転生者たちと翠魔の二角が決着をつけた頃、此方側も終幕を迎えようとしていた。
「まだまだぁァ──ッ!!!!」
ガチガチと、小さな牙が打ち合わされるような音が、その渦中から無数に鳴っていた
そのたびに、一部の隙も無かった全方位からの飽和射撃に、空間ごと抉られたかのように虚無が生じていく。
冷気が、氷弾が、そして闇の霧まで──空間に空いた漆黒の孔へと呑み込まれていく。
歪む空間は、黒い雲霞のように不定形に流動していた。
その黒い雲──いいや、蜘蛛。
煙のうちより召喚されし蜘蛛が、おびただしい数の鋏角で世界ごと噛み千切り咀嚼している。
それは全てを食い尽くす、大地を荒野とさせん暴食の害の象徴──その蜘蛛版だった。
それらを手繰っているのはアリエル。
発動させたスキルの影響か、肌に黒線が無数に浮かび上がり、それがまるで髑髏や死神を模したタトゥーのように、不気味な図形を描いていた。
それらが脈動するたび、暴食の
スキル昇華によって覚醒したばかりの能力。
そうであるにも関わらず、展開できる限界までアリエルは手足の如く操作して、あらゆる全てを分解し、己と
喰らったエネルギーを元に、展開される虚無の孔。
さらに、その上限は今この時も最大値が増加し、時間が経つにつれ一つ二つ三つと際限なく更新をし続けていた。
──昇華のスキルは、絶対崩壊の力。
対象の情報質量など無形のものさえ分解し構成を崩壊させ、三次元上の存在からMAエネルギーへと強制相転移させる、究極の
それは基礎となる暴食を強化する形で顕現し、アリエルが持つ能力を進化させる。
今まで暴食は、自身の口腔内しか展開出来なかった。
しかしその上限は劇的に引き上げられ、同時に配置出来る個数も箇所も、当人の力量次第で如何ようにもなる代物へと進化していた。
つまり──
「一つも逃さない。全部喰らい尽くしてやる」
腕を振るうたびに放たれる黒い雲霞──幾千匹もの蜘蛛の大群が猛然と撃ち出される。
掠めるだけで根こそぎ喰らう暴食の
以前は単独だったその獰猛な飢えた狼が、彼女が指揮するまま群狼となって暴れ狂う。
空間を蹂躙していく虚無の孔はニュクスの攻撃悉くを消失させ、その牙は次第に次々とニュクスの分裂体にも襲いかかっていった。
限界を突破していく能力はアリエルの肉体と魂を激しく消耗させながら、残り少ない寿命を薪木に爆発的に燃え上がる。
かくして顕現した極小ブラックホールの
もはや散らばったニュクス全てを喰らい尽くすのも、数分もあれば片がつくだろう光景だった。
「負けられないんだ、約束したからっ!」
思いの丈を乗せて、アリエルは叫ぶ。
今の彼女を支える意思の源泉は、交わした約束への誓い。
それを頼りに、無限の意志力を捻出していた。
「白ちゃんとだって──ううん、それよりもずっと前から、私は約束してきた。数多の想いと共に生き続けてきたっ! たとえ約束を交わした相手がいなくなろうとも、願いが叶わなくなっても、ずっと、ずっと……ッ!」
彼女の脳裏に浮かぶは、悠久の昔に過ごした仲間たちと、彼ら彼女らから継いだ想いの数々。
院長、クラ、ナタリー、■■■、■■■■、ゴブゴブ、■■■■■、コレー、■■……
同じ孤児院のみんな。
システム黎明期という激動の時代に、サリエル様を救うため流星の如く命を燃やして走り抜けた人たちの顔と遺志が、アリエルの中で巡りだす。
その誰もが皆、戦火に倒れるか寿命で朽ちるかで、もう一人も残っていない。
思い出の場所も形見も全て何もかも、風化しきった。
