空に裂く、上位翠魔への道。
その何も無い空間を一足先に駆け抜けて、拳を叩き込んだのはユーゴーだった。
「戦の華だ。先陣は、俺が切るぜッ!」
当然のように魔力で足場を作り出し、それを踏み砕きながら疾走して視界に映った上位翠魔の内その片方である三つ首の獣龍を殴り飛ばして、連携などさせないよう距離を引き剥がす。
機先を制するその動きは、野性的な直感のなせる技か。
誰より疾く、空中に穿たれた一本道を通り抜けて、相手に対応の猶予を与えないまま有利な状況へと運んでいく。
「爺、オーレル! 付いてこい! 俺らであのデカブツを仕留めるぞッ!」
「あい、わかった。いざご照覧あれ、我が魔術!」
「しょーがないっすねー。龍さん、あのバカを追いかけて下さいっす」
後方へ向けて叫んだユーゴーに、二つの返答。
大洋を渡りきれるほどの飛翔能力がある龍種に騎乗したロナントとオーレルが、二の矢三の矢となって、後に続く人達のため通り道を押し広げながらユーゴーの背を追う。
二人とも得手としているのが高位の魔法であるがために、その殲滅力は凄まじい。
どちらも対軍用の魔法を個人で発動させ、更に続く後続のために翠魔の数を減らしていった。
次々と突入していく、大厄災に立ち向かう勇士たち。
天を衝く隔壁のような翠魔の群れを、彼らは踏破していく。
そして彼らの視界へと映ったのは、まるで台風の目の中心部へと入ったかのような不気味なほど静かすぎる光景だった。
天まで聳え立つ黒き壁面。
それは全て小型の翠魔が密集して形成された壁であり、外界とこの空間とを区切る境界線。
誰かが思わず身震いした。
風が無い、熱が無い、何処までも薄暗く──この場所には生命の気配が全く存在しない。
まさしく冥府のようであり、生命を拒絶する化物の体内に等しい領域なのだと、誰も彼もが理解するのであった。
「シュン! お前らは先に進め! こいつらは俺らの獲物だッ!」
叫んだユーゴーは、視界に白桜色の龍の姿を捉える。
その頭上で角に掴まる人影を見据えながら、不敵に笑った。
そして──ユーゴーの拳撃が轟音を響かせれば、戦いの火蓋は切られたのであった。
激しく掻き鳴らされる金属音。
それは今しがた殴った上位翠魔のケルベロスが、尋常では無い硬度を持っていたというのもあるが、ユーゴーの手に填められた分厚く巨大な手甲が飢えた獣の如く鋼の牙鳴りを響かせる。
ギチギチと不気味に金属の軋みを鳴らすさまは、まるで手甲そのものが生きているかのよう。
対する獣龍も波飛沫を散らしながら体勢を立て直し、牙を剥き出して唸りを上げた。
次瞬、海面と大気をブチ抜きながら疾走する二つの影。
轟き爆砕される海は水柱を噴き上げ、音速を突破して発生した衝撃波は嵐の如く激震する。
山脈の如き獣龍の爪牙と小さき人間であるユーゴーの鉄拳がぶつかり合うたびに、火花と閃光が飛び散っては闇を照らしだした。
その応酬は、両者との間に比べるのも烏滸がましいほど体格の差があるものの、まるで獣同士の熾烈な縄張り争いのようでもあり、二体の獣は本能のままに荒々しく回転率を上げていく。
「
『────!!』
超高速の鉄拳が空を割り、獣龍の鼻先を強かに打ち据える。
しかし化物らしい異常なまでの耐久性で、一つの首がカチ上げられようとも他の二つの首が反撃の
速度の乗った剛撃を放った直後のユーゴーに、回避に移れる猶予は無いように見える。
あわや噛み潰され、無惨な挽き肉なるかと思われた瞬間──
「世話が焼けるっす」
二条の魔弾が、ケルベロスの顔面へと飛来した。
灼炎が覆い視界を潰された二首は、何も無い空を噛むだけに終わる。
その隙に相手の身体を蹴って、外套を翻しながら宙返りするように退避するユーゴー。
