だった。

 

 しかしだからといって、その事実が直接二人の関係に関与するわけでは当然ない。

 直接は。

 間接的には、どうだろう。

 制服を着ない女子高生は、子どもには、見えない。

 

 

 ぴんぽーん、とチャイムを鳴らして、反応がないことを確認。

 その後、ガチャ、と。

 ドアを開ける。

 

 

 彼の家、千夜の家。真魚の家ではない場所に、足を踏み入れる。

 

「お邪魔します」

 

 少女が学校を終え、彼の家に遊びに来る時間と彼が帰宅する時間は、当然ぴったり同じではない。

 来る前に了承はもらっているが、それでもやはり無人の家に足を踏み入れるのはどことなく背徳的な気分になる。

 こればかりは、早々慣れるものではない。

 実のところ、今日は大した用があるわけではなく、その事実も足を踏み入れるのに抵抗を生む一助になっていた。

 より正確にいうと、用がないというよりは、何か用事を済ませるほどの時間がないというほうが正しいのだが。長い時間留まっていられるのなら、やれることは多岐にわたるが、そうではない。

 

「告白……」

 

 

 ──年相応の付き合いをするなら構わないけど、付き合ってもないんだから節度はしっかりと。

 ──あとそれから、ご飯はちゃんと家で食べなさい。

 

 

「むぅ……」

 

 もっともすぎる、母の言葉。

 彼と二人でいるところを母に見られたあの日、家に帰ってからやっぱり絞られて、そのときに言われた言葉だった。

 

「でもどうせ……」

 

 告白なんてしても受け入れてなんて、もらえない。

 そんな言葉を呑み込み、代わりにため息を吐く。

 

 今日学校で告白についての話をしたというのもあり、母の言葉もあり、思考がどうにもそっちに寄ってしまっていた。

 そもそも告白をする理由とはなんだろうか。

 

 まず一つ、関係の区切り。これまでの関係を終わらせて、次のステップに移るためのイニシエーション。

 内実的には、確認作業というのもあるだろう。好きとか、嫌いとか。言葉にしてみなければ、内に秘めたものは、いつまで経っても曖昧だ。

 実効としては、確認作業を踏まえた、お互いがお互いのものであるという誓約を結ぶこと。もっとも言葉で軽く交わされただけの軽いものにはなるが、この誓約があるからこそ、告白以降は浮気という概念が生じることになる。

 

 なにはともあれ、その前後で決定的に違ってしまうものがある。

 だから怖いし、勇気が必要になるわけだが。……が。

 

 逆を言えば、『今がずっと続けばいい』──、そう思えるなら、告白なんてする意味がない。

 

「……よし」

 

 とりあえず、ココアを淹れよう。

 いつも通り。彼の好きなものを、私が好きになったもので、この部屋を満たそう。

 そう思って、真魚は、キッチンに向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おかえりなさい!」

「……ただいま」

 

 香り高いココア、花咲くような笑顔、そして他人のいる明るい部屋。

 部屋に満ちる寂寥感というのは、冬に色濃く出やすい。寒く、日が落ちる時刻が早いからだ。

 あとそれから、一人暮らしの部屋で「ただいま」というむずがゆさ。

 

 別に今日この日がはじめてではないが、やっぱりどうしたって、早々慣れるものではない。

 

「今日はすぐ帰るんだっけ?」

「はい。お母さんが早めに帰ってきなさいって」

「そ」

 

 千夜は真魚に背中を向けて部屋の奥へと進む。

 コートを脱いで、ジャケットを脱いで、手を洗ってうがいして。

 そんなことをしていると、真魚が居間のテーブルに、ホットココアを用意してくれていた。

 

 千夜はいそいそと座り込み、「ありがとう」と一言。

 ココアを一口飲み、ほっと一息。

 

「来て早々なんだ──って思われるかもなんですが、このココアを飲んだら、私帰りますね」

「あ、すぐ帰るってほんとにすぐなんだ」

「まぁ……鬱陶しいかなとも思ったんですが、まぁその……」

 

 お話したかったので、と真魚は肩を丸めて、小さくなっていた。

 

「あぁ、全然いいよそれは。ぼくもやっぱり、帰ってきて電気ついてたり暖房ついてると……なんだろ。安心感があったりして、嬉しいなって思うし」

「なら、よかったです」

 

 真魚は自分のマグカップに、あちち、と口をつけ、ちみちみと。

 

「千夜さんには悪いなって思うんですけど、私最近……この家やっぱり落ち着くなって思ってまして。隙あらば足を運びたくなるんですよね」

「──、……それならよかった」

「はい」

 

 やんわりと、真魚は、はにかむように小さく笑う。

 そして、千夜は内心、ドキッとしていた。

 言うべきか、言うべきでないか。

 そんなのは考えるまでもなく、言うべきことで──、と。理性ではそう思っていても、なかなかどうして、うまく言葉にはできなかった。

 

「そういえば」

 

 わずかな沈黙のあと、口を開いたのは真魚だった。

 

「今日何食べるんですか?」

「ん。コンビニ弁当」

「え~」

「何か言いたそうだ」

「いえ別に。普通に冷凍食品とかレトルトとか、おいしいですよね」

「そう。割と普通においしいんだよな」

「ね」

 

 一人暮らしで、毎日自炊というのはめんどくさい。

 時は金なり。

 お金で時間にゆとりができるなら、そっちを選びたくなることは、ある。

 

