深淵魔法で大きく陥没した地面にマグマが流れ込み、私たちと火龍をも纏めて飲み込もうとしていたので、急いで高台へと火龍ごと運んで避難する私と蜘蛛子ちゃん。
そして蜘蛛子ちゃんは食べるために鱗を剥がしに取り掛かり、私はレベルが上限に達したことで進化可能になったので、進化先について確認しようとした時のことだった。
森羅万象の感知内に、空間の歪みが発生する。
それは未知の感覚だったけれど、これが転移の際に発生する空間の変調だと直感で理解した。
何かが何者かが、この場所に転移しようとしている。
けれど、それを察知したからといって妨害が可能なスキルは持っていないし、この構築スピードでは何かをしようとしても先に転移が完成する。
なら出てきた瞬間に攻撃を叩き込めるように、待ち構えるのが最善策と判断した。
思考超加速によって引き伸ばされた時間で結論を導き出し、現実ではコンマ一秒も経っていない刹那で思索を終えると、その数コンマ後には魔法を描き出す。
そして空間が裂け形容しづらい色彩の空間の向こう側から、長身の男性に見える何かが現れた。
黒い鎧、黒い髪、浅黒い褐色の肌……黒い印象で統一された色彩だが、唯一その目だけは煌々と紅く鋭い眼光を瞳に宿している男の人。
ただそこに佇んでいるだけなのに、格の違いを思い知らされる。
その身に宿る力が違う、内包する魂の質が違う、存在している次元が違う——
当人は何もしていないのに、ただ纏う気配だけで周囲を跪かせ支配するような圧が振り撒かれていた。
その気配は当然私にも作用していて、迎え撃つために用意した魔法が気付くと霧散し跡形もなく消滅していた。
そしていくら集中しても、体外に放出された魔力を操ることが一切できなくなり、短いながらも深く寄り添っていた魔力の感覚が、私の意思に殆ど答えてくれない。
この不可解な現象を引き起こしているのであろう黒い男は探るような雰囲気を滲ませていたが、敵意や害意といった威圧する感じはしないのが気になった。
だからなのか逼迫した危機感は憶えないけれど、なぜだろう身に覚えのない感情が胸の内にあるのを感じている。
それが何なのか分からないけれど、あまり良い感情では無いのは理解できた。
そしてそれは、初めて会った相手に抱くような物では無い、そんな複雑極まるような気持ちだと思った。
何故だろう。
妬ましく羨ましいのに、この人がとても哀れに見えてしまうのは——
知らない感情に戸惑っていると、その黒い男はゆっくりと口を開いて声を発した。
私たちが知らない言葉を。
「****、**********?」
それが言語であることは理解できる。
法則性のある発音のニュアンスと言い回しが、決められた形式に則って文章を作っていることが理解でき、それが英語のような発音と文体を成しているが、その単語の意味などが全く分からないため、言語なのだとは理解できるけれど、意味は内容は欠片も分からない。
思わずといった様子で蜘蛛子ちゃんは首を傾げていたけれど、それで急に言葉が理解出来るはずもなく。
「****、++++++、++++++++++++++?」
黒い男の人は、何度も私たちに語りかける。
けれど、この世界の言葉を理解していない私たちは、ただ頭を悩ませるしか無いわけで。
思い切って日本語で念話を送ってみるものの。
『あー、えーと。こんにちは……? はじめまして、日本語分かりますか?』
「****!? ******? **、********?」
私たちが彼の言葉が分からないように、黒い男の人も私たちの言葉が分からないようだった。
そして黒い男の人が眉を顰め、難しい顔を浮かべる。
私たちもどうすれば良いのか途方に暮れて、彼とにらめっこをしていると。
感知に予兆も何もなく、突然何かが落下して地面とぶつかり、乾いた音を響かせた。
そこに落ちていたのは、前世では見慣れた物であるけれど、この世界では存在していないだろうと思っていた文明の利器である、スマホだった。
いつの間に!?
さっきまで欠片たりとも存在してなかった筈だし、転移で出現したとしても予兆も何も感じられなかったのに!?