けれど記憶だけは──決して消えることない大切な光だった。
その思い出があるからこそ、アリエルはどんなに寂しくても悲しくても一人ぼっちでも、自死を選ぶことなく生き続けたのだ。
受け継いだ皆の願いは、幾百幾千の時をこえ成就した。
けれどまだ、果たすべき約束は残っている。
「もう一度、あの日々のように! みんなと笑い合いたいんだ! 生きてやるとも、笑顔で迎える最期のためにぃッ!!」
裂帛、迸る誓いの熱量に応えて暴食の蜘蛛群が凶悪に駆動する。
乱れ舞う虚無の蟲害は、ことこの瞬間に至って絶対的な有利不利を反転させた。
すなわち、圧倒的な性能差と不死性で一方的に嬲れていたニュクスが、抵抗も無為に喰われる側へと追いやられる側へと盤上をひっくり返した。
相性差が、ニュクスを冥府へ送り返さんと追い詰めていく。
喰らいつき貪る虚無が、極寒の闇をただのエネルギーへと還元させた。
殺意を滾らせ迎え撃つ魔精も、戦慄き逃げ惑う魔精も平等に、覚醒した暴食は呑み込む。
氷獄砲も、氷球も氷晶も、苦し紛れの雷霆すらも喰らい、冥府の魔精は次々と虚無へ消えて数を減らしていった。
そうして、残るは最後の一体になった時。
「────うぐ、ぁっ!? そん、な……あと少しなのにッ」
唐突に口から溢れ出した血液。
操っていた暴食の制御が崩れ、プツプツと泡が弾けるように自壊していく暴食の蜘蛛群。
アリエルは胸を掻き毟りながら、最後の一手に身体がついていかない事に悔しさを滲ませた。
──そもそも、ただでさえ彼女の状態は限界だった。
エルフの里でポティマスを倒すときに使った謙譲、その負荷も抜けきらぬまま特殊スキルを発動させたのだ。
発動直後は意志力によるブーストが掛かっているとして、ならば後々来る反動は言わずもがなというべきだろう。
意志力で限界を越えて覚醒できるとしても、それは自食と同義。
身体か寿命か、なにかしらを犠牲にして力へと変える作業は、当然だが長くは続かない。
むしろ、あの状態で良く持ったほうであると、驚嘆する領域である。
だからこそ、止め処なく溢れる血に溺れながら、瀕死へと急速に墜落するアリエル。
まだ死なずにすんでいるのは、意志力の賜物かそれとも魂を包む翠の加護ゆえか。
けれど生命の危機に瀕するアリエルに、もう止めを刺せる余力はなかった。
『ごほ、くっそ……こんな時こそ、俺様がおいしく出番を掻っ攫う瞬間だろうがよ……ッ』
穴だらけの大翼を必死に広げながら、己も瀕死なヒュバンは歯痒く思う。
背に乗せるアリエルの身体が一気に冷え、今にも命の灯火が尽きようとしているのを詳細に感じながらも、彼自身なんとか羽ばたき高度を保つだけで精一杯だ。
当然、冥府の魔精への止めをヒュバンが担うことなど到底不可能。
背中にて血を流して倒れ伏すアリエルを振り落とさないように、今の速度と体勢を保つことしか出来ることがない。
その明確な隙を、一体だけ残ったニュクスは当然見逃さない。
『Kihihihihihihii──!!』
凝縮していく闇と冷気。
身動きの取れぬ両者へ向け、氷弾を装填し照準を合わせていく。
この一射に自己の残存エネルギー、その殆どを費やし空気に溶けゆく寸前になるとしても、抹殺すべき対象を確実に浄滅させられるのならば、迷いなく冥府の魔精は身を捧げた。
時間さえ掛ければいずれ太源より供給されるエネルギーによって復活を果たせるからと、闇黒が渦巻き、蠢き、集束する。
纏う闇が霞んでいき心臓部だけを残して、影法師よりも儚い存在へとニュクスは零落する。