瞬きの合間に安全圏へと身を移し、追いついてきた龍とその乗り手に空を駆けながら併走する。
「サンキュ、助かったわ」
「よく言うっす。ウチらが援護しなくても避けられたくせに」
悪態を吐くオーレルだったが、それを言われた相手はどこ吹く風で楽しげに嗤っている。
まるで悪童のように口角を歪ませて、しかしその視線は片時も敵から目を離さずに返事をした。
「応とも。少し前の鍛え直しで散々身体に教え込まされたからな、片時も気を抜くなってな」
「そのわりには、けっこう慢心やらかすんけどねー」
「痛いとこつくなよ……」
「馬鹿弟子ども、巫山戯ておる暇は無いぞ。そら、
合流してきたロナントがそう呼び掛けた刹那、彼らは上下に散開する。
一瞬遅れて僅かに風景が歪み、目では認識することが難しい力場が彼らの居た空間を通り過ぎ、射線上にあるもの全てを大震させて粉砕していった。
その半ば不可視の一撃を前に、カラクリを見抜いたロナントが呟く。
「指向性を持たせた振動かのぉ? 事前に口を開いておったのを見るに、範囲は前方直線。三つの首それぞれからも投射出来そうじゃな」
獣より龍に近しい形状の頭部を、ロナントは目を細めてつぶさに観察する。
巨大な牙の間から白煙を噴き上げている中央の頭部は、まるで砲撃した後の大砲のようであり、今まさに残り二門の砲台からも不可視の砲撃は放たれようとしていた。
空気を甲高く鳴らし、吹き荒ぶ震動分解。
射線上に入って巻き込まれた小型翠魔が、塵になるまで崩壊し消え失せたのを視認して、彼らはその脅威度を更に一段回引き上げた。
「やべぇな。俺でも一撃モロに喰らえば死ぬんじゃね?」
「むしろあんなの耐えられたら、どっちがバケモンか分からんっすね」
このような状況下であるというのに、明日の天気を語るような気楽さで呑気な冗談を口にしあうユーゴーとオーレル。
彼らには、死の恐怖が無いのだろうか──否、何よりも死神の気配を色濃く背に感じているからこそ、平素の自分を強く保つためにそう振る舞っているだけだ。
現に、彼らの額には冷や汗が浮かび、笑みの表情もどこか硬い。
だが動きに澱みは無く、それどころか段々と動きのキレを増していき、滑らかな連携へと洗練されていく。
「変に気負っても上手くいかねぇ。いつも通りの馬鹿なくらいが丁度良い」
「カッコつけてるのも肩凝るっすもんね。やっぱ素の自分が一番っす」
次々と投射される致命の砲撃を紙一重で躱し、潜り抜けていく。
騒がしく軽口を叩き合い、小気味良いノリで掛け合いを演じ続ける二人。
その様子が気に食わないのか、生命を滅ぼす魔性たるケルベロスは怨嗟の籠もった眼光で、今もなお宙を舞い続ける
『Grr──ッ』
あぁ、どうにも──
ケルベロスの山脈のような巨体からしたら、己の役目を邪魔するあの鬱陶しい羽虫を叩き落とすには、この環境は開け過ぎている。
ゆえに──己に与えられた能力にて、
『SiGyaaa────!!!!』
同時に肌で感じられるほどの莫大過ぎる魔力の高まりと魔術陣の燐光を認識して、対峙する者らに戦慄が走る。
なにせ籠められた魔力量は大都市を軽く消し飛ばせそうなほどであり、その影響範囲は自分達を余裕で捉えているのだから。
ほんの僅かな大気の揺らぎを感じ取れたのは、危機察知の賜物か。
彼らは直感に従い、更に更にと上空へ退避する。
その次の瞬間に海を割って
その背丈は、海面から測っても何十メートルもある。
いくらこの場所が下にエルロー大迷宮を有する遠浅の海だとしても、海中に浸かっている部分も含めれば百メートルを軽く超える幾多もの大樹が、飛沫を滴らせて鋭利な枝葉を伸ばしていた。
判断が一瞬でも遅ければ串刺しにされていただろう光景が、一目瞭然と周囲に広がっている。
自由に飛翔出来る空間は限定され、大地そのものが牙を剥いたかのような鉱石の檻。
その中心には、必ず殺す誰一人逃さないと、冗談みたいな出力が装填されている三つの砲身が。
「面白え。上等だ、その首ごと全部へし折ってやるよ」
闘志を滾らせ、鋭い眼光で石林の向こうを見据えるユーゴー。
そして石林ごと砕きながら震動波が放たれた。
破壊の余波で、射線上の周囲にも散弾銃のように鋭利な岩石片が飛び散っていく。
風の悲鳴を奏でながら、炸裂していく破壊の渦。
それを避けても、拡散する岩石片が襲いかかり身を斬り裂くという二段構えの攻撃は──
「当たるかよッ!」
二十、三十と振るわれる鉄拳の驟雨。
それによって当たる軌道の破片全てを粉砕して、ユーゴーは最短距離でケルベロスへと向かって駆け抜けようとする。
当然、それを黙って見ている訳も無く、迎撃は思いもよらない別方向から突き出るのであった。
「──危ねえッ!?」
身を屈めて、前方へと飛び込むように前転するユーゴー。
背後を見れば、ちょうど首が通ったであろう位置に、まるで刀のような岩枝が伸びており、その枝は近くの幹から新たに形成されていた。
まさに剣林とも言うべき枝葉に、たたらを踏まざるを得ない。
そこへ狙いすましたかのような砲撃が襲い来る。
「大丈夫っすか?」
「あぁ。だがまあ──」
なんとも動きづらい。
見ればケルベロスの砲撃にて砕けた箇所にも、石林が蠢き新たな幹と枝葉を伸ばして、障害物と武器を形成していくのが映るのであった。
かといって、慎重に動けばそれでいいとも言えない。
何故なら──
『──!!』
自身で作り出した鉱石の樹林を、まるで小枝か何かのように砕き折りながら、ケルベロスが強襲してくる。
そして振り下ろされる巨爪を回避して、すれ違いざまにカウンターの鉄拳と魔法はケルベロスへモロに直撃するものの。
「チッ、硬ってえな」
「普通の毛皮なんかじゃ無いっすね。焦げ目一つ付かないなんてどうなってるんすか」
自ら鉱石の剣林に突っ込んでいったように、ケルベロスが纏う毛皮は生半可な攻撃など一切通さない頑強さだった。
魔法を減衰させる獣毛、その下には刃を通さない龍鱗装甲、そして衝撃を殺す分厚い皮下組織。
まともにダメージが入ったのはユーゴーの初手の一撃くらいで、それさえも化物らしい桁外れのタフネスさの前には、雀の涙程度でしかなかった。
回避も、攻撃も、集中していれば何とか可能。
このままギリギリの綱渡りで持ち堪えるのはいいが、しかしそれではジリ貧だ。
逆立つ鬣はまるで巨人のヤスリのように空間を削り、反転する際の龍尾は致死の圧を纏いながら振り回され、鉱石の大樹を根本から破砕して質量兵器を無造作に作り出す。
向こうの攻撃はどれもこれもが一撃必殺の威力なのに対し、此方はどの行動にも全力で当たらなければ一つのミスで死へと一直線の、端的に言って絶体絶命な状況。
当たれば死ぬ類いの攻撃は回避しているものの、避けきれなかった小さな石片が肌に裂傷を幾多も刻んでいく。
「舐めんなァッ!!」
急所にのみ当たる破片をガードして、ユーゴーはケルベロスへと突進する。
身体を強かに打ち据える礫の雨霰、その衝撃が骨を軋ませ痛みが走るが、意志力で捻じ伏せ突き進む。
「おぉらぁぁぁッ!!」
堅く拳を握り、横合いから迫る左の首を殴って止める。
巨大な牙が衝撃で静止した瞬間──殴った拳を開いて毛を掴み、全身をバネのように使いながらユーゴーはケルベロスの頭上へと登り込んだ。
そこから繰り出される怒涛の
脳髄を液状化せんとする鉄拳の嵐は、減衰されようとも関係ないとばかりに打ち込まれ、一つの首の頭蓋を凹ませるほどだったが。
「駄目か……ッ!」
その巨体を大きく捩り、立つ足場を大きく揺さぶられた事によってユーゴーは振り落とされてしまった。