『
そしてスマホの画面が光るとともに、そこから二重になった声が聞こえてきた。
片方は日本語で、もう片方は多分この世界の言葉で、スマホから声が聞こえる。
その声に私と蜘蛛子ちゃんは驚きを隠せなくて、そしてそれは黒い男の人にとってもビックリなことのようで、何かを言いながら彼はスマホを拾い上げて耳に当てる。
「*******!?」
『
そして黒い男の人とスマホの声の主は、この世界の言語で会話し始めた。
言葉の意味が分からない以上、何を話しているのかは全然理解できないけれど、スマホから聞こえる不気味なほど感情が読めない女性の声が何かを言うたびに、黒い男の人が苛立ちを表したり、不機嫌そうな表情をしたりと、終始スマホの声の主のペースで話が進み、最後には溜め息を吐いて黒い男の人はスマホを地面に置くと、来たときと同じように空間を歪め転移して去っていった。
『お待たせしました、蜘蛛さん苔さん』
黒い男の人との話が終わり、この場には私たちと怪しげなスマホだけになると、そのスマホの声が私たちに語りかけてきた。
そしてスマホの声の主と彼と話していた内容について、大雑把過ぎるほどざっくりと説明する。
『彼には話をしておきましたので、今後あなた達に自ら関わることはないでしょう』
……それで、あなたは誰?
『Dです』
なにも言ってないし念話もしてないのに、思い浮かんでいたことの返事が来た。
『ええ。あなた達の心を読みました。……しかし私とお二人それぞれの思考を読むのは問題無いのですが、蜘蛛さんと苔さんがお互いの考えを共有出来ていないのは、説明が二度手間になって少々面倒ですね』
それは……、そうかもしれない。
未だに蜘蛛子ちゃんは念話が出来ないので、きちんと会話したことなんて一度も無いのだから。
『なので、僭越ながらこのときだけお互いの考えが分かるようにしてあげましょう』
え? どうゆうこと?
——うええ!? マジで!? プライバシーの侵害だ!
っ!? 頭の中に知らない声が響く。
その声はハイテンションな調子で、捲し立てるように騒ぎ立てていた。
——あっ、ちょっ、待って。もしかして聞かれてる? あっ待ってなんか恥ずかしい。待って待って、本当はこんなに話せないのに……うぅ。
騒がしい声は混乱しすぎて早口気味にグルグルと回って、その声と一緒に強い不安と羞恥の感情が流れ込んできた。
——っ! そんな、どうしよう、どうしたら。
————うぅぅ、つらぃ……、逃げたい……、消えたい……
この声は……、蜘蛛子ちゃん?
なんか予想していたイメージとは全然違う。
けれど、迷宮で一緒に過ごしてきたコミカルに動き回る蜘蛛子ちゃんとは、なぜかシックリくるような、そんな何か驚くけれどこれが正しかったって感じる不思議な感覚。
私が驚きで思考が硬直し、蜘蛛子ちゃんが慌てふためき感情がグチャグチャになっているのを、共有された意識でお互いに感じていると、少しだけ忘れかけていたスマホから盛大な笑声が聞こえてきた。
『ぷふぅっあっはははは!!』
その笑い声は、今までの平坦な感情のない声とは違って、心から喜悦を楽しんでいるような音色をしていた。
『いやー、予想していたとはいえ傑作ですね。普段はあんなにハイテンションでバカ……ポンコツやらかしている内面が苔さんに知られちゃって、ねえどんな気分ですか? どんな気持ちです? 蜘蛛さん??』
普段からということは、蜘蛛子ちゃんは普段からあの調子の内面だったのかな。
そして、そのことを知っているということは私たちの行動をずっと見てきたということで。
『さすがにずっとは見ていませんし、普段から心までは読みませんよ。それに監視していると言うよりは、観戦しているの方がしっくりきますね』
——でもそれって、要はストーカーじゃん。
あっ、蜘蛛子ちゃんが復活した。
『そうですね。あなた達は見ていて飽きませんから』
——D、その名前「叡智」を獲得した時に聞こえた名前なんだけど。
『ええ。あれは頑張っている蜘蛛さんへのご褒美です。有効活用しているようで何よりです』
突然「叡智」なんていうズルいスキル蜘蛛子ちゃんに与えたのは、お前かっ!
『その通りです。自分の存在価値が揺らいで嫉妬のあまり刺そうかと考えていた苔さん』
うえっ!? バラさなくてもいいのに!?
——ひぇ。
意識が繋がっているせいで、思ったことが偽ることも出来ずに相手に直接伝わってしまうので、その時私が嫉妬にかられて突拍子もない事を考えていたことが紛れもない真実である事を、蜘蛛子ちゃんに知られてしまった。
それを知ってしまった蜘蛛子ちゃんは、どこか私に対し警戒していて信頼と不信の入り混じった気持ちと感情を抱いているのが伝わってきた。
今は、そんな事考えていないからねっ!?