しかし文字通り存在ほぼ全てを注ぎ込んだ一撃は、これまでのどんな攻撃よりも凄まじく凶悪な殺意と猛威を氾濫させていた。
この瞬間この一点にのみ、全てを凍らす氷河期へと回帰したかのように、世界ごと凍らせながら呪詛と狂気が爆発する。
それは此処から数キロメートル単位で氷獄へと閉ざし、生命を終わらせる極夜だろう。
既に彼らでは抵抗はおろか逃げることすらままならない。
だから共に生命を蹂躙されるだけで、勝機は無いのだと再び潰える──まさに寸前。
「──僕ノコト忘レテ貰ッチャ困ルヨ、オジョウサン?」
ニュクスの背後から核たる心臓を抉り抜く、破魂の瘴気を纏う五爪。
胸部より抜き出したそれを握り潰しながら、その腕の主は
「レイセ!」
『テ、テメー!? 生きてやがったのかよ!?』
勝負の天秤が傾ききる間際で乱入したのは、闇に呑まれ消滅したと思われていた闇龍レイセ当人だった。
「悪イネ、兄妹タチ。美味シイ処ハ僕ガ頂クサ」
そう言いながら五爪を揃え、胴を貫いた腕を引き抜く際に、力任せに斜めに抉り抜く。
グシャリと身体が引き裂かれていく苦痛と損壊で、冥府の魔精が甲高い悲痛な声を上げていた。
アリエルが奇跡の逆転を果たしていた時、レイセはずっと気配を殺し息を潜めたまま、傷付いた身体を癒すことすらせずに、じっと機会を伺っていた。
レイセにとってもアリエルの逆転劇は驚異の覚醒だったが、戦闘前の状態から限界を予測して、最後の最後で一手足りなくなるだろうと、この瞬間のために加勢したい欲求を堪えてひたすら隠形に徹していたのだ。
その成果は、こうして冥府の魔精最後の依代を打ち砕いた。
だが──
『────────!!!!!!!!』
音も無く、されど大気が狂気に震えだす。
──まだ、まだ、もっと、もっと、死ね、死ねよ、遍く生命死ぬがよい。
体積の九分九厘失おうとも、まだ一厘もあるのなら狂気は忠実に刻まれた使命を実行する。
すなわち、自爆。
集束途中だった氷獄の種子を暴走させ、死なば諸共と不規則に膨張を開始させる。
それが絶対零度の大氾濫を巻き起こす瞬間──
「悪いけど、その大きさなら一口だよ」
至極あっさりと、氷河期になるはずだった闇氷は虚空へと呑み込まれた。
口をモゴモゴとさせ、口腔に溢れかえる血ごと飲み下すアリエル。
たったそれだけで氷獄は、ニュクスの正真正銘の最後の一欠片と共に、エネルギーへと分解還元されて終幕を迎えるのだった。
ゴクリと喉を動かし空になった口。
糸が切れたように倒れ込んで天を仰ぎながら、アリエルは呟く。
「ごめんよ、酷いことして。ごめんよ、約束……守れるかどうか分かんないや」
片方は、今しがた撃破した翠魔に向けて。
もう片方は、約束を交わした白い少女に向けて。
アリエルには、命の灯火がもう幾許も無いのが分かった。
あと数分も持つのか怪しいそれに、乾いた自嘲の笑みが漏れる。
約束を破ってしまうこと、後悔や無念はあるけれど、それでも充分以上に上出来だ。
そう思って、瞼をゆっくりと閉じていく。
天に渦巻いていた暗雲が蠕動を止め、色濃い闇が霧散し消える刹那──無垢な思惟が届く。
──いいよ、ありがとう。助かった、感謝している。だからどうか生きて、蜘蛛の王様。
直後、喰らい分解していた闇が反転して癒やしへと変わった。
生命を滅ぼさんとする呪詛ではなく、生命が健やかであってほしい祈りは、絶命間際の身体機能と魂へ優しく浸透し回復を紡ぐ。
自身に起こったその感覚に、アリエルは目を見開く。
虚空を見詰め、そして胸に手を当てながら堪えきれぬとばかりに破顔した。
