糸を張る。
速度を優先して多少作りが荒くなるけど、今は時間が無いから仕方ない。
私はコケちゃんを置いてマイホームから逃げ出し、溜め込んでいた食糧ごと地竜を仕留めた場所まで転移すると、そこに急ピッチで簡易ホームを作っていた。
そして、適当に張ったせいで出入り口が無くなった簡易ホームの中で、私は世界に訴え掛ける。
《個体ゾア・エレがエデ・サイネに進化します》
フッと意識が遠のいていく……
《熟練度が一定に達しました。スキル「禁忌LV9」は「禁忌LV10」になりました》
《条件を満たしました。禁忌の効果を発動します。情報をインストール中です》
《インストールが完了しました》
……そっか、これを知っちゃったのかコケちゃん。
胸糞悪い。
むかつく、むかつく。
禁忌、なるほどね、確かにこれはこの世界の住人にとっては禁忌だろうし、本来関係ないのに今この世界で生きている私たちにも無理矢理科された重荷に怒りがこみ上げる。
この世界が、既に詰んでいて崩壊寸前だなんて誰が思いつく。
あいつ、なんでこんな世界に私たちを放り込んで生まれ変わらせたんだ。
転生させられるにしても、危機に瀕していない他の世界とか元の世界で、何もかも忘れて生まれ直したほうが何倍も良かった。
ステータスやスキルなんてものが、盛大に仕組まれた世界を救済するためのシステムだなんて、誰が気付ける?
そして私たちは、そのシステムに縛られている。
この世界に繋がれている以上、このままでは遅かれ早かれ滅びに巻き込まれるのは免れないし、何かしら行動しないと待っているのは、世界もろとも消滅する運命だ。
大量虐殺して捧げる……あの黒い男、管理者ギュリエディストディエス、長いし言いづらいなギュリギュリでいいや、そいつが絶対阻止する。
それ以外……、強くなるしかない。
この世界から与えられた仮初の力を、本物にして越えるしかない。
Dよ、こうなるって知っていて、こんなシステムを与えた世界に放り込んだのか?
結局は、あいつの思い通りに動いてやるしかない。
それは私に止めどない怒りを湧き上がらせて、新たなスキルが追加されるほど。
癪だけど、その通りに動いてやる。
そうするしか道が無いと理解できるから、その掌で踊ってやる。
けど今は、そんな世界を救うことよりも世界を越えることよりも、大事なことがある。
私は目の前の地竜に喰らいつく。
進化したてで、減ったSPを急いで補給し、瞬く間にその巨体を腹に収める。
その間に、私は今まで少しだけ使わずに残して溜めておいたスキルポイントと進化したことで増えた分を全て使い切って、あるスキルを二つ取得する。
そして食い終わると同時に、構築していた長距離転移を発動させる。
——待っててコケちゃん、私が必ず。
そして食い荒らされた地竜を残して、私は姿を消した。
全ての出入り口が塞がれ巨大な繭となっていた迷宮の一角にて。
先程転移した蜘蛛が殆どの食糧を持って転移したので捕食できるものが僅かしか無く、飢餓に苛まれながら、何とか脱出しようと塞がれた一角に魔法を狂ったように打ち続ける魔蛾。
その背後に突如現れたのは、腹部の半分が黒く染まり、その模様が鬼面のような骸骨に見える、悍ましい気配を纏った蜘蛛の魔物。
その蜘蛛は先手必勝と言わんばかりに、その腹部の糸疣から蜘蛛糸を放つ。
狂気に落ちて理性を失ったものの、その代わり研ぎ澄まされた本能が危機を鋭敏に察知して糸の範囲から飛び退く。
しかし、不意打ち気味に放たれた糸の網から全て逃げ切ることは出来ず、片翅の一部に蜘蛛糸が貼り付き、離れようとした魔蛾の姿勢をグラつかせる。
暴風と重力を操り、なんとかバランスを保ってそれ以上蜘蛛糸に付着するのを阻止すると、魔蛾は自らに対して魔法を撃って絡みついた翅をズタズタにしながら引きちぎり脱出する。
翅の一部を失い、少々姿勢が不安定になりながら広間の中央を飛ぶ魔蛾に対して、地に脚をつける蜘蛛は八つの瞳が輝き闘志を張り巡らせながら見上げていた。
——コケちゃん、戻ってきて。
私は、空中を舞うコケちゃんに対して糸を放つ。