投げ出された空中で受け身を取るが、そんな明確な隙を獣は見逃さない。
「やべッ」
獣の直感のなせる技か、体勢が崩れたユーゴー目掛けて最短距離で放たれていた獣爪。
瞬時に身体を捻って回避するも、鋭い爪は脇腹を掠めて肉を抉る。
「ッゥ、くっそ──」
痛手ではあるが、まだ耐えられる範疇。
そう思っていた攻撃だったが、本当の恐ろしさはそれだけでは無かった。
「がはッ!?」
盛大に吐血するユーゴー。
激痛が治まらない腹部を見ればドス黒く変色しており、感覚で内臓が傷口から入り込んだナニカで汚染されようとしているのを理解した。
「ぐッ、おおぉぉぉッ!!」
即座に傷口に拳を突っ込み、腐った内臓を抉って捨てる。
汚染の大部分を除去し、治療魔法も使い侵蝕を押し留めるが、結果失った血肉と生命力は遥かに大きな代償を支払うことになった。
そして身をもって味わった事により、先程の現象が一体どういうものなのか、ユーゴーは察するのであった。
「毒、だと……?」
システムで再現された、毒という状態異常では無い。
人体に有害な重金属による鉱毒、それがシステムの影響を無視して恐ろしい速度で体内を汚染していき、細胞が機能不全を起こし血肉が腐っていくのだった。
ケルベロスが持つ爪牙、その全てが毒性を持つ重金属で構成されているのだろう。
触れるもの全てを穢す大地の呪い、それこそが地獄の門番たる翠魔の司る呪詛なのだ。
「な、え……?」
「なんじゃと……っ、身体が思うようにっ」
見れば、オーレルやロナント、龍たちも最初の頃より動きに精彩を欠いていた。
戦闘を始めた時には気付きもしなかったが、目を凝らせば空気中に舞う微細な粉塵がモヤのように充満しはじめており、その粉塵を彼ら彼女らは知らず識らずに吸い込んでいた。
それが一定限度を超えたがために、激痛と腐敗の呪いが発動する。
ゆえに呼吸困難に酸欠そして麻痺と、多重苦の呪縛がケルベロスと対峙する全てへと掛けられていたのだ。
魔に染まった汚染物質が肉体内部に入ったからなのか、伝わってくる思念の波濤。
狂えし魔性が放つ滅殺の狂気。
穢れよ、穢れよ、大地の中で眠っていた穢れが目覚める。
山脈を切り崩し我を起こしたのは誰だ?
翠が消える、生命が居なくなる。
強欲さが自然を破壊し、秘されし鋼を望むのか。
そんなにも大地の恵みを欲して盗掘するのならば、いいだろうくれてやる。
無惨に抉られた自然が全ての生命を巻き込み、猛毒の牙を剥く。
生命よ、死ぬがよい──掘り起こされた大地の怒りを思い知れ。
内から腐り落ちる激痛を味わうがいい。
「ちっ、くそ──ッ」
精神へと直接叩き付けられる魔性の激情。
殺意で眼球を漆黒に染め、猛毒の唾液を牙から滴らせる。
そう、故にこれは
大地の宝物を守護し、不遜な盗人へ誅戮を下す番犬なのだ。
そして反応の鈍ったユーゴーへ、視界を埋め尽くす獣の口内が迫ってくる。
回避しようとするが、蹴り出そうとした脚は痙攣していて、上手く力が籠められず空を滑る。
手足が震える、神経に電極でも差し込まれたかのように、何故か身体が思い通りに動かせない。
侵蝕する毒素が神経系まで達したのか、指先の感覚さえも覚束ないのだ。
「殿下っ!」
「あの馬鹿……っ! 早く逃げるっす!!」
もはや苦悶に苛まれる身体は言うことを聞かない。
であれば──
『Gaaaa────ッ!!!!』
「……避けられねぇな」
末路を悟ったユーゴーは、薄く笑う。
その胸中に去来する感情は本人以外分からない。
そして──大地の裂け目の如き顎門は鉱毒の牙を噛み鳴らし、愚かな人間を一口で飲み込むのであった。
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