「まぁ手作りとかしようと思うと、 大変ですもんね。作る量とかも複数人のほうが調整はしやすそうだなって最近思います。私がするときはいつも最低二人前なのであれなんですけど」

「まぁね。ある程度はぼちぼち慣れたけど。……でもまぁ、平日にちゃんとした料理ってのは実際めんどくさいところもあるというのは正直なところかな」

「お仕事お疲れ様です」

「ありがとう」

「肩でも揉みましょうか?」

「……じゃあお願いします?」

「えっ」

「そっちが言い出したんでしょ」

「そう、なんですけど~……」

 

 どうしましょう、などと言いながら少女はマグカップを机にいったん置き、手をわきわきとさせる。

 比較的、乗り気なような、そうでもないような。微妙な塩梅。

 

「えっほんとにいいんですか?」

「いやそういうリアクションされるとなんか……うん……」

「えぇ〜……」

 

 露骨に肩を落とす少女に、彼はなんだか悪いことをしたような気分になっていた。

 別に千夜は悪くはないし、真魚も別に、心底求めていたわけではなかったが。

 そういう文脈で、そういう戯れだったから。

 

「じゃあ代わりに、じゃんけんでもしませんか?」

「なんで? いやいいけど」

「じゃーんけーん」

「ホイ」

 

 

 そうやって、わーきゃー、とたわむれて。

 少し落ち着いた後に、ココアを飲みながら別の話をしてみたり。

 そうしていたら、ココア一杯分の時間なんてあっという間に過ぎてしまった。

 

 

「──……」

 

 

 空になったマグカップを、真魚はぼんやりと見つめていた。

 千夜もぐい、っと自分のカップの中身を飲み干す。

 

「……バスでいいんだっけ? 送ってくよ」

「はい」

 

 二人は、コートを羽織って、靴を履いて、外に出た。

 

 夜。

 どこか滲むような色をした、夜だった。

 風のない、穏やかで寒すぎない、夜だった。

 千夜にとっては滲む空で、真魚にとっては穏やかな空。

 

 ごくごく当たり前のことなのだが、ものの見え方というものは、人によって異なる。

 受け止め方が異なる、と言ったほうが近いかもしれない。

 ともあれ、結果として、千夜には少し澱んで見えて、真魚にはきれいに見えたという事実だけがそこにはあって。

 

「──……、──? ──」

「──、────」

 

 そんな中、いくつかの言葉を投げ合いながら、夜道を歩いていた。

 ほとんどが他愛のないこと。

 ごくごく普通の会話。

 コンビニのプリンは、どこのが一番おいしいとか。そんな程度の、中身のない楽しいだけの会話。

 

「私、いつか猫を飼うのが夢なんですよね」

「へぇ。いいね。家ではペットとか飼ったりしてないの?」

「お母さんがアレルギーあるんですよ」

「なるほどね」

 

 そう、こういう、中身のない会話には“ただ楽しい”という意味がある。

 他愛のない話で愛を感じるという、贅沢。

 

「……ん。次のバスまで、あと5分ってとこでしょうか。もうちょっとのんびり歩いてもよかったかもですね」

「5分かぁ」

 

 バス停に着いて、時刻表の近くで立ち話。

 周りに人がいないわけではないので、少しだけ声を控えめに、そして少しだけ周りから距離をとって、少しだけパーソナルスペースを縮めて。

 そんな風にして、立って、話していた。

 

「送ってくださって、ありがとうございました。もう大丈夫ですよ」

「んー。まぁあと数分くらいだし。最後まで」

「そうですか? まぁそれなら……」

 

 少女は首を傾けて、「んー」と唇をなぞるように、思案していた。

 そして、「そういえば」と、指をピンと立てて。

 

「今日学校で、来年の話してたんですよね。三年生になるんですけど」

「うん」

「そこでちょっと話題になったんですが、社会人だとどうなんですかね。なにかイベントとかあるんですか?」

「あー、総決算とかってこと? 普通に新入社員さんがいらっしゃるからチームのパワーバランスが変わったりとか……まぁ会社によって細かいことは変わったりするだろうから、なんとも言えないところはあるけど」

 

 千夜はそこまで話して、重いため息を吐いた。

 隠しておくことなんてできないし、話さなければならないことを。

 自分の家を居心地がいいと言ってくれた少女には、必ず伝えなければならないこと。

 伝えようと思って、伝えられていなかったこと。

 切り出そうと思って、切り出せていなかったこと。

 

「仕事のことなんだけど」

「? はい」

「真魚さんに言っておかないといけないことがあって」

「……なんですか?」

 

 空気が、ピリリと張り詰めたような気がした。

 真面目な顔、声のトーン。

 嫌な予感がする、と真魚は思った。

 

 

 

 

「転勤が決まった。四月までには、あの部屋を出ていく」

 

 

 

 

 関係の区切り。卒業、転校、転勤、進学──様々な外的要因により、縁というのは自然と切れる。

 それを切らずに続けるには、友情や愛情という名の、強い錨が必要となる。

 そして、千夜と真魚の間に、そのような強い(誓約)は存在しない。

 

 だって彼らは、別に特別な関係でもなんでもなくて。

 だからつまり、このまま何もしなければ、縁が切れる。

 

 そんな現実が、いま目の前にあって──……真魚はただ、口をぱくぱく開閉させることしか、できなかった。

 

 だけど時間は動く。バスが来る。世間は彼らを、待ってはくれない。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。