それは以前の焼き直しのように見えたが、結果は少し違っていた。
前回まではどれだけ先読みしても余裕を持って避けられていたのに、今はあとちょっとのところまで迫っている。
それは、片翅の一枚が無くなって上手く飛べなくなっているのもあるけれど、一番は私の速度が以前とは桁違いに速くなっているからだ。
進化したことで私の平均速度能力は6000近くにまで上昇しており、コケちゃんの速度を大きく引き離していた。
それにより、一瞬で背後に回り込んだり逃げたコケちゃんに追い縋ることが可能になっていて、避けにくい位置から次々と糸を放つことで、あと一歩まで追い詰めている。
しかしコケちゃんも上手いもので、どれだけ糸を放ってもギリギリのところで避けられるので、決着には至らないものの回避に集中させて、反撃が出来ないほど追い詰めることには成功していた。
背後から拡散する糸の網を飛ばす。
——跳ねるように飛び上がり上空に逃げられる。
上空に浮かぶコケちゃんにマイホームの天井にまで飛び散った糸を操作して覆いかぶさるように引き落とす。
——直角を描いて軌道を変更し、落ちてくる網の範囲から脱出された。
逃げるコケちゃんに追いつき横薙ぎに糸を右から左からと振るう。
——高度を瞬時に変えて縄跳びのごとく足元と背中を掠めながらコケちゃんはやり過ごす。
このまま、コケちゃんのSPが切れて動きが止まるのが先か、私の集中力が途切れるのが先かという勝負になれば、殆ど食事の出来ていなかったコケちゃんの方が先にバテるので、確実に勝てると踏んでいた。
しかし、そう簡単には終わってくれないようで。
コケちゃんが片翅を犠牲にして、糸を受ける。
それに驚きつつも、すぐさま追加の糸で雁字搦めにしようとするが、その前にコケちゃんの魔法が発動する。
暴風が吹き荒れ私を吹き飛ばし、絡みつこうとしていた追撃の糸も遠くへ飛ばされていく。
空中で姿勢を整えると、私は糸の上にしっかりと着地する。
そして広間の中央には、片翅に糸が貼り付き地面から動けなくなったコケちゃんが怨嗟に満ちた狂気を撒き散らしながら、無数の魔法を構築していた。
そして僅かな隙間も無いような激しい弾幕が放たれた。
私は、マイホームの外周を走りながら回避する。
決して近づけてなるものかと執念さえ感じさせる魔法の津波は、少しでも速度を緩めると蜂の巣にされてバラバラになった私が地面を転がることになるだろう。
そして近づけば近づくほど密度の増す弾幕の前では、うかつな接近は命取りになるため、慎重にコース取りをして逃げ道が塞がれないように走り抜ける。
迫りくる弾幕の嵐と、ときどき進行方向の先に偏差射撃して飛んでくる魔法も避けながら、私は少しずつ仕込みを組み立てていた。
それに気付かれないように上手く立ち回りながら走り続け、それを発動する機会を伺っていた。
その時がくるまで瞳を輝かせながら一瞬の隙も見逃さないように睨み続けていると、遂にそのチャンスがやって来た。
急激にコケちゃんの動きが鈍る。
糸に囚われていても荒々しく暴れまわっていたのに、今は身じろぎ一つするのも億劫に見える。
身体を支えられなくなったコケちゃんは、力なく倒れ込んでいき地面に崩れ落ちる。
地に伏せたコケちゃんはスキルの維持すら困難になり、強化されたステータスが下がっていき構築中の魔法も霧散して消えていく。
それを見て私は、逃げ回りながら仕掛けていた罠を起動する。
壁面や天井に張り巡らせた無数の糸が、いたるところでピンっと張り詰め、それが広間の中心に向かって殺到する。
すでに動くことも魔法を使うことすらロクに出来ないコケちゃんには、避けることも防ぐこともかなわず、無数の糸で縛られ空中に磔になる。
吊るされたコケちゃんはグッタリとしながらも、いまだ狂気に囚われており譫言のように悲鳴を上げている。
——ようやく捕らえた。
私が今まで戦闘が始まってからずっと仕掛けていたのは、怠惰と呪怨の邪眼。
進化した後、すぐ獲得したスキルをぶっつけ本番で使うという無茶に、もしかしたら望んでいた効果が出なくて失敗する可能性が高かったはずなのに、私は貴重なスキルポイントを捧げて、結果その賭けに勝った。