「くふ、はは、あははははは──えほ、ごほごほ…………また死に損なっちゃったよ」
血を零し噎せながら見る先に、彼女は翠の燐光を幻視した。
くすくす、けらけらと、翠は舞う。
本当にすべき一仕事を遣り終え満足げにしながら、冥府の魔精となった眷属たちは翠の乙女の元へと帰っていった。
暴食に喰われ、破魂の直撃を受けても、核となった魂が無事だったのは、翠の乙女の権能ゆえかそれとも彼女が同胞へと向ける愛ゆえか。
何はともあれ、これにて上位翠魔の三角、全てが倒された。
翠魔の一角、地獄の門番ケルベロス──討滅完了。
翠魔の一角、死界の川ステュクス・カロン──討滅完了。
翠魔の一角、冥府の魔精ニュクス──討滅完了。
ならば、次の舞台へのお膳立ては整った。
つまり──
「やってやったぜ……」
「──だから次を任せるわよ」
反動で衰弱した帝王と吸血鬼は、後に続く者を信じて託す。
満足げな笑みを浮かべて、お前らもやり遂げてみせろよと鼓舞をする。
「これで私たちの役目は果たした。
さぁ導いてあげたぞ、白ちゃんよ! 君の好きな人を奪い返してこいッ!」
韋駄天の如く命と魂を燃やして駆け抜け、勝利を掴んだ。
なら今度は君の番だと、アリエルは海の底を見据えながら叫びを上げる。
その激励に勿論──応えなければ私じゃない!!
「──言われずともォッ!」
システムの中枢へと続く扉に浮かび上がっていた、三つの紋章は霧散した。
獄犬、海蛇、魔精。
それらが封を施していた扉は、いまや彼女を阻むことなどない。
神殺しの能力を持たない下位の翠魔を鎧袖一触に蹴散らしながら、凛々しき服に身を包んだ白織は大鎌を振るい疾走する。
大切な人を救い出すために、白き流れ星と化しながらエルロー大迷宮の最下層を瞬時に踏破し、システム中枢へ一直線に墜ちていく。
走り抜けた周囲には、両断された翠魔と崩壊して灰となった残骸が、一面に散らばっている。
これらは所詮、魂すら入っていない紛い物。
ゆえに容赦なく斬り捨てるのに彼女は迷わないが、それでもその顔は一つ斬るたびに暗く曇っていった。
「どけよ、道を開けろっ。──邪魔をするなぁぁぁぁッ!!」
その堆積する感情を怒りに変換し、闇を裂く裁断の斬線が閃く。
そして遂に、システム中枢、その境たる扉の前。
深淵に続く最後の防壁を見上げながら、白織は叫んだ。
「さあ来たぞ、応えろ扉! 私を彼女の元へ通すがいい!」
手を翳す。
封が解かれた扉は白織の意思に従い、重厚な音を響かせながら左右へと開け放たれる。
その向こう側は一寸先も見えぬ異空間の闇黒であったが、彼女は一切躊躇わずその深奥へと飛び込んだ。
「オオオオオオオオオオォォォォ──ッ!!!!」
まるで墜落のように。
彼女は待ち受けるだろう冥界へと、魂魄総身すべてを懸けて突き進んでいた。
同じく──
「みんなやり遂げてくれた。なら俺たちも──」
「あぁシュン。ここからは僕たちの番だ」
『あたしたちも往くわよ』
「ええ、ここが正念場ですもの」
「私たちの未来と運命は、この戦いの先にあるからっ」
山脈とさえ形容できる九つの頭部を持つ魔性の多頭龍の眼光に射抜かれながら、勇者と仲間たちは怯むことなく睨み返す。
人の世界は奪わせない。
生命の輝きは、誰にも神だろうとも、穢させてはならないものだから。
「やるぞ、みんな!!」
「「「『 往こうっ、シュン!! 」」」』
大厄災、第二幕──その火蓋が切って落とされた。
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