けれど今はそんな気持ちが欠片も無いと言うのに、警戒心を解いてくれない蜘蛛子ちゃんの心の壁が、私の心にチクチクと鋭い痛みとともに刺さる。
なんで……
『夫婦漫才はもう充分楽しめましたし、質問に戻りましょうか』
あっ……
——あ、はい。
『もう察していると思いますけど、私の目的はただの娯楽です』
散々引っ掻き回して笑い転げているような相手だしね……
——私たちのことを玩具か何かだと思いやがってぇぇ。
『それ以上の意味や目的なんてありません。なにせ、私は世界最悪の邪神ですから』
本当なの?
——荒唐無稽なのに嘘をついている感じが一切しないわ。
『本物ですよ。邪神だからこそ、人の藻掻き苦しむ様を見るのが楽しみなのです。丁度、さっきのように』
それは趣味が悪いと思う。
——私も同感だね。
『失礼な。もっと恥ずかしい秘密バラしてもいいんですよ?』
それはご勘弁を!
——すみませんでした!
『よろしい。では次で最後にしましょう』
最後の質問……
——なら、聞くべきなのは。
そうだね。
『決まりましたね? その質問の答えはノーです。私はその世界から見れば部外者です』
——どういう意味?
『質問はおしまいですよ。それに、ここから先を教えてしまったら、つまらなくなってしまいますから』
この先も私たちのことを、弄ぶというの。
『ええ。ですからこれからも精々足掻いて私を楽しませてください。その先に、あなた達が求める答えがあるかもしれませんよ?』
——この、好き勝手言って!
『では、また』
まって、もし、もしだけどあなたは——
その瞬間、世界が止まる。
あらゆる情報が断ち切られ、自分がどこにいるのかも分からなくなる。
さっきまで心が繋がっていた蜘蛛子ちゃんの気配も感触も無くて、ポツンと光のない宇宙に一人放り出されたように感じていた。
『それは、まだ内緒です。だからあなたも秘密にするんですよ? 約束です』
スマホ越しに感じていた気配とは格が違う存在感に魂を握られて、私は何も考えられずただ約束というものを迫られ、それに肯定するしか出来なかった。
約束を受け入れた私の魂に、小さな鎖が埋め込まれる。
その感覚を、本能よりもなお深い、魂が感じる根源の感覚に刻まれていくのを憶えながら私の意識は現実へと引き戻された。
気がつくとスマホは何処にも見当たらず消失していて、ここには私と蜘蛛子ちゃんに火龍の死骸しか存在していない。
私たちの思考を共有させていたDという管理者かつ邪神がいなくなったことで、蜘蛛子ちゃんとの繋がりも無くなっており、思念が伝わることも流れ込んでくることも無くなっていたけど、それに私はどこか寂しさを感じていた。
蜘蛛子ちゃんは、さっきのことが尾を引いているのか念話をいくら送っても無視するように振る舞うので、返事してくれるまでしつこく語りかけるものの、やりすぎて逆効果になったのか、私を下ろして岩陰に隠すと火龍を食べることに没頭していった。
そして火龍を食べ終わるまで、一切念話にも反応せず魔法で注意を引こうとしても、頑なに無視され続けた。
『本当ごめん! やりすぎたって謝るから! だから無視しないで! 置いてかないでよぉぉ!!』
最後には泣きが入っていた私の謝罪にも、蜘蛛子ちゃんは答えなかった。
けれど食べ終わってから、ちゃんと背負い直してくれたので、見捨てる気は元から無かったのが分かって心底ホッとした……
そして火龍を食べ終わった蜘蛛子ちゃんは再び私を背に乗せて進んでいく。
前回の火龍との戦いでスキルが成長したことで、より多くの情報が処理できるようになったので森羅万象の感知範囲を広げられるだけ広げてみたところ、中層から上へと登る長い通路があるのに気付いて、蜘蛛子ちゃんも新たなスキルである千里眼によってその位置を把握したらしい。
あと少しの距離で——それでも何十キロメートルは離れているのだけれど——上層に到着できるので、私の進化は後回しにし道中で狙撃し半殺しにした魔物の止めを蜘蛛子ちゃんに譲ることで、蜘蛛子ちゃんもLV20に到達し、二人とも進化可能状態のまま上層へと進んでいた。
そしてようやく灼熱の中層からお別れの時間が迫っていた。
『ようやくだねー』
感慨深く頷く蜘蛛子ちゃん。
さよなら、中層。
はじめまして——
ただいま——
——上層!
計11話目にして、ようやく原作主人公とまともに会話できる二次があるらしい。