怠惰の効果は、HPやMPとかSPなどが減少する速度を大きく引き上げるスキル。
いつもよりMPの消耗を早くする、いつもよりSPが減りやすくして息切れさせる。
そんな効果を受け続けたコケちゃんは、MPが回復する速度よりも早くMPを使い切ってしまい魔法が使えなくなった。
食事が出来ていなかったから、元々少なかったSPも餓死寸前まで一瞬で消費しきっていた。
それに呪怨の邪眼を八つ同時起動でほぼ常に掛け続けたことで、状態異常大耐性があっても貫通させて少しずつ効果を浸透させていったし、特にMPを集中して奪い続けたので桁外れのMP量があっても枯渇させるのにさほど時間は掛からなかった。
そして今もMPが回復しないように掛け続けて、反撃を封じる。
私は宙吊りになったコケちゃんに向かって歩いていき、あと一歩の距離まで近づいた。
そして——
鎌を大きく振りかぶって飛び、その側面をコケちゃんの頭に向けて
『もどって……、こぉぉーいっ!!』
もう一つ新たに取得したスキル、念話でコケちゃんに思いっきり呼びかけながらぶん殴る。
振り抜いた鎌の拳は、コケちゃんの頭を大きく揺らして意識を強烈に揺さぶる。
そしてコケちゃんの意識が飛ぶ寸前、状態の欄から狂気が消えて纏う気配がいつもの憶えがある柔らかな雰囲気に変わる。
『あり……が、と……ぅ……』
最後の最後で正気を取り戻したコケちゃんから声が届くと、そのまま眠りに落ちていった。
地面に降り立った私は振り抜いた姿勢のまま、ほんの少しそのままでいた。
ゆっくり前足を戻すとコケちゃんを吊るす糸を緩めて、そっと降ろしてあげた。
そしてコケちゃんが地面に伏せると、私もその隣に倒れ込んだ。
——あ、危なかったなぁぁ。
進化して抵抗も上がったとはいえ一発でも当たっていれば、やられていたのは私の方だったし、綱渡り的な展開がずっと続くのは精神的にキツイものがある。
今回、魔法に一切当たること無く正気に戻せたのは、コケちゃんが精神系スキルの殆どを上手く機能させられなかったのが大きい。
私より遥か上の思考超加速や未来視なんて持っているのに狂っていたから使えていなかったし、並列意思もまとめて狂ったことで主導権の混乱が発生して、どこかぎこちない動きを見せるときもあった。
だからこそ隙も多くて魔法を避けきれたし、反撃させずに攻撃を仕掛けられた。
そう振り返った私は、怠惰を始め複数のスキルを切っていく。
このままだと、コケちゃんが餓死して死んじゃいそうだし、私自身も糸を大量に作り続けたのでSPがかなり減って大変なことになっている。
——こんなことで死にかけるなんて、ないわー。
わけも分からず笑いが込み上げて来て、それに任せて薄く笑う。
ゴロリと姿勢を変えた時、あるものが目に映る。
それを私はなけなしのSPを消費して引き寄せると、それを半分に分割して片方をコケちゃんの口当たりに突っ込む。
ストロー状の口の下に、もう一つ噛み切る構造の口があったのでそこに押し当てると、少しずつ噛んで飲み込んでいくので、それを確認すると私ももう半分のそれを食べ始める。
口の中に甘さが広がるが、その甘さはさっき食べていたものより強く、とても甘くて美味しいと感じられた。
ははっ、とんだ進化お祝いだね。
そして私も釣られるように意識を失って眠りについた。
荒れ果てた巣の中で、二匹の魔物が眠る。
穢れなき白の蜘蛛
柔らかな緑の魔蛾
それは世間では危険度Sオーバーと認定される恐ろしき魔物であったが、今この瞬間だけは誰にも侵されてはならない聖域の主のようであった。
実は、常に念話分のスキルポイントを確保したまま行動していた蜘蛛子ちゃん。
でも取ったら何故喋らないのと言われるのを恐れて取得は出来ていませんでした。
念話分のポイントが使用出来なかったので、重の邪眼は取得せず麻痺の邪眼もコケちゃんがいるので後回しにしたためスキルポイントには、かなり余裕がありました。
そのため進化のボーナスも合わせて先に怠惰と念話を取得でき、コケちゃんに挑む蜘蛛子。
その結果、コケちゃんを正気に戻すことが出